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■425 / inTopicNo.1)  タイム
  
□投稿者/ まぁじ -(2003/01/21(Tue) 16:32:17)

    <まえがき>
    アルフィンのBDSSです。
    とはいえ、展開的にどうかなぁ、と思う点もチラホラありますが。
    暇つぶし程度に、大目にみていただければと。
    では、よろしければ、おつき合いをば。
    *************************************************************


     副操縦席に就き、ジョウは各種計器のチェックをする。ひと仕事を終え、<ミネルバ>に異常がないかの点検だ。明日から1週間の休暇にはいる。万一、不良箇所があった場合は、休暇の合間に修理にまわす。これも仕事後のルーティンワークだった。
    「なあ兄貴、このスペアってあるかい?」
     リッキーが歩み寄ってきた。ぬっ、とジョウの目の前に左腕を突き出す。チタニウム繊維の手袋の、折り返し部分を伸ばした。
     クロノメータが止まっている。デジタル数字は、スタンプのように動きもしない。
    「パーツは俺もないな」
    「そっか」
     腕を戻すと、リッキーはぶんぶん振り回す。
     再び目を落としてみても、カウンターは瞬きすらしない。
    「明日、街で買ってくるしかないか」
    「ついでだ。人数分揃えておけよ」
    「りょーかい」
     すると主操縦席から、タロスが身を乗り出す。
    「腹がへりましたなあ」
     ジョウは自分のクロノメータを、惑星時間にセットし直した。
    「トラクレア時間だと、夜の11時か」
    「あっしの腹時計でいやあ、夜の7時ってとこですかね」
     銀河標準時間のことを言っている。タロスはクロノメータを見て、指をぱちんと鳴らした。ビンゴだった。そのついでに、惑星時間にセットし直す。
    「外に行くか」
     ジョウはコンソールにある、インターカムのボタンを弾く。数回コールすると、カーゴルームで備品チェックをしているアルフィンが出た。
    「なあに?」
    「飯に出るぞ」
    「はあい」
     やけに返事がいい。
     スピーカーからまっすぐ声が突き抜ける。そして通信は短く切れた。
    「さてと、何にすっかなあ……」
     リッキーは腕を頭の後ろで組み、舌なめずりする。
     16才になっても、子供っぽい仕草はまだまだ抜けない。
    「俺ら、肉がいいなあ」
    「またか。馬鹿の一つ覚えみてえに」
     タロスは片頬をぴくりと上げた。
    「地物を食う文化がねえのか。てめえには」
    「うっせいや! 育ち盛りなんでい」
    「欠食児童が」
    「あんだとお!」
     リッキーはくるりと体勢を背後の巨漢に向ける。拳を握って、ぐっと胸の前に構えた。一方タロスは、両手を交互にばきばきと鳴らす。空腹は簡単に人を苛立たせるものだ。
     同時に、空腹には小さないさかいすら堪える。ジョウがすっくと立ち上がった。
    「さっさと行くぞ!」
     ジョウはがなった。
     シートから抜け出し、リッキーの背を乱暴にひと突きする。小さな身体が、ととと、とつんのめりながらジョウの前を歩いた。決着はお預けにされた。
     なにせこれ以上悶着を起こしたら、ジョウのさらなる逆鱗に触れる。
    「街なら、2人の希望に添う店くらいあるだろ」
     いつもならば、遅い時間は宇宙港内で食事を済ませる。しかし明日からは休暇だ。少しくらい足を伸ばしてもいいだろうと。
     この日の食事はジョウにとって、その程度の感覚だった。

     4人のクラッシャーは、エアカーのタクシーで近場の繁華街に繰り出した。
    「あのビルの5階ですぜ。電飾にミーティスって店名があるでしょ」
     運転手は道路脇にタクシーを止めると、向かい合わせにしつらえた後部シートに身を捻った。一度教わった店名を、丁寧に指先でも指し示す。街のことはタクシーの運転手に訊く方が手っ取り早い。
     リッキーの肉と、タロスの地物という、両方のオーダーを叶えてくれる店のことだ。
    「ちょいと小洒落てますが、気楽でいい店ときている」
    「試してみるさ」
     ジョウはクラッシュジャケットの胸ポケットから、キャッシュを抜いた。釣りはチップとして、運転手に断る。4人はタクシーを後にする。
    「うふふ」
     先に降りたアルフィンが、振り向きざまにジョウに微笑む。軽くスキップして戻り、するりとジョウの腕に両手をからめた。
    「どう小洒落てるのかしら。楽しみね」
     思わぬ所で、アルフィンの希望にも適ったようだ。
    「そうだな」
     ジョウは相槌を打った。妙にはしゃいでいるなとは思ったものの。単に、それだけ腹を空かせているのか、としか思わなかった。
     4人はエレベータで5階に上がる。両扉が開くと、重厚そうな彫刻を施したドアが目に入る。ジョウが先にドアを開けると、白シャツに黒のベストを重ねたウエイターが出迎えた。
    「ご予約で?」
    「いや」
    「かしこまりました。どうぞ、こちらへ」
     突発の客でも断らないあたり、サービスの良さが伺える。ウエイターの身なりから、一瞬高級レストランの類かと思ったが、そうではなかった。
     だだっぴろい空間に、少し光度を落とした照明。ゆったりと一定の間隔をあけて、円卓がジグザグにレイアウトされている。古びた調度品に囲まれた店だった。
     暖炉やクラシカルな古時計、壁には味わいのある土色の絵皿が掛けてある。テラの片田舎のヨーロッパにありがちな、家庭的な雰囲気を思わせた。
     耳障りではない、民謡調のメロディ。室内の隅にいた、コンチェルトによる生演奏だった。
     ウエイターは、円卓の真ん中に置かれたランプに火を入れる。電気や発光パネルとは違い、温度をにじませる明かり。見渡すと他の円卓の明かりと伴って、ささやかなイルミネーションにさえ見える。
     ジョウとアルフィン、タロスとリッキーが、並んで着席した。
    「お任せってのはどうですかい」
     タロスは店の雰囲気から、料理に期待できると踏んだ。ジョウもアルフィンも異存はない。リッキーだけは、肉を忘れないようにと、ウエイターにしつこく注文した。
     しばらくして。
     アペリティフが運ばれた。華奢なシャンパングラスが来るかと思いきや。やや厚ぼったく、ひとつひとつ手で成形したようなグラス。中身は、香りから果実酒だ。
     運転手の言っていた、いい店という意味。気取りなく酒と料理をゆっくり楽しめそうなもてなしからスタートした。平和と安らぎに満たされた時間で、腹だけでなく胸までも、いっぱいになりそうな予感。ひと仕事を終えたクラッシャーとって、うってつけの店と思われた。


引用投稿 削除キー/
■429 / inTopicNo.2)  Re[1]: タイム
□投稿者/ まぁじ -(2003/01/25(Sat) 11:43:26)

     仕事中の食事は、とにかく早い。体力を維持するエネルギー源であればいいからだ。その分、休暇の時は時間をかける。盛りつけも味つけも、シェフの心づかいが効いた皿が次々と運ばれた。1時間もすると、空腹は充分に満たされる。
     ジョウとタロスは、トラクレアの地酒が回りはじめ、ほろ酔い状態だった。
    「自由行動は、明日、残りのチェックを済ませてからだな」
    「南半球のビーチに出向きますかい?」
    「トラクレアのビーチエリアは、あまり開発が進んでないらしいが」
    「手つかずの自然ってやつですぜ」
     つまり、泳ぐか、ごろ寝するか。おのずと行動が制限されてくる。
     ジョウは隣に顔を向けた。
    「買い物するなら、ここがベストなんだけどな」
     アルフィンとショッピングは切り離せない。ずっと前の休暇で、ショッピングモールがまったくなく、アルフィンがフラストレーションをためたことがあった。
     おかげでジョウは、セスナを一機チャーターしてまで、そのわがままに応える羽目となる。手痛い経験によって、学習したことだ。
    「……うん」
     ジョウの問いかけに、どこか浮かない返事がかえってくる。アルフィンの表情が曇り気味だ。さっきまでのはしゃぎようとは、180度違っていた。
    「どうした」
    「なんでもないわ」
     とはいえ、言葉とはうらはらな表情。ジョウが探りを入れようとした時に。ふっと、店内の照明がさらに一段落ちた。
     コンチェルトのメロディが変わる。するとドリンクカウンターの脇から、ウエイターやウエイトレスが一列を成して現れた。全員の手にはキャンドルが1本ずつ。そして最後尾にいるシェフは、大事そうな手つきでホールケーキを運んでいく。
    「あ、サプライズか」
     ジョウの前に就くリッキーが、行列の行き先を見定めて言った。2卓向こうのテーブルが、スタッフで囲まれる。すると、コンチェルトのメロディに合わせて、合唱が重なった。女性客の一人が、両手を口元に当て、驚きと恥じらいを混ぜたような笑みを、目元に浮かべていた。
    「馬鹿騒ぎより、厳かでいいですな」
     背景を眺めたあと、タロスは再び円卓に向き直す。ジョウの視線の先で起こっていることは、誕生日のサプライズだった。こういう演出は、つい派手にこりがちである。ポップミュージックに合わせて、ケーキに花火を何本も刺して。わあ、という雰囲気で驚かしにかかる。
     この店の演出は、誕生という神秘に感謝し、両手を組みたくなるものだった。教会で祈りを捧げるように、喜びを静かに噛みしめながら。ひしひしとしたものが、傍観者にも伝わってくる。
     赤の他人に対しても、おめでとう、と。自然に呟きをつむぎ出させる、うまいやり方だった。
    「───ちょっと失礼するわ」
     ジョウが光景に気を取られている横で、アルフィンがすっと立ち上がる。足音もなくドリンクカウンターの脇に姿を消した。ナプキンはチェアに置かれている。化粧室に中座、という素振りだった。
     そして一通りサプライズの光景を見終えたリッキーが、姿勢を戻す。
    「きっとあれでさ、あの女の人を墜とそうってんだな」
     サプライズを受けた円卓は、カップルだった。リッキーは子供のくせに、いや、子供だから観察力が鋭いのか。カップルの関係の深さを察した物言いだ。
    「当てずっぽうだろ」
     ジョウはグラスを傾けながら、やや咎めた口調を返す。
    「わかってないな、兄貴は。狙ってる空気がびんびんするぜ」
    「ほお。ちったあその目ざとさを、仕事に生かしやがれってんだ」
     ぐびりとグラスを空にしてから、タロスもつっかかる。
    「それとこれとは別だい。年寄りの言うことばっか聞いてたら、俺らの青春も枯れちまう」
    「ねえちゃんの一人もくどけねえってのに、口先ばかりだ」
    「けっ! 今にみてろよ」
     リッキーは啖呵を切った。
     とはいえ、さすがにこの店の雰囲気を2人は重々に察している。ひと悶着にまでは発展しない。巨漢と少年のレクリエーションは尻つぼみした。

