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■848 / inTopicNo.1)  コントロール
  
□投稿者/ まぁじ -(2005/04/15(Fri) 04:42:56)
    ノート型の端末、そのモニタの上を、ジョウの人差し指がなぞる。なにかのグ
    ラフだろうか。ボーダーラインが引かれ、縦軸には数値が記されている。そこ
    に赤や黄色、オレンジ色の曲線が交差している。まるでオーケストラの指揮の
    ように、曲線の形状はどれも似通っているのだが、波が大きかったり、小さか
    ったり、まちまちなのだ。
    「なるべく鋭く突っ込む。そう……これくらい鋭角に」
    モニタの右上にあったポインタを、指先でタッチする。そして左下へと、斜め
    に振りおろした。ジョウの指先の動きに合わせて、モニタの半分に白線のスラ
    ッシュが描かれる。
    「こわーい」
    デスクの角に、両手をつく姿勢で覗き込むアルフィンが漏らした。
    彼女は、次の任務までのわずかな自由時間ゆえに私服でいた。爽やかさが匂い
    立つようなレモンイエローのキャミソールはワッフル素材で、レースのトリミ
    ングが施されている。これにデニムのミニスカート。素足にはスパンコールが
    きらめく、ミュールのいでたちだ。
    一方チェアに腰掛けているジョウは、さらにラフな格好でいた。
    どうせすぐクラッシュジャケットに着替える心づもりなのだろう。グレイのヘ
    ンリーネックのTシャツに、ボトムは黒のスウェット。ルームウェアであり、
    ジムでのトレーニングウェアにもなる。わずかな自由時間だからこそ、間に合
    わせの格好で充分だった。
    頭ふたつ分低い位置から、ジョウはアルフィンを見上げる。そして淡々とした
    口調で続けた。
    「大気圏の飛行で、本当に怖いのは失速だ。重力に対抗するためにも、揚力を
    いかに得るかがポイントになる。がつんと突っ込めば、翼がてっとり早く揚力
    を掴みやすいんだ」
    「このまま地面に叩きつけられない?」
    「心配ないよ」
    「ホント?」
    「出力は、がばっと開けてな」
    「がば、っと……」
    「そうすりゃ自然に、機首が上がる」
    ジョウは余裕の笑みだ。片やアルフィンの表情は、曇ったままである。
    「高度どれくらいで手応えがくるの?」
    「そうさなあ」
    キーボードを操作する。そしてジョウがいくつかのテンキーを入力し終える
    と、モニタのボーダーラインに機体を模したポインタが映った。右上から、先
    ほどジョウが描いたスラッシュのラインを、緑色の線がトレースしていく。モ
    ニタの左下でポインタが止まる。そして点滅した。
    「酸素濃度によって誤差は出るけどな。一般的にテラフォーミングされた環境
    下、約21%で計算すると……」
    ジョウの目が、算出された数値に止まる。ついでに動きも止まった。
    「ねえ、どれくらいなの」
    すかさずアルフィンがせっついた。
    モニタと彼女を、交互に見やる。そしてジョウは「テクニックは度外視なんだ
    が」と付け加えてから答えた。
    「ファイターなら、高度約10メートル」
    「じゅ……」
    碧眼が、こぼれ落ちんばかりに見開かれた。
    「まあ軽飛行機だと5メートル、てとこか」
    付け加えられたコメントに、今度は口をあんぐりと開け放つ。そしてデスクか
    らじりじりと、尻込みしはじめた。
    「嘘でしょ?」
    首を左右に何度も振る。その度に、金髪が波打った。
    「10メートルなんて、目と鼻の先じゃない」
    「ただこの高度が一番、強い揚力を得られる。地面効果を受けるからな。アッ
    パーカットを一発くらう感じ、てとこだ。強い反発がくるから、きっちりコン
    トロールしないとまずい。機首が上がりすぎると、失速しちまう。抑え込むた
    めには、気絶なんかしてらんないぜ」
    はー。アルフィンの両肩が、だらりと下がった。
    「だめ。話になんない」
    両の腕で我が身を抱く。ぶるりと震え、首をすくめた。
    「なんだ。さっきの威勢ははったりかい?」
    デスクに頬杖をつき、ジョウはからかうような口調で突き返してきた。
    勿論、案の定。
    反射的にアルフィンはむっとした。唇を突き出した顔で、見下ろす。
    互いのまなざしが、真っ向からぶつかった。すかさずジョウは、目元ににやに
    やと何かふくませた表情を浮かべる。視線だけでしばし、たっぷりと、アルフ
    ィンをけしかける。
    「お、怖じ気づいたワケじゃないわよ」
    「ほー」
    「自己を冷静に判断したまで。今のあたしの技術じゃ、大気圏での飛行はちょ
    っとリスキーねって。けど、あくまでも今のあたしよ。今後のあたしだと、話
    は変わるわ」
    「それはそれは」
    アルフィンから、弱気のオーラが消えた。最初、ジョウの船室に飛び込んでき
    た時と同じテンションに戻る。
    それを見届けると、ジョウは端末に向き直った。キーボードをいくつか叩き、
    終了作業を行う。
    かすかな電子音をたてたあと、モニタはブラックアウトした。

    ──珍しくアルフィンが、きちんとした理由を抱えてジョウの船室を訪れた。
    用件は、ファイターの操縦に関する相談である。
    宇宙空間では、一通りの働きをこなせるようになったが、大気圏での経験値は
    指折り数えるほどだ。大概はジョウのコ・パイ、もしくは地上装甲車のガレオ
    ンを任される。
    何故そうなるのか、理由はひとつ。危険過ぎるからだ。
    宇宙空間と異なり、大気圏は気流や気圧などが流動的で、はっきり言えば不安
    定この上ない。咄嗟の反射神経だけでなく、機体の外鈑越しからでも変化を感
    じ取れる、繊細な感性が要求される。
    だからといって、アルフィンが鈍いという訳ではない。クラッシャー歴の浅さ
    を考慮すれば、適応力はかなり高い方だ。彼女自身も自意識過剰ではなく、冷
    静にそう自負している。
    そのうえ根っからの勝ち気も奏して、活躍の場をさらに広げたい意欲に湧いて
    いた。彼女の向上心は、新人の鏡と言えよう。
    だが動機は至って単純なもので、もっとジョウに、頼られるだけの技術と経験
    を身につけたい。これに尽きる。
    宇宙空間は無限だ。それもうんざりするほど。しかしアルフィンには、その宇
    宙空間にだけ出番を縛られることに納得がいかない。大気圏でも、充分な働き
    っぷりを披露したいのだ。でなければクラッシャーとして、一人前とはいえな
    いとも思っている。
    そう息巻いてジョウに相談を持ちかけたのだが。
    現実は、想像以上にシビアだった。
    ジョウの端末にメモリされている、いくつかの事例を交えてレクチャーを受け
    るうちに、大気圏での操縦の全体像やクセが見えてきた。難易度が遙かに高
    い。重力による身体的な負荷も踏まえると、相当の我慢と度胸も強いられる。
    これは計算外だった。
    アルフィンが弱音をうっかり吐いてしまうのも無理はない。17才の女の子の
    心理としては、ごく自然な反応だ。
    けれども慌てて撤回するあたり、アルフィンの性格がそうさせた。

