| リビングの空気がややしんみりしたことなど、知るよしもないジョウ。
一旦自室に戻るのか、あるいはブリッジに直行か。だが足取りはどちらでもなく、まっすぐ食堂へと向けられた。 空圧が抜ける音がしてドアがスライドオープン。ダイニングの、いわゆるお誕生ポジションに座った後ろ姿を確認。 空間の一面にあるテレビモニタからは、情報系旅番組らしい映像が流れていた。 ちら、と横顔がジョウに向く。あら、と入室に気づきはしたが、手を止めることも立ち上がって出迎える様子もない。 積まれた銀のカトラリーの中から、一本抜いて丁寧にクロスを掛けていた。 「手伝おうか」 「ん、大丈夫。もう終わるわ」 出遅れたか、とジョウは苦笑。しかしアルフィンはそれを見ていない。
普段通りの歩幅で食堂に進入する。アルフィンの真後ろでジョウは立ち止まった。 つん、と人差し指でつむじの辺りを突く。なあに?という少しもったいぶった動きでアルフィンが天井に向いた。 そして2人はキス。 上下逆さま、シックスナイン・キス。さらにジョウから少しばかり踏み込んで深く味わう。逆さまのおかげで舌が正面同士ぴたりと合う。 やがて離れがたい表情を浮かべて、ジョウは屈めた姿勢を引き起こした。 「──誰にやるんだよ」 「え?なに?」 「大量のチョコレート」 あは、とアルフィンの笑顔が花開いた。 「誰から聞いたの?リッキー?」 「俺の分じゃないって、大騒ぎだったぜ」 「…欲しいの?甘いの苦手なくせに」 「アルフィンから貰えるんなら何だって」 そして再びキス。 今度のジョウは後ろから両腕で、アルフィンの肩周りを抱きすくめもした。それはそれは濃厚な味わい方で、低くて熱い息の塊が 2人の周りを対流する。 アルフィンの左手が、たたん、とジョウの左上腕を叩いた。息継ぎ兼ねて苦しげに見下ろす顔に 「ストップ。この先はだーめ。お仕事あるでしょ」 めっ、と碧眼で窘めるのだった。
「あのチョコは、次の次の仕事で配るの」 次は飛び込みでねじ込まれた仕事。その次は…とジョウが頭を中を巡らせて、ああ、と合点した。 「あげるのは施設の子供たちか」 「丁度バレンタインだし。少しばかりだけど、甘い愛のお裾分けね」 「しかし100人は下らないぜ」 「確かにちょっと大変だけど、愉しんでやってるわ。子供の味覚に合わせて普通のミルクがいいのか、マイルド? それともフルーツフレーバー?とかね」 「なるほど。かかりっきりになるはずだ」 しょうがない、と半分は納得、半分は諦め顔。
けれど本心としては── あーあと駄々っ子のような声色を滲ませて、ジョウはアルフィンをまたも背後からぎゅっと抱きしめる。 ところが行為はそれに終わらない。右手を少しだけ移動させ、赤いクラッシュジャケットの膨らみを鷲づかみした。いやあねえ、と アルフィンは軽く身じろぎするものの、どれだけ自分を持て余しているかが慮れるせいで、強く拒否しなかった。 「ほんとだ。育ってる」 最初の頃はジョウの右手に具合よく納まっていた。が、今は右手から少しこぼれ気味。愛されることを覚えた身体は、女性らしさを 盛らせていく。クラッシュジャケットが窮屈になる原因はここにあった。 「──? 本当ってどういう意味?」 首を回して訊いてくる。 「独り言」 「なによう、引っかかるわねえ」 男連中に太ったとか、やれ色気が出たとか、あれこれ噂でまさぐられていい気はしまい、と分かるジョウはしらばっくれる。 そして気を逸らすために、右手の握力を増していく。
「やばいな。止まらない」 「もう終わり。ね、離して」 「なんでこう中途半端なレストタイムなんだろうな」 「あたしも…ちょっと、切り替えに…困る」 「…うん。そうなんだけどさ」 腕の中でアルフィンがもじもじと萎縮する。このまま熱に溶けて消えてしまいそうだ。 頬から目の周りが紅に染まる。ふと思い立って金髪の一房を掻き分けると、火照った耳が覗いた。そのままジョウの指で毛束を耳にかけてやる。 「ね、ほんとにもうこれ以上は、お願い…」 「分かってる」 「仕事、ね、仕事あるから」 「離れがたい」 「ん…でもお」 嬉しい、と言わんばかりに、恥じらいをたっぷり含んだ表情で瞼を閉じる。しかしそんな顔を見せられてますます窮地に陥るジョウであった。
「なんかこう、やめなきゃなと思わせる方法…ないか?」 「たとえば?」 「そうだな…やめたらご褒美とか、お楽しみとか、要は交換条件」 「うん…と、じゃあジョウにもチョコレートを用意します。ちゃんと」 「チョコかあ」 「あらご不満?」 「インパクトが足りない」 「注文多いわねえ」 しょうのない人。普段が即断即決なだけに、こうも断ち切れない想いを露わにするジョウが逆に愛しい。ギャップに胸がときめく。 ようはいつまでもお互いいちゃいちゃしていたいのだ。 ジョウなど特に予定外にねじ込まれた仕事であるからして、一切合切放り出したい気満々。金に不自由もしてないしと、 クラッシャーのポリシーすら挫いたって構わないとさえ過ぎりもした。
「じゃあ…」 うん、と腕の中にいるアルフィンの後頭部に鼻先を埋める。金髪から漂う彼女の匂いを胸一杯吸い込みながら、やっぱりなあ、と ぼちぼち未練に決着を…そんな一応チームリーダーの責務を無理矢理引きずり出してみた。 「じゃあバレンタインには」 「には?」 「チョコレート仕立てのあたしを食べ、る?」 タロスがばっさり切り捨てたリッキーと同じ発想。しかし相手が違うとニュアンスがまるで変わる。ジョウは脳裏に、 口には決して出せないスイートな光景を思い浮かべて 「オッケイ」 とアルフィンの左頬にキス。そして後腐れなく彼女を解放した。
〈Fin〉
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