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■1195 / inTopicNo.1)  掌編集 ─ダイロンの聖少女より十景─
  
□投稿者/ ヒロコ -(2006/07/24(Mon) 13:35:47)
    【白闇】


     モロトフの右手が白い布を掴んだ。少女の動きが無理矢理止められた。
     「いい加減にしなさい、ネネト」
     そう言いながら、手を白い布から離し、今度は両手でネネトの身体を抱えた。
     「何度言ったら分かるんだ。勉学もネネトにとっては必要なことなのだ」
     ネネトは口を尖らせて、モロトフに反抗した。
     「だって、つまらない!机に向かって本を開いて。そんなの絶対つまらない!じっとしていることなんてもっと出来ない!」
     何とかモロトフの両手から逃れようと、身体を捻(ねじ)ったが、やはりモロトフの力の方が強い。
     「離して。離してってば!」
     「こんなに言っても分からないのならば…」

     モロトフは、ネネトの左腕を掴み、引きずるように移動した。
     「痛い、痛いってば!」
     ネネトはささやかに抵抗するが、状況は変えられない。ずるずると引きずられながら廊下を進む。そして、ある部屋の前まで来ると、モロトフの歩みは止まった。
     何だ、ここ?
     今まで何度もこの部屋の前を通っていたけれど、実際に入ったことはなかった。気にはなっていたけれど、深く考えずにいた。
     ネネトは首をかしげる。

     「ここ、何?」
     「ここは…」
     モロトフが、部屋のノブを回した。
     まず最初に目に飛び込んできたのは、真っ白な壁だった。部屋の中には、調度品の類は一切置かれていない。そして無人だ。何もないのと壁の白さで、部屋の大きさが瞬時には掴めなかった。まるで、異次元の空間のようだ。だが、目を凝らしてよく見ると、それはただの小部屋だというのがネネトにも分かった。
     
     「ここは、ネネトが今までの行いを反省する場所だ!」
     モロトフはそう言うのと同時に、ネネトの身体を部屋に押し込んだ。
     唖然とするネネトの後ろで、ドアが乱暴に閉められた音がした。

     「待って。待ってったら、モロトフ!!」
     ネネトは、ドアをどんどん叩く。重厚な作りのせいか、その音はひどく鈍い。
     数瞬の間を置いて、鍵がガチャリと掛けられた音がした。
     「げっ」
     ネネトは蛙が潰れたような声を上げ、更にドアを強く叩く。
     「出せ、出せったら───」

     ドアの反対側からは全く反応がない。
     ドアを叩く手を止め、ネネトはそうっと後ろを振り返った。
     真っ白くて、何もない。奇妙な空間がぱっくりと口を開け、ネネトを待ち受けている。
     いきなり、恐怖で全身がすくんだ。
     なんなんだよ、この部屋!
     慌てて、ドアに向き直った。
     こんちくしょう!ドアまで真っ白だよぉぉ…。
     
     「出して!出してよぉおお」
     ネネトの目に涙が滲む。
     「お願いだからぁああ!」
     真っ白な空間に、ネネトの声が短くこだまする。だが、その声はどこにも届かない。
     
     「ここは、ネネトが今までの行いを反省する場所だ!」
     モロトフの言葉が蘇る。
     ふん。反省なんか絶対してやるもんか。
     自分を奮い立たせるために、下唇をぎゅっと噛む。
     
     ネネトの両膝は今にも笑い出しそうになっている。
     
     負けるもんか。泣くもんか。
引用投稿 削除キー/
■1196 / inTopicNo.2)  Re[1]: 掌編集 ─ダイロンの聖少女より十景─
□投稿者/ ヒロコ -(2006/07/24(Mon) 13:36:39)
    【慟哭】


     「そういうわけだよ、ミッサ」
     皇帝は狡猾な笑みを浮かべてミッサを見た。
     「母君はこちらで丁重に預からせてもらっている。丁重な扱いがこのまま継続するか、それとも二度とその姿を見ることができなくなるかは、お前次第だ」

