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■3917 / inTopicNo.1)  プリンセス・ムーン
  
□投稿者/ まぁじ -(2015/10/23(Fri) 01:05:17)
    「わあ、本当だわ」
    「あ。おい」


    客室のドアをジョウが開けるやいなや、サンドレス姿のアルフィンがするりと横を抜けた。
    短い通路の先はリビング。日中であれば窓辺よりマウンテンビューを望める。
    夜の帳に被われた今は、その迫力も魅力も半減していた。しかし彼女ははしゃぐ。目的はどうも、
    空、にあるらしい。


    「聞き耳立てて、正解」


    六枚窓のワイドな造り。へばりつくようにアルフィンは立っていた。遅れてリビングに戻ったジョウへ、
    振り返り様そう言った。
    彼女の客室は向かい側だ。フロントでオーシャンビューを推され、即乗った。男三人が入れる部屋は、
    同階だとここしかなかった。


    「やだあ、仕事?」
    「クライアントからの問い合わせ。さっき済んだ」


    ウッド調のテーブルに置かれた端末を、彼は閉じた。
    その流れで傍らにあったコーヒーカップを取り、一口含む。


    「ジョウも来て」
    「うん?」


    1枚の窓をアルフィンがスライドさせる。ひらりとバルコニーに出た。軽く両手を広げて深呼吸。


    「胸の奥まですうっとする。緑の香り。少し、濃いかしら?」
    「森と言うより樹海だしな」
    「麓までずっとね」
    「うん? やけに見通しいい。…光度が高いのか?」


    バルコニーに一歩踏み入れ、そのままひょいと扇ぐ。


    「プリンセス・ムーンですって、今夜」


    なんだって? と眉をひそめた。
    あれはどう見てもスーパームーン。時期、そしてテラとの距離からして間違いない。
    闇にぽっかり浮かぶ、風穴のような月。吸い込まれそうな美しさではあるが、ジョウの知る限り
    スーパームーンである。メルヘンな名称ではない。


    「ネイルの間、お隣の会話が聞こえちゃったの」
    「客は暇だもんな」
    「んもう! 有意義な時間ですっ」
    「へいへい」


    緩慢な動きで彼はバルコニーに立った。彼女は柵に手を掛け、顎を少し上げた角度で月に見入る。
    1人分空けて、その右隣に並んだ。


    「テラには昔、月夜を眺めて涙する姫君がいたんですって」
    「…ほお」
    「物語のラスト、故郷の月に帰っちゃうんだけど」
    「……」
    「その話を元に、輝きが増す月のことをプリンセス・ムーンと呼ぶようになったそうよ。ぴったりよね。
     スーパーをつけりゃいいってもんじゃないわ」
    「……、……」


    相槌に窮し、ジョウは右手で後頭部を掻く。


    「あたしの部屋だと見えなくて。今日着いて、さっき知って、今見られて…良かったあ。明日だと見え方、
     普通でしょ?」
    「まあな」
    「うふふ。ツイてる」


    柵から手を離し、軽い足取りで後退する。バルコニーの窓際には、シェル型の籐椅子が置かれていた。
    紺のギンガムチェックの裾を、ふうわり空気で膨らませて着座した。
    吐息をつき、バックレストに身を預ける。肘掛けに左右の腕を乗せて、また夜空を見上げた。


    「ねえ、ジョウ」


    声色がしっとり響く。返事の代わりに、身体を反転させた。バルコニーの柵に背で寄りかかる。


    「月を見るとき、なに考えてる?」
    「え?」
    「あたし以前は、綺麗ねえ、それだけだったの」
    「──? いいだろそれで」
    「ジョウも? 嘘?」
    「なんだその切り返し」
    「ううん。ただちょっと、意外だなあって」


    まん丸に見開いた碧眼を向けられて、気まずくなった。ジョウは人差し指で、鼻の下をすっと引く。


    「──図星」
    「え?」
    「月光越しに雲の流れを見て、ああ、明日は晴れだなとか」
    「やっぱり」


    ぷっ、とアルフィンが吹いた。ジョウもくっとつられた。


    「マルスと比べるのも興味深い」
    「そうね。あっちの衛星は二つで、動きも異なるし」
    「月が明るすぎると、星は全く駄目だしな」
    「とことん実用的ねえ」
    「実用?」
    「ぜんぜんロマンチックじゃない」
    「俺にそれを求めるな」


