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■946 / inTopicNo.1)  思い出の引き出しV〜伝言ゲーム
  
□投稿者/ 遠州屋小吉 -(2005/10/29(Sat) 11:10:25)
     ふっと視界が暗くなった。顔を上げると、くすんだ赤のクラッシュジャケットを着たいかつい男が、じっと自分を見下ろしている。
    「お前がそこに立つと、手元が暗えんだよ」
    「タロス、ちょっと話がある」
    「変な野郎だな、改まりやがって――」タロスは幾分たれ目気味の目を眇めた。
    「何だよ、バード」
     <アトラス>の格納庫の片隅にどかりと胡坐をかいて、タロスは搭載艇の整備をしていた。彼の周囲には、解体した銃座の部品やら工具などが、手当たり次第に散らかされている。
     五歳年下の後輩機関士は、黙ってタロスの鼻先に缶ビールを突きつけた。
     タロスは無言でそれを受け取ると、無造作にプルトップを押し開けた。ぷしゅ、と空気の抜ける音がして、白い細かな泡が飲み口からこぼれ出た。
     タロスは咽喉を鳴らせて、ひと息にあおった。
    「……お前、マギーと付き合ってるのか?」
     次の瞬間、タロスは盛大にむせた。バードは片手に缶ビールを下げたまま、じっとタロスの様子を眺めている。
    「おめ……藪から棒に何言い出すんだ」
     タロスは咳き込みながら、手の甲で口を拭った。バードが答えた。
    「マギーからお前に伝言だ。“プレゼントはルナジェルシティのリーン宇宙港へ送っておきました”だとよ」
    「プレゼント!? 何のことだ?」
    「……だからそこら辺のところを、俺はお前に聞きたいんだよ」
     訊き返すタロスに、バードは妙に声を抑えて、ぐっと迫った。



     普段はガンビーノが坐る航法士席に腰を落ち着けてほどなく、通信回線が受信を知らせた。
     バードはコンソールパネルに嵌め込まれたデジタル時計へ、ちらと視線を投げた。
     連絡すると指定された時間、ピッタリである。
    「……律儀だねえ」
     バードはシートから背を起こし、回線をオンにした。
    「やあ、マギー」
     バードはメインスクリーンへ向かって、気軽く呼び掛けた。
    『……おはようございます、バード』
     と、マギーと呼ばれたその若い娘は、平板な口調で挨拶した。いかにも有能そうな、硬質な美人である。
    「そっちはまだ早朝だろ? 悪いな、朝っぱらから手間を取らせて」
     謝罪しながら、バードは苦笑とも微笑とも付かない笑みを口の端に張り付かせた。
     どういうわけか、<クラッシャーダン>のチームがアラミス本部へ面倒を持ち込む時、その応対に出るのは決まってこのマギンティなのである。
     おかげで宇宙のスペシャリストとしての<クラッシャーダン>の名声も、彼女の前では紙より軽い。
    『いえ。仕事ですから』
     と、夜勤明けのマギーはあっさりとバードの気遣いを流すと、単刀直入に本題に入った。
    『あなた方のパスポートの更新の件ですが、手続きの方は済みました。後は本人のサインを経て正式発行されます。データを送りますので、各人で記載内容の確認をして下さい』
    「え。もう出来たのか!?」バードは驚いて、その木の実のような小さな目を目一杯見開いた。
    「タロスの話じゃ、五時間は掛かるって言ってたぞ」
     アラミスへこの件を依頼してから、まだ三時間と経っていない筈だ。
    『――そのタロスが5分でも10分でも早くパスポートを更新して欲しいと言われますので、こちらも急いだつもりですが?』
     画面の向うで、マギーは素っ気なく返した。バードは、う、と言葉を詰まらせると、面目なげに頭を掻いた。
    「無理言ってすまねえな、マギー。だが、おかげで俺たちも仕事に穴を開けずにすみそうだ」
     惑星シャインへやってきたクラッシャーダンのチームは、入国審査を受けるために一旦宇宙ステーションに<アトラス>をドッキングさせたのだが、いざ審査という段になって、彼らの提出したパスポートが期限切れで入国拒否を食らうと云う羽目に陥ったのだ。
     入国できなければ、仕事が出来ない。
     実際、パスポートの更新が出来なければ、仕事をドタキャンせざるを得ない事態になりかねなかったのだ。
     マギー様さまだぜ、と不安の種がなくなり心が軽くなったバードは、そう軽口を叩いた。
    『そうですか』
     と、マギーは言葉短かに応じた。機嫌が悪いのでなく、この娘はいつもこうなのだ。仕事は早いし、真面目で性格もいいのだが、愛想だけ、どこかへ落っことしてきたらしい。