     ミッサは怒りで唇を噛み締め、これでもかと皇帝を睨(ね)めつけた。だが、ミッサの憤怒の表情には意に介さず、皇帝はミッサの反応を面白おかしそうに眺めた。

     固めた両の拳がわなわなと震える。爪が真っ白になる。
     涙が溢れそうになったが、必死で堪(こら)えた。泣いたら、負けだ。皇帝になど、私の涙を見せてはいけない。
     母が今、どんな状態でいるのかと思うと不安に押しつぶされそうになる。
     天真爛漫なネネトの顔が浮かぶ。自分を信頼しきっている、モロトフ、そして大勢のジョハルタの民の顔が浮かぶ。

     自分が取るべき選択肢はどれか。
     受諾か拒否か。
     ミッサの裡で数々の思いが渦を巻き、その思いの重さに彼女は息が詰まりそうになった。

     ミッサは、目を伏せた。しばらく視線を床に落としたかと思うと、彼女は突然目を上げた。目の色が、伏せる前とは違っていた。
     諦め。懇願。後悔。謝罪。憎悪。不安。そして裏切り。そのどれもが、ミッサの瞳の色から見て取れる。
     皇帝は、その微妙な変化を見逃さず、自身の勝利に口の端を小さく歪めた。

     「母の命を必ず保証するならば、私の居所を伝えましょう。母には指一本触れないと約束して下さい」
     「もちろんだよ、ミッサ。ネネトを手に入れた暁には、すぐに母君を解放してやろう」
     皇帝は玉座から立ち上がり、きびすを返した。従者も慌てて、皇帝の後を追う。

     皇帝がいなくなった謁見の間に、ミッサの乾いたすすり泣きだけが空しく響く。
     微動だにしなかったミッサだったが、やがてその身体を大きく崩し、顔を両手で覆った。
     声を上げて泣き続けた。
     涙が涸れることはなかった。滂沱のごとく頬をつたった。
引用投稿 削除キー/
■1197 / inTopicNo.3)  Re[2]: 掌編集 ─ダイロンの聖少女より十景─
□投稿者/ ヒロコ -(2006/07/24(Mon) 13:37:18)
    【負傷】


     帝国軍の攻撃が唐突に始まった。不意打ちといってもいい。
     ついに来たか。
     モロトフは口の端を引き締めた。そして天井を見上げる。
     皇帝が衛星軌道上に攻撃ステーションを建設したと聞き及び、ダイロンの町全体を覆う結界を事前に構築しておいたのが幸いだった。ビーム、ミサイルの類で宮殿をピンポイント攻撃してくるが、直撃ではない。全ての光条は、不可視のバリアが弾き返しているはずだ。その証拠に、こちらに伝わってくるのは衝撃の振動のみで、それも肌で微かに感じることが出来る程度のものだ。

     宮殿が攻撃されることは予想の範囲内だったので、モロトフは慌てずに視線を元に戻した。
     ネネトを探さなければならない。
     宮殿はネネトの力で守られているが、万が一ということもある。
     ネネトを守るのが我々神官の役目。
     モロトフが、ネネトを探しに一歩踏み出したところ、青い顔をしたミッサが前から小走りにやってきた。周囲を見回し、声を張り上げている。
     「ネネト、ネネト!一体、どこです?返事をして下さい!」
     モロトフはミッサを捕まえた。
     「どういうことだ、ネネトと一緒ではなかったのか?」
     「申し訳ございません。ちょっと目を離した隙に…」
     突然轟音が、ミッサの言葉を遮るように宮殿内に響いた。建物が崩壊した音だ。

     モロトフとミッサは、大きく目を見開き、顔を見合わせた。
     「結界が…!」
     「ネネト…!」
     そう言ったかと思うと、二人は轟音がした方へ全速力で走り出した。
     走りながらもモロトフは、ネネトの力に意識を向けた。力の存在を感じる。だが、嫌な予感がした。結界が破られたということが、最高に気に食わなかった。

