FAN FICTION
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■1657 / inTopicNo.1)  even if…
  
□投稿者/ 舞妓 -(2008/01/23(Wed) 11:35:58)
    微かに軋むドアを開けて、一人の女が入ってきた。

    カウンターで一人酒を飲むジョウは、ゆっくりとそのコツコツという足音の方向を見た。

    女は艶やかなボブヘアの黒髪を揺らし、完璧なプロポーションの肢体を惜しげもなくさらす黄色のセパレートウェアを着ていた。豊かな谷間、細い手足。そして何よりも印象的な、エメラルド色の瞳。東洋系の美女だ。

    いい女だな、と率直に思った。

    女は、ちらりとジョウに一瞥をくれただけで、カウンターの反対側の端に座った。何を注文したわけでもないのに、ショートカクテルが黙って出てくる。
    馴染らしかった。
    いい女なのは間違いない。それなのに、店にいる男の誰一人として彼女に声をかけようとしない。迂闊に声をかけられない、そんな雰囲気がこの女にはあった。下手に手出しすると怪我をする。危険な女といった具合か。
    危険だろう、とジョウも思う。細い腰に不似合いな古めかしい獲物を見るまでもなく、だ。

    女は、酒も強いようだ。
    アルコール度数が高めのはずのショートカクテルをわずかな時間で飲み干し、それがスコッチに替わっても顔色にわずかな変化さえ見られなかった。

    いい女だ、とやはり思った。
    年のころは、自分より幾つか年上くらいだろう。
    いい女だと思っても、無論ジョウには彼女に声をかける気は全くない。
    黙って一人酒を飲むのに、いい女を見ていれば、考えたくないのに頭を占領する苦い思いにとらわれずにすむ。

    ジョウは、バーテンダーにお代わりを注文した。

    今日は、1月12日だ。
    仕事をしていたかったのに、クライアントの都合で三日ほど仕事の入りが延びた。
    ちょうどタロスの義手の具合が思わしくなかったこともあり、メンテナンスに時間が必要ということで、そのまま宇宙港に滞在することになった。
    忙しくしていたかった。そうすれば、彼女のいない二度目の誕生日を、こんなに苦しんで過ごさずに済んだのだ。
    アルフィンがミネルバを去って、二度目の誕生日。
    最初の数ヶ月は、ピザンにいた。その後は、分からない。今、彼女がどこでどうしているのかも、全くジョウには情報がなかった。
    携帯電話が繋がるのかどうかすら、分からない。彼女が去ってから、まだ一度も連絡を取っていなかった。
    アルフィンがミネルバにいた頃、彼女の誕生日は一大イベントだった。できるだけオフになるように努力していたし、そうでなくともミネルバの中でささやかにお祝いをした。それは賑やかだった、とジョウは思い出す。ちょっとでも酒が入れば、陽気に騒ぎ出す愛しい人。備品を壊されないように三人がかりで押さえつけ、お祝いの後は二人きりで、酒の覚めたアルフィンを抱いた。
    懐かしい、愛する人。
    例えば彼女が、今カウンターの端にいる美女と同じだけの酒量を飲んだら、このバーは30分と経たないうちに壊滅してしまうだろう、と想像した。

    ジョウの頬に、かすかに笑みが浮かぶ。

    ジョウの前に、お代わりのグラスが置かれた。同時に、同じグラスがもう一つ。

    「?」
    顔を上げると、バーテンダーが顔を美女のほうに向けた。見ると、美女が獣のようにしなやかな仕草で立ち上がって、こちらに歩いてくるところだった。
    「…」
    ざわ、と店の空気が動いた気がした。
    客が、こちらを注視している。驚きの目線で。
    まあ、こんなにいい女なら、無理もないか。とジョウは思う。

