| 「え?」 ジョウは瞬きを重ねて、向かいにいるアルフィンを見つめた。人というのは、想像すらしない出来事に直面すると、つい言動を繰り返してしまう。だからジョウのこうした反応は、すでに3度目をカウントしていた。 「……だからあ」 アルフィンは頬を上気させ、伏し目がちになる。拳を顎に当て、身体はもじもじとしなをつくってみせた。 「……もうっ、ちゃんと理解してよ」 「つ、次こそする」 「その……できちゃったの。……赤ちゃんが」 最後の方が、ごにょごにょとまた小さくなる。しかし3度目にして、ジョウはようやくことを理解した。だが今度は、瞬きを忘れた。 「……あ、……赤ん坊?」 アルフィンはやっと、こくりと頭を縦に振る。たったそれだけを伝えるのに、5分も費やしていた。 「でね、ドクターがぜひ“お父さん”もご同席くださいって」 「お……、おと……?」 ジョウはすっかりパニックと、ひどい言語障害に陥ってしまった。 やぎ座宙域の第三惑星レスタンザ。依頼を受けての上陸なのだが、いまジョウとアルフィンは、宇宙港のメディカルセンターにいた。一旦診察を受けたところ、パートナーも同席ならばとアルフィンは診察室から中座させられた。 レスタンザに向かう4、5日前から、アルフィンの体調不良が顕著となった。微熱が続き、小ワープ1回でも嘔吐が止まらない。一人で歩けないほど衰弱した日もある。 ドンゴにメディカルチェックをさせたが、明確な回答が出されなかった。しかもアルフィンは薬も嫌がる始末。そこでレスタンザに着陸早々、女性専門のクリニックに出向いた。 実はアルフィンが薬を拒否したのは、何億分の1の“まさか”という予感があったため。それでも診断で充分に驚いた。となるとジョウにとっては青天の霹靂以外、何者でもない。 そして、ドンゴが妊娠をサーチできなかった理由は簡単。かつて男所帯だったクラッシャーチームに、妊娠というデータバンクは不要だった。 ひとまず、ようやくの告白を終えたアルフィンは、クロノメータに視線を落とす。ドクターをこれ以上待たせられないと判断し、ジョウの腕を取って診察室へと舞い戻った。
2人が入った診察室は、淡いピンクで統一された内装。女性の聖域というムード、どこか乳臭い空気に、ジョウはむせかえりそうになる。見渡せばやたらとカーテンが多く、向かいのデスクに就いた白衣の男性ドクターも、柔和な面立ちをしていた。 ところがそのドクターは。 入室したジョウの顔を見た途端、表情をみるみるうちに変貌させた。医者の立場を忘れる、というところか。見慣れた女性の秘部よりも、興奮している様子だった。 「これはこれは……。あなたでしたか」 すかさずスツールから立ち上がり、ジョウに握手を求める。レディスクリニックの儀式なのだろうか。ジョウは一瞬訝しみながらも、ドクターの勢いに併せて握手を交わしてしまう。 「どうぞ、お掛けください。いやあ、この仕事でクラッシャージョウにお会いできるとは」 そしてドクターは自らフィリップと名乗り、自己紹介までしてきた。しかしジョウには、大歓迎される理由はない。 「その……初対面のはずだが」 「やぎ座宙域ですよ、ここは。第二惑星ローデスでの事件を注目していた人間なら、あなた方の活躍は覚えていますよ」 ドクター・フィリップは、一瞬姿勢をデスクに向けると、カルテにうきうきとペンを走らせる。ジョウが遠目から覗き込むと、花まるマークが描かれた。VIP待遇のクランケという目印だが、そんなことをジョウが気づくはずもない。 ラダ・シンの一件。確かにローデスにとっては一大事件だった。ジョウ達のチームが、ローデスの歴史に名を刻み込んだことは理解できる。しかしながらその後、犯罪都市ククルが改善された訳でなく、リッキーのような浮浪児も相変わらずいるとも聞く。つまりジョウ達が、そこまで丁重に扱われる筋合いはなかった。 それに数年も前の出来事だ。ジョウはすでに24才。5年もあれば、風化されても充分な時が流れていた。 だが再びこちらに顔を向けたフィリップは、5年前が昨日のことのように蘇ったらしい。ジョウにとっては女性の秘密拠点で、栄光めいたものを聞かされるのは、ギャップが激しい。さらに居心地が悪くなっていた。
