| ジョウはミネルバのブリッジにいた。 副操縦席に沈み込むようにすわって頭の後で腕を組み、足を行儀悪くコンソールの上に投げ出していた。 ふとデジタル表示の時計に目をやると、10時半を回ったところだった。 「なんかあっちゃ困るが、やっぱり暇だなぁ」 独り言を呟く。 今晩、ジョウは当直の当番にあたっていた。 しばらくぼんやりとメインスクリーンに映し出される宇宙空間を眺めていたが、なにか思い出したように胸のポケットから5cm四方の薄いディスクを取り出した。ジョウはそのディスクをコンソールの脇にあるスロットに差し込んだ。カシャンと乾いた音がしてディスクが飲み込まれデータが読み取られる。間髪を容れず、ブリッジにズンズンというもの凄い重低音が響いた。びりびりと空気が振れる。ジョウは飛びあがった。慌てて腕を伸ばし音量を絞る。なぜだか音量は最大になっていた。コンソールに足を上げていたお陰でジョウはシートからずり落ちるような格好になった。 「あせったぜ」 なんとか態勢を整え額を拭った。
「なあに?今の音」 どきん、とジョウの心臓が跳ねあがった。先ほどの大音量で少し早くなっていた鼓動がさらに早くなる。悪戯を見つけられた子供の心境に近かった。別にわるさをしていたわけではなかったが…。 ゆっくりとジョウが振り向くと入り口に両手にコーヒーカップをもったアルフィンが立っていた。 「廊下にまで聞えたわよ」 「スピーカーの音量が最大になってたのを気付かないで、ディスクをいれちまったらしい」 「バカねぇ」 そう言いながらアルフィンは中に入ってきた。ブリッジにアルフィンの持つコーヒーの香りが広がった。
「はい、差し入れ」 アルフィンは右手に持ったカップをジョウに差し出した。 「サンキュー」 ジョウはコーヒーを受け取り、早速口をつけた。熱くて苦いコーヒーが喉を通ると早まった鼓動が幾分落着いたような気がした。 アルフィンは左手に持っていたカップを両手で包むように持ち換え、操縦席のシートに腰を下ろした。体が沈むのに合わせて金髪がふわりと舞う。 「この曲って、リッキーがプレゼントしてくれたディスクに入ってたヤツ?」 コンソールに両肘をついてカップに口を寄せながら、微かに聞える音楽に耳を傾けアルフィンは言った。 「ああ、そうだ」 ジョウはそう言い、先ほど最小に絞った音量を少しだけ戻した。ドラムとベースの腹の底に響くような重低音にギュイーンという甲高いギターの音と、歌っているのか叫んでいるのか判断に困るボーカルの声が重なる。初めのうちは耳障りに聞えるが、耳になれると結構良いメロディラインだった。歌詞ははあまりよく聞き取れない。だが聞き取れたとしてもあまり意味が無いものであることはジョウもアルフィンも知っていた。 「〈SPACE COWBOY〉ね。リッキーらしいわ」 「まあな」 リッキーが数日前のジョウの誕生日にプレゼントしたのは、最近ヒットチャートをにぎわせているバンドの最新アルバムのディスクだった。リッキー位の若い男の子に熱烈なファンが多く、ライブでは必ずといっていいほど怪我人がでるという少々荒っぽいバンドであった。むろん女性のファンは殆どいない。ジョウも多少は興味があったがファンというわけではなかった。つまり、これはリッキーがアルフィンに強要されて無理やり考え出したプレゼントだった。 「眠気覚ましにはちょうど良いさ」 こんなのでごめん、と言を添えてプレゼントを差し出した時のリッキーの、なんとも言えない表情を思い出しながらジョウは言った。
「リッキーの誕生日にはクラシックかなにかお返ししてあげれば?」 くすり、と笑いながらアルフィンが言った。何気ない一言だった。 だが、その言葉にジョウの表情が僅かに曇った。 「あたし、なにか変な事いったかしら」 ジョウの表情の変化を敏感に感じ取り、アルフィンは怪訝な顔でジョウの顔を覗き込むようにして訊いた。ジョウとアルフィンの視線が合った。ジョウは誤魔化そうとしたが間に合わなかった。アルフィンの射抜くような眼差しにジョウは一瞬躊躇ったような表情をしたが、やがて口を開いた。 「実は、リッキーにはちゃんとした誕生日ってのが無いんだ」 言うべきではないかもという迷いが窺がわれる物言いだった。だが、アルフィンなら言っても良いだろうと思いジョウは続けた。 「親もよくわからない生い立ちだ。産まれた年はわかっても産まれた日まではちょっとわからないっていってたんだ」 「でも、リッキーのIDにはちゃんと生年月日が記入されていたわ。