| 酒場にはドラマがある。 人生の縮図。そして交差点。
そんなことを言ったのは誰だったか。
人を待ちながら、ふとそんなことを思った。
左腕に目をやると、アナログの時計が、約束の時間になったことを知らせてくれた。
それから待つこと15分。
チリン、と微かに鈴の音がした。
本当に僅かな響きだったが、俺の耳は運良くそれをキャッチした。 ゆっくり首を巡らすと、入り口にファー付の黒いコートを着た人物が、誰かを探すかのように視線を彷徨わせている。
フォルムを確認した俺は、軽く手を挙げた。 向こうはすぐに気づき、毛足の長い絨毯を、優雅な猫のように渡ってやってきた。
「遅刻だぜ」 「ごめんなさい」
近づいてきたボーイにコートを脱がせて貰う仕草に、少しばかりもやもやした感覚を抱いた。・・・嫉妬?
そんな・・・まさか。 これだけのことに。
いや、でも・・・。 そうかもしれない。
「・・・ねぇ、怒ってるの?」 「・・・いや。別に・・・違う。何でもないよ」
心細そうに揺れる碧い瞳を見返してから、俺はバーテンダーに合図を送った。
「はい。何になさいますか?」 「・・・ジン・トニックを。アルフィンは?」 「私には、キール・ロワイヤルを」 「かしこまりました」
遠くから、ゆったりとしたジャズ・サウンドが聞こえてくる。 人の入りは決して少なくはないのだが、照明を落とした空間は、驚くほどに広く感じられた。そんな中に、淡く、照らしだされるように浮かび上がる白い服。
「・・・ワンピースか。それにその髪。なんだか別人みたいだ」 「これ、ベースは純白なんだけど、ラメが入っているの。ね、ライトが当たるとキラキラ光って綺麗でしょう?それから髪はアップにした方がいいって言われて・・・このお洋服を買ったお店の中に、提携しているヘアサロンがあったから、ついでにそこでやってもらったの」 「そうか」
たわいない会話も、俺の気のきかない相槌で途切れてしまった。
しかし、絶妙のタイミングで、バーテンダーはグラスを二つ、俺たちの前に差し出してきた。そして会釈をしてから、気を利かせるように場を離れる。
「・・・嫌?気に入らない?」 「そんなことはない。綺麗・・・だ」
まだアルコールを入れていないはずの頬が、急速に熱を帯びる。 それはアルフィンも同じことのようだった。
「・・・飲まない?」 「ああ、そうだな。・・・乾杯」 「・・・乾杯」
グラスを持つ手を軽く挙げる。 小気味よい音のない代わりに、そこにはアルフィンの笑顔があった。 闇の中に柔らかく浮かぶ、天使のように清らかな笑顔。
こうして近くで見ると、改めてアルフィンの美しさにドキリとさせられる。 ましてや今日のアルフィンは、いつもよりぐっと大人っぽい雰囲気を醸し出している。
(参ったな)
一人、胸の内で呟く。 酒を一口含んだというのに、緊張が収まらない。 これからもっと。 大事なことが控えているというのに。
「・・・なんだか変よ、今日のジョウ」 「どこが?」 「・・・そう言われるとよくわからないけれど、でも、なんだかいつもと違うわ」
キッパリとそう言った。
相変わらず、彼女の観察眼は鋭い。 探るような二つの瞳が、俺を上目遣いに捉えている。
「探偵ごっこはやめておいてくれよ」 「あら、何よそれ」
ほんの少しだけ雰囲気が尖る。 だが、アルフィンはまた、すぐに幸せそうな笑みを浮かべた。
このアペリティフ大好きなのよね。
そう呟きながら、手をグラスにすっと伸ばす。 どうやら、酒の魔法、というやつに俺は救われたらしい。
彼女のチェリー色の柔らかい唇がグラスの端を捉え、ごく、と小さな小さな音と共に、ガーネット色の液体を静かに飲み込んで行く。
それは映画のワンシーンのように、優美で美しい所作だった。
だが。 いつまでも見とれているわけにはいかない。
「・・・誕生石・・・だったよな。確か。1月の。」 「え?」 「ガーネットって。その飲み物の色と同じ宝石。」
アルフィンの動きが止まる。 やがてなんとも言えない表情になる。
「・・・やだわ、ジョウったら。いきなり何を言うかと思ったら」 「俺、変なことでも言ったか?」 「おかしいわよ。ジョウが急に宝石の話をするなんて。びっくりするじゃない。」
そう言って、くすくすと笑う。
「でも・・・すごく、嬉しい。誕生日のこと覚えていてくれて。」
アルフィンはありがとう、というと、腕にそっと寄り添ってきた。 クラッシュジャケットを着ていないせいで、彼女の頬の火照りが、衣類越しに伝わってくる。
俺は、覚悟を決めて、言葉を繋いだ。
「驚くのは、まだ早いぜ」 「え?」 「君の誕生日を覚えているだけじゃなくて、プレゼントも用意したんだ」
そう言いながらスーツの内ポケットに入れた指が、ほんの少し、震えた気がした。
「あけてみて」
小箱を渡してはみたものの、正視できず、顔を逸らす。 やがて、かさかさと包装を解く音に、感嘆の溜息が続いた。
「ジョウ、これって」
手を下ろしたアルフィンの声は、掠れている。
「貰っちゃっていいの?ねえ・・・知ってる?指輪って、女の子にとっては大事な・・・大事な意味があるのよ?私・・・誤解してしまう」 「男にだって特別な意味があるんだってアルフィンは知らないのか?大きな誕生石を贈る時は尚更・・・ね」
言ってしまってから、一気に残りのカクテルをあおる。 だが、液体を流し込んだというのに、俺の喉はカラカラのままだった。
緊張しているのか、俺。 宇宙海賊相手にドンパチやってる方が、ずっと楽な気分だ。
だが。 男にはやらなければいけない時がある。 超えなければいけないbarがある。
今、その時をこうして、迎えただけだ。
あとは・・・彼女次第。
「・・・て」
不意に、声がした。 いつの間に俯いていたのか。 慌てて顔を上げると、アルフィンの細い指が至近距離にあった。
「つけて?どの指にしたらいいのか、自信ないわ」
察しが悪いのか。わざとなのか。 それとも俺が今までさんざん待たせすぎてしまったから、こうなると却ってピンと来ないのか。
おそらく後者だろうが、彼女は本当に恐る恐る言葉を紡いでいた。
その不安気な表情に、彼女へのいとおしさが改めて湧きあがってくる。
「勿論、ここさ。他に、どこがあるかい?」
左手の薬指。 俺の為の。俺だけの、特等席。永遠に。
酒場には確かにドラマがある。 人生の縮図。そして交差点。
・・・そう。 俺たちの新しいドラマも、今日、ここから始まる。
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