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■1528 / inTopicNo.1)  四月の雪
  
□投稿者/ 舞妓 -(2007/07/06(Fri) 22:28:41)
    宇宙船は、もう長い事は持ちそうになかった。
    ひっきりなしに小爆発を繰り返し、炎を噴き出している。持って、あと10分。
    「兄貴急げよ!!巻き込まれるぞ!!」
    通信機から、リッキーの叫びが聞こえた。
    「わかってる。あと一人だ」
    ジョウの声は、落ち着いていた。

    緊急の要請で、宇宙船事故の救助に向かった。エンジントラブルで爆発した客船の中には、意外にも割に多くの生存者がいた。緊急脱出カプセルの中に既に多数が入っていたし、そうでない人々も緊急脱出設備に近いところに固まっていたので、救助は順調に進んだ。
    最後のカプセルを出そうとしたとき、客の一人が必死の形相で何かを叫んでいた。
    「あの人がいない!我々を誘導してくれた、君くらいの年の男性だ!眼鏡の人!みんなを助けてくれたあの人!!」
    ジョウは最後のカプセルを出した後、船内をもう一度チェックして回った。ちらりとクロノメーターを見る。もう、やばいかもしれない。
    生体反応はなかった。
    もう、駄目か。そう思って引き返そうとしたとき。
    視界の隅に、倒れている銀色の宇宙服が見えた。
    「!」
    急いで向かう。
    すると、そこに、確かに眼鏡の男性が、いた。
    しかし、これは。
    「おい、大丈夫か!助けに来たぞ!」
    呼びかけると、うっすらと目が開いた。まだ、辛うじて生きている。
    が。
    「…う…」
    男性は、苦痛の声を上げるばかりだった。
    男性の両足は、隔壁に押しつぶされて、もう、無かった。
    それでも。
    「行くぞ、痛いが我慢しろよ」
    ジョウはその男性の両腕を持ち、引きずりあげた。
    隔壁でまだ薄い空気が残っているが、ここもいつ爆発するか分からない。空気が無くなれば、切断された宇宙服ではこの男性の命はすぐに終わる。
    背中におぶった男性は、弱弱しく苦痛の声を上げ続けている。
    ジョウは急いでファイターまで男性を運ぶと、すぐに予備の宇宙服を血だらけの男性に着せた。
    エンジンをオン。
    最大出力で離脱。

    背後で閃光が光った。
    宇宙船が爆発した。その光だった。

    「すぐそこに病院船が来ている。大丈夫、助かるさ。俺も左足は無い。ロボットだ。あんたと同じ、隔壁に切られた。だから、あんたも助かる」
    励ます言葉は、男性の目を開けさせた。
    「…君は…クラッシャー…か…」
    「ああ」
    「名前…を…」
    「クラッシャージョウだ」
    「クラッシャー…ジョウ…」
    男性は、少し驚いたようだった。
    「君が…!」
    こういう反応は珍しくない。宇宙一有名なクラッシャーなのだから、素人でも知っている人間は知っている。ジョウは、その反応を気にも留めなかった。
    「…妻と…子供を…」
    「女性と子供は先に脱出している。安心しろ」
    「…妻と…子供たちを…頼む…」
    「クラッシャーにそんな事頼んでる暇があったら、生きることを考えろ。絶対に生き延びて、自分の手でかみさんと子供をもう一回抱け」
    「君に…頼んだよ…ジョウ…」
    「もう着くぞ」
    ファイターは事故宙域に来ていた病院船に入った。既に担架とスタッフが用意されていて、男性はすぐにオペ室に運ばれていく。
    見届けて、これで今回の仕事は終わり。
    ジョウはファイターに乗り込むと、エンジンをオンにした。
    漆黒の宇宙へと、飛び出す。
    彼にはもう、次の仕事が待っていた。

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■1529 / inTopicNo.2)  Re[1]: 四月の雪
□投稿者/ 舞妓 -(2007/07/06(Fri) 22:29:45)
    ジョウが救助作業中に隔壁に押しつぶされて左足を失ったのは、アルフィンがミネルバを降りて四年が過ぎた年だった。
    アルフィンは21歳で、ミネルバを降りた。ジョウは、その時23歳だった。27歳で左足を失い、それから三年が過ぎていた。
    ミネルバを降りるとき、アルフィンは淡々と、たった一言、ジョウにこう言った。
    「この仕事終わったら、クラッシャー辞めるわ。もう決めたの」
    ジョウは、何も言えなかった。
    自分を責めるわけでもない、
    何を求めるわけでもない、
    ただ事実を伝えるだけの言葉に、何を言えるだろう?

    アルフィンが16でミネルバに乗り込んでから五年、ついにジョウはアルフィンと恋人になることはなかった。
    想いは、あった。お互いに、溢れるほどに。それでも、一歩を踏み出せなかったのは、自分の責任だとジョウもよく分かっていた。
    今さら愛していると伝えたところで、何が変わるというのか。
    アルフィンはもう、全てを決めてしまっていた。
    自分に出来ることは、ただ一つ。
    このまま彼女を、送り出してやることだ。想いのかけらも残さずに、未来の幸せに向かって歩いていけるように。
    最後まで、煮え切らない最低の男でいることだ。
    そして、ジョウは、そうしたのだった。


    彼女を失って、七年。
    長い日々だった。最初、アルフィンが残していった連絡先の住所と電話は、すぐにつながらなくなった。
    捜そうと思えば、捜せたのかも知れない。
    しかし、ジョウはそうしなかった。彼女は逃げた。それならば、彼女の望むとおりに。
    このまま、捜さずに。彼女の幸せだけを考えて。
    俺が苦しめばそれでいい。彼女を苦しめた5年の分。煮え切らない最低男を忘れて、クラッシャーなんて職業じゃない、普通の幸せが望める男と結ばれて、幸せになってくれればそれでいい。

    適当な女と、腐るほど寝た。それもそのうち、すぐに飽きた。
    結局は、クラッシャーとしての仕事だけが支えになった。
    胸の苦しみとは裏腹に、仕事の評価はどんどん上がり、名実共にジョウは、他に並ぶものなきクラッシャーになっていた。