     廊下を曲がると、宮殿内の様子が一変していた。ビームが宮殿の一角に被弾したようだ。瓦礫の山と化した一角から、それが先ほど起こったことを証明するかのように、もくもくと土埃が舞い上がっていた。数分前まで天井だった場所から陽光が覗いている。
     ネネトの居室は、攻撃を受けた場所のすぐ脇にあった。
     なんてことだ。
     あまりの惨状に、さすがのモロトフも狼狽する。
     ネネト、ネネトはどこだ?
     目を血走らせながら、ネネトの行方を捜す。彼女の力は感じる。それもこのすぐ近くだ。モロトフは動揺した自分に毒づく一方で、心で感じるままに歩みを進めた。ミッサも同様に、ネネトを感じ取ろうとして意識を集中させている。
     二人は同一の地点で足を止めた。一瞬、二人は目を合わせると、すぐに視線を外し、瓦礫の山を崩しにかかった。
     「ネネト、ネネト!お願いですから、どうか無事でいて下さい!」
     ミッサは泣きながら、自分の手のひらが瓦礫の突端で傷つくのも厭わずに、天井の破片を取り除いていく。
     モロトフは一心不乱で瓦礫をのけていたが、心の裡では猛烈な後悔に襲われていた。
     ネネトが怪我をしていたら─いや、この状況で無傷という方がおかしい。全ては私の責任だ。

     二人が無我夢中で瓦礫を崩していくと、その下から小さな褐色の手指が覗いた。
     「ネネト!!」
     同時に叫び、瓦礫を取り除く手を更に早める。
     回りには異常事態を察して他の神官たちも集まり、ネネト救出に全力を注いでいた。
     ネネトに覆いかぶさっていた瓦礫が全て取り除かれた。

     ネネトは意識を失っていた。
     編み上げられたドレッドヘアの根元から、額から、口角から血を流している。
     頭部を打っているのは一目瞭然だった。
     「ネネトを動かすな!ベッセルを呼べ!大至急だ!」
     モロトフは人差し指を突きつけ、側近に命じた。

     「あああ…ネネト…」
     ミッサはまだ泣いていた。
     モロトフや、その場に居合わせた者たちの間に、深刻な空気が漂い始めた。
     ネネトを死守しなければいけない立場なのに、怪我を負わせてしまった不甲斐なさ。後悔。無力感。
     何てことだ。
     モロトフは事の重大さに思わず目を閉じた。だが、今、自分にできることはたった一つ。
     ネネトの怪我が少しでも軽いものであるように。
     このことが、ダイロンの行く末に暗雲をもたらすものでないように。

     モロトフは、苦悶の表情を浮かべるネネトをじっと見つめ、心の底から祈った。
     ともすれば忸怩たる思いに浸りそうになる自分を叱咤するので精一杯だった。
引用投稿 削除キー/
■1198 / inTopicNo.4)  Re[3]: 掌編集 ─ダイロンの聖少女より十景─
□投稿者/ ヒロコ -(2006/07/24(Mon) 13:38:19)
    【予感】


     ついにこの瞬間がきたか。
     ザックスは思った。
     両手を高く天に突き上げる。
     まるで、その手で太陽を掴み取るかのように。
     彼を巡る世界をあたかも征服したかのように。

     鳥が落とした短剣を頭上でしっかり受け止める。
     ずしりとした重みが手のひらに伝わってきた。

     これが勇者の剣。

     圧倒的強さとはいえ、7代目チャンピオンの座を守るのは容易ではない。
     たった今、決着がついたこの試合を含め、過去6回の防衛戦はいずれも神経を擦り減らすものだった。一瞬でも気を抜いたら殺られる──そんな試合ばかりだった。