    唇をへの字に結び、ジョウはひょいと肩をそびやかす。


    「わかった。それじゃあ…」
    「?」
    「喉、渇いた」


    アルフィンはそれ以上語らなかった。小首を傾げて金髪をさらりと揺らすだけ。お願い。
    仕草から要望が伝わる。


    「アルコールは出さんぞ」


    大股でバルコニーを横切り、リビングに戻った。けち。アルフィンは念を送ったが遅い。例え届いても、
    シャットアウトは見えていたが。


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■3918 / inTopicNo.2)  プリンセス・ムーン〈2〉
□投稿者/ まぁじ -(2015/10/23(Fri) 01:13:53)
    「ほら」
    「あ、ずるーい」


    彼女が手渡されたのはグラス。淵にくし形のライムが引っかかり、微かに泡をくゆらせたライムジュースだ。
    かたやジョウの右手には、ぎゅっとライムをねじ込んだビアボトル。
    客室でセルフバーができる、なかなか気の利くホテルだった。

    アルフィンのクレームなど受け流し、左右対称の置かれた籐椅子にジョウも落ち着いた。履き古しのデニムに通した、
    長い脚をゆったり組む。

    頬を膨らませていたアルフィンだが、液体をちらりと舐めて機嫌が直る。好みの味だったらしい。
    ジョウの見立てがビンゴなのも嬉しかったのだろう。

    二人は距離をあけた場所で、思い思いに夜空を見上げた。
    無言。
    しかしプレッシャーにならない。心地よい沈黙だ。
    鬱蒼と茂る緑から、ちりちりと虫の音がする。星が見えない代わりに、空気を煌めかせてくれる音色だ。


    「──月って」


    鈴を鳴らしたような声が、波紋のように響いた。虫の音との美しいユニゾン。
    男の無骨な声で壊すのが憚れて、彼は姿勢だけ向けた。籐の繊維がぎしと鳴る。聞いてるよ。その気配が彼女にそっと届いた。


    「月って、太陽と違うわね」


    ジョウはボトルを一口煽った。そしてじっと聞き入る。


    「太陽は服を脱がせるでしょ? けど月は…なんだか、心を裸にするわね」


    詩人だな。しかし彼は言葉にしない。皮肉あるいは茶化しと受け取られ、場の腰を折るかもしれないからだ。

    聞き慣れた、元気で愛らしいソプラノがセンチメンタルに響く。吐息をもらし、やけに大人っぽい。しばし聞き入りたい。
    だからジョウは、唇を引き結んだ。


    「あの月がとっても綺麗なのは、姫君の、たくさんの涙で洗い流されたからよね。ん、きっとそう…」


    左の肘掛けにある突起に、彼女は触れた。シェル型のバックレスト脇から、小さなサイドテーブルが広がる。
    グラスを置くと両膝を立てて、抱え込んだ。


    「故郷の月に帰りたいと誰にも言えなかったから? 今の居場所に里心がついて、逆に帰りたくなくなったから? ネイル中、
     お隣の推理はそこまでだったけど。泣き続けるには他にも理由があったはず。それも、たくさん」


    ああそうか、とジョウは一人会得する。
    元王女の琴線が、おとぎ話と分かってもシンクロしたのだろう。
    珍しいことだった。王女の頃の内情をここまで吐露するのは。

    アルフィンに包み隠すものはない。〈ミネルバ〉の男たちはそう疑わなかった。だが彼は視界の端で、隣を伺いつつ思う。
    女心はやはり複雑。男は所詮、女に裏をかかれる生き物なのか、と。

    彼女が王女として何を感じ、どう考え、いかに折り合いをつけてきたか。涙する姫君へ思いを馳せつつ、自らの告白を
    重ねているようだ。なぜ今なのか。これも月夜のせいなのか。


