| 夕刻になった。 恒星ジンの赤い光を反射して、ざぶりと湖から上がってきたリッキーが、手に植物を持っている。 背の高い水草だ。 ヘルメットを脱いで、その水草を見せた。
「なんか、繭みたいなのがついてんだよ。ほらここ」 「本当ね」 「水深の20メートル以上のところに、こいつがたくさん生えてて、で、この繭みたいなのがいっぱいついてる」 「そいつが、例のやつですかい」 「そうだ」 ジョウが答えた。 アルフィンはまたむっとする。なによ、「例のやつ」って。
「アルフィン」 「…なんでしょうか」 あからさまに怒っているアルフィンに、ジョウは言う。 「ザリスキが、深夜2時ごろ予測って言っただろ。深夜二時ごろに、ある現象が起こる。それをカメラに収める。それで今回の調査は終了だ」 「…分かったわよ」 何なのよ、あたしにばっかり隠しごとして。アルフィンはそれでも、リーダーの言に従うしかない。
燃えるような夕日を見送って、夜になった。 夜でも、調査は続く。生態調査、安全確保が終わって、待機している宇宙開発局の船に連絡を入れた。
ルイオンには、夜行性の、肉食の獣がいる。 宇宙開発局の職員が上陸する周辺にはトラップと柵を設置しているが、完全装備でカードだ。 夜が更けていく中、開発局の職員が専門的に調査を進め、ジョウ達はガードを続けた。 時折、ザリスキがアルフィンを見つめているのを、横からジョウは眺める。 ザリスキの意味深い視線を意に介さないアルフィンの凛とした横顔を、息をつめて見つめる。
美しく、強い、蒼い宝石。
きみは知っているだろうか。 きみのすべてを、俺が愛していることを。 月光のとまるその睫毛の瞬き一つまで、心の底から、愛していることを。
時が、満ちて行く。
もういいだろうか。俺も、きみも、大人になっただろうか。俺は、人を愛し、守るに足る男になっただろうか。
「そろそろです」 ザリスキの声が聞こえた。
「アルフィン、空を見ろ」
「?」
ルイオンの三つの衛星が、ゆっくりと、ゆっくりと、直列に並んでいく。
「うわあ…」
アルフィンは、その三つの眩い月の光を蒼い目に受けて、何度も瞬きをした。
輝く三つの、大きさの違う月が直列に並んだ時、巨大な眩い月が出来上がった。
「すごいわ…綺麗。秘密って、これ?」 アルフィンは、月よりも美しい顔で笑った。 ジョウはそれに、視線で答えた。 ジョウの視線は、湖に向かっている。
硫酸の湖に、巨大な月が丸く、揺らめいていた。
二つの月。
まるで幻想のようだった。
声も出せずに見つめるアルフィンのそばにジョウが来て、低く囁く。
「あと少しだ」 「…?」 「ほら、来た」 「…何が?…」
湖面の、揺らめく巨大な月から、ふわり、と光が舞い上がった。
「え…?」
見つめていると、舞い上がる光はふわりふわりと数を増した。水面に映る月の中から、妖精が生まれたのかと思うような。その妖精は、天の月に向かって、羽ばたいていく。
見る間に、湖の上は舞い上がる光で埋め尽くされた。 輝く鱗粉を撒き散らし、天の月へ向かう、かぐや姫。
「…蝶なのね…!」 「そうだ。あの繭が、衛星の直列で羽化するらしいという事での調査だった。他の惑星に似た例があった」
蝶も、自分も。時が満ちるのを待って、待って。
アルフィンは陶然と、蝶の舞を見つめている。 その彼女を、光に舞う蝶よりも、何よりも、美しいと思う。愛しいと思う。
ジョウは言った。はっきりと。
「これを、アルフィンに、見せたかった」 「…え?」 アルフィンがジョウの顔を見る。 「まさか、このために?」 「そう、これをアルフィンに見せるために」
アルフィンは言葉を失い、ジョウの腕にしがみついた。 幸せで目がくらみそうだった。 この想いを、心臓から取り出して、ジョウに見せたい、と思った。
「ジョウ…」 潤んでくる瞳で、ジョウを見あげた。
「アルフィンが笑って、喜んでくれることが最高のプレゼントだ」
見る間に、泣き笑いの蒼い瞳から真珠の涙がこぼれおちてきた。 その涙を、ジョウは唇で拭った。 苦しいほどに、愛しい人を、抱きしめる。
「ジョウ…」 抱擁の中でアルフィンが喘ぐように言った。 「…みんな、見てるわ」 「構やしない」 「ジョウったら」 「ザリスキに、見せてやれ」
蝶が、きらきらと天に昇っていく。 水月が揺らめいて、 二人は唇を重ねた。
時が満ちて、待って、待って、羽ばたく蝶のように。
FIN
|