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■1171 / inTopicNo.1)  ザックス ─異聞─
  
□投稿者/ ヒロコ -(2006/06/30(Fri) 08:50:08)
    【ご注意!!】 『ダイロンの聖少女』未読の方はご注意下さい。ネタばれが含まれています。



     夜中にはまだ早過ぎる時間であったが、バーはその割には混みあっていた。
     壁に据えられたダーツに興じているもの。テーブルで仲間と一緒に密やかに酒を酌み交わしているもの。3Dピンボールの行く先を無我夢中で目で追っているもの。
     それぞれが、思い思いのやり方で酒を飲んでいた。
     客数の割りに、バーの中が思いのほか静かなのは、下士官専用のラウンジのせいだろうか。
     血気盛んな兵卒は、このバーへの出入りは禁止されている。
     落ち着いて飲むには適当な場所だが、羽目を外すことは出来ない。
     ここで何か問題を起こせば、それはすぐに自身の昇進に響くことになる。
     何かに属するということは、雁字がらめで窮屈なものなのだ、と、ここにいる男たちは遠い昔に、自身の野望と引き換えに己の意思を捨てている。全ては、皇帝ルキアノス一世のために自分たちは存在するのだ。

     つい最近、軍曹に昇進したザックスは、カウンターで一人、酒を啜っていた。
     ダブルのストレート。氷も水もチェイサーも必要ない。酒だけで充分だった。
     ザックスの存在は異様に目立つ。2メートル30センチを超える偉丈夫で、その巨躯を支えるスツールがあまりに頼りなく見える。17で宇宙軍に入隊して以来、絶え間ない訓練と実戦で鍛え上げられた筋肉は、制服の上からでも容易に判別することが出来る。
     存在が目立つ理由は体格だけではない。氷で研ぎ澄まされた刃(やいば)のような、不用意に触れたら必ず血を流さずにはいられない、そんな空気を彼は全身から放っていた。
     ザックスに話しかけるものはいない。彼の風貌は、彼の性格そのままを表していた。血も涙もない、冷徹で残酷で、どんな不条理な命令にも従い完遂する男。現場の兵士たちは、彼の恐ろしさを知っている。好んで話しかける者など、どこにもいない。

     突然、バー室内に高らかなファンファーレが響き渡った。居合わせる男たちが、はっとして動作を止める。そして、バーの一角に据えられた3Dモニタに視線を向けた。どの男も例外ではない。ザックスもモニタに首をめぐらす。
     モニタは、ルキアノス一世の鶴の一声で建設に至った、古代様式のコロシアムを映し出していた。室内の空気を振るわせたファンファーレは、スピーカーから流れ出たものだ。男たちは、甲高いファンファーレの意味を知っている。
     それは、決闘の開始。

     男たちはしばらくモニタを注視していたが、やがてまた、先ほどまで自分がしていた動作に各々戻っていった。コロシアムに入場してきた皇帝直属の剣闘士二人の顔を確認したからだ。この試合は生中継ではない。再放送だ。試合の結果も既に伝えられている。室内に、小さなざわめきが再び戻った。
     ザックスも、この試合の帰趨は知っていた。剣闘士二人の実力はほぼ互角で、片方を倒すまで30分近く掛かった試合だ。最後の留めが一向に決まらず、皇帝はもちろん、コロシアムの観客にも惰眠を誘う、本当に退屈で、ゴミみたいな試合だった。勝者の剣闘士は、瀕死の状態で皇帝から勝利を宣告されたが、当の皇帝の表情は、明らかに不満そうなのが見て取れた。

     皇帝がご覧になりたいのは、華麗で優美で鮮烈な戦闘。相手を一瞬にて倒す、ある意味芸術のような戦闘だ。くだらねぇ。こいつらは、ただ闇雲に相手を倒そうとしているだけだ。戦いにも様式美があるってことが全然分かってない。ザックスはモニタから視線を外さず「退屈で、ゴミみたいな」試合をぼんやりと見続けた。