    左足を失ったのは、そんな頃だった。

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■1531 / inTopicNo.3)  Re[2]: 四月の雪
□投稿者/ 舞妓 -(2007/07/06(Fri) 22:30:35)
    「久しぶりだな、ジョウ」
    スクリーンに映ったのは、ダンだ。
    「よう。老けたな親父」
    「お前もな。足の調子はどうだ」
    「悪くない。親父の足もそろそろ替えろよ。今はもっといい足が出てるぞ」
    「墓場まで持っていくのに最新機器はいらん。タロスのように現役なら話は別だが」
    「高けえんですぜ。老後の生活費がなくなっちまう」
    ひとしきり笑ったあと、ダンはジョウにふと、改まった様子で言った。
    「ところでお前、この前宇宙船事故の救助をしたな」
    「ああ…それが?」
    ジョウは不思議に思った。ダンが、ジョウの仕事について何か言うということは、ほとんど無かったからだ。
    「遺族が、お前に会いたいと言っている」
    「…?」
    ジョウはますます怪訝に思った。そういう事は、たまにはある。命を助けてもらったので会ってお礼がしたい、とか息子の最後の様子を聞かせて欲しい、とか。しかしそういう要望はすべてアラミスを通じて後日メールや電話で対処している。大体直接会う時間があるほど暇ではない。まして、クラッシャー評議会議長が自ら、面会を通すなんて、異例中の異例だ。
    「お前が最後に助けたという男性が、数日前亡くなったそうだ」
    「…そうか…」
    思い出した。両足を切断された男性。妻と子供たちを頼む、と言っていた。
    「助からなかったのか…」
    「亡くなる前に、お前に助けられたことを奥さんに話したそうだ。それで、是非お前に会いたいと言っている。心配するな、クレームじゃない」
    「そりゃ別に…時間があれば」
    「その時間だが、お前の次の休暇は一ヵ月後だな。悪いが、奥さんは身重だ。お前の都合に合わせて動く事は出来ん。休暇に入る前に、ここへ寄ってくれ」
    データが表示された。太陽系国家フィノ、惑星アルガ。ミセス・フィールズ、連絡先のメールアドレス。
    「…わかった」
    「じゃあな」
    「ああ、またな」
    通信を切った後、リッキーがしんみりと言った。
    「身重なのか…気の毒だなあ」
    ジョウはふと、あの男性の言葉を思い出す。
    妻と、子供たちを頼む、と。
    子供は、お腹の中の赤ん坊だけではないのだろう。
    父を失った子の悲しみはどれほどのものか、と、溜息が出た。

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■1532 / inTopicNo.4)  Re[3]: 四月の雪
□投稿者/ 舞妓 -(2007/07/06(Fri) 22:31:32)
    三年前。

    足を失ったジョウは緊急手術で一命を取り留め、後にグレーブに運ばれて改造手術を施された。
    グレーブには、ドルロイの生体ロボット部品メーカーが支社を構えている。タロスが懇意にしている技術者が呼ばれ、銀河系随一のクラッシャー、ジョウの足が最高の技術と細心の注意を払って誂えられた。

    退院するまで一ヶ月、全快まで二ヶ月、と言われた。わが身のように動く感覚を完全に身につけるまで、仕事には出ないほうがいい、とも。
    待っている余裕は無かった。
    三週間でむりやり退院し、パスツール記念病院を逃げ出した。かといって遠く離れるとリハビリと検査に不便なので、もう一つの大陸の高原地帯にある静かなリゾートホテルに滞在することにした。
    少し山を降りれば、タロスとリッキーが退屈を充分紛らわす事の出来る町があったし、
    何よりグレーブは気候気象をコントロールしていないのが、リハビリ先としてこの惑星に留まった理由だった。
    どんな気象条件でも、完全に対応できる足でなければジョウの足ではない。
    晴天ばかりにコントロールされている星では、どんな悪条件にもなりうる実戦での感覚が掴めないからだ。

    地球標準暦で、四月。
    グレーブも、冬から春に移り変わろうとしていた。
    ジョウは、シーズンオフで静かな高原のホテルの、ゴルフ場のように広い庭を走っていた。
    ネイビーのトレーニングウェア、首にはタオル。
    まだ、時折、接合部が痛む。
    痛みに顔をゆがめながら、何かに追われるように走る。早く、仕事に復帰したい。こんなところで、のんびりしている暇などどこにもないのだ。

    広い庭を三週ほどしたこところで、とうとう息が切れた。
    深呼吸して、手近にあったベンチに崩れるように座る。

    ベンチの背に両腕を投げ出し、上を仰ぎ見ると、四月だというのに雪雲が広がっていた。
    灰色の雲の切れ間に、青空が時折覗く。
    冷たい風に吹かれる木々はまだ裸で、それでも固く膨らんだ蕾が、白い色彩で辛うじて春を叫んでいる。

    はあ、はあ、と吐く息は白く、視界を曇らせた。

    ジョウは目を閉じた。
    特に、気温が下がると足が痛い。自分の思うとおりに動かない足がもどかしい。
    けれど、こんな痛みなど、痛みのうちには入らない、と思った。
    仕事をしていないと、考える。いらない暇が出来ると、思い出してしまう。四年前、ミネルバを去って行った愛しい人。
    この痛みに比べれば。
    足の一本くらい。


    …だから、早く完治して早く仕事しなきゃな。

    目を開けた。雪雲が、さっきよりも暗い。降るな、と思った。
    汗が冷えて、体が冷たくなってきたのを自覚して、ジョウは首を起こした。




    目に、入る。
    そこにいた。愛しい人が。

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■1533 / inTopicNo.5)  Re[4]: 四月の雪
□投稿者/ 舞妓 -(2007/07/09(Mon) 10:25:50)
    「――――!」
    ジョウは、言葉を出すこともできなかった。
    身体も動かない。

    アルフィン。

    長い金髪も、吸い込まれそうに美しい蒼い瞳も、何も変わっていなかった。
    白いコートに、ブラウンのロングブーツ。冷えて、指先が赤くなっている細い白い指で、胸元をぎゅっと握り締めていた。
    何かに耐えるように。

    「ジョウ…」
    声が。
    ジョウの全身を振わせる。
    幻じゃない、本当のアルフィン。

    「ジョウ…」
    二度目に、アルフィンの蒼い目は一瞬で涙でいっぱいになった。
    その涙を見た瞬間、突然金縛りから解けたようにジョウの身体は動き、アルフィンをその腕の中にかき抱いていた。

    四年前よりも痩せた、細い体。アルフィンの匂い、髪の香り。
    抱き締めると、無意識にジョウの背に手を回してきゅっと握る、ジョウだけが知っている癖。
    あの頃と同じだった。
    あの日、自分の中で大きく欠けた部分が、埋められていく。アルフィンという、完全なピースによって。
    この腕の中には、彼女しか、入れない。
    確かめるように、何度も何度も、力を込めた。

    「アルフィン…」
    ようやく、声が出た。
    「来ちゃったわ」
    腕の中のアルフィンが、涙声でポツリと呟く。
    「事故のニュース見たの。ジョウが足をなくしたことも。パスツールに行こうって、何度も思って何度もやめた。毎日決心して、毎日やめて」
    ぎゅ、と細い指が、ジョウの腕を握り締める。
    「…でも来ちゃったわ。とうとう。…お邪魔じゃなかった?…誰か、部屋で待ってる?」
    アルフィンが、そう言いながら顔を上げた。
    その、何ともいえない表情を、ジョウは見た。
    泣き笑い。
    会ったことを幸せに思いながら、同時に後悔している、女の顔。
    愛しい女に、こんな顔をさせている自分の愚かさに反吐が出る思いだった。