    「…ガラモスのクーデターだけじゃないわ。ピザンだって、たくさんの内戦を繰り返してた。そこで真っ先に
     犠牲となるのは、弱い者。子どもとかお年寄りとか」


    膝頭を抱えた格好のまま、月から逸らした碧眼は、当てなくただ樹海を遠く見つめる。


    「女の人も、守るために武器を持ち、救うために危険の最前線へ繰り出していく。そして貧しい若者は、夢や
     希望などなく、明日の食べ物と寝床のためだけに自尊心も誇りも捨ててしまう」


    おでこから鼻筋、そして顎にかけてのライン。輪郭にあどけなさがまだ残る横顔。けれど語られる言葉はどれもこれも重い。
    吐けば吐くほど、軽く楽になれるとは言い難い。
    打ち切るきっかけがないのなら、代わってやれる術をジョウは持つ。しかしアルフィンの横顔は、ヘルプを求めていない。

    自分の意志で語っている。


    「お父さまがどれほど頑張られても、届かなくて。毎夜お母さまと捧げた祈りも、意味がなくて。ああ、なんて無力なんだろう、
     あたしたちって。ううん、なかでもあたしは特にそうだった。贅沢なドレスを身につけて、にっこり微笑んで、
     公務の先では形ばかりのご奉仕。それでも感謝されて、握手や撮影を求められる…」


    抱えていた両膝を解放した。両手は天に、両脚は柵に向けて、大きく伸びをした。しんみりしかけた空気を嫌ったのだろう。
    は、と息を吐く。そして今度は、リラックス気味に籐椅子へ座り直した。


    「王女の立場って、何も知らないお人形とは違うわ。執事や家庭教師が、内政情報を逐一教えてくれる。国民と直に関わる時、
     中身のない言葉や態度ではいけないから。でもね、取り乱してもいけないの。人々と心を通わせ、想いを預かり受けた時は特に。
     それがどんなに哀しくても、嬉しくても。許されるのは一日の終わり…一人になれてからやっと」


    そんな夜に寄り添ってくれたのが、月なのだろう。彼には、そう連想させる告白に聞こえた。


    アルフィンはグラスを再び手にする。くいっと一気に空にした。見事な飲みっぷり。
    アルコールでなくて正解、とジョウは脳裏に掠める。


    「なあんてね。以上、あたしなりの分析でした」


    拍手。顔の前でアルフィンは小さく叩いてみせた。
    その姿はあえて、おどけている風にも見える。

    続けてジョウもボトルを煽った。空いた。会話の切りに合わせてここで終わりにするか──それとも、もう1本開けるか。
    一瞬迷う。
    しかし考えるより先に、口走ってしまった。


    「分析にかこつけてないか」
    「え?」
    「どう聞いても、アルフィン自身の話だ」
    「……、どういう意味?」


    籐椅子から身を起こす。柳眉にわずかな剣が含まれていた。


    「そう構えるなよ」
    「……」
    「昔や故郷を恋しがる。何らおかしいことじゃない」
    「そんなこと言った? あたし」
    「強がらなくていい」
    「違うわ」


    すっくと立ち上がる。その弾みを殺さず、彼の前に歩み出た。


    「ジョウは、あたしがピザンに未練たらたらだと思ってる?」
    「ふるさとに、未練なんて言い方するなよ」
    「そうだけど、あたしはとっくに独立してるの」


    自分のふるさとに遠慮や引け目を感じなくていい。ジョウなりに、彼女への懐を示したつもりだった。しかし伝わっていない。
    ただ、逆撫でしたことははっきり分かった。


    「ねえ、あたしはいつまでそう扱われるの?」
    「扱い?」
    「元王女って肩書き、時々、辛いの」
    「……」
    「だって、ずぶの素人みたい。あたしはキャリアが浅いだけで、歴としたクラッシャーだもの」
    「分かってるさ」
    「分かってない。…もういい加減、大丈夫だと思ったのに」
    「…アルフィン?」
    「ただ昔話をするだけで、どうして、あたしは…っ」


