| ”銀河髄一のクラッシャー”の称号を持つ彼は、足音一つ立てず薄暗い通路を息を詰めて歩いていた。彼の耳には、常に低く響いているはずの動力音は届いておらず、ただ、耳のすぐ傍でうるさいくらいに拍動する自身の鼓動しか聞こえてはいない。
あれを見てから、ドクドクと流れる血液がなにか薄汚れてしまったようで落ち着かない。何も考えまいとすればするほど、より一層体中に黒くドロドロした思いだけが広がっていく。 なんとか気にしないように、この視線の先に彼女が映りこまないように、自分の方から距離を置いてはみたものの、それはかえって逆効果であるらしく、途端に体中が彼女を求めてざわつき始めた。
見ていたくはない−−−、のに、この瞳は彼女の姿を探し求める。
今彼女の笑い声は聞きたくはない−−−、のに、この耳は勝手に彼女の声を聞き分ける。
まったく、人間というものはつくづく矛盾だらけの生き物だ。
ふ、とかるく唇の端を上げ苦笑する。 気が付けば、いつの間にか彼女の船室に続く通路を歩いている自分がここにいる。
彼女の部屋に行ってどうするつもりなのだ
何を確かめたいというのだ
自分にもまだ、そんな権利はないというのに
ジョウは自分で自分の真意を掴みきれず、なす術もなくその場に立ち尽くす。その瞳に焼き付いているのは夕方に見てしまった光景。クライアントの青年が、熱い視線でアルフィンを見つめている姿とその青年に誠実に向き合っていたアルフィンの姿。そして何もすることが出来ず、そのままその場を逃げるように後にした自分−−−。
…見なければよかった
出来ればこの記憶ごと頭の中から抹消したい。 そうは思っても一度瞼の奥に貼りついた光景は、時が経つに従ってより鮮明により鮮烈に蘇り、じわりじわりとジョウを苦しめた。
時刻はとうに深夜の12時を過ぎ、ジョウの足元は船外から差し込む白んだ星の光によってかろうじて照らされていた。いつも歩きなれている通路のはずなのに、やけに細く長く感じるのは僅かな星明りで視界が遮られているからか。それとも自分の不安定な心が見せる幻か。アルフィンがあの青年に向けていた笑顔を思い出すたび、ジョウの胸は詰まり、とぐろを巻く黒い感情に取り込まれ身動きができない。 やがて、通路を真っ直ぐに突き当たった所でジョウは立ち止まった。 そこにあるのは、一枚の扉。星明りに薄く照らされて青白くも美しい光を静かに放っていた。この扉を隔てたところに彼女は、いる。
ジョウがそっと吐き出した息は、微かに震えていた。 思いのほか緊張していることに気づき、自嘲に似た笑みを顔に浮かべる。 ジョウは静かに息を吸い込み、ゆっくり吐き出しながらその額をコツンと銀色の扉に付けた。両手で身体を支え静かに息をする。
ただ顔が見たい。 その碧眼を見て、彼女の瞳に今までと変わらない想いを見つけられればそれでいい。仕事の話にかこつけてアルフィンの部屋の扉を叩く。例えそれが男として卑怯な考えだったとしても。
「…アルフィン。俺だ」
自分を取り囲む星々の揺れる光に祈りを込めて、彼はその部屋の主に静かに声をかけた。
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