    頭が考えるよりも先に、言葉が急くように口を飛び出した。

    「愛してる」

    こんな事を言うはずじゃなかった。
    詫びなければ。
    ミネルバでの日々を、黙って行かせた事を、追わなかったことを、捜さなかった事を。

    「愛してる、アルフィン。初めて会った時から、ずっと。今も、この先も」

    折れそうに細い身体を、力を込めて抱き締める。

    「俺は、アルフィンしか」

    ジョウの言葉が詰まった。

    「…ジョウ…?」
    アルフィンは、ジョウの顔を見上げようとした。ジョウは、アルフィンの頭を強く抱え込んで、それを許さなかった。
    震える、呼吸。

    「…俺は、アルフィンしか、愛せない」

    涙をこらえる、震えた声と同時に。
    ざあっと強い風が吹いて、アルフィンの長い金髪を揺らした。


    「…会いたかった」
    言葉は、溢れるように、思考を経ずに口から出て行く。
    「会いたかった、アルフィン」
    肩越しに、アルフィンの表情は見えない。
    が、ポツリと細い声が、答えた。

    「…あたしもよ。会いたかった…」

    その答えが、総て。

    想いは変わらないことを。


    ジョウは、次の瞬間、噛み付くようにアルフィンの唇を奪っていた。

    アルフィンの体が、一瞬だけ、ピクリと固くなる。だが、それだけだった。何の抵抗も無かった。
    当たり前のように。
    何度も唇も身体も重ねてきた恋人同士のように。
    唇を、舌を、吐息を、眩暈の中で、時間も場所も忘れて味わった。
    縋る手も、抱き締める腕も、崩れ落ちそうな膝も、当然のものとしてそこにあった。

    何故、もっと早くこうしなかったのか。

    ジョウは狂おしい頭の隅で、ふと考える。
    簡単だったはずだった。五年間も、側にいたのに。いつだって、俺たちはお互いだけを求めていたのに。

    「…もう離さない」

    アルフィンが、その言葉を聞いてぎゅっと目を閉じた。しがみつくように、ジョウを抱きしめる。アルフィンのほうから、激しく唇を求めてくる。
    ジョウは応えた。側の大木の幹にアルフィンの背を押し付け、どこにも行けないようにして唇を貪った。





    受け入れられたのだと、信じていた。


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■1534 / inTopicNo.6)  Re[5]: 四月の雪
□投稿者/ 舞妓 -(2007/07/09(Mon) 10:27:02)
    ジョウが滞在しているホテルの部屋に足を踏み入れて、アルフィンは不思議な感覚を味わった。

    ずっと、こうしていた。休暇のたびに。ここに、あたしがいたのに、今はいない。

    「ほら、アルフィンが入れてくれるのほど美味くはないけどな」
    ジョウが温かいコーヒーを差し出した。
    「…ありがとう」
    部屋には、確かに心配していた女性の姿は無かった。
    「悪い、俺シャワー浴びてくる。待っててくれ」
    そう言ったあと、ジョウは大きなくしゃみをした。
    「うん。風邪ひいちゃうわね、そのままだったら」
    アルフィンはにこりと笑ってそう言い、ジョウがシャワールームに消えたあと、部屋を黙って見つめた。

    相変わらずの、素っ気なさだ。
    ノートパソコン、脱いだまま椅子の背にかけられている皮のジャケット、昨夜のビールの缶。フットボールの雑誌、手入れの途中のライフル、クローゼットにちらりと見える、懐かしい青いクラッシュジャケット。
    きゅん、と胸が痛んだ。
    何故だか、泣きそうになった。
    あの頃のまま。全てが懐かしく、この全てを心から愛したミネルバでの日々が、どうしようもなく愛しい。
    以前は無かったものもある。経済誌、それから煙草も。
    その分だけ、彼は変わったのかもしれない。
    ミネルバを去って、四年。長いようで、ミネルバで過ごした五年よりも短い。
    それでも、この四年の長さも苦しさも、五年の比ではなかった、と思う。
    多分それは、彼にとっても同じなんだろう、と経済誌と煙草を見て考えた。

    ジョウが、ジーンズにシャツという格好で、濡れ髪のままシャワールームを出てきた。
    足は、裸足。
    相変わらずね、とその裸足を見て笑うアルフィンを、ジョウは優しく抱き締める。

    「脚、大丈夫なの?あんなに走ったりして」
    アルフィンが、心配そうに脚をしげしげと見る。
    「ああ。もう、リハビリもあと少しだ。まだ時々痛むけどな。二週間後には、仕事に復帰する」
    「…そう…」
    アルフィンの顔が、曇った。
    「心配ないさ。タロスみたいに、なんか仕込んで貰おうかと思ったくらいだ」
    ジョウは笑った。アルフィンの手に残っていたコーヒーを、くいと飲み干す。
    「タロスと、リッキーは?いないの?新しい、ナビゲータは?」
    「ナビゲータは入れてない」
    アルフィンの目を見て、簡潔に、ジョウは言った。
    「…」
    アルフィンは、そのジョウの琥珀の瞳を見つめ返す。
    その意味が。
    ひりひりと、胸に痛む。

    「タロスとリッキーは、ミネルバにいる」
    ジョウは言った。
    「会いに行くか?」
    アルフィンの返事も聞かず、ジョウはフロントにエアカーを頼む電話をかけた。電話しながら、行儀悪く靴を履く。
    そんなジョウを見ながら、小さな違和感を、アルフィンは胸に飲み込んだ。
    以前の彼なら、あたしを誘うことすら精一杯だった。まして、返事も聞かずに強引に動くような人じゃ、なかった。
    そこに、感じ取る。
    自分がいなかった四年の間に、彼に起こった事を。隠しようのない、女の影を。

    「行くぞ」
    当然のように、あの頃のように。ドアの前で、振り返ってそう言う彼を、眩しく見つめた。あの頃のように、あたしも言おう。言わなければ。
    「うん!」


    エアカーで宇宙港に向かった。
    助手席に乗ると、隣にジョウがいて、以前のままの荒っぽい運転をしているのを切なく思う。
    「何だよ」
    視線に気付いて、ジョウが言う。
    「ううん、何でもない」
    アルフィンは、こつんと頭をジョウの肩に乗せた。
    昔。
    これが幸せだった。二人きりのときだけ、彼が許してくれた、精一杯のこと。
    ふと、右手がジョウの左手に握られた。
    手をつなぐと、いつも思い出す事がある。
    あれは、ククル。マドックの屋敷。真っ暗闇で、はぐれないように手をつないで歩いた。
    あの時、思っていたことは、恐怖でもなんでもなく、ただ愛しい人の手の温もりだった。この闇が永遠に続けばいい、そんな事すら願った。

