| 「…おい、いい加減にしろ」 ダンの不機嫌そうな文句が、より一層タロスの腹を捩らせた。 先ほどから笑い続けて、タロス本人ですら苦しくて止めたいと思うのだが、息絶え絶えになりながらも壊れたおもちゃのようにばか笑いは止まってくれなかった。 その、原因は。 「この星は、ヘリウムが多いんだ。誰でもこうなる。薬を飲むまで、どうにもならないんだよ」 平静を保っているようだが、やはりいつもに比べてその語気は弱かった。ダン自身も、内心は気恥ずかしいのだろう。 当たり前である。 自分の声が、ドナルド・ダックのような甲高い声色に変質してしまっているのだから…。 ヘリウムガスを吸って遊ぶおもちゃがあると知ってはいるが、その手のお遊びから一番遠そうなダンがドナルド声で喋るなど、タロスにとっては青天の霹靂であった。 無論自分の声も変質しているのだが、そんなことは棚上げでタロスの腹筋は盛んに波打つ。 ちっ、と吐き捨てさっさと歩くダンの背中に、ぜぇぜぇ言いながらタロスが縋った。 「ま、待ってくれよ、おやっさん。置いてかねえでくれってば」
ダンと出会い、家出どころか地球を飛び出してしまった12歳の少年タロスは、15歳となっていた。 惑星改造やデブリ回収など、様々な仕事を数多くこなし、ダンとタロスは名実共に『相棒』となっていた。 悪童として名を馳せていた少年は、その年齢では考えられぬ程世知に長けており、また、機械類の操縦に天賦の才能があったため、下手な成人より余程役に立った。 基本的な技術の催眠学習を受けただけで宇宙船の操縦をもマスターしてしまい、ものの半年も経たないうちに、ダンが安心して操縦桿を握らせる程の腕前に成長したのである。 アステロイドベルトなどの複雑な航路もタロスは、むしろ嬉々として操縦し、また、パイロットに必要とされる長時間に渡る緊張に耐え得るタフネスさを心身共に備えていた。 しかし勿論、順調なことばかりではなかった。 命のやり取りなども既に幾つも経験し、瀕死の重傷を負ったこともある。風土病に冒され、重篤な事態に陥ったこともあった。 けれどタロスは、自分が宇宙に出たことを一度たりとも後悔したことが無かった。 無限の世界を翔べること、極度の緊張を伴う仕事を達成する充実感、心底尊敬出来る相棒から信頼される喜び、それら全てがタロスを魅了して止まないからだ。 それだけで彼は満足しきっていた。他に欲しいものなど、思い付かなかった。 この星に、来るまでは――。
牡牛座宙域にある惑星ゴルテュンは、改造度2まで進んだ星である。 新たな開発計画が始動し、その一端を担う為ダン達はこの星にやって来た。一番最初の改造にダンも加わっていたという縁で、今回も声が掛かったのだ。 気候が安定したのを見計らい、クライアントが植物層の充実を依頼して来た。 地球に本拠地がある研究機関が発明した、魔法のように速く成長する植物の種を、空中から大陸全域に渡って散布するのが今回ダン達に依頼された仕事であった。 芽吹けば僅か一年程で大木となり、しかも世代交代したあとは地球のそれと変わらぬ成長速度になるという、ラボの説明書を読んでもその理屈が想像つかぬ代物である。 だが、そんなことは知ったことではない。 自分達のやるべき仕事、所定の位置への種の散布という依頼をきっちりこなすことだけが、ダンとタロスにとって重要であった。 「すげー量だなあ」 巨大な倉庫にぎっちりと積み上げられたコンテナの数々を見上げ、タロスは思わず声を上げてしまった。その声がまだドナルド声なので、ハッとして苦い顔となる。 「ここにあるだけで千個だ。船に積めるのは、この大きさなら一回に付き10個だな」 説明するダンもまた同じく愉快な声なので、気が抜けること夥しいが、二人きりでもあるし、筆談などは更に間抜けなのでやむを得まい。気を取り直し、意識を仕事に集中させる。 「天候に左右されるから、早めに予定を組むぞ」 タロスがぐっと頷く。 気候が安定したとは言え、あくまでもそれは惑星規模での話である。温暖化の懸念が叫ばれていた頃の地球と同程度、いや、もっと脅威的な気象に見舞われるかも知れないのが、産声を上げたばかりの惑星の現実だ。 その中での仕事である。予定を立てても、スムーズに行くとは限らない。 