     ザックスは、タンブラーの中の酒をごくりと飲み干す。喉をすり抜ける液体が、燃え盛る火のごとく彼の粘膜を焼き尽くす。
     彼の視線の先はモニタにあったが、彼は思考の海に沈んでいた。
     ゴーフリー帝国宇宙軍が全力をもって挑んでいる、ジョハルタとの戦い。現在の戦況を俯瞰的に見れば、確かに宇宙軍は彼らに手を焼いている。制圧どころか、こちらが撤退を余儀なくさせられている有様だ。だが、ザックスの周囲だけに限れば、その戦況は全く違った。ザックスの口が小さく歪む。
     ジョハルタは確かに油断ならない。ゴキブリのようにしぶとい奴らだ。だが、前回の戦闘で俺は13人屠ってやった。他の分隊は、ほぼ壊滅に近い状態だったらしいが、俺が属する隊だけは目覚しい戦績をあげた。俺が属してるのだから当然のことではあるが。目を閉じると、あの時の感覚が耳に、手に、そして瞼の裏に蘇る。電磁ナイフがさくりと肉を切り裂く、あの軽やかな手ごたえ。断末魔の搾り出す最後の呻き。そして、自分が屠ったジョハルタのこの世で最後の表情──恐怖と驚愕が混ぜこぜになったもの──
     ザックスは、満足気に酒を啜った。
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■1172 / inTopicNo.2)  Re[1]: ザックス ─異聞─
□投稿者/ ヒロコ -(2006/06/30(Fri) 08:55:17)
     彼の比類ない功績の積み重ねは、彼の昇進を意味した。だがそれは、彼の残虐さが更に際立つだけのことであり、彼の周囲からは人がどんどん離れていくことを意味した。酷薄で惨憺な戦闘を目の当たりにし、人は影で彼を「鬼畜」と呼ぶ。鬼畜で結構。俺は俺のやりたいようにするまでだ。前回の戦闘で、ザックスは更に戦績が認められ、ついには軍曹という下士官クラスまでに昇進した。叩き上げとしては異例の速さの昇進だった。

     俺だったら。
     俺が剣闘士だったら、あんな情けない戦い方はしない。
     モニタが映し出している戦闘を見ながら、ザックスはゆるゆると沈思する。

     ファンファーレと共にコロシアムに入場する自分。怒号に近い観客の歓声。試合開始後、2分で相手を優美に、しかし冷酷に倒す。刹那しんと静まりかえる場内。しかし、静寂はすぐに大歓声にとって代わり、やがてそれはザックスの名前を繰り返す賛美の歓呼となる。皇帝がゆっくりと立ち上がり、ザックスの勝利を宣言する…。
     そこまで無意識に考えて、ザックスは我にかえった。
     皇帝直属の剣闘士になることなど、夢のまた夢だ。皇帝はメディアの中の高貴な人物でしかなかったし、クーデターが起きる前、皇帝が「ゴーフリー宇宙軍ノガレス中尉」であった時でもそれは変わらない。将校と兵卒では、過去も現在も未来においても彼らの間に接点が生じることは絶対にありえなかったし、皇帝と一兵士では更に問題外だ。
     くだらねぇ。
     ザックスは小さくひとりごちた。ルキアノス一世の姿を実際に見る機会など、死んだってないだろうし、それは直属剣闘士になる機会も同じことだ。
     彼は、くだらない想像、それもほとんど白昼夢に近い想像に至った自分を静かに嘲り笑った。

     誰かが自分の後ろに近づいていたのには気付いていた。
    「ザックス軍曹。ここにいたのか。探したぞ」
     ザックスは声を聞き分けると同時に、敏速な挙措でスツールから降り、声を掛けてきた人物に敬礼した。
     「構わん。ここでは必要ない」
     ザックスは敬礼を解いたが、直立不動の姿勢は崩さなかった。彼は、自分が属している分隊長をまっすぐに射抜いた。准尉くんだりが俺に一体なんのようだ。彼の瞳が疑問で一瞬曇るのを、准尉は見逃さなかった。そして、その疑問に答えるように口を開いた。
     「私も、お前の自由時間の邪魔をするつもりはない。ただ、特別なオーダーが軍曹に下りたので、それを伝えにきただけだ」
     ザックスは黙って、准尉の言葉を聞いていた。特別なオーダー。ますます不可解だ。だが、もうそれを表情にあらわす失態はしない。ザックスの表情は氷のように固まったままだ。
     「明朝0630、支度を整え、迎えが来るまで自室にて待機。お前の行く先は、衛星エキドナ。任務は極秘。以上だ」
     准尉はザックスにそう告げると、傍らの3Dモニタに目をやった。剣闘士の決闘はまだ続いている。
     「恨むなら、己のその力を恨むんだな、ザックス軍曹。…せいぜい生き抜くがいい」
     そう言い残して、准尉はザックスの元を離れた。ザックスはその背中が自身の視界から消え去るまで目で追った。准尉がバーから出て行ったのを見届けると、ザックスはスツールに座りなおした。