    だから、やっぱり。
    アルフィンは思う。自分はクラッシャー失格だったのだと。



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■1535 / inTopicNo.7)  Re[6]: 四月の雪
□投稿者/ 舞妓 -(2007/07/09(Mon) 10:28:07)
    「ミネルバ…」
    宇宙港の駐機スポットに、美しい銀色の機体が静かにたたずんでいた。
    カートを降りて、タラップを上ると、ドンゴが出迎えた。
    「あるふぃんデスカ…!」
    ロボットですら言葉を失って、顔を激しく明滅させて再会を喜んだ。
    アルフィンはドンゴを抱き締めて、顔にキスをした。
    「久しぶりね、ドンゴ。元気だった?」
    硬直してますます顔を明滅させるばかりのドンゴに、ジョウが呆れて声をかける。
    「おい、コーヒー入れてくれ」
    「マッタク人使イガ荒イデスネ。ヒサシブリノ再会ナンデスヨ」
    「うるさいポンコツ。黙って仕事しろ」
    ブツブツ言いながらドンゴが消えると、ジョウはブリッジに向かった。
    アルフィンも、黙って従う。
    「タロスと、リッキーは?」
    途中で聞いてみると、
    「いない」
    と、平然と答えが返ってきた。
    「リッキーはローデスだ。タロスは、バードと一勝負しに出てる」
    「…嘘ついたのね」
    「ああ」
    「どうして?」
    「アルフィンをここに連れてくるため」
    さらり、と言う。
    「…」
    嘘が上手くなった。昔なら、分かったはずだ。
    嘘がうまくなる、その理由を思う。
    責める資格なんかない。去ったのは自分自身だ。
    そして、嘘がうまくなったのはきっと、自分も同じ。



    ブリッジのドアがスライドする。
    何も変わらない。アルフィンが知っているミネルバのままだった。
    アルフィンが16で乗り込んだときに、すでにこの船は九年使われていた、それから、また九年経っている。
    「もう、そろそろミネルバも引退なのかしら」
    ブリッジに着き、かつて自分が座ったナビゲータシートに座り、想いを込めてパネルを撫でた。
    「そうだな」
    ジョウの声が、前から返ってくる。
    ジョウは副操縦席に座り、あれこれと機器をいじっていた。留守の間のチェックだろう。
    「今、二代目をドルロイに注文している。来年には完成する。こいつも、無茶ばっかりさせてきたからな。ボロボロだ」
    「そう…」



    変わらないように見えても、変わっていくんだ、と思った。全てが、変わっていく。流れていく。
    ミネルバも変わる。
    ジョウも変わった。
    そして、あたしも。

    ナビゲータシートから、副操縦席のジョウの逞しい背中を見た。
    いつもこうやって、見ていた。大好きな、ジョウの背中を。いつも。

    いつも。いつも。いつも。





    「…」
    「アルフィン?!」
    振り返って、ジョウは驚いた。
    アルフィンが、うつむいて顔を両手で覆い、声も無く泣いていた。
    涙が止まらない。後から後から、溢れる涙は細い指と手首を伝い、膝を濡らした。
    「…俺を、許してくれ、アルフィン」
    ジョウは、アルフィンの足元に膝をつき、顔を覗き込んだ。
    「悪かった。ずっと、アルフィンを苦しめた。引き止めなかったことも、追わなかったことも、捜さなかったことも…全部俺が悪い。許してくれ」
    「…から」
    声は、嗚咽でよく聞き取れない。
    「?」
    「好きだったんだから…好きだったのよ!ジョウを、好きで、好きで、好きで、大好きで」
    ひっく、としゃくりあげる。
    「いつもここで、ジョウの背中を見てたわ。クラッシュジャケットで、船を操縦してレーザーとミサイルを楽しそうに撃って。ほんとに素敵だった。あたしが好きな人は、宇宙一の人だって。あなたが大好きで、おかしくなりそうだった」
    「…それは、俺も同じさ」

    ジョウは呟いた。
    愛していると、言えれば。
    どんなに楽だったか。

    「じゃあ何で!!」
    アルフィンは叫んだ。顔を覆っていた両手が、ジョウの肩を掴む。
    宝石よりも美しい蒼い瞳から、涙が零れ落ちる。見惚れるほどに美しい、泣き顔。
    「じゃあどうして、応えてくれなかったの…!?」
    詰め寄る言葉。
    ああ、やっとこの言葉を貰えた、とジョウは思った。
    目を閉じる。
    「あたしは、ジョウが引き止めなかった事も追ってこなかったことも捜さなかったことも、何とも思ってない。そんなのはどうでもいいの。降りるって、決めてた。引き止めても、追ってきても捜されても、あたしは逃げたわ。絶対に。ただ」
    細い手が、ジョウの肩を揺さぶる。
    「あたしたちは、お互いこんなに好きだったのに、あの五年はどうして?何故、五年も無駄にしたの?応えて欲しかった…あたしを、受け入れて欲しかったのに…!」
    肩に両手を置いたまま、アルフィンの首が崩れるように下を向いた。
    こぼれる涙が、床を濡らす。
    ジョウの膝をも。

    「…もっと言えよ」

    「ジョウのバカ」

    呟くように、アルフィンが言った。
    ジョウは思わず微笑んでしまった。懐かしい、この言葉。
    いつもいつも、バカ、と言われながら、大好き、にしか聞こえなかった。今も、変わらない。

    「ジョウのバカ!!」

    アルフィンが胸に飛び込んできた。
    愛しい人を胸に抱いて、ジョウは誓った。必ず、幸せにすると。
    生涯をかけて、きみを愛する。
    たとえ何があっても。
    俺が死んでも、
    きみが神様に召される、その日が来ても。
    その先の、未来までも。
    きみの全てを、愛する。
    きみを、幸せにする。
    必ず。


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■1536 / inTopicNo.8)  Re[7]: 四月の雪
□投稿者/ 舞妓 -(2007/07/09(Mon) 10:29:09)
    ドンゴが運んできたコーヒーを持って、ジョウの部屋に行った。
    小さな丸窓に見える空は、もう夕方の気配を漂わせていた。灰色の雪雲が今にも降りそうに、空を暗くしている。
    「俺は、怖かったんだ。自分がおかしいくらいアルフィンにいかれてるのは分かってた。
    いつもどんな仕事をしててもアルフィンの無事ばかり気になった。それじゃ駄目だって思ってたのさ。もし、気持ちを伝えれば、俺はきみにめちゃくちゃに溺れる。やばい仕事に出せなくなるかもしれないとも思った。それだけ…愛してた」
    ジョウがコーヒーのカップを揺らす。
    「アルフィンに溺れて、仕事が出来なくなるのが怖かった。
    なにより、そうなることで、アルフィンの命を守れなくなるのが、一番怖かった。きみのことばかり考えて、タロスとリッキーを危険に晒すのも、怖かった」

