| ふ、と水音が止んだ。 「……?」 つられるように、ジョウは肩越しに振り返った。その途端、 ザン! 目の前で、盛大に噴水が噴き上げはじめた。 抜けるような青い空に、無数の水の粒が砕けては散っていく。 ジョウはひとしきり、水しぶきが日差しを乱反射する様を眩しげに見上げていたが、やがて視線を外すと、手首に巻いた通信機へ目を落とした。 (……少し早かったな) 待ち合わせた時間まで、まだ10分程ある。ジョウは軽く息を吐いた。アルフィンたちのことだから、きっとギリギリまで粘ってくるに違いない。 ジョウは噴水の縁(ヘリ)に浅く腰を落とすと、折り曲げた右脚に肘を突いてその上へ顎を乗せた。そしてそのまま、正面に広がるショッピングモールへ漫然と視線を投げる。 宇宙港のすぐ側に位置しているせいか、通行人の中にはスペースノイドらしい姿もちらほら混じっている。 しかし、さすがにクラッシャーはいないようだ。 ジョウたちがこの惑星に立ち寄ったのは<ミネルバ>の給油のためであるが、わざわざ地上ステーションを選んで上陸までしたのにはそれなりに訳があった。と云うのも、<ミネルバ>のキッチンを預かっているアルフィンが、 「またこれからしばらく宇宙で仕事でしょ? だからその前に、色々買いだめしておきたいの!」 今度の仕事が終るまで、三食レトルトでもいいの? と、じろりと碧い瞳でねめつけられて、男たちは一も二もなくあっさりと折れた。 そんなわけで、タロスが<ミネルバ>に残って給油をしている間、アルフィンとリッキーが買出しに出かけ、そしてチームリーダーはと云うと、そのたった2時間の滞在許可を取るために、出入国審査の窓口まで出向く羽目になったのだった。 手続きのために1時間以上も長い行列に付き合わされたジョウは、待ち合わせ場所に到着してからも、内心かなり腐っていたのだが、 「…………」 こうして柔かい噴水の音を聞いていると、不機嫌だったことも忘れて、ついボーっとしてしまう。長閑だ。 見るともなく首を巡らせると、少し向こうでは、若い男が2つ3つくらいの男の子を肩車してやっていた。父子らしいな、とジョウは見当を付けた。二人とも、栗毛の巻き毛具合が瓜二つだ。 男の子は、父親の肩の上で、噴水に向かって無邪気に歓声を上げている。 その様子をぼんやりと眺めていると、不意にまぶたの奥から古い映像が甦ってきた。記憶の断片と云うヤツだ。知らず、ジョウの眉根が寄る。 あれは、自分が3つか4つか。多分、あの男の子とさほど変わらない頃だ。 ジョウはたった一度だけ、父親のダンに肩車をしてもらったことがある。 (…………確か、アラミスの宇宙港だ) 当時、銀河一有名な壊し屋だったダンは、超が付くほど売れっ子だった。その為、滅多にアラミスには帰ってこなかった。 『――仕事もいいが、たまには一人息子の顔を拝んでやらんと、ジョウの奴、そのうちお前の顔を忘れちまうぜ、とまあ、エギルの奴がおやっさんに会うたびに言うとりましたよ』 当時のことを苦笑をまじえて語ったタロスに、ジョウは鼻を鳴らしたものだ。実際、ジョウにとって幼い頃の父親の記憶は、写真の中のダンでしかない。 肩車の記憶といっても、本当に断片なのだ。事実、あの時なぜ自分が宇宙港にいたのか、その辺の前後の記憶はきれいさっぱり抜け落ちている。 なのに。 濃青のクラッシュジャケット姿のダンが、長身を屈めて幼いジョウを肩の上へ乗せてくれたあの瞬間のことは、まるでストップモーションを見るようにジョウの脳裏に鮮やかに焼きついている。 いきなり高くなった視界に驚いて、突嗟にダンの頭にしがみついた、その時の感触も。 『……髪の毛を引っ張るな』 『……前置きもなしにいきなり担ぎ上げるお前さんが悪いんじゃろが。なあ、ジョウ?』 笑いかけてきた記憶の中の老顔は、なぜか晩年の彼の面影のままで―― ふ、と音が止んで、ジョウは、はっと我に返った。噴水がまた途切れたのだ。 「ジョウ!」 見ると、アルフィンがショッピングモールから出てきたところだった。眼ざとくジョウを見つけて、手を振っている。彼女の赤いクラッシュジャケットが、そこだけ切り取ったように鮮やかだ。 「アルフィン! リッキー!」 ジョウは立ち上がると、手を上げて返した。小走りに駆け寄ってくるアルフィンの後ろから、ライトグリーンの小柄な人影が、荷物に振り回されるようにしてよたよたと付いてくる。 「ずいぶんと買い込んだな」 荷物ごと地面にへたり込んだリッキーを見下ろして、ジョウは呆れた。いつにも増して、ものすごい量である。するとアルフィンは、あら、とばかり、形のいい顎をつんと突き上げて言った。 「今日は特別よ。ジョウのためにうんと奮発したんだから!」 「俺のため?」 ジョウはきょとんと聞き返した。……なんだ、一体? 「やだもう、忘れちゃったの? 今日はジョウのお誕生日でしょ!」 アルフィンはジョウの腕を取ると、ぶんぶんと振った。そこまで言われて、ようやくジョウは思い出した。 11月8日。そうか、今日は…… 「あたしが何のためにこうして買出ししたと思ってんのよ。大体ジョウったら、お誕生日まで仕事入れちゃうんだもん。だからせめてディナーだけでもお祝いしなきゃって、ねえ、リッキー?」 同意を求めるようなアルフィンに、リッキーは答える代わりに、ちょっぴりこそばゆそうに肩を竦めて見せた。 「……そ、そうか」 ジョウはぼそぼそと口の中で答えた。改まってお誕生日とか言われると、なにやら妙に照れくさい。 「今晩はあたし、腕によりをかけちゃうから、期待しててね」 にっこりと微笑んだアルフィンに、ジョウはぶっきら棒に頷いた。完全に照れ隠しである。 思えば彼女が<ミネルバ>に乗り込んでから、特別なことが増えたような気がする。 誕生日、なんてのもそうだ。彼女に会うまでは、まるで気にしたことなどなかったのに。 (……ま、いいか) アルフィンが小首を傾げるようにして、ジョウを見ている。そんな彼女へ、ジョウは小さく微笑んだ。 「じゃあ、<ミネルバ>へ帰るか」 アルフィンの手から荷物を取り上げると、ジョウは歩き出した。その隣にアルフィンが並び、半歩遅れてリッキーが続く。 「アルフィンさぁ、いくら安いからってアンチョビソース1ダースはいくらなんでも買い込みすぎだよ」 「なに言ってんの。あのオリゼーのアンチョビソースが30%引きよ!? 今買わないでどうするのよ! ここは少々重くっても無理してでも買うべきなの!」 「少々って……、おいら、もう肩が脱臼しそうなんですけど……」 「なによもう、情っさけないわねぇ」 いくらも歩き出さないうちに、アルフィンとリッキーが賑やかに言い合いを始める。それを聞き流しながら、ジョウはふと、
…………そうだ。ひょっとしたらあの日は……
何故か、そんな気がした――
(おわり)
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