    「───いかがですか」
     クラッシャーを案内したウエイターが、バスケットを手にして近づいた。バスケットの中には、きんちゃく型の小さなクッキーが入っている。
    「あちらのお客さまのお祝いを、皆さまと分かち合うフォーチュン・クッキーです」
    「俺ら、もらうぜ」
     挙手したリッキーの背後に、ウエイターが回る。どんぐり眼で、じっと中身を見定めてから、1つをつまみ出した。齧歯類を思わせる2本の前歯で、かりっと割る。
     鋭い観察力は、透視能力にも代わるのか。リッキーが選んだクッキーには、占いメッセージではなく、プレゼントと文字が書かれた紙が入っていた。
     ウエイターが奥に目配せすると、ウエイトレスが包みを持ってくる。したり顔のリッキーに、手渡された。リボンをすぐにほどき、音を立てて包装紙を剥く。長方形のビロード地のケースには、アナログ時計が横たわっていた。
    「スウェス製のラバンブーじゃねえか」
     横目で睨み付けるようにして、タロスは呻り声を上げる。
     高級クオーツ腕時計だ。2世代前のデザインだが、時計にはさほど最新である必要性はない。古い型は古いなりに価値がある。タロスが目算したところ、今日の食事をここであと3回しても、少し釣りがくる。
     リッキーには不相応な品だ。タロスの方が格段に似合う。だがベルトの長さが足らず、タロスは奪い取ることができなかった。
    「おめでとうございます」
     ウエイターとウエイトレスは声を揃え、一礼し、退いた。
     リッキーはベルトの端をつまみ、ぺらりと目の前にかざしてみる。
    「俺ら、デジタルの方が良かったなあ」
     ラバンブーの価値が分からない、リッキーらしい発言だ。
    「メモリ機能がないだろ、これってさ」
    「こいつに多機能てのは不格好だろ」
     ジョウはリッキーから、腕時計を受け取る。ケースの部分が、小さい割にずしりとくる。クラッシャーは、動きを抑制しない身なりが常だ。軽さや薄さに慣れている。この重厚感は新鮮に感じる。
    「おつむの容量が足りねえガキは、なんかに頼らねえとな」
     タロスがからかった。
    「ちがわい、うっかり忘れちゃいけないことってあんだろ」
    「てめえに忘れて困ることってあるか」
    「あるんだよ!」
     リッキーは前歯を剥き出しにして、タロスに睨みを効かせた。
     ところが睨んだのは一瞬。すっと、無表情に戻る。
    「……あれ」
     人差し指をくわえると、はて、とした表情をつくった。だがこれもまた、一瞬で終わる。
     するとリッキーの態度が急変した。がば、とタロスの左腕に掴みかかる。丸太のような腕を、か細い腕で力任せに引いた。
    「なにしやがる」
     リッキーの耳には届いていないようだった。タロスのクロノメータにどんぐり眼を近づける。指は何か操作している様子だ。
    「───やっべえ」
     食い入るように、どんぐり眼をクロノメータに近づけたまま呟いた。
    「おかしな奴だ」
     ジョウは、リッキーの前に腕時計を返しながら訊く。
     弾かれたように、大きく見開かれた双眸がジョウに向いた。瞬きすらしない。歯がかちかちと鳴っている。一体全体どうしたことか。
    「あ、あ、あ、兄貴ぃ……」
     リッキーは声まで震えていた。
    「ア、ア、ア、アルフィンはどこ行ったんだい……」
    「そういや遅いな」
     ジョウは、アルフィンが消えた方角に視線を向ける。化粧室にしては長い。だが女性は色々と身支度がある。中座を気にすることはレディに対して失礼にあたる。
     ただジョウの場合、言われて気づいたパターンだった。
    「ちくしょう。よりによってこんな日に、俺らのぶっ壊れるなんてさ」
     会話の流れから、ジョウとタロスは察した。
     メモリさせていたのだ、うっかり忘れたくないことを。
    「何をメモリしてたんだ」
    「ていうか、兄貴もうっかりしすぎだぜ」
    「俺が?」
    「そうさ。俺ら、みんなの誕生日をメモリしてんだよ」
    「───で?」
    「で……って、兄貴。仕事以外、からきし駄目だなあ」
     ごん、と突然リッキーの頭上に拳が墜ちた。不意打ちだった。ジョウに気が向いていて。
     不意打ちのげんこつは相当効く。
    「いってえな!」
    「てめえが、さっさと口割りゃあいいんだ」
     この手荒さが、導火線に火をつけた。
     リッキーはチェアから飛び降りる。飛び降りて鼻息を荒くした。
    「知って驚くなよ!」
     静かな店内にリッキーの声が響く。ジョウもタロスも、その不躾さに眉をしかめた。
     耳は向けても、目線はつい、辺りの反応を伺ってしまう。
    「今日はなあ、銀河標準時間でアルフィンの誕生日なんだぜ!」
     演説の締め言葉のように。早口を回すと、リッキーはぴたりと口をつぐんだ。
     ジョウとタロスの耳朶に。
     再びコンチェルトの静かな調べが届く。しかし今度は静かすぎて、頭の中でわんわんとリッキーの声が反響した。
     誕生日。
     よりによって、アルフィンの。
    「───!」
     ジョウとタロスの動作は、ほぼ同時。身体が跳ね、クロノメータに目を落とした。
    「げっ!」
     声も同時に上がった。
     銀河標準時間の1月12日。正真正銘、アルフィンの18回目の誕生日だった。


引用投稿 削除キー/
■430 / inTopicNo.3)  Re[2]: タイム
□投稿者/ まぁじ -(2003/01/26(Sun) 12:10:15)

     1年前。
     アルフィンは17回目の誕生日を、任務中に迎えた。犯罪シンジケートの本拠地壊滅。
     血生臭い仕事だった。
     二手に分かれて、敵地の本部との距離を詰める。瓦礫に隠れ、ジョウとアルフィンは次の突破チャンスを見計らっている時だった。
    「あーあ、終わっちゃった……」
     緊迫した場面で、しぼんだ声。小さい呟きだったが、神経を張り巡らしたジョウにはしっかり届く。無反動ライフルを構え、瓦礫を背にしたまま訊いた。
    「なんだ、こんな時に」
    「今日、あたしの誕生日だったの」
     金髪の小さな頭が、がっくりと垂れた。
     危険と隣り合わせということすら、一瞬忘れている様子を伺わせる。
    「ぼやっとしてると、やられるぞ」
     ジョウが忠告した矢先に、瓦礫の一辺を銃弾がかすめた。
    「わかってるわよ」
     ぶちり、とした口調だ。
     ジョウは瓦礫から隙をうかがってるせいで、横にいるアルフィンの姿は見えない。しかし、唇が相当尖っていることは想像がつく。
     約2ヶ月前に迎えた、ジョウ19才の誕生日。こちらも任務中だったが、危険物資の運搬だ。祝いの宴を開く余裕はあった。アルフィンは料理にケーキに、リビングの飾り付けにと大張りきりだった。
     ピザンは何かにつけ、祝い事をするお国柄だ。<ミネルバ>に搭乗したからといって、アルフィンがその習慣を止める訳がない。タロスの時も、リッキーの時も。アルフィンはいつも仕切に回っていた。
     さすがにダンの生誕と、アトラス建国の祝いは止めさせた。下手すると、ドンゴ<ミネルバ>搭乗記念日まで、延々と祝いを重ねる勢いだったからだ。
     ところが仕切屋が誕生日となると、状況は一転する。自分で覚えていなければ、忘れ去られる現実。寂しい役回りだ。もともと男所帯、祝いの習慣などないクラッシャーたち。次から次へと舞い込む仕事。
     実のところアルフィンも、今この場で思い出し、クロノメータで確認したくらいだ。うっかりしてしまう。いっそ任務が終わるまで、忘れていた方が好都合だった。
     しかし思い出してしまったことは、もう取り消せない。
    「攻撃にばらつきが出てきた」
     現実へ引き戻すために。ジョウは最初、あえて誕生日に触れなかった。
    「そうね……」
     アルフィンから、気のない返事。集中力を欠いている。
     ジョウは一旦、瓦礫の端から中央にバックした。くっついているアルフィンも、自然とそうなる。そしてジョウは、背負ったクラッシュパックから、エネルギーチューブを取り出す。ベルトのフックにかけた。
     特攻前の再チェック。それを装いながら、アルフィンに向いた。
    「来年な」
    「え?」
    「来年はたっぷり祝ってやるよ」
    「ほんと?」
    「ああ。休暇スケジュールも調整してな」
     何かにかこつけなければ、照れ臭くてできない行為。
     女の子と、誕生日という特別な日の約束。やり慣れないジョウにとっては、これが精一杯だった。
    「今年は仕事のあとに、みんなとの飯で我慢してくれ」
    「いいけど、いつ行けるのよ」
    「……2、3日後かな」
    「2、3日遅れなのね、結局」
     本拠地壊滅を、たった4人で行うのだ。本来、これでも相当手際がよくなければできない。
     ジョウは手早く確認を終え、クラッシュパックを背負い、再び瓦礫の端へと移動する。アルフィンも追った。
    「絶対よ」
     ジョウの背後から。今度は、ハリのある声が届く。
    「あたし、すっごく期待してるから」
     ころりと機嫌が直った。
     あまりにも簡単すぎて、ジョウは確かめずにはいられない。一見鎮火したようにみえて、くすぶってることも考えられる。
     ここから先、さらに戦火は激しくなる。油断は、死を引きよせる。余計な考えが僅かでもアルフィンに残っていると危険だ。
     その意味でも、ジョウは確認しておかなければならない。首をゆっくり巡らした。
     肩越しに、ぱっちりと開かれた碧眼がある。振り向かれて、アルフィンはふっと微笑んだ。上機嫌。志気が上がっている顔つき。
     ジョウの約束は、絶大な効果をもたらした。
    「じゃ、行くぞ」
    「オッケイ」
     間髪あけず、アルフィンは声を張った。
     ───ジョウは、思い出した。
     1年前の光景を昨日ように、鮮明に。このひと幕の最後まできれいに思い出して。
     手で口元を覆い、ジョウは絶句した。