     おかげで会話は全く弾まない。
     やりにくいぜ、と腹の中でこっそりぼやいて、バードは改めてマギーに話し掛けた。
     実はパスポートの件とは別に、バードはマギーに聞きたいことがあったのだ。
    「クラッシャーケビン、知ってるだろ?」
    『はい』
    「あいつの嫁さんが最近流産しかけたって聞いたんだが、大丈夫なのか?」
     マギーはぱちぱちと両目を瞬かせて、バードを凝視した。微妙に沈黙の間があいて、やがてマギーは再び口を開いた。
    『……申し訳ありませんが、クラッシャー各個人のプライベートな事情まで私は存じません』
    「へ?」
    『クラッシャーケビンが結婚されていると云う話も、私は初耳です』
    「え、初耳?」
     予想外の返答に、バードはきょとんとした。
    「だって、君とケビンの嫁さんは同じ地区に住んでるんだろ?」
     思わず訊き返して、だがすぐに、バードは愚問だったことに気付いた。ケビンの妻とマギーが同じ地区に住んでいることと、お互いが知り合いかどうかと云うことは、確かに別の問題である。
     しかし、ケビンが結婚したことも知らなかったとは。
     バードなんかより本部窓口担当のマギーの方が、余程ケビンと顔を合わせているだろうに、毎回、何喋ってるんだ……?
    『仕事の話ですが』
    「あ、そう」
     バードはがっくりとうなだれた。完全に話を聞く相手を間違えた。
    「わりぃ、マギー。忘れてくれ。……いや俺さ、その話を小耳に挟んでからずっと気になってな。ケビンにはこの前の惑星改造の時にいろいろ世話ンなったし、その時あいつ、子どもが出来たって喜んでたんだよ。それ知ってるだけにちょっと心配で――」
     マギーは黙って聞いていたが、ふと気が付いたように、ああそれで、と口を挟んだ。
    『……それで、わざわざタロスと通信を交代したんですか?』
    「う……ま、まあな」
     バードは言葉を濁した。どうしてこう鋭いのだろうか、この娘は。
     マギーは視線を泳がせるバードをしばらく眺めていたが、
    『――同僚にクラッシャーケビンと幼なじみの者がいます。何か話を聞いているかもしれません。聞いてみます』
    「本当か!?」
     バードの表情がぱっと明るくなった。二十七歳のバードだが、そんな表情をすると、二つも三つも若く見えた。
    「そいつは助かる!」
     マギーの固い口元を、淡く微笑が掠めた。
    『話を聞いた以上、私も気になりますから――』
     バードは、そうだろう、と言わんばかりに何度となく頷いた。自分ではあまり自覚していないようだが、こう見えて情に厚い男なのだ。
    『――では、パスポートの更新データを送信しますので、サインを忘れずにお願いします』
    「了解」
    『それから――』
     と、いつもならここで通信を切る筈のマギーが、珍しく言い加えた。
    『タロスに伝えてください。“プレゼントはルナジェルシティのリーン宇宙港へ着払いで送りましたから”と』
    「…………へ?」
     バードはブラックアウトしたメインスクリーンをぽかんと見上げた。



    「……何だ、そのことかよ」
     バードからあらましを聞いたタロスは、そう言うと、太い息を漏らした。
    「プレゼントとは聞き捨てならねえな、え、タロス? お前、いつの間にくどいたンだ? 俺としては、ぜひその辺りを詳しく聞きたいね」
     バードはニヤニヤしながら缶ビールをあおった。タロスは舌打ちして、バードを睨み上げた。
    「勝手に妙な想像してんじゃねえよ、このタコ。マギーが言ったのはそんなことじゃねえ」
    「今さら言い訳かよ?」
    「そうじゃねえ! 聞きやがれってんだっ」
     タロスは怒鳴って、ビール缶を握り潰した。
    「聞かせてもらいましょう? タロス先輩」
     バードは口の端で嗤った。完全に面白がっている。

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■947 / inTopicNo.2)  Re[1]: 思い出の引き出しV〜伝言ゲーム
□投稿者/ 遠州屋小吉 -(2005/10/29(Sat) 14:55:17)
     向うはまだ夜明け前だとわかっていたが、タロスはかまわずアラミスの本部を緊急コールで呼び出した。
     相手がメインスクリーンに出るまでの間、タロスは腹の中で、どうか彼女に当たるな、と念じた。だが――
    『……はい。こちら本部事務局です』
     映像が出ると同時に、タロスの希望が儚くついえた。人生、大体こんなものである。