     勇者の剣を、知らず胸に強く押し当てている自分に気付いた。
     慌てて、皇帝の方を見る。
     ルキアノスは満足気な表情でザックスを見下ろしていた。

     勇者の剣を下賜される。
     剣闘士にとって、これ以上の栄誉はないのだ。

     ザックスはひざまずき、皇帝に感謝した。
     自分を拾い上げ、強さを与え、更には身に余るべき光栄まで。

     5万人の観衆がザックスの名前を連呼している。
     デビュー戦以来、何度も試合を重ねたが、この歓声に慣れることはない。
     空気をびりびりと奮わせる怒号は、ザックスの肌を粟立たせる。
     心地よい瞬間であり、この瞬間を体感したいがために己は戦っているのかと一瞬思える時もある。

     ザックスは、うつむいていた顔を上げ、皇帝に視線を向けた。

     彼の目は確かにザックスを見ていたが、刹那、冷酷な色が走った。
     汚らしい獣を疎ましく見やっている、そんな色だった。
     だが、それは本当に一瞬のことだったので、ザックスは自分の思い違いだろうと思った。
     皇帝は常に、剣闘士に最大の敬意を払って下さる。そんな目を俺に向けるはずはない。

     自分の考えを否定しようと躍起になればなるほど、あの一瞬の色が焼きついて離れない。
     
     そんなはずはない。

     心にむくむくと湧き上がった疑念を消散させようと、ザックスは胸に押し当てた勇者の剣を、再び強く握りなおした。

     短剣なら確かにここにある。

     そんなはずはないはずだ。
引用投稿 削除キー/
■1199 / inTopicNo.5)  Re[4]: 掌編集 ─ダイロンの聖少女より十景─
□投稿者/ ヒロコ -(2006/07/24(Mon) 13:39:02)
    【休題】


     仕事内容の詳細が明らかにされ、ミーティングが終了した。モロトフは、静かな寝息を立てながら眠るネネトを自室に戻すため、主治医のベッセルと従者数人を呼んだ。ホバリング状態のエアーベッドが運び込まれ、ネネトは謁見の間を後にした。
     ネネトが部屋を出て行くのを確認すると、モロトフはクラッシャー達に向き直った。
     「それでは部屋の方に案内しよう」
     4人は言葉を受け、ソファからきびきびと立ち上がった。

     丁寧に磨き上げられた床面から、5人の靴音が回廊に響き渡る。
     「宮殿とはいっても、見ての通り至って慎ましいものだ」
     モロトフが歩を進めながら説明する。リッキーは物珍しそうにきょろきょろと周囲を見渡した。そしてアルフィンの耳元に小さく囁く。
     「ほんとだね。ピザンとは大違いだ」
     アルフィンは黙って肩をすくめた。

     少し歩くと、渡り廊下に出た。半屋外なので、陽光が差し込んでいる。
     歩き出した途端に、飽きもせず周囲を観察していたリッキーが頓狂な声を上げた。
     「うわっ、でかいなあ」
     そう広くない中庭を、ゴロが1匹移動していた。その背中には、モロトフのように白い布を身につけた男が跨り、ゴロを御している。
     4人は思わず立ち止まって、その巨大な身体を伸縮させながら前進する様子を眺めた。
     「近くで見ると、更に圧巻ね」
     アルフィンが感心したように言う。
     「元々、ゴロはスオラシャ第二の大陸ジャバラムの原生林に生息している巨大昆虫だ。体長はおよそ6メートル、胴体の直径は2メートルに足りないと言ったところか」
     呆気に取られながらゴロを見ている4人に、モロトフは解説した。
     「昆虫を日常の足にしているという例は今まで聞いたことがないですが」
     タロスがモロトフに尋ねた。
     「ダイロンは標高4000メートル。惑星外から来た客人のほとんどが高山病にかかってしまう環境だ。酸素カプセルを服用しても、この標高に馴化するためにはある程度の時間をかけなければならない。あなたたちが丸二昼夜かけたように。そのために考え出されたのが、ゴロでダイロンまで案内する方法だ」
     「ゴロは想像以上に体力があるようだな」
     ジョウが口を挟んだ。
     タロスが頷く。
     「確かに。50時間ぶっ続けで移動したにも関わらず、速度は一定だった。時速4キロでしたが」
     タロスの顔に苦笑が浮かんだ。ガレオンの秀でた性能は一切出る幕のない道中だった。
     「ゴロはその巨体にも関わらず、長距離の移動を得意としている。その性質をうまく利用した形だ」
     モロトフが言い添えた。