     どうなってやがる。
     ザックスの頭は、状況を判断しようとせわしく回転した。だが、なにぶん手がかりが少なすぎる。分かっているのは、明朝、迎えがきて極秘で衛星エキドナに向かうことだけ。
     衛星エキドナ。
     ザックスの眉がわずかに跳ねた。惑星スオラシャには3つの衛星があり、スサボとナルガブにはそれぞれ軍事基地がある。そしてエキドナには重要施設が建設されつつあると、以前に聞き及んでいた。もちろん、その詳細は全く公表されておらず、ザックスクラスの兵士には衛星への立ち入りも禁止されている。
     不可解なオーダーを肴に、ザックスは再び酒を啜った。
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■1173 / inTopicNo.3)  Re[2]: ザックス ─異聞─
□投稿者/ ヒロコ -(2006/06/30(Fri) 08:56:59)
     明朝。二人の衛兵の先導の元に、ザックスは衛星エキドナに到着した。
     驚いた。これはまさしく軍事基地であって何であろう。こんな重装備を持つ施設が建設されていたとは毫(ごう)も知らなかった。ただ、ベース内は恐ろしく閑散としている。稼動中のステイタスを持つベースとは雲泥の差だ。ザックスは眉間に小さな皺を寄せながら、案内の兵に気付かれないよう回りを観察した。奇妙な形をしている建造物や壁面が多い。もしかしたら、オート仕様の火器が隠されているのかもしれない。

     ある部屋の前まで来ると、案内の兵は扉横に設置されている小さなテンキーカバーを開けた。キーを打ち込んだ後、自身の目をごく小さなレンズに近づけた。パスワード入力に網膜照合か、随分大層な仕掛けだな。衛兵の一連の動作を横目で見ながら、ザックスは思った。
     「着いたか」
     インターフォンから初老の男の声が流れた。衛兵がそれに答える。
     「ザックス軍曹が到着しました」
     「お前たちは下がっていろ」
     返答が聞こえてきたのとほぼ同時に扉が横にスライドした。衛兵はその場から動かず、顎で小さくザックスに入室を促した。ザックスは、室内に一歩踏み出した。部屋は思ったよりも広くはなかった。奥に大きな執務机があり、そこに男が肘を置いてザックスの姿をじっと見ていた。

     ザックスは、大きな歩幅で室内奥に進んでいった。机を挟み、男の前で一度姿勢を正し、敬礼した。後ろでドアが閉まる、空圧の抜ける音がした。
     「ザックス軍曹、ただいま到着しました」
     男は値踏みするように、ザックスの巨躯をしばらく眺めた。
     「ふむ」
     小さく鼻を鳴らす。やがて、男は姿勢を変えてザックスと相対した。
     「ご苦労だった。…きっと山ほどの疑問があることだろう」
     ザックスは沈黙で、男の発言を肯定した。
     「ここは新兵器開発研究所の執務室だ」
     男の目が一瞬鋭さを増す。
     「私の名はガランド。ゴーフリー帝国軍事顧問、そして」
     ガランドは一息継ぎ、ザックスの表情の変化を見逃すまいと、彼の顔を無意識に睨(ね)め上げた。
     「戦闘用サイボーグ開発の総責任者だ」

     新兵器開発研究所。サイボーグ開発。軍事顧問ガランド。ザックスは名前を聞いて、危うく声を上げそうになった。ガランドは今現在、皇帝にもっとも近い人物と称される男だ。そんな政府高官が、一兵士にいったい何の用だ。ガランドはザックスのそんな心の裡を見抜いたのか、話を続けた。
     「驚いたかね、ザックス軍曹。たかが軍曹如きが、理由も告げられずに未知の衛星エキドナに連れてこられ、面会の相手が軍事顧問なのだから、驚くのも当然か」
     そう言うと、ガランドは手元に置いてある資料に視線を落とした。

     「2140年委任統治領、惑星スオラシャ生まれ。21歳。父、ノブルトン。2142年に死亡。母、アイラ。2147年に失踪、現在に至るまで行方不明。2157年、ゴーフリー宇宙軍入隊。2160年、兵長に昇進、その3ヶ月後、現在の階級である軍曹に昇進。現在、第三連隊メヌア小隊所属。対非装甲擲弾兵器担当。得意な体技はKENPO。…間違いはないかね」
     ガランドは、ザックスの経歴を読み上げ終わると、彼の顔に視線を戻した。

