| 「ああっ!」 リッキーがすっとんきょうな声を上げ、ジョウとタロスは一斉に振り返った。そこにアルフィンは混じっていない。食事の準備の為、ブリッジを出ているからだ。
「なんだリッキー、どうした」 やや緊張を隠した声音でタロスが尋ねた。ミネルバに何か異常が発生したかと疑ったので、当然の成り行きである。 そんなことはお構い無しに、泡を食った様子でリッキーは続けた。 「ヤバイよ兄貴、明後日はアルフィンの誕生日だったよ!」 「はっ?」 訳が判らない。 明後日がアルフィンの誕生日だとして、それの何が一体ヤバいと言うのだろうか? 「…意味が判んねえ。判るように説明しろ、リッキー」 ハテナマークを沢山額の辺りに浮かべながら、ジョウはリッキーに質した。タロスも同様の怪訝顔である。
ああもうと、言わんばかりに焦れたリッキーが叫んだ。 「おいら達、何の準備もしてないじゃん! それともこないだの寄港先で兄貴達はプレゼントでも買ってンの!? ないだろ!?」 「プ、プレゼントって」 耳を赤くしたジョウが詰まり、ゴニョゴニョと続けた。 「女の子にプレゼントなんか買ったことねえし。それに、子供でもないんだから誕生日プレゼントとか必要ないだろう」 「うっわー! ひでぇよ兄貴、そいつはあんまり薄情だよっ! ガンビーノがいた頃は皆の誕生日を祝ってくれたじゃん! ご馳走で!」 そう、ガンビーノはクルーの誕生日を必ずご馳走で祝ってくれていた。それぞれの好物をメインディッシュに、その日ばかりは好き嫌いも黙認してくれて、祝意を表していたのだ。 「けどなあ」 タロスが割って入った。いつもなら「そんなツマンねえことでデカイ声出すんじゃねえ、クソチビ!」とでも怒鳴るところであったが、ガンビーノのことが思い出され、ついしんみりとしてしまったからだ。 「そのガンビーノは、てめえの誕生日は特にどうともしなかったぜ? 実際は面倒だったんじゃねえのか? だからアルフィンにも、普段通りにしてもらえば、それが一番のプレゼントになるんじゃないか?」 リッキーは信じられないとばかりに口を開け、次の瞬間マシンガンのように攻撃した。 「さいってえだぜ、このウドの大木! タロスが独身の訳が今マジで判った! 人の気持ちが判らないにも程があるぜ! 心臓は生身だって聞いたけど、なんかの手違いでホントはとっくに機械化されてンだろっ! あったかい血の代わりに全身オイルが流れてなきゃ、そんな冷たいコト言えるもんかっ!」 「んだとぅッ!? やるか、クソチビ!!」 「やめろっ、二人とも!」 ジョウの一喝で、取り敢えずタロスとリッキーは取っ組み合うのを止めたが、ガルルルといがみ合うことは止めない。 それをギリッと睨み付け、ジョウはリッキーに言った。 「リッキー、言い過ぎだ。タロスに謝れ。…だが、そこまで言うんだ。誕生日を祝うことが、余程重要だとお前は思ってるんだな?」 静かだが、誤魔化しを許さぬ断固とした声音でジョウは質した。 「何故だ」
「何故って…」 暫く逡巡していたが、やがてボソボソとリッキーは話し始めた。 「…おいら達、浮浪児達は自分の誕生日なんか判らない奴が殆どだったんだ。おいらは、小さいときは保護施設にいたから一応誕生日は記録があったけど、全然知らない奴も沢山いたんだよ」 誕生日が判らない。 それは、どんなに想像を逞しくしても、自分がこの世に生まれて来たことを喜んでくれた人が果たして一人でもいたのだろうかという、孤児の根底にある不安に直結する問題であった。 「だから、おいら達は仲間の誕生日を勝手に決めて、その日ばっかりは何とか沢山のメシを用意して、祝ったんだ…」 誕生日おめでとう。 例え親が祝ってくれなくても、おいら達はお前がこの世に生まれて来てくれて良かったと思ってる。
お前と出逢えて嬉しいよ。 だから。 誕生日、おめでとう。
それは、人間にとってとても大切な何かを強固にする、魔法の言葉。
しん、とした空気がブリッジに流れた。 ジョウもタロスも一般的な環境から考えれば、決して恵まれた家庭で育ったとは言い難い。しかしそれでも、自分の誕生日がいつか判らないというような悲惨な生まれ育ちではなかったので、リッキーの告白に言葉を失ってしまったのだ。
そして。 そのリッキーの誕生日を、ガンビーノはご馳走で祝ってくれた。ジョウやタロスも、ごく当然のように祝ってくれた。 「…ミネルバに密航した時は、降ろされないよう必死で、まさか誕生日を祝ってくれるなんて思ってもみなかったんだ」 もちろん、リッキーがねだった訳ではない。だからこそ、驚愕したのだ。 クラッシャーは一見大雑把な職業のように見えるが、実際はそうではない。 新規加入者はきちんと身上書を書かされ、アラミスに承認されてからでないと正式なメンバーとして登録出来ない制度になっている。 前科者は登録可能だが、指名手配中の人間が紛れ込むのを防ぐ為、掌紋、声紋、網膜審査を銀河連邦の警察機構と照会し、問題無しと判断された者だけがクラッシャーとなれる。
