| 「もうお時間です」
そう囁かれ、君は小さく頷くと椅子から立ちあがった。 寸分の隙もない、優雅な仕草。 それは最早クラッシャーではなく、プリンセスの立ち居振舞いだ。
「…本当にお世話になりました。色々とご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」
深深と、頭を下げる君。
…世話?迷惑?? バカな。 一度だってそんなことをしたり、感じた覚えはない。
君は仲間で、家族で…そして…
だが、言葉は喉に貼りついて音声になることを拒否した。
「……」
俺の言い知れぬ渇きに気づかぬかのように、君は涼やかな顔を上げた。 瑠璃色の瞳が、まっすぐに俺を射貫く。
躊躇いも、後悔も、すべて拭い去られた後の、静かな視線。 俺とは違う世界へ戻ることの決意が溢れている。
「ジョウ…今まで…ありがとう…」
ふと表情を和らげ、君はそっと呟いた。 そして、微笑を浮かべてみせる。 それはもう、この手が届かぬところに旅立つひとの、清冽な残像。
「さようなら」
何も言えぬまま立ち尽くす俺に、君は最後の言葉を告げると、くるりと背を向けた。
……これで、いいのか。 ……このままで、いいのか。
彼女の気持ちに、どう応えればいいのか知らなかった俺。 一言魔法の言葉を口にすればいいだけなのに、照れて切り出せなかった俺。 しかし、何故か都合良く、無邪気に信じていた。 君は俺とこの先もずっと一緒に居てくれるものだと。 君もそれを望んでいるのだと。
でも今、君は。 ありきたりの別れの挨拶一つで、遠くに行ってしまおうとしている。
「は…はは…」
俺の口から、笑いが漏れた。 君は驚いたような顔をして、振り向く。
「…馬鹿だな…俺は…こうならないと気づかないなんて…肝心なことを言えないなんて」
本当に、馬鹿だ。 俺の頬を、ためらうこともなく、熱い雫が濡らしている。
「君が…居なくなってしまったら……俺…は」 「……その台詞、もっと前に…こうなる前に、聞きたかったわ」
寂しそうに、君は苦笑した。 だが、戻ってきてくれようとは、しない。 促されるままに、また俺に背を向け、歩き出す。 俺とは決して再び重なり合うことのないであろう、人生を。
「…嫌…だ…アルフィン。アルフィンっ!!」
俺は手を伸ばした。 手を伸ばし、駆け寄ろうとした。 その瞬間、足元が崩れ、俺は奈落の底へまっさかさまに墜ちていった…
「!!」
跳ね起きた。 全身に、汗が滲んでいる。
(……今のは、夢?)
…それとも現実、なのか…
確かめなくては。 俺は上着をつかんで、部屋を飛び出した。
心臓が、早鐘のように鳴る。 ドアのパネルを操作した。 パネルはめまぐるしく色を変えてから、グリーンのライトを点灯させた。 入室可、の合図だ。 俺は深呼吸を一つすると、ドアをくぐった。
果たして。 君は、そこにいた。
振り向き、俺の姿をみとめると、にこりと微笑んだ。 金髪がさらさらと音をたてる。
「どうしたの、ジョウ?」
「……アルフィン!」 「!!」
一気に君の元へと走った。 そして力任せに抱きしめる。 君が「本物」なのだと全身で確かめるために。
「…ジョウ、痛い…よ?」
腕の中で、困惑した君が呟く。 でも、構わない。
「一体どうしたっていうの…?」 「暫くこうさせていてくれ…」
君が、こうして。 俺の傍に居てくれるということ。 それがどれだけ幸せなことなのか。 どうして気づかなかったのだろう。 否、気づかぬふりをしていたのだろう。
俺の脳裏に、先ほどの去っていこうとした君の姿が蘇った。 その瞬間の言い知れぬ恐怖感と寂寥感が、俺に今なすべきことを教えてくれた気がする。
…君を充分に抱きしめ終えたら。 この気持ちを伝えよう。
アルフィン、君が俺にとって、どれだけかけがえの無い存在かということを。
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