| 「…悪い。ちょっとここで待っていてくれないか?」
ハタ、と足を止めたジョウは、申し訳なさそうに傍らのアルフィンに声をかけた。
「その…さっきの店で、忘れ物…したんだ…だから、取りにいかないと…」
何故か、しどろもどろに言い訳をする。 訝しげな視線を送るアルフィンを左腕から引き離したジョウは、明後日の方向に視線を逸らした。どこか挙動不審な気はしないでもないが、思い当たる節はない。
暫しの沈黙ののち、アルフィンは溜め息と共に了解、と伝えた。
「それじゃ、私はあそこのカフェで待ってるわ。ちょうど喉が乾いているし…それにさっきのお店っていったって、行って戻ってくるとしたら、カートを使ったとしても15分はかかるでしょう?」 「あ、ああ。すまない。」
ほっと微笑を浮かべたジョウは、一目散にカート乗り場へと駆けて行った。
幾ら広大で何でもあるショッピング・モールと言っても、こうなるとかえって不便よね…
ジョウの後姿を見つめながら、アルフィンはそう思い、肩をすくめる。 と、その視界に、傍らの店のウインドウディスプレイが飛びこんできた。
(あ…)
アルフィンの目が、釘づけになる。
そこには。 おそらく、多くの女性が憧れてやまない、純白のウエディングドレスが飾られていた。
ピザンのプリンセスであったアルフィンにとって、ドレスは何も珍しいものではない。 だが、やはりウエディングドレスとなると、別物だ。 それが持つ独特のオーラは、彼女を圧倒する。
花嫁の優しさを引き出す柔らかな素材、煌きを彩るちりばめられた宝石。 緩やかに裾を広げてゆくドレープは、希望に満ちた将来を象徴しているかのようだ。
その眩しさに思わず心を奪われていたアルフィンの背後から、不意に声がかかる。
「…もし宜しければ、ご試着されませんか?」
慌てて振りかえると、優しそうな黒髪の中年女性が、微笑んでいる。 どうやらこの店の従業員らしい。
(やだ…恥ずかしい。見とれていたのを見られたのだわ)
アルフィンの頬が、かあっと赤くなる。 だが、尚も続く女性の言葉が、甘やかに彼女を誘惑した。
「お時間はかかりませんから」
その一言が、決め手となった。 アルフィンは女性の後を追い、雲の上を歩くような足取りで、店の中へと姿を消した。
「うわぁ…凄い…!」
瞳に飛び込んでくる白いドレスの数々に、アルフィンは思わず声を挙げた。 興奮を抑え切れない。 そこにはありとあらゆるデザインとサイズのドレスが、所狭しと並べられ、幸せな花嫁が自分を選んでくれる時を待っている。
「こちらをどうぞお召しになってみて下さい。絶対にお似合いになりますわよ」
ベテランの女性店員は確信に満ちた声で告げると、手早く一着を選び、アルフィンに手渡した。
10分後。 店員に手伝って貰いながら着替えたアルフィンは、鏡の中に映る自分の姿を信じられない思いで見つめていた。
純白の衣装を纏った自分は、どこからみても幸せな花嫁そのものだった。 まるで自分の為だけに誂えられた一品のように、そのドレスは完璧にアルフィンに調和し、彼女の更なる美しさを引き出している。
「まぁ…!」
店員は、思わず声を漏らした。 彼女の清楚で可憐な美しさは、周囲を色褪せさせるほどの圧倒感を持っている。
だが、当の本人は、店員の賞賛の言葉にも気づかず、ただただ自分を眺め続けていた。
…いつか私にも、こういう日が訪れるのかしら。 その時は…ジョウ、あなたに隣にいてほしい。
自分に腕を伸ばすジョウの幻影が脳裏を掠め、アルフィンは幸せな夢想に酔う。
と、その時。 店員の一言が彼女を現実に引き戻した。
「あら…あそこの方、お客様のお連れ様ではありませんか?」 「えっ!?」
見れば、ウィンドウの外にジョウの姿が見えた。 キョロキョロとアルフィンの姿を探している。
「いけない!」
アルフィンは声をあげた。 カフェに居ると約束したのに、彼女が見当たらなくて困っているに違いない。 だが、それを言えば、彼女も困ってはいる。
こんな姿…彼には見られたくない。気恥ずかしすぎて、見せられない。 だからといって悠長に着替えてから呼びに行くわけにもいかない。 その間に、ジョウは彼女を探しにどこかに行ってしまうであろう。
「ふふ、今、お呼びしてきますね」 「え…あの、ちょっと!」
店員は、アルフィンの表情をどう解釈したのか、彼女が止めようとするのにも気づかず、にこやかに微笑んだかと思うと、店の外に姿を消した。
「あ…」
アルフィンの思考が停止する。
窓の外では、急に声をかけられたジョウがビックリしていた。 それから振り返り、店の看板とディスプレイを見て、顔を真っ赤にする。 店員はにこやかに話を続けた。 そこで、一体どんな魔法の言葉が使われたというのか。 ジョウは俯きながらも小さく頷くと、なんと店員の後について、店の入ってくるではないか。
「う、嘘でしょ…」
アルフィンは慌てふためいた。 予想しない展開だ。 だが、隠れるところはない。 せめて…せめて更衣室に入り、もう一度着替えなおそう… 漸く、冷静さを取り戻そうとしたところに。
「お客様」
店員の、声がした。
アルフィンの動きが止まる。 恐る恐る振りかえったアルフィンは、ジョウと視線が合ってしまった。
「あ…」
二人は固まった。 固まり、言葉を失う。 その様子に気をきかせた店員がそっとその場を立ち去ったことすら気づかず、対峙の時が流れる。
「あの…」
いたたまれずに沈黙を破ったのは、アルフィンの方だった。
「ごめんなさい…その…あんまり綺麗で…つい…今すぐ、着替えるから」
いつになく素直で、恥ずかしそうに謝るアルフィンは、まるで恥らう新婦そのものだった。その姿にうっとりと見とれていたジョウの口から、思わず言葉が漏れる。
「アルフィン…着替えないで…ものすごく綺麗だから…もう少しそのままで…あ。」
自分の台詞に気づいたジョウは、瞬時に真っ赤になった。
「やっ…やだ、ジョウったら」
アルフィンも照れて真っ赤になる。 どうしていいかわからない。 必死に別の話題を探そうとする。
「そ、それより。忘れ物は見つかった?」 「え?…あ、ああ。」 「一体、何を忘れたっていうの?ジョウらしくないわよね」 「……」
ジョウは困ったように微笑を浮かべた。
(もし君が本当のことを知ったら、あまりのタイミングにびっくりするだろうな…)
ジョウは嘘をついていた。 本当は忘れ物など、なかったのだ。ただ、店に行ったというのは本当だ。予め調べて、頼んでおいた彼女への贈り物を取りにいったのだ。
アルフィンへの贈り物。 それは、ジョウの上着の胸ポケットの中で、ジョウが勇気を出す瞬間を待っている。
彼女に初めて出会ってから4年半。 たった一言を口にするのに、長い時間がかかった。
だがもう、覚悟は出来ている。 ましてや、彼女のこんな姿を見せられては…
「アルフィン、俺は……」
ジョウはその場にひざまづいた。 そして、輝く指輪を取り出すと、彼女の手を取り……
それから7ヶ月後。 アルフィンの本当のウエディング姿は本物になった。
|