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■292 / inTopicNo.1)  ラストレター
  
□投稿者/ まぁじ -(2002/11/13(Wed) 15:10:13)
    <まえがき>

    遅ればせながら、B.Dストーリーです。
    大まかにあらすじを考えてはいたのですが、展開につれジョウにこちらの思惑を拒否られ、
    何故か途中から、変な話しにこじれています。
    読みづらいかもしれませんゆえに。
    では、よろしければおつきあいください。

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■293 / inTopicNo.2)  Re[1]: ラストレター
□投稿者/ まぁじ -(2002/11/13(Wed) 15:10:49)
    「俺に?」
     宇宙港の制服を着た女性が、カウンター越しに小さな包みを差し出した。ジョウは危険物資の輸送任務を終え、出国許可を取りに宇宙港へと単身で出向いていた。そこで許可書と一緒に、長方形の薄型ケースが添えられたのである。
    「こちらにサインをお願いします」
     受領を確認する用紙だ。ジョウはそれを流し読みすると、差出人がアラミスの本部であることに気づく。だが個人名は分からない。
     飛び込みの仕事のメモリーチップでも入っているのだろうか。それにしては大きすぎる。ケースは、ジョウにとって中身の想像がつかない形状をしていた。
     だが言われた通りにサインする。入出国センターは人でごった返していた。ジョウの背後にいる男から、さっさと手続きを終えろと言わんばかりに、苛立った舌打ちが聞こえたせいでもある。
     ジョウは受け取ったケースに視線を落としながら、ひとまずカウンターから離れた。そして人混みから離れた場所につっ立ったまま、裏返しにしてみた。へこみがある。掌紋を読みとるセンサーだ。
     つまりジョウでなければ開けられない、いわゆる親展扱いの小包である。
     チタニウム繊維の手袋を外し、ジョウは親指を押し当てる。ケースの中で、かちりと音が鳴りロックが外れた。
     コンパクトのようにケースは開かれた。その中には、一枚の黄ばんだ封筒が入っている。ジョウの眉が不可思議に上がった。
     封筒を手にすると、結構な厚みがある。しかもデジタルな時代に封筒。
     すると左腕の通信機が鳴った。ジョウの意識は一旦そちらに向く。
    「ジョウ」
     タロスからだ。
    「今しがた着陸事故がありやしてね、宇宙港は閉鎖だそうです」
    「復旧の見込みは」
    「まだアナウンスがないんで分かりませんが、<ミネルバ>からでも黒煙が見える。結構でかそうな事故ですぜ」
    「そうなのか」
     するとジョウの頭上で、インフォメーションアナウンスが流れた。宇宙港閉鎖による、入出国センターでの対応について説明がなされる。一方的な業務中断のアナウンス。この類の事故に対し、宇宙港には適宜マニュアルがある。しかし営業再開の目処がたっていないとなると。
     タロスが目測するように事故はかなりの規模なのだろう。
    「……半日は潰れそうな勢いだな」
     ジョウもタロスに同意する。
    「次の任務には支障ねえが、<ミネルバ>で缶詰ってのもどうでしょう」
     いま飛び立てないのであれば、もう1日この惑星に滞在するか。そういう提案だった。
    「しかし今、出国許可を受けとっちまった」
    「タッチの差でしたかい。……となると宇宙港から出られませんなあ」
    「<ミネルバ>の中よりは、何かあるだろうけどな。……いいぞ、自由行動でも」
    「そうですかい? ちなみにジョウは」
    「俺は<ミネルバ>に戻る。アラミスから妙なもんが送りつけられた」
    「アラミス?」
     飛び込みかと、それを探る口調。となれば、タロスとしても自由行動といった呑気な提案はしていられない。しかしジョウはすぐに返答する。
    「仕事じゃなさそうな雰囲気だが」
    「例え緊急指令でも、どのみち動けませんしねえ。まあ、無茶しろってことなら、できなくはないですが……」
    「飛び込みだったら連絡する」
     一通り会話が終わると、タロスはリッキーと共に宇宙港のショッピングモールに出向くと行き先を告げた。
     ジョウの留守中に、タロスとリッキーは賭けカードをしていた。案の定リッキーが負け、その代償としてタロスが欲しい品物を1つリクエストできるのである。
     正直、タロスはリッキーの小遣いからせびるほど物に困っている訳ではない。だが負けは負けである。<ミネルバ>の調整も終わった段階ゆえに、何もすることがなかった。リッキーの懐を寂しくしてやる以外、面白そうな暇つぶしは思い当たらない。
     ジョウはそれを了承すると、タロスとの通信を切った。
     突然、ジョウにも持て余す時間が生まれた。しかしレンタルのエアカーでぶらつける自由はない。出国許可を取ったら、速やかに宇宙港に待機することが義務づけられている。
     だが今は。
     謎の封筒が手元にある。少しは時間潰しになるかもしれないと、ジョウはあえて封を切ることを止めた。
     この時のジョウはまだ。
     封筒の中身の事柄で、待機時間がまるまる潰れることなど、知るよしもなかった。