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■849 / inTopicNo.2)  Re[2]: コントロール
□投稿者/ まぁじ -(2005/04/16(Sat) 10:25:24)
    「ねえジョウ、習うより慣れろと言うじゃない? 丁度お誂え向きの任務もあ
    ることだし。ファイター2のパイロットは、あたしに任せて」
    次の依頼は、惑星ポンヌフ、その大統領のボディガードである。大胆な政権交
    代のごたごた続きで、身辺が不用心極まりない。今回は惑星外に出ることはな
    く、大陸各地で騒動の沈静化をめざし、演説や懇談会へと大統領は奔走する。
    そのすべての時間をガードする任務だ。
    国家航空機での移動中は、ファイター1・2を出動させる手はずでいた。アル
    フィンはそこに目をつけたのである。
    だがジョウは、しょっぱなから難色を示した。
    「ポンヌフ防衛軍と、ランデブー飛行なんだぜ」
    「ええ、分かってるわよ」
    「悠長な旅客機とは訳が違う。編隊を組むのは戦闘機だ」
    「あら、ファイター2だって立派な戦闘機じゃない」
    「そりゃ、そうだが」
    顔をしかめる。
    するとジョウは、会話を一拍空けるためか、ノート型の端末をわざとぱたんと
    音をたてて閉じてみせた。
    傍らに立っていたアルフィン。歯切れの悪いジョウに、あと一押しするつもり
    で、お行儀悪くデスクの角にお尻の片側を引っかける。至近距離からジョウを
    見下ろした。
    「ねえ、いいでしょ?」
    甘えた口調でやんわりと押してくる。
    しかしながら、ドレスやアクセサリーをねだるのとは訳が違う。下手をすれば
    命に関わるかもしれないのだ。
    ややあって、端末に落としていた視線をジョウは切り替えた。上目遣いで、ア
    ルフィンを見返した。
    太陽の下と違い、船室の照明程度だと、ジョウのアンバーの瞳は漆黒に映る。
    それがまるで「俺の目の黒いうちは許さない」と代弁しているようで、いつも
    以上に力強く訴えるものがあった。
    アルフィンは無意識に固唾を飲んでいた。そして「怒られるかも」と咄嗟に脳
    裏をかすめ、瞬時に肝を据えた様子。
    が、実際のところ。
    それら身構えたことはすべて空振りで終わった。
    「──悪かった。煽って」
    「え?」
    アルフィンは、まばたきを繰り返した。
    「きみがムキになるのが面白くて、つい、な。だからといって、次の任務に焦
    るこたあない」
    「だけどチャレンジしなきゃ、いつまでも上達しないわ」
    「ちゃんと考えてある。アルフィンのスキルアップ、てやつをさ」
    「ジョウ?」
    ジョウの口元が、ふっとほころんだ。途端、鉛のように重々しかった漆黒の瞳
    に、温かな光が宿る。
    そうアルフィンには見えたようだ。
    ジョウは両脚を踏ん張ると、チェアを後方にスライドさせる。デスクから遠退
    いた位置で、両の腕を組みながら言を重ねた。
    「実は、前々から検討してたんだ。シミュレーションマシンを導入すべきかど
    うか」
    「操縦トレーニングの?」
    「ああ」
    二、三頷く。
    「リッキーにもそろそろ、<ミネルバ>を操れるスキルが必要かなと思ってた
    んだ。まあ、タロスは、生っちょろいやり方より、実践にぶち込めとあしらわ
    れたけどな。とはいえ、実験台に<ミネルバ>を扱わせるわけにはいかない」
    「……そうよねえ。あたしたちの家が破壊されたらことだわ」
    宙に浮いた右足をぶらつかせながら、アルフィンも頷いた。
    「だろう? しかもタイミングよく、ニュースパックでなかなかいい代物の話
    が舞い込んできたんだ。巡り合わせかな、と思ったんだが……」
    「どうかした?」
    「これが、プライスもなかなかご立派でね」
    ジョウは苦笑いを浮かべながら、肩をすくめる。
    「あっさりタロスに却下されちまった。リッキーにそこまで投資することはな
    い、だとさ」
    男を育てるのに、手塩は要らない。余計な甘やかしは、腑抜け者になる。まだ
    あどけない少年とはいえ、リッキーを男と見込んでの発言なのだろう。しかし
    聞きようによっては、誤解を招きやすい。
    「タロスの愛のムチね」
    口にすると、ふふふと笑った。彼女はきちんと、タロスの本音と建前を見抜い
    ている。
    「まあ多少は、あいつも半ば勢いで言ってる節がある。だが俺としてはやっぱ
    り、前向きに導入を検討したいんだ。そうなると、アルフィン。きみがシミュ
    レーションを望んでくれると、うまい具合にことが運ぶ」
    「あたしが?」
    「さすがにタロスも、女の子に手荒なトレーニングは強要できないさ」
    ジョウの口調はすでに、九分九厘勝ちを意識していた。タロスの性格を踏まえ
    れば、ほぼそれで間違いないだろう。
    流れからして、万事丸く収まる筈だった。
    ところが。
    「なーんだ。がっかり」
    アルフィンの一声が船室に響き渡った。そしてつま先にひっかけていた片方の
    ミュールを、ぽん、と床に放り出す。空中で数回転し、ヒールを天井に向けて
    ぺたんと落ちた。
    なにやら暗雲の予感。
    「つまり、リッキーのためにあたしを利用するのね」
    「え?」
    「てっきり、あたしのための提案かと思ったのに。とんだぬか喜びだわ」
    肩にかかった金髪を手で払うと、そのまま、つん、とジョウに横顔を向けた。
    ヘソを曲げたようだ。
    「おいおい、悪くとるなよ」
    即座にジョウの身体は反応した。組んだ腕をほどき、アルフィンときちんと向
    き合うつもりで、乗り出す姿勢をとった。
    「アルフィンも使うなら、タロスも二つ返事でオッケイを出す。そういう意味
    なんだぜ」
    「でも、ジョウが必要と感じた動機はリッキーが最初でしょ?」
    「それは」
    「要はあたしより先に、リッキーの成長に期待してるってことなのよ」
    言葉にしたあと、アルフィンはきゅっと唇を結ぶ。横顔がさらに固くなった。
    ジョウはどうしたもんかと、無言のまましばし、彼女の反応を伺う。
    場の空気が重苦しくなった。
    だがいつものヒステリーと今回は、温度差があるようにジョウは感じた。怒り
    狂うと、アルフィンの瞳は青白い炎と化す。が、目の前の碧眼は、深い海の底
    のようにどんよりと沈んで見えた。
    ああそうか、とジョウは合点がいった。
    アルフィンは腹を立てるというより、いじけているのだ。
    ジョウは乗り出した姿勢のまま、おもむろに両手を組む。そして努めて優しい
    口調で切り出した。
    「アルフィン」
    「……なによ」
    「ちょっと聞いてくれるかい?」
    横顔は動かさず、ちら、と視線だけがわずかに向いた。
    それに勘づいたジョウは小さく笑いかけ、ゆっくりと考えを言葉に乗せはじめ
    た。
    「──確かに俺は、リッキーとアルフィンを同じように扱っていないようだ。
    言われてみて、自覚した」
    「ほら、やっぱり」
    図星でしょ、というニュアンスを込めて突き返す。だが、外れてほしかった、
    とでも言いたげな、気落ちした響きも混ざっていた。
    ジョウが続ける。
    「けど勘違いしないで欲しい。きみの成長を望んでない訳じゃない。ただ……
    急ぐ必要はないと思ってる」
    「どうして? もっといいチームにしたくないの?」
    「うん、まあ、それはそうなんだが」
    「女だから?」
    ジョウは一瞬、空を見つめる。
    その仕草は、頭の中でばらばらに散らばった言葉のピースを探っているかのよ
    うだ。それも相当慎重に、丹念に。
    普段、会話のキャッチボールが軽快なだけに、ジョウらしくない、おっとりし
    た語り口は慣れない。じれたアルフィンは、ついぞこちらを向いた。まっすぐ
    ジョウに視線を定める。
    ややあって言葉がまとまったのか、ジョウもアルフィンを見つめ返した。
    軽く唇を濡らしてから、続きを語る。
    「女でも、クラッシャーの最前線でバリバリやってる連中はいる。たとえば、
    ダーナのチームとかさ。けど俺は単純に、きみにはこの仕事をのびのびやって
    欲しいんだ。余計なプレッシャーや周囲の評価なんてのは、気にするな。マイ
    ペースでいい。足りないとこは、俺が全面的にバックアップしていくから」
    「……それって甘やかしにならない?」
    「まさか」
    ジョウは一笑に付すると、かぶりを振った。
    「アルフィンは、厳しいクラッシャーの世界でよくやってる。きみこそ、過小
    評価しすぎだ」
    「そうかしら」
    「そうさ」
    念を押すようにジョウは繰り返した。