     「もしかしてさあ」
     リッキーが嫌なことを思いついたという顔をした。
     「ゴロもやっぱり、大きな蝶になっちゃうわけ?」
     モロトフは頷いて、リッキーの言葉を肯定した。
     巨大な蝶を想像して、リッキーとアルフィンの表情が小さく歪んだ。うへっ、気持ち悪いなあ。そんな顔だ。
     「ゴロの寿命は平均7年だ。卵の期間が3年弱、乗り物として働ける幼虫の期間が10ヶ月、蛹(さなぎ)として2年半、そして成虫で9ヶ月といったところか。成虫になり、交尾をして産卵を済ますと我々の元から飛び去り、原生林にて余生を送る、というのが生態だ」
     4人は、もう芋虫の話は結構だという表情をしていたのだが、モロトフはゴロという生き物に愛着を感じているのか、更に話を続ける。
     「ダイロンは古い火山の外輪山の中にある。壁面のような大地が高く盛り上がり、その角度は30度近くにもなる。しかし、ゴロは登坂能力に優れ、何よりもダイロンに至るまでの荒地も難なくこなす」

     荒地、という言葉にタロス、リッキー、アルフィンの3人がピクリと反応した。
     ニヤニヤしながら、チームリーダーの顔を見る。
     「やっぱ、兄貴の言うとおりだね」
     リッキーが意地悪くジョウを見た。
     「荒地を行くならゴロが一番ってわけね」
     アルフィンも目を細めてジョウを見た。目の端が笑っていた。
     「いやはや、合理的な選択ですなあ」
     タロスがしらっと言い添える。

     ジョウは憮然として、モロトフに向き直った。
     「時間を無駄には出来ない。先へ急ごう」
     そう言うと、さっさと歩き出した。顔が引きつっている。
     ジョウの背後で、リッキーがくっくっくっと笑った。
     いきなり状況が変わったことに、モロトフは不可解な表情を浮かべていたが、やがてジョウにならって歩き始めた。
     残りの3人も慌てて続く。
     
     ちょっとからかい過ぎたかな。

     リッキーがちょろりと舌を出した。
引用投稿 削除キー/
■1200 / inTopicNo.6)  Re[5]: 掌編集 ─ダイロンの聖少女より十景─
□投稿者/ ヒロコ -(2006/07/24(Mon) 13:40:17)
    【発現】


     1対50か。
     クォンを薙ぎはらいながら、これはなかなか大変だとちらりと思った。
     安請け合いするんじゃなかったかな。
     モロトフは知らず苦笑する。
     そう思いながらも、帝国軍兵士が半径数メートルの範囲に入ると思い切りクォンを左右にはらった。目には見えない、強大な力の束が敵を見る間に打ちのめす。

     私はクラッシャージョウを信頼している。深い琥珀色の瞳に宿った強靭な意志を持つ青年。彼ならば、必ずネネトを救出してくれるはずだ。そして、彼もまた、私を信頼してくれた。その証拠に、彼らは私を振り返ることなく、ネネトの行方に続く道へと走っていった。ならば、私は私の仕事をするまでだ。

     あと半分か。
     モロトフの額に汗が滲む。0.2G下であるから跳躍は楽に出来るが、その分、移動が広範囲に及ぶ。息が上がってきた。少しでも油断すると、たちまちにやられてしまう。兵士はサイボーグではないが、やはり50人はきつい。気が全く抜けない。