それにパーティをした時だってなにも言わなかったじゃない」 「書類の上はミネルバに転がり込んできた日を生年月日として登録してるからな」 「そうなんだ…」 アルフィンは視線を落とした。声のトーンも自然と低くなる。 「じゃあ、私凄く悪い事しちゃってるのかも。本当の誕生日でもないのにバカ騒ぎしたりして…」 アルフィンがミネルバに乗り込むまでは、皆の誕生日を祝うという習慣は無かった。男所帯では当然の事だった。だがイベント好きのアルフィンがそれを許すはずが無い。以来、誰かの誕生日は状況が許す限り皆で祝う事になった。リッキーの誕生日も例外では無かった。 「アルフィンに本当の事を言わなかったのは、あいつなりに気を遣ってたんだろうな」 ジョウの何気ない一言がアルフィンの沈んだ心に追い討ちをかけた。 「気を遣わせちゃってるのね」 トーンが更に下がる。 「リッキーはそんな事を気にするやつじゃないさ。それに、結構楽しそうにしてたじゃないか」 みるみるうちにテンションが下がって行くアルフィンの様子を見てジョウが慌てて言った。 「そっかな」 気の無い返事をジョウに返しアルフィンは口を噤み、少し冷めたコーヒーを口に含んだ。苦いコーヒーだった。王女としてなに不自由無く育ってきたアルフィンには考えつかないほどの苦労をしてリッキーが今まで生きてきたということは、よくわかっていたつもりでいた。しかし、それはアルフィンの驕りだった。リッキーは優しい。だからきっと今まで何も言わないで色々なことを笑っていてくれたのだろう。そんなリッキーの心の内を考えると目頭が熱くなってきた。アルフィンはカップを握った両手で目頭を押さえ、涙が溢れるのをかろうじて止めた。 ぽんぽん、と大きな手がアルフィンの頭を軽く叩いた。アルフィンが顔を上げると、いつのまにかジョウが隣に立っていた。ジョウは前屈みになり、優しく、けれど少し強引にアルフィンの頭を自分の胸に引き寄せた。アルフィンは抵抗することなくジョウに体を傾けた。ジョウの手がアルフィンの金髪を撫でる。その掌からジョウの優しさがじわじわと伝わってきてアルフィンの涙腺を刺激した。せっかく止めたアルフィンの涙が一筋、頬を伝って流れた。
暫くの間、アルフィンはジョウの腕の中にいた。ジョウもアルフィンもなにも話さなかった。ただ、少し場違いな〈SPACE COWBOY〉の曲がブリッジに流れていた。 アルフィンの涙が乾く頃、漸くジョウが口を開いた。 「アルフィンは変わらなくていいんだぜ。そのままの君でいれば良い。嫌な事があればあいつだってちゃんと言うさ」 アルフィンはこくん、と小さく頷いた。そして面を上げ、笑顔を作って言った。 「ごめんね、邪魔しにきちゃったみたい。コーヒーも冷めちゃったし…」 そんなアルフィンの額にジョウは軽く唇を押し付けた。そして 「じゃあ、コーヒーのおかわりもらえるかな」 そう言い、ゆっくりと体を離した。
数分後、コーヒーを持ってアルフィンがブリッジに戻ってくるとジョウは空間表示立体スクリーンのシートに腰を置いていた。ジョウはメールのチェックをしているようであった。チーム宛のメールはここで一括して受信していた。 「メール来てるの?」 アルフィンはジョウにコーヒーを手渡しながら訊いた。 「あぁ、2、3件な」 画面から目を離さずにジョウはコーヒーを受け取り、そのまま口に運んだ。 「ん?」 カップに唇を付けたところでジョウの動きが止まった。怪訝に思ったアルフィンがシート越しに画面を覗き込み表示されている文字をざっと読んだ。 「ねぇ、これって…」 思わず二人は顔を見合わせた。
「ねぇ、ジョウ。次の休暇っていつだっけ?」 唐突にアルフィンがジョウに訊いた。 「んーっと、今度の仕事の後に2つほど打診があったから…」 なぜアルフィンがそんな事を訊くのか要領を得なかったが、ジョウは頭の中でスケジュール帖をめくり、時間をざっと計算した。 「そうだな、標準時間でだいたい1080時間ってとこだな」 「1080時間かぁ。1ヶ月半ってことよね。うーん、間に合うかしら?」 アルフィンは片手を顎にあてて、一人でぶつぶつと言った。 「なんのことだい?」 ジョウには何事かさっぱりわからない。痺れを切らしてジョウはアルフィンに訊いた。 「ちょっと耳を貸して」 アルフィンは子供の様に碧眼をキラキラさせて、ジョウに耳打ちした。 「どう?」 顔を離してアルフィンが訊いた。 にやり、とジョウが笑った。 「その話、のった」 「そうこなくっちゃ!」 ジョウとアルフィンの顔に少し意地の悪い笑みが浮かんでいた。
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