| あたりの空気が幾分湿気を帯び暖かくなった。ジョウはアルフィンの思惑に見当がついたと一人ほくそ笑んだ。 「いいえ。ジョウ。あなたの思っている様な事にはならないわよ」 目が見えないと表情が豊かになってしまうのだろうか。アルフィンはまた気付いていた。 ジョウは首を捻った。 「やっぱりジョウの目がいやらしいんだわ。その目つきが凄く」 まるで確信を得たようにアルフィンが言い放った。酷い言いぐさだ。 「じゃあ、目を閉じてるよ……」 肩をそびやかしてジョウは項垂れた。 この上に洞穴があるのと、背を押されながらちょっとした岩場を登りきった。 ちょうどその時だった。 二人の手首に嵌めた通信機が同時に鳴り出した。ジョウがまずスイッチを入れる。タロスからだった。 「終わりやしたぜ。これから回収にリッキーを向かわせやす」 「お疲れ。すまないな。問題は?」 「いや、別にありやせん。ただ<ミネルバ>はちっと修理しねえとならないんで」 ジョウの隣で二人の通信を聞きながら、アルフィンが居所を知らせるために救助信号のスイッチを押していた。すぐにタロスがキャッチしてくれる。 「ガキがもたつかなきけりゃあ、そうですな。20分位でしょう」 「分かった。待ってる」 それで通信を切った。 「よかったね。上手く行って」 アルフィンの口から安堵の言葉がでた。だが次に問い掛けもでる。 「なんで言わなかったの?」 「うん?」 「怪我したって」 「怪我じゃない。ショックで一時的に失明してるだけだ」 「ふーん。ただの負け惜しみね」 ジョウは肩を軽くそびやかせてみせた。 そんなジョウの仕草をアルフィンは片眉を上げて何か悪知恵を思いついたようにニヤリと品悪く笑った。 「あと20分あるわね。リッキーが来てくれるまで」 「ああ」 ゾクゾクと背に悪感が走る。ジョウは何故か嫌な予感がした。 「もう仕事中じゃないわよね」 なんだろう。このアルフィンから出る気は。やけに危険な匂いがした。なんかとてつもなく恐ろしい。 アルフィンが突然ぴったりと身体を寄せてきた。抱き着いて来たのではない。密着させてきたのだ。思わずジョウが狼狽え後ずさりする。 しかしアルフィンは離れない。更に腕を巻きつけようとしてきた。 こんな処で何をするつもりなんだろうと当惑し、慌ててもう半歩下がった。 「あ…っ」 一瞬の浮遊感。そして大きな水音。 ジョウの半歩下がったところには足場が無かった。 アルフィンに誑かされた。誘惑するような振りをして落とされたのだ。 ジョウは水を抗いながら上半身を起こした。頭からずぶ濡れである。一瞬何が起こったのか把握出来ず硬直していたが、事態を理解すると、その身体をわずかに震わせた。寒いのではない。誑かされた事に腹を立てたのだ。 「大丈夫?」 ジョウを落とした小さな岩場の上でアルフィンがジョウの気持ちも知らずに笑っているのが見えた。 見えた…? 見える…… 今のショックで視力が戻った。とんだショック療法だったが効果はあった。出し抜かれた悔しさはあるが、怒りはすっかり萎えた。 「天然温泉のお湯加減はどうかしら?」 アルフィンは未だ気付いていない。無防備に腹を抱えて笑いながら岩場を降りてこようとしていた。悔しさは悪戯心に火を着ける。 「最高。上等。申し分ない」 立ちあがり、湯の中を進んだ。水深はジョウの膝の高さもないのでさほど歩きにくくはなかった。 アルフィンの前までやってきた。 ジョウが手を差し伸べる。アルフィンは未だジョウが見えないままだと思っているから、素直にその手を引き寄せ、この天然温泉から引き上げ様とする。 その手を反対に強く引き寄せた。 「きゃっ」 小さな悲鳴と共にアルフィンが湯の友となった。そのまま遠慮なく抱き上げ、高く放り投げてやった。 今度は彼女が大きな湯飛沫と湯音を上げた。 長い金髪が濡れて顔にへばり付いていた。湯を飲んだのか咳き込んでいる。 「なに…すんのよう」 苦しそうな掠れた声で、恨めしげにジョウをその碧眼を細めて睨みつけた。 ジョウは鼻で笑って片目を軽く瞑ってみせた。それで彼女はジョウの視力が戻った事に気がつく。ニッコリと笑った。ずぶ濡れで美しい金髪も乱れているが、特上の微笑みだった。ジョウもそんな彼女に微笑み返す。 またジョウがアルフィンの前に手を差し伸べた。 ついアルフィンはその手を取ってしまう。肩を抱き寄せられ、腕の中にその細身をすっぽり収めると顔を摺り寄せるようにして耳元に囁いた。 「やっぱり俺と入りたかったんだろ」 また抱き上げられた。アルフィンが抗い暴れはじめる。あまりの暴れ様にジョウのバランスが崩れた。 とうとう二人で湯に沈んだ。 あとはもうめちゃくちゃである。ただのジャレ合いになっていた。ふたりの楽しげな声が静かな森に響きわたっていた。
突然爆音が轟いた。頭上に赤いデルタ翼の機体。翼に青と白の流星マークがある。<ファイターU>だ。 楽しみ過ぎてリッキーの到着に気がつかなかった。 僅かな空き地を探し、小さな竜巻をつくりながら着陸しようとしている。ジョウとアルフィンも慌てて湯庭から離れた。荷物を拾い集め、<ファイターU>の元に急ぐ。 キャノピーが開いた。リッキーがひょこっと顔を出す。二人の姿を見て丸い目を更に大きく開け広げた。 「なにやってたんだい?」 リッキーの目に映ったのはずぶ濡れの二人。未だポタポタと水を滴らせているが、身体からはほんわかと湯気が立ち昇り、アルフィンはまるで湯上りのように頬を火照らせている。なんとも奇妙な姿だった。 「俺らが来る間にふたりで風呂でも入ってたみたいだ」 ジロジロと眺めながらリッキーは言った。 ジョウは苦笑するだけで別に反論もしない。リッキーは正しい。だからそのまま<ファイターU>に乗り込んだ。あれやこれやと反論すればもっと怪しまれるからだ。怪しみはじめるとリッキーは五月蝿い。遊んでいた事がバレればもっと五月蝿い。こんな事は二人の秘密にしておけばいい。アルフィンはジョウの態度でそれを理解している。だから肩をすくめる様にしてカーゴエリアに潜り込んだ。 「なんだかズルイなぁ」リッキーは一人愚痴っている。 <ファイターU>がゆっくり浮かび上がり、<ミネルバ>への帰路についた。
一方<ミネルバ>ではタロスとドンゴがエンジンの応急処置を終え様としていた。 回収状況を聞こうと通信機を取った途端、リッキーの叫び声が通信機から漏れてきた。 「ちょっと、アルフィン!そんなところでジャケット絞らないで!」 どうやらアルフィンが濡れたクラッシュジャケットを絞っているらしい。何やら文句を言っているアルフィンの声が聞こえる。 「整備する身になってよぉ」 リッキーの声は半ば泣き声にちかい。 また苛められてやがる。 タロスは口元に笑いを浮かべながら通信機を元に戻した。
END
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