| いつの間にか。
仕事や父親やチームのことや、これから飛び出す宇宙での目くるめく冒険への昂揚感よりも自分の心を占めるものが出来ていた。 それは仕事の最中でも食事の時でも、挙句の果てには眠っている時でさえ意識の奥に大きく陣取って俺を侵食する。
初めは、まったく無自覚で。 やけにその金髪が視界に入る割合が増えてきたなと思っていたら、次にはどこにいても彼女の声に過剰に反応するようになった自分に驚く。どんなに小さい声でも、どんな人込みにいても、その声を聞き分けられるこの耳。仕事をしている時でさえ、何かの拍子に白い歯を口唇の隙間から覗かせて悪戯っぽく笑う彼女の姿に胸の高鳴りを覚える。挙句、クライアントである野郎共の大半が彼女に付きまとい始めると、何故にここまで心が狭くなったのか、と心の中で舌を鳴らすほどのいらいらに苛まれる。 仕事になれば、その内面を他者に悟らせぬ種の人間だと思っているし、そうするように心がけてはいるが、そう心に打ち込んだ楔さえ楽々と抜き去ってしまう彼女の微笑みと仕草。見当違いのヤキモチさえ可愛いなどと思ってしまうこの末期症状に正直どうしていいのか分からない。
次第に手に負えなくなる心臓のアップダウン。高まる鼓動が大きく鐘を打ち鳴らし、どうか彼女にそれが届かないようにと祈る日々。一体、どこまで自分はこの気持ちを誤魔化せるのか。
(…………ああ、自信がねえ)
右手で軽く顔を覆い、ジョウは部屋の窓から差し込む橙をぼんやり眺めながら考えた。
遠く風に乗ってテラスの下方からアルフィンとリッキーの笑い声が聞こえてきた。先程一緒にラケットボールをやろう!と誘いに来た彼ら。久々の休暇でホテルの部屋でうとうとしていたジョウは「あとでな」とやんわりとその申し出を断って、取り留めのない夢想の波に身を任せた。 いくら考えても堂々巡り。抑えようとしても、もういつ溢れ出るか分からないこの想い。自分を誤魔化し続けようとしても、結局夢想を破ったのも彼女の声だった。ジョウは苦笑し前髪を軽く掻きあげた。
また、テラスの下からはしゃぐ二人の声がする。ジョウは身体を預けていたソファから身を起こしテラスに出る。 既に天は茜色に染まり昼間とは全く違う景色に変わっている。歓声が聞こえる方向に視線を走らせればホテルのコートではしゃぎながらラケットボールに興じる二人。当然のことのように、ジョウの視線はアルフィンを捕まえた。 アルフィンは、その豊かな金髪を三つ編みにまとめ、楽しそうにボールを追いかけている。しばらくその溌剌とした姿にジョウが目を奪われていると、彼女の顔がこちらを向き花綻ぶ笑顔をつくった。
「やっと、起きたのー?親父くさいわよ、ジョウ!」
アルフィンは、右手のラケットを大きく振りながらコート中央のネットに駆け寄りジョウに叫んだ。
−−−−−−最初から寝ちゃいないんだがな
苦笑をしながら、ジョウは両耳を両手で覆い”聞こえない”というジェスチャーをした。 せっかくのオフだ。たまには何もせず気分の赴くままにゆっくり身体を休めたい。頼むから、ゆっくり俺を寝かせてくれ、などと考えてもいなかったことを、ジョウは考えるフリをする。 本音を言えば。 本当は一緒にコートの中で思いっきりハメを外したい。アルフィンとバカを言い合ってじゃれあって、チームメイトとしてではない距離を縮めたい。本当はその金髪をこの手で梳いて、傍らでゆっくりと眠りたい。でも、そうなってしまったら、今後仕事に向き合う時にアルフィンを冷静にみていられるか自信がない。危険な任務に彼女を向かわせることが出来るか分からない。
(………馬鹿みてえ)
思い滞る自分自身を嘲笑うように、ジョウは一つ溜息を零した。 「ねえ、早く下に降りて来て一緒にやろうよー!もうリッキーが相手になんないの!!」
アルフィンはラケットでリッキーの頭を軽く叩き、ジョウに向かって”来い来い”と手招きをした。リッキーは手前のコートに蹲り顔だけはジョウに向け”早く来て!”とジェスチャーしている。どうやら、声を上げる気力もないらしい。 薄い笑いを口の端に浮かべ、ジョウは肩を竦めた。 もうそろそろ夕暮れが近い。コートに伸びる二人の影がコートの端まで続いている。
と。
ジョウの視界に隣のテニスコートからアルフィンとリッキーの方向に歩いてくる二人の若い男の姿が入ってきた。彼らは、二人のいるコートの前で立ち止まり、ネットの側でジョウを見ていたアルフィンに声をかけ、なにやら誘っている。見るからに人の良さそうな若者で、悪意を持って近寄って来てはいないことは良く分かる。
しかし。
一人で部屋にいたせいか苛立ちが珍しく表に出た。眉根が寄り、ジョウの視線は冷厳な色を放ちながらアルフィンに纏わりつく男たちに注がれた。 そして、その男の一人がアルフィンの右肩に手を掛けた瞬間。
「………アルフィン!!」
ジョウがテラスからアルフィンに向かって声をかけた。 コートの中にいた4人の視線が一気にジョウに集中する。 自分の中の想いをアルフィンに気取られるのは当分の間避けたいことではあるが、彼女が他の男と戯れ合うのはそれ以上に気に入らない。
となれば、打つ手は一つ。 「今夜のドリンクを賭けようぜ」 テラスの上からジョウは両腕を組み片方の目を細めながらアルフィンを挑発する。 「3セットマッチだ」
目を丸くしてジョウを見ていたアルフィンは、暫くするとニッと悪戯っぽく笑みを浮かべ、「ごめんね」と男二人に声をかけた。そして右手の親指を立て「オーケー」とジョウに向き直り、そのままラケットを小脇に抱えコートのポジションを取りに行く。自分の立ち位置を決めると、そこから大声でジョウに向かって叫んだ。 「ドリンクはあたしとリッキーの二人分だからねー!!」 「…上等だ」 ジョウは笑みを含んだように呟き、コートに出るべく踵を返した。
ベッドの脇からシューズを引っ張り出し右手に持つ。 そして部屋から出ようとして、ジョウは心臓の拍動がまたいつもよりも速くなっていることに気がついた。 が。
(………まあ、いいか)
ちょっとだけ苦笑する。 これだけの夕焼けだ。少しばかり顔が上気しててもきっと分からない。そしてこの鼓動の速さも、コートを思いっきり走れば当たり前だ。なにより、アルフィンに群がっていた五月蝿い蠅を追い払ったことで今日のところは良しとしよう。
ジョウは、どこかくすぐったいような気持ちになりながらホテルの部屋を後にした。
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