| しまった。 ジョウは内心舌打ちをしたが、この期に及んでは後の祭であった。 隣りを見れば、案の定アルフィンが固まっている。 助けを求めるべくタロスとリッキーに視線を移すが、タロスはひょいと肩を竦め素知らぬ顔だし、リッキーは食い入るように、行き交う人々を見つめているばかりだ。ジョウの視線など気がついてもいない。 (…もっと、下調べをして来るんだったぜ) 照り付ける陽射しの下、ジョウは苦虫を噛み潰したような顔になった。
「…ジョウ。ここって、もしかして」 「あ、いや、特別そういう場所じゃない筈だ。ただ、そのう、開放的な人間が多いというだけで…」 久しぶりの休暇をいつものように真夏のビーチで過ごそうと、ジョウ達一行はこのビーナスリゾートにやって来た。 銀河系最大国家ソルの金星リゾートは、その環境もやはり抜群で、海山等の自然だけでなく、カジノや遊園地、ショッピングモール等も充実している。勿論グルメも、盛り沢山だ。 近場の宙域で仕事を終えたジョウチームが、保養先にビーナスリゾートを選んだのは、ごくごく自然な成り行きであった。
しかし…。 「すげぇなあ!」 たまりかねたように、リッキーが叫んだ。 ぱかんとタロスにその頭をはたかれたが、全くめげない。下手をすると、叩かれたことすら気付いていないかも知れない。 その、視線の先には…。 乳、乳、乳のオンパレードである。 殆どの女達が、トップレスなのだ。 大きい胸、小さい胸、何だそりゃと言いたくなるような胸まで、とにかく様々だったが、誰もが皆、ごく自然に裸の胸をさらして真夏の海を楽しんでいた。
本音を言えばジョウにしたところで、リッキーと同じく(顔に出さないだけの理性はあったが)、目の保養を楽しむことに吝かではなかったが、今そんな素振りを毛程でも見せたら、間違いなく白い砂浜に血の雨が降る。 勿論、降らせるのはアルフィンだ。
アルフィンの今日の水着は、白とピンクが可愛らしく配色されたビキニであった。 かなり際どいラインではあったが、パッチビキニすら見当たらない、トップレス女性達が闊歩するこのビーチでは、ブラを着けているだけで浮いた存在に見えた。 そうなると妙なもので、少数派のアルフィンとしては、『保守的、時代遅れ』に見えるんじゃないかという変な劣等感を植え付けられ、萎縮してしまう…。 そんな微妙な空気が漂っていた時、駄目押しが来た。 ジョウとアルフィンの前を、すごいプロポーションの美女が通り掛かったのだ。 ぶるんぶるんと大きな胸を揺らしながら、堂々たる足取りで歩いている。キラリと、乳首のピアスが光を弾いた。 そのまま通り過ぎてくれれば良かったものの、その女は、ふとアルフィンに目を留めた。 ブラを着けた胸の辺りを見ると、くいっと片眉を上げ、ふっと皮肉げにその口許が笑った。 お子様ねえ。 何も言わずとも、その態度が言いたいことの全てを語っていた。抜群の表現力だ。 (やべ!) ジョウは慌てて、アルフィンを見た。 馬鹿にされて、ぺしょんと落ち込むタイプではない。 売られた喧嘩は買う鉄火肌。 それが、我らがプリンセスの本性だ。 「…いいわよ。脱いでやろーじゃない」 アルフィンの背後から、ゆらゆらと怒りのオーラが立ち昇っていた。 もし漫画なら、その髪の毛が逆立つように描かれていることだろう。 「トップレスなんか全然平気なんだからっ!」 「ばか、やめろっ!」 宣言と共に背中のホックに手を回すアルフィンを、ジョウは慌てて止めた。 「何で止めるの!? いいじゃない、皆そうしてるんだし!」 「皆は皆だ! 他人なんか気にするな!」 「何よ! ジョウだって鼻の下伸ばして見てた癖に! それとも何? あたしの胸は出したらいけないの!? そりゃ、あんな、牛みたいおっきな胸じゃないけど、これでもそれなりにあるんですからねっ!」 (んなこたぁ、判ってるッ!) だからマズいんだろ。いや例え、殆ど無きに等しい平野状態だったとしても、人前になんか絶対曝して欲しくない。君の胸は。 俺にだけ、見せてくれ! 矢継ぎ早に言葉が出て来るのは頭の中だけで、それが口に出せればジョウに苦労は無かった。 だから、曖昧な状態が続いているのだ…。