     不可視の閃光が走り、兵士がもんどりうつ中、モロトフは自分の裡に強く押し寄せてくるネネトの感情に気付いていた。
     かなり感情が高ぶっているのが分かる。
     というより、ネネトの発現以来、今までで最高の高ぶりではないのか。
     その高ぶりの源は、憤怒と憎悪。彼女が激昂しているのが手に取るように分かった。一体に何に激怒しているのか。それを知る術は、今のモロトフにはない。ただ、今言えるのは、その怒りのために、ネネトの力は最大限に発揮され、自分が薙いでいるクォンのパワーもいつになく最強であるのが分かる。

     あと8人。
     激しい呼吸に変わり、モロトフは肩で息をする。
     もう少しだ。もう少しで片付けられる。
     袈裟懸けで、クォンを思い切り振る。兵士が弾き飛ばされた。ある者は壁に叩きつけられ、ある者は身体の一部がぐしゃりと変形する。大型のビームライフルの切っ先が向けられるが、意に介さない。銃口から発射されたビームは、モロトフの前で異様に角度が変わり光条が彼に届くことは全くないからだ。
     
     最後の1人。
     ネネトの力がハードスーツをひしゃげると、装着していた兵士の身体から骨が折れる嫌な音がした。
     文字通り、最後のクォンの一振りで帝国軍兵士は全滅した。どれも床に倒れ、ピクリとも動かない。
     戦いの場に静寂が戻った。モロトフの激しい息遣いだけが、がらんどうになった室内に響く。
     クォンを振り下ろした最後の姿勢でしばらく固まっていたモロトフだったが、全身に電撃が走ったかのように身体が震えた。

     これは…これは。

     ネネトの暴発した意識が、モロトフの中に流れ込んできた。
     あの、リッキーというクラッシャーがジョハルタとなったのか?
     あり得ない事態に、モロトフは愕然とした。ジョハルタの出自は例外なく、ダイロンの民だ。しかしそれは、ダイロンの人間が全てジョハルタになれるという意味ではない。ジョハルタはネネトに選ばれた民なのだ。
     他民族の人間がジョハルタになり得るなど聞いたことがない。

     だが現実は違っている。
     実際に、ネネトの感情は今は落ち着きを取り戻し、その力はかつてないほどに強力になっている。
     あの少年が自身の命を賭して、ネネトを守っているのを強く感じる。

     早く行かなければ。

     モロトフは身を起こし、かつて戦場だった空間を見渡した。
     兵士たちが使用していたイオノクラフトが主を失い、ホバリング状態となり一定の位置で静止している。低いハム音が響いていた。
     低重力下なので跳躍が可能とはいえ、イオノクラフトを使わない手はない。円盤型のプレートに身を移し、両足を装着位置に固定させた。

     早く行かなければ。

     右手でクォンを力強く握り締め、イオノクラフトを発進させる。

     モロトフは、今頃死闘に臨んでいるであろうクラッシャージョウの後を全速力で追った。
引用投稿 削除キー/
■1201 / inTopicNo.7)  Re[6]: 掌編集 ─ダイロンの聖少女より十景─
□投稿者/ ヒロコ -(2006/07/24(Mon) 13:41:02)
    【終焉】


     ともすれば朦朧としそうになる意識を何とか保つために、ルキアノス一世は頭を振った。
     あのチビのクラッシャーの一撃で、シャトルが粉砕されたのを知り愕然とする。

     どこでどう計算が狂ったのか。
     私の計画には一分の隙もなかったはずだ。
     旧政権を無血クーデターで打倒した時でさえ、全ては私の思うように事が運んだ。
     用意周到に物事をすすめ、常に結果が伴った。
     それなのに。

     今頃は、宰相のガランドと共にシャトルで悠々脱出していたはずだ。
     しかし現実はどうだ。
     クラッシャーの一人がジョハルタとなり、ガランドは殺され(あれも結局役に立たなかったということだ)、シャトルは粉々に破壊され、死んだはずのザックスが私の足元に「いまだに」纏(まと)わりついている。

