| ふっと視界が暗くなった。顔を上げると、くすんだ赤のクラッシュジャケットを着たいかつい男が、じっと自分を見下ろしている。 「お前がそこに立つと、手元が暗えんだよ」 「タロス、ちょっと話がある」 「変な野郎だな、改まりやがって――」タロスは幾分たれ目気味の目を眇めた。 「何だよ、バード」 <アトラス>の格納庫の片隅にどかりと胡坐をかいて、タロスは搭載艇の整備をしていた。彼の周囲には、解体した銃座の部品やら工具などが、手当たり次第に散らかされている。 五歳年下の後輩機関士は、黙ってタロスの鼻先に缶ビールを突きつけた。 タロスは無言でそれを受け取ると、無造作にプルトップを押し開けた。ぷしゅ、と空気の抜ける音がして、白い細かな泡が飲み口からこぼれ出た。 タロスは咽喉を鳴らせて、ひと息にあおった。 「……お前、マギーと付き合ってるのか?」 次の瞬間、タロスは盛大にむせた。バードは片手に缶ビールを下げたまま、じっとタロスの様子を眺めている。 「おめ……藪から棒に何言い出すんだ」 タロスは咳き込みながら、手の甲で口を拭った。バードが答えた。 「マギーからお前に伝言だ。“プレゼントはルナジェルシティのリーン宇宙港へ送っておきました”だとよ」 「プレゼント!? 何のことだ?」 「……だからそこら辺のところを、俺はお前に聞きたいんだよ」 訊き返すタロスに、バードは妙に声を抑えて、ぐっと迫った。
普段はガンビーノが坐る航法士席に腰を落ち着けてほどなく、通信回線が受信を知らせた。 バードはコンソールパネルに嵌め込まれたデジタル時計へ、ちらと視線を投げた。 連絡すると指定された時間、ピッタリである。 「……律儀だねえ」 バードはシートから背を起こし、回線をオンにした。 「やあ、マギー」 バードはメインスクリーンへ向かって、気軽く呼び掛けた。 『……おはようございます、バード』 と、マギーと呼ばれたその若い娘は、平板な口調で挨拶した。いかにも有能そうな、硬質な美人である。 「そっちはまだ早朝だろ? 悪いな、朝っぱらから手間を取らせて」 謝罪しながら、バードは苦笑とも微笑とも付かない笑みを口の端に張り付かせた。 どういうわけか、<クラッシャーダン>のチームがアラミス本部へ面倒を持ち込む時、その応対に出るのは決まってこのマギンティなのである。 おかげで宇宙のスペシャリストとしての<クラッシャーダン>の名声も、彼女の前では紙より軽い。 『いえ。仕事ですから』 と、夜勤明けのマギーはあっさりとバードの気遣いを流すと、単刀直入に本題に入った。 『あなた方のパスポートの更新の件ですが、手続きの方は済みました。後は本人のサインを経て正式発行されます。データを送りますので、各人で記載内容の確認をして下さい』 「え。もう出来たのか!?」バードは驚いて、その木の実のような小さな目を目一杯見開いた。 「タロスの話じゃ、五時間は掛かるって言ってたぞ」 アラミスへこの件を依頼してから、まだ三時間と経っていない筈だ。 『――そのタロスが5分でも10分でも早くパスポートを更新して欲しいと言われますので、こちらも急いだつもりですが?』 画面の向うで、マギーは素っ気なく返した。バードは、う、と言葉を詰まらせると、面目なげに頭を掻いた。 「無理言ってすまねえな、マギー。だが、おかげで俺たちも仕事に穴を開けずにすみそうだ」 惑星シャインへやってきたクラッシャーダンのチームは、入国審査を受けるために一旦宇宙ステーションに<アトラス>をドッキングさせたのだが、いざ審査という段になって、彼らの提出したパスポートが期限切れで入国拒否を食らうと云う羽目に陥ったのだ。 入国できなければ、仕事が出来ない。 実際、パスポートの更新が出来なければ、仕事をドタキャンせざるを得ない事態になりかねなかったのだ。 マギー様さまだぜ、と不安の種がなくなり心が軽くなったバードは、そう軽口を叩いた。 