    アルフィンはベッドに座って、黙って聞く。
    知っていた、様な気がする。分かっていたのだ。自分だって。

    「アルフィンを手に入れて、自分を見失って、きみの命を失うリスクを犯す勇気がなかった。それくらいなら、ただこのままでも、俺のチームで、俺の側で、生きて笑っていてくれれば、それでいいんだと、思ってた…」
    ジョウは苦笑いする。
    「全部、言い訳だな」
    「そうね。ジョウは、自分の事ばっかり考えてるわ」
    アルフィンが笑う。
    「きみを手に入れてたら、クラッシャーを辞めろと言ってたかもしれない。そして、お決まりの遠距離恋愛だ。五年も、俺の側にはいてくれなかっただろうな」
    ジョウが空になったカップを、デスクに置く。
    「だから、無駄なんかじゃなかった。俺にとっては。
    苦しめただろうし、俺だって苦しんだ。それでも、俺は、きみと過ごせて、幸せだった」
    ジョウが隣に座った。
    ギシ、とベッドがきしむ。

    幸せ?…
    アルフィンは考える。
    そうだったのかも知れない。
    苦しかったけれど、あたしは幸せだった。愛する人の側にいられて、何よりも、大切にされていることは、ちゃんと知っていた。
    それでも、耐えられなかった。
    自分の将来、ジョウの将来。考えれば考えるほど、先は袋小路のように思えた。
    だから、あたしは、逃げた。逃げるしかなかった。あの時は。

    「俺はガキだった。でも、もうガキじゃない。リスクもチームもアルフィンも、何もかも今なら全部、自分の責任で、持てる。
    だから」

    ジョウがアルフィンの手の中のコーヒーを、取る。

    ぎし、とまたベッドがきしんだ。

    あ。


    ジョウの部屋の天井。
    ぼんやりと、アルフィンはその冷たい色を見る。
    ジョウの肩越しに。

    「ずっと、ここにいてくれ。俺の側にいてくれ。もう、どこにも行くな」

    あれほど欲していた言葉だったのに、返事はできなかった。
    思うのは、過去の事ばかりだ。
    あの頃、この言葉を言ってくれてさえいれば、と。

    返事の代わりに、問う。
    「どうして、あたしをミネルバに連れてきたの」

    「昔は、ミネルバの中で抱くなんて、絶対やってはいけないと思ってた。抱きたくて死にそうだったのに。抱きたくて抱きたくて、夜中にアルフィンの部屋の前まで行った事もあった。それでも、ここは家であると同時に職場だった。そんなことは絶対、できないと思ってた。なのに」
    ジョウが答える。
    「…本当の俺は、もうここにしかいない」

    溜息のように吐き出して、ジョウはアルフィンの髪に顔を埋めた。

    「…」
    アルフィンは、天井を見つめながら、黙ってジョウの髪を撫でる。
    四年という歳月。
    女の扱いが上手くなり、嘘が巧くなった。この四年の間に、この人はどれだけの女を抱いてきたのか。
    それでも、本当の俺はもうここにしかいない、という言葉の裏には、
    そんな自身に対する少しの嫌悪と、ミネルバには女は乗せていない、という事。
    つまりは、少なくとも自分は特別であるということだろうか。

    肩越しに、小さな窓が、目に入る。
    夜になる、その境。
    「…ジョウ…」
    「…何だ」
    「…雪、降ってきたわ…」
    風も無いのか、真っ直ぐに、白い雪が降りていた。

    そうか、の一言も聞こえなかった。
    熱い吐息に唇を塞がれ、あとは攫われていくだけだった。
    彼に。

    総てを。


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■1537 / inTopicNo.9)  Re[8]: 四月の雪
□投稿者/ 舞妓 -(2007/07/09(Mon) 10:30:13)
    アルフィンは処女ではなかった。

    責める資格もない。自分だって同じ事だ。それでも、頭にカッと血が上った。
    滅茶苦茶に何度も抱いて、今までどれだけ女を抱いてきても絶対にやってきた避妊を忘れていた事に気付いたのは、アルフィンが気を失うように腕の中で眠ってしまってからだった。
    忘れていた、まさに言葉の通りだ。
    「そうしなければならない」ことすら頭に入らないほど、夢中で抱いた。

    抱いている間だけは、確実に俺の側にいてくれる。
    何の約束も確証も無い今、そう思えば思うほどに、欲望は止まるところを知らなかった。
    それならば、一生このまま抱き続けていたい。
    ジョウはアルフィンを、狂おしく抱き続けた。

    それでもやがて、夜の訪れと共に、心地良い身体の疲れがジョウを眠りへと誘っていった。
    静かな、夜。
    音も無く降る雪。
    傍らで眠る、愛しい人。
    しっかりと抱き締めて、眠った。
    無くしたのが脚でよかった、と思った。―――この腕で、きみを抱ける。






    はっと気がつくと、あるはずの温もりが腕の中から消えていた。
    「アルフィン!!」
    ジョウは、がばっと身を起こす。
    「何?」
    「アルフィン…」
    ジョウは、そこにアルフィンの姿を認めて、ほっと心から溜息をついた。
    「…また、いなくなっちまったのかと思った…」
    「バカね」
    アルフィンは、にこりと笑う。
    ジョウのシャツだけを着ていて、部屋の中に立っていた。
    「シャワーよ、シャワー。ちょっと行ってくる」
    「あ、ああ」
    アルフィンのその姿に、ジョウは赤くなった。
    アルフィンが裸足のまま部屋を出て行って、ジョウは再び横になった。

    アルフィンのコート、セーター、スカート、ブーツ、下着。全部、部屋にある。
    バッグもそのままだ。
    ジョウは安心して、睡魔に身を任せた。
    アルフィンが戻ってきたら、俺もシャワーを浴びよう、そんなことを思いながら。


                       *


    再び目が覚めると、さっきから二時間も経っていた。
    雪が音を吸い、シンとした独特の静けさの、深夜。

    冷たいものが心臓を鷲掴みする。一瞬で起き上がり、足早にシャワールームに向かう。

    「アルフィン!」
    使われた形跡はあるが、とうにアルフィンの姿はない。

    「…!!」

    嫌な確信が、胸に生まれた。
    走って部屋に戻り、アルフィンのバッグの中を調べる。
    パスポートと、カードだけが消えていた。

    まっすぐに、備品庫へ向かう。
    そこに、アルフィンが着ていたジョウのシャツが、天女の羽衣のように落ちていた。
    一枚、闇の中に白く浮き上がって。

    そして、赤いクラッシュジャケットが一枚消えていた。


    ジョウは走った。全速力で走り、ハッチから外に出た。

    一面の、雪景色。

    おそらく、シーズン最後の雪が、宇宙港を白く染め上げていた。
    十センチはあろうかという積雪が、
    彼女が乗って去ったカートの走行跡すら、白く消してしまっていた。


    ジョウは、空を見上げた。
    雪が、音もなく静かに舞い降りてくる。

    俺はバカだ。
    彼女は全部知っていたのに。五年、家だったミネルバの事など知り尽くしていたのに。
    クラッシュジャケットのありかも、
    ドンゴを黙らせる術も、自分でハッチを開ける方法も。