タロスがダンと一緒に行動するようになって以降、類似の仕事を幾つか経験していた。 荒れ狂う気候のせいで、船を飛ばすことすら叶わぬ日々が続き、どう計算しても期日までに仕事が終わらぬであろうと思っていた案件もあった。 同じ仕事を請け負っていた同業者の意見も概ね同じで、三か月の予定が上手く行って最低二月は延びると、皆諦め顔であった。 そして業者連中は互いに連携を取り、クライアントに対して延長された日々への、更なる支払いを求める交渉に入った。 待機中の経費も馬鹿にならないと知っているタロスは、彼らの意見に頷いたものである。 しかし、ダンは違った。 団体交渉の話には一切耳を貸さず、ただひたすら仕事をすることを選んだのだ。 夜間であろうが明け方であろうが、天候が少しでも穏やかになると素早く船を飛ばし、積み荷をどんどん片付けて行った。 乗組員の疲労などを勘案すれば、一日平均二回が限度の飛行を、五回も六回も敢行する日もあった。 無論、タロスも一緒である。 腹から信じている相手がそう決めたのだからとタロスに不満は無かったが、疑問は感じていたのでダンに尋ねてみた。 「何で、皆と同じようにしないんだ?」と。 その時のダンの言葉は、今でも鮮明にタロスの胸に残っている。 「俺達は安定した身分の会社員じゃない。ぐずぐず言ってる間に見限られ、他の奴が後釜に座るのがオチだ。四の五の言ってる暇があったら、仕事をこなすことに全力を注ぐだけさ。それに、受けた仕事が期日までに終了しないと困るのは、俺達業者側も同じことだ。仮に今回の延長分を支払って貰ったところで、全く関係の無い、次に予定してる別のクライアントからの仕事がずれることには変わらない。となると、信用されなくなる恐れがある。下手したら、仕事そのものをキャンセルされる可能性だって十分ある。俺達みたいな、うさん臭い何でも屋がそれでも食って行かれるのは、開拓期のどさくさだからだ。だからと言って、今この時期にいい加減な仕事をしてみろ。やがて開拓が落ち着いた頃には、すっかり忘れ去られちまう。そん時どうする。名前を変えて、他人の振りでもして仕事を探すか? 俺はごめんだぜ。てめえの名前を隠して生きるような恥ずかしい真似だけは、絶対にしたくねえ。あいつなら、あいつらなら信用出来る。いい加減なことは絶対しねえからと、仕事を託されたい。そのためには、多少だろうが沢山だろうが、無茶も無理もするさ。お前はそう思わねえか、タロス」 この言葉は、タロスにとっても終生忘れることのない『仕事』というものに対する心構えとして、刻まれたのだっだ。
段取りの最終確認をするというダンを船に残し、タロスは買い出しに出た。 ごく初期の入植は済んでいるので、宇宙港周辺には辛うじて町と呼べる規模の賑わいがあった。 食糧の手配を済ませた後は、雑貨の買い出しだ。 医薬品や嗜好品、その他生活に必要な様々な物品購入もタロスの仕事である。 買い出しメモを確認しながら、タロスは先ほどダンが言っていた『薬』も忘れずに買っておかねばと肝に銘じていた。 声が変質するだけなので実際のところ特段の支障はないのだが、大の男達がわあわあドナルド声で喋るなど、情けないにも程がある。 ダンがあの声で喋ることで、(薬を服用している)他の輩に笑われるのだけは勘弁ならない。面子に関わるというものだ。無論それはタロス自身にも言える話だが、まずはダンの面子だ。 目に付いた雑貨屋に入り、酒や煙草、その他諸々を籠に放り込む。男性用避妊具もあったので、そういや切れてたなと二つ三つ買う事にした。 件の薬とやらは棚に見当たらなかったので、店員に尋ねた。 元気よく跳ねた赤毛の細っこい少年店員は、レジの下から小さな箱を幾つか取り出した。 「こっちの赤いのが、1錠で半日、青いのが丸一日。効き目の長い方が高いよ」 そう、ドナルド声でタロスに説明した。 ん?と、タロスは訝しむ。なるべく低い声で尋ねた。 「あんたは、薬飲んでないのか?」 住人は気にしないのだろうか。この間抜けな状態を。 「金掛かっからね。別に不自由ないし」 「ふうん。そんなもんかい」 俺はごめんだぜとタロスは金を払ったその場で薬を服用し、店を後にした。
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