    「隣、いい?」
    ベルベットのような声だった。
    「どうぞ」
    断る理由は何もない。

    女が、ジョウの横に腰を下ろした。
    何となく想像していた、東洋系のきつい香水の香りは一切しなかった。甘い、微かな女の香りだけ。それもそうか、と後で納得する。この美女からは、自分と似た気配を感じる。香水なんか香らせていたら命取りになる稼業をやっているのだろう、多分。
    「…一人?」
    女はホットパンツからすらりと伸びる細い足を組んで、酒のグラスを傾けた。
    「ああ、一人さ。見て分かるだろ」
    「あんたみたいないい男が、一人で酒を飲んでる理由は一つね」
    ベルベットの声が、ジョウの耳朶を心地よく流れていく。
    横に来ると、女は東洋系らしく、離れて見ているよりも小柄で華奢だった。この細い指にどうやって銃を握るのかと不思議にすら思った。
    いや、不思議でもなんでもない。
    二年ほど前までは、それは日常だったのだ。
    白魚のような指にレイガンを握り、あの華奢な体が、バスーカを持ち爆風に耐え、戦闘機を操っていたのだ。
    彼女のいた日々は、どんなに遠くなってしまったか。

    「理由って?」
    「そうね。大事な半身でも無くした?」

    さらりと、ベルベットの声がジョウの血を流し続ける傷口を撫でた。

    ジョウは「大事な半身」という言葉に少し動揺しながら、酒を一口、飲んだ。
    「そう見えるか?」
    「そう見えるわ」
    どうでもいいように、赤い唇はそう言う。
    「当たり?」
    「ああ。当たりだ。何で分かる?」
    女は、ジョウの問いにふと微笑した。
    「あたしも同じだからよ」

    バーテンダーのシェーカーを振る音が、ジョウの黙り込んだ間を埋める。

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■1658 / inTopicNo.2)  Re[1]: even if…
□投稿者/ 舞妓 -(2008/01/23(Wed) 11:37:25)

    「煙草、吸っていい?」
    「ああ」
    女はマルボロに、慣れた仕草で火を点ける。
    そして、片手でこれもまた慣れた仕草でケースから一本、少し出してジョウに向けた。
    「吸わないんだ」
    「そ」
    女は、ゆっくりと紫煙を吸い込み、その苦さに少し眉をしかめて、煙を吐き出した。

    それから、片肘をついて、美しいエメラルド色の瞳でジョウを見詰めた。
    黒髪が、さらりとうなじにかかる。
    ベルベットの声が、ねだるように囁いた。
    「聞かせてよ、あんたの半分の話」
    ジョウは、女を見続けていられなくて、酒のグラスに目を落した。
    「…人に聞かせるほどの話じゃない」
    「いいじゃない。どこにでもある話、聞かせてよ」
    女は微笑んだようだった。
    ジョウは、まあこんなこともあってもいいか、と思い、口を開いた。ただ苦しんで時間を過ごすよりは、マシというものだ。
    「5年くらい、一緒に暮らしたんだ」
    「へえ。あんた若いのに、長いわね」
    「同じ仕事もしてた。…ちょっと危険な仕事でね。妊娠させたことに気付けなくて、彼女は仕事中に被弾して、流産した」
    「…」
    女は、何も言わずに酒を一口飲んだ。
    「その後、出て行った。一年半くらい前か…それから、会ってない。以上、終わり」
    女は、苦笑した。
    「長いはずの話が、随分簡潔にまとまっちゃうわね」
    煙が、天井に上がっていく。
    「こんなもんさ」
    ジョウは肩をすくめた。
    そう、こんなもんだ。当人たちがどれだけ苦しんでいたって、人には関りの無い話だ。
    他人に、分かろうはずが無い。
    どれだけ愛していたか。どれだけ大切に思っていたか。どれだけの苦しみを背負って今ここにこうしているかなんて。


    「あんたは、どうなんだい」
    「別に、話すほどの話じゃないわよ」
    「それはないだろ」
    ジョウが困った顔をすると、女は微笑んだ。
    その顔を見て、ジョウは思う。見るからに隙のない女なのに、たまに見せるこの微笑の危なっかしさといったらどうだ。
    この女は、それを理解しているのだろうか。
    どれだけ、男の心を揺さぶるのかを。