    雪は、時折顔に落ちてジョウの顔を濡らした。
    黙って見上げていると、暗い夜空をバックに、
    四月の雪は舞い降りているのか、舞い上がっているのか、よく分からなくなった。



    俺はきみを失った。

    再び。



引用投稿 削除キー/
■1538 / inTopicNo.10)  Re[9]: 四月の雪
□投稿者/ 舞妓 -(2007/07/09(Mon) 10:32:02)
    待ち合わせのホテルに着くと、15分ほど時間を過ぎていた。
    ジョウは一応、黒のスーツを着てミセス・フィールズとの面会に臨んだ。
    惑星アルガは、デボーヌほどではないが学術の盛んな惑星だ。クラッシャーなどがそう用のある惑星ではないのでクラッシュジャケットだと非常に目立つ。しかも、夫をなくしたばかりの女性に会うのだから取り敢えずの礼儀だった。

    ホテルのティールームで、ミセス・フィールズとウェイターに告げると、席に案内された。が、そこには紅茶と、オレンジジュースが二つあるばかりで、肝心の本人たちの姿は見えなかった。
    「お化粧室に行かれています」
    とウェイターは言った。
    ジョウはコーヒーを注文し、煙草に火をつけた。妊婦と子供がやってくる前に吸っておこう。
    新聞を、眺めるように読む。
    程なくして、キャッキャッと可愛らしい賑やかな声が聞こえてきた。静かにしなさい、とたしなめる女性の声も。
    「失礼します、ジョウさん?」

    背後から聞こえた、その声。
    ジョウの中の、何かが激しく反応する。

    立ち上がり、振り返った。
    そこには。

    「お待たせしてごめんなさい、アルフィン・フィールズです」

    にこりと笑う、忘れ得ぬ蒼い瞳が。




    ジョウは、声も出せなかった。
    呆然と、アルフィンを見つめた。
    変わらない。蒼い瞳も金髪も、白い肌も。
    違うのは、大きくなり始めているお腹だけだ。
    そして、双子の女の子を連れているということ。

    「びっくりしたでしょ。ごめんね、黙ってて。評議長が、ジョウを驚かせてやろうって仰るものだから。忙しそうね、相変わらず」
    アルフィンは二人の娘を座らせて、自分も座った。
    「…ああ、まあな」
    ジョウも座ると、ようやく、声が出た。
    「夫を、助けてくれてありがとう」
    アルフィンはジョウの目をまっすぐに見て、凛としてそう言った。
    「…礼を言われるような事はしてないさ」
    その目の強さが、夫婦の何かを表しているようで、ジョウはつい目を逸らした。
    「アルフィンは、あの船に乗ってたのか?」
    「ううん。あたしは身重だから。夫だけ。デボーヌに向かうところだったの、あの人」
    子供たちが、ジューチュ、ジューチュ、ママー、と騒ぎ出してアルフィンは怖い顔になってもうダメ、おなかをこわします、と言った。
    「病院船で手術して、とりあえずは助かったのよ。健康な人だったら、ロボット義肢をつけて回復したんだろうけど。ジョウみたいに。
    でも、あの人、病気だったの。心臓の病気で、手術しにデボーヌに向かう途中だったのよ」
    アルフィンの顔が、ゆっくりと陰を帯びていく。
    「心臓が、もたなかったの…出血と、手術に…」

    紅茶を口に運ぶ左手に、結婚指輪が光っていた。

    「アルフィンの、旦那だったのか…」
    ジョウはその光をぼんやりと見つめながら、言った。
    そして思い出す。

    『君に頼んだよ、ジョウ。妻と、子供たちを。』

    ジョウは、はっとした。
    「もしかして、旦那は」
    「そうよ、知ってたわ。あなたの事も、あたしたちの事も」
    娘のうち一人を膝に乗せて、その金髪を撫でながら、アルフィンは言った。
    「夫を救助してくれた人がジョウだったって聞いて、あたし、すごく混乱した。
    何故、ジョウなのって。どうして、あたしの夫を助けた人がジョウじゃなきゃいけなかったのって。
    でも、夫がね、最後の手術に向かう前に、この手紙をあたしにくれたの」

    アルフィンが、走り書きのような手紙を差し出した。
    病院の名前が印字してある、ベッドサイドの、薄っぺらいメモ書き。

    『最愛のアルフィン

    最後になるかもしれないので、書き残しておくよ。
    もし僕が手術に耐えられず死んでしまったら、君はクラッシャージョウに会って欲しい。
    そして、伝えて欲しい。僕を最後まで見捨てずに、救助してくれてありがとう、と。
    彼のおかげで僕は君や子供たちにまた会えたし、抱き締める事もできた。
    彼が言ったとおりだ。自分の手でかみさんと子供をもう一度抱け、ってね。
    僕が生き延びられるかどうかは、この蝕まれた心臓にかかっているけれど、もし僕が死んでもどうか泣かないで。
    僕は君に会えて幸せだった。君と結婚できて、一緒に暮らせて、アヴリルとネージュの誕生と成長を見ることができて、おまけにお腹にもう一人を授かることができた。
    愛しているよ、アルフィン。アヴリル、ネージュ、まだ見ぬお腹の赤ちゃん。

    クラッシャージョウ、すごくいい男だった。僕の次くらいかな。
    君が長い事、惚れていたのもよく分かる。僕との生活の間も、君は彼を忘れていなかったね。
    僕が死んだら、どうか君の心のままに。

    彼には、言っておいた。彼なら、その意味を分かってくれるはずだ。
    僕を救助したのが彼だったという事、とても不思議だった。何故僕と彼が、こういう形で出会わなければならなかったのか、色々思うものはあった。
    でも、きっと何かの導きなんだろうと思う。
    或いは、彼と君との縁かな。

    僕が願うのは、君の幸せだけ。子供たちの幸せだけ。
    君たちが幸せに暮らしているなら、僕も幸せだ。

    君が愛する総てのものを、僕も愛する。

    ありがとう。
    愛しているよ。ずっと、この先の未来までも。 』



    手紙を持つ手が、震えた。
    『この先の未来までも。』
    自分と同じ想いで、同じ女性を愛した男の、絶筆。


    アルフィンの静かな声が、聞こえる。

    「迷ったの。ジョウに会ってどうするの、って…」
    ママあ、と甘える娘たち。
    「あたしは仕事もしてるし、親子四人で暮らしていけるくらいは稼いでる。だから、勿論そんなつもりで、会ったわけじゃないのよ。
    ただ、あなたに会ってくれって言う彼の最後の意志は、通してあげたかった。
    …あたしは、ずっと、心の中で彼を裏切ってきたんだから」

    ジョウは顔を上げた。
    それは。
    その意味は。

    「ジョウ、この子たち」
    アルフィンが、改めて子供たちを並ばせた。
    「ピンクの服がアヴリル、白いほうがネージュ。2歳と2ヶ月よ」

    アルフィンと同じ金髪に、瞳の色は琥珀色。

    「アヴリルと、ネージュ」
    ジョウは笑って、よろしく、と小さな小さな手たちと握手をした。
    「アルフィンがつけたのか?意味は?」
    何気なく聞いた。
    「アヴリルが、四月。ネージュは、雪」