    ジョウを見下ろし、下唇をきゅっと噛んだ。碧眼いっぱいに涙を溜めている訳ではない。けれど煌めきが増していく。悔しさか、怒りか。
    いや、違う。ジョウは思い当たった。
    彼女のプライドが瞳を輝かせる。


引用投稿 削除キー/
■3919 / inTopicNo.3)  プリンセス・ムーン〈3〉
□投稿者/ まぁじ -(2015/10/23(Fri) 01:28:28)

    「同じ密航者でも、リッキーは言われないわ」


    ぷい、と背を向ける。細い両腕が腰を抱くように巻かれた。
    射るように向けられた視線を解かれ、ジョウは籐椅子に浅く掛け直す。空のボトルは、ことんと床に置いた。


    「ド下手、オタンコナス、節穴、役立たず。タロスの罵倒はひどいものよ。だけど、ローデスあがりで浮浪児だから、
     所詮お前は…なんてニュアンス、あたしは聞いたことがない」


    言われて彼も記憶を掘り返す。
    さすがしばしこいな元かっぱらい。おこぼれに目ざといぜ。ちゃっかりしてやがる。タロスの数々の暴言は、リッキーの生い立ちを
    肯定している。おかげで少年の黒歴史に、後ろ暗さはない。

    皮肉なものだ。ジョウは、長い金髪が美しい後ろ姿を見つめる。
    輝かしい経歴は彼女を苦しめていた。心底分かってやれなかった。チームリーダーとして9年。クルーのどこを見てきたのか。
    自分はまだまだだと痛感した。

    彼は天を仰ぎ、アンバーの瞳を細める。月がまぶしい。
    胸にまっすぐ染み入る。心が照らされる。光が当たらないよう、わざと奥底へ隠したものに射し込む。
    ジョウも思い出していた。


    「──似てるな」
    「えっ…」


    ぱっとアルフィンが振り返る。
    前屈みに、両手を組む彼がいた。


    「結構似てるんだ、俺たち」


    口角をわずかに歪め、目線をちらと向ける。かすかに笑った。苦笑にも、自嘲にも見える。


    「似て、る? どこが」
    「どうしても王女がつきまとう、きみと。どうあがいても、クラッシャーダンの息子と言われちまう、俺と」
    「あ」


    アルフィンの右手が口元を覆う。


    「この稼業が、アラミスが、存続する限り俺はそこから逃れられない。親父が死んでも、創設者であり建国の父として君臨する。
     だから俺は生涯、親父の二番煎じで、七光りさ」
    「…ジョウ」


    柳眉が下がる。胸元で、降ろした右手をぎゅっと握っていた。

    彼も抗ったことがあるのだ。はなから自由になれない宿命に。成長するにつれ、有り難みより煩わしさが勝り、そこから生まれる葛藤。
    自分たちの境遇は似ている。
    2人の距離が、急速に縮まった。


    「まあ早くて一世紀後、か。ワープ機関が完成し、クラッシャーが人類の宇宙移民を定着させた。歴史なんてどうせ、そう要約されちまう。
     誰がいかになんて掘り下げは、マニアくらいだ」


    彼の言葉が沁みてくる。
    そうよね。アルフィンは1人噛みしめた。

    彼女の不満は、クラッシャーであり続ければ解消される。16歳での転身、つまり30代半ばにしてクラッシャーアルフィンは、
    王女アルフィンでいた年数を越える。
    しかしジョウはそうはいかない。

    才能と素質に恵まれ、好きでやっている仕事だが、クラッシュジャケットを着ている限り、ダンの存在も背負い続ける。
    過去がそうであったように、未来もそうだ。どこにも逃げ口はない。

    相当にきつい。アルフィンは察した。

    親父とは違う。親父など越えてやる。ジョウの思春期はひたすらがむしゃらだった。史上最年少記録を、いくつ立てたか分からない。
    それでも評価は異口同音。やはりダンの息子だ。クラッシャー界のサラブレッドだ、と。