     ザックスの視線はガランドに向いていたが、正確にはガランドは彼の視界に全く入っていなかった。

     「いやだよ、お母さん。僕を置いていかないで」

     自分の経歴が読み上げられ、久々に両親の名前を耳にしたザックスは、遠い昔、自身の奥底に横たわる泥濘(ぬかるみ)に無理矢理塗り込め、封印したはずの記憶が瞬刻蘇り、驚愕で総毛立った。

     「いやだよ、お母さん。お願い、置いていかないで。僕、必ずいい子にするから」
     スカートの裾をしっかりと握りしめ、だが視界は涙のせいで奇妙に歪んでいた。
     女は膝を床につき、視線を彼のそれと同じ高さにした。
     「ザックス、あなたは強い子。私はいつでもあなたを誇りに思ってる」
     そう言うと、彼女は彼の頭をくしゃりと撫で、無言で立ち上がり、ドアへ向かった。
     涙が次から次へと溢れているのに、どうしてよいのか分からずただ凝然と立ち尽くす。
     女は後ろを振り返ることなく、淡々とドアを開け去っていった。
     「待って、お母さん。お願い、置いていかないで───」
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■1174 / inTopicNo.4)  Re[3]: ザックス ─異聞─
□投稿者/ ヒロコ -(2006/06/30(Fri) 08:58:52)
     反吐が出る思いだった。ゴーフリー帝国ナンバー2を目の前に、なんという「センチメンタルで唐突な回想」だ。ザックスは、奇妙な、しかし一瞬の回顧をすぐさま断ち切り、ガランドの問いに答えた。
     「間違いはありません」
     ガランドは軽く頷くと、書類を机上に放り、自身の背をバックレストに大きく預けた。ガランドの上体が前後に小さく移動するたび、バックレストがギシギシと揺れ動く。そのさまと音が、ザックスの神経を隠微に逆立てた。

     「単刀直入に言おう。お前は、第5世代戦闘用サイボーグ被験体候補として、ここに呼ばれた。そうだ、剣闘士候補生、というわけだ」
     ザックスは、ガランドの言葉を聞き、全身が粟立った。恐らく、戦場以外で「肌が粟立つ」のは初めてのことだろう。言葉の意味を完全に理解すると同時に、血液が逆流し、鼓動が急激に早まった。そして思いっきり、腹の底から大笑いしたい衝動にかられたが、ぐっと堪えた。
     俺が剣闘士だって?なんてこった、こんなしみったれた人生でも、生きてりゃいいこともあるもんだな。あの白昼夢が現実になるだなんて、思っても見なかった。

     コロシアムに響く喝采と賞賛。連呼される俺の名前。あの、肉を切り裂く爽快な感覚。全体重をかけた蹴りの鈍い手ごたえ。そして何よりも、相手を倒したあとの、表現しようのない充足感。これら全てが現実になると想像すると、ザックスの唇は自然と緩んだ。剣闘士になるということと、自分がサイボーグに改造されるということは同義であったが、恐怖は全く感じなかった。自身の力が更に増幅され、あの煌びやかな闘技場に立てるのならば、改造だろうが何だろうが頓着しない。

     頬が緩んだザックスを見て、ガランドは言った。
     「ほう、まるで喜んでいるようだな。今まで、候補になった男たちのどれも、最初は慄然と身を震わせていたというのに、お前は変わっている」
     「候補に上がり、大変光栄です」
     「お前の過去の働きが、こちらの目に留まった。第5世代サイボーグとなる素材を探していたわけだが」
     ガランドの目が狡猾な色を帯びた。
     「どうやら、適当な被験体を見つけたらしい。お前は、サイボーグと聞いても全く動じるどころか、それを歓迎するふしさえある。家族縁者もおらず、戦闘だけが生きがいの男。お前なら、きっと皇帝と人心を満足させる働きをするだろう。仮に、改造の命令を拒否しようとしても、それは既に決定事項でお前ごときに覆すことなど出来ぬ。ならば、進んで下命を拝する方が得だと思わんかね。その点でお前は既に、過去の剣闘士たちより優れていると言えよう」
     「期待に応える働きを必ず」
     ザックスはそう言うと、顔を引き締め、ガランドに向かって敬礼した。


