| 「さて、おまえたちの出発に際し、形式上の手続きがひとつある。人命に関わる 出来事だ、ぜひとも同意書にサインして欲しい」 あれま。 部長ったらゲンキン。声が心なしか明るい。 「その前に確認ですぅ。タイムスリップは、仮テストくらいは済んでるんでしょ ーか」 と、あたしが質問すると 「おまえたちが、栄えある第一号だ」 と、部長はありがたくない言葉を返してくれた。 「無人も? モルモットもないんですかぁ?」 「馬鹿を言っちゃいかん。それで歴史の歯車が一層狂ったらどうする。ここ一番 という時にのためにテストは時期を控えていたのだ。光栄に思うがいい」 ぶちょー。 どっちが馬鹿を言ってるんでしょーか。 気にくわない。 同意書のサインってとっから。 テストが失敗してあたしたちが宇宙の藻屑になった場合、まあ仮に成功したとし て、23年後ひょんなことでこの一件を思い出した場合、逃げ口上のために必要 なんだと、ぴんときたわ。ったく、ざけんじゃないわよ。 自分たちの立場は紙切れでしっかりガードしといて、あたしたちの命の保障は丸 裸ってどーいうわけ? 男の風上にも置けない。 責任者出てこーい! 「部長。あたし、下りますぅ」 「はーい、あたしもォ」 ユリもついてきた。 「な……、何を言っとるのかな」 部長の声がわなないた。 にゃるほど。映像がなければ、顔色を読まれないっつー寸法ね。手回しは良かっ たけど、その手に乗るモンですか。 「2164年の方が、いい男に巡り会えそうなんですぅ。それにあたし、過去に 執着しない女ですからぁ」 「どうかーん」 こういう時のあたしたちってば、息ぴったし。 「……本気で言ってるのかな」 「もちろんでーす」 「あたしもォ」 「……決意は固いのか」 「楽観主義ですからぁ」 「そーよねえ」 「…………」 部長が沈黙した。 だってさ、そうするしかないじゃない。折角生き長らえてきたんもん。ジョウに も出逢ったことだし、2164年の方がうまそーな男の球数多そう。 くふ。 「……わかった」 思った以上に早く、部長が口を開いた。 「おまえたちの意志を尊重しよう。そして当面の生活のこともあるだろう。現在 もラブリーエンゼルの監督責任を任されているのだからな、こうなったら1組も 2組もまとめて面倒をみよう」 「わーい、さっすが部長! あたし幸せ者だわァ」 あたしの隣で、ユリが両手を組んで驚喜した。 ほんと、ほんと。 それでこそ慈悲深い上司の鏡ってもんよね、部長。 一件落着! ──となるには ちと早かった。 「しかし、おまえたちも大した度胸だ」 「はい?」 「いや……わたしが同じ立場ならば、正視に耐えない」 「???」 あたしとユリ、顔を見合わせる。 「熟年ラブリーエンゼルになった自分たちと、顔をつきあわせて仕事をするとは な。いやはや、たいしたタマだ」 …………。 …………。 …………。 熟年? ラブリーエンゼル? あたしは慌てて、ひいふうみい、と指折り数えた。 げげげのげ! あたしたち、42才じゃない! ぞぞぞぞぞ! 悪夢! そーだった。うっかりすっ飛ばしてた。 あたしたちが未だ現役ってことは、オールドミスで、お局のトラコンということ だ。活躍ともなれば、行かず後家は決定。んなことって許されるの? こらあ! 世の男どもはなにをしとるんじゃー! そりゃあたしのことだ。世間の40代と比べれば、格段にいい女をキープしてる だろう。けど19のあたしからすれば、40代なんて想像を絶する。成熟なんて いうオブラートにかけた形容詞があるけれど、老いであることに変わりはない。 あいたたた。 これはきっつい! 余裕ぶっこいて、アルフィンにエールなんて残してくバヤイじゃなかった。いつ までもジョウにチームメイトなんて言わせちゃ駄目よ、なーんて。ドンゴにメッ セージを託してるバヤイじゃない。 あたしを嫁にいかせなきゃ。 命の心配なんかよか、そっちの方が重大問題。 「ぶちょー。あたしサインしますぅ」 「あたしもォ」 珍しくユリも崖っぷちを理解したらしい。 反応がえらく早い。 「ほお、気が変わったかね」 「正気に戻ったんですぅ」 「そうか。ならばコンソールにある小型パネルに、指紋と網膜パターンを取り込 んでくれたまえ」 ばたばたばた。 あたしとユリは、それこそお尻に火がついたみたく、慌ててコンソールの前に立 った。 2人揃って、人差し指を矩形のパネルにぴったんこ。 勢い余って、あたしたちの指が触れた。 すると。 視界の中で光が舞い散り、まわりの光景が歪んでく。貧血にも似た、頭がぐるぐ るする感じ。 あれだ。 これは、あれがはじまる前兆。 どっくんどっくん。心臓が跳ねる。身体中が熱くなる。そして白い光が、あたし の意識を覆うと、めくるめくエクスタシーに包まれた。 クレアボワイヤンス。 つまり千里眼。あたしたちの特殊能力である。 大学在学中、突如発現したこの能力に目をつけ、WWWAはあたしたちをトラコ ンとしてスカウトしたのだった。 はじまるのが唐突なこの能力は、終わるのも唐突。 光が爆発し、四散すると、あっという間に暗転。ずっしりと重い頭と身体。 毎回、結構疲れる。 あたしとユリ、かろうじてコンソールにもたれかかっていた。 「……見たわね」 と、あたし。 「うん、確かにあれだったわね」 ユリの声も掠れてる。 「けど、今回もまた意味不明」 あたしはぼやいた。 エスパー研究所によると、千里眼の力は何もかも見透かせるらしい。ところが、 あたしたちが見る映像は断片的で、脈絡もなく、抽象的なケースが多い。今回も そのいい例だ。 おかげで一里眼とか言われちゃう、あたしたちの能力。 赤い線が4本。 赤いスラッシュ文字が4本って感じの映像だった。 大概はこれが追ってる事件の鍵になるんだけど、今回は事件じゃないし、脱出劇 だってとっくに終わった。 「タイムスリップのあとに、なんかあるのかしら」 あたしの問いかけに、 「気になったら、行くっきゃないんじゃない?」 とユリはこれまためずらしく、はきはきと答えた。 そりゃそーだ。 何を置いてもやらなきゃなんないことができた。 あたしたちの、売れ残り阻止。 トラコンなんか寿退職してやるぅ! 「サインを急いでくれたまえ。準備はすべて整っている」 部長があたしたちの背中を押した。 行くわよ、ユリ。 待ってなさいよ、23年後のあたし。 戻ったら早々うまそーな男めっけて、オールドミスで、お局のトラコンから、救 ったげるわ。 あたしとユリは、ほっぺがくっつきそーなほど近づいて、パネルをじっと凝視す るのだった。
──この後、あたしたちはタイムスリップで2141年に舞い戻った。 その成功と引き替えに、2164年の記憶は各種装置によって、ものの見事に全 消去された。 あたしたちが飛ばされてから3時間後、小惑星クルムは活性化したマグマのせい で爆発した。その塵が、周辺惑星にどっと集中豪雨のごとく降り注ぐ。被害にあ った惑星は3つ。うちひとつの惑星は半球分をごっそり焦土と化した。死者・負 傷者・行方不明者を含めてざっと数千万単位。 部長はひたすら嘆き、神を呪う。 こうした一切合切の出来事など、あたしたちは知るよしもなかった。 さらに。 クレアボワイヤンスで見た、4本の赤い線のこともキレイに忘れた。 実はそれがジョウの頬にできた、アルフィンによる怒りのひっかきキズだとは。 原因は、あたしがドンゴに託したメッセージ。 もちろんこんな顛末なんぞも、あたしの耳に届くことは一生なかった。
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