| 「さて、君たちのこの後のスケジュールは」 ボランチェリの契約書を引き継ぎ、サインをしながらカサンドラが訊く。 「休暇だ。もうあんたの口車には乗らないぜ」 カサンドラはふっと笑みをこぼす。 「俺はこういう裏工作は好きじゃない。真っ向からの依頼じゃなけりゃ、今後は断る」 「……そうか」 そしてゆっくりとデスクから立ち上がる。 「私とて全てを把握していた訳ではない。その中途半端な情報が、きみの直感を鈍らせるといけないと思っていた」 「物は言い様だ」 「信頼して任せてくれ。……そうクラッシャー評議会議長から言付かった」 「……親父が?」 「議長の息子らしいな、きみは」 カサンドラのまなざしがジョウに向けられる。 確かに。 その雰囲気は、どこかダンと共通するものがあった。直情的なジョウとは対照的に、思慮深く、緻密に人を動かすことを得意とするダンに。 ジョウは苦々しい思いでカサンドラを見返す。だが爪を隠したこの男は、きっとキールを変えていく。それが充分に伝わった。なにせダンも、クラッシャー稼業を180度変えてきた男だった。 同じ、匂いがする。 「また何かあったら、是非とも依頼させてもらおう」 「……まあ、いいだろう」 ジョウは満更でもない笑いを、口元に浮かべた。
そして。 ボランチェリとマックスは今後キールの法律の元で裁かれることとなった。ボランチェリの資産家としての地位は崩れ落ち、一族は新たにクリーンな後継者探しに躍起になった。と同時に、フリュイの研究も葬られた。 現存のフリュイに関しては、素材元がすでに故人であることと、自我も確立していることから、カサンドラは人権として尊重することにした。 そしてフリュイ達の活躍による収益は、国の財源へと還元させることとなる。上流と下級、格差のあった国民構成に、フリュイという中間級が生まれることになった。温故知新。偉人達の類い希な才覚や能力は、国民に好影響をもたらすとカサンドラは期待していた。 この先十数年後。現存のフリュイ達の寿命が尽きる頃。 様々な教訓を得た、次代の人材が必ず育っていく。そうして少しずつ、国民の意識が高まれば国も変わる。それはカサンドラが人生を掛けて、目指すべき最終形でもあった。 そして南北統一運動、キールの世直しの足がかりとして、クラッシャーの活躍が全土で高く評価されたことは言うまでもない。
諸手続きを終えてから。 4人のクラッシャーは<ミネルバ>に帰還した。ジョウ達にとって、実に精神的に苦しい任務だった。だがやっと自由になれた。その解放感をはまた格別なものだった。 「……ジョウ」 ブリッジに戻る途中、アルフィンが声を掛けた。 何かを察したタロスとリッキーは、足早にその場を去る。二人きりにさせてやれ。そういう気遣いだった。 立ち止まったジョウに、アルフィンはおずおずと話しかける。 「……あ、あの、あたしね。とんでもなく誤解してたみたい」 「そういうことになるな」 「実はあたし、社交パーティーの夜、迎賓館の近くにいたの」 「あ?」 ジョウは振り返ると、真正面にアルフィンを見下ろした。 「で、見ちゃったの。ジョウが、すっごく綺麗な人を抱いてホテルに入って行ったのを」 「そ、それじゃあ……」 あれか。ジョウはようやく合点した。 アルフィンのフリュイが見つけた影。それはアルフィン自身だった。だからジョウはあの時、違和感のある気配を感じなかった。 告白された経緯はこうだ。 アルフィンはボランチェリの邸宅で、確かにスケジュールを受け取った。だが暫くして、猛然と睡魔に襲われ、目が覚めた時は市街地の路地に放置されていた。今になれば、出された紅茶に睡眠薬が混ざっていたと充分に推察できる。 土地勘のなかったアルフィン。そもそも迷惑をかけまいとして、単身で邸宅に乗り込んだのである。迷ったとは言えなかった。スケジュールを確認すると、社交パーティーの予定が入っている。 慌ててアルフィンはまた単身で、迎賓館へと向かった。しかしついた時には雨が降り始めた。濡れ鼠になった状態では、中に入ることは許されない。 そこで迎賓館近辺で状況を張っていた。 何か異変があったらすぐ飛び込むつもりで。 ところが時すでに遅し。宴は終演を迎えていた。ひとまず何事もなくて良かったと思い、帰ろうとした時、女性をエスコートしているジョウを見た。しかも正装で。 動揺している所に、その女性が突然アルフィンに駆け寄って来たのだ。逃げた。反射的に逃げた。ジョウが女性連れという事実からも逃げたかった。 そして二人を振りきった後、物陰からこっそり見つけてしまう。ジョウが女性を抱き上げて去っていく姿を。茫然自失で、どうやって<ミネルバ>まで自力で戻ったかも、よくは覚えていない。
「あれって……あたしだったのね」 しかしアルフィンが自分を見間違えても無理はない。あれだけ着飾ったフリュイ。そのうえ再生率が低かったせいか、愛らしさよりも、コントロールされた女性らしさの方が勝っていた。 「ごめんね……。あたし、たくさん酷いこと、言ったわ」 「あの平手もかなり効いたぜ」 ジョウは少し意地悪な顔つきで、アルフィンを見た。 「許してもらえる?」 「さあて……どうしようかなあ」 「ああん、許してジョウ!」 「いやあ、あれには参ったよなあ……」 背を向け、頭を掻く仕草を見せる。 しかしジョウとしても、この一連の出来事が完全に解決した訳ではなかった。アルフィンを目の前にして、その後ろ暗い影を思い出す。 例えフリュイといえども、アルフィンを抱いてしまった。かもしれないのだ。事実ならば、間抜けな話ではある。 これは敢えて本人に謝罪すべきことなのか、フリュイとはいえ役得と思うべきなのか。非常に複雑な心境でいた。 その戸惑いが、表情にも浮かんだ。 アルフィンはジョウの前に回り込み、顔を覗き込む。その顔つきに、てっきりまだ怒りの尾を引いているものかと思った。 「ほんとに、ほんとにごめんね、ジョウ」 不安げな表情でジョウを見上げた。 「うーん……」 やっぱり俺も謝るべきなのかな。けれども白状した所で、これがまた厄介な話へと展開しても困る。ジョウの気は思考に集中していた。 その隙に。 アルフィンの両腕が、ぐいとジョウの首を引っ張った。 そして平手を放った左頬に、柔らかな唇を押し当てる。その音がジョウの耳朶を打った。 「……これで許して、ジョウ」 「え……あ……いやあ」 すっかり舞い上がったジョウの胸に、アルフィンは顔を押しつけた。腰に手を回し、ぎゅっと身体にしがみつく。ジョウといえばされるがままの状態で、身体を硬直させた。 顔が熟したように赤い。 アルフィンは、クラッシュジャケットの特殊繊維から伝わる、早い鼓動を聞いていた。そして、研究室での話を思い出す。ジョウの細胞までもが、自分を大事に想ってくれている。 その幸せを。 こっそりと噛みしめていた。 果たして。 ジョウはアルフィンのフリュイと、やはり関係があったのかどうか。 フリュイが処分されてしまった今となっては、誰にも分からない。ジョウにとっても永遠の謎となった。 ただ、すがるとすれば。 アルフィンをここまで大切に想っている自分だ。傷つけることだけはありえない。そうやって己を信じることでしか、ジョウにはもう答えが出せなかった。
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