    「……こちら<アトラス>のタロス。悪いが、ちょいと面倒が起こって困ってる」
    『何でしょうか?』
     画面のマギーは淡々として返した。そろそろ夜勤明けの時刻で、彼女も疲れている筈だが、そんな気配は毫も窺わせない。冴え冴えとした視線がタロスへ向けられる。
    「実は――」
     観念して、タロスは事情を説明した。今回もそうだが、困ってアラミスに泣きついた時に限って、必ずといっていいほどこのマギーが応対に現われる。
     おかげで近頃では<アトラス>の面々は、表面上はともかく、内心では頭が上がらなくなってきている。非常にまずい。
    『――つまりあなた方の現行のパスポートでは、期日足らずでシャインへ入国できない、と云うことですか』
    「ああ。入国審査は期限が切れる半年前までのパスポートでないと受付ねえ、だとかぬかしやがった」
     タロスは鼻を鳴らすと、腕を組んで、どかりとシートへ背もたれた。長い足が座席から窮屈そうにはみ出している。黒のクラッシュジャケットを着たタロスは、二メートルを越す巨躯である。
    『……確かに現行のパスポートは後120日で期日切れですね』
     素早く彼らのパスポートデータを照会したらしいマギーは、傍らのデスクトップ画面を目で追いながら、言葉を継いだ。
    『ですが、更新の件についてはこちらから再三連絡をしていたと思いますが』
    「う」
     タロスは言葉に詰まった。その通りである。アラミスから連絡が入る度に更新手続きをせねばと思いつつ、仕事の忙しさにかまけて、ついほったらかしにしてしまっていたのだ。そのうち誰かがやるだろう、と無意識にクルー全員が思っていた節もある。
    「今さらそんな話を蒸し返しても仕方ねえ」
     タロスはマギーに向かって、払いのけるように荒っぽく右腕を動かした。ムービースターのような甘いマスクのタロスだが、その中身は超がつくほど気が荒い。
    「つべこべ理屈こねてる暇はねえンだ! 今はとにかく新しいパスポートがいるんだ。次の依頼人がシャインのルナジェルシティで待ってる。このままじゃあ俺たちは仕事に穴ア開けちまう!」
    『――今から更新手続きの申請をされますと、再発行には約5時間ほど掛かりますが』
    「遅え!」タロスは太い眉を吊り上げた。
    「そんなに待てねえ! もっと早くできねえのか!?」
    『…………』
     大体、頼み事とか交渉事とかいうことに、タロスはクルーの中で一番向いていない。この場合、一番適任なのはダンかガンビーノなのだが、生憎二人とも、ダン達を密輸グループと勘ぐって<アトラス>に乗り込んできた宇宙ステーションの役人連中に手を取られて、不在である。
     機関士のバードは船体チェック。結局、手が空いているのはタロスしかいない。
     <アトラス>は現在、惑星シャインの衛星軌道上に浮かぶ宇宙ステーションのドッキングベイに係留されたまま、身動きが取れない状態にある。
     こんなところに5時間もいられるか、というのがタロスの主張であった。
     マギーは僅かに顎を引いて黙り込んでいたが、やがて目を上げてタロスの方を見た。
    『……そちらの事情はわかりました。そういうことでしたらこちらも可能な限り迅速に再発行手続きを行ってみます。……そうですね、今から150分後、0600時に一度そちらへ連絡を入れましょう。その時には再発行の具体的な時刻をお答えできると思います』
    「ありがてえ! 5分でも10分でも、とにかく早いとこ頼むぜ」
    『…………わかりました』
     出来ない、とマギーが言わなかったことにタロスは満足した。この娘は愛想は悪いが、引き受けた仕事に嘘はつかない。出来ないと言わなかった以上、マギーはやってくれる。
    「ところでよ、マギー」
    『はい?』
    「頼みついでにもうひとつ、野暮用を頼まれちゃくれねえか?」
    『何ですか?』
     マギーは淡々と訊き返した。タロスは操縦室をぐるりと見回して人気がないことを確認すると、幾分メインスクリーンの方へ身体を乗り出して、声も低めに話し掛けた。
    「あのよ、アラミス特産の蒸留酒があるだろ? 名前はちょっと忘れたが、あの太いボトルに入ったやつだ。あいつを1ケースばかし送ってくれねえか?」
     マギーは一瞬、沈黙した。
    『……そういうプライベートな用件につきましてはお引き受けいたしかねます』
    「少しくらいいいじゃねえか」
    『お断りします』
    「なんだと!?」
     言下に断られてしまったタロスは、ムキになってメインスクリーンへ突っかかった。倍ほども年齢の離れた娘に対し、大人げないことおびただしい。人目がなくて幸いである。しかしマギーは、細い眉の毛一本動かすことなく突き放した。