     それからの数日は、改造の手術に向けての下検査に費やされた。骨格レベルからの改造となるので、改造手術は1度で済ますことは出来ない。過去、改造過程で命を落とすものさえいた、肉体に大きな負担を強いる過酷な手術の繰り返しだ。ザックスの肉体が長時間、そして長期間に渡る手術に耐えうるかどうか、あらゆる角度でチェックされ、同時に、彼のサイボーグ化への最終方針が決定された。過去のサイボーグ戦士は、各々固有の武器を秘めており、今回第五世代となるザックスには、長さ30センチ程度の三日月状電磁カッターを内蔵させることになった。更には脳内にチップを埋め込み、五感の能力を通常の人間の数千倍に増幅させる。
     肉体の改造を極限まで行うのが、戦闘用サイボーグ化の常だったが、知性や性格だけに限っては、その肉体が持つ本来のものが基本となる。改造の副作用で、多少性格などが変異することもありえるが、やはり基本は個体由来のものだ。その点でもザックスは、文句の付けようのないテスト結果をはじき出した。冷酷で残虐な嗜好はそのままキャリーオーバーされる。

     ガランドは、ザックスの検査結果を携え、ルキアノス一世に面会を求めた。
     執務室に入ると、ガランドは皇帝に一礼し、検査結果のメディアを手渡した。
     ルキアノス一世は、メディアをコンピュータに挿入した。モニタ画面が、複雑なグラフや難解な数字で埋まる。皇帝はそれらにさっと目を通すと言った。
     「どうやらザックスは、今までで最高の被験体となりそうだな」
     「はっ。どのテスト結果もこちらを満足させるものでした。彼以上に適切な被験体はおりません。必ずや、最高の働きを見せる剣闘士になることと確信しております」
     皇帝は満足気に、ガランドの言葉に頷いた。
     「第1回目の手術はいつになる」
     「早ければ明日にでも」
     「ならば、手術終了後、ザックスが意識を取り戻す際に私も同席するとしよう」
     皇帝はにやりと唇を捩(ね)じ曲げ、軍事顧問を見た。
     「陛下のお心遣いにザックスも喜ぶことでしょう」
     「奴には良い仕事をしてもらわねば困るからな。我がゴーフリー帝国の技術の粋を、奴に施すことになるのだから」
     そう言うとルキアノス一世は、モニタに映し出されているザックスの異相をチラリと見やった。
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■1175 / inTopicNo.5)  Re[4]: ザックス ─異聞─
□投稿者/ ヒロコ -(2006/06/30(Fri) 09:00:03)
     汎用手術ロボットのアームが5本、ザックスの回りをせわしなく行き来していた。改造手術第1回目の準備はほぼ整い、残る作業はザックスに麻酔薬を注入するだけだった。ザックスの身体は、反重力装置と温風圧によって、手術台から20センチほどの高さで宙に浮いている。手術台の上にいくつも設置されているライトをザックスは黙って眺めていた。
     これで生身の身体とはおさらば、というわけか。
     ザックスは反芻する。
     生身の身体に対して、自分でも驚くほど、感慨も感傷も感じなかった。それよりも、未知なる力をこの身体に宿すのかと思うと、期待と興奮で精神が昂ぶる。
     どうせ今までだって、つまんねぇ人生だったんだ。今更、生身の身体がどうなろうと大したことじゃねぇ。これからは、何よりも好きな戦闘の中で暮らすことができるんだ。ああ、腹が捩(よじ)くれるほど笑いたい気分だぜ。
     「気分はどうかね、ザックス」
     最終チェックを終えたガランドが、ザックスのそばに寄ってきた。
     「良好です」
     ザックスは無表情でガランドの問いに答えた。内心では、はちきれんばかりの昂揚感で一杯だったが、それを外見から推し量ることは不可能だった。表情が読み取れなかったガランドは、ザックスの実際とは反対の感情を推察した。
     「センチメンタルな気分かね。それもそうだな。どんな猛者であろうと、自分の身体にメスが入ることは不快であろうし、なによりも、生身の人間でなくなるわけだからな。せいぜい、今までの自分を惜しむがよい」
     そこまでガランドは話すと、表情を引き締めた。
     「下らないお喋りはここまでだ」
     手術室内で余念なく最終チェックを行っていた数人のスタッフを呼集し、彼らとガランドはザックスの回りをぐるりと取り囲むように立った。ガランドが口を開く。
     「これより、『第五世代戦闘用サイボーグ改造』第1回術式を始める。術式は既に術前ミーティングで確認した通り。サイボーグ改造専用手術ロボット5台が主に作業を行うが、我々も細心の注意を払って手術にあたる。これは、ゴーフリー帝国の国威発揚プロジェクトの一環であり、皇帝の御意でもある。必ず成功させねばならない。以上だ。では、被験者に麻酔を」
     スタッフの1人が、既にザックスの肉体に挿入されているチューブに麻酔液を注入する。ザックスの口がプラスチックマスクで覆われた。マスクを当てたのは、ガランド自身だった。
     「いい夢を、ザックス」
     ザックスは深呼吸を10回ほど繰り返し、やがて狂気が渦巻く泥海の中にゆっくりと堕ちていった。

