| 「ふう…」 邸宅に戻ったエギルは、ソファにぐったりと体を沈めて襟元を緩めた。 今夜は久しぶりに飲み過ぎた。 何せ相手はダンである。 子供達の無事を祝う名目で杯を重ねた。 先に潰れる訳にはいかないと意地になり、ついつい若い頃のような無茶なペースになってしまった。 同じ調子で飲み続けるダンを横目に(負けられねえ)と往年の覇気が蘇った己れを、面映ゆく、また抑えがたい喜びを感じながら過ごした宵であった。
しかし――。 楽しかった筈なのに、独りきりになるとほろ苦さが口中に湧いて来る。 他でもない。娘達の事が原因だ。 (お父様! ジョウをあたし達の一族に加えたらどうでしょう? それは、必ず我が家の勝利となる筈です。ぜひ、検討して下さい) ルーからのメッセージ。ダンに聞かせたのはここまでだ。 しかしメッセージには、まだ続きがあった。 (ジョウには「そんなダサいチーム捨ててあたしと組もう」と誘ってあります。まあ、すぐに良い返事が来るとは思いませんが、結構可能性はあると思います。何せ、私から男性にアプローチして、振られたことはありませんから) まるで小学生が、テストで高得点を貰ったと親にすまして報告するような口調であった。 あるいは、ダンスを申し込んでくる相手が沢山いて困るのと、愚痴を装った自慢を吐露するかのような。
はぁと、溜息が漏れる。 小型で空中遊泳をするタイプのハミングバードに持って来させた水をぐびぐびと一息で飲み干しても、口の中にある苦さは消えてはくれなかった。
(…ルーは、まだいい) 生意気に身体が育ったからといって、あれはまだ10代だ。未熟で当たり前だ。例えそうは見えなくとも、まだまだ世間知らずの小娘に過ぎない。 重症なのはダーナだ。 (…お前、24にもなって、男というものが全然判ってないのか) エギルの脳裏に、ルーからの通信を後追いする形で送られてきたダーナの通信が蘇えった。 まるで事務連絡のような感情を交えぬ淡々とした声音で、父親に向けてメッセージを放つ妙齢の愛娘――。 「ルーから連絡が行ったと思います。当初私は大反対しました。何と言っても相手はジョウ、我家族にとっては宿敵とも言えるクラッシャーダンの息子なのですから。 …でも、感情を押し退けて冷静に考えてみました。 今回の仕事を通して判りましたが、確かにジョウは非常に優秀なクラッシャーでした。正直、あのレベルは記憶にありません。世間の評価はあながち間違ってはいなかったのだと思います。なので私も、考え直しました。 ルーの言う通り、もしジョウを取り込むことが出来たら、最終的に見て我が一族の名声が高まり、ダンの名が霞むであろうと。『鋼鉄のエギル』こそ、クラッシャーの真の始祖だと人々が気付くようになると。 どうかお父様も、真剣に検討してみて下さい」 通信はそれで終わっていた。 ダーナの話まで、ダンにはしなかった。 言える筈もない。 勇名を馳せたクラッシャーエギルの娘達――AAAクラスの凄腕でありながら、すこぶるつきの美女達と評判の――、その上の娘達が揃いも揃って、こうまで男知らずだったとは。 余りにも情けなくて、友人であり永遠のライバルたるダンに、白状出来る筈もない…。 ふるふるとエギルは頭を振った。
娘達の恋愛事情など知らない。知りたくも無い。 しかし、思春期以降、クラッシャーの世界に足を踏み入れてから、たまに会う度どんどん女として開花する様を見せつられ、喜びの中にもほんの一捌け確かに痛みを感じながら(…まあ、それなりに成長してるってこったな)と、父親の喜びと悲哀をエギルは感じてきたものだ。 しかし――。 今回、ジョウの件で明らかになってしまった。 知らされてしまった。 (…お前達、全く男ってもんが判ってねえ)
一人の男として、エギルはダーナ、ルーを哀れに思う。 なまじ女として容姿が優れているだけ、尚更痛々しい。 (…お前達、男を知らなさ過ぎる。特に、本物の男ってもんを知らなさ過ぎるよ) 今更、上の娘達がヴァージンだとは思わない。 とっくの昔に経験済みだろう。 しかし相手は、本物の男ではない。 それだけは賭けてもいいと、エギルは思う。 もし娘達が、本物の男と愛し合って来たのなら、よりによってジョウに――ダンの息子という重圧を撥ね除けて、その実力をもって全クラッシャーの頂点に立ちつつある、言わば、男の中の男というべきクラッシャージョウに――あんな稚拙な口説き方で、モーションをかける筈も無かったからだ。 真正面から言うのが照れ臭く、冗談めかした言い方をしたのだろうが、AAAクラッシャーのリーダー相手に、その仲間を腐すなど以ての外だ。 殆ど致命傷に近い失態だ。 クラッシャーのリーダーにとって、仲間とは魂の家族だ。互いに背中を預け死線をくぐり抜けて来た、何にも代え難い大事な人間達だ。時には自分の命すら賭してその窮地を救い、また救われたりもする。そして、そんな仲間がいて初めて、そのチームは一流に伸し上がることが出来るのだ。 血の繋がりは無くとも、いや、それだからこそ、己れの、自分達の手で築き上げたチームに死ぬ程強い誇りを持っている。 それが、クラッシャーのリーダーというものだ。 当人を揶揄するのは構わない。それは度量を計る尺ともなる。 いっぱしの男は自分で自分を嗤う事が出来るから、周囲の揶揄にも耳を貸すし、自分を成長させる糧ともする。 新たな視点を持つ人間に一目置くだろうし、相手が女ならば惚れたりもするかもしれない。