    『仕事上の用件や発生したトラブルについては、こちらも仕事ですから内容がどうであれ本部は面倒をみますが、クラッシャー個人の面倒まではみきれません。自分のことは独力で対処なさってください』 
     「筋違いは百も承知だ。だが俺には頼む相手がいねえんだから仕方ねえだろ。エギルんとこみてえにはいかねえんだからよ」
     と、タロスは最後は口の中でぼそぼそと呟いた。
    『クラッシャーエギルですか?』マギーは微かに目を瞠って聞き咎めた。
    『エギルがどうだと云うのです?』
    「だからこの前エギルに会った時、女房が上手い酒を送って寄越したって言って、そいつを分けてくれたんだよ。確かに美味い酒だ。何せ普段ほとんど何も言わないおやっさんも褒めてたくらいだからな。だから――」
     タロスは言葉を切った。マギーがその固い口元を綻ばせて自分を見ていたからだ。タロスは早口に続けた。
    「俺は別におやっさんのために頼んでるんじゃねえぞ。おれが飲みてえから頼んでるんだ」
     マギーの微笑が深くなった。
    『――そういえば、ガンビーノもお酒が好きでしたね』
    「あんな飲んだくれナヴィゲーターに誰がやるかよ、もったいねえ」
     タロスは甘く整った顔を思い切りしかめた。いらぬことまで喋りすぎた。大失敗である。恰好悪ィ、と腹の中で舌打ちした。
     タロス、とマギーが呼び掛けた。
    『……それで、発送する蒸留酒は1ケースでよろしいのですか?』
     はっとタロスが顔を上げた。
    「送ってくれるのか?」
     マギーの冴えた面に、一瞬、悪戯っぽいものが掠めた。
    『私は5分前から休憩時間に入りました』
    「へ?」
    『今はプライベートタイムなんです。ですからタロスと私が個人的に何を約束しようと問題はありません』
    「マギー、おめえ、いい女だなあ!」
     タロスは思わずニヤリとして、片目をつぶった。とろけそうに甘い。しかしやはりマギーはマギーだった。
    『軽口は結構です。それよりお酒の代金を忘れずに払ってくださいね、タロス』
     そしてあっさりと通信は切れた。



    「…………って話だ。おめえが勘ぐるようなことは何もねえンだよ」
    「まあ、そんなことだろうとは思ってたけどな」
    「言ってろ、タコ」
    「アラミスの酒か……楽しみだな」
     バードは酒の味を思い出すように両目を細めた。そんなバードをタロスは横目で睨んで言った。
    「おめえにゃやらねえぞ」
    「なんだとタロス、独り占めする気か!? いくらなんでもそいつはねえだろ? なあ、少しくらい分けろよ」
    「やだね」
    「5本、いや3本でいいからさ、分けてくれよ、なあ」
     バードが指で三とか五とか示しながら、しきりに頼み込む。タロスは知らん顔だ。
     その時、船内回線でダンが呼んだ。
    『タロス、バード、アラミスがパスポートのデータを送ってきた。操縦室へ戻れ』
    「やべえ……!」
     タロスとバードは顔を見合わせると、あたふたと格納庫を飛び出した。
     急いで操縦室に戻ると、副操縦席のダンが振り向いた。その傍らに、最近めっきり白髪が増えたガンビーノが立っている。
    「二人とも、記載内容を確認してサインしろ」
    「へい」
    「それからバード。お前にマギーから伝言だ」
    「は?」
     目を上げたバードへ、、ダンが真面目な顔で続けた。
    「“母子ともに体調は良好。流産の心配はなし。出産予定日は○月×日”だそうだ。良かったな、バード」
    「はあ?」
    「だがお前、いつの間に結婚したんだ? チームリーダーの俺にも黙ってるなんて水臭いじゃないか」
    「し、知りませんよ、俺」
     バードは顎が外れそうなほど呆気に取られた後、もの凄い勢いで両手と首と振った。いつの間にかクルー全員に囲まれている。バードはじりじりと後じ去った。
    「何ならわしが、赤子の名付け親になろうかい」
    「こういう場合、チームリーダーのおやっさんが名付けるもんだぜ、ガンビーノ。なあ、バード?」
    「なあ、バードじゃねえっ」
     バードは顔を引き攣らせてタロスを一喝すると、必死の形相でまくし立てた。
    「誤解ですっ おやっさん、誤解ですって! もちろん信じてないですよね!?
    ……おやっさん? ちょっと何とか言ってくださいよぅ!」

                                   (終)
fin.
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