     タロスとリッキーは。
     1年前の、ジョウとアルフィンのやりとりを知らない。ただアルフィンには、今まで一度とてまともに祝ってないことは知っている。リッキーが、クロノメータに誕生日をインプットしたのも、この習慣を大事にしたいからだった。
     タロスは、ドリンクカウンター脇に立つウエイトレスを呼んだ。
    「いかがいたしましたか?」
    「連れが、化粧室から戻らないんでさ」
     腹いせに、立てこもり。ふとタロスにそんなことが過ぎる。
     とはいえさすがに、女性用のドアを叩く勇気は3人とも持ち合わせていない。
    「金髪の女性の方でございますか?」
     ウエイトレスは、きちんと客を把握していた。
     すると何か思い当たるのか。ウエイトレスはウエイターに目配せして、呼び寄せる。円卓脇で2人は、二三言葉を小さく交わした。
    「お客さま」
     ウエイターの方が口を開く。
    「女性のお客さまでしたら、急用ができたとのことで。……お帰りになりましたが」
    「帰った?!」
     ジョウの声が裏返った。
    「お言付けが遅れたのでしたら、失礼いたしました。女性のお客さまから、お帰りの際で構わないとのことでしたので」
    「まずいぜ、兄貴……」
     リッキーは表情を強ばらせてジョウに向く。
     照明がもっと明るければ、顔面がどれだけ蒼白かも分かっただろう。
    「おっかなくて<ミネルバ>に戻れないよ、俺ら」
     普段はぎゃんぎゃんと怒りを露わにするアルフィンだ。そっと姿を消したとなると、嵐の前の静けさ。想像を絶するしっぺ返しが考えられた。
    「平謝りしかないな」
     ジョウとしてはそれしか手だてが浮かばない。タロスやリッキーよりも重罪だからだ。ジョウが言い出した約束を、うっかりとはいえ破った。迂闊さの極みだ。
     男としてそれは、あまりにも無責任過ぎた。
     こうなるともう、ぼやぼやしていられない。ジョウはすぐ立ち上がった。
    「俺が先にアルフィンと話をつける。タロスとリッキーは、フォローの材料を集めてくれ」
    「プレゼントって奴ですな。しかしこの時間じゃ、ブティックは全滅ですぜ」
     例え間に合わせでも、ないよりはまし。
     だが分かっていても、タロスはつい現実を口にする。
    「金に物いわせて開けさせろ」
     クラッシャーのやることは強引だ。アルフィンのこととなると、ジョウはさらに無茶をする。だが無茶は大概、無駄にはならない。だからタロスは、へい、と短く応えた。
    「あの、お客さま……」
     ウエイターが言葉を挟む。断片的だが、流れを汲み取ったのだろう。
    「私どもでお手伝いできることがありましたら、お申し付けください」
     丁重に切り出した。ありがたい助っ人の登場。
     リッキーが真っ先にリクエストした。
    「じゃあさ、とびっきりのケーキをつくっておくれよ」
    「お安いご用です」
     ウエイターは頷くと一礼し、すぐ行動に移った。ウエイトレスを引き連れて、厨房へと向かう。
    「俺ら、ケーキ持ってく。でもって、飾り付けのあらかた揃えるよ」
    「じゃああっしは、メインのプレゼントですな」
    「よし。頼んだ」
     即断即決のクラッシャーだ。役割分担も気持ちいいほど素早く決まる。
     あと問題は、アルフィンのご機嫌。それはもうジョウの腕次第、いや、気持ちに掛かっている。
     クラッシャーは一旦解散した。
     やるとなったら早い方がいい。銀河標準時間で換算すれば、まだ1月12日は終わってはいない。たった一人で、誕生日を過ごさせることだけは。
     せめて避けさせてやりたい。男たちの気持ちはひとつだった。


引用投稿 削除キー/
■431 / inTopicNo.4)  Re[2]: タイム
□投稿者/ まぁじ -(2003/01/27(Mon) 12:17:43)

     ジョウは結局、<ミネルバ>と繁華街を一往復する羽目となる。宇宙港に駐機する<ミネルバ>に戻ったが、アルフィンはいなかった。ドンゴにも確認した。戻った形跡はない。
     しかもご丁寧に通信機をオフにしている。
     エアカーのタクシーに揺られながら、ジョウは胸ポケットからカードを抜く。キーを押し、識別をレッドに合わせた。クラッシュジャケットには、特殊線維が織り込まれている。カードはジャケットの色をセットすると、発信源を探索した。
     小さな画面に、サーチの輪が広がる。私服で出かけなかったことが、不幸中の幸い。画面の右端に、赤い点滅がついた。移動することなく、点滅はとどまっている。
     ジョウの脳裏にある地理情報とフィックスさせると、繁華街の外れ。さきほどの店、ミーティスから3、4キロほど離れた場所だ。
     ジョウはその点滅を見つめながら、アルフィンの行動を推測する。店を出てからの時間、そしてたった数キロの移動。タクシーならばもっと遠くへ姿をくらますだろう。
     徒歩だ。
    「……アルフィン」
     ジョウは嘆息混じりに、名を呟いた。
     一人、夜道を歩くアルフィンが脳裏にもやりと浮かんだ。気の利かない男たちを罵り、悪態をつきながら闊歩する。店先の看板程度なら、蹴飛ばし壊しても許せた。だが今、ジョウが気になるのはその逆だ。
     中座が、あまりにも大人しかった。
     アルフィンは普段、感情を爆発させるタイプ。それが今日に限って、風のように姿を消した。あれだけ、はしゃぎ浮かれてもいた。
     傷つけたかもしれない。
     ジョウの脳裏で、アルフィンの面立ちがうなだれていく。金髪が両手の代わりとなって、横顔を隠す。金髪のカーテンの向こうでどんな表情をつくっているのか。
     ジョウは想像する。想像してやはり。
     ちくりと胸が痛んだ。苦々しさがいっぱいに広がる。
     なぜ今日の今日まで、このことを忘れていたのか。仕事ではまずありえない。普段から迂闊であれば、いつものことだと笑えただろう。そうでないからこそ余計に。
     ジョウは自分の迂闊さへの苛立ちを、腹に溜め込んだ。
    「───お客さん」
     運転手はフロントウインドウを向いたまま、声だけ振る。
    「この先、どっちに行きますか」
    「ウエストブロックに向かってくれ」
    「そちらにお住まいで?」
    「いや……」
    「私のアパートがそっち方面なんでね、てっきりご近所さんかと」
     運転手は勝手に世間話をはじめた。
     話し好きなのか、深夜だけに眠気覚ましなのか。
    「もしかして、これから恋人の所にでも? いいですなあ、若いってことは」
     運の悪いことに、運転手は低俗な話がお好みらしい。ルームミラー越しにちらちらと、ジョウの顔を伺っている素振りが映った。
    「恋人さん、お綺麗な人でしょ。お客さんのイメージからすると」
     ジョウは黙って横を向く。むすりとした表情で、車窓の景色を眺めた。
     ルームミラーのジョウの様子に、運転手は深入りしすぎたと思ったのか。取り繕うように、話題を変える。
    「あれ、もしかして単に飲みに行くとか? ウエストブロックはろくな店ないですよ」
     ジョウは、相手にするつもりはなかった。
     しかし、ろくな店がない、という言葉がひっかかる。
    「ウエストブロックてのは、なんだ」
    「住宅街ですよ、ぺーぺーのね」
     ジョウはカードを再確認する。やはり点滅は移動していない。住宅街となると、道ばたもしくは公園などで、一人時間を潰しているのか。いくらクラッシャーとはいえ、年頃の娘が単身でうろつく時間ではない。
    「急いでくれ」
    「やっぱり恋人さんの方ですか。……分かりました、急ぎましょう」
     ルームミラーの運転手の目元は、安堵を縁どった。
     ジョウはそのまま、勝手に誤解させておいた。

     カードの点滅を頼りに、近いと思われる場所でジョウはタクシーを降りる。
     運転手が言った通り。3、4階建の低いアパートがひしめきあう区画だった。アパートの造りは、ほとんどがコンクリート。年数が経っているせいか、外壁のペイントが剥げている建物が多い。
     スラム街ではなさそうだが、裕福な生活の匂いはしない。
     ここからは足で探す。
     かろうじて街灯はあるものの、蛍光灯が古いせいか光度が頼りない。街灯の間隔も広く、夜道をしっかりと照らしているとは言い切れない。切れかかって、ちかちかと不規則に瞬く街灯もある。
    「……こんな所を」
     ジョウの胸が、ざわりと騒いだ。
     一人で歩くにはあまりにも寂しい。
     好きこのんで、こんな場所を選ぶとは思えなかった。泣きながら歩いていたら、辿り着いてしまった。そういう足どりを連想させる。
     無駄とは知りつつ、通信機で応答を試みた。
     インターカムから突き抜けたあの明るい声は、やはりしなかった。
    「どこ隠れてるんだ……」
     ジョウは首だけでなく、全身で四方を巡らした。
     アルフィンならどこへ行く。だが考えている時間すら惜しい。ともかく動けばいい。その方が幾分、ジョウの気持ちは楽だった。
     タクシーを降りた通りは別として、この区画は網の目のような小道ばかりだった。まるで迷路のようである。だがジョウは1本ずつ、小道をしらみ潰しにした。カードの点滅と総合すれば、それほど広範囲ではない。
     時間にして約30分。
     再び、タクシーを降りた通りに戻ってしまう。公園もなければ、路地の行き止まりもなかった。簡素なアパート群ばかりだった。
     しかしこれで、アルフィンが建物の中にいると絞られた。そして運転手は言っていた。ろくな店がないと。つまり店は、あることにはある。看板めいたものを見かけなかったが。所詮、周辺の常連客だけを相手にしている類だろう。
     常連ならば、看板はいらない。
     万が一の確率で、誰かの家に世話になっていることも考えられた。ジョウは現段階で、親切な人間を想像することに努める。まさか赤いクラッシュジャケットだけが、持ち主と離れてその場所に放置されているとは思いたくない。
     でなければ、焦るばかりでいてもたっても居られなかった。
     ジョウは再び、一度歩いたルートを辿る。壁越しに、室内の雰囲気を嗅ぎながら。
     この判断は正解だった。
     5分も歩かないうちに、小さな丸窓から明かりが漏れた一角が気になる。アパートの一階の角部屋。ジョウはドアの隙間に、耳を近づける。
     数人の声が漏れてきた。会話は聞き取れなくても、トーンは伝わる。弾んだ感じだ。若い男女の声色。家族団らんの声にしては、若者の人数が多すぎる気がした。
     ジョウはドアノブを握る。捻ると、回った。
     店だ。
     家ならば深夜である。鍵はかけておくものだろう。ドアを押すと、からん、と安っぽい鐘の音がした。
    「───いらっしゃい」
     嗄れた女の声。
     店の右手にこじんまりとしたカウンター。それと酒棚に挟まれた場所に、40代くらいの化粧の濃い、やせ細った女がいる。煙草をくゆらしていた。
    「ちょっと訊きたい」
     ジョウは店内に一歩踏み込んだ。女店主は仮面のように、愛想笑いのひとつも浮かべない。だがジョウは尋ねる必要がなくなった。
     左手の壁際に唯一あるテーブル席に。アルフィンがいた。
     しかし単身ではなかった。
     一見して、ジョウと同年代の青年4人と一緒に。


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■432 / inTopicNo.5)  Re[5]: タイム
□投稿者/ まぁじ -(2003/01/28(Tue) 14:05:32)

