| そんな降ってわいたような甘いムード。 だが、この<ミネルバ>で、長く持つ訳がなかった。 「兄貴ー!」 船室のドアが、けたたましくノックされる。リッキーだ。ジョウは舌打ちするとベッドから立ち上がり、ドアへ出向く。空圧が抜ける音がして、ドアがスライドした。 同時に、どんぐり眼がひょいと顔を突っ込んでくる。 「管制室から連絡が………っとととと」 船室の中にアルフィンがいて。 リッキーは慌てて目の前を片手で隠す。 「お……お邪魔でしたか……」 リッキーは密室で2人きりという状況から、とあることを連想した。 「ませた勘ぐりすんな」 「だ、だってさあ……。誕生日にアルフィンと一緒ったらねえ……」 「プレゼントを受け取ったまでさ」 「げげっ! こーんな真っ昼間からもらっちまったのかい? 兄貴もムードねえなあ」 「……なにい?」 明らかにジョウの機嫌を損ねているというのに。 16になったリッキーは、さすがにそれにも順応してきたのか、多少のことでは怯えなくなっていた。 そして両手を組み、身体をしならせながら。ジョウをからかうような態度をして見せる。 「だってさあ、兄貴もアルフィンもいい年なんだし。“あたしをアゲル”ってやつ、なんだろ」 何かの受け売りのような発言に。 アルフィンがすっくとベッドから立ち上がる。 「ばっかじゃないの?! あんた変な雑誌の読み過ぎよ!」 リッキーの余計な一言が。 折角の甘いムードを中断させるだけでなく、余韻すらもかき乱していく。 ぶち壊しだ。 すべて。 ジョウはぐいと、リッキーの首根っこを掴む。そのままずるずると、通路を引きずって出た。 「あんだよ! ムキになるってのが怪しいじゃんか」 「お前最近、生意気が過ぎるぞ!」 「俺らだって、いつまでもガキじゃないんだぜ」 「やかましい!」 確かに。 ジョウとしてはその気が全くなかった訳でもない。しかしながら、いつ何処で沸いてくるか分からない、お邪魔虫がいるのだ。<ミネルバ>には。アルフィンとの密会は危険すぎる。 分かっているからこそ、せめて。甘い時間だけでも長く共有したかったというのに。とんだ顛末となった。 ジョウに無理矢理引きずられ、ブリッジへと向かうリッキー。一気に色気のない現実が訪れ、アルフィンは見送りなが大きな溜息をついた。 今日のジョウは、いつもの隙のないジョウとは違っていただけに。アルフィンが潜り込めそうな、心の門戸が開いていた。こんなチャンスは滅多にない。 素直だった。ジョウはとても。機嫌を見計らわないと、ジョウは難しい所があると思っていただけに。アルフィンにとっても、それは大収穫だった。 ユリアの深い情愛が、ジョウの本当の姿を少しばかりアルフィンに見せてくれたとさえ思える。ある意味、アルフィンにとってもプレゼントを貰ったようなものだった。
だからこそ、手紙を綴ったユリアは。自分をとても、過小評価しているとアルフィンは思う。 ダンを愛し、クラッシャーを愛し、ジョウを愛し。そして、自分にまで幸せな気分をもたらしてくれた。その無限の想いを、アルフィンは深く思い知る。 「お母さんが理想だったら、あたし、かなわないかも」 独り言を呟く。別な意味の溜息と一緒に。 認めないだろうが、ジョウは少しばかりマザー・コンプレックスの兆しがあるだけに。今日そんなことにも気づけた。 そして床に落ちたままのレターケースを拾い上げる。ループの設定回転が終わり、オルゴールは止まっていた。大事なプレゼントである。アルフィンはそれを丁寧に片づけた。 しかし、何かひとつを片づけると。 この散らかった船室が酷く気になってくる。 「まったく、しょうがないわね」 アルフィンは腰に手をやる。収納はジョウに任せるとして、散らかったものだけをまとめ始めた。このお節介な仕草が、母親らしさを醸し出していることを、アルフィン自身は気づいていないが。 だがその最中に。 一冊のファイルから、何かがひらりと落ちた。 アルフィンのつま先に裏返る。拾い上げてみると、それは古い写真だった。 黒髪と見間違える、ダークブラウンのロングヘア。花のように可憐な顔立ち。 「これって……」 ユリアだ。そう直感した。 ジョウは見つけられなかったというのに。一体出所は何だろうと、アルフィンはファイルの表紙を見る。<ミネルバ>のマニュアルだった。クラッシャーとなり最初に手渡されるものの、多くは一生開かれることはない。 そもそも船の構造や機構システムは、身体で覚えていくものだからだ。 そして<ミネルバ>には、何よりタロスがいる。 経験豊富な生き字引だ。 ユリアの穏やかな表情を眺めながら、アルフィンはまた独り言を洩らす。 「顔も覚えてないなんて言ってたけど、嘘ね、きっと」 これほど美しい母親であれば。息子として自慢でもあろう。姿形ではなく、印象として相当強烈に残されているに違いないと思えた。 かなわないかも。と、またも弱気になる。 だがアルフィンはまだ18だ。あと5年もの間に、何が起こるか分からない。そしてアルフィンの将来にとって、いい手本を知ることは大事なことでもあった。 ユリアも、エリアナも。 目指せる対象がある。これは、アルフィンの今後の成長にとって強みでもあった。
そして。 ジョウの偉大すぎる母親。アルフィンを僅かに及び腰にさせる存在。しかしそのユリアも、かつては恋する一人の女、少女でしかなかった時代がある。 アルフィンも、ジョウも、知らない裏舞台。 別の場所に。 それを知っている男達がいた。 以前、こんな会話が交わされていた。 バードが初めてアルフィンを見たとき。タロスに告げていた台詞。 「たしかにそういう雰囲気がある。あの子、そっくりじゃねえか。ユリア姐さんに」 この台詞が。 ジョウとアルフィンの将来を言い当てているとは。 当のジョウとアルフィンにとって、この時はまだ、知られざる事実でもあった。
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