     「お母さん、お願い、どうか僕を置いていかないで」
     ザックスは涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになっているのも気にせず、母親のスカートにしがみつく。
     「僕を置いていかないで」

     ちっ、またコレか。この期に及んで、封印したはずの記憶を再び思い出すとは驚きを通り越して呆れてしまう。ザックスは意識が混沌とする中、脳裏に浮かんだ少年期の出来事を他人事のようにぼんやりと眺め続けた。

     「お願い、お母さん」
     「置いていかないで」
     「置いていかないで」

     母親に懇願しているのは幼い自分だったはずだ。
     だが気付くと、なぜか成人に成長している自分がいた。

     「待て」
     ザックスは、そろそろと左手を前に動かした。思うように身体が反応しない。
     全身が鉛のように重く、ともすると挫けそうなったが、執念で何者かの左のふくらはぎを掴んだ。
     「俺を置いていくな」
     声が掠れてうまく出ない。右手も、自分の視界の大半を占めている誰かの足を掴もうとした。足の感じから、それが男性のものだと分かる。男がしっかり立ち上がっているのに対し、自分は床に這い蹲(つくば)り、屈辱と絶望と敗北と羞恥が混濁した中にいた。
     ザックスが男の膝下にじりじりと這い上がろうとする。
     男はその光景を見て驚愕したように、絶叫を上げる。
     「放せ!」
    男が一瞬息を飲んだ気配がザックスにも伝わってきた。
     「置いていくな」
     ザックスは、その発言がどんなに惨めなものか分かっていたが、懇願せずにはいられなかった。
     頼む、頼むから置いていかないでくれ、母さん。俺はいい子でいたじゃないか。
     「うるさい!」
     男は怒鳴るのと同時に、右足でザックスの顔面を蹴った。

     そしてザックスは、深い深い奈落の底へと沈んでいき、今度こそ本当にプツリと意識が途絶えた。
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■1176 / inTopicNo.6)  Re[5]: ザックス ─異聞─
□投稿者/ ヒロコ -(2006/06/30(Fri) 09:01:30)
     深い霧が徐々に晴れていくかのように、ザックスの意識もゆっくりと戻った。麻酔がまだ残っているのか、身動きがかなわない。ここはどこかと、首を巡らそうとしたが徒労に終わった。横で男の声がした。聞き覚えのある声だ。眼球だけは動くので、ザックスは声の主の姿を探す。

     「目が覚めたようです」
     ガランドは、自身の背後にいる男に声をかけた。
     ザックスの意識が戻ったことを知らされた男は、椅子から気だるそうに立ち上がり足早にザックスの許に寄った。
     「ご苦労だった、ザックス。ゆっくり休み、次回の手術に備えよ」
     術後を気遣う言葉のわりには、男の声に温かさは全く感じられなかった。
     「お前はもはやザックス軍曹ではない。今、この瞬間から、サイボーグ戦士ザックスに生まれ変わったことを忘れるな。お前がコロシアムで戦う日を心待ちにしている。」
     それだけ言うと、男は身を翻し、ザックスのベッドから離れていった。ガランドが男の後を慌てて追う。

     ザックスは、自分が現実の世界に戻ったのか、それともまだ麻酔下の混濁した意識の中に身を置いているのか判断がつかなかった。
     その訳は。
     全てが暗闇に変わる直前に聞いた、あの声。
     そして「ゆっくり休め」と自分を労(ねぎら)った先ほどの声。
     その二つがあまりに酷似していたからだ。そのせいでザックスは、自分がまだ夢の続きの中にいるように感じた。ザックスは奇妙な夢を思い返す。恐らく麻酔が影響したのだろう、自分を置き去りにしていった母が再び夢に出てきたが、それは、さらに珍奇な夢に変化していった。俺の顔面を蹴り、置き去りにしていった男。たかが夢だったが、胸糞が悪くなる不快な夢だった。今までに、あんなに強烈な孤独感と絶望感を感じたことはない。夢見が悪いとはこのことだった。ザックスは一人毒づいた。