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■294 / inTopicNo.3)  Re[2]: ラストレター
□投稿者/ まぁじ -(2002/11/13(Wed) 15:12:01)
     自由行動となってから。
     アルフィンはリビングで、テレビモニタを見入っていた。しかしそれにもそろそろ飽きた。日中の午後というのは、惑星内のゴシップ番組ばかり。もしくは今目の前で起こっている、宇宙港事故の生中継だ。貨物船による着陸ミスの事故。現場にいるアルフィンの方がよほど詳しい。
     つまり見る物がなくなった、ということだ。
     仕方なくアルフィンはブリッジへと上がる。そこにはドンゴしかいなかった。数時間前に入出国センターから帰ってきたジョウは、てっきりここにいるとばかり思っていただけに。
     当てが外れた。
    「ねえドンゴ、管制室はなんて?」
    「キャハ。復旧ノ見込ミガ、更ニ銀河標準時間2時間ノ遅延デス」
    「そうなの……。じゃあ日付が変わっちゃうかもしれないわね」
    「ソノ確率74ぱーせんと」
     アルフィンは人差し指を顎に当てた。
     本当は宇宙に上がってから渡したかったのに。そう一人胸の中で呟く。
     銀河標準時間の11月8日。今日はジョウの誕生日だ。すでにプレゼントは用意してある。あとはタイミングだけだった。
     宇宙生活者であるクラッシャーにとって、宇宙が本来の居場所である。折角のジョウの誕生日なのだ、宇宙に帰ってからプレゼントを渡したい。アルフィンなりのこだわりだった。だがこの様子だと、この惑星で誕生日が過ぎてしまうかもしれない。
     今はタロスもリッキーも不在。宇宙港の再開と同時に出国となれば、慌ただしく、手渡すどころではなくなる。
     最初の思惑とは大きく外れるが、今が渡すチャンスかもしれない。そうアルフィンは思った。
     ブリッジから出ると、一旦自分の船室に戻る。デスクの引き出しに閉まっておいた、ラッピングされた箱を取り出す。
     ジョウへの初めての誕生日プレゼントの品だ。それはアルフィンを相当に悩ませた。
     出会った時、ジョウは18だった。19の誕生日の時に、何か贈ろうと考えていたのだが、確かその頃は丁度、2ヶ月に渡る任務の真っ最中。買い出しに行くチャンスもなく、任務が終わった頃には、とうにジョウの誕生日は過ぎていた。
     遅れて渡しても良かったのだが。
     ジョウ自身、あまり自分の誕生日にこだわりもない様子から、アルフィンはタイミングを逃した。
     そしてアルフィンを悩ませたのは、プレゼントの内容。ジョウなりに好みはあるのだが、こだわりというほどでもない。大体ジョウが持っているものは、必要な時に、一番いい品を揃えただけのこと。自然と質のいいコレクションをしてはいるが、ただそれだけだ。
     アルフィンの場合、自分も両親もこだわりがある。そういう環境に慣れている人間にとって、無欲な人間にプレゼントを贈ることが、これほど大変だとは。
     今回改めて痛感した。
     プレゼントの中身は、プライベート用のドライビング・グローブ。どうせ贈るなら、身に着けてもらえる方がいい。長く使うほど、馴染んでいく物。自分の存在も、そうありたいという願いも込められていた。
     だがきっと。
     ジョウはそんなささやかな女心に、気づくことはないだろうが。
     アルフィンはプレゼントをそっと後ろ手に回した。もう脳裏には、渡した瞬間のジョウの顔がいくつも浮かび上がる。
     驚き、困惑、照れ、悦び。
     それを早く知りたくて、自然と足がジョウの船室へと向かっていった。
     しかし実際は。
     船室のドア越しで。
     アルフィンと目があったジョウは、酷く疲れた顔をしていた。


