| 【ご注意!!】 『ダイロンの聖少女』未読の方はご注意下さい。ネタばれが含まれています。
夜中にはまだ早過ぎる時間であったが、バーはその割には混みあっていた。 壁に据えられたダーツに興じているもの。テーブルで仲間と一緒に密やかに酒を酌み交わしているもの。3Dピンボールの行く先を無我夢中で目で追っているもの。 それぞれが、思い思いのやり方で酒を飲んでいた。 客数の割りに、バーの中が思いのほか静かなのは、下士官専用のラウンジのせいだろうか。 血気盛んな兵卒は、このバーへの出入りは禁止されている。 落ち着いて飲むには適当な場所だが、羽目を外すことは出来ない。 ここで何か問題を起こせば、それはすぐに自身の昇進に響くことになる。 何かに属するということは、雁字がらめで窮屈なものなのだ、と、ここにいる男たちは遠い昔に、自身の野望と引き換えに己の意思を捨てている。全ては、皇帝ルキアノス一世のために自分たちは存在するのだ。
つい最近、軍曹に昇進したザックスは、カウンターで一人、酒を啜っていた。 ダブルのストレート。氷も水もチェイサーも必要ない。酒だけで充分だった。 ザックスの存在は異様に目立つ。2メートル30センチを超える偉丈夫で、その巨躯を支えるスツールがあまりに頼りなく見える。17で宇宙軍に入隊して以来、絶え間ない訓練と実戦で鍛え上げられた筋肉は、制服の上からでも容易に判別することが出来る。 存在が目立つ理由は体格だけではない。氷で研ぎ澄まされた刃(やいば)のような、不用意に触れたら必ず血を流さずにはいられない、そんな空気を彼は全身から放っていた。 ザックスに話しかけるものはいない。彼の風貌は、彼の性格そのままを表していた。血も涙もない、冷徹で残酷で、どんな不条理な命令にも従い完遂する男。現場の兵士たちは、彼の恐ろしさを知っている。好んで話しかける者など、どこにもいない。
突然、バー室内に高らかなファンファーレが響き渡った。居合わせる男たちが、はっとして動作を止める。そして、バーの一角に据えられた3Dモニタに視線を向けた。どの男も例外ではない。ザックスもモニタに首をめぐらす。 モニタは、ルキアノス一世の鶴の一声で建設に至った、古代様式のコロシアムを映し出していた。室内の空気を振るわせたファンファーレは、スピーカーから流れ出たものだ。男たちは、甲高いファンファーレの意味を知っている。 それは、決闘の開始。
男たちはしばらくモニタを注視していたが、やがてまた、先ほどまで自分がしていた動作に各々戻っていった。コロシアムに入場してきた皇帝直属の剣闘士二人の顔を確認したからだ。この試合は生中継ではない。再放送だ。試合の結果も既に伝えられている。室内に、小さなざわめきが再び戻った。 ザックスも、この試合の帰趨は知っていた。剣闘士二人の実力はほぼ互角で、片方を倒すまで30分近く掛かった試合だ。最後の留めが一向に決まらず、皇帝はもちろん、コロシアムの観客にも惰眠を誘う、本当に退屈で、ゴミみたいな試合だった。勝者の剣闘士は、瀕死の状態で皇帝から勝利を宣告されたが、当の皇帝の表情は、明らかに不満そうなのが見て取れた。
皇帝がご覧になりたいのは、華麗で優美で鮮烈な戦闘。相手を一瞬にて倒す、ある意味芸術のような戦闘だ。くだらねぇ。こいつらは、ただ闇雲に相手を倒そうとしているだけだ。戦いにも様式美があるってことが全然分かってない。ザックスはモニタから視線を外さず「退屈で、ゴミみたいな」試合をぼんやりと見続けた。
ザックスは、タンブラーの中の酒をごくりと飲み干す。喉をすり抜ける液体が、燃え盛る火のごとく彼の粘膜を焼き尽くす。 彼の視線の先はモニタにあったが、彼は思考の海に沈んでいた。 ゴーフリー帝国宇宙軍が全力をもって挑んでいる、ジョハルタとの戦い。現在の戦況を俯瞰的に見れば、確かに宇宙軍は彼らに手を焼いている。制圧どころか、こちらが撤退を余儀なくさせられている有様だ。だが、ザックスの周囲だけに限れば、その戦況は全く違った。ザックスの口が小さく歪む。 ジョハルタは確かに油断ならない。ゴキブリのようにしぶとい奴らだ。だが、前回の戦闘で俺は13人屠ってやった。他の分隊は、ほぼ壊滅に近い状態だったらしいが、俺が属する隊だけは目覚しい戦績をあげた。俺が属してるのだから当然のことではあるが。目を閉じると、あの時の感覚が耳に、手に、そして瞼の裏に蘇る。電磁ナイフがさくりと肉を切り裂く、あの軽やかな手ごたえ。断末魔の搾り出す最後の呻き。そして、自分が屠ったジョハルタのこの世で最後の表情──恐怖と驚愕が混ぜこぜになったもの── ザックスは、満足気に酒を啜った。
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