    「……捜したぞ」
     ことの発端は、ジョウたちにある。責めるつもりは毛頭ない。しかし男たちに囲まれているアルフィンを目撃し、ジョウの声は固くなった。まるで怒っている風に聞こえる。
     アルフィンは、声の主に気づいた。
     だが視線で確かめもせず、ぷいと横に向く。頬がほんのり赤らんでいた。手にしたグラスの色は、限りなく水に近い琥珀色。これがストレートの一気飲みだったら、酒乱ぶりを発揮していただろう。
    「もしかして、こいつ?」
     アルフィンの左隣に、身をぴたりと寄せた男が耳打ちの仕草をみせる。馴れ馴れしく、アルフィンにもたれかかる。
     ジョウの体内に、かっと熱いものがこみ上げた。
     しかし踏み出してしまいそうな衝動を、懸命に堪える。できるだけ音便に済ませたくもあった。
     男たちは4人とも、カジュアルな身なりだった。平日の深夜まで、呑気に酒を酌み交わしているとすれば。学生しかいない。
     男が顔を上げた。アルフィンの左隣の男。真っ赤なシャツの前ボタンを4つも外している。体毛がとぐろを巻いた胸板を、自慢気にさらしている。
     ジョウの姿を掬うように見上げた。
    「───消えな」
    「なに……?」
    「年に一度の誕生日。腹が立つ奴と一緒にいたって、面白くもねえや」
     どこまで話したかは知らないが。男の言葉で、アルフィンは相当へそを曲げていることが伝わった。
     ジョウは男を無視する。
     用件はアルフィンだけにある。聞いてくれるか分からないが、ジョウはアルフィンに向かって声を放った。
    「……約束は嘘じゃない。本当にただ、うっかりなんだ」
     だがこれも、別な男の声が割り込み、遮る。
    「うっかりで何でも許されりゃ、ラクでいいねえ」
     アルフィンの向かいに座った、金髪の男が言う。男たちはどっと笑い声を上げた。
     あまり育ちがいい学生ではないらしい。
    「───黙れ」
     ジョウはぴしゃりと言った。雑音がうるさすぎて、話が進まない。
     そもそもこの場では、話にならなそうだ。ジョウは数歩踏み出して、金髪の男の脇から身を乗り出す。アルフィンに手をさしのべた。
    「帰るぞ」
    「いや」
     ぱん、とアルフィンの手が払った。きちんと合わせた両の膝を、赤いシャツの男に向ける。浮いたままのジョウの手は、空気を掴んだ。
     拳がぐっと握られた。
    「狭っ苦しいなあ」
     金髪の男が立ち上がる。ジョウに向いたかと思うと、男はどんと胸の辺りを突いた。よろけ、半歩ジョウは後ずさる。
    「彼女の面倒は、今夜俺たちに任せな。手荒なことはしねえよ、楽しませるだけだ」
     溶けかけた歯を見せながら、金髪の男は下品な笑いを立てた。
    「……貴様」
     ジョウの声がくぐもる。
     熱い怒りが、腹の底でうねりを上げた。アンバーの双眸がぎらりと濡れる。
    「こんなの無視して、俺たちだけで盛り上がろうぜ」
     赤いシャツの男の声。その上にアルフィンの、あ、という声が重なった。ジョウは瞳だけでそれを追った。
     アルフィンの肩を引き寄せ、男が頬に口づけた。
     指が、汚れを知らない白い顎を、慣れた仕草で触れている。
    「───!」
     ジョウは切れた。
     瞬時に腕が伸び、男の短髪を鷲掴みにする。赤いシャツの男は、咄嗟に両手を頭に回した。
    「いてててっ」
    「ロドニー!」
     仲間の危機を察し、金髪の男がジョウの身体にしがみつく。
    「おもて出やがれ!」
     喧嘩には自信があるのか。金髪の男の声は、挑発的にジョウの耳朶を打つ。行動の自由を奪われたジョウは、先に始末するターゲットを切り替える。
     振りかぶった。
     振りかぶった反動で、左腕がしなる。肘を直角のまま金髪に振り切った。
    「───ごほぉっ!」
     男の頬に、ジョウの拳がめりこんだ。目にもとまらぬ早さ。顔面にヒットした瞬間、鍛え抜かれた上腕筋が盛り上がる。ジョウの渾身の鉄拳。
     吹き飛ばされた。金髪の男は、狭い店のカウンターまで一直線に飛ぶ。スツールをなぎ倒し、頭をカウンターにぶつけて止まった。
     ぴくりとも動かない。
    「……立て」
     振り返り様に、ジョウは赤いシャツの男に言う。冷酷な声だ。
    「盛り上がりたいんなら、俺が相手だ」
    「……てめえ」
     赤いシャツの男が立ち上がる。しかし下半身がおぼつかない。仲間をたった一撃で仕留めたジョウに、恐れをなしていた。だが男は立ち去る勇気を持ち合わせていない。
     あるのは若さだけ。闇雲に突っ走る、若さだけだった。
    「ランディの落とし前、つけてやる……」
     すると残りの2人も立ち上がった。ジョウを食い入るように、6つの瞳が取り囲む。それでも表情をひとつも曇らせずに、周囲を一瞥する。ジョウにとっては物足りない人数。腹の底でうごめく感情を、ぶちかますには少なすぎる。
     睨み合った。
     彼らがじりとでも動けば。血祭りが、始まる。
    「───ロドニー帰りな。今日はツケだ」
     張りつめた空気に、肝の据わった女の声が割り込む。女店主だ。ジョウは体勢を崩さず、背に気を張り巡らしやりとりを探る。
    「おまえさんが馬鹿なのは知ってる。だが馬鹿は馬鹿でも、目だけは濁らしちゃいけないよ」
    「……だがよビッグママ、こいつは」
    「一体誰に喧嘩を売ってるのか分かってんのかい? ……クラッシャーだよ、この身なりはさ」
     ジョウの動かしていない視界で、赤いシャツの男が狼狽えた。
    「ク、クラッシャー……?」
    「そうさ。おまえさんたちが束になっても、かなう相手じゃない。下手するとアパートごと、ぶっ潰されちまう。そこまでのツケは、払えないだろ」
    「う……」
     女店主は、クラッシュジャケットを知っていた。宇宙のならず者とも呼ばれる稼業の制服。もしくは宇宙のエリートと知ってのことか。いずれにせよ、仲裁となる。
     ジョウは臨戦態勢を解いた。
     背を伸ばし、明らかにこちらは攻撃の意志が消えたことを示す。そして振り返った。カウンターの向こうにいる女店主に。
     細長いシガレットを、女は真っ赤な唇に挟んでいた。時折口元をひしゃげ、器用にも紫煙を斜めに吹き上げる。堅気ではない世界に、一瞬でも足を染めた人間の匂いがした。

     ロドニーとその一行は、すごすごと身支度する。派手なスペースジャケットだとは思ったが、これをファッションと誤解したのが運の尽き。しかし彼らの反応は、ある意味正しかった。
     こんな辺鄙な場所にクラッシャーが現れるなどとは。普通、想像すらしない。
     気絶したままのランディを3人がかりで運び出す。ジョウは黙って、彼らに逃げ道を拓いてやった。
    「おまえさんも、こっちにおいで」
     女店主の声色が、幾分和らぐ。
     奥のテーブル席で、凍りつくように座るアルフィンに言ったからだ。アルフィンは黙ったまま歩を進め、立ち尽くすジョウとすれ違いカウンターに移った。
     倒れたスツールをすべて引き起こすと、アルフィンはひとつに腰を下ろす。
    「これをお飲み。おごりさ。あの子らの騒ぎは、勘弁してやっておくれ」
    「そんな……。あの人たちは何も……」
     女店主は無言のまま頷く。カウンターに出された、オレンジジュースのようなグラス。アルフィンは一拍空けてから、それをひと息に飲み干した。
     見届けると、女店主はジョウに視線を向けた。
    「……面構えはいいね。クラッシャーとしちゃ相当のもんだろ、おまえさん」
    「そりゃどうも」
     無粋な表情のまま、ジョウはぼそりと応えた。
    「ただ、甘いね」
     女店主は、くわえていたシガレットを二本の指の間で挟む。唇と鼻から、大量の紫煙を吹いた。
    「ロドニーの弁護さ。あの子らは、勉強は駄目だがカスじゃない。辺鄙な所を、若い女がうろついてたのを気の毒に思ったクチさ。早合点もいいとこだよ、おまえさん」
    「……そうなのか?」
     ジョウはカウンターにいるアルフィンに問う。赤いクラッシュジャケットは半身を捻ると、横顔だけ見せてこくりと頷いた。
    「一方的な思い込みで、店を潰されるとこだったんだ。そんなのただの壊し屋だろ? 稼業の看板に泥がつかずに済んで、感謝して欲しいね」
     大仰な言い方だ。
     しかしあの面子、あのシチュエーションを、善意的に受け止める余裕はジョウにはなかった。胸ポケットに指を擦り込ませる。数枚のキャッシュを抜いた。
    「迷惑料だ」
    「はん……。安く見積もられたもんだよ」
     ジョウは再び、胸ポケットに指を擦り込ませる。ロドニーたちのツケ分も含めて、キャッシュを抜こうとした。
    「……金じゃない」
     女店主は、シガレットをカウンター裏でもみ消しながら言う。
    「おまえさんの労働で払ってもらおうか」
    「労働?」
    「そこを片づけとくれ。あたしは、ゴタゴタの後始末は嫌いなんだよ」
     顎をしゃくった。
     ジョウは再びテーブル席を見渡す。グラスが転がり、テーブルは水浸しだ。床にまで滴っている。皿からこぼれたポップコーンやナッツ類が、卓上でふやけていた。
     そして、ぽんとジョウに何かが投げつけられた。肩に乗っている。手に取ると、雑巾と見間違えそうなクロスだった。
    「さっさとおやりよ」
     ジョウは女店主をしばし凝視する。しかし、渋々従うことにした。
     慣れない手つきで、テーブルの上から掃除しはじめた。今までこんな後かたづけはしたことがない。金で済ませられれば感じることのない、惨めったらしい気分だった。


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■434 / inTopicNo.6)  Re[6]: タイム
□投稿者/ まぁじ -(2003/01/30(Thu) 10:25:42)