     そこまで考えると、だんだん意識がはっきりしてきた。少しだが、頭が左に動くようになった。ここはどこだろうと思い、室内を見渡す。装飾や設備から、手術室ではないことが判断できた。どうやら処置室のようだ。スタッフが数名、ザックスのそばについており、モニタやら数値やらの確認に追われていた。そこで初めて、自分のあらゆる場所に様々なコード類が装着されていることに気付いた。身体が重い。意識は完全に覚醒していたが、身体が言うことをきかない。ザックスは身体を動かす努力を放棄し、その代わり、静かに目を閉じた。

     「お前はもはやザックス軍曹ではない。今、この瞬間から、サイボーグ戦士ザックスに生まれ変わったことを忘れるな。お前がコロシアムで戦う日を心待ちにしている。」

     先ほどの言葉が脳裏に蘇った。さっきまで、これが現実か夢か判断がつかなかったが、今なら分かる。これは現実だ。そして、このような言葉を自分にかけてくれる人物といえば。
     ザックスは、緊張で身体が硬直する思いだった。
     あれは、皇帝だ。ルキアノス一世だ。
     皇帝直々に下賜された言葉の意味を噛み砕くと、ザックスの身体の裡から、じわじわと愉悦が滲み出てきた。
     剣闘士ザックス。サイボーグ戦士ザックス。
     そうか、俺はついにサイボーグとなったわけか。
     ザックスは気を集中して自身の身体の変化を感じ取ろうとした。些細な変化も見逃すまいと、自分の基底をなす細胞レベルにまで気を澄ます。身体の奥底から新しい力が沸々と湧き上がる感覚が彼を襲う。驚いて、閉じていた目をかっと見開いた。
     感じる、感じるぞ───。ザックスは未知の力の欠片を感じた瞬間、狂ったように笑ってやりたくなった。俺は、無敵だ。無限の力を手に入れた。
     目を再び閉じて、力の存在を再確認する。気付くと口の片端を歪めていた。いつまでも、いつまでもこの至福を感じていたい──
     
     喜びに打ち震えるザックスの脳裏には、もはや、先ほどの奇妙な夢や疑問などが過(よ)ぎる余地は存在していなかった。
     そして二度と──そう遠くない未来、彼が息絶えるその時まで──不可思議な一致の事実がザックスの脳裏に浮かぶことは二度となかった。
引用投稿 削除キー/
■1177 / inTopicNo.7)  Re[6]: ザックス ─異聞─
□投稿者/ ヒロコ -(2006/06/30(Fri) 09:02:53)
     5万人の収容人数を誇るコロシアムだが、そこに空席はひとつもない。完全に埋まっている。半屋外となっている闘技場に眩い陽光が差し込んでいる。コロシアムはまだ試合前だというのに、観衆の熱狂に包まれ、異常な熱気を帯びていた。
     西の門近くに位置する選手控え室にザックスは1人佇んでいた。小さな洗面台と机と椅子が置かれているだけの、ひどく簡素な部屋だった。窓がないため、自然光が入らず、陰気な匂いがいつまでもこびりついている──そんな、人を陰鬱とさせる部屋だった。
     もうすぐ出番だ。待ちに待ったデビュー戦だ。この日をずっと待ち望んでいたザックスは、前日は興奮で目が冴えたが、本番を前にした今は不思議と凪いでいた。

     結局ザックスは、計17回の改造手術をやりこなした。肉体的にも精神的にも大きな負担が強いられる改造手術だったが、ザックスの「強さへの執念」が、遂に完膚なきサイボーグ戦士として生まれ変わらせた。手術をひとつ受ける度に強大になっていく己の力の存在がザックスの大きな支えとなった。当初の計画通り、ザックスの体内には電磁カッターが内蔵され、五感は数千倍にまでアップした。ザックス自身が元々備えていた資質との相乗効果で、彼は最強の戦士へと変身した。

     軽いトレーニングは既に済ませていた。まだ身体に火照りが残っている。上半身は完全に裸で、下半身も小さな腰当てひとつだ。ほぼ裸身といっていい。パンプアップされた筋肉は、まるで小山のようだ。厚い胸板も、双丘のようであったし、手足の筋肉も限界までに鍛えられているのが見て取れる。鍛え抜かれたボディを一種の芸術に見立てるため、剣闘士は身体にオイルを塗ることが暗黙のルールとなっていた。ザックスは全身にたっぷりとオイルを塗り終えると、部屋の隅に取り付けられている小さな鏡に自身を映した。