    「そうね、一年くらい一緒に暮らしました」
    「それで」
    「同じ仕事をしていました。彼は、昔の女をずっと引きずっていました。彼は昔ヤバイ組織に所属していて、昔の女と一緒にその組織のゴタゴタに巻き込まれて、死にました」
    「…」
    ジョウも、何も言えずに酒を一口、飲んだ。
    「その後、あたしはその男の子供を妊娠していることに気付きました。産みました。男の子でした。今三歳。以上でーす」
    「子供?!」
    ジョウは心底驚いて、女を見た。
    どう見ても、子を成した女の体ではない。
    「…びっくりだぜ」
    「ありがと、ほめ言葉ね」
    涼しい顔で酒のグラスを傾ける女の横顔を、盗み見る。
    びっくりなのは、体だけじゃない。
    死んだ男の子供を、ためらいもなく産む。妊娠期間も、出産も、育児も、父親はいない。
    この強さ。
    ジョウは思った。アルフィンが流産した後、二人でさんざん話し合って結局堂々巡りで、すれ違ったままミネルバを降りた。あの頃話していたことは何だったか。

    あなたと離れたくない。
    結婚するのがいやなんじゃない。
    子供ができれば何年もあなたと離れなければならなくなる。
    一人で妊娠期間を過ごすの?一人で産むの?一人で育てるの?子供はパパにほとんど会えないでスクールに放り込むの?あなたはそれで寂しくなかったの?
    結婚はしたいわ。あなたの子供も欲しいわ。だけどそれが、イコール離れるってことじゃないの?あたしは嫌よ。あなたと離れるなんていや。だけどあなたはクラッシャーだから。
    クラッシャーを辞めて欲しいなんか、思ってるわけないでしょ?!
    あなたは宇宙一のクラッシャーよ。クラッシャーを辞めて生きていけるわけがない。
    そうでしょ?だって、ジョウは。
    宇宙にいるからこそ、ジョウなんだもの。
    あたしはクラッシャーのあなたが好き。心から愛してる。
    だから。
    普通の幸せはいらない。
    あなたのそばにいられればいい。
    結婚はともかく子供は諦める。
    ねえ、でも、ジョウ、

    あの子は、いったいどこに行ってしまったんだろうね。

    病院船で手術して、すぐ終わって。二時間くらい休んだら戻っていいですよ、って言われて。
    あたし見たの。手術前、超音波で。
    小さな小さな、ちゃんと五体のある形をした子が、
    ピクリとも動かないであたしの子宮に浮かんでた。

    あの子はどこに行っちゃったの?


    そう言って、アルフィンは泣いた。泣いて泣いて泣き続けて、ついには仕事のできる状態ではなくなった。
    あの時彼女は、自分でも何をどうしていいのか分からなかったに違いない。
    自分の望みは結局のところ、本当は何なのかさえ、把握できていなかったのだろうと思う。
    ジョウにもそれは、理解できることではなかった。
    結婚したかった、彼女に自分の子供を産んで欲しかった。しかし、「普通の幸せは諦める」と言われてそれでもなお自分のものにしたいと思えるほど、ジョウはエゴイストではなかった。
    愛しているという気持ちだけは痛いほど分かっていて、
    それでも離れることしか、選択できなかった。


    それは、アルフィンが弱いということなのだろうか、と考えた。
    男の自分には、女性が子を成すことをどう思うかなんて想像するしかない。
    この女が強いかどうかだって、やはり他人には分からないのだ、とジョウは思った。
    人知れず泣いていた事だって、数知れずあるに違いない。

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■1659 / inTopicNo.3)  Re[2]: even if…
□投稿者/ 舞妓 -(2008/01/23(Wed) 11:39:12)
    女は酒を飲み干すと、お代わりを注文した。
    「ねえ、あんたの半身ってどんな女?」
    尋ねられただけで、ジョウの脳裏にはありありとアルフィンの姿が浮かんだ。ジョウ、と甘く発音するその声も。
    「…金髪に、青い目で」
    「…」
    女は、その言葉を聴くと突然がっくりとうなだれてカウンターに突っ伏した。
    「ど…どうした」
    ジョウはびっくりして、思わずその肩に手をかけた。酒が突然回ったのかと思ったのだ。酒が突然回って、暴れだしたら―――ジョウは久しぶりに、その感覚を味わった。
    彼女といた日々を思い出す、懐かしい感覚と同時に。
    手を置いた女の肩の、その余りにも細くて小さな感覚が生々しく。
    ぐらりと、ジョウの中で渦を巻く。