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■295 / inTopicNo.4)  Re[3]: ラストレター
□投稿者/ まぁじ -(2002/11/13(Wed) 15:13:19)
    「……どうかしたの」
     アルフィンはジョウを見上げ、不安そうに切り出す。
    「いや、別に」
     言葉では否定するものの、視線がどこか心許ない。アルフィンが胸を躍らせてきたドラマティックな展開とは、大きく外れそうな予感が過ぎる。
    「なんか用か」
    「……うん」
     そう口にしてから、出直した方がいいのかどうか、アルフィンは迷った。今のジョウではどうも、プレゼントごときで表情が晴れる気がしない。
    「けど、取り込み中だったら……いいわ」
     アルフィンは視線を足元に落とすと、小さく応える。独りよがりなのだが。出鼻からくじかれてしまい、残念な気分が胸に広がっていく。
     2人の間に、奇妙な沈黙が生まれた。
     本当に取り込み中であれば、ジョウはさっさと自室に籠もる筈である。だがドア越しで微動だにしない。なんだか妙だ。と、さらにアルフィンはジョウの異変を嗅ぎ取った。
    「……悪いな」
     アルフィンの頭上で、ジョウの声がこぼれる。
    「俺、変だろ」
     言われて、アルフィンは再びジョウを見上げる。拳を眉間に当てながら、無理に笑顔を作って見せた。
    「……ちょっと変」
    「やっぱり」
    「なんかあるんでしょ?」
    「気持ちがごちゃついちまって。……俺にもどうしたらいいか」
     ジョウは肩をそびやかす。アルフィンには全く訳が分からない。
    「悩み事?」
    「そうじゃない……」
     ジョウのはっきりしない態度。よく観察すると、どこか落ち着きがないような気もする。そしてアルフィンをきっぱりと拒絶しない様子から察すると。
     何かを一人で持て余しているようでもあった。
    「あたしで良かったら聞くけど……」
     アルフィンのその一言。ジョウは一旦唇を固く閉ざしたかと思うと、無言のまま顎をしゃくった。入ってくれ。そういう仕草だ。
     アルフィンは後ろ手に隠したプレゼントを、ジョウに気取られないようにして。少し距離を空けてから船室に入った。
     デスクの引き出しが全て開けられている。そして収納されていたと思われる物品が、デスクの上やベッドに、乱雑な広げ方をされていた。
     普段は必要以上に部屋を散らかさないジョウである。この有様は、ちょっと変、という状況ではないことを露わにした。
     ジョウはベッドに散らかした小物や書類などを、適当に端へと追いやる。ベッドの上にぽっかりと、腰を落ち着けられる場が出来た。そこにアルフィンを招く。
     アルフィンはジョウに顔を向けたまま、じりじりとベッドに近づいた。腰を落ち着けると同時に、後ろ手のままブランケットの下にプレゼントを隠す。
     これで幾分落ち着いた。ジョウの話しに集中できる。
     するとジョウは、ベッドに腰掛けたアルフィンの前に一枚の封筒を差し出してきた。
    「どうしたの、これ」
    「読んでくれないか」
    「……いいの?」
    「アルフィンの方が、理解できるかもしれないな。俺にはどう受け止めていいのか……」
     ジョウはそれだけ口にすると、ふっと苦笑した。
     黄ばんだ封筒。
     どうやらこれが、ジョウを変にしている原因らしい。封筒から便箋を抜き出すと、かなりの枚数であることが分かった。
     アルフィンは一旦ジョウを上目遣いで見ると、おもむろに便箋を開いた。タイプ文字ではない。今時珍しい肉筆。しかも一文字ずつ丁寧につづられた手紙。
     僅か数行で、誰から当てられた手紙なのか。
     アルフィンには分かった。

      『愛すべき息子 ジョウ
       
       あなたは今この手紙を、どこで読んでいるのかしら。
       今日であなたも二十歳なのね。本当におめでとう。そして、今日まで
       何もしてあげられなくて、ごめんなさい』
       
