| ”コポコポコポコポコポコポ・・・”
ゆっくりと芳ばしい香りのコーヒーが、サイフォンに少しずつ少しずつ落ちている。そしてその香りが、また少しずつ少しずつキッチンからリビングに広がっていく。 今は標準時間の午前6時。
宇宙空間じゃ、朝って言っても真っ暗なままだけど、やっぱり朝っていいわよね。なんだか、自分が生まれ変わる気がする。
リビングのセンターテーブルにランチョンマットを4枚敷き、その上にテーブルセッティングをする。中央にメイン用のお皿、その左横にフォークとナイフ。 メイン皿の上には、トマトとソーセージを乗せた。あとはスクランブルエッグを作ればオーケー。
キッチンに戻って、サイフォンのコーヒーの具合を確かめる。 今日はモカにしてみた。
これってちょっと難しいの。浅く煎ると渋くなっちゃって。何回か失敗しちゃったのよねえ。今回は、まあまあうまくいったかな・・・。
ちょっとだけ口に含む。口腔内に広がる甘味のあるコーヒーの香り。 「うん、いいじゃない」 キッチンボードから、不揃いのコーヒーシュガーの入ったガラス瓶を取り出す。そしてフリーザーからミルクを出して、ミルクポットに入れ替える。 で、お次はリッキーが飲むオレンジジュースを用意してっと。
食器棚からオレンジジュース用のグラスを背伸びして取り出す。 ふう。ちょっと高すぎなのよ、この棚。今どき可動式じゃないなんて、使いづらいったらありゃあしない。ジュースを注いでカウンターに置いた。
と、ここで 「・・・おはよー・・」 リッキーが寝ぼけ眼でやってきた。グリーンのクラッシュジャケットを着て、今日の仕事のスタンバイはできてるみたいね。でも、なんだか、よろよろしちゃって寝ぼけてるみたい。 「おはよ。あんた、まだ起きてないでしょ。オレンジジュース飲んでしゃきっとしなさい」 グラスを掴んで、リッキーの胸に押し付ける。 「・・・はーい・・」 のろのろとグラスを受け取って、カウンターの横でオレンジジュースを飲み始めた。 まったく。寝癖だってついたままじゃない。ホントにこれで16だっていうんだから信じられない。 あたしがジョウに初めて会ったのが16歳の時よ。少なくとも、こんなガキじゃなかったわ。 やれやれとため息をつきながら、隣にいるリッキーを見つめる。
「ほら、もうすぐみんなも来るんだから、自分の席に行きなさいよ」 オーブンで温めておいたクロワッサンをトングで取り出しながら、リッキーを促す。 もお。 もうすぐ、ジョウが起きてきちゃう。その前に全部用意したいのに。
「うん。あ、ねえアルフィン、今日はどうしたの?」 いきなりリッキーが聞いてきた。
ギク。
どうしたのって、なにが?
「な、・・なに?」
ドキドキしながら聞き返す。 やだ、フツーにしてるつもりなのに、やっぱりどっか変?? ちゃんと、いつものボディシャンプーを使ってシャワーを浴びたから、ジョウの香りは残ってないはず。クラッシュジャケットだって、いつもお手入れはばっちりなのよ。 特別にはりきって朝食を作ったりもしていない。
「コーヒー、インスタントじゃないんだね」 「・・・ああ」 なんだ、そんなこと。びっくりした。 「昨日、物資補充で買ってみたの。タロスもジョウも好きだから、いつもインスタントじゃつまんないでしょ」 「へえ、朝から大変だったね」 「いっつもジュースのお子様にはわかんないかもね。この香りは」 よしよし、いつもの調子が戻ってきたかも。 「無駄口叩いてんなら、コレ運んでよ」 クロワッサンのお皿と、バターとジャムの乗ったトレーをリッキーに差し出す。 「あいよ」 両手でトレーを受け取り、リッキーがリビングテーブルへ向かった。
・・・ふう。焦った。 コーヒーをサイフォンで淹れたのは、ジョウに入れたてのコーヒーを飲ませてあげたかったから。それと、どきどきしてジョウに会う時、緊張しそうでなんとか普段どおりに落ち着きたかったから。 実際、かなりの効果があったわ。
うん、でもリッキーって意外に勘がいいから油断できない。気をつけなくちゃ。
そう、もうすぐジョウが起きてくる。
フツーにすればいいのよ、アルフィン。自然に自然に自然に・・・・。いつもどおりに”おはよう、ジョウ”って言うのよ。