    「いいぜ、タロス」
     リッキーは肩車の下に声をかけた。タロスは腰をむんずと掴み、リッキーを放り出す。身軽な子供ゆえ、荒っぽいやり方をされても、ひらりと着地できる。
    「……しかしなあ。飾るほどショボくなるってのは、どういうこったい」
     リビングルームの天井を見上げ、ううむ、とタロスは唸った。まるでディスコのミラーボールだ。リッキーが買ってきた飾り付けのひとつ、くす玉である。
    「そいつ、一番でかいんだぜ。あとこれも貼っちまおう」
     リッキーの手のひらより一回り大きい、星形のオーナメント。ざっと見ても、20個は軽く越えている。
    「おめえな、学芸会じゃねんだからよ」
     飾り付けの買い出しを、リッキーに任せたのは失敗。タロスは今更ながら悔やんでいた。
     そしてアルフィンがどれだけ、手慣れているかを思い知らされる。
     アルフィンの場合、まずリビングをぐるりと光沢感のある布で囲む。この布も、誕生日を迎える人のイメージに合わせてだ。
     タロスの時は、暗幕。そして<ミネルバ>にある適当な機材を組み立てて、これにも布をかぶせる。間接照明を多用し、リビングがちょっとしたバー風に趣を変えていた。
     ジョウの時は、スカイブルーとホワイトのコントラスト。スチロール製の柱に、ご丁寧に飾り彫刻まで入れたものをどこからか調達し、四方を固めた。海神様の宮殿、といったところか。
     リッキーの時には、食べ物に力を入れていた。犬小屋程度の大きさとはいえ、お菓子の家を組み立てた。室内は白一色。チョコレートやクッキーの色は、温かな家庭を連想させた。しかもお菓子の家は、1週間近くリッキーのおやつとして重宝したものだった。
     凝り方が、ハンパではない。
     それと比べてしまうとどうも。リッキーのセンスでは、幼稚園の遊び場、もしくは片田舎のカラオケルームという風体でしかなかった。
     いかにも、慌てて取り繕っている空間。却って居心地が悪くなる気がした。
    「アルフィンと同レベルを目指そうてのが、間違いだ」
     タロスは作業の手を止め、腰に置いた。
    「こんななら、ミーティスの方がよっぽど具合がいい」
    「格好つくけど、味気ないじゃん。金を出しゃいい、みたいでさ」
     リッキーはオーナメントを、ジャンプしながらぺたぺたと内壁に貼る。背が低いせいで、天空高く輝くはずの星が、中途半端な高さになる。丁度タロスの目線一帯。
     これでは殴られて、目の回りに星が舞うのと同じだ。
    「四の五の言ってないでさ、手伝えよ。あとキラキラテープもあるんだぜ」
     リッキーはそれをカーテンのように使う、と付け足す。タロスはその光景を想像した。まるでテラのジパングにある暖簾の発想だ。台所と居間との境に、じゃらじゃらとぶら下がったインテリアのことを思い出す。
     これではもうお手上げ。
     アルフィンのご機嫌を、フォローするにはほど遠い。
     タロスは目を覆い、ううむと深い溜息をついた。
     祝いのイベントは頭脳をフル回転し、気力も使う。相当の重労働だ。アルフィンの影ながらの努力を、今さらながらに痛感する。
     しかも、驚いた、ありがとう、の言葉だけで。アルフィンは満足そうに笑うのだった。あたしに任せれば、ざっとこんなもんよと、鼻と胸をつんと上げる仕草で。
     タロスは、あっけらかんとしたアルフィンの顔を思い出す。
     急に、しくり、と胸が痛んだ。
     何も分かってやれなかった。
     たかだか誕生日祝いだが、アルフィンがどんな思いで、クラッシャーたちに心を砕いていたのかを。今この場で思い知り、愛らしいあの面立ちが健気に思えてきた。
     本来であれば今頃、アルフィンはクルーの輪の中心にいる筈だった。もしくはミーティスでのサプライズの輪にいた筈だ。男たちの誰かが、今日という日を覚えていたなら。
     ありがとう、嬉しいわ。
     どういう顔をしてアルフィンは笑っただろうか。空耳と幻想がやけに生々しいくらいに、タロスの周りを取り囲んでいく。
     慮ってやれなくて悪かった。
     アルフィンと対面したら真っ先に、平身で詫びをしなければと。リッキーの子供だましのような飾り付けにげんなりしながら、タロスはより強く思っていた。
     
     そんな場面に。
     タロスの袖口の通信機が鳴った。スイッチを入れ、すぐ応答に出る。
    「───俺だ」
    「ジョウ」
     タロスはほっとした口調で、名を呼んだ。
    「見つかりましたかい?」
    「ああ、見つけた。今、ウエストブロックにいる」
    「なんでまたそんな所に」
     繁華街から少し離れた区画だ。うら寂しい住宅街だったと、おぼろげにタロスは知っている。
    「事情はあとで話す。そっちの様子は」
     タロスはぐるりと背後を伺う。
     リッキーが一人で装飾作業を続けている。内装状況は、ますます芳しくない方向へ突き進んでいる。
    「ブツは揃えたんですがね。アルフィンのように上手くいきませんなあ」
    「そうか……」
     通信機の声が、苦笑混じりに届いた。
    「しかし時間も時間ですぜ。急いだ方がいいですな」
    「そうしたいんだが……」
     ジョウの声が一旦途切れる。嫌な間だとタロスは思った。
     何かあったのかと、余計なことを勘ぐってしまう。
    「遅くなるかもしれない」
     その一言に。タロスはふと思った。
     アルフィンの誕生日に、遅くなるとの台詞。これはもしかすると、と大人の想像力を膨らました。
     いよいよジョウは腹を決めるつもりなのか。そういう想像だった。
     押し掛け女房として<ミネルバ>にアルフィンが乗り込んできてから、もうすぐ2年。はっきりとしなかったジョウの態度。端から見ていれば、アルフィンをどう思っているかは明白なのだが。
     ここらで自分自身に決着をつけるつもりなのかと。タロスは過ぎっていた。
    「そうですかい」
     だから、あえて深くは追求しなかった。
    「準備は万全にしときやす。いつ戻ってきてもいいように」
    「そうしてくれると助かる」
    「じゃあ、こっちのことは気にしないでくだせえ」
    「了解。あとは任せた」
     そして通信は切れた。
     タロスの口元は、気がつくと自然にほころんでいた。いや、緩むという方が正しい。アルフィンを、何よりも悦ばせる出来事が待ち受けている。そうタロスは憶測したせいで。
     誕生日のプレゼントとしては上出来だ。これ以上の代物もない。
     一時はとんだ事態になったものだが。そうと決まればこの体たらくは、歓迎すべきハプニングに格上げとなる。
     良かったですなあアルフィン。頑張りなせえジョウ。
     タロスは噛みしめるように、胸の中で呟いた。


引用投稿 削除キー/
■435 / inTopicNo.7)  Re[7]: タイム
□投稿者/ まぁじ -(2003/01/30(Thu) 10:27:53)

     ───しかし。
     タロスの読みは、この時点では大きく的はずれだった。
     ジョウにその機転があったら、もっと早くアルフィンとまとまっている。そうでないから、うやむやの関係が続いている。
     いくら誕生日とはいえ、堅物に年季の入ったジョウ。
     急に変われる訳ではない。
    「……気の毒だね、ますます。お仲間がいて、誰一人この娘の記念日に気づいてやれなかったなんてさ」
    「…………」
     通信を切り、ジョウは無言のまま振り向いた。女店主はカウンターに突っ伏したアルフィンを、しげしげと眺めている。
     ジョウが言われた通り片づけをしている間に。酔いが回ったのか、アルフィンはすっかり寝入っていた。無理矢理起こすと機嫌が悪い。
     今日一日散々ついてなかったのだ。気持ちのいい眠りを、ジョウは邪魔したくなかった。
    「こっちにお座りよ」
     女店主はカウンターから、ジョウに顎をしゃくる。そしてボトルから注いだロックグラスを、カウンターに置いた。
    「仕事は丁寧だったからさ。これは釣りだ。おごりじゃない」
     ジョウは移動した。アルフィンとスツールをひとつ空けて、並んで腰掛ける。グラスを掴むと、一気に半分まで喉に流した。
     雑味のある酒だ。飲み残しを掻き集めたものだと分かった。これも嫌味のひとつかとジョウは過ぎったが、女店主も同じボトルを自分のグラスに注ぐ。
     これでも一応もてなしなのか。ジョウは悪く受け取ることを止めた。
    「おまえさん、年はいくつだい?」
    「……二十歳だ」
    「その割にはデリカシーがなさすぎだね。ロドニーたちと年は同じなのにさ」
    「比べられても困る」
    「ま、社会的にはおまえさんの方がずっと上だろうけど」
     女店主はまたシガレットを唇で挟み、ライターで点ける。
     相当のヘビースモーカーだった。
    「ロドニーたちはさ、例えこの娘が器量よしじゃなくても、ここで祝ってやったよ」
    「……何が言いたい」
     ジョウは顔を向ける。
     女店主はその意志の強い瞳を、真正面から受け止めた。
    「あの子らはさ、頭が足りない分、気持ちが豊かでね。ところがおまえさんはどうだい? 物事を金で片づけようとする。お仲間に誕生日の埋め合わせをさせる。……無神経だ」
     女店主は説教めいたことを口にした。
     ジョウは適した返答が見つからず、ただグラスを傾けた。
    「大方、この娘が誕生日を祝ってもらえないと、駄々をこねてるとしか思ってないんだろうさ」
    「一理あるだろ」
    「……違うね」
     吐息と混ざり合った紫煙が、真っ赤な唇から抜ける。
     ジョウの視界が、もやがかかったように霞んだ。
    「存在を軽く扱われて、悲しかったんだよ」
    「……何を話した」
    「これといった話はしてないさ。様子は見てたけどね」
    「なら、あんたの思い込みとも言える」
    「おまえさんさ……」
     女店主はグラスを傾けると、カウンターに片肘をつき、二三首を振った。
    「人の気持ちにどう応えるのが筋なのか。誰にも教わらず、二十歳になっちまったんだね……」
     可哀想に。一人前な面構えだってのに。
     そういう意味合いを含んだ響きだった。

    「ひと目見りゃ分かる。この娘は本当にいい娘だ」
     まるで身内を庇うような口ぶり。
     しかし分かり切った台詞だ。ジョウの胸には、なんの新鮮さもない一言が紡がれた。
    「よどみのない目をしてる。見てくれの悪いロドニーたちを、ちゃんと見破ってたよ。あたしはさ、そういう人間が好きなんだ。ひと目で惚れたよ、この娘には」
     つまらない口上だった。解説されずとも、ジョウは充分に知っていることだけに。うだうだとした会話には、もうつき合ってられないと踏んだ。
     長居は、時間の無駄。ジョウは切り上げることにする。
    「要は……」
     残った酒を一気にあおる。
     グラスをカウンターに置くと、たん、と渇いた音が跳ねた。
    「俺は無神経な、ろくでなし。そう難癖つけたいだけなんだろ、あんたは」
    「おまえさん、いい素質はある。だから余計にじれったくてね」
    「お節介だな」
     ジョウはスツールから腰を上げた。
     初対面の人間に、ねちねちと言われることではない。
     共に生活しているジョウの方が、充分にアルフィンを分かってやれている。それは揺るぎない事実と、ジョウは思っていた。
    「確かに俺は、デリカシーは足りない方かもしれない。だが、ないわけじゃない。そして彼女を軽んじたことは、一度もない。ただの一度もね」
     きっぱりと言った。
     軽んじるどころか、逆だった。気にしすぎてペースを乱されることの方が多い。それをかろうじて抑え込むことすらある。
     しかしこの胸の内を、女店主に解説するつもりはジョウにはなかった。
    「本当に分かってるなんて、言い切れるかい?」
    「言い切れるさ」
    「この娘にそう、言い切ったことはあるのかい?」
    「…………」
     ジョウは。
     一瞬、言葉を詰まらせた。アンバーの瞳に、戸惑いの色がじわりと滲む。
     女店主はそれを見逃さなかった。
    「ほら、つまづいたね。矛盾してるじゃないか」
     なじるように言葉を後付けした。
    「おまえさん、あたしの言葉の意味しっかり考えな。今考えないと、あとで泣くよ」
     ジョウはもう応えなかった。
     無言のままアルフィンの元に歩み寄る。華奢な両肩を捕まえ、くたりとした上体を腕で抱き留めた。そのまま横抱きにし、アルフィンを担ぎ上げる。
     ジョウのその行動を横目で眺めながら、女店主は唇を開いた。
    「……最後に、いいこと教えてやるよ。その娘を担いだまんま歩いて帰りな」
    「どうしようと俺の勝手だ」
    「担がなきゃ、存在の重みも分かりゃしないだろ」
     そう念を押した。
     ジョウは抱き上げたアルフィンの顔を見下ろす。おしゃべりな碧眼は瞼を下ろし、力の抜けた唇は軽く開かれていた。今日は、本来ならもっと、満面の笑みで飾らせてやりたかった顔だ。
     だからこそ、一刻も早くアルフィンを<ミネルバ>に戻したかった。すでに銀河標準時間でも、残り少ない誕生日。2時間残っているかどうかだ。
     みなでその時間を過ごすためには、タクシーを使う方が効率がいい。
     ジョウは早々に踵を返した。
     女店主は、ジョウの両手が不自由と知りつつも、ドアを開ける手を貸そうともしなかった。だがジョウには、そんな配慮などもはや不要。
     かろうじてノブを回すと、足で乱暴に蹴り開け、店を出た。