ぎゃあぎゃあ諍う二人を見兼ねて、タロスが助け船を出した。勿論、この騒ぎでは休暇にならないとの思惑も働いている。 携帯で何やら話しながら、ジョウに伝えた。 「クルーザー借りられますけど、どうしやす?」
「最高ー!!!」 海岸から遥か彼方の沖合に出ると、アルフィンは潮風に髪をなびかせながら叫んだ。 すっかり機嫌が直ったらしいので、ジョウもホッと一安心だ。 (ナイスフォローだったぜ、タロス) 操縦桿を操りながら、そっと感謝をする。持つべきものは、気の利く仲間だ。 「あっしらは、ビーチでのんびりしていまさぁ」 正直なところ、そう二人だけで送り出された時は多少不安だったが、クルーザーで出航して以降、アルフィンの機嫌はすっかり好転していた。ジョウと、二人だけという状態も気に入ったらしい。 そのくせ操縦はジョウに任せきりで、自分は舳先に座って鼻歌などを歌いながら風と陽射しを満喫していたが、沖合に出た辺りでジョウに声をかけた。 「この辺で留めない? ジョウものんびりしようよ」 誰のおかげでのんびり出来なかったと思ってるんだとジョウは苦笑したが、その揶揄もすぐに潮風に飛ばされた。 まあ、クルーザーの操縦も楽しかったしな。
エンジンを止め、アルコール度数の低いビールを二缶手にしてアルフィンの横に腰を下ろす。 「有難う」 プシュッと威勢の良い音が跳ね、二人は喉を鳴らして冷たいビールを流し込んだ。 「美味しーい!」 「たまんねえ!」
強く照り付ける陽射し。 真っ青な空。 静かに押し寄せる、波の音。 仕事でこびりついた見えない疲労が、綺麗さっぱりと蒸発していく。命の洗濯とは、良く言ったものだ。 その開放感が、ジョウを素直にさせた。 「その、悪かった」 「え? 何が?」 何故ジョウが詫びるのか、全く判らずアルフィンは訊き返した。 「休暇先は、もう少しちゃんと調べてから選ぶようにする」 君が、いたたまれない思いなんかせずに済む場所にする。 暗に告げられたジョウの思いやりに、アルフィンは感激した。 本当は、アルフィンだって嫌だったのだ。人前で裸の胸を曝すなど。 クラッシャーになって以降、それまでの反動のように自由を謳歌しているアルフィンであったが、トップレスはさすがに許容の範囲を越えていた。 恋する相手に素直に飛び込めない乙女として、それは当然過ぎる羞恥心だった。 さっきは、ジョウが止めてくれて良かった。 カッと頭に血が昇ると、ついムキになってしまう。 そんな自分の暴走を止めてくれる人を、好きになって良かった…。
「ううん。あたしこそ、さっきはムキになってごめんなさい…」 アルフィンも、素直になれた。 雄大な自然に包まれていると、心に鎧を着ていることが馬鹿馬鹿しくなる。
ふと、沈黙が降りた。 二人の眼が合う。
誰も、邪魔する者はいない。 広大な海原で、二人きりの贅沢なこのひと時…。
ごく自然に、二人の顔が近付いた。 くちびるを求め合うため、そっと…。
「きゃっ!」 「!?」 凪いでいた筈の海に、突然ばしゃーんと波飛沫が上がった。 ぐらぐらとクルーザーも揺れる。 「何、どうしたの?」 二人は素早く立上がり、海を覗き込んだ。 「イルカだ!」
