| 「前方10メートル、例のワゴン停止」 白い壁、白い廊下。かすかに、鼻をつく匂いがする場所で、身体にフィットするTシャツと細めのジーンズに身を固めた金髪の少女が、彼女のうしろについている少年にささやいた。 「だめだ、まだ人がついてる」 ひょいと首を突き出し、少女の脇から覗き込んで少年が答える。こちらのやけに小さい少年もまたTシャツにジーンズだ。 常に色彩のはっきりした特殊なスペースジャケットを着用して、危険な修羅場に身を置く彼らなのだが、今日はやけにラフな格好だ。しかし、表情は固い。誰にも見られてはならないというプレッシャーが知らず知らず、顔を引き締めていた。 今、彼らはそのワゴンを狙っているのだ。 ふたりは階段からあがった通路の壁に密着するようにしてワゴンを監視していた。前方にあるワゴンはステンレス製。大きな箱のように見える。ちょっと普通に使われているものより重厚な感じがする。そのワゴンからふたりの女性がかわるがわる、なにかを引き出しいくつかの部屋に運んでいた。その作業は丁寧にかつなごやかに行われている。彼女らが出入りする部屋には人がいるのだろうか?時には、話し声が聞えてくる。 「・・・・まだ、例のものは運ばれていないわね?」 「たぶん。いつも最後のほうに配られてる」 ふたりは目を凝らすようにして、確認した。
監視を続けて何分かが過ぎた。しかし、身を隠すふたりには長く感じる数分である。少女は焦れた。もう、ずいぶんと緊張を持続させているのだ。 「ん、もう!ふたりとも早くどこか行かないかしら?」 「無理だよ。もうちょっと待ってみようよ〜〜」 「あんた、やる気あるの?」 少年の気弱な提案に少女が一発食らわした。 彼が声にならない悲鳴を密かにあげた。 その時、チャンスはやって来た。 なにかトラブルがあったのか、ワゴンについていたひとりがもうひとりに呼び出されて あたふたとむこうに消えていった。 今までがちゃがちゃとせわしない音があふれていたのに、急に静かになった。 あたりに誰もいない。そこかしこにある部屋からも誰も出てこない。 少年がおそるおそる少女の顔を見あげた。 少女の目がかっと見開かれた。 「今よ!」 いきなり、少女が飛び出した。 あわてて少年も飛び出したが、足がもつれる。転んだ。 しかし痛いなどと言ってはいられない。少女ひとりではあぶなっかしいのだ。 悲痛な使命感に縛られた少年は、泣く泣く後を追った。
あっという間にワゴンに到達した少女は探し始めた。 その勢いといったらまるでなにかに突進する象やサイのようだ。しかも鬼の形相である。普段モデルばりに美しい彼女の容貌が見る影もない。 だがそんなことをなんとも思わぬ少女の心は焦る。 見つからないのだ、探し物が。 「ああん。どこ〜〜!!」 少女のヒステリーが頂点まで達しそうだ。それを感じた少年も焦った。それだけは、それだけはなんとしても避けねばならない。必死の極み。 と、その時。 「あったよ。アルフィン!」 少年が例のトレイを発見した。アルフィンと呼ばれた少女の顔がみるみるうちに高揚する。 はやる心が抑えきれない。早口で催促する。 「早く出して、リッキー!」 彼は素早くトレイを引き出すと、少女に歩み寄った。 「さあ、行くわよ、リッキー!!」 「オッケイ!」 顔をつき合わした彼らはきびすを返して、目的の部屋へ駆け込もうとダッシュした!! いや、しかけた・・・。
「アルフィンさん!!」 鋭い声で彼らは凍った。冷たい視線を背中に感じる。 廊下にぴったりと足が固定されてしまったみたいに動かない。 もちろん振り向いて声の主を確かめたいなんて、これっぽっちも思っていないし、早く逃げ出したいのに、足が動かない。が、ずっとこうしていられるわけでもなかった。へびに睨まれたカエルのような彼等は観念してうしろを振り向いた。
「あらら・・・。主任ナースのジャニスさん・・・」 少年はおびえた声を出した。そこにはかなり憤慨している主任ナースとワゴンについていたふたりが腕組みに仁王立ちというスタイルで彼らを睨んでいた。 「うわ!こわ!」と少年はつぶやいた。 「くっ!」と少女はこぶしをきつく握った。 呆れ顔で深くため息を吐き出した、主任ナースは学校の先生が子供を叱るような口調で少女に諭した。 「アルフィンさん・・・。何度言ったらわかるのかしら?ここは完全看護ですからね、ジョウさんのお世話はきちんとこちらがいたします。朝食の準備ももちろんわたし達がするんですよ。なんの心配も必要ありません。わかってますよね。ですから、こんな朝早くから、騒動を起こさないでくださいね」 主任ナースの笑顔は壮絶だ。 「いいですね?リッキーさんも」 もはや、うなずくしかない少年から他のナースが彼らのチームリーダーの朝食がのったトレイを取り上げた。少女があわてて喚いた。 「あたしたち、リーダーの面倒くらいみれるわよ。暇なんだし、それにここに来て、なんにもジョウにしてあげてないし。介護させてよお!」 「あ帰りください」 ナースたちの微笑みはもっとすごみを増した。 ゲームオーバー。 彼らは負けた。
負け犬は面会時間まで撤退だ。
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午後の面会時間。イスにこじんまりと座っているおいらの目の前でアルフィンとジョウが言い争っている。 もちろんそのお題は朝のことだ。兄貴はすっかり困惑している。というのもこのパスツール記念財団医科大学付属病院に来てからというもの、アルフィンとここのフロアのナースとの小競り合いが絶えないからなんだけど。ジョウのお世話、争奪戦ってやつ。でも今日の朝食ジャックみたいにすべてナースに完敗してる。だから、アルフィンのいらいらも絶好調なんだよね。 「なによお!ジョウったらナースたちの肩ばっかり持って!さいってい!おんなったらしぃ!」 「なに言ってんだ。ナースなんだぞ。仕事で面倒みてくれてるんだ。やましいことなんてなんにもないんだ」 「あやしい。ぜえったい。ナースたち色目ばりばりだもん」 「ばっ…。あほらしい」 堂堂巡りになってるよ。もう、いいかげんにしたらあ、という意見をおいらは飲み込んでふたりが落ち着くのをまっている。 実はおいらこの件に関してはアルフィンの味方なんだよねえ。 実際、兄貴はこの病院でナンバーワン、注目人物になっている。クラッシャーで超一流。超一流っていえば金持ち。そんでクラッシャーの評議会議長の一人息子。そう、アラミスの御曹司。二代目。ついでにさわやか、男前。そんな兄貴をクラッシャーに多額の寄付を受けてよーくクラッシャーのことを知っているここのナースがほっとくわけないじゃん。入れ代わり立ち代り、やってくるナースの視線が熱いのに気がついてないのは兄貴だけ。 視線じゃなく、なにげにタッチが多いのも気が付いてない。本当に鈍感だ。熱をはかるのも、脈をとるのも他の患者よりずっと長い時間やっている。アルフィンが焦るのもわかるんだよね。だいだい、他のフロアのナースだってわんさかやってくる。 それにおいら、聞いちゃったんだ。ナースの会話。昼下がりのナースステーション。 「ね、やっぱ、ジョウさんていいわね」 「男前で、金持ち。腕利き、超一流よお」 「うん、うん。でもさあ、なんか金髪のコがひっついてるじゃない?」 「ああ、あれ?あんなネンネ、敵じゃないわよ」 「まだ、やってないって感じ?」 「そうね。まだつけいる隙があるわよね〜」 「あらあ、また体でも使う気?」 「そうよ、使えるもんは使うわよ。あんたたちだって、こっそり携帯ナンバー渡してるでしょ?」
な〜んて会話をナース達が話してるのを聞いたときはびっくりした。あんなに清楚で素敵なナースさんたちが…。 ああ、女の人って怖い。 アルフィンより怖いなんて、おいら女性恐怖症になりそうだ。
ふうう。で、まだ兄貴とアルフィンは言い争っている。 明日はなにでガチンコ勝負仕掛ける気だろ? リハビリかなあ? そんなことを考えながら、おいらはぼんやりふたりを眺めていた。
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