     亡きジョウの母、ユリアからの、20年もの歳月を越えた手紙だった。アルフィンは思わず顔を上げる。ジョウはアルフィンから視線を外し、船室の壁際まで歩を進める。そして両の腕を組み、壁に背をもたれかけた。
     アルフィンに一通り読み込んで欲しい。そういう意志が伝わってくる。
     だから何も語らず、アルフィンは再び便箋に目線を落とした。


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■296 / inTopicNo.5)  Re[4]: ラストレター
□投稿者/ まぁじ -(2002/11/13(Wed) 15:13:23)
      『この手紙を書いているベッドの隣には、ジョウ、あなたがいます。
       私が至らなかったばかりに、仮死状態でこの世に産み落としてしまうなんて。
       本当にショックでした。けれどもジョウ、あなたはとても強い子。
       一昨日から私の病室で、一緒に生活できるまでに回復してくれたのです。
       私は何度、あなたにありがとうと、ごめんなさいを繰り返せばいいのか、
       分からないくらいどうしようもない母親です。
       
       ダンの息子であってくれて嬉しいけれど、私の子供で良かったのか。
       あどけない寝顔を見ていると、どうしようもなく胸が苦しくなります。
       
       何故こんな手紙を書いたのか。
       実は今日、担当医とナースの会話を聞いてしまったのです。
       ジョウを仮死状態で産み落としてしまったのも、私の肥立ちが悪いのも、
       何か原因があるようでした。詳しいことは聞き取れなかったけれども、
       私の身体のことは、私が一番よく分かっているつもり。
       たぶん、それほど長くは生きられないということだと思いました。
       
       ダンには話していません。
       私が重荷になることは、どうしても避けたいからなの。
       本当は今話せば、ダンはきっと打てる手だてをすべて、私のために
       捧げてくれるでしょう。
       ダンとはそういう人です。
       でもそうなれば、クラッシャーの指揮を執る者を失い、またならず者と
       呼ばれ続ける稼業へと転落してしまう端境期でもあります。
       アラミスという惑星の今後を左右する出来事ですから
       それは病院にいても、自然と耳に入ってきます。
       
       私はどうしても、クラッシャーの道を逸らしてしまうことだけは避けたいの。
       けれども私が黙することで、ジョウ、あなたに母親のいない運命を負わせて
       しまうかもしれない。
       大きな選択です。とても、とても、大きな選択。
       今日明日では、出すことのできない応えでもあるの。
       けれど早いうちに決断しなければ、私はきっと間違いを犯すと思ったのです。
       
       なにせジョウ、あなたを見つめているだけで、愛おしい想いがどんどん
       募っていくのです。1日ごとに、いいえ、1秒ごとに。
       私の声に反応して、まだよく見えない時期だというのに、懸命に私を
       追ってくれるアンバーな瞳。
       すがるように私の指を握り締めてくれる、その小さな手。
       母乳の出が悪い私のせいで、人工ミルクしかあげられないというのに、
       お腹がいっぱいになると、天使のような微笑みを私に見せてくれる。
       こんなあなたを残して、私は逝けない。
       その想いが大きくなることが、もう充分すぎるほど分かってきたから。
       
       ある意味、母親としては当然の感情なのでしょう。
       けれども私が選んだ夫は、クラッシャーダン。
       私というたった一人の女の存在で、ダンに委ねられたクラッシャー達の将来、
       アラミスという惑星の運命を、変える訳にはいかないのです。
       
       私一人だけが犠牲になれれば、どんなにいいことか。
       
       そこにジョウ、あなたを巻き込んでしまうことが、とても心苦しい。
       こうしてあなたにこの手紙を書いているだけでも、涙が溢れて止まらないの。
       隣にいるあなたの寝顔が、満たされて、安らかであるほど、
       それを守りきれない未来を考えただけで、私はどうにかなりそうです。
       私は、自分の身体が恨めしい。
       もっと健康体であれば、あなたの成長をずっと見守り続けられるというのに』
       
     アルフィンは、ほおと息を放つ。ユリアの切迫した感情が、肉筆から刺すように届いてくる。聞こえもしない声すら感じるほど。
     20年という歳月を経ても、色褪せることのないユリアの生々しい叫び。
     アルフィンは勘づかれないよう、壁際にいるジョウにちらりと視線を向ける。腕を組み、難しい顔をしたまま、ジョウはドアの方を凝視している。けれどもその視界には、何も映ってないことをアルフィンは分かっていた。
     両親の愛に包まれて育ってきたアルフィンにとって。ジョウの胸中で起こっている出来事など、想像しても至らないだろう。
     だからユリアの言葉にだけ、気持ちを傾ける。
     同じ女として。同じジョウという人間を愛する者として。ユリアの気持ちだけは読みとってみたい。アルフィンは便箋に再び、集中しはじめた。
     いつしか、周辺の雑音すら聞こえなくなる。


