| 「ごめん、ちょっと待っててくれる?」 アルフィンは口元で両手を合わせ、申し訳なさそうに片目をつむった。 その愛らしいしぐさにジョウは肩をすくめて、笑った。 「いいさ。ここで待ってるから、ゆっくり行ってこいよ」
長い金髪をなびかせながら走ってゆく後ろ姿を見送り、ジョウは内心ほっとしてベンチの背に上体を預けた。 このショッピングモールに来てからすでに3時間。いい加減、アルフィンのお供にも疲れ果てていた。 我知らず、長い吐息がでる。 と、すぐ隣からくすくすと笑う声が聞こえた。 慌てて右横に目をやる。 そこには軽くカールしたハニーブロンドを肩まで延ばした、ひとりの少女が座っていた。 「お兄さん、疲れちゃったの?」 大きな緑色の瞳をきらきら輝かせて、楽しそうに少女は言った。 歳の頃は6、7歳くらいだろうか。 ジョウはちょっと驚いたが、相手が小さな少女だったこともあり気を許して答えた。 「ああ。女の買い物って大変なんだ」 大袈裟に肩をすくめて右ひじを背もたれにかける。それから視線だけを少女に戻して、訊いた。 「君は?お母さん待ちか?」 「そう」少女もその小さな肩をすくめて、答えた。 「お母さんの買い物も、大変みたい」 ジョウは思わず、苦笑した。
「きれいなお姉さんね。お兄さんの彼女?」 少女はアルフィンが走り去った方をぼんやり見ながら、訊いてきた。 「うー。まぁ、そんなもんだ」いきなり質問されて、ジョウは言葉を濁す。 そしてこんな少女の前で、顔を赤らめている自分に心の中で舌打ちした。 「そんなもん?」少女は不思議そうに首を傾げる。 「そんなに、好きじゃないの?」 「い、いや。そういう意味じゃなくて・・・」ジョウはしどろもどろに言葉を探す。 「あのお姉さんは、お兄さんしか見てなかったみたい」 少女はその深い緑色の瞳をふっと翳らせ、うつむいた。 「可哀想・・・」 まるで涙がこぼれそうになるのを我慢するように、両手を膝の上で握り締めた。
近くに立っている初老の紳士が、心配そうにこちらを見ている。 これではジョウが少女を苛めているみたいではないか。慌ててジョウは少女の方に屈み込んだ。 「ちがうよ。本当は大好きなんだ。でも、そんなこといつも言ってられないだろ?」 「なんで、いつも言ってちゃいけないの?ダディは毎朝マムに愛してる、って言ってキスしてるわ」 「うーん、それは、色々な形があるだろうしさ・・・」 ジョウは真っ赤になりながら、癖のある黒髪を片手でぐしゃぐしゃと掻いた。 「とにかく。大丈夫だから。君が心配しなくてもいい」 「ほんと?」 少女が潤んだ緑色の瞳で、ジョウを見上げた。
ふっと、違和感があった。ジョウの脳裏を何かがよぎった。 「君・・・前に会ったこと、あるか?」 思わずその疑問を、素直に口に出して訊いてみる。 少女が一瞬、目を見開いた。そして不思議そうに首を傾げて、言った。 「お兄さん。それ、ナンパって言うんじゃない?」 「ぶっ」 ジョウは吹き出した。 そしてこんな質問をした自分に嫌気がさして、再びぐったりとベンチの背もたれに寄りかかった。 (ったく。最近のガキはマセてるぜ・・・)
「あ、マムだわ」少女が小さく呟き、素早く身を起こした。 そしてジョウの方を振り返り、悪戯っぽく笑って言った。 「いい?浮気はだめよ」 「はいはい」 ジョウは今までの問答に疲れて、投げやりに答える。 「それから・・・」少女は一瞬、間を開けてから静かに言葉を続けた。 「アルフィンを・・・大切にしてあげてね」
「フィリシア」 母親が娘の名を呼んだ。少女はそのハニーブロンドを翻して、跳ねるように駆けて行く。
ジョウが叩かれたように立ち上がった。 彼の目には、母親に嬉しそうに飛びつく少女の姿が映った。母親は笑って少女の頬にキスをした。 ショッピングモールの人混みが彼女たちの姿をすぐに巻き込み、見えなくしてしまった。
どれくらいの時間がたったのだろう。 ジョウは自分の腕が揺さぶられているのに気付き、我に返った。 「ジョウ!どうしたの?ねぇ、ジョウったらぁ・・・」 慌てて視線を下ろすと、アルフィンの訝しげな碧い瞳があった。 「アルフィン」ジョウがぼんやりと名前を呟く。その名を、さっきの少女が確かに口にしたのだ。 そして、はっとして人混みに目を戻した。 「今・・・」何かを探すように身体を伸ばし、顔を傾ける。 「どうしたの?誰か居た?」 アルフィンもつられて、後ろを振り返った。
明るく陽光の射すショッピングモールは、楽しげな家族連れや幸せそうなカップルで賑わっていた。 この人々の中に、あの少女は帰って行ったのだ。
まだ若い上品な身なりの母親は、愛しそうに娘にキスをしていた。 夫婦仲の良い父親もまた、娘を目の中に入れても痛くないほど可愛いがってくれているだろう。 幸せそうな少女。それで充分だった。 (今度は両親に愛されているんだろう?ソニア) ジョウは漆黒の瞳を優しく細めて、その人混みを眺めていた。
「ねぇ。もう、どうしたっていうのよ」 気付くとアルフィンが頬をふくらませて、下から睨んでいた。 長い間ほおっておかれて、かなりご機嫌斜めだ。 ジョウは優しい表情のまま自然なしぐさでアルフィンを引き寄せ、その額に口づけた。 「ど、どうしたっていうのよ」 突然のジョウの動作に、アルフィンの白い肌がみるみる薔薇色に染まる。 「大切にしろって、さ」 ジョウは悪戯っぽく笑い、アルフィンの華奢な肩に手を廻した。 脳裏に浮かんだソニアの緑色の瞳も、笑っているように見えた。
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