ガンビーノはその身上書を見てリッキーの誕生日を知り、祝ってくれたのだ。 「…びっくりしたよ。普段の夕食と違って、チキン好きなおいらでも、それまで食べたことのないでっかいローストチキンがこんがり美味そうに焼けてて、すげぇいい匂いで、中には一杯詰め物がしてあって、カリカリのクルトンが浮かんだポタージュスープがほかほかと湯気立ててて…」 その日のことは今でも鮮明にリッキーの脳裏に焼き付いていた。 電波を盗んで見ていたTVで見た夢のような光景が、自分の為に用意されていたのだ。 忘れろと言われても、忘れられるものではなかった。
仲間だと認めて貰えた。自分の存在を喜んでいてくれた。 ご馳走と皆の笑顔は、そうリッキーに伝えていた。
死ぬほど嬉しかった筈なのに、何故か咽び泣きたいような思いが込み上げ、リッキーはそれを隠す為に必死でご馳走を貪り食った。 残して来た仲間達に心の中で詫びながら、彼らの分まで腹がはち切れそうになってもひたすらに食べ続けた…。
きちんと面と向かってガンビーノにお礼を言えたかはろくに覚えていない。 しかし、あの日味わった幸福に真実感謝しているから、ガンビーノ亡きあとはその習慣を自分が引き継ごうとリッキーは決めていた。 アルフィンの誕生日をチェックし、必ず祝ってやるつもりであった。 なのに仕事に忙殺されてしまい、つい失念してしまった。 そんな自分が情けなくて悔しくて、リッキーの頭と胸はグシャグシャだ。
混乱する思考を何とかまとめようと、ずずっと洟を啜り上げてから考え考えリッキーは続けた。 「…もちろん、アルフィンはおいらとは正反対の育ちだから、きっと毎年盛大なパーティーが開かれてたんだと思う。でも、ミネルバに乗ってまだ数ヶ月の今は、あん時のおいらと同じように不安に違いないよ。邪魔だと思われてるんじゃないか、本当の仲間だとは思って貰えてないんじゃないかって…。そんな状態で誕生日を無視されたら、以前の幸せな思い出の分だけ余計に、きっとおいらが同じ目に合うより、ずっとしんどい気分になると思うんだよ…」 だから、その存在を歓迎しているという意味において、仲間達が誕生日を祝うことはとても重要なんだと、リッキーは訴えた。 「おいらも寄港先でプレゼント買うつもりだったんだけど、急な予定変更でバタバタしてたから、つい忘れちゃってさ。だから、偉そうなこと言えないンだけど…」
「そういや」 ボソリとタロスが呟いた。 「ピザン以降も仕事が立て続いて、アルフィンの歓迎会ってヤツもしてなかったなぁ」 「む…」 確かにそうだ。 クラッシャーの業務や仕来たりをアルフィンに教えるのが先で、そんなことを考えるゆとりは無かった。 そしてごくごく正直に言えばジョウにとってアルフィンは、まるでそれまで知らなかったことが嘘のように、瞬く間に生活の中心的な存在となっていたのだ。改めてその存在を歓迎しなくとも、問題など感じないほど深く、確かに。 彼女に危機が及べば、至極当然のように我が身を挺して庇う程に…。
しかし、ジョウは無論そんなことは決して口には出せない。出してしまったら、何だか不味いことになりそうな予感が働くからだ。 いや、不味いというより、照れ臭くて逃げ出したくなりそうな事態に…。
ゴホンと、いささか芝居がかった咳払いを一つしてからジョウは言った。 「判った。つまりは、クルーのメンタルケアの為にも誕生日祝いは必要だってことだな」 口に出して言えば白々しい、まるで起業家を目指す人間相手の講習マニュアルに書いてあるような堅苦しいことをジョウは言ったが、しかしうっすら赤いその頬と明後日の方角を見る目線が、きちんとリッキーの訴えを受け止めていることを表していた。 照れが先に立ち、うまく自分の気持ちを言葉に出来ないだけだ。 更に照れを隠すように、敢えて仕事モードの口調でジョウは言った。 「となれば、作戦会議だ。プレゼント無しで俺達が彼女をどうやって祝えるか、これから三人で検討するぞ」
かくして。 アルフィンが仲間入りして初めての誕生日は仲間達皆に祝われた。 休養日だと申し渡され、アルフィンは今日一日食事の用意を一切しなくていいというのが、その内容である。 朝食の黄身が崩れた目玉焼きから始まり、乱切りというより手で割ったのかと疑いたくなるような玉子サンドの昼食、そしてきつね色を通り越した褐色の山盛りチキンや、一体いくつジャガイモを使ったのかと、在庫が心配になるようなボリュームのボテトサラダ、クッキーをミルクに浸してスポンジ代わりとした、見るからに不細工な、それでも愛情の籠ったバースデーケーキなどが鎮座する、気分だけはパーティー感覚の夕食。
どれもこれも味については言及する気になれぬ代物だったが、それでもアルフィンは心から喜んだ。 慣れない料理に苦心惨憺した、三人のその気持ちがとてもとても嬉しかったのだ。 決して広くはないキッチンで巨漢のタロスを含む三人が、押し合いへし合いしながら野菜の皮を向き、熱い油と格闘し、あちこち飛び散らせながら生クリームを泡立てている様子を想像して、可笑しくて堪らないと笑いつつ、その瞳には涙がちょっぴり浮かんでいた。 「ありがとう。最高の誕生日だわ」
そんなアルフィンの様子こそ、自分達に対するプレゼントだと男達が思ったとか思わなかったとか…。 誕生日、おめでとう。 あなたがいてくれて嬉しいよ。
どこかでガンビーノもひっそりと祝っているに違いない、1月12日のことであった。
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