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■297 / inTopicNo.6)  Re[5]: ラストレター
□投稿者/ まぁじ -(2002/11/13(Wed) 15:14:59)
      『この手紙があなたの手に渡ること。
       それは、私がジョウと過ごす未来よりも、ダンの人生を選んだ結果です。
       ダンには、ただこの手紙を、ジョウが二十歳の時に渡して欲しいとだけ、
       伝えておこうと思います。
       二十歳のジョウ。
       今の私とそれほど変わらない年齢に育てば、理解してもらえるのではと。
       そう考えて、機が熟すまで、この手紙の存在をも伏せてもらいます。
       
       二十歳になれば、振り返るだけの歴史が出来上がる頃。
       ダンがクラッシャーを続けていれば、あなたがどれだけ孤独の中で
       多感な時期を過ごしていくかが今でも容易に想像がつきます。
       もしかすると、大切な何かが欠けた人間として育ってしまうかもしれない。
       そんなことをまず心配します。
       
       だからジョウ、あなたの人生の始めに起こった出来事について、
       私は真実を残して置こうと思いました。
       黙ってあなたを置いていくことになったとして、
       嘘や隠し事をされては、とても耐えられないと思ったからです。
       周囲の人が、あなたの出生、私の最期を、どこかで曲げて伝えることが
       考えられるから。
       そのためにもひとつくらいは、真実を残しておきたい。
       
       正直、この告白は、とても怖いことでもあるの。
       この手紙を読んでジョウは、私があなたよりも、ダンを選んだことに対し、
       心を歪ませてしまうのではないかと。
       私を恨んで済むことならば、私を最低の母親として罵ることで落ち着くならば、
       私はそれでも構いません。
       だって、事実なんですもの。
       私はあなたの母親でいることより、ダンの妻であることを選んだ女。
       覚えているだけ辛いのならば、私のことなど忘れてください。
       いいえ、もしかすると、この手紙を読まなくとも、
       忘れているかもしれませんね。
       思い出させてしまったのなら、この手紙を捨てると同時に、綺麗に忘れてください。
       
       でもジョウ、私はあなたを信じています。
       こんな至らない母親だけど、あなたの半分は、あのダンから受け継いだもの。
       弱い私の遺伝子は、きっとダンの遺伝子が補ってくれると。
       だから仮死状態で生まれてきても、今は何事もなかったように
       眠れる息子なんだと思います。
       
       あなたにとっては、迷惑なことかもしれないけれど。
       ジョウ、あなたのことはずっと愛していきます。
       例え私の肉体がこの世になくても、想いだけはずっとあなたを見守って
       いきたいと思います。
       それしか私には、ジョウにできることが、もうないの。
       もし人に、定められた幸せの数があるというのなら。
       もし私が早くに人生を閉じ、その幸せを余すことができるなら。
       ジョウ、あなたに、そのすべてを捧げたい。
       
       私は何もいらないの。
       あなたが幸せで、笑顔でいてくれるのなら。
       私が天に召されたら、それを一番に神へお願いするつもりです。
       
       本当にごめんなさい。何ひとつ、あなたに残せなくて。
       本当にごめんなさい。何ひとつ、あなたへの責任をとれなくて。
       
       きっとあなたは覚えていないでしょうけれど。
       私が生きている限り、たくさん抱きしめて、たくさんキスしてあげる。
       担当医には、抱き癖がつくから止めた方がいいと言われるけど、
       今しておかないと、あとではできないことだから。
       だから私はこっそり、主治医の目を忍んであなたを慈しんでしまいます。
       
       やっぱり私は、悪い母親ね。
       
       ジョウ、もし、自分が一人だと、孤独だと、とてつもなく寂しくなったら、
       こんな私でもいいのであれば、私の愛を信じてください。
       あなたのそばにはいつも、私はいるから。
       ジョウ、魂の領域では決して、あなたを一人になんてさせない。
       