    やがて阿保らしくなった。ダンへの闘争心も下火になる。しかし抵抗感は蟠りとなり残った。
    実際、活躍的に彼はダンにそれほど劣らない。なかでもクリスの事件以降、この種の仕事はパイオニア扱いだ。天賦の才と経験を、
    10代の若々しさが強く後押しする。

    しかしどうしてもダンとの差は埋まらない。
    絶対的な差とは──カリスマ性だ。

    この偉大すぎる呪縛が緩むのに、最低、一世紀は要するとジョウは覚悟する。予測は、大袈裟でも大雑把でもない。かなり妥当だ。

    アルフィンは全身の力がふうと抜けた。己の悩みがひどくちっぽけに思えて。彼が抱えるものと比すれば、かなわない。比べられない。
    彼女はそう悟った。


    「一世紀…。あたしたち、元気かしら?」
    「もし俺にガキがいりゃ、三代目にしてやっと、純粋に実力を評価されるんじゃないか?」


    ジョウはくっと笑う。自分に子ども。つい口走ったが、ぴんとこない。


    「まあ別に、親父の血筋にこだわる必要はないのさ。リッキーやルー、誰が代名詞になっても構やしない。クラッシャーが相も変わらず、
     銀河狭しと飛び回ってりゃ。俺は、そのルーツの一石として全うするさ」
    「じゃあ…あたしは?」
    「うん?」
    「あたしが、クラッシャーの顔になってもいいの?」
    「当然」


    彼は笑顔だった。アルフィンも微笑み返す。
    愛らしい面立ちからはもう、刺々しさは抜けていた。

    まばゆい月光と宝玉のような瞳によって、炙り出されたジョウの古い記憶。奥底に閉じ込めていた感情。思いがけず引き出されたら、
    いい具合に熟(こな)れていた。

    拍子抜けするほど穏やかなことに気づかされる。諦めや投げやり、それとは逆の、触発やムキになる感情もなかった。
    ダンからあからさまに、ひよっこ扱いされたら分からないが。

    意外なほど、二代目や七光りな扱いを客観視していた。
    寛容だった。

    絶対に変わらない、なくならない。そうした絶望的な感情にも、落としどころはあった。ダンを超える以外、解消しない。
    そう疑わなかったことすら、気づけば落ち着くところに居た。

    きっと彼女もこの先、宿命に対し納得のいく結論を出せるだろう。焦らなくていい。煮詰まり、行き詰まったら、一旦切り離してもいい。
    それに間違いはないと、今ジョウには自信がさざめく。

    だからもう、一連の話は打ち切るととジャッジした。


    「ただ、あれだな」
    「あれ…?」
    「タロスの後継は諦めよう。結婚や子育ては、もう冷や水だぜ?」


    ぽかんと間が空いた。互いを見つめる。
    わずか2秒。


    「ひっどいそれ」
    「はははは」


    どっと笑った。
    アルフィンは腹を抱えた。ジョウは破顔した。若い二人のやりとりを、月は明るく照らしている。


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■3920 / inTopicNo.4)  プリンセス・ムーン〈4〉
□投稿者/ まぁじ -(2015/10/23(Fri) 01:45:46)
    ひとしきり笑い転げて、喉が渇いた。
    今度はアルフィンがリビングへ引っ込み、すぐさまバルコニーに戻る。気分的に乾杯したい。セルフバーで冷えていた
    カクテルボトルを、二本手にする。

    こっそりスクリューキャップを開けた。一口だけ先に失敬する。しょうがないな、と彼に一本だけ許可させるためだ。

    彼は背中で柵に寄りかかり、月を見ていた。
    さっきより移動している。高いところに。


    「すげえな。あの高度で、地平線と変わらないサイズに見える」
    「もっと低い時間帯…日没だと、大きさどれくらいだったかしら」
    「目の錯覚とはいえ、気になるな」
    「次回のプリンセス・ムーンで確かめたくなあい?」
    「そいつは仕事次第」
    「んもう、それは承知の上でのリクエスト。いいぞ、くらい言って欲しいのに。希望もないわ」