見ると、イルカの群れがクルーザーのすぐ近くを回遊していた。幾つもの背びれが、海面すれすれに踊っている。 「きゃああ〜! カワイイ!」 アルフィンが黄色い歓声を上げた。 その瞳はイルカを追い掛け、きらきらと光っている。もう、イルカに夢中のようだ。 (ちぇっ。何だよなあ…) 先ほどまでの甘いムードが吹き飛ばされ、ジョウは憮然とした。がぶがぶと残りのビールを呑む。 「キュキュ、キュキュッ」 一頭のイルカが水面から顔を出し、二人に向かって鳴き声を上げた。 まるで、二人を誘うように頭を降る。 「…ジョウ! おいでって言ってる! 一緒に遊ぼうって!」 「って、アルフィ…、おいっ!」 ジョウの返事も待たず、アルフィンは海に飛び込んでしまった。 「アルフィン!」 ざぶんと水面に顔を出し、アルフィンはジョウに手招きをした。 「ジョウもおいでよ!」 その周りに、イルカが集まって来た。 嬌声を上げながら、アルフィンがイルカと戯れ始める。 「…しょうがないなあ」 そう言うジョウの顔も、どことなく楽しげだった。何しろ、イルカと泳ぐなど滅多に無い機会だ。 綺麗な弧を描いて、ジョウも海に飛び込んだ。水飛沫に、小さく虹が掛かった。
青い世界で、金色の髪が光を吸って泳いでいる。 くるくる周るイルカ達と泳ぐアルフィンは、まるで人魚姫のようであった。 見惚れていたジョウの背中を、一頭のイルカがつつく。その背びれを捕まえ、ジョウは一緒に泳いだ。イルカスクーターだ。 二人とイルカ達は、同じ群れとなって、泳ぎ、遊んだ。
一頭のイルカが、つんとアルフィンの背中をつついた。その悪戯のせいで、ブラのホックが外れてしまう。 あっと、口を開いたジョウの口許から、白い泡が漏れた。 ハッと、アルフィンも、自分の胸元を見た。 押さえようとしたその手が、何故か途中で止まる。 二人の目が合った。 小さく笑うと、アルフィンはそのままするりとブラを脱いでしまった。 (…!) 水中でアルフィンは裸の胸をさらし、ジョウを真っ直ぐ見据えた。 水面近くの明るい海で、二つの紅真珠で飾ったような白い胸が、光りを浴びて輝いている。 海藻のように、金髪がその周りでゆらゆら揺らめいている…。 (アルフィン…!)
美しかった。 例えようもなく、アルフィンは美しかった。 ざっと腕を伸ばし、アルフィンに向かってジョウは泳いだ。 アルフィンも、ジョウに向かってその手を伸ばす。 手を握り合った次の瞬間、二人は抱き合っていた。熱いくちづけを交わしていた。 イルカ達が二人を祝福するよう、くるりくるりと回遊する――。 永遠の時が閉じ込められた海中で、二人は互いをひたすらに求め合った――。
「…ねえ。幾らなんでも遅過ぎない?」 ぐぅぅと鳴る腹の虫を宥めながら、リッキーはぼやいた。 真っ赤な夕陽が、ガラス越しにホテルの部屋に差し込んでいる。もうとっくに、夕食の時間だ。 それなのに、クルーザーで海に出たジョウとアルフィンは、まだ帰って来ない…。 ソファにのんびりと寝そべっていたタロスが、よっこらせと体を起こした。 「…まあ、あの二人ならほっといたって平気だろ」 (というより、ほっといてくれっつう状態だろうさ) その本音は、リッキーに聞かせるにはまだ早い。自分の過去はさておいて、タロスは案外保守的であった。 「ほれ、欠食児童。先に飯に行くぞ。大丈夫。ジョウもアルフィンも、絶対文句なんか言いやしねえって。何がいいんだ? お前の好きな店、選ばせてやるよ」
やはり、持つべきものは、気の利く仲間だとジョウが再び感謝するのは、それからまた暫く後のこと。 日焼け止めを忘れたアルフィンと二人して、満遍なく焼けた肌で帰って来てからのことであった。
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