     2人が姿を消してから。
     女店主は、アルフィンに手渡したグラスから片づけはじめる。
    「使えるもんだ、スクリュードライバーは」
     オレンジジュースの甘味と酸味が、アルコールを包み隠す。ロドニーたちとの酌み交わしで、薄いウイスキーを片手に、娘の飲みっぷりは良かった。
     酔いの下準備はできていた。このカクテルなら、一発で確実に墜ちるともてなしたのだ。
    「さっさと、まとまりゃいいんだよ」
     女店主は空っぽのグラスを眺めながら、唇に薄い笑いを浮かべた。
     酒場とは、本音を吐露する場所だ。娘の口から、何度も出たジョウという名。ロドニーたちは、見ず知らずの男の話を根気よく聞き入ってやっていた。
     そして突然店に現れた、見慣れない男。だが女店主は、初対面と思えなかった。ああこの男が、と直感できた。なにせジョウの瞳は、娘の碧眼と色彩は違えど、同じ輝きを放っていたからだ。
     求め合う輝きを。
     互いに想いはありながら、まだ絡み合っていない関係を、女店主は敏感に嗅ぎ取った。それもどうやら、男の方が原因。ランディを一発で叩きのめす腕っ節の強さは、娘を前にすると、ぎこちなく遠慮する。
     ジョウの不器用さを、見抜いていた。
     儲けのない、人情だけで経営している女店主だ。めでたい誕生日だとすれば、なおのこと。何かの縁でこの店に来たのだ。弾みのひとつくらい、プレゼントしてやってもいいと。
    「かけがえのない相手ってのは、見つけた時に捕まえなきゃ消えちまうんだよ」
     誰に言うともなく、女店主は言葉にした。
     彼女自身、かけがえのない相手の存在を知ったのは。
     失ってから気づいたことだった。
     

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■441 / inTopicNo.8)  Re[8]: タイム
□投稿者/ まぁじ -(2003/02/03(Mon) 11:01:17)

     ジョウにとって、50キロを満たないアルフィンは軽いものだった。だがその軽さが。やけに気にかかる。
     女店主の言葉の、存在の軽さ、と結びついて。
    「それとこれとは違うだろ」
     ジョウはかぶりを振りながら、否定した。
     歩調を早めながら、タクシーを降りた通りに向かう。流しを拾うためだ。そしてジョウはついていた。通りに出た途端、運良く一台のヘッドライトが向かってくる。
     夜道に女を抱えた男がいる。手を挙げずとも、ハザードランプはすぐに点いた。するりとジョウの脇に停車すると、後部ドアが開いた。
     だが、ジョウの足が固まる。すんなりと動かせない。
    「───お客さん?」
     運転シートの窓が開き、声がかかった。ジョウは身体を屈める。屈めたが、顔を寄せただけだった。
    「……すまない。行ってくれ」
    「いいんですか? ここら辺、流し少ないですよ」
    「ああ、構わない」
     運転手は困惑した顔つきで、肩を一瞬そびやかした。だが言われた通りにドアを閉じ、エアカーは滑るように遠のいていく。
     ジョウはそのテイルランプを、消えるまでしばらく眺めていた。
    「言われたからじゃない……」
     そして、ぼそりとこぼした。
     アルフィンの気持ちとやらを、確かめたくなっていた。女店主の説教に、従うわけではない。結果は同じだが、ジョウはニュアンスの違いにこだわる。
     ウエストブロックの侘びしい眺め。ここをアルフィンは一人で歩いてきたのだ。
     気持ちを、分かち合ってやりたかった。
     繁華街までは、そう遠くない。徒歩で多少時間をロスしても、そこからタクシーを拾えば1月12日中にはまだ間に合う。
     それに今、あやふやな気持ちのままでアルフィンを祝ったとしても、心底喜ばせることができるのか。不安があった。
     ジョウは決めた。アルフィンをおぶって繁華街まで歩いてみようと。
     辺りを見渡してから、アパート脇にあるポリバケツを見つける。一旦アルフィンの身を下ろし、ジョウは広い背中で担ぎ上げた。横抱きの時よりも、さらに軽々とジョウの身体は立ち上がる。
    「……ん」
     ジョウの首筋に、ぐずる赤子のような声がかすめた。しばらく立ち止まる。まだ起こしたくはない。息をひそめ、じっと耳をそばだてる。すると、アルフィンの寝息が安らかにたなびいた。
     自然と、ジョウの口端が上がる。
     時折気性が荒くとも、許せてしまう可愛らしさを肩越しに感じる。
     そして歩調を気遣いながら、ジョウは足を踏みしめはじめた。
     夜が深まったウエストブロック。アパートから洩れる明かりも、数える程しかない。しんと静まりかえり、夜道をうろつく人間はジョウとアルフィンだけだった。
     見渡す景色もなく、ただ黙々と歩く単調な運動は、人に考える時間を与える。一番新しい記憶が、ふっと蘇った。アルフィンがミーティスを出た姿。
     あれは、他の円卓がサプライズでにぎわっている時だったと、ジョウは思い返す。
     1年間、アルフィンは今日という日を心待ちにしていた。偶然に休暇も重なり、これも約束のプロローグだと胸を躍らせていたことだろう。
     だが実際、誰も気づいてやれなかった。
     隣にいたジョウすらも、人様の祝いに惹かれる有様。キャンドルの明かりに囲まれ、あちらは幸せの絶頂にいるというのに。
     同じ日に生を受けたアルフィンは、それを見せつけられただけだ。
     期待が空振りに終わることを悟った瞬間。いたたまれず、席を離れたに違いない。
    「ひとこと、言ってくれりゃいいのに……」
     ジョウは呟いた。だが呟いてから、はたと気づいた。
     これが無神経なのだと。約束をした手前、催促などアルフィンができる筈がない。ただひたすら、信じて待つしかなかったのだ。
     ジョウに課せられたのは、期待だけではない。信用。うっかりだった、忙しかったせいだ。いくら弁明したところで、アルフィンの心は打たない。
     それをジョウは分かってきた。
     しかも早急な埋め合わせとして、ジョウがとった行動は。タロスにはプレゼント、リッキーには場のお膳立て。日頃アルフィンが、みなの誕生日を祝うために、1週間も前から費やしている労力からすれば、簡単なものだった。手抜きと言ってもいい。
     そして肝心のジョウは、ただ迎えにいくだけ。
     一刻も早く取り繕う。確かに、その配慮だけが先走った行動といえた。祝ってやろうという気持ち。アルフィンがこの世に生まれてくれて良かったと。
     心底思っていれば、もっと他の手だてが浮かんだ筈だった。
    「説教は、こういう意味か……」
     アルフィンのことを、ただの一度も軽んじたことはない。女店主に、そう言い切った。口先ではなくジョウの本心だと思っていたが。
     軽はずみな行動をとったのは、事実。
     ジョウは、のし掛かるアルフィンを確かめるように、膝を軽く屈伸し、反動で背負い上げた。ぐっと重みがかかる。
     アルフィンの重み。
     これから先もずっと、こうしてすがって欲しい重みだと痛感した。

     考えてもみれば、今こうしていることが不思議に思えてくる。
     アルフィンがまだ<ミネルバ>にいなかった頃。ジョウは10才から、度胸を据えた男たちと生活を共にする。危険とも冒険ともいえるクラッシャー稼業で、紙一重をすり抜けて得る成功に、生き甲斐を感じていた。
     人生のすべてを、この稼業に捧げてもいい。
     ストイックではあるが、男としての高揚感に満たされていた。
     それだけで充分だと思ってきた。
     あの頃の日々と比べれば、今はどうだ。アルフィンという女がたった一人紛れ込んだだけで。時には余計な神経をつかい、時には振り回されたりもする。
     男の感覚にはない、厄介と思われることにもつき合わされる。
     父親のダン、創始者であるダンのように。稼業一徹な生き様は、真似ごとを匂わせるようでジョウは嫌った。が、クラッシャー稼業は好きではじめ、続けている仕事。
     ダン以上に、この仕事に命をかけていると胸を張って言える。
     その理想が、アルフィン一人でことごとく狂わされていく。
     ダンと比べれば、女に翻弄される軟弱者に映るだろう。創始者二代目である、ジョウは。
     だが。
     今とすれば、悪い気はしない。逆に、モノクロ画像のようにストイックな日々よりも、色々ある今の方がカラフルで楽しいとさえ思う。
     <アトラス>での生活を知っているタロスも、最初は男所帯だった<ミネルバ>に密航したリッキーも。アルフィンに振り回されつつも、毎日が愉快そうだ。
     もし今、アルフィンが<ミネルバ>から消えたとしたら。
     きっと<ミネルバ>は灯火を失う。ジョウはそこまで考え抜いて。
     不意に。
     冷たい風が突き抜けた気がした。
    「……参ったな」
     ジョウは、胸元に向かって力無くぶら下がる、赤いクラッシュジャケットの細腕を見る。チタニウム線維の指先までつぶさに視線でなぞりながら。
     アルフィンの存在はもう、なくてはならないもの。<ミネルバ>に喜怒哀楽と、華をもたらす存在。
     そして今さらながらに。
     ジョウは気づくことがあった。
     アルフィンをしっかりと<ミネルバ>につなぎ止めておくものが、実はなかったことを。あるのはただひとつ。アルフィンの気持ちだけだ。
     少なくとも、この稼業に魅力を感じてはいるらしい。そして何より、ジョウを追って密航してきたのだ。今日、明日、突然にいなくなるとは考えがたい。
     だが1年後、5年後、10年後ともなると。雲行きは怪しくなる。アルフィンの心変わり、もしくは、命がけの危険な仕事が多いクラッシャー稼業だ。
     何が起こるか分からない。
     誰にも、何が起こるか分からないのだ。未来においては。
     こうして背に感じるアルフィンの重みが、ずっとずっと未来にも必ずあるとは。
     限らない。
     ジョウは、ため息をついた。馬鹿馬鹿しい、くだらない感傷でしかないと毒づきながらも。万が一を考えると、後ろ向きなことばかり浮かんでしまう。
     情けなさが過ぎっていく。なぜもっと自信をもって、先を見越すことができないのかと。絆はきっちりと結ばれていると、なぜ堂々と胸を張れないのか。
    「恩を仇で返してりゃ、自信もなくなる」
     もはやジョウにとって。
     たかだか誕生日を忘れていたとは思えなくなっていた。男たちは、アルフィンからもらった想いに対して、何ひとつ返していない。
     危うく一人で、寂しい時間を過ごさせるところだった。
     しかも金品で埋め合わせしようともしていた。実にえげつないやり方だったと。
     ジョウは観念する。
     女店主に刃向かったことすら、今では恥ずかしいとさえ思える。
     そして、この迂闊さにお節介を妬いてくれたことを。
     ジョウは。
     静かに感謝することができた。
    「……ん、……ジョウ……」
     甘えをふくんだ声が、ジョウの耳朶をくすぐる。アルフィンの胸の内を伝えるかのように、吐息には湿り気が混ざっていた。心を、どれだけ泣かせてしまったのか。
     そしてするりと、細腕がジョウの首に巻きつく。いつもの手癖。ジョウが近くにいると、アルフィンは必ずや密着してくる。
     ジョウの胸を、安堵と喜びがひたひたと満たしていく。
    「……離れるなよ」
     聞こえてないのをいいことに、ジョウは口にした。
     口にしてから、胸の中で。
     離さないからな、とも唱えていた。