「おはよう」 「ぅきゃあ!!!」 いきなり声を掛けられ、思わず叫んじゃった。口から心臓が飛び出しそう。 スクランブルエッグを作っていたフライパンを、落っことしそうになる。 「うわ」 いつのまにかカウンターの横にきていたジョウが、すんでのところでフライパンの取っ手をあたしの右手ごと掴んでくれた。ちょうど、あたしの後ろからかぶさるような格好になった。 「・・・・セーフ」 あたしの頭の上から、昨夜、何度も何度も耳元で聞こえてきたジョウの声がした。 そろそろと顔を巡らせてジョウを見る。
あたしの大好きな漆黒の瞳。真っ青なクラッシュジャケット。いつもなら精悍な顔のジョウは、今朝はちょっとだけ照れくさそうな目であたしを見下ろしている。 「ご・・ごめん。考え事してたから・・」 大声を出しちゃった言い訳をする。 まだ、どきどきしてる。ああ、どうしよう。きっとあたしの顔真っ赤だわ。 昨日より、今日の方が恥ずかしい気がするのはどうして? 「やけどしてないか?」 ジョウは、あたしの右手を掴んだまま、そろそろとフライパンをシンクの上に下ろしてくれた。 今のあたしって、カウンター横から見たらジョウに抱きすくめられてるように見えちゃうはず。 「だ・だ・大丈夫よ。あ、ありがとう」 とりあえず、落ち着かないと。 こんなに接近しちゃうとさっきまでのコトを思い出しちゃう。あたしのすぐ横で寝てたジョウの顔ーーーーーーー。 ・・・・・じゃなくて!! 今、思い出したらダメ!! 恥ずかしくて、ジョウと顔を合わせられなくなっちゃう。今は、朝食の支度だってば。
「もう、もうできるから、ジョウも席に着いてて。すぐに持っていくから」 精一杯、いつもどおりに話し掛ける。すぐ後ろでジョウの気配がする。 「もう、ホントに最後なの。これで出来上がりだから・・・」 恥ずかしくて、ジョウを見れなくて。でも、ジョウがどいてくれないと、スクランブルエッグをみんなにシェアできない。
まだ、ジョウは後ろにいる。
「ジ、ジョウ?」 嬉しいけど、どいてくれないとホントに困る。仕方なく、恐る恐る振り返ると。
(・・・・・・・・・・・・!?)
その場に屈みこみ、声を殺して笑っているジョウの姿。 (・・わ・・笑って・・る?)
心底楽しそうに笑ってる。な・・・なぜ・・・。
なにがなんだか、わかんない。
わかんないけど、でも、なんだか。
ムカツク。かも。
あたしのが動揺しているのを見て楽しんでるの?
あたしがボーゼンとして見ているのに気がついて、ジョウは一瞬ヤバイ、と思ったようだけど、すぐに優しく笑った。 あたしの目の前にすっくと立ち、スクランブルエッグの乗ったトレーを持ったあたしの髪をクシャクシャと掻いた。
「やだあ。なによお」 あたしはトレーで両手が塞がっていて反撃できない。 もお、せっかくセットしたのに。
「・・・安心した」 ジョウが一言、あたしに言った。 ん?何のこと? 「なにが?」 ジョウに聞き返すと、ジョウはふっと甘く笑ってから、あたしの髪を右手で直してくれた。 「秘密」 片方の目を細め、いたずらっ子みたいに答える。 「なあによう」 すっごく気になる。追求しようとした時、リッキーが 「ねー。お二人さんさあ、いつまでイチャついてんのさ。メシはまだですかーー?」 半分からかいながら声をかけてきた。 「今行くってさ。ホラ」 ジョウに両肩を掴まれ、強制的にリビング方向に方向転換。 振り返って、ジョウに聞いてみる。 「後で教えて」 「だーめ」 「えーーーーーー!!」
”行け行け”とジョウがジェスチャーする。 もう。 絶対に聞き出してやるから、覚えてらっしゃい。
「お、いい香りがしますなあ」 ブリッジからタロスが戻ってきた。昨日の夜の当直はタロス。朝食からはドンゴが交代する予定。 「いいでしょ。昨日仕入れたモカ。焙煎するの難しいんだから。タロスはブルーマウンテンのほうが好きだろうけど、試してみて」 ちょっと得意になって勧めてみる。 「へえ、そいつあ楽しみだ」 嬉しそうにタロスが答えた。
キッチンではジョウが棚からみんなのカップを出し、一つ一つコーヒーをサーヴしている。そして、両手に2つずつカップを持ちリビングテーブルのそれぞれの席に置く。 最後に、ゆっくりと自分の席に腰を下ろし
「それでは・・・」
ジョウが全員に目配せをする。
「「「「いただきます」」」」
ほんの少しいつもと違う朝。でもいつもどおりの風景。 なんだか、とってもくすぐったい気分。
あたしは、なんだかすごく幸せな気分になって、いつのまにか普段どおりにジョウに話せるようになっていることに気がついた。
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