    彼女の頬が、ぷうと膨らむ。
    ストレートな反応が可愛い、とでも言いたげに、彼の目尻がわずかに下がる。ややあって、その口を開いた。


    「いいのか? 希望で」
    「だって、今回みたいにアラミスのご指名がきたらお手上げ。そこは分かってるわ。このところ増えてるし…だからこそ
     希望くらい持ちたいの」
    「二週間の休暇予定が一泊二日に大幅カット。そうなんだよな、本部も麻痺してやがる。名誉であるはずの指名が、
     ありがた迷惑だ」
    「過度な期待はしません。でもジョウ、ちょっとくらい、ねえ」


    ねだるように、甘いまなざしを向ける。


    「──アルフィン。本部からの無茶ぶり、リストアップしとけよ」
    「え?」
    「高いもんにつくってこと、思い出させてやる」
    「え…もしかして。次のプリンセス・ムーン…に?」
    「一方的に仕事ふってみやがれ。たっぷり利子つけて突っ返してやる」
    「……」
    「仕置きだ」


    彼が決めたら、必ずやる。

    アルフィンは見開いた碧眼を、嬉しそうに細めた。感極まったまま、わっと駆け出す。勢いのまま彼の胸に飛び込んだ。
    ジョウはたじろぎながらも、いつもの反射として受け止める。


    「ありがとう! ジョウ!」
    「は、早まるな」


    アルフィンは彼の上体に両腕をまわす。しゃにむに抱きつく。モスグリーンのヘンリーネックシャツ、その右肩に頬を押しつけた。
    回りくどい優しさ。しかしスマートに約束されたら、かえって嘘くさく感じてしまう。照れ屋な彼らしいやり方。
    満足だった。

    彼の背中に回した両手には、各々ボトルが握られている。もどかしい。広く、頼もしく、鋼の身体をしっかり掴みたいのにできない。
    ん、とアルフィンは身体を寄せて、より細腕に力を込めた。密着させた。

    かたやジョウの両手は、どこに置いてよいやら迷う。不格好なまでに宙に浮く。精悍な顔が、瞬く間に上気していった。
    ──まずい。
    アルフィンがはしゃぐ度に、彼は追い詰められていく。おそらく無意識の行動だろう。余計にたちが悪い。

    む、胸が…。ジョウは肌がじんわり汗ばむのを自覚した。若さがみっちり詰まった、二つの、まあるい感触。
    クラッシュジャケットを着用していないのに、着ている感覚で抱きつかれてはたまったものではない。

    弾むような肉感が、鍛え抜かれた胸板を圧迫する。動くな、頼むから。言葉で彼女を制御したいが、うっかり妙な声や息を
    吐いてしまいそうで出来ない。
    離れるまで耐えるしかないのか。
    彼は奥歯をぐっと噛んだ。


    「嬉しすぎて、めまい起こしそう」


    笑い飛ばすはずが、こわばる。まずい…駄目だ。艶めかしい拷問に、辛くなってきた。
    しかしここが踏ん張り所でもある。

    肩を剥き出しにしたサンドレス姿。17歳の肌はぴんと張り、月光を吸い寄せたように、蒼白く透き通って見える。
    肩から指先、鎖骨から流れる曲線、腰から下の爪先まで。彼女の全身は、柔く清いこの肌で被われていると考えただけで身震いする。
    男の性がほとほと恨めしい。

    おまけに、幸か? 不幸か? あの2人がいない。
    久方にテラへ降りたタロスは、懐かしの地へ向かったようだ。リッキーは行方知れず、いや、自由行動で思い切り羽を伸ばしている。

    今宵ホテルに帰って来るのか確認しなかった。こんな甘い誘惑に絡まれると予測できたなら、対応は違っていた。
    這ってでも帰って来い。リッキーにだけでも釘を打てた。

    金髪から放たれる彼女の匂い。シャンプーのような合成的なものではない。アルフィンそのものの匂いだ。男の鼻腔を容赦なくくすぐる。
    酔わされる。
    頭の中が、理性の芯が、とろとろにおかしくなっていくのが分かる。