だが。 その男が、大事にしている仲間だけは絶対にけなしてはいけないのだ。 例えどんなに器が大きくとも、背中を預けた人間達を嗤われたら、男は絶対に許さない。 それが本物の男というものだ。
最近のジョウとエギルは直接コンタクトを取ってはいないが、幼い頃の覇気をよく知っており、また、その後の仕事ぶりも、ダンに負けない位つぶさに観察して来た。 その上でジョウが、自分やダンという人間達の、飽く無きフロンティア・スピリットを燃やす男達の正統な後継者なのだと、強く感じていた。
(そんな男相手に、冗談でも仲間をけなして誘いをかけるなんざあよう…) もしジョウが、それまでルーに何がしかの好意を持っていたとしても、その一言で一蹴されてしまったことだろう。
(…全く、男を知らないにも程がある。のぼせ上がったルーはまだしも、ジョウをまるで血統書付きの犬みてえに考えて、ルーを窘めもしねえダーナの了見がお手上げだぜ…)
(姉妹だけのチームを組ませたのが、裏目に出ちまったかなあ…)
そして。
「無理だろう」 ダンの言葉が蘇える。 (何といったかな、あの金髪のプリンセスの名前…) 惑星国家の王女がクラッシャーになるなどという前代未聞の事態が起きた際は、無論アラミスの評議会でも問題となった。 認めるか、否か――。 その是非について、アラミス評議会では特別に小委員会まで設けられた。 穏健派は猛反対した。 危険と隣り合わせのクラッシャー稼業。もし王女の身に何かあれば、せっかく築き上げたクラッシャーの評判が地に墜ちかねない。ピザンの国民感情も悪化するだろうし、そうなれば全宇宙から非難されること必至と懸念したのだ。 その論争に、評議長であるダンは加わらなかった。 「私は近過ぎるのでね」 そう、薄く笑って――。 しかし、ダンの残した一言が委員の耳に深く残った。 曰く。 「どこでも、誰でも、これはと思う人材がいればスカウトするのは、全てのクラッシャーチームに与えられた権利だ。その原則を曲げると、有名無実のルールとなり、いずれ様々な思惑による縛りが生じてくる可能性がある。この委員会は、そのことを念頭に起き、議論してくれたまえ」 鶴の一言と言って良かろう。 この言葉が皆の頭に残り、結局はアルフィンのクラッシャー入りが、評議会でも正式に認められたのだった…。
(そうだ、アルフィンだ) 評議員全員に配付された、アルフィンの写真付の身上書を思い出した。 アイドルかモデルかと見紛うような、金髪碧眼の可憐な美少女。しかも正真正銘のプリンセス。 全てに恵まれたこの少女がその最高の環境を捨てて、クラッシャーなどという、いまだならず者扱いされることが少なくない厳しい稼業に身を投じるなど、理由はひとつしか考えられない。 ――惚れたのだ、ジョウに。 恵まれた環境の、その何もかもを捨ててでも、恋しい男の側にいることをこの少女は望み、そしてジョウはそれを受け入れたのだ――。
(…知ってたんだなあ、このお姫様は) エギルはまた嘆息した。 恐らくはヴァージンであったであろう(今は知らないが)、この深窓の令嬢は、それでも確かに男の真心に入り込む術を心得ていたのだ。 しかも、数少ない本物の男の心の真芯に入り込む術を………。
全てをかなぐり捨てて相手の懐に飛び込んだ女だけが、宇宙広しといえど滅多にいない本物の男を手に入れられるのだと、この金髪のプリンセスは本能で知っていたのだ――。
それは、遠い昔、故郷を捨てて自分の下に嫁いで来た己が妻と、艱難辛苦を乗り越えてダンに嫁いだ、うら若き黒髪の娘に通じる真理――。
(フェミニスト団体にでも知られたら、それこそ烈火のごとく怒られるだろうが) 違うのだ。 男女平等とか、そんな次元では捕えられない、仕事馬鹿の男――そんな男しか、本物の男ではないとエギルは固く信じている――その大馬鹿野郎に本当の潤いを与えられるのは、体当たりで飛び込んで来る女だけだ……。
「…ふっ。一番ざまあねえのは、俺だがな」
そこまで判っていても、ダンに探りを入れてしまった自分の弱さを、エギルは嗤った。 無駄だと知りつつ、もしかしたらジョウを息子と呼べる日が来るのかも知れないという、微かな望みに縋った自分も、確かにいたのだ。 にべもなく、その希望を絶ってくれたダンの優しさに、心密かに感謝する。 やはりあいつは只者ではないと、改めて唸る。
白い天井を仰ぎ見た。 傍らではブーンとハミングバードが、次の指示を待ち、空中に待機していた。
(…ルー、ダーナ。お前達、ジョウに眼をつける勘の良さがあるんなら、もう少しそれを磨け)
(そうして次に見つけた男に、損得無しで飛び込んで行け)
今はそう願うことしか出来ない自分を苦く噛み締めながら、エギルはハミングバードに今晩最後の酒を言い付けたのだった――。
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