引用投稿 削除キー/
■442 / inTopicNo.9)  Re[9]: タイム
□投稿者/ まぁじ -(2003/02/03(Mon) 11:02:28)

     ジョウはアルフィンをおぶったまま、繁華街に踏み入れた。ここらは深夜も関係なく、人であふれかえっている。雑踏を避けながら、ジョウは歩き続けていた。
     ビルのネオンが瞬く。そのうちのひとつが、サーチライトを配していた。
     灯台のように、目が覚めそうなまばゆい明かりを、海面にみたてた人波の上をさっと撫でた。丁度、ジョウがその下を通った時に。
    「……ん。なに……?」
     背後で、前触れもなく声が上がった。
    「起きたか」
    「───えっ!」
     がば、とアルフィンが身を起こす。つられてジョウもひっくり返りそうになった。たたらを踏み、ギリギリのところで足を踏ん張る。
    「危なかった……」
    「だ……だって」
     両の拳を口元に当てる。ジョウに背負われるなど、アルフィンにとって初体験。
     驚くのも無理はない。
    「お、降りるわ」
    「俺は構わないぜ」
    「やあよ! 目立つじゃない、降ろして」
     もがきはじめた。
     結局、ジョウはその場でアルフィンを降ろす。振り返ると、白い肌が真っ赤に染まっていた。頬だけでなく、額から顎までまんべんなく。
     両手で顔を挟みながら、碧眼を何度もしばたかせていた。
    「重かったでしょ、あたしったら。恥ずかしい……」
    「重かったな、確かに」
     愛おしい存在という意味での重み。
     ジョウは全身でそれを充分に味わった。
    「もう! そう思っても、普通ハッキリ言わないものよ」
     アルフィンは、ジョウの腕をぱしんと叩いた。そして、つんと顔を横に向ける。
     デリカシーがないんだから。表情で、そう言われている気がジョウにはした。
    「アルフィン」
    「なによ」
    「話がしたい」
    「すればいいじゃない」
     とはいえ通りの真ん中に突っ立っては、落ち着いた話はできない。
     ジョウは無言のまま、アルフィンの腕をとった。そして人混みの中を引いて歩く。
    「ああん! どこ行くのよう」
     アルフィンは引きずり込まれた。だが目的地はすぐだった。
     通りの脇を入った路地。ビルの足元には、うずくまるような浮浪者が点々といた。
     落ち着いて話をするには、ここもあまり雰囲気がいいとは言えない。だがジョウにとっては、声が聞き取りやすい場所であればどこでもよかった。
     アルフィンをビルの壁面に追いつめ、ジョウは真正面に立つ。組んだ腕から右手を抜き、指を口元に当てた。
     顎を引き、ジョウは双眸を斜めに向ける。
     話をしたいといいつつ、すぐ切り出そうとしない。どこか、もたついた前置きを見せた。
    「用件はなに?」
     じれたアルフィンがとっかかりをつくる。
    「その、なんだな」
     ジョウはアンバーの瞳だけを、アルフィンに向けた。
     向けてから、指先に覆われた唇を動かす。
    「本当に、悪かった。……誕生日のこと忘れててさ」
     ゆっくりとした口調で言った。
     ひとつひとつ、単語に気持ちを込めるようにして。
    「言い訳はしない。心底反省している。気が済むなら、ひっぱたいてくれてもいい」
     ジョウはそう口にすると、また瞳を斜めに向けた。
     その前で、碧眼が上目遣いになった。ジョウは視界の端で確認する。
    「……ほんとよ」
     ため息と一緒に、アルフィンは呟いた。
    「ジョウに二言はないと思ってたから、すっごく楽しみにしてたのに」
    「……最低だよな。本当に悪かった」
    「でもね」
     アルフィンは後ろ手を回す。
     ジョウと同じく、少し言いづらそうな様子をちらりと見せた。
    「あたしも、大人気なかったなあって。前の任務も忙しかったでしょ。みんな悪気がないことくらい、分かってたんだけど……」
    「けど……?」
    「……寂しかったの。でもね、ちょっと。……ちょっとだけよ」
     言葉のうしろを、ひときわ強めて言った。気にしないで、という意味の配慮。
     ジョウにはそう聞こえた。
     そしてアルフィンは、唇の両端をきゅっと上げると言葉を続ける。
    「ねえ。今頃きっと、バタバタと誕生日の準備してくれてるんでしょ?」
    「お見通しだな」
    「分かるわよ、みんなのやることくらい。想像したら……ふふっ」
     思わず両手で口元を被う。
     ひとしきり、アルフィンは愉快そうに笑った。
    「……タロスとリッキーなんて、きっと必死よね。あたしの反応がよっぽど怖くて」
    「必死だよ、みんな」
    「でしょ」
    「ただ、そういう意味の必死じゃない」
    「……え?」
     ジョウは一歩踏み出した。アルフィンの顔の横に、右手をついて。より距離を縮めた。
     伝わってくる、アルフィンの気持ちが。だからこうして引きよせられてしまう。
     本当は傷ついたのに、おどけるようにして強がる。大人気なかったという気が、そうさせているのだろうと思う。だがこれ以上アルフィンに気を使わせることを。
     ジョウはもう、させたくなかった。

    「ご機嫌を直すためだけじゃない。祝ってやりたい気持ちで、必死なんだ」
    「……そうなの?」
    「アルフィンだって、俺たちの時にそう思って祝ってくれてるんだろ」
    「……うん」
     碧眼が伏し目がちになり、小さく頷いた。
     アルフィンの口元は、笑みを型どっている。分かってくれてたんだ、みんな。その喜びを噛みしめていた。
     頑張っている甲斐が報われていると知って。
     その碧眼にうっすらと潤みを浮かべた。
    「なんだかあたし、すごく大きなプレゼントもらった気がするわ」
     顔を少し横にむけると、穏やかな口調で続ける。
    「……形はないけど、見えないけど、みんなの気持ち。すごく、あったかいプレゼント」
     ジョウが一刻も早く見たかった、もちろんタロスもリッキーも望んでいた。アルフィンの柔らかな笑顔が。
     ゆっくりと、ほころんだ。
     眩しいものでも見つめるように、ジョウは瞳を細めた。
     そう感じたあとの行動は、ほとんど無意識だった。気持ちに任せたら、自然と吸い寄せられた。そういう感覚だった。
    「───ジョ……?」
     アルフィンの額に、ジョウの唇が触れていた。
     いつもならば照れが邪魔をし、遮る行為。だがジョウ自身、分かってもいた。ずっとこうしたかった気が、あったことを。
     滑らかなアルフィンの肌。一旦触れてしまうと、妙に度胸が据わる。
     続けてジョウの唇は、アルフィンの左頬にも触れた。温もりを念入りに押し当てる。なにせここはさっき、ロドニーが触れた場所でもある。消し去る意味でも時間をかけたかった。
    「……ちょ、どうしちゃったのよ。急に……」
     両手で、ジョウの胸を押し離す。
     再び、2人間に隙間が生まれた。
    「言ったろ、たっぷり祝ってやるって」
    「う……うん。充分すぎるくらいよ、もう」
     口調がもじもじとする。一度引いた赤面が、また広がった。
     アルフィンの方が照れ臭く、もうジョウの顔を見られないといった様子。碧眼がずっと、胸元あたりを泳いでいた。
     そしてジョウは一旦、クロノメータを確認する。銀河標準時間で1月12日は、残りあと1時間と数十分に迫っている。
    「アルフィン、こういう提案はどうかな」
    「……なに?」
    「プレゼントてのは、一方的に贈るもんだろ」
    「贈る方も、色々考えるわよ。一方的って訳でもないでしょ」
    「そういう意味じゃなくてさ」
     アルフィンを背負い歩いた時間に、ジョウは考えていたことがあった。提案しようか、しまいか、内心迷ってはいたが。
     腹が決まった。
     到底できないと思っていた口づけを、やってのけて拍車がかかる。
     1歩進めれば、あとの50歩も100歩も。もうジョウにとっては等しく思えた。女店主の、言葉の裏側にあったヒント。アルフィンに贈る物があるとすれば、金や物ではない。
     気持ちを、ジョウが持っているありったけの気持ちを、身をもって奉仕することだと。
    「───残りの1時間をどう過ごすか、アルフィンが選べよ」
    「選ぶプレゼント?」
    「ああ。すぐに<ミネルバ>に戻って、みんなと祝うか。もしくは……」
    「もしくは?」
     ジョウは一息つく。
     ついてから、碧眼をまっすぐに見つめて言った。
    「……俺と2人で過ごすか」
     アルフィンは驚いた。
     まん丸と見開いたまま、瞬きすら忘れる。
    「提案としちゃ、駄目かな」
    「そ……そういう訳じゃないけど……」
     うつむいた。
     ますます落ち着きをなくしたように、アルフィンは狼狽えた。
    「でも選べないわ、あたし……。だって、タロスやリッキーの気持ちも嬉しいし」
    「……ごもっとも」
    「そうよ。いじわるよ、かなり」
     だが選べないとなると、先に進めなくなる。やっと言い出せたのだ、ジョウの提案を自ら引っ込める訳にはいかない。ただタイムリミットは刻々と近づいてくる。
     何か手だてはないか。決断の。
     ジョウは周囲を見渡した。視界に、点々とうずくまる浮浪者が入った。アルフィンが選択できる公平な手だてを、ふと思いついた。
    「ちょっと待てろ」
     ジョウはアルフィンの元をすぐに離れた。そして小走りで、一人の浮浪者のもとに近寄る。
     ぼろを被った男。足音に気づいて、やせ細った身体には重しにしか見えない頭を、のそりと動かした。
    「両替させてくれ」
     ジョウは胸ポケットから1枚のキャッシュを抜く。浮浪者の前にある空き缶に入れると、1枚のコインと交換した。キャッシュ1枚の、わずか1/1000の価値しかないコイン。
    「助かった」
     ジョウは軽く片手を上げると、アルフィンがいる場所へと駆け戻った。
     まったく思惑が掴めないという表情で。
     アルフィンはジョウを迎えた。
    「これなら公平だろ」
     親指と人差し指に挟んだコインを、碧眼の前にかざした。
    「表が出たら、まっすぐ<ミネルバ>に戻ろう。そして、裏が出たら……」
     ジョウは最後の一言を濁した。しかし意味はもう伝わっている。
     運命に任せる。これほど公平なやり方もない。
     自分で決められないアルフィンにしてみれば、コインを前に頷くしかできなかった。
    「……ん」
    「一回きりだぜ。いいな」
    「思いっきり回してよ、コイン」
    「オッケイ」
     ジョウは、親指でコインを弾いた。高々と上がる。薄暗い路地で、コインはどこからか街の光を集めて、乱反射しながら回転する。
     見事な放物線を描き、墜ちてきたところで。ジョウの右手がキャッチした。
     ぱん、と左手の甲に右手をかぶせる。
    「いつでもいいぜ」
    「…………」
     アルフィンはじっとジョウの手元を見た。
     しかしいくら瞳を凝らしても、もう結果は出ている。
    「───いいわ」
     ごくりと息を飲むように、決を下した。
     ジョウは落とさないように気づかいながら、ゆっくりと右手を退けた。
     左手の甲に置かれたコインが。
     はっきりとその答えを告げた。


引用投稿 削除キー/
■443 / inTopicNo.10)  Re[10]: タイム
□投稿者/ まぁじ -(2003/02/04(Tue) 14:09:26)

    「───キャハハ」
     テレビモニタを見ていたタロスが、ドンゴに振り向いた。ソファでごろりとまどろんでいたリッキーも、跳ね起きる。
    「乗組員用はっち開キマシタ。じょうトあるふぃんガ帰還。キャハハ」
    「よっしゃ!」
     タロスとリッキーは、我先といわんばかりにドアに向かう。
     しかし案の定、間口に2人はがっちり挟まった。
    「くっそお!」
    「いってえな! タロス!」
     待ちかねた2人に、譲る、という思考は働かなかった。
     小突きあいながら悶着を起こす。しかし体格の差で、屈み込んだリッキーがするりと脱出した。
    「へっ! お先に」
    「あとで覚えてやがれ」
     すばしこさでいえば、リッキーにはかなわない。タロスは文句を中断し、追うことに専念した。揃ってアルフィンを出迎えることから、誕生日パーティーが始まるからだ。
     そして4人の気持ちは同じだった。
     通路の向こうから、ジョウとアルフィンの姿が見えた。互いの姿を確認した途端、4人は自然と笑顔を交わす。2対2のカップリングが、1つのグループへと形を取り戻す。
    「アルフィン!」
     リッキーが珍しく飛びついた。子供が母親に飛びつく姿と重なる。
     アルフィンの細い腰をぎゅっと抱くと、面を上げ、早口でまくしたてた。
    「ほんと、ほんとにごめんよ。俺ら100万回でも謝るから」
    「やあねえ。怒ってなんかないわよ、あたし」
     けろっとした表情が返ってきた。
    「アルフィンはいっつも、俺らたちに色々してくれてんのに。ちゃあんとお返ししようと思ってたのにさ。俺ら……、俺ら……、情けなくって」
     リッキーは突然、ぐしぐしとした鼻声になる。
     アルフィンがいない間に、昔を思い巡らせていたせいだ。
     誕生日につくってくれた、お菓子の家。あれはリッキーが浮浪児時代に、夢にまで描いたもの。かっぱらった物資に紛れていた、絵本で見た光景。ひもじさを時折、眺めては慰めた光景。
     実際には、つくってくれる母親はおらず、夢はただ夢で終わると諦めていたものだった。
     それを叶えてくれた、いわば恩人に。なんて酷い仕打ちをしてしまったのだろうかと。深く深く、それは奈落の底までリッキーは深く反省していた。
    「俺らたちに怒って、呆れて、ずうっと帰ってこなかったら……。ど、どうしようかと思って……」
     どんぐり眼からぽろぽろと涙がこぼれた。
     反省の想いと、戻ってきてくれた喜びが、リッキーの小さな身体では処理しきれないほどに。ぐちゃぐちゃにかき乱されていた。
    「なによう……。あんたが泣いたら……あたしだって」
     アルフィンはそのまま、リッキーの赤毛をひしと抱きしめる。
     嬉し泣きを止めることが、どうしてもできずに。アルフィンもつられて声を上げて泣いた。
     2人は何十年ぶりかの、感動の再会といわんばかりの抱擁をしばし止められずにいた。
    「……えらいことになりましたなあ」
     後ろにいたタロスは、への字に口元を折り曲げる。
     生意気盛りのリッキーと、勝ち気なアルフィン。いつも身体のどこかをリキませている2人が、こうして支えあって泣きじゃくる姿に。タロスは内心、微笑ましさを感じる。
    「アルフィン」
     ジョウが背後から、肩に手を添えた。
    「パーティーはこれからだ。泣くのは後にとっておけよ」
     やさしい口調でなだめた。
    「……うん、そうね」
     アルフィンは、すんと鼻を鳴らすと抱く力を緩める。指先で涙を拭いた。リッキーもアルフィンを解放し、鼻を赤くした顔を上げて、へへへと照れ笑いした。
    「アルフィンを笑わせるネタなら、用意できてますぜ」
    「……タロス」
     アルフィンの視線は、頼りがいをみなぎらせた巨体に向けられた。
    「今回は思い知りましたぜ、祝い事の苦労ってやつを。逆立ちしたって、アルフィンにゃかなわねえ」
    「そんなことないわ、タロス」
     リッキーを離したアルフィンは。
     そのままタロスの胸に、正確には、固い腹筋で覆われた腹に飛び込んだ。普段は鋭い双眸が、あんぐりと口の形を模したように見開かれた。
    「ど、どうしたんですかい。……大袈裟ですなあ」
    「だって、すごく嬉しいんだもの。たくさんありがとうを言っても全然足りないわ。大好きよ、タロス」
     タロスに上体を預けた格好で、アルフィンは殺し文句まで言い放った。
    「ジョウ、どうにかしてくだせえ……」
     慣れないことで、タロスもおろおろしてしまう。
     引導を渡されたジョウは、清々しい笑みを浮かべながら肩をそびやす。
    「いいじゃないか、たまには。感激屋なアルフィンも、年に一度しか拝めないかもしれないぜ」
     そして片目をつぶってみせる。
     タロスはしばらくの間、棒のように立ちつくすしかなかった。

     それから、タロスとリッキーの案内で。アルフィンはリビングに足を踏み入れる。
    「わあ……」
     両手を胸に当て、いかにも手作り的な装飾に碧眼を輝かせた。内壁はきらきらとしたテープで囲まれ、星型のオーナメントがちりばめられている。そして極めつけは、天井にぶらさがったくす玉。
    「なんか……いいんですかねえ、こんなんで」
     片手で頭をひと掻きするタロスだった。
     リッキーが先導をきった飾り付け。どうにもこうにも、これ以上洗練されようがなかった。アルフィンは、周りを見渡しながらその場でゆっくりと一回転する。
     満足げな顔を、タロスに向けた。
    「あたしね、チャイルドスクールに入ってたとき、風邪でお誕生会に出られなかったの」
    「誕生会、ですかい?」
    「そう。同じ生まれ月のクラスメイトと、一緒にお祝いするんだけど。ひどい風邪で、結局欠席になっちゃって。こういうの……憧れてたのよね」
    「やったじゃん! 大成功だぜ!」
     リッキーは、ぱちんと指を鳴らし、飛び上がって喜んだ。
     一方タロスは、本当ですかねえ、と疑いながらも。アルフィンの表情に、嘘も無理もないことを確かめて、ひとまずほっとしていた。
    「キャハハ。あるふぃん18才オメデトウ。簡単ナ食事トばーすでーけーきノ用意、デキテマス」
     トラクレア時間では、朝と呼べる時刻にさしかかっていた。
     小腹も空いている。
     アルフィンは背を屈めて、ドンゴに覗き込んだ。
    「ありがとう。食事って、ドンゴ特製?」
    「イエ、がんびーのノれしぴカラ拝借イタシマシタ。キャハ」
     亡きガンビーノまでも、アルフィンの祝いにしゃしゃり出てきたようだ。ロボットのくせに、人間のように気が利くところがドンゴの優れた点。
     アルフィンはまた、碧眼をじんわりと潤ませた。
    「デハ、ワタクシ準備ニカカリマス。りっきー、手伝イヲ希望」
    「あいよ!」
     キャタピラを転がしながらリビングを出るドンゴを、リッキーは追った。
     その後ろ姿を見送ると、アルフィンは両手で顔の半分を覆いながら、涙をこぼす。どうも涙腺が壊れてしまったらしい。
    「……あたしって、本当に幸せ者だわ」
     ジョウは背後から近寄ると、アルフィンの両肩を支えるようにしてソファに移動させた。
     促し、座らせる。
     その前でジョウは片膝をつき、見上げた。
    「お気に召したかな、お姫様は」
    「───最高よ」
     座ったままアルフィンは、ジョウに抱きついた。
     青いクラッシュジャケットの肩口に、ぱたぱたと涙が落ちていく。
     その2人の光景を。
     タロスは目の端で見守りながら呟いた。
     やけにお熱いですなあ、と。アルフィンの追跡劇を報告されていないタロスは。この段階ではまだ、大人の想像を一人勝手に膨らませていた。

     一方。
     キッチンでは、ガンビーノのオリジナルレシピによるミートパイが、オーブンから香ばしいかおりを漂わせる。
     ドンゴには目分量という曖昧さがない。材料もきっちり計り、手順もデータ通りに段階を踏む。ゆえにミートパイは、ガンビーノがドンゴの手を借りたかのように正確に仕上がった。
    「久しぶりだなあ」
     リッキーの好物でもある。
     鼻先をひくひくと動かして、好々爺がテーブルに並べてくれた光景を思い出す。
     小さな胃が、くう、と鳴った。
    「アト30秒デ、出来上ガリ」
    「じゃ、トレイを出すか」
     リッキーは、シンクの後ろにある扉を開く。食欲をそそる香りにあおられて、棚の奥にしまわれているトレイを手際よく取り出す。
    「……あ?」
     トレイを手にしたまま、リッキーは。
     はて、といった表情をつくる。小さな、小さな違和感にふと気づいたせいで。
     この感覚。
     リッキーの勘の鋭さがあったおかげで、アルフィンの誕生日は素通りを免れた。あの晩に似た感覚が、なぜか再び脳裏に舞い戻った。
    「なにかなあ……」
    「ナンデスカ?」
    「あ、いや、なんでもないや。さっさと準備しちまおうぜ」
     違和感を無視した。
     なにせ今は、先にやらなければならないことがある。アルフィンのお祝い。これ以上大切なことは、リッキーのとって無いも等しかった。
     正確無比なロボットより、人間が優れている点は。
     第六感、ひらめきといった、コンピュータでは駆使できない能力があることだ。研ぎ澄まされた五感が基礎となり、磨き、開拓される感覚。
     リッキーは、その点でドンゴより優れていた。なにせアルフィンのかすかな異変を、敏感に“嗅ぎ”取っていたのだから。
     ただ、リッキーの場合。
     ドンゴほど、頭脳の配線が完璧ではない。状況を分析し、記憶と照らし合わせ、答えを弾き出すところにまでスムーズに連携しない。
     未熟なのである。
    「俺ら、熱々のうちに持っていく。ドンゴはケーキを頼んだぜ」
    「了解シマシタ。キャハハ」
     この無邪気な少年のことを思えば。勘づいても、判明しなかったことは幸い。
     アルフィンに抱きついた時の異変など。ミートパイの濃厚な香りにかき消されて、良かったのである。


    <END>




fin.
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