| 食堂を飛び出したアルフィンは、リビングへ駆け込んだ。 リビングでは、ドンゴが、散らかったローテーブルの周辺をまめまめしく整理していたが、怒り心頭しているアルフィンの視界にはまったく入っていなかった。 「ジョウのばかっ ばかっばかっばかっ!」 アルフィンは手近のクッションをわし掴むと、力任せにソファを連打した。 「粗びきが何よっ!」 思い切り叩きつけられたクッションは、跳ねて床へ転がった。アルフィンは悔しかった。何だかわからないが、とにかく悔しくって腹が立つ。 アルフィンは、大きく肩で息をした。すかさずドンゴが、キャタピラをきしませてクッションを拾いに行く。 そこで初めて、アルフィンはドンゴに気付いた。風船がしぼむように、アルフィンは急に恥ずかしくなった。 「……ドンゴ、ごめんなさい」 アルフィンは小さく謝った。 ドンゴは電子アイを瞬かせた。元通りクッションをソファへ戻すと、アルフィンの傍に止まった。 「あるふぃん、ドウシタ? キャハ」 「ドンゴぉ」 アルフィンはドンゴに抱きついた。冷たくて固い特殊合金の感触に、アルフィンはまた泣きたいような気分になる。 「あるふぃん、用事ハ何デスカ? キャハハ」 アルフィンはドンゴからゆっくりと身体を離した。ドンゴはロボットだ。だからプログラム通りの対応をアルフィンにしているに過ぎない。それでもアルフィンは、ドンゴが自分を慰めてくれているように思えた。胸の中に、ぽっと小さく明かりがともったような、そんな感じだ。 アルフィンは、微かに微笑すると、答えた。 「……そうね、あたし紅茶が飲みたいな、レモンティー」 「了解シマシタ。わたしニオ任セ下サイ」 甲高い電子音を撒いて、ドンゴがリビングから出て行く。見送るアルフィンの微笑が、ドンゴの姿が見えなくなる頃には本物になった。 と。 いつまでたっても、リビングのドアが閉まろうとしない。 「……?」 自動開閉のドアが、スライドしないのだ。 故障だろうか? 訝しんだアルフィンが確認しようと立ち上がろうとした時、恐るおそるという感じで、どんぐり眼の小さな顔と傷だらけの大きな顔が、縦に二つ並んで室内を覗き込んだ。 「リッキー……と、タロス」アルフィンは、碧玉の瞳をぱちくりさせた。 「何してんの、二人とも、そんな所で?」 様子を窺いにやって来た二人は、思いの外アルフィンの機嫌が普通だったのにほっとして、安堵の息を吐いた。 正直、派手に泣かれでもしていたらどうしようかと、二人は通路でビクビクしていたのである。 慣れているのは銃火器や機械の取り扱いばかりの、無骨で不器用なクラッシャーたちは、こういう時、まるっきり冴えない。 リッキーとタロスは成り行き上、ソファに腰を下ろした。一応アルフィンをなだめるつもりだったのだが、いざとなるとどう切り出していいか分らない。 「なに? 二人とも黙り込んじゃって」 アルフィンが、二人の顔を見比べた。 「いや、その兄貴もさ、たまにはソースかけて食えばいいんだよ。別に腹壊すわけでもないんだし」 と、アルフィンと目が合ってしまったリッキーが、うろたえ気味に口を開いた。ただし、話の切り出し方としては最悪である。 アルフィンの表情が、目に見えて強張った。リッキーは慌てて言葉を重ねた。 「あ、別にアルフィンの料理がまずいとか言ってる訳じゃないんだぜ。ただ好みの問題で―――」 アルフィンは、黙っている。 「これ以上、話をこじらせるな、この低脳児」 ドスの利いた低音で、タロスが横目にリッキーを睨んだ。途端にリッキーは噛み付いた。 「何だよっ タロスだって同じソースならソイソースの方がいいってぼやいてたじゃんか! こればっかりは好みの問題だからって」 「うるせえんだよ、おめえだって目玉焼きン時はいつも馬鹿みたいに塩振って食ってんじゃねえか!」 