    女は、はあ、と長くため息をついて、顔をカウンターに置いたままジョウを見た。
    「…まったくどうして男って金髪碧眼に弱いわけ…」
    「はあ?」
    「いいのよ、こっちの話。さっき言った昔の女、ってのが金髪碧眼だったのよ」
    「ああ、そういうことか」
    女の素直な様子が、思いがけず愛らしい。
    ジョウは笑った。
    「笑い事じゃないわよ。あたしにとっては…アイツを連れて行った女なんだから」
    むくれる顔が、アルフィンを思い出させる。
    「それで?」
    女が続きを促す。
    「美人だ。ついでに、桁違いのセレブだった。俺と暮らすまでは」
    「へえええええええ。度胸あるわね」
    「気が強くて、泣き虫で、容赦ないくせに馬鹿みたいに優しかった。強くて…弱くて」
    ジョウの目が、酒の琥珀色を映す。同じ色だ。
    その琥珀色が、潤むように揺れたのは、ほんの一瞬。

    ジョウが、女に話を振った。
    「あんたの半身は、どんな男だったんだ?」
    女は懐かしそうにマルボロのケースを撫でた。
    「そうね…」
    女が、ジョウの目をじっと見つめる。エメラルドの瞳が、自分を映す。
    「紅い目で…片方は義眼だった。腕は物凄く立った。強かったわ。獣みたいだった」
    女は、ジョウの目を見て、あんたの目はお酒みたい、綺麗な色ね、と言った後、こう言った。
    「片方で過去を、もう片方で今を見てた、って言ってた。…バカだから一人で組織の本拠地に乗り込んでいって、それっきり帰ってこなかった。出て行く前、あたしが、わざわざ死にに行くの、って言ったら…」
    女が、ふう、と煙を吐き出す。
    「死にに行くんじゃない、本当に自分が生きているかどうか、確かめに行くんだ、って」

    女は、ぼんやりと正面の酒瓶の並ぶ棚を見ていた。そのエメラルドの瞳は、まっすぐ男の紅い瞳を見つめているに違いなかった。

    ジョウは思った。
    その男は、恐らく。
    最後まで、この女の元へ帰ろうとしていたに違いない。
    過去に決別し、この女と生きようとしていたに違いない。
    最後の最後の瞬間、その男が紅い目に浮かべたのは、青い瞳ではなく、この女のこのエメラルドの瞳だ、と。


    「あんた、分かってるのか?」
    「何を?」
    「本当に生きているかどうか確かめて、その後そいつがどうしたかったのか」
    「…そうね、なんとなく。分かるようになってきたかな」
    女は自嘲するように笑った。
    「あたしたち、愛してるとかそんな言葉言ったことも聞いたこともなかったのよ。一緒に暮らしたって言っても、二人じゃなくて仕事仲間みんなで同居してたの。あたしはアイツが過去の女を引きずってるの知ってたし…あたしたちがどんな関係だったかって、別に何でもなかったのよね。ただ、馬鹿みたいにお互いが欲しかっただけ。
    だから、最後に出て行くときも、キスもしなかったし抱きしめてもくれなかった。結構、キツかったわよ。
    でも、今は…アイツがそうした意味が分かる気がする。
    アイツは、帰れなかったときに、あたしが自由でいられるようにしてくれたんだって思うわ。自分みたいになるなって。
    だから、ちゃんと、帰るつもりでいたのも、今は分かる。
    帰ったら、どうしたかったかも」
    女は、相変わらず酒瓶の棚を眺めながら小さくため息をついた。
    「でも結局、アイツがあたしを自由にしようとしたって、いつになってもアイツに縛られたままよ。残念でしたって感じね」
    言葉とは裏腹に、女は笑っている。
    「子供なんか残してくれちゃって。そうでなくても、忘れることなんかできないのに」