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■850 / inTopicNo.3)  Re[3]: コントロール
□投稿者/ まぁじ -(2005/04/17(Sun) 06:19:11)
    ピザンの王女という立場から、クラッシャーへの劇的な転身。それがアルフィ
    ンの経歴だ。
    スカウトではなく、一方的な押し掛け女房ではあるが、結果的に彼女の身を引
    き受けた以上、ジョウはひとつの責任を自らに課した。それは、クラッシャー
    アルフィンの人生が実り多きあるよう、全力でサポートすることだ。
    未だならず者のレッテルがつきまとう、クラッシャー稼業である。アルフィン
    も最初は、ジョウたちに尻込みしたほどだ。銀河系全土に、根強い偏見と言え
    よう。
    それなのにアルフィンの父と母、ハルマン三世とエリアナ王妃は、大切な一人
    娘の意志を尊重し、ジョウたちを信頼し、突拍子もない転身を許したのだ。だ
    がその裏では、身を引き裂かれんばかりの決断を強いられたに違いない。
    だからこそジョウは、その期待に報いたい。応えなければいけないと、一層気
    を引き締める。
    アルフィンの今後次第で、ピザン国民を敵にするか、味方にするか。またアル
    フィンを生かすか殺すかで、クラッシャーの母星・アラミスの評価も左右され
    るとさえ考えている。
    決して、オーバーではない。それだけの立場、影響力のある人間が、アルフィ
    ンという少女なのだ。
    そしてジョウは、託された一人の少女を守り抜かなければ、男としての面目が
    立たないと自分を追い込むのだった。
    また、こうも考えている。
    アルフィンは、猪突猛進なタイプだ。こうと決めたら最後、なりふり構わずな
    ところがある。その上、大の負けず嫌い。泣きながらでも、歯を食いしばって
    意地だけで貫き通す傾向が強い。
    アルフィンが本気でクラッシャーの頂点を目指したら、男共など蹴散らされ
    る。最短距離を一気に駆け上って行く、そう推測する方が容易い。
    彼女が満足ならば、多少がさつな生き方もいいだろう。
    しかし。
    欲を言えば、その未来像はジョウの望む姿ではない。バリバリのキャリア・ウ
    ーマンを否定する気は毛頭ないが、アルフィンがわざわざそこに収まることは
    ないと思っている。ところがのめり込みやすい質の女性は、揃いもそろってギ
    スギスした女街道をひた走る。何故か。
    その典型的な例が、ジョウの幼なじみである、クラッシャーエギルの娘たち
    だ。特に長女ダーナは、外見は女性として十二分に成熟しているのに、言動は
    どうも艶っぽさが欠落している。ライバルを蹴散らし、出世することに躍起に
    なりすぎて、女として洗練することがお留守になっている。
    子供の頃は、「ボーイッシュ」「お転婆」と愛嬌にもなったが、大人の女性に
    はもう通用しない。
    仕事のステイタスに執着しすぎるあまり、渇いた女になることが、果たしてア
    ルフィンのためなのだろうか。異性として、ジョウは気にかけていた。特に彼
    女のようなまっしぐらな性格は、時折手綱を握ってやらなければならない。
    だから今回のように、リッキーへの嫉妬心や競争心をちらつかせたら、一旦引
    き留め、ガス抜きが必要になる。

    ジョウは。
    組み手をほどくと、ぱん、と両手を叩いた。
    突然の音に、アルフィンは一瞬びくりと跳ねる。さも催眠術を解かれた被験者
    のようにはっとして、何かから覚めたような、憑依されたものが抜け落ちたよ
    うな、きょとんとした表情を露わにした。
    ここでようやく、ジョウは話をふりだしに引き戻した。
    「いいか、アルフィン。常に向上心をもつことは大事だ。けどな、先を焦り過
    ぎると、妙なところですっ転んじまうもんさ。それが致命的にでもなったら目
    も当てらんないぜ。もっと長い目で、自分の成長を見届けるんだ。どうせ一生
    この仕事で食っていく、どうせいつかは誰かを教える立場になる。そう考えり
    ゃ、じっくりシミュレーションを積んでから実践に出たって、ちっとも遅くは
    ない」
    口先だけでなく、漆黒にみえる瞳をも通して、ジョウはじっくり語った。
    アドバイスを聞き入れたアルフィン。特に「どうせ一生」のくだりで、肩の力
    がすっと抜けたのを感じた。
    「……うん」
    こっくりと、素直に顎を引くのだった。
    「それならいい」
    ジョウは穏やかな笑みを浮かべた。
    アルフィンは思った。
    いつも頼もしいのだが、今ここにいるジョウは特別に頼もしい、と。見慣れた
    笑顔が、急にまぶしく見えて仕方のない彼女だった。
    すると途端に、デスクにお尻を引っかけている行儀の悪さが気になった。慌て
    てアルフィンは下りると、転がっているミュールをつま先で探り、履き直す。
    「ゆっくり頑張るわ」
    はにかむような笑顔を、ジョウに捧げるのだった。
    ようやっと、船室の空気がぱっと明るく、華やかなものに変わった。
    それを肌で感じ取り、ジョウはしみじみと思いを馳せていた。
    仕事のテクニックは訓練次第でいかようにもなる。だがアルフィンのこうした
    天性の愛らしさは、彼女だけが持つ才能であり、今や<ミネルバ>になくては
    ならない財産だ。
    本音をさらせば、仕事ごときで、彼女の愛らしさを毒されることにジョウは耐
    え難い。男の身勝手だ。それは重々に承知している。
    とどのつまり。
    彼女に「マイペース」と釘を刺した真意は、掘り下げていくと、ジョウのため
    でもあるのだった。


引用投稿 削除キー/
■851 / inTopicNo.4)  Re[4]: コントロール
□投稿者/ まぁじ -(2005/04/18(Mon) 08:30:39)

    「じゃあ導入は決まり。どれくらい待ちそう?」
    デスクにもたれた格好で、アルフィンが訊く。
    「なるべく急ごう」
    「了解。ならそれまで、イメトレでも積もうかしら」
    「ああ、それなら」
    と、ジョウはチェアから腰を上げる。
    デスクに寄り、備え付けのボタンのひとつを押した。するとインテリアが何も
    置かれていない一面の壁、その右半分が、音もなく左右にスライドした。
    船室の収納スペースだ。ジョウはスペースの半分を、書庫として改造してい
    る。6段に区切られ、そこにはぎっしりとファイルやらボックスが押し込まれ
    ていた。
    デスクに置いたコーヒーカップを手にすると、ジョウはベッドに移動した。腰
    を落ち着ける。そこからだと、収納スペースを左右いっぱいに見渡せる。
    「フライト関連の資料がある。面白そうなもんがあったら、貸してやるよ」
    「ほんと? じゃあ大気圏での操縦に役立つもの」
    書庫を前にしたアルフィンは、人差し指を顎に当てて、物色をはじめた。それ
    ほど整頓が得意でないジョウではあるが、仕事関係のものはプロとして、きち
    んとしている。
    ファイルやボックスのレーベル部分に、ジャンル分けがなされているらしい。
    「らしい」というのは、すべて専門用語でタイプされているからだ。わかるも
    のもあるが、アルフィンには多くがちんぷんかんぷんである。
    「ねえ、どれがお奨め?」
    振り向きざまに、アルフィンが尋ねた。
    コーヒーカップを口元に寄せたところで、ジョウは答える。
    「機体と大気の関係性を押さえるなら、空力学かな」
    「それ、どこにあるの?」
    「中段……その下だったかなあ」
    「そう」
    言われたままにアルフィンは、棚の真ん中より下、に視線を移す。レーベルの
    綴りを読むためにも、ひょいと深く腰を折った。
    その瞬間。
    「ぶ」
    後方で妙な音がした。
    「……?」
    アルフィンは身を起こし、振り返る。彼女の視界がとらえたのは、ベッドの上
    で、コーヒーにむせるジョウの姿だった。
    「どうしたの?」
    「な、なんでも……ごほっ、……ない」
    拳で口元を覆う。咳こみ、喘ぎながらも、彼女の問いかけに応じる。
    なんか変、とアルフィンは過ぎるものの心当たりがない。だからそれ以上は気
    にかけず、空力学に関する資料探しに戻った。

    一方。
    コーヒーにむせたジョウは、落ち着きを失いつつある。額や頬が、じんわりと
    上気するのをどうにも止められない。
    だが一刻も早く、冷静さを取り戻そうと努める。アルフィンに悟られる前に。
    そう慌てふためくには理由があった。
    ジョウは何の気なしにとは言え、目撃してしまったのである。
    書庫を前に、背を丸めるアルフィンのミニスカート、それがギリギリにまでた
    くし上げられた様を。
    幸か不幸か、下着まで拝むことはなかった。デニムの裾がぎりぎり、隠れ蓑に
    なった。アルフィンの足の長さから目測すれば、あわや、という所だった。
    彼女の生足を、ジョウは初めて目の当たりにした訳ではない。休暇のリゾート
    地では、いつも布地が申し訳程度しかないビキニを愛用するのである。アルフ
    ィンがどれほどの美脚の持ち主かは、<ミネルバ>では常識だ。ビーチに繰り
    出さないドンゴですら知っている。
    すらりとしながらも、程良く肉付きがあり、水をするすると弾く若い肌。素足
    のみならず肢体のすべてが、日差しよりもまばゆい。時折、大胆にも波を蹴上
    げるようなおふざけもする。男性陣はどきっとするアクションではあるが、健
    康的な印象が鮮やか過ぎて、少しもいやらしさが漂わない。
    また彼女はホットパンツやミニスカートを好む。だからアルフィンの生足は、
    顔と同じように、露わになっているのが当たり前な部位と言えた。
    ところが、シチュエーションが変わるとそう断言できない。ジョウはそれを今
    まさに痛感したのだった。あると思っていた「慣れ」すら儚く、この場では些
    かも発揮されていない。
    ジョウの視界はまだ、ちかちかと衝撃を引きずっていた。残像がくっきりと網
    膜に焼きついてしまった。
    腱が浮き出るほど引き締まった膝裏、そこからなめるように見上げると、徐々
    に張り出していく太股。持ち前の色白さが、やたらと艶めかしい白さへと移ろ
    いでいく。彼女の生足を除いて一瞬、周りの景色は色を失った。
    よくよく考えればアルフィン本人でさえ、滅多目にすることのないデリケート
    ゾーンである。それをジョウが盗み見してしまった。
    動転するな、とは酷な注文だった。