「まだ、ご結婚はされてないんですよね」 「ま……、まあ……」 「挙式をされるのでしたら、安定期に入ってからよろしいかと」 「あ、安定期?」 ジョウは、ただただ戸惑う。遙か先と思っていた事柄や、意味不明な単語を持ち出されて。顔色も、赤くなったり蒼くなったりと、信号機以上にせわしない。場所が場所なだけに、銀河系随一のクラッシャーも形無しである。 そんなジョウを横目に。スツールに並んで腰掛けたアルフィンは、フィリップに目配せする。ジョウではなく、自分に質問を向けてくれと。この場の状況を、最も冷静に見ていたのはアルフィンだった。興奮したドクターと、しどろもどろのパートナーでは話が進まない。 その視線を察したのか、フィリップはごほんと咳払いをする。口元に締まりを戻らせ、ようやく自分の立場を思い出したようだった。 「……えー、では。あなたの最終生理から計算すると、現在妊娠2ヶ月の状態ですね」 「2ヶ月……」 「すでに悪阻があるんでしたら、男の子の可能性が高いかと」 「男の子……」 「ただこの先、悪阻はより本格的になります。お仕事はどうされます?」 「……あ、あの」 フィリップの診断報告は、実にハイペースだった。だからアルフィンは、一旦会話のキャッチボールを区切る。なにせ母子手帳を受け取る前に、確認しておきたいことがあるからだ。それはとても訊きづらいことなのだが。しかし隣のジョウはどう見ても、頼りにならないと諦めた。
「……本当に、本当にあたし……妊娠してるんですよね?」 「ええ。今日のところはまだ、エコーでご覧にはなれませんが」 「おかしいわ……」 「どうかしましたか?」 アルフィンは一瞬口ごもる。しかも隣のジョウすらも、フィリップと同じような視線で探りを入れてくる。んもう、とアルフィンは胸の中でじれた。しかしこうなると、言葉にするしかない。 「あの……できる訳がないと思ってたんです。そのお……あたし達ちゃんと……」 また語尾がごにょごにょと濁った。しかしこれに関しては、フィリップの察しはよかった。 「ああ、避妊されていたんですね」 「……ええ」 アルフィンは両手で頬を包み込んだ。耳まで赤らめる。その勇気ある発言は功を奏し、ジョウはようやく我を取り戻した。そうだった、と表情にも出る。 「ちなみに、ピルですか?」 「いえ……その」 「ああ、彼にお任せの方」 「……はい」 「となると、防御率は97パーセントですからね。装着が巧くいかないと、3パーセントは妊娠する可能性があるんです」 「さ、3パーセント?」 ジョウは思わず声を上げた。 するとフィリップは、当の使用者に顔を向けてきた。 「何か不具合はありませんでしたか? 脱着したとか、違和感があったとか」 「う……。身に覚えは……ちょっと」 ジョウは口元に拳を当て、また狼狽えた。他人に、夜の営みをあけすけに話せる勇気はまだない。しかもジョウの場合は、本当に記憶になかった。なにせ常に無我夢中。同じ男ならば、訊くだけ野暮と勘づいて欲しいと。恨みがましい視線を返すだけだった。 「私としては、こうとしかお答えできませんが。……となると、今回のおめでたはお望みではなかったのですか?」 この質問に、今度はアルフィンがフィリップと同様の眼差しで、ジョウに探りを入れてきた。思わず身を引いてしまう。懸命に現況を整理するのが精一杯の男にとって、酷な視線だ。 「……どうなの? ジョウ」 一番大事な論点。アルフィンが最も知りたがっている答えでもあった。 本当は真っ先に問いかけたかったのだが、アルフィンは怖かった。その勇気を持てない代わりに、フィリップのきっかけを最大のチャンスとして生かそうとする。 そしてジョウは、膝の上に置いた拳を固く握りしめていた。2人の問題であるのに。決定権はいつの間にか、ジョウの手中にあるような空気。 そろそろと首を巡らせると、視界に碧眼が入った。不安とも、すがりともいった輝きを放っている。アルフィンが巡らせている想いが何なのか、ジョウにはそれだけで充分伝わったが。うまく言葉にできないかもしれない、と思っていた。 今のジョウにできることといえば、ただ。この碧眼と向き合う度に、胸いっぱいに満たされる感覚を、言葉に通訳するだけ。 2人の歴史にひとつの終止符を打つ事態。本当はもっと、名言とでも着飾ってみたかったのだが。 到底、無理だった。 「……嬉しいさ」 ジョウは小さく応えた。応えて、その顔を赤らめた。
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