     鏡に映った表情からは何も読み取ることはできない。だが、ザックスは、初回の手術直後に皇帝から掛けられた言葉を反芻していた。
     「陛下のご期待に応える働きを、必ず」
     声には出さずに、彼は皇帝への忠誠を誓った。

     室内に小さなシグナル音が短く流れた。
     出場の合図だ。この合図で、剣闘士は控え室を離れ、コロシアムに入場することになる。
     ザックスは一瞬、両の拳を固めた。そして大きく深呼吸をし、部屋のドアを開けた。途端に、観衆の怒涛のような歓声がザックスの耳朶を打った。
     挑戦者が入場するのは常に西の門からになる。ザックスはデビュー戦のため、ステイタスはもちろん挑戦者だ。東の門から入場する剣闘士は、現在3勝を誇っている「閃光のシェイダ」である。戦績が全くないザックスとの対戦、勝敗は全くの未知数であったが、下馬評は8:2でシェイダの勝利と囁かれていた。
     控え室から西の門までは100メートルほどあった。ザックスは大きな歩幅で、いくつかの曲がり角を過ぎていく。門に近づくたびに、観衆の熱気がびんびん伝わってくる。歓声も次第に割れんばかりの大きさになる。
     西の門手前に到着した。まだ屋内に位置しているので、日の光は直接当たらない。だが、観客席の熱狂は既に肌で直接感じ取れる距離になっている。

     突如、歓声がぴたりと止んだ。静寂がコロシアムを支配する。
     場内に皇帝の声が響き渡った。
     「勇者たちよ。我が前に」
     それと同時に新たな歓声が闘技場を包んだ。
     ファンファーレが高らかに鳴り響き、場内の空気を振るわせた。

     ザックスは一歩前に踏み出した。
     刹那、強烈な陽光と5万人の歓声がザックスを襲い、目の前が一瞬真っ白になったような気がした。だが視界は失っていない。
     5万人の双眸が一斉にザックスを射る。
     オイルを塗った彼の身体が、陽光をきらきら反射させている。
     皇帝の双眸が鋭くザックスを射る。

     危険凶暴な猛獣がうっそりと柵の中から放たれた。

     ザックスは拳を握り更に一歩前に進む。
     観衆の狂気と怒号が渦を巻く中、眩しい陽の光がアリーナ中央に燦燦と降り注ぐ。
     幾人もの剣闘士の血を吸ってきたであろう、禍々(まがまが)しいその地面を踏みしめながら、ザックスは一歩、また一歩と進んでいった。


    <了>
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■1180 / inTopicNo.8)  Re[7]: ザックス ─異聞─
□投稿者/ ヒロコ -(2006/07/01(Sat) 22:22:58)
    言い訳のページ

    お読み下さいまして、ありがとうございました。<(_ _)>
    原作に書かれている設定にはなるべく忠実に即したつもりですが、その他の部分は
    完全に妄想と捏造です。(>_<) 原作に即した部分のうち2点を補足させて下さーい。
    (そうでないと、どこまでが原作設定で、どこからが妄想か曖昧で、皆様の脳内に
    迷惑をかける恐れあり、かも…。(^^ゞ )

    【ザックスの年齢】
    ・ザックスに関する記述「…二十代の前半だろう。」(p.155)
    ・ジョウとザックスが通信を交わした際の記述「見た目は年齢不詳だが、声の
    トーンから判断すれば、せいぜい二十代前半。もしかしたらまだ十代かもしれない」(p.244)
    →というわけで、こんなもんじゃろかい!と勝手に21歳に仕立ててしまいました。

    ちなみに、ガランドを「初老」としましたが、私が原作を読む限り、ガランドの
    容姿・年齢に関する記述は見当たりませんでした…。(もし見逃してましたら、
    ご教示下さい。)よって、こちらは私の捏造!

    【ザックスの出自】
    ・サイボーグに関する記述「ゴーフリーの戦闘用サイボーグは、選りすぐった兵士を
    ひとりずつ改造して作り上げてきた。」(p.62)
    ・ザックスに関する記述「一目で、軍人と知れる。それも、はえぬきの戦闘員だ。」(p.155)
    →というわけで、ザックスは軍人出身と想定してみました。言うまでもなく
    「お母さん云々」は捏造です。

    他にもいろいろ、原作設定、捏造が入り混じっておりますが、どうぞよろしく
    お願いします。(→何を?)…というわけで、撤収!ε=ε=ε=ε=((((っ゚ロ゚)っ
fin.
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