    「ねえジョウ、これ?」
    一冊のファイルを片手に、アルフィンが振り向く。ベッドの上でジョウは、ぎ
    くりとした。
    「中身もそれっぽいんだけど」
    ぱらぱらとページをめくりながら近寄ってくる。
    ジョウは慌てた。
    目線も執拗に泳いでしまう。この場をどう切り抜けるか、そのことで頭がいっ
    ぱいだ。
    そんなジョウの胸の内を知るよしもなく、アルフィンは普段と変わりなく、至
    極当然のように隣に座った。ぎしり、とベッドは彼女の重みを受け止める。そ
    の上で二人は、睦まじく肩を並べた。
    「すごく難しそう。あたしでも理解できるかしら」
    適当なページを開いたまま、アルフィンはジョウの前にファイルを差し出し
    た。該当のものなのか、確認を求めている。自然と身体もぴたりと寄せてき
    た。
    ジョウは、硬直した。
    心拍が一気に跳ね上がる。心臓が口から飛び出そうとはこのこと。
    しかし、悟られまいと必死に平静を装う。
    「……へ、部屋でじっくり読めよ」
    促した。
    だが哀しいかな、声が上擦ってしまう。
    「そうするけど、これでいいの?」
    アルフィンはもう一度同じ質問をした。ジョウは、ファイルの中身をざっと確
    認して
    「オ、オッケイ」
    と、からからの喉で答えた。

    ──ここまでが限界だった。
    逃げ出そう。と、ジョウは即刻判断した。
    決めたら行動は早い。すっくと立ち上がり
    「コーヒー、煎れ直して、くる」
    と途切れ途切れに断りを入れてから、ベッドを離れた。
    足取りが覚束ない。毛足の長い絨毯の上を歩いているような、足の裏の感覚が
    何だかおかしい。
    それでもどうにかこうにかドアまで辿り着く。はやる気持ちを抑えながら、努
    めて自然体を意識しつつ、脇のボタンを押した。
    空圧が抜ける音がして、ドアがスライドした。
    たったそれだけのことなのに、ジョウは心底安堵する。ありふれた船室のドア
    が、天国の入り口にさえ思えた。
    そんなぎくしゃくしたジョウの背中に、
    「あたしにもコーヒーお願い」
    と、容赦なくアルフィンの声が浴びせられた。




引用投稿 削除キー/
■852 / inTopicNo.5)  Re[5]: コントロール
□投稿者/ まぁじ -(2005/04/19(Tue) 14:05:14)
    キッチンのシンクに両手を掛ける。そしてジョウは深々と、頭をうなだれた。
    「……まいった」
    ぼそりと呟く。
    狼狽しすぎて、どっと疲れてしまった。
    世間では、銀河一の称号を欲しいままにしているジョウだが、仕事一辺倒の弊
    害か、極端に女性免疫が低い。情けないくらいに臨機応変が利かない。その
    上、生後半年で母親を亡くしている生い立ち。わずか一年と少し前までは<ミ
    ネルバ>はむさ苦しい男所帯だった。
    タロスとガンビーノという、大人の酸いも甘いも知り尽くした独身貴族のおか
    げで、一応人並みに女性への関心は養われた。過去の女性クライアントの中
    に、淡い憧れを抱いたこともある。
    だがそれより先は、特筆するほどの体験も経験もなく、気づけば青年期に達し
    ていた。
    のちに訪れる、アルフィンとの運命的な出逢い。ジョウにとっては青天の霹靂
    だった。仕事も人生も順風満帆と、何一つ疑わずにやってきたなかで、「足り
    ないものがある」と教わったのが彼女だった。
    自分の命よりも尊い、愛する者の存在。
    特にアルフィンは、惚れ込んだ相手のためならば、地位も名誉も、そして生ま
    れ育った故郷さえも捨てて飛び込むことをやってのけた。恋愛に対する情熱の
    ままに、とてもストレートな生き様を見せた。
    当初、ジョウにしてみれば、アルフィンの冒険はどうにも理解しがたい行為だ
    った。恋愛という不確かなもののために、すべてを投げ打つ神経がわからな
    い。彼女の行く末を、顔には出さぬところで相当に心配した。
    しかし共に生活するにつれ、ジョウはアルフィンから様々な事柄を学ぶ。理屈
    や損得などでは説明がつかない、心が、手足が、考えるより先に行動に出ると
    いう「見えない力の在処」を我が身に覚えた。
    アルフィンが笑うと、
    胸の真ん中あたりがぽっと温かみを帯びてくる。
    アルフィンが泣くと、
    力の限り抱きしめてやりたい衝動にかられる。
    アルフィンの姿が見えないと、
    突き落とされたような孤独を感じる。
    アルフィンに助けを求められると、
    血反吐を吐いてでも駆けつけたい使命感に燃える。
    ジョウは気づかされた。
    彼女と出逢うまでの自分は、半分しか生きていなかった、と。
    愛する者、それが何たるかを、若い肉体いっぱいに叩き込まれた。
    外野からすると、二人の関係性は、アルフィンが一方的にジョウを追いかけて
    いる風に見える。そして、つかず離れず、じれったいほど曖昧な状態。
    だが蓋を開ければ、ジョウの胸中はすっかり、アルフィンの独占市場である。
    あけっぴろげにラブコールする彼女に対し、ジョウも胸の内々で懸命に応えて
    いた。相手を想い、乞うる気持ちは、時としてアルフィンを超えることもあ
    る。
    彼女のためならば、自らが犠牲になってもいとわない。そう覚悟する瞬間が、
    月日を重ねるごとに増えていくことをジョウは実感していた。

    自分たちは、紛れもなく相思相愛だ。
    ジョウはそれを許容している。しかしながら、言葉や身体でそれを確かめ、約
    束を交わしたことがない。つまり二人は正式に、交際関係に至っていない。
    だからアルフィンは、未だ自分の恋愛が実っている事実すら知らない。逆に、
    片想いだと落ち込む日の方が多い。
    そう誤解させたままでいるのは、
    ジョウの煮え切らない態度が原因。
    彼女を時折苦しめていると知りつつも、どうしても一線を越えられないでい
    た。
    宇宙生活者は、船が生活の拠点だ。家族と等しい仲間がいる。そして、ジョウ
    はチームリーダーだ。仕事と私情をどこで線引きすればいいのか、もう長いこ
    と計りかねていた。
    さらに本心をねじ伏せる背景に、クラッシャー評議会議長である、実父のダン
    の存在が重くのしかかっていた。彼女に心躍らせている事実を知られたら最
    後、100%いや200%上増しにして、冷笑されるとジョウは思い込んでい
    る。「半人前が、その方ばかりは一人前だな」と。
    尊敬はするが、好きではない。ジョウは一日でも早く、「ダンの息子」という
    肩書きを切り捨てたいのだ。馬鹿にされたところで、すでにトゲのある親子関
    係。相手にしなければいい。しかしアルフィンまで色眼鏡で見られるのは、ど
    うにも堪えられない。できうる限り、巻き込みたくない。
    そんな念が強くなる。
    すると彼女に対する素直な想いは、ブレーキどころか、がっちりとロックされ
    て、にっちもさっちもいかなくなるのだ。

    しかし。
    先ほどのアルフィンの、あられもない姿。ああいったものを目の当たりにする
    と、ジョウは自棄を起こしたくなる。しがらみも、後先も全部かなぐり捨て
    て、素の自分をぶつけてしまいたい。
    男の業、それの赴くままに、アルフィンを独り占めしたくなるのだ。
    ジョウは。
    指先が白くなるほど、シンクの淵を鷲掴みした。
    「──くそ!」
    がつん、とシンクの下にあるオーブンを膝蹴りした。とりあえずはこの一蹴で
    抑え込む。
    なにせこのキッチンは、アルフィンのもうひとつの居場所だ。エプロン姿で、
    所狭しと動き回る。ジョウの好きな光景でもある。
    いわば聖域をこれ以上荒らしてはならない。そこでようやっと、過激な行動を
    なだめつかす。
    とはいえ。
    一度火の点いた欲望が、ジョウをどこまでも苦しめていく。うねりを上げる熱
    が、出口をもとめて身体中のあちこちを駆けめぐるのだ。
    息が詰まりそうになる。
    普段のジョウは、天然記念物級の鈍感な男だ。特に乙女心の複雑な心理など、
    本当に同じ人類なのかと疑うほど難解この上ない。男女の通じ合い方につい
    て、ジョウは驚くほど不器用である。
    ところが一方で、雄としての本能には支障がない。却ってクラッシャーとし
    て、男としての日々の鍛錬が、皮肉なことにジョウの野生をたくましく、肉厚
    なものにしていく。
    たとえ本人はまったくの無意識であっても、本能が、雌の匂いをたぐり寄せて
    しまうのだ。年齢が若ければ若いほど、その症状は重度。理性など傍目に嘲笑
    いながら、がめつく掻き寄せていく。
    弱冠19才のジョウには、
    これが生殺し以上に苦しくてならない。
    度を超すと、自分が自分でなくなりそうな、不安で潰されそうになる。
    処方はおそらく、アルフィンとの「適度」なスキンシップなのだ。いっそのこ
    と、指の一本くらいは触れてしまえと思うのだが、おそらく指一本では歯止め
    が利かないだろうと脳裏を掠める。自分が信用ならない。そもそも「適度」が
    どこら辺を指すのかも分からない。
    ここで相手があのアルフィンだ。
    ジョウが振り向いたと知った途端、彼女も一気に爆発して、しゃにむに求めて
    くるかもしれない。どちらもがノーブレーキで発進してしまっては、一体どこ
    へ着地するのか。暴走なぞしようものなら、仕事、生活、仲間など、保たれて
    いた均衡がぐしゃぐしゃに壊れてしまう。
    今日までの努力がすべておしゃかになるのだ。

    「けだものだ。まるで」
    思わず独り言が出た。
    声にした途端、少し頭が冷えたような気がする。
    同時に、身もだえするほどの欲求、その曲線が、もっとも頂点を通過したよう
    にも感じた。
    そうやってジョウは、萎えていく事柄を次々と浮かべ、身体へ指令を出す。こ
    うした誤魔化し方は、精神鍛錬を培った者の、自己マインドコントロールの成
    せる技でもあった。
    平静さのとっかかりを掴んだジョウは、
    ここにきてようやく、コーヒーを煎れることにした。
    さっきまでの感情に、一気に片をつける。
    アルフィンがするように、豆を挽き、傍らで湯を沸かす。単純な作業ではある
    が、いつしかコツコツとこなすことに専念していく。頭の中が、徐々に空っぽ
    になっていく。
    挽いた豆をコーヒーフィルターに移し、注ぎ口が細長い専用のポットを準備す
    る。極力、湯を糸のようにして注ぎ入れていく。これを吸い、こんもりと豆が
    膨らむ。「この膨らませ方に、コツが要るのよ」と、教えてくれたアルフィン
    の顔が思い浮かんだ。
    得意満面の、無邪気な笑顔だった。
    ジョウの胸の内が、しん、と水を打ったようになる。
    やっと、ひと心地ついたらしい。
    そして冷静に考えれば、初めから答えがあったことも思い出す。もし仮にジョ
    ウが、アルフィンを強引に求めたとしても大丈夫なのだと。
    彼女は、高貴な心根を持っている。王室で生を受けた者なのだ。傍若無人な欲
    求など、平手でぴしゃりと跳ねのけるだろう。ジョウの胸に飛び込む大胆さは
    あっても結局、彼女は身持ちが固いのだ。それは生まれ落ちた環境で授けられ
    た、気高きプライド。アルフィンという少女、その芯にはぴんと、一本筋が通
    っている。
    余計な心配だった。そうジョウは噛みしめた。
    狭いキッチンが、香ばしいコーヒーの香りで満たされる。2つのカップから、
    湯気が軽やかなるダンスを興じている。
    クールダウン完了。
    コーヒーも仕上がった。
    ジョウはオーブンの一点をちらりと見やる。使われていない時、タイマー表示
    は時刻をライトアップする。
    「やばい」
    キッチンを訪れてから、かれこれ30分以上経過していた。支度にしては遅す
    ぎる。これでは「のんびりしすぎ」と、小言を言われてしまいそうだ。
    すかさずジョウは、壁に埋め込まれたインターコムのボタンを押す。
    「ドンゴ」
    と、ワッチ中のロボットを呼び出した。
    間髪空けずに
    「──キャハ?」
    甲高い金属ボイスが返ってきた。
    「オヤオヤ、珍シイ場所カラ呼ビダ出シデスネ、じょう」
    ちょっぴり引っかかる調子でからんでくる。人間以上に、人間らしいところが
    あるドンゴゆえ、致し方ない。
    「その珍しい所から、おまえへの依頼だ」
    「ハテ? 何デショウ」
    「ちょいとばかし散らかした。片づけといてくれ」
    「ミギャー?! わっちヲ放リ投ゲテ雑用シロト?」
    「やかましい。つべこべ言わずやっとけ」
    「不始末ヲ押シツケルナンテ、りーだートシテアルマジキ行為──」
    ジョウは無視する。
    ぶっつりと通信を切った。


引用投稿 削除キー/
■858 / inTopicNo.6)  Re[6]: コントロール
□投稿者/ まぁじ -(2005/04/24(Sun) 18:52:06)

    2つのカップを寄せて、左手だけで持つ。その姿でジョウは、自室の前で一
    旦、立ち止まっていた。
    こほん、と咳払いをする。心の準備を整え、背筋をしゃんと伸ばす。
    「行くか」
    そんな風に、自分に号令をかけた。
    軽々とした手つきで開閉ボタンをタッチする。ドアがスライドした。真っ先に
    目に入ったのは、デスク。右手に目線を移せば、ベッドがしつらえてある。
    船室に一歩踏み込んだ。
    それから流れる動作のままに、アルフィンがいる方向へと顔をむける。
    彼女は、ベッドで仰臥していた。
    ファイルを胸のあたりに立て、両腕は八の字のようにし、ついたて代わりに添
    えられている。両脚はベッドの脇を直角に、膝下がぶらんと垂れ下がる。おそ
    らく、腰掛けていた姿勢から、ごろんと仰向けになったのだろう。
    それにしても、リラックスした姿勢でいるからか、かなり集中してファイルを
    読み込んでいるようだ。ジョウが戻ったことすら彼女は気づかない。反応がな
    い。
    「コーヒーだ。一息いれろよ」
    ジョウはまっすぐデスクに向かい、カップを置いた。
    この自由時間が過ぎたあとは、ポンヌフでの仕事にとりかかる。あまり根を詰
    めすぎると、のちのち悪影響を及ぼしかねない。
    「アルフィン」
    再度、ジョウは彼女を咎める意味で声をかけた。
    だが返ってくるのは沈黙だけだった。
    「──まさか」
    ジョウは嫌な予感がした。
    デスクから離れ、ベッドに近づいた。上からアルフィンをそっと見下ろす。足
    音を一切気遣わずに、これだけ近寄ったというのに微動だにしない。
    片膝をベッドの上につくと、ぎい、と低い鳴き声を上げた。意を決して、這う
    ような格好でジョウは覗き込んだ。そして指先で、ファイルを突く。
    すると、実にあっさりと。
    ファイルが向こう側、アルフィンの側にぱたんと倒れた。顔の下半分は、開い
    たままのファイルに覆われる。
    「やっぱり……」
    両の瞼は、ぴたりと閉じられていた。
    聞き耳を立てれば、すうすうと心地よさ気な寝息までする。相当、深いところ
    にまで落ちている様子だ。
    「弱ったなあ」
    そうぼやくと、空いた方の手で癖の強い黒髪を掻いた。
    だが、ここしばらく依頼が立てこんで、まとまった休暇が取れていない状況だ
    った。顔には一切出さないが、アルフィンも疲労が溜まっている。それを知っ
    ているだけに、無理に起こすのは気が引けた。
    とはいえ、平常心を取り戻したばかりのジョウには、間が悪すぎる。安心しき
    っているのだろうが、無防備はどうも戴けない。
    なにせ天使のような寝顔が、ジョウにはそう映らない。一度、欲情で曇ったま
    なこだ。半開きの唇が、小悪魔からの誘いのごとく化けてくる。
    やばい。
    ジョウは慌てて、ベッドから後じさった。
    そしてすぐに、チェアのバックレストにひっかけられたカジュアルシャツを手
    にする。なるべく大きく広げてアルフィンの下腹部あたりに、ふわりと掛けて
    やった。
    長身のジョウのシャツは、パレオのように彼女の露出をうまく包み隠した。そ
    れからなるべく距離を保つ。
    デスクに戻ったジョウは、ひとまずコーヒーをすする。そして視界の右側を意
    識しないようにと、再びノート型の端末を開いた。さして閲覧したいものはな
    い。が、何かすがるものがないと不安だった。

    仕事中はあっという間だというのに、ただぼんやりと消費するだけの時間の、
    いかに長いことか。
    とりあえずギャラクティカ・ネットワークを繋ぎ、最新のニュース・トピック
    スや、ポンヌフのローカル情報を、端末のモニタに引っ張った。しかし、文言
    のひとつもジョウの頭にはインプットされない。
    どうにも落ち着かず、モニタの片隅に出ている時刻表示ばかりを目にしてしま
    う。
    結局、気が散って仕方がなかった。
    自分の船室が、とてつもなく居心地が悪かった。
    いっそリビングへ移ればいいのだが、ジョウの中にある、彼女への好意が後ろ
    髪を引いていた。ただそばにいるだけで、いいじゃないか。そんな風に、囁く
    のだった。
    アルフィン同様、ジョウにも忙殺の日々の悪影響はある。おかげで心が、潤い
    を欲して欲して仕方がない。
    生業であり、生き甲斐でもあるクラッシャー稼業。ジョウはこれほど肌に合
    い、心底惚れ込める仕事はないと思っている。「好きこそものの上手なれ」と
    はよく言ったもので、ジョウは評価AAAで、トップクラスの超売れっ子だ。
    他のチームから「派手な仕事が回ってこない」と、苦情と羨望のブーイングを
    向けられるのは日常茶飯事である。
    そうは言うものの、全身の8割をサイボーグ化したタロスでさえ、愚痴りたく
    なるほどの過密スケジュール。無理矢理につくるロングバケーションで、帳尻
    が合ってるのかどうかも甚だ怪しい。
    当然、生身の人間のジョウとて疲弊はする。
    身体の疲れは若さゆえ、丸一日ぐっすり眠れば回復できる。しかし心の洗濯は
    そうはいかない。忙しさで相当ささくれ立っているのだ。それなりの時間とケ
    アが必要となる。
    なかでもジョウにとって、特効薬に匹敵するのが、アルフィンの存在だ。
    ドライブでも、あまり興味のないショッピングでも、そこいらの散歩でも、ホ
    テルのリビングでだらだら見るレイト番組でも、何でもいい。仕事以外の時間
    を、彼女と共有するだけでジョウは癒された。
    隣にいてくれるだけで、生気がふつふつと蓄えられていく。そんな感じがいつ
    もしている。
    だから今。
    理性のゆらぎを自覚しつつも、許される寸前まで、ジョウは身の置き所を変え
    られないでいた。


引用投稿 削除キー/
■859 / inTopicNo.7)  Re[7]: コントロール
□投稿者/ まぁじ -(2005/04/24(Sun) 18:53:08)

    眺めているのかそうでないのか分からないモニタ上で、時刻表示が20分の経
    過を知らせる。
    すると
    「……う……ん」
    と、アルフィンの声が伸びをする。
    起きたか? ジョウの首がふっと、遮断していた右側の視界に回った。
    しかし、アルフィンは目覚めていなかった。胸の上に、ファイルと一緒に重な
    っていた両手が、額に移動しただけである。姿勢が変わっただけだ。
    なんだ。
    ジョウは拍子抜けした。
    もう少し眠り姫を鑑賞していたいところだが、早々に切り上げた方がいい。モ
    ニタにむき直そうとした。
    が、そのわずかな前に
    「ん……」
    彼女がころりと寝返りした。
    「!!!」
    ジョウはぎょっとする。
    がたん、と派手な物音を立ててチェアから腰を浮かせた。
    バランスが崩れる。ひっくり返るかと思われたが、高い身体能力がかろうじて
    踏ん張った。
    アルフィンはファイルを抱きかかえ、ジョウに背を向ける格好で寝転がった。
    それはいい。問題は、足をくの字に抱えたことにある。
    折角のシャツが、ローリングで身体の下に巻き込まれた。彼女の服装が露わに
    なる。デニムのミニスカートが大きく翻っていた。
    滑らかに肉付いた太股。
    それをまるまる、ジョウの目の前にさらされた。
    「……、……、……」
    言葉が出ない。身動きがとれない。視界は釘付けのまま。
    ジョウはただ、でくのぼうのように立ちつくした。
    だがうらはらに、
    身体は敏感に反応するのだった。
    内側の深いところから、かあっとのぼせ上がる。心臓が狂ったように暴れ出
    す。鼓膜の真裏から、重低音の拍動が響き渡る。
    さらに、燻っていた劣情。
    それは恐ろしく揮発性の高い危険物質と化した。わずかな火花さえあれば、あ
    っさりと猛火を招くところまできている。
    ジョウは。
    途端に具合が悪くなった。目眩で視野が揺れ動く。
    こうもやすやすと、煩悩に乗っ取られてしまう抑制力のなさ。そんな自分にう
    んざりした。
    いかに正常なことでも、健全の証だとしても。この持て余す感じが気にくわな
    い。扱い慣れない武器が凶器なのと同じだ。
    この先自分は、何をしでかすか分からない。
    ──ついに、ジョウは動いた。
    もうなりふり構えなかった。
    ずかずかと荒っぽい足取りで、ベッドに近寄る。
    「起きろ、アルフィン」
    声をかけつつ、彼女の肩を揺さぶった。
    すっかり弛緩しているアルフィンは、ぐにゃぐにゃとされるがままだ。
    「起きろ。仕事だ。命令だ」
    片っ端から浮かんだ単語を口にする。優しく目覚めさせてやる余裕などない。
    「アルフィン!」
    「……ん、なによう」
    反応がきた。
    まだ瞼は開いていない。横になったままではいるが、傾向としてはいい。
    「頼むから起きてくれ」
    ジョウはこのチャンスを逃すまいと、指先に力を込めて、一層彼女の肩を揺さ
    ぶった。
    しかし、見る間にアルフィンの声はトーンダウンしていく。ぶつぶつと唇が動
    くばかりで、しまいには聞き取れなくなった。ジョウの目の前で、すうっと眠
    りの沼に引きずり込まれていくのが分かる。
    「おい、こら」
    狼狽えたジョウは、強行手段に出た。
    アルフィンの両肩を掴み、ぐいと無理矢理に引き起こした。
    長い金髪がシーツとこすれて、サラサラと音をたてる。力ない身体を、力ずく
    で座らせようとした。
    心地よく眠りについていた者にしてみれば、これほど気分の悪いやり方はな
    い。案の定、アルフィンは駄々をこねた。寝ぼけたままで、闇雲に両手がじた
    ばたともがく。
    「……やだ。放っておいてよ、もうっ」
    「駄目だ」
    「んもう、やだったらあ」
    気の立った猫のように、いやいやと全身で暴れる。その手がジョウの頬を打
    ち、喉元を鷲掴みし、胸を突き飛ばし、腕にひっかき傷をつくる。
    攻撃の手が次々と繰り出されるが、ジョウはひたすらに耐えた。
    とはいえ。
    こうも思い通りにことが運ばないと、だんだんに腹が立ってくる。ジョウ個人
    の都合であり、アルフィンにははた迷惑でしかないのだが、公平な判断すらし
    かねてくる。「俺の気も知らないで」と、彼女に怒鳴り散らしたい気分だ。
    「これ以上、手こずらせないでくれ」
    その声は驚くほど低く、悲痛なまでに張りつめていた。
    「うっさい」
    アルフィンも負けない。
    ところがこの勝ち気さが、ジョウの中の引き金を引いた。
    「──こいつ」
    「きゃっ!」
    ジョウは、男の腕力でねじ伏せた。
    彼女の両手首を痛いくらい握りしめ、ベッドに組み敷き、覆い被さる。
    今この場で、最も望みたくない方向へと事態が急転した。
    「ジョウ……」
    見下ろすと、ようやく醒めた碧眼とかち合った。その青い鏡に映る自分に、ジ
    ョウは急速に吸い込まれていく。
    ──瞬間。
    頭の中で、勢いよく何かが堰を切った。
    それはあらゆるものをなぎ倒し、飲み込んでいく津波。
    これにはもう、ジョウは、
    どうにもあらがえなかった。


引用投稿 削除キー/
■860 / inTopicNo.8)  Re[8]: コントロール
□投稿者/ まぁじ -(2005/04/25(Mon) 16:01:41)
    人は、過ちを犯す生き物だ。
    聖人君子では生き長らえない。

    罪を犯すことが、人としての通過儀式ならば、
    潔くそれを受けよう。
    たったひとつ。
    彼女という十字架ならば、
    背負い、そのまま地獄に堕ちてもいい。



    血管の浮き出た手が、仕立ての柔らかな衣服に襲いかかる。それは無惨にも引
    き裂かれ、みるみるうちに白い肌が剥き出しにされた。
    折れそうなほど華奢な手足が、渾身の力をふりしぼって抵抗する。ジョウはそ
    れを全身で押さえつけ、彼女の自由を許さなかった。
    泣きじゃくり、嗚咽とともに漏れる悲鳴。ジョウがすべてをふくみ、喉の奥へ
    と流し込んでいく。その一方で固く閉じられた両膝に、自分の片膝を割り込ま
    せ無理矢理に身体を開かせた。
    貞操を守る手段。
    それを失ったと思われた彼女には、唯一残されていた切り札があった。碧眼が
    牙を剥く。恨み、そして罵り。声ならぬ声で、ありったけの感情をジョウに叩
    きつけた。
    だがすでに。
    地獄へ堕ちかけた男にとって、それはより残忍性を高ぶらせるものでしかなか
    った。気高い女を、自分というけがれで染めていく。けがれで束縛する。こち
    らへ引きずり込んでいく。その独占感はたとえようのない恍惚だった。
    あとは。
    互いの汗を混ざり合わせたあと、どんな世界が待ちうけているのか。
    ジョウはそれをただ、純粋に知りたかった。



    遠い、遠いところから、聞き慣れた音がする。それは規則正しく鳴り響く、電
    子音。消え入るどころか、ひたすらに拡幅し、迫り、ジョウの耳朶がしっかり
    と捕らえるのに、いくばくかの時間がかかった。
    あの音は何なのか。
    「…………」
    ジョウの思考が、記憶を模索する方に傾いた。
    やがて、音と記憶がフィックスした。
    「──!」
    はっとなり、ジョウはおもてを上げた。
    鳴っていたのは、インターコムの呼び出し音だった。ジョウはしばし、瞬きを
    繰り返す。
    そして泡を食ったように、身体の下を覗き込む。
    そこには。
    組み敷いたままの、アルフィンがいた。彼女もジョウを見上げていた。
    だが、さっきまでのめくるめく光景と現実とに、誤差が生じていた。アルフィ
    ンの着衣は、何一つ変わることなく、レモンイエローの配色がまばゆい。
    呆気にとられるジョウ。身体はまだフリーズ状態だ。
    あの光景は、一体なんだったのだろう。
    例えるとすれば、頭にとてつもなく強い衝撃を受け、意識を失いかけるほんの
    一瞬に見る、走馬燈によく似ていた。駆け抜けるように、フィルムが早送りさ
    れるように、現実にはあり得ないスピードで脳裏を巡った感じだった。
    ──こういった現象は、情報通信の現場ではあり得る。
    膨大な情報量を処理しきれず、発生するサーバーダウン。これを人間のコンピ
    ュータである「脳」になぞらえれば、医学的にも充分に説明がつくと言えた。
    どうやらジョウは、
    脹れあがった煩悩を一斉に処理することで、奇妙なまぼろしを見る羽目になっ
    たようである。

    「ジョウ」
    「あ……」
    彼女の掠れた声に促されて、見下ろす。
    「呼んでる」
    アルフィンはインターコムの方向を、目線で指した。
    慌てて組み敷いたアルフィンの上から退くと、四つん這いのままでベッドを横
    断する。枕元に近い壁際に埋め込まれた、インターコムのボタンを押した。
    「ジョウ」
    ドスの利いた声色。タロスだった。
    天井を拝んでいたアルフィンも、のろのろと起きあがる。ほつれた金髪を撫で
    つけるのも忘れて、ただぼんやりとした表情でジョウの背中を追った。
    「あ……、ああ。どうかしたか」
    抑揚なく応答する。
    「ポンヌフの大統領秘書から連絡がありましてね。予定を繰り下げて、40時
    間後に最初のミーティングを開きたいと」
    「どういうことだ。トラブルか?」
    「いえね、なんでも大統領の血縁がぽっくり逝っちまったらしく、葬儀やらな
    んやらで慌ただしいらしいんでさあ」
    「そうか……」
    相槌は打つものの、そのことに特別な感情はない。
    「で、あちらさんは、予定通り入国した方が都合いいのなら、埋め合わせとし
    て一席設けると言ってましてね」
    雇われた側に対して、随分と気前のいい申し出である。好感触なクライアント
    と言えた。
    「どうしますかい?」
    「……そ、そうだな」
    ジョウは眉根をひそめた。
    そしてゆっくり後方を伺い、アルフィンの姿を捕らえた。彼女もまた、今しが
    た起こった出来事を処理できずにいるようだ。ぼおっと、ジョウを静かに、穴
    が開くほどに見つめている。
    それを確かめると、再び、インターコムに向き直した。
    「ごたついてるんなら、余計な気遣いは無用だ。気持ちだけありがたく受け取
    って、申し出通り調整すると伝えてくれ」
    「そうですな。人様の弔い中じゃ、どんなもてなしも味気ねえ」
    「ゆっくりできる時間が増えたと思えば、こっちも気が楽だ」
    「了解。そうしやしょう」
    「あとは頼んだ」
    ジョウの指が、通信を切った。

    船室いっぱいに、無音という息苦しい空気が漂う。
    とりあえずジョウは、ベッドの真ん中まで移動する。アルフィンを真正面に
    し、少し距離をおいた所であぐらをかいた。
    だが、まだまっすぐに彼女に顔向けできない。シーツに波打つ皺に目線を落と
    していた。
    さっきまで。
    さっきまであんなにも浮かされていた熱は、一体どこから抜けていったのだろ
    う。ジョウはあぐらの前で、両の手を祈るように組む。そっくり失われた熱の
    代わりに、身体中をいっぱいに占めているものは、とてつもなく懺悔したい想
    いだけだった。
    理由はどうであれ、未遂とはいえ、あのやり方は彼女を犯したも同じだ。頭の
    ヒューズが吹っ飛び、未だ前後のまとまりもつかず混乱しているものの、この
    場で真っ先にしなければいけないことを、ジョウはもう分かっていた。
    整理をつける猶予を貰うことすら、おこがましい。
    どんな罵倒も、軽蔑も、甘んじて受ける。ふと、完全に嫌われるかとも過ぎっ
    り、背中がひやりとしたことも静かに受け止めた。
    覚悟を決めて、
    ジョウは腹をくくった。
    「……アルフィン」
    絞り出すように名を呼ぶ。
    その向こうで、まばたきで返事をする彼女がいた。
    ぺたりと座り込み、左のキャミソールの肩ひもが、たわむようにずり落ちてい
    る。ぐったりと放心した様子は、ジョウの瞳に痛々しく映るのだった。
    「すまない。悪かった」
    「…………」
    「怖い思いをさせた。なぜか一人で勝手に、妙な方、妙な方に傾いていっちま
    って。その……、きみにはひどく嫌な思いをさせた」
    肩を落とす。
    おそらくアルフィンにとって、こんなにもジョウが小さく見えるのは、初めて
    かもしれない。
    時々、ジョウは組んだ指をせわしなく動かしていた。語っている言葉が正しい
    のか、場にそぐっているのか、要領を得ない。けれども、声にしている方が沈
    黙からは免れる。たどたどしくとも、何かを語り続けなければ、という気がし
    ていた。


引用投稿 削除キー/
■861 / inTopicNo.9)  Re[9]: コントロール
□投稿者/ まぁじ -(2005/04/25(Mon) 16:04:14)

    「俺を、殴ってくれ」
    まるで裁判官を前にした罪人のように、ジョウは肩を落として呟いた。
    「なぐ、る?」
    それを聞き入れ、ようやくアルフィンが応じた。
    「それでも気が済まなかったら、好きに料理してくれていい」
    「料理……」
    「ああ。煮るなり、焼くなり、どうとでも」
    謝罪の弁を全部ここに並べたいところだが、言い訳はしたくない。だからジョ
    ウはそっと目を閉じ、あとはもう彼女からの審判が下されるのをじっと待つこ
    とにした。
    「……ジョウ」
    その声に、身構えた。
    アルフィンの裁きは、思った以上に早いようだ。
    「あのねジョウ」
    「遠慮するなよ」
    「というか、その」
    何故かもじもじした口調である。妙だ。ジョウは瞼を開けると、彼女の顔をよ
    うやく直視した。
    「あ、あのね、あたし全然話が……見えないんだけど」
    「見えない?」
    「うん。その、どうしてジョウが謝るの?」
    不思議そうな表情で、小首を傾げる。
    そしてずり落ちた肩ひもを整えながら、アルフィンは続けた。
    「やっぱり、難しい読み物は駄目ね。眠たくなっちゃって。それで起こしてく
    れたんでしょ? 寝起きの機嫌悪いから、あたし。てっきりまた暴れて、迷惑
    かけたんじゃないかと」
    たしかに、過去何度かそういう被害を被ったことはある。大概、こういう面倒
    な役回りはリッキーが多く、一番の被害も彼が多い。さすがにお手上げで、ヘ
    ルプを求めてくるとジョウにお鉢が回ってくるのが常であった。
    アルフィンはどうやら、これを真っ先に懸念したらしい。
    言葉にし終えると、両手で口元を覆い隠しながら、照れくさそうな表情をつく
    った。
    意外な展開に、ジョウは戸惑った。
    まさかそう来るとは考えもしなかった。
    「と、言うか……」
    「違うの?」
    「い、いやその」
    言いよどむ。
    実に、ジョウにとって好都合な勘違いをしてくれた。これも天からの助け船だ
    ろうか。
    もちろん本心としては、事実を嘘でくらましたり、折り曲げたい気はさらさら
    ない。覚悟を決めたのだから。必要ならばいちから説明して、恥の上塗りとい
    う辱めを受けてもいいとさえ思う。
    しかし、内容が内容だ。
    男の生理的なことを、あけすけに語ったところで、彼女は理解するだろうか。
    第一、ジョウ自身もうまく説明できるかがあやふやである。あの怒濤のような
    感情を冷静に分析できるのなら、こんな失態を犯す前に予防線を張ることも可
    能なのだから。
    ジョウは迷った。
    うまい返答を探しあぐねている。
    すると
    「ごめんね」
    と、アルフィンがためらうことなく謝罪した。
    「いや、ちょっと待……」
    「以後気をつけます。だから今回は許して、ジョウ」
    両手を顔の前で合わせ、可憐な花のような笑顔を添えてそう言った。
    ジョウは。
    なんだかキツネに摘まれた気分でいた。自分が手出しせずとも、あれよあれよ
    と、事態だけがものの見事に一件落着していく。
    こうなると「男のけじめ」も形無し。いっそ散り散りにされればいいものを。
    無造作に取り残され、却ってみじめな気がした。
    「それじゃあファイル、借りるわね」
    「あ、ああ……」
    アルフィンは小脇に抱えると、バイバイと手を振ってから、あっさりと船室を
    出ていった。
    呆然と見送ったジョウは、かなりの時間ベッドから動けずにいた。


引用投稿 削除キー/
■862 / inTopicNo.10)  Re[10]: コントロール
□投稿者/ まぁじ -(2005/04/25(Mon) 16:05:42)
    船室のドアが、アルフィンの背後でぴしゃりと閉じた。小脇のファイルを、前
    に抱きかかえるように持ち直した。
    そのまま背中でドアに寄りかかると
    「は……」
    と、顎を上げて小さなため息をついた。
    緊張の糸がぷっつり途切れた。急にどきまぎと心臓が跳ねまくる。無意識のう
    ちに、ぎゅっ、と彼女はファイルを抱きしめた。
    ──なにせアルフィンは、熟睡していなかった。
    かといって寝たふりをしていた訳でもない。うとうとと、夢うつつにまどろ
    む、その真ん中にいた。
    ジョウに無理矢理起こされたときは、もちろん何が起こったのか分からなかっ
    た。ただ「珍しく乱暴」なのが感じとれると、ジョウを取り巻く空気の熱っぽ
    さに気がついた。
    恥ずかしい言葉でたとえれば、発情している匂いだった。何故突然? とも過
    ぎったが、男はそういうものかと思えた。また日頃の奥手さを知っているだけ
    に、あれがどれほど逼迫していた状態かが想像ついた。
    最初は唐突すぎて、アルフィンは怯んだ。それに心の準備がまるでできていな
    い。寝ぼけたふりをして、駄々をこねて、時間稼ぎをした。
    けれどもとうとう押し倒されたとき、彼女は観念する。なにせ相手は、ずっと
    焦がれ続けたジョウなのだ。何を迷うことがあるのだろう。
    女として、好きな相手からがむしゃらに求められることは幸せだ。自分はこん
    な風に少女の殻を破るのか。そんなことを頭の片隅で考えながら、その時を、
    その瞬間を、流されるまま受け入れるつもりでいた。
    ところが……
    結果はあの通り。
    彼女を力ずくで押し倒したままジョウは硬直し、我を取り戻した時にはもう、
    いつもの奥手な男になっていた。
    正直、拍子抜けした。
    そうは思っていても、あの後のジョウの態度が辛かった。みなぎる自信がすっ
    かり影をひそめ、マイナスの極限までに思い詰めていた。もしアルフィンが冗
    談で「船から降りて」などと口にしようものなら、何のためらいもなく、絶対
    零度の宇宙空間に身を投じかねない。二人の間を対流する空気は、ひりひりし
    ていた。
    アルフィンの胸はきゅんと痛んだ。
    見ているこっちが、切なくて、苦しい。
    だから彼女は「知らぬふり」を貫こうと思い立ったのだった。
    今日までの二人にとって、あれほど互いが再接近したことはない。そのとって
    おきの思い出もろとも、アルフィンは帳消しにするリセットボタンを押した。
    ジョウのために。
    ちょっぴり惜しい気はしたが、これからもジョウと一緒に生きていくのであ
    る。もっとお互いが自然に惹かれ合う時がくると、未来に希望を託したのだっ
    た。

    ジョウの船室の前で、立ちつくすこと数分。
    通路の右手から、軽快な足音がやって来る。アルフィンは首だけそちらに向け
    た。
    早くも、クラッシュジャケットに着替えたリッキーだった。
    「あ! アルフィン」
    小走りから、ダッシュに切り替える。
    たたた、と一気にリッキーは走り寄ってきた。そして目の前で急停止。
    「──なあ聞いたかい? ポンヌフ入り、30時間後に延びたんだってさ」
    「らしいわね」
    「知ってたんなら良かった。俺ら丁度さ、見たいチャンネルがあったもんだか
    ら、すげえラッキーだよ」
    ぱちんと指を弾き、全身でその喜びをアピールした。
    それに対し、アルフィンの柳眉が険しくなる。
    「んもう、リッキーたら。ラッキーなんて不謹慎よ」
    「へ? なんでだい?」
    「だってそうでしょ? 大統領の身内にご不幸があったからなんだもの。い
    い、リッキー。こういうことは直接関係ない人の話でも、無闇にやたらとはし
    ゃいだりしたらいけません」
    まるで姉か、教師か。そんな風にアルフィンはリッキーをたしなめた。
    そもそもまったく悪気はなかったのだが。
    アルフィンから忠告を受けてしまった以上
    「そだね。わかった」
    と、肩をひょいとすくめてリッキーは素直に応じた。これに対しアルフィンも
    「よろしい」と、満足げに頷くのだった。
    すると、他愛ない会話のついでに、リッキーが質問をぶつけた。
    「アルフィン、その大事そうに抱えてるもん、なんだい?」
    聞かれて彼女は、指さしされたファイルに目をやる。
    「ああ、これはジョウから借りたの。操縦にまつわる空力……」
    と、ここまで口にしてから、なぜだかぱったり閉じる。
    リッキーには、最後の方がどうもよく聞き取れなかった。
    「操縦? なんの?」
    どんぐりまなこをくりくりと動かしながら、当然のようにせっつく。
    しばらく、なにか思い含ませた顔を浮かべたアルフィン。だが、次にはころっ
    と笑顔をつくっていた。
    そして姿勢を軽くかがませると、リッキーの頭に右手を乗せた。
    いい子、いい子、と。やぶからぼうに、赤毛頭を撫でるのだった。
    「?」
    訳分からず彼女を見上げるリッキーに、アルフィンは
    「このファイルにはね、一度押したらとことん押し切るのも手、っていう操縦
    法が書かれてるの」
    と、意味深めいた言葉を実に滑らかに口にした。
    「へっ?」
    「まあ、あんたがもうちょっと成長したら、男の端くれとして読むことをすす
    めるわ」
    これもひとつの忠告、とでも言いたげな顔をつくると、アルフィンは姿勢を戻
    す。
    そんな風に。
    一応、ありがたいアドバイスを受けたはずのリッキーなのだが、顔面いっぱい
    に「?」マークが貼りついていた。
    いまいちどころか、いまにもいまさんも、納得できないリッキー。しかしそん
    なことはお構いなしにアルフィンは
    「じゃ、30時間後にまたね」
    とだけ言い残して、金髪をひらりと翻すと自分の船室へと向かうのだった。

    その後ろ姿を見送ったリッキーは
    「なんだよ。わっけわかんねえなあ」
    とぼやきながら、両手を頭の後ろで組むのだった。
    女の子の考えることは、とかく難解なことが多すぎる。そんなことを脳裏に掠
    めた。
    そこでリッキーはふと、何かにひらめく。目線をちらと船室のドアの方に向け
    た。
    「……兄貴に聞けばわかるかな」
    貸した本人に聞くのが一番と、
    もっとも常識的な判断を下したのだった。



    <END>







    ※飛行に関する数字データや、船室のレイアウトはすべて勝手な空想です。
    揚力の原理はたぶんあってると思うけど、戦闘機にも適合するかは謎(飛
    行艇はアリらしい)。鵜呑みにするとガセビアになります。ご注意(笑)



fin.
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