       でも幸せならば、私のことを思い出す時間も勿体ないでしょう。
       ジョウは自分の幸せを信じて、突き進んでください。
       
       なんだかとても支離滅裂な手紙になってしまいました。
       これでも何回も書き直した手紙なの。
       きっとこの先、何度書き直しても、すべてを書ききれるとは思えないから。
       体力がなくなりペンが握れなくなって、あなたに言葉を残せない方が
       後悔しそうなので。
       恥ずかしいくらい拙い手紙だけど、これを最後にします。
       
       今、あなたが隣で目を覚ましました。
       きっとお腹が空いたのね。
       本当に、愛しくて愛しくて、あなたを産んだことに何ひとつ後悔はありません。
       ただあるとすれば、
       ジョウの母親として、私で良かったのかどうか。
       子供は親を選べないものね。
       
       ジョウ、この手紙を読んだあとのことは、全てをあなたに任せます。
       なにせ私が愛したダンの息子ですもの、
       あなたのすることに、間違いはないと思っています。
       
       そしてこのことは、ダンには内密にしておいてください。
       これは最初で最後の、ジョウと私との間にある2人だけの秘密です。
       どうかお願いします。
       ダンにだけは、この真実は伝えられないの。
       夫と息子とでは、受け止められることと、そうでないことが
       あると思うから。
       
       一生に一度のお願いです。忘れても構わないから。
       お願いね、ジョウ。
                                   ユリア』

     アルフィンは便箋を綺麗に重ね直す。けれども指先が震えてしまい、なかなかうまく角が揃わなかった。それでも時間をかけて、折り目通りに便箋を畳むと、黄ばんだ封筒に納めた。
     膝の上に封筒を置き、アルフィンは両手をその上に乗せる。
     動きが止まった。
     ジョウはその仕草から、アルフィンが手紙を読み終えたことを察する。組んでいた腕を外し、アルフィンに向かって数歩、近寄った。


引用投稿 削除キー/
■298 / inTopicNo.7)  Re[6]: ラストレター
□投稿者/ まぁじ -(2002/11/13(Wed) 15:19:27)
     視線を落としたまま、アルフィンは口を開いた。
    「いいの? 議長への秘密、あたし知っちゃったけど」
    「アルフィンだからな。信用してる」
    「……そう」
     そして、ゆっくりと碧眼を向けた。ジョウには言葉を介さずとも、問いかけてきているのが分かった。だから今の感想をそのままに応える。
     この重い内容の手紙について。誰かと話を分かち合える。それがジョウの口を幾分軽くしてくれた。
    「……妙なもんだな」
    「妙?」
    「これは親父が俺によこした物だ。だから間違いなく、おふくろからの手紙。しかし、どうも今ひとつピンとこない」
    「どうして」
    「どうしてかな……」
     内容については充分に租借できた。当時のユリアには、生死の選択権があったのだ。単に産後の肥立ちが悪く、処置なしで亡くなった訳ではない。迫りくる自分の死期を見つめつつ、この世を去った。ジョウという未練を残しながら。
     事実は、そのまま受け止めようとジョウは思う。すんなりと、そうできてしまう。
     妙な気分の根源だった。
    「やけに他人からの手紙に感じるんだ。薄情なんだな、俺は」
     つまり実感がない。母親からの手紙だという。
     胸にまったく迫ってこない。
     だから口端を軽く上げた。まるで自嘲しているような笑いだ。
     アルフィンにはそう見えた。
    「ジョウはお母さんのこと、何も覚えてないの?」
    「すげえ昔に、親父の部屋からこっそり写真を一枚抜いた記憶はある。けど、どこに仕舞ったのかも忘れちまった。だから顔もよく思い出せない」
    「……ねえ、もしかして」
     アルフィンは散らかった部屋を見渡した。
    「この有様って、探してたってこと?」
    「一応はな」
     とはいえ、自分が<ミネルバ>に乗り込んだ時に、ユリアの写真を所持できるだけの余裕があったかどうか。そして、そこまでの思い入れがあったかどうか。
     ジョウにはその記憶すら欠落していた。
    「写真を見れば、もう少しおふくろの気持ちが分かるかと思ってね。……ところが、ごらんの通りさ」
     ジョウは肩をそびやかしてみせる。
     部屋をひっくり返してみても、ユリアの想いを計れる手だてがなかった。
     そしてジョウは、アルