| ジョウは、ため息をついて右手をぐっと握り締めてから両手を頭の後ろに回した。 ―――ドジったぜ、まったく。確かに、目を瞑ってたのはまずかったな。 少し反省してみる、ジョウ。アルフィンが戻るまでに何とか動揺を鎮めなければ。そうも思っている。 ―――どっちにしろ、済んだことはしかたないんだ。わざとじゃないんだし。 ジョウは必死で自分を納得させようとする。後ろめたい事は無いはずなのだが。どうも、あの感触を思い出してしまいそうで。落ち着かない。 ―――寝ちまおう。 冷静さを取り戻すため、ジョウはもやもやした気分を振り払うと目を閉じた。
どのくらい経っただろうか。 ジョウは、浅い眠りの中で人の気配を感じた。このしなやかな動きは。多分、アルフィンだろう。すぐ傍で彼の様子を窺ってるらしい。何となく気まずくて、ジョウは身動きすらしなかった。 すると。彼女が動く気配がした。ジョウの横たわるビーチベッドが微かに軋む。アルフィンがジョウの脇の空いてる場所に腰を下ろしたようだ。 何をする気だ? 眠った振りを続けながらも、思わず警戒するジョウ。 その頬に。ヒンヤリした感触。 「うっ?」 思わず身体を硬くし、ジョウは目を開ける。横目で見ると、冷たいモノが押し付けられていた―――先程打たれた左頬に。ジョウは、サングラスを額の上に押し上げ少し顔をそちらに傾けた。鮮やかな青。そして、甘い香り。頬に触れているのは、冷たいカクテルの入ったグラス。視線で先を辿ってゆくと。碧い瞳と出会う。彼女の背後に広がる空に負けないほど青く澄んだ瞳に。 その時。ジョウの心に不思議な感覚が広がる。今まで気付くことが無かった、心の奥底に仕舞い込んだ何かに、そっと触れられた感触。優しく暖かな気持ちが湧き上がり、ジョウはただ戸惑う。 一瞬の出来事だった。ジョウが起きたのを確認したアルフィンがグラスを引っ込める。彼女は、グラスを脇のテーブルに置くと立ち上がり、隣のビーチベッドへと移動した。彼女はジョウのほうに向かって座り、テーブルからフレッシュジュースの入ったグラスを取ると一口飲む。やがて、少しモジモジした様子で口を開いた。 「―――ジョウも、喉乾いてるかなっと思って」 「ん?あ、あぁ。サンキュ」 ジョウは頷くと身体を起こした。彼女の方から、仲直りをしたがってる素振りを見せたのにホッとしながらも、まだ心は落ち着かない。 「タロスとリッキーは?」 「ん?あいつらなら、その辺ふらつくって言ってどこかに行ったぜ」 「そぉ・・・」 冷たいものを飲みながら、ポツリポツリと会話は続く。アルフィンが自分の見て回ってきた周辺の様子をジョウに説明して、それに彼が頷くか一言二言返事をするだけの会話。今だ「日焼け止めの一件」は後を引いている。 会話が途切れた。 カクテルを飲み終えたジョウは、再び身を横たえる。それを見たアルフィンが腰を上げた。ジョウのビーチベッドの所に来ると先程と同じように、彼の脇にそっと座る。 「な、なんだよ?」 焦って声が上ずるジョウに、アルフィンは照れ臭そうにポツリと呟く。 「ごめんね、ジョウ」 「うん?」 「―――わざとするわけないもんね、ジョウが。だけど、つい・・・驚いちゃって」 「俺も、物凄く驚いた・・・」 ジョウがボソリと呟く。 二人はクスリと笑う。気まずさが消えた。 しかし。あれは過去の事と割り切ったせいだろうか。アルフィンはニッコリ笑うと甘えるような瞳でジョウを見下ろす。ジョウの脳裏に嫌な予感。 それは、的中した。アルフィンは天使のような笑みを浮かべて言い出した。 「だから、今度はちゃんと塗ってね」 「へ?」 「日焼け止め。塗りなおして貰わないといけないでしょ?」当然という顔で言うアルフィン。 「だって、効果が薄れちゃうもの。そうね、四時間おき位かしら?」 「か、勘弁してくれ」 跳ね起きてジョウは必死の形相で首を振る。 「どうして?」 「どうしても!」 アルフィンが身を乗り出してきたので、腰が引け気味になりながらもジョウは抵抗した。 「もう、意地悪」アルフィンは拗ねた口調でそっぽを向く。 「じゃ、やっぱりルームサービスの人に頼んでみるしかないわね」 「そ、それは駄目だって」 「それじゃ、誰か探すから良いわよ」更にむくれるアルフィン。 「さっき歩いてた時に、話しかけてくる人結構いたから、その人達にやってもらうもん」 「あ゛―。それはもっと駄目だ!」 「じゃあ、どうしろってゆうのよ!」アルフィンもとうとうヒステリーを起こす。 「あれもこれも、みーんな駄目って。それじゃ、外出れないじゃない!」 「分かったよ。やってやる!俺がやるから、いい!」 「ホント?」 ころっと機嫌が直るアルフィン。 「―――あぁ」 顔を顰めながらも頷くジョウ。内心、頭を抱えていたが。 「でも、良い?ちゃんと塗ってよ。適当にやらないでね?」 「了解・・・」ジョウは力なく頷く。そして、弱気に付け足す。 「あのな・・・スプレータイプのって無いのか?」 「え?」 「あれは、その・・・やりずらい。出来れば、スプレー式のあれば良いんだが」 「んー」アルフィンは小首を傾げて考え込む。と、ニッコリ笑う。 「そうね、それのが手軽ね」 「だろ?」 ジョウは引きつった笑顔で大きく頷く。だが、次のアルフィンの言葉でそれも凍りつく。 「じゃ、買いに行きましょ。ジョウ、レンタカー借りてね」 「か、買いに・・・行くのか、外で?ホテルじゃ、無いのか?」 「いいじゃない。ついでに他も見ましょ」 「他って、さんざん買い物してきたんじゃ―――」 「行かないの?」 「―――行かせてもらいます」 「ん♪」すっかりご機嫌になったアルフィンは腰を上げ、ジョウの腕を引っ張り急かす。 「ほらぁ、早く行きましょ?」 「え、今からか?」 「そぉよ。そうすれば、明日朝からビーチでのんびり出来るじゃない?」 ジョウにアルフィンは輝くような微笑を見せる。つられてジョウも微笑みながら、また不思議な感覚に囚われる。その湧き上がる感覚に身を任せたくなる。だが反面、押さえ込もうとする自分もいた。 考えるのが面倒になって。 ジョウはバッとビーチベッドから飛び降りる。そして。 「じゃ、俺は先に行ってるぜ」 言うが早いか、ジョウは駆け出す。呆気にとられたアルフィンは立ち尽くしていたが、我に返るとジョウを追いかけて自分も走り出した。 「あん。待ってよぉー」 わけが分から無いが、とにかく置いていかれたくない。アルフィンは必死になって追いかける。 少し走ったところでジョウが急に止まった。 後ろを振り返る。アルフィンが長い金髪をなびかせ、一生懸命走ってくるのが見えた。 ジョウはそのまま彼女を待つ。やがて追いついたアルフィンは、勢いを殺せず転びそうになり、慌てて腕を差し伸べるジョウに抱きとめられる。 彼女は肩で息をしたまま、暫く声も出ない。 「大丈夫か?」 ジョウは笑いを含んだ声で聞く。アルフィンは大きく深呼吸して息を整える。 「い、じ・・・わる」 やっとそれだけ言うと、アルフィンは上目遣いでジョウを見た。視線が交差する。潤んだ碧い瞳。ジョウは急にどぎまぎしてアルフィンを引き剥がす。押さえ込もうとしても、遮ろうとしても湧き上がるこの感覚は何だろう? ジョウはアルフィンに目を向ける。少し乱れた髪、ほんのり赤みを帯びた白い顔、そして碧い瞳。その背後に広がる紺碧の海。 「綺麗、だな」 「え?」 思わず呟くジョウに。アルフィンは首を傾げる。 「いや」 照れ臭そうに笑い、ジョウは海を見つめた。彼女を迎えての初めての休暇。きっと、これからもこうやって何度も休暇を過ごす事だろう。そうすれば、いつの日か分かる気がした。この心に触れたものが何であるかを。 ジョウはアルフィンを振り返る。始まったばかりなのだ、何もかも。 「行こうか?」
FIN
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