    忘れることなんかできない、と幸せそうに女は言った。
    綺麗だ、とジョウは女の横顔を見ていた。
    ふいに危うさを覗かせる、揺れるエメラルドの瞳。
    その男が、どんな思いでこの女を見つめていたか、どれだけ切なく愛していたか、分かる気がした。

    愛する女を、自由にしようとした男。
    少なくともその男はもう、この世にはいない。
    自分は、どうなのか。アルフィンを、自由にしようとしたのは間違いない。あのままミネルバで、愛しあいながら苦しめあうよりも。
    これでよかったんだ、と思いながら、今もアルフィンを愛している。
    彼女はどうなのか。
    どこの星で、どんな生活をしているのか。
    もう、傍には誰か違う男がいるのか。
    それとも、「この世にいない」訳でもない自分を想ってまだ苦しんでいるのか。

    だったら、俺たちはいったいどうしたらいい。

    「忘れることができなくて、幸せか」
    ジョウが、低く呟いた。
    「幸せよ。ずっと一緒にいられるもの」
    「そいつはもう死んでる」
    「分かってる。でも一緒なの。こうやって飲んでるときも、眠るときも」
    ジョウには、幸せだと言い切る女の気持ちが分からなかった。
    「…もうこの世にいないからだろう」
    「そうかもね」
    女の赤い爪が、マルボロのケースを撫でた。
    「あんたの半身は、まだ生きてる。あんたも、まだ生きてる。だから、余計苦しいんだろうけど」
    女は、やっとジョウを見た。
    やっと、紅い目から目を離したらしかった。

    「まだ生きてる、って事は、まだどうにでもできるって事よ」

    エメラルドの瞳が、微笑んでいた。深い悲しみを湛えて。

    「あたしはもう何も出来ない。行かないでって泣いて止める事も、一緒に煙草を吸う事も、喧嘩も、キスももう何も出来ない。
    忘れないで想うことしか出来ない。
    でもあんたは、まだ何でも出来るじゃない。愛してた、じゃなくて、愛してる、って言えるじゃない」

    そう言って女は、手を伸ばしてジョウの髪をくしゃくしゃと撫でた。
    「このモサモサ加減が似てるのよね」
    呟くと同時に、女は立ち上がって煙草を消した。
    「ごちそうさま、でいいかしら?」
    「ああ、もちろん」
    「ありがと、楽しかったわ」

    女は入ってきた時と同じようにコツコツ、とヒールの音を響かせて、獣のように優雅な動きでドアの外に消えた。



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■1660 / inTopicNo.4)  Re[3]: even if…
□投稿者/ 舞妓 -(2008/01/23(Wed) 11:41:12)
    「…」
    わかんねえよ。
    ジョウは、金を払うとすぐに立ち上がった。
    早足で追いかける。ドアを開けて外に出ると、少し先の路地に女の後姿が見えた。ゆっくりと歩きながら、右手に煙草を持ち左手に携帯を持って、誰かと話している。
    ジョウは、気配を消して女の背後に近づいた。
    そっと、女の肩を掴もうとした瞬間。
    「ホールドアップ」
    女は振り返りざまに煙草を捨て、そのまま銃を抜き、ジョウの眉間に銃口を突きつけていた。
    赤い唇が、にやりと笑っている。

    「…」
    ジョウは苦笑して肩をすくめ、両手を挙げた。
    おいどうした、と全く心配していない太い男の声が携帯から漏れて聞こえてくる。
    「なんでもないわー。ちょっと、いい男に絡まてんのよ」
    お楽しみだな、怪我させるなよ、治療費が、とまた声が聞こえた。早く帰ってこい、ママが帰るまで寝ないって言ってるぞ。
    「はいはい、わかりましたあー」
    女はだるそうに電話を切った。さっき言っていた、同居している仕事仲間だろうか。