「バカって何だよ!」リッキーが床を蹴って立ち上がる。 「バカはバカだろうが!」タロスが言い返す。 「ちょっと、待って!」 突然、アルフィンが、凛とした口調で割って入った。その有無を言わさぬ迫力に、タロスとリッキーは、ピタリと口をつぐむ。 「タロスはいつもベーコン・エッグにはソイソースをかけて食べているの?」 「あ、ああ」 碧い双眸にひたと見据えられて、タロスはぎこちなく肯定した。 「リッキーは塩なの?」 アルフィンは、立っているリッキーを見上げた。うん、と答えて、リッキーもぎこちなくソファへ腰を落とす。 「……そっか」 アルフィンはソファに背もたれると、頭を後ろへ押し付けてリビングの天井を見上げた。 「アルフィン?」 呼ばれて、アルフィンは再び二人へ顔を向けた。その面には、微かに苦笑が滲んでいる。 「実はあたしもね、さっきのアレは失敗したなって今は思ってるの。みんなの好みを聞かないで、勝手にソースをかけちゃったんだもんね……でもまさか、ソース以外のものをかけて食べる人がいるなんて想像もしなかったんだもの」 「……はあ」 困惑気味なタロスとリッキーをよそに、アルフィンは溜め息を吐いた。 「でも考えてみたら、あたしだって、自分のベーコン・エッグに例えば粗びき胡椒を振られて出されたら、やっぱり怒ると思うのよ」 そう言って、アルフィンは肩を竦めた。今思えば、ジョウの言い分もよくわかるのだ。だが――― アルフィンが、きっ、と面を上げた。条件反射の悲しさで、リッキーの身体がソファの上で逃げを打つ。 「でも、ジョウのあの言い方はひどいと思わない? いくらなんでも言い過ぎよ!」 ソースの何が悪い! と声を高くするアルフィンに、リッキーはひたすら相槌を打つ。 「まあ、人間手のは妙なもんに出来てるからな」と、黙っていたタロスが、分別臭い表情で言い出した。 「恋人やら伴侶なんぞは変えても案外けろりとしているもんだが、目玉焼きに何をつけて食うとか、酒の飲み方とか、そういったことになると途端に融通が利かなくなっちまう」 「そ……うなのかしら……?」 アルフィンは考え込むように小首を傾げた。にわかに合点がいかないらしい。すると、タロスが脈略もなく小さく嗤った。 「なんだい、タロス?」 リッキーが訊いた。 「―――いや、ちょいと昔のことを思い出してな。そういや〈アトラス〉でも同じようなことがあったなと……」 「〈アトラス〉って?」 アルフィンが、きょとんとして聞き返した。タロスがジョウの父親、クラッシャーダンの宇宙船だと説明すると、アルフィンは目を丸くした。 「……もう二十年も前になるか」と、タロスは話し出した。 「ユリア姐さんが―――ああ、ジョウのお袋さんだが、ほんの数日だったが〈アトラス〉にいたことがあってな。そん時にメシを作ってくれたんだが、ある時目玉焼きが出たんだよ」 おいしそうに盛り付けられた皿には、ソースがかけられていた。 「ほら、やっぱりソースが合うのよ!」 と、打てば響くようなタイミングで、アルフィンが勝ち誇ったように人差し指を立てた。味方が増えた、という表情だ。 タロスは口の端に苦笑を刻んだ。 あの時、食卓を眺めたダンは、ほんの僅か片眉を上げた。理由ははっきりしていた。目玉焼きの、ソースが気に入らなかったのだ。 「ジョウのお父様って、いつも何をかけて食べてらしたの?」 アルフィンの口調が、つい昔のそれに戻る。タロスの苦笑が深くなった。 「粗びき胡椒だよ」 「あはは、兄貴とおんなじでやんの」 リッキーが大ウケした。つられて、アルフィンも微笑った。 キッチンコーナーから出てきたユリアは、クラッシャーたちの微妙な空気に気が付くと、皿と彼らを見比べた。 カンのいい彼女は、すぐにそれと察したらしい。彼女はふわりと花のような笑顔を浮かべると、 “……今朝はマーシィ風の味付けにしてみました” 「マーシィ風?」 「ちょうどそん時、マーシィって惑星の衛星軌道上に〈アトラス〉が浮んでたのさ」 タロスが、ニヤリとして言った。 「な……る」 アルフィンは、はぁんという表情をした。なるほど、エスプリが利いている。 「それで、みんな食ったの?」リッキーがせっかちに先を促した。 「当たり前だ、タコ」 ……四人のクラッシャーは前後して食卓に着いた。嬉しそうに両手を擦り合わせながらバードが、ユリアにくしゃっと片目をつむってガンビーノが、広い肩を心持ち小さくしながらタロスが、そして最後に淡々として、ダンが。 「―――ジョウのお母様って、お料理お上手だったの?」 「美味かったな」 タロスはふっと、懐かしそうに目を細めた。 「なんて言うか、こう……あったかい味だった。うまかったよ」 「へえ……?」 そう言われてもピンとこないのか、リッキーは丸い目をさらに丸くしている。 「よし!」 唐突に、アルフィンは、左拳で右の掌を軽く叩いた。ジョウの仕草をまねたのだ。 「あたしもお料理がんばろっと。さっきみたいな失敗はもうしないんだから!」 宣言するようにアルフィンが言った。瞳が生気に輝いている。やる気が出てきたらしい。 「アルフィンの料理はイイ線いってると思うよ。うまいもん、なあ、タロス?」 すると、思いの外真面目な顔で、リッキーがタロスを促した。 「あ、ああ」 「あら、ほんと?」 褒められて、アルフィンは意表を衝かれたような、だが満更でもないような表情を浮かべた。 リッキーは頷いた。 「兄貴だって黙ってるけどさ、きっとうまいと思ってるに違いねえもん。だってさ、おいらたち、アルフィンの料理って残したこと無いだろ?」 と、リッキーにしては気の利いたことを言った。 「そうだな」 タロスも頷いた。リッキーの言葉に異論は無い。美味いのは事実である。 「やだ、タロスまで」 謙遜しながらも、アルフィンの珊瑚色の唇はほころんでいく。空気がぱっと明るくなる。 タロスとリッキーはこっそり目顔を交わしあった。 やっぱりアルフィンは、笑っているのが一番いい。 と、そこへ、 「キャハ!」 いいタイミングでドアがスライドし、カートを押したドンゴが現われた。 「紅茶ヲオ持チシマシタ」 「あ、そうだった」 アルフィンが、はっとした。頼んだことをすっかり失念していた。 ドアのところで静止したドンゴは、首部をかっちり九十度回すと、通路へ向けて甲高く呼びかけた。 「じょう、室内ニ入ラナイノデスカ? キャハハ」 「え?」 アルフィン、タロス、リッキーは、同時にドンゴの電子アイを目で追った。どうやら頭髪でも掻いているらしく、壁際から見覚えのある濃青色の肘だけはみ出している。 「ジョウ?」 アルフィンがそっと声を投げると、数秒置いて、如何にもばつの悪そうな感じでジョウが姿を見せた。 「あー、アルフィン。さっきは俺も少し言い過ぎたと―――」 がしがしと必要以上に髪を掻きながら言い掛けるジョウの台詞を、だがアルフィンはまったく気にも留めずに、まっしぐらにジョウの胸の中へ飛び込んだ。 「ジョウ! あたし、お母様に負けないように、お料理の腕磨くからね!」 「え? ちょ……は?」 訳もわからないままアルフィンに思いっきり抱きつかれて、ジョウは真っ赤になった。
そして――― 「みんな、朝食の用意が出来たわよ!」 アルフィンの弾んだ声で、今日も〈ミネルバ〉の朝が始まる。
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