| 微かに軋むドアを開けて、一人の女が入ってきた。
カウンターで一人酒を飲むジョウは、ゆっくりとそのコツコツという足音の方向を見た。
女は艶やかなボブヘアの黒髪を揺らし、完璧なプロポーションの肢体を惜しげもなくさらす黄色のセパレートウェアを着ていた。豊かな谷間、細い手足。そして何よりも印象的な、エメラルド色の瞳。東洋系の美女だ。
いい女だな、と率直に思った。
女は、ちらりとジョウに一瞥をくれただけで、カウンターの反対側の端に座った。何を注文したわけでもないのに、ショートカクテルが黙って出てくる。 馴染らしかった。 いい女なのは間違いない。それなのに、店にいる男の誰一人として彼女に声をかけようとしない。迂闊に声をかけられない、そんな雰囲気がこの女にはあった。下手に手出しすると怪我をする。危険な女といった具合か。 危険だろう、とジョウも思う。細い腰に不似合いな古めかしい獲物を見るまでもなく、だ。
女は、酒も強いようだ。 アルコール度数が高めのはずのショートカクテルをわずかな時間で飲み干し、それがスコッチに替わっても顔色にわずかな変化さえ見られなかった。
いい女だ、とやはり思った。 年のころは、自分より幾つか年上くらいだろう。 いい女だと思っても、無論ジョウには彼女に声をかける気は全くない。 黙って一人酒を飲むのに、いい女を見ていれば、考えたくないのに頭を占領する苦い思いにとらわれずにすむ。
ジョウは、バーテンダーにお代わりを注文した。
今日は、1月12日だ。 仕事をしていたかったのに、クライアントの都合で三日ほど仕事の入りが延びた。 ちょうどタロスの義手の具合が思わしくなかったこともあり、メンテナンスに時間が必要ということで、そのまま宇宙港に滞在することになった。 忙しくしていたかった。そうすれば、彼女のいない二度目の誕生日を、こんなに苦しんで過ごさずに済んだのだ。 アルフィンがミネルバを去って、二度目の誕生日。 最初の数ヶ月は、ピザンにいた。その後は、分からない。今、彼女がどこでどうしているのかも、全くジョウには情報がなかった。 携帯電話が繋がるのかどうかすら、分からない。彼女が去ってから、まだ一度も連絡を取っていなかった。 アルフィンがミネルバにいた頃、彼女の誕生日は一大イベントだった。できるだけオフになるように努力していたし、そうでなくともミネルバの中でささやかにお祝いをした。それは賑やかだった、とジョウは思い出す。ちょっとでも酒が入れば、陽気に騒ぎ出す愛しい人。備品を壊されないように三人がかりで押さえつけ、お祝いの後は二人きりで、酒の覚めたアルフィンを抱いた。 懐かしい、愛する人。 例えば彼女が、今カウンターの端にいる美女と同じだけの酒量を飲んだら、このバーは30分と経たないうちに壊滅してしまうだろう、と想像した。
ジョウの頬に、かすかに笑みが浮かぶ。
ジョウの前に、お代わりのグラスが置かれた。同時に、同じグラスがもう一つ。
「?」 顔を上げると、バーテンダーが顔を美女のほうに向けた。見ると、美女が獣のようにしなやかな仕草で立ち上がって、こちらに歩いてくるところだった。 「…」 ざわ、と店の空気が動いた気がした。 客が、こちらを注視している。驚きの目線で。 まあ、こんなにいい女なら、無理もないか。とジョウは思う。
「隣、いい?」 ベルベットのような声だった。 「どうぞ」 断る理由は何もない。
女が、ジョウの横に腰を下ろした。 何となく想像していた、東洋系のきつい香水の香りは一切しなかった。甘い、微かな女の香りだけ。それもそうか、と後で納得する。この美女からは、自分と似た気配を感じる。香水なんか香らせていたら命取りになる稼業をやっているのだろう、多分。 「…一人?」 女はホットパンツからすらりと伸びる細い足を組んで、酒のグラスを傾けた。 「ああ、一人さ。見て分かるだろ」 「あんたみたいないい男が、一人で酒を飲んでる理由は一つね」 ベルベットの声が、ジョウの耳朶を心地よく流れていく。 横に来ると、女は東洋系らしく、離れて見ているよりも小柄で華奢だった。この細い指にどうやって銃を握るのかと不思議にすら思った。 いや、不思議でもなんでもない。 二年ほど前までは、それは日常だったのだ。 白魚のような指にレイガンを握り、あの華奢な体が、バスーカを持ち爆風に耐え、戦闘機を操っていたのだ。 彼女のいた日々は、どんなに遠くなってしまったか。
「理由って?」 「そうね。大事な半身でも無くした?」
さらりと、ベルベットの声がジョウの血を流し続ける傷口を撫でた。
ジョウは「大事な半身」という言葉に少し動揺しながら、酒を一口、飲んだ。 「そう見えるか?」 「そう見えるわ」 どうでもいいように、赤い唇はそう言う。 「当たり?」 「ああ。当たりだ。何で分かる?」 女は、ジョウの問いにふと微笑した。 「あたしも同じだからよ」
バーテンダーのシェーカーを振る音が、ジョウの黙り込んだ間を埋める。
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