    ジョウの首筋に触れる、頬の感触。つまり唇まで数センチ。何かの拍子でタッチもありえる。そんなアクシデントを脳裏にほのめかせ、
    彼は眉間に一本、深い皺を刻んだ。
    健全な肉体と精神を弄ばれているようで、苦しい。

    彼女に引きずられない、取り込まれてはいけない、まだ今は。抱きつかれながら彼は天を仰いだ。
    月光が全身に降り注ぐ。
    この場でもっとも遠ざけねばならない人狼伝説を思い出してしまった。月夜の晩、狼へと豹変する男のストーリー。
    ここにも一人、危うい男がいる。

    この先を、本能のままに突き進む。アルフィンの好反応をみていれば、秘密の奥底まで踏み込んでも良さそうではある。


    「……、……」


    そう思い巡らせただけで、ジョウの肌は粟立った。心拍も急上昇。さっきまで汗ばんでいた両手が冷たい。全身の血が
    腰一帯に集中したせいだ。彼女に身を寄せられたままで、発情をどう抑え込めばいいか……頭が回らない。


    「…変」


    彼の真下から、碧眼がひょっこり向いた。ジョウは反射的に見下ろす。互いの鼻先が触れるまで十数センチ。
    越えるか否かの一線が、眼前にある。頭をあと少しもたげれば、味わえる距離だ。

    が、しかし。


    「やだ、もう、どうしちゃったのよ」
    「──え…っ?」
    「ジョウ、すっごくどきどきしてる。具合でも悪い?」
    「いや、ちが…」


    気恥ずかしくて、逃げ出したい。いっそ消えたい、この拘束を即座に解除して。ジョウの考えはそこ一点に向けられる。


    「──ア、アルフィン」
    「なあに?」
    「さっきから、その、あ…当たって、る、んだが…」


    きみの胸が…とまで明確には言えなかった。が、直後に悔やむ。馬鹿正直にもほどがある。
    情けない切り出し方だった。

    しかしその後悔は杞憂に終わる。


    「ごめん。痛かったのね、これが」
    「──う?」
    「はい。もうぬるいかもしれないけど」
    「──??」


    右手に渡されたボトル。ラベルからカクテルと分かった。

    ジョウの脳内はとっ散らかったままだ。即、対応できない。ただ、ただ、固まる。

    するとサンドレスの裾を揺らして、アルフィンはくるりと半回転。彼から離れた。右隣に並ぶと、同じように背を柵にもたれる。
    ふふふ、と悪戯っぽい目つきでジョウを見上げ、悠々とした手つきでスクリューキャップを開けた。


    「月にカンパイ」


    小指をぴんと立てて、アルフィンはくうっとボトルを傾けた。

    彼の動揺も、邪心も、悶絶も、落胆も、まるで伝わっていない様子。はあ、と肩でひと息つく。良かったのか、悪かったのか…いや、
    これで良かったのだ。彼女の全身から、ご機嫌なオーラが放たれている。
    口約束でしかないのに、こんなにも喜ぶ純粋さが彼には眩しかった。

    欲情に濡れた目をこれ以上向けては駄目だ。ジョウはくるりと身体を翻し、柵を前に寄りかかる。山麓まで、ずっとずっと遠くまで
    つながっている、黒い海原のような樹海を眺めた。

    男として満たされないことが、彼女の身を守るという矛盾。幸福や快感を同時に感じ得る日は訪れるのか。
    あの樹海のように道筋は見えてこない。


    「取り替えてこようか」
    「うん?」
    「冷えてないカクテルって、がっかりでしょ?」
    「いや、これでいい」


    なかなか飲まないジョウを、彼女は気にかける。無邪気に男を翻弄しているとは、露程も分かっていない顔。
    体つきだけが大人なのだ。女として乱れる姿と、あどけない目の前の姿とがダブらない。

    ジョウはキャップを開けた。ぐびりと喉仏を上下させる。甘さとほろ苦さが、もやっと生温かい。
    ぼんやり誤魔化された、自分の心境にぴったりくる。

    とんだ夜だな。
    ジョウのぼやきを、スーパームーンは黙って照らし続けた。



    〈FIN〉

fin.
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