    「――――!」

    ジョウは、絶句した。

    四月の雪。

    それは。



引用投稿 削除キー/
■1540 / inTopicNo.11)  Re[10]: 四月の雪
□投稿者/ 舞妓 -(2007/07/09(Mon) 10:43:30)
    「まさか」

    ジョウは、小さな金髪の少女たちの、琥珀色の瞳を見た。

    「そうよ。あなたの子供たち」

    そう言うアルフィンの頬に浮かんでいるのは、微笑なのか悲しみなのか。
    「あたし、逃げたわよね。ミネルバから」
    「…ああ」
    「三日後に、結婚式だったの。彼と」

    ジョウは、食い入るようにアヴリルとネージュのあどけない顔を見つめた。
    意味もなく冷めたコーヒーを飲んだ。
    手が震えたままだ。心臓が、破裂しそうに動いて、耳がよく聞こえなくなった。

    「…旦那は、知ってたのか」
    アルフィンが、頷く。
    「生まれてから、希望すればDNA鑑定ができるの。
    希望したのはあたし。彼の子供じゃないって、その結果を彼に見せたのもあたし」
    恐ろしく静かに、アルフィンは言った。
    「生まれるまで、はっきりとは分からなかったけど…あたし、なんとなく分かってたの。あの時、ジョウに抱かれたとき、ああ、妊娠した、って…
    それでも、三日後の結婚式をぶち壊す事はできなかった。
    でも、結果としては、彼をずっと、苦しめる事になってしまった」

    そこで、初めて。
    アルフィンの目から、涙がぽろりと落ちた。

    その涙を見た瞬間。

    「結婚してくれ」



    口から言葉が飛び出した。


    「――――は?」

    涙に濡れた瞳が、大きく見開かれる。

    「結婚してくれ、アルフィン」

    今度こそ。

    捕まえる。幸せにする。必ず。


    「…バカね。何言ってるの。あなたに会ったのは、夫の遺志だけ。感謝を伝えるため。
    それと、ついでにこの機会にアヴリルとネージュのことだけ伝えるため。
    手紙の後半は、無視よ、無視」
    アルフィンは、わざとおどけて言った。
    「さっきも言ったけど、あたしちゃんと稼いでるから大丈夫。養育費を請求しにきたわけじゃないわ」
    「俺はきみを愛してる」
    アルフィンの言葉にかぶせるように、ジョウは短く言った。
    「アルフィンは、どうなんだ。旦那が子供たちのことを知っていたんなら、心の中でずっと裏切っていたって意味は何だ」
    「…」
    アルフィンは、うつむいた。
    うつむくのと同時に、涙がぽとりとこぼれ落ちる。
    そのまま、答えは返ってこない。三年前と、同じ。

    ジョウは立ち上がった。
    「アルフィン、旦那の墓に連れて行ってくれ」
    「え?」
    「この星にあるんだろ」
    「うん…」
    ジョウはさっさと精算をすまし、先に立って歩き出した。
    アルフィンと子供たちが、慌ててあとに続く。

    不意に。
    小さな手が、ほんの少し、ジョウの手に触れた。
    「…」
    ジョウは、急ぐ足を、止めた。下を見る。
    ピンクの服だから、アヴリル。
    アヴリルが、とことこと走ってジョウに追いつき、右手をいっぱいに上に伸ばしている。
    きらきらと、無垢な琥珀色の瞳でジョウを見上げ、
    手を、つないでくれと。

    ツン、と鼻の奥が痛くなった。
    視界が潤んでくる。
    それを必死にこらえると、ジョウはしゃがんで、アヴリルと目を合わせた。
    「アヴリル。俺はでかい。そして君は小さい。手をつなぎたいが、ちょっと無理がある。だから、抱っこでいいかい?」
    アヴリルがこくん、と頷いた。
    抱っこしようとすると、アルフィンと手をつないでいたネージュも走ってきて、ジョウの側に立った。
    「君も抱っこ?」
    ネージュが、アヴリルと全く同じ動作で頷いた。
    「そうか」
    ジョウは両手に二人を抱えあげた。
    その重さ。小さな二人は軽いけれど、泣きたいくらいに重い。我が子という存在。

    ジョウは、ゆっくりと歩いた。
    こんなにゆっくり歩いたのは、いつ以来だろうと考えた。
    身重のアルフィンが、ジョウに追いついて、ありがとう、と笑った。
    ゆっくり歩くということの意味を、初めて知る。こうやって、一つ一つ、学んでいく。
    俺はいつ、旦那に追いつけるんだろうと思わず苦笑が出た。
    でもいつか、必ず追いつかなければ。



    三年、年月が廻り、季節はまた四月だった。
    墓地の木々には、ジョウが名前を知らない、ほとんど白に見える淡いピンクの花が満開だ。
    風に、ひらひらと花弁が散る。
    まるで、あの日の雪のように。


    散った花弁で白く飾られたようにも見える墓前には、色とりどりのたくさんの花束が供えられてあった。
    花に添えて、カードもたくさんある。
    『フィールズ先生 大好きでした。どうか安らかに』

    「旦那は、先生だったのか」
    「うん。ハイスクールの教師だったの」
    「…だからか」
    ジョウは思い出した。誘導してくれた人がいない、と乗客の一人が言っていた。
    「なに?」
    「救助した乗客が、俺に教えてくれたんだ。誘導してくれた男性がまだいない、ってな。
    乗客は、大半が既にカプセルの中に乗ってたし、そうでない人も緊急脱出エリアにわりとまとまっていた。ああいう客船の客室乗務員は、大抵がアンドロイドだ。客は、本当の緊急時には、アンドロイドの言う事なんか聞きゃしない。そして、人間の乗務員の数は少なすぎる。だから、リーダーシップのある誰かが誘導しないと、ああいう整然とした現場にはならない。知ってるだろ、アルフィンだって」
    うん、とアルフィンは頷いた。
    「先生だったんなら、納得だな」
    「そうね。しかも、学校の防災責任者だったから」
    アルフィンは懐かしそうに笑った。
    「ほっとけなかったんでしょうね。自分が助かることなんか後回し。そんなことだろうと思ったわ。そういう人だった」
    アヴリルとネージュが、墓石の周りをはしゃいで走り回っている。
    まだ、パパが死んでしまったということはよく理解できていない、とアルフィンは言った。

    ジョウは墓石を見つめて、煙草に火をつけた。
    「旦那、煙草は?」
    「禁煙に挑戦してる最中だったわ」
    笑いながら、アルフィンは、ぽん、とお腹に優しく触れた。
    「じゃあ俺も、これを最後に禁煙しよう」
    ジョウはもう一本、煙草に火をつけると、墓前に置いた。

    ふわりと、風が。
    二本の紫煙を、運んでいく。

    「…愛してたか?」
    「…うん。ジョウを愛してるのとは、少し違うけど」
    アルフィンは、寂しそうに微笑んだ。

    現在形で、さらりとアルフィンは言う。
    現在形か、とジョウも思う。

    「さっきの返事だが」
    「…」
    「急がなくていい。アルフィンの気持ちの整理がついたらでいい。俺は、ずっと待ってる」
    「…うん」
    「お腹の赤ん坊の、性別は分かってるのか?」
    「ええ。この前の健診で分かったわ。男の子よ」
    ジョウは、煙草を消した。
    「一つだけ、頼みがある」
    「なあに?」

    「名前は、ショーンにしてくれ」

    その言葉を聞いて、
    アルフィンは、ジョウの顔をしばらく凝視した後、顔を伏せ、墓石の前にしゃがみこんだ。

    「『君が愛する総てのものを、僕も愛する』」

    ちょうどその時、風が吹いて、
    歌うように故人の言葉を呟いたジョウの煙草の紫煙と、
    墓石の前の紫煙を、天に運んで行った。

    かすかに、嗚咽が聞こえてくる。
    ママないてゆの、とアヴリルとネージュが心配そうにやってくる。

    「俺が、育てる。大切にする。アルフィンと、アヴリルと、ネージュと、同じように」


    ショーン・フィールズ、ここに眠る。


    それは、亡くなった夫の名前だった。


引用投稿 削除キー/
■1541 / inTopicNo.12)  Re[11]: 四月の雪
□投稿者/ 舞妓 -(2007/07/09(Mon) 10:45:31)
    「…優しい人だったわ。とても、穏やかな生活だった。この子たちのDNA鑑定の結果が出た、その次の日にはもういつもの彼に戻って、優しく笑ってくれた。
    誰かを愛することで、こんなにも穏やかな気持ちになれるんだって…あたし、ジョウを愛してても、そんな気持ちになったことはなかったの。いつもひりひり乾いていて、あなたに愛されたくて愛してる気持ちでいっぱいで、壊れそうだった」
    ひとしきり泣いた後、涙声で、アルフィンが呟くように語りだす。
    「仕事してても、ジョウのことばかり考えてた。だから、あたしはクラッシャー失格だったのよ。降りて、よかったと思うわ。あたしがいなくなって、ジョウはますます活躍してるの、ネットで見てたわ。お荷物がなくなって、よかったんだって思った」
    「それは、ちょっと違うな」
    ジョウは苦笑した。
    「まあいい。続けてくれ」
    「苦しんだの。すごく。ジョウが好きで、自分から降りたくせに会いたくてたまらなくて、でもジョウの活躍を見てると、戻れなくて。仕事中すらジョウのことばっかり考えてる自分も大嫌いで、どうしたらいいのかわからなくて。
    …あたしは、彼に、救ってもらったようなものよ。
    こんな風に、人を愛することもできるって、教えてくれた。
    あたしは彼を愛してた。そうね…すごく、静かに」
    アルフィンは、墓石を見つめながらそう語って、溜め込んだ思いを全て吐き出したのか、静かな表情に戻って、涙を拭いた。
    「いい男だな」
    ジョウが言った。
    「アルフィンを、モノにするだけはある」
    アルフィンに手を貸して、立ち上がらせた。
    「旦那は、アヴリルとネージュを、俺の子供だって分かっていても、大切に慈しんでここまで育ててくれた。感謝しても、したりないくらいだ。
    三年前、アルフィンがグレーブに来てくれたとき」
    ジョウが続ける。
    「俺は誓った。必ず、幸せにすると。
    今ここで、改めて、アルフィンの旦那に誓う。
    俺の生涯をかけて、きみときみの愛するものを、愛する。
    アルフィンが死んでも、俺が死んでも、ずっと、その先の未来までも」

    ひらひらと、雪のように花が散る。

    二人は、静かに、見つめ合った。
    出逢って十余年、こんなに静かにお互いの顔を見たことがあっただろうか、と考えた。
    その間、恋人だったのは、わずか半日。
    最初の五年は、側にいながらひりつく想いを故意に見ずに過ごし、
    後の七年は、側にいないお互いを心から欲して過ぎた。
    そして、今日という日が、ここにある。

    「…時間がかかるかもしれないわ」
    アルフィンは、風に乱れる金髪を耳にかけた。
    「構わない。いつでもいい」
    「ショーンは」
    初めて、アルフィンは夫の名前を口にした。
    「ショーンは、今すぐでも許してくれるんだろうけど。…
    あたしが、自分を、許せる日が来たら。そのときは、連絡するわ」
    「待ってるよ。ずっと」 

    青い空に、雲が流れていった。
    花弁の雪の中でまっすぐに立ち、アルフィンは、その空の高みをじっと見詰めていた。
    亡き夫と会話しているように。
    そして墓前の花を整えて、墓石にキスをした。
    アヴリルとネージュを呼んで、同じように墓石にキスをさせた。
    おじちゃんはちないの?というネージュの言葉に、いや俺は遠慮するよ、と苦笑してジョウが言った。
    アルフィンが笑った。
    変わらない、鈴が鳴るような声で。

    墓地を後にして、歩き出す。
    花弁で白くなった階段を下りるとき、ジョウはアルフィンに手を貸した。
    「もう7ヶ月だから、結構重いのよね」
    と言いながら、アルフィンは素直にその手を借りた。
    階段を下りきっても、ジョウは手を離さなかった。
    「許してくれるか?」
    いたずらっぽい、どこか少年のような表情。愛してやまなかった、この顔。
    アルフィンの胸が、きゅっと痛む。
    懐かしい想いに、切なく。
    「…ショーンが?」
    「旦那はいい男だからな、許してくれる。アルフィンが、さ」
    「…手だけならね」
    「了解」

    ひらひらと、雪のように花が散る。

    手をつないで、並んでゆっくりと歩いた。
    アヴリルとネージュが、走って行っては戻り、二人の足につかまって、いないいないばあを繰り返している。

    アルフィンは、やっぱり思い出す。あのククルのマドックの屋敷の中。手をつないで歩いた事。愛しい人の手の温もり。
    この闇が永遠に続いて欲しい、そうすればあたしたちは永遠に一緒だ、と思ったこと。

    でも、ここは青空の下で、もう闇ではない。



    いつかあたしが、自分を許せる日が来たら。
    つないだ手を、離さないでいよう、と思った。
    ジョウが果てしない宇宙のどこにいても、
    そのとき自分が、どこにいても。

    この手と手は、きっと、つながっている。






    15年後、ショーンはジョウのチームから独立し、クラッシャーショーンのチームを持った。
    それから数十年、祖父を越え、父親を越え、ショーンは名クラッシャーとして、クラッシャーの歴史にその名を刻むことになる。



                        
                                                                FIN


fin.
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