     視界が紅蓮の炎で一杯になる。
     ルキアノスは、初めてここで自身の敗北を自覚した。
     この炎の勢いでは助かるまい。そう思った。
     それもよかろう。結局、何事も成せなかった器の小さい男の、ささやかな生涯が終わるだけのことだ。

     足元にいるザックスをチラリと見やった。ザックスはぴくりとも動かない。もしかしたら、既に息絶えているのかもしれなかった。
     こいつと一緒に心中か。
     それが悔しいことなのか、安堵することなのか、ルキアノスにはよく分からなかった。
     ただ、それが場違いな感傷であることは確かだったので、そんな自分をくつくつと嘲り笑った。

     全てが面倒になり、身を起こす努力を放棄した。
     燃え盛る炎の赤が眩しいので、目を閉じる。
     髪が、爪が、肉が焼けていく。嫌な匂いが漂った。

     深い奈落に落ちていく。

     あとには何も残らなかった。
引用投稿 削除キー/
■1202 / inTopicNo.8)  Re[7]: 掌編集 ─ダイロンの聖少女より十景─
□投稿者/ ヒロコ -(2006/07/24(Mon) 13:41:51)
    【相思】


     <ミネルバ>は衛星エキドナを離脱して、病院船に進路を向けた。リッキーとネネトは医療ルームで昏々と眠っている。医療ロボットは二人の状態を正常と診断し、あとは覚醒を待つばかりだった。肩口と左太腿を負傷したモロトフも治療を終え、今はネネトのそばについていた。

     今の調子なら何とか、病院船とのコンタクト指定時間に間に合いそうだ。安堵するにはまだ早いが、それでも仕事の終わりが見えてきてほっとする。
     ブリッジの空気は、離脱時の慌しさから開放され落ち着きつつあった。幸いなことに追っ手もなかった。操船をタロスとドンゴに任せ、ジョウとアルフィンは別室にいた。

     「あーあ。いい男が台無しね」
     アルフィンが小さくため息をつく。
     「あのサイボーグ野郎、思いっきり殴ってくれちゃって」

     ジョウの左頬は、見るも無残に腫れ上がっていた。ザックスの右ストレートが綺麗に決まったせいだ。パンチを喰らわされて、ジョウの瞼の裏に火花が散った。あまりの衝撃に眩暈さえし、出来ることなら、しばらく床に寝転がっていたかった。だがもちろん、死ぬか生きるかの状況で、そんなことは許されるわけもなく、ジョウは無理矢理頭を振って意識を保ったわけだが。
     口の中は錆びた鉄の味で充満し、しかも異物感があった。血の塊を吐き出すと、折れた歯も混じっていた。

     医療ロボットに治療を任せてもよかったが、アルフィンが手当てをすると言って聞かなかった。
     アルフィンの細くしなやかな指がジョウの頬の上を優しく行き交う。
     「まだ痛む?」
     ジョウは小さく首を振った。
     「いや。痛み止めが効いている」
     「頬の青痣の方は、しばらく経てば何とかなるにしても…歯の方は、お医者様にちゃんと診てもらわないとね。歯がないジョウなんて…あたし絶対許せないからね」
     アルフィンは軽く睨んだ。
     「歯がないアルフィンの方がもっと悲惨だ」
     ジョウは軽くため息をついた。
     「それに比べれば、俺の歯が一本や二本欠けることなんて、どうってことない。殴られたのが俺でよかった」

     アルフィンとジョウはお互いを見つめた。

     やがてアルフィンがにこりと笑い、右手の指でジョウの左頬にそっと触れた。
     触れられた部分から、アルフィンの想いが自分の中にゆっくりと注ぎ込まれていくように感じた。

     ジョウが左手を上げ、頬を触れているアルフィンの右手にそっと重ねた。
     重なった部分から、ジョウの優しさが自分の中にゆっくりと流れていくように感じた。



     ずっとこのままでいたいと思った。
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■1203 / inTopicNo.9)  Re[8]: 掌編集 ─ダイロンの聖少女より十景─
□投稿者/ ヒロコ -(2006/07/24(Mon) 13:42:47)
    【秘密】


     「バカ」という声と同時に、背中に軽い痛みが走った。
     ジョウの背中に蹴りを入れたアルフィンが、頬を膨らませる。
     自分の囁きが無視されたことに腹を立てたのだろう、ジョウをキッと睨みつけるとそのまま大股でどすどす歩き、ブリッジに戻っていった。
     呆気にとられながら、アルフィンの後ろ姿を見つめる。後ろ姿からも機嫌を損ねていることが容易に分かる。
     アルフィンが通路の角を曲がり、視界から消えたところでジョウはぷっと噴いた。
     何だ、あれ。
     
     そして真顔に戻ると、小さくため息をついた。
     そんなことは、とうの昔に知ってるさ。

     ジョウは左手の人差し指で頭をぽりぽりと掻き、これから先の数時間、不機嫌でいるだろう<ミネルバ>の紅一点の愛らしい顔を思い描く。

     「さて、行くか」
     ジョウは声に出し、ブリッジに向かって歩き始めた。
     あとは、ネネトを病院船に送り届けるだけだ。
     アルフィンの機嫌が傾いているのは少々気が重いが、それとは裏腹にジョウの足取りは軽かった。
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■1204 / inTopicNo.10)  Re[9]: 掌編集 ─ダイロンの聖少女より十景─
□投稿者/ ヒロコ -(2006/07/24(Mon) 13:43:32)
    【想望】


     小さな窓から見える漆黒の空間に、光がほんの一瞬、揺らめいたように見えた。
     「ねえ、モロトフ」
     病院船の一室に据えられているベッドに横たわりながら、簡易座席に腰を下ろしているダイロンの神官に声をかけた。あの極わずかな煌きは、自分の目の錯覚だったのかなとカアラはぼんやり考える。

     「今頃、リッキー達はどうしてるだろう」
     モロトフは口に温かな笑みを浮かべた。
     「そうだな。もうそろそろワープ地点に到着して、次の仕事先に向かうというところだろう」
     そう言うと、モロトフは眉をほんの少し顰(しか)めた。
     「我々の依頼を受けてもらうために、強引にスケジュールを空けてもらった。本来なら、休暇の予定だったというが…。売れっ子もなかなか辛いものだ」

     「クラッシャーって、星から星を渡り歩くって聞いたけど、ほんとかい?」
     モロトフは頷いて、カアラの言葉を肯定する。
     カアラは小さくため息をつきながら言った。
     「凄いな。船が家で、宇宙が庭ってとこなんだね」
     再び小窓に広がる漆黒を見つめる。
     「あたしは、宇宙に行くことなんて今までこれっぽっちも考えたことなかった。空の向こうがどんなだなんて、考えたこともなかった…」
     彼女はつぶやく。
     「リッキーたち、ほんとに凄いな。…カッコいいや」

     「ねえ、モロトフ」
     モロトフは黙って、言葉の続きを待った。
     「リッキー、またあたしに会いに来てくれるかな」
     「もちろん、来てくれるだろう。命懸けでネネ…いや、カアラを守ったのだ。忘れることなどありはしない」
     そうなんだ。リッキーは、命を懸けて自分を守ってくれた。
     その事実を思い出すと、カアラの胸の中がぽっと温まったような気がした。

     モロトフは立ち上がり、カアラの傍に寄った。
     「さあ、少し眠るがいい、カアラ」
     彼女の深い褐色の髪をそっと撫で付ける。
     「元気になって、父さん、母さんのところへ帰ろう」
     
     「うん」
     カアラはにっこり笑って頷いた。
     モロトフが小窓のブラインドを下ろすのを見て、カアラはそっと瞼を閉じた。
fin.
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