    「…お見事」
    「どうも。で、いったい何よ?」
    「そうだな、忘れ物だ」
    「?」
    女が訝しそうな顔をした、その時。
    ジョウの左足が見えないほどの速さで女の銃を蹴り上げ、銃は乾いた音を立てて路上に転がった。その音が響いたとき、びっくり顔の女はジョウの腕の中に取り込まれていた。
    「…やるじゃない」
    「どうも」
    「で、忘れ物って?」
    楽しそうなエメラルドの瞳を見つめ、ジョウは何かを言おうとした。が、何も言葉は出て来ず、そのままゆっくりと、女の唇を奪った。
    女は、抵抗しなかった。


    わからない。
    けれど、もしかしたら。
    もしかしたら、忘れられるのではないかと。
    この苦しい想いから、開放されることができるのではないかと。
    違う誰かを、愛することが出来るのではないかと。
    自分と同じ苦しみを背負う、こんな女となら。
    もしかしたら――――。


    女の唇は甘い。
    アルフィンにはない余裕と技巧で、ジョウのキスに応えてくる。
    体が熱くなる。頭が痺れてくる。
    それなのに、ジョウがその頭の芯、どうしても熱くならない部分に想うのは、
    やはりアルフィンの姿だった。
    目を開ければ、長い金髪と震える蒼い瞳が、自分を見つめているのではないか、そんな錯覚が。
    長い間、ジョウの目を、開けさせなかった。

    「…」
    切ないため息をつきながら唇を離すと、今まで腕の中に従順に収まっていた女は、何の感慨も見せずにすいと身体を離した。まるで、キスなんか無かったかのように。
    ジョウに乱された艶やかな黒髪を、直す。
    そして、にやりと笑っていきなりこう言った。

    「分かったでしょ?」

    ジョウは、返す言葉が無かった。

    「悪くなかったわよ」
    女は踵を返し、歩きながらまた煙草に火を点けた。
    振り返ることも無い。
    女もまた、目を閉じて思い浮かべていたのは、紅い目の死んだ男だったはずだ。

    「あんたのブルーアイズによろしくね…」

    赤い火を灯した煙草が、右手に二、三回揺れた。



    まいったな。完敗だ。

    ジョウは苦笑して、歩き出した。

    苦しむのもまた幸せか。
    そうだな、アルフィン。俺は生きていて、きみも生きている。
    まだ、何でも出来る。どうとでも出来る。
    忘れられないのなら愛し続けるだけ。忘れられなくても、きみがもう二度と俺の手には入らなくても。

    俺はきみを愛している。


    ジョウは携帯を取り出すと、アルフィンの番号を出した。
    繋がるかどうか、分からない。とっくに番号は変わってしまっているのかもしれない。
    通話を押すと、
    電話は繋がった。

    ワンコール。それだけで、ジョウは切った。

    例えば今、きみの傍には誰か違う男がいるのかもしれない。一緒に誕生日を祝っているのかもしれない。
    だから、これでいい。これだけで、総てが通じる。
    きみには分かるはずだ。

    夜空を見上げる。この星々の中のどこかに、きみのいる星は輝いているのか。

    誕生日おめでとう、
    今も変わらず愛している。
    この先も。
    ずっと。
    愛してるよ、アルフィン…






    デボーヌは、夜。
    アルフィンは、一人暮らしをしている部屋で、一人でワンカットのケーキを皿に出しているところだった。

    バッグの中で、小さく携帯が鳴る。
    慌てて出したが、既に電話は切れていた。
    発信者の番号を見て、アルフィンは手を止めた。

    ジョウ。

    とたんに、様々な思いがアルフィンの胸のうちを駆け巡った。
    それは熱い涙になって、膝を濡らした。


    今日は宇宙じゃなくてどこかの星にいる。そしてあたしの誕生日を忘れないでいる。
    あたしを思い出している。あたしが誰かと一緒にいるのかも、と思ってる。
    それでも。
    愛してるって…


    アルフィンは、小さな携帯を胸に抱きしめた。
    抱きしめて、泣いた。

    窓の外に、夜空が広がっている。今、どこにいるのかも分からないジョウの声を。
    アルフィンは、心のどこかで、確かに聴く。



                Happy birthday,Alfin…





                               FIN

fin.
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