『そうですか』 と、マギーは言葉短かに応じた。機嫌が悪いのでなく、この娘はいつもこうなのだ。仕事は早いし、真面目で性格もいいのだが、愛想だけ、どこかへ落っことしてきたらしい。 おかげで会話は全く弾まない。 やりにくいぜ、と腹の中でこっそりぼやいて、バードは改めてマギーに話し掛けた。 実はパスポートの件とは別に、バードはマギーに聞きたいことがあったのだ。 「クラッシャーケビン、知ってるだろ?」 『はい』 「あいつの嫁さんが最近流産しかけたって聞いたんだが、大丈夫なのか?」 マギーはぱちぱちと両目を瞬かせて、バードを凝視した。微妙に沈黙の間があいて、やがてマギーは再び口を開いた。 『……申し訳ありませんが、クラッシャー各個人のプライベートな事情まで私は存じません』 「へ?」 『クラッシャーケビンが結婚されていると云う話も、私は初耳です』 「え、初耳?」 予想外の返答に、バードはきょとんとした。 「だって、君とケビンの嫁さんは同じ地区に住んでるんだろ?」 思わず訊き返して、だがすぐに、バードは愚問だったことに気付いた。ケビンの妻とマギーが同じ地区に住んでいることと、お互いが知り合いかどうかと云うことは、確かに別の問題である。 しかし、ケビンが結婚したことも知らなかったとは。 バードなんかより本部窓口担当のマギーの方が、余程ケビンと顔を合わせているだろうに、毎回、何喋ってるんだ……? 『仕事の話ですが』 「あ、そう」 バードはがっくりとうなだれた。完全に話を聞く相手を間違えた。 「わりぃ、マギー。忘れてくれ。……いや俺さ、その話を小耳に挟んでからずっと気になってな。ケビンにはこの前の惑星改造の時にいろいろ世話ンなったし、その時あいつ、子どもが出来たって喜んでたんだよ。それ知ってるだけにちょっと心配で――」 マギーは黙って聞いていたが、ふと気が付いたように、ああそれで、と口を挟んだ。 『……それで、わざわざタロスと通信を交代したんですか?』 「う……ま、まあな」 バードは言葉を濁した。どうしてこう鋭いのだろうか、この娘は。 マギーは視線を泳がせるバードをしばらく眺めていたが、 『――同僚にクラッシャーケビンと幼なじみの者がいます。何か話を聞いているかもしれません。聞いてみます』 「本当か!?」 バードの表情がぱっと明るくなった。二十七歳のバードだが、そんな表情をすると、二つも三つも若く見えた。 「そいつは助かる!」 マギーの固い口元を、淡く微笑が掠めた。 『話を聞いた以上、私も気になりますから――』 バードは、そうだろう、と言わんばかりに何度となく頷いた。自分ではあまり自覚していないようだが、こう見えて情に厚い男なのだ。 『――では、パスポートの更新データを送信しますので、サインを忘れずにお願いします』 「了解」 『それから――』 と、いつもならここで通信を切る筈のマギーが、珍しく言い加えた。 『タロスに伝えてください。“プレゼントはルナジェルシティのリーン宇宙港へ着払いで送りましたから”と』 「…………へ?」 バードはブラックアウトしたメインスクリーンをぽかんと見上げた。
「……何だ、そのことかよ」 バードからあらましを聞いたタロスは、そう言うと、太い息を漏らした。 「プレゼントとは聞き捨てならねえな、え、タロス? お前、いつの間にくどいたンだ? 俺としては、ぜひその辺りを詳しく聞きたいね」 バードはニヤニヤしながら缶ビールをあおった。タロスは舌打ちして、バードを睨み上げた。 「勝手に妙な想像してんじゃねえよ、このタコ。マギーが言ったのはそんなことじゃねえ」 「今さら言い訳かよ?」 「そうじゃねえ! 聞きやがれってんだっ」 タロスは怒鳴って、ビール缶を握り潰した。 「聞かせてもらいましょう? タロス先輩」 バードは口の端で嗤った。完全に面白がっている。
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