| 「…」 わかんねえよ。 ジョウは、金を払うとすぐに立ち上がった。 早足で追いかける。ドアを開けて外に出ると、少し先の路地に女の後姿が見えた。ゆっくりと歩きながら、右手に煙草を持ち左手に携帯を持って、誰かと話している。 ジョウは、気配を消して女の背後に近づいた。 そっと、女の肩を掴もうとした瞬間。 「ホールドアップ」 女は振り返りざまに煙草を捨て、そのまま銃を抜き、ジョウの眉間に銃口を突きつけていた。 赤い唇が、にやりと笑っている。
「…」 ジョウは苦笑して肩をすくめ、両手を挙げた。 おいどうした、と全く心配していない太い男の声が携帯から漏れて聞こえてくる。 「なんでもないわー。ちょっと、いい男に絡まてんのよ」 お楽しみだな、怪我させるなよ、治療費が、とまた声が聞こえた。早く帰ってこい、ママが帰るまで寝ないって言ってるぞ。 「はいはい、わかりましたあー」 女はだるそうに電話を切った。さっき言っていた、同居している仕事仲間だろうか。
「…お見事」 「どうも。で、いったい何よ?」 「そうだな、忘れ物だ」 「?」 女が訝しそうな顔をした、その時。 ジョウの左足が見えないほどの速さで女の銃を蹴り上げ、銃は乾いた音を立てて路上に転がった。その音が響いたとき、びっくり顔の女はジョウの腕の中に取り込まれていた。 「…やるじゃない」 「どうも」 「で、忘れ物って?」 楽しそうなエメラルドの瞳を見つめ、ジョウは何かを言おうとした。が、何も言葉は出て来ず、そのままゆっくりと、女の唇を奪った。 女は、抵抗しなかった。
わからない。 けれど、もしかしたら。 もしかしたら、忘れられるのではないかと。 この苦しい想いから、開放されることができるのではないかと。 違う誰かを、愛することが出来るのではないかと。 自分と同じ苦しみを背負う、こんな女となら。 もしかしたら――――。
女の唇は甘い。 アルフィンにはない余裕と技巧で、ジョウのキスに応えてくる。 体が熱くなる。頭が痺れてくる。 それなのに、ジョウがその頭の芯、どうしても熱くならない部分に想うのは、 やはりアルフィンの姿だった。 目を開ければ、長い金髪と震える蒼い瞳が、自分を見つめているのではないか、そんな錯覚が。 長い間、ジョウの目を、開けさせなかった。
「…」 切ないため息をつきながら唇を離すと、今まで腕の中に従順に収まっていた女は、何の感慨も見せずにすいと身体を離した。まるで、キスなんか無かったかのように。 ジョウに乱された艶やかな黒髪を、直す。 そして、にやりと笑っていきなりこう言った。
「分かったでしょ?」
ジョウは、返す言葉が無かった。
「悪くなかったわよ」 女は踵を返し、歩きながらまた煙草に火を点けた。 振り返ることも無い。 女もまた、目を閉じて思い浮かべていたのは、紅い目の死んだ男だったはずだ。
「あんたのブルーアイズによろしくね…」
赤い火を灯した煙草が、右手に二、三回揺れた。
まいったな。完敗だ。
ジョウは苦笑して、歩き出した。
苦しむのもまた幸せか。 そうだな、アルフィン。俺は生きていて、きみも生きている。 まだ、何でも出来る。どうとでも出来る。 忘れられないのなら愛し続けるだけ。忘れられなくても、きみがもう二度と俺の手には入らなくても。
俺はきみを愛している。
ジョウは携帯を取り出すと、アルフィンの番号を出した。 繋がるかどうか、分からない。とっくに番号は変わってしまっているのかもしれない。 通話を押すと、 電話は繋がった。
ワンコール。それだけで、ジョウは切った。
例えば今、きみの傍には誰か違う男がいるのかもしれない。一緒に誕生日を祝っているのかもしれない。 だから、これでいい。これだけで、総てが通じる。 きみには分かるはずだ。
夜空を見上げる。この星々の中のどこかに、きみのいる星は輝いているのか。
誕生日おめでとう、 今も変わらず愛している。 この先も。 ずっと。 愛してるよ、アルフィン…
デボーヌは、夜。 アルフィンは、一人暮らしをしている部屋で、一人でワンカットのケーキを皿に出しているところだった。
バッグの中で、小さく携帯が鳴る。 慌てて出したが、既に電話は切れていた。 発信者の番号を見て、アルフィンは手を止めた。
ジョウ。
とたんに、様々な思いがアルフィンの胸のうちを駆け巡った。 それは熱い涙になって、膝を濡らした。
今日は宇宙じゃなくてどこかの星にいる。そしてあたしの誕生日を忘れないでいる。 あたしを思い出している。あたしが誰かと一緒にいるのかも、と思ってる。 それでも。 愛してるって…
アルフィンは、小さな携帯を胸に抱きしめた。 抱きしめて、泣いた。
窓の外に、夜空が広がっている。今、どこにいるのかも分からないジョウの声を。 アルフィンは、心のどこかで、確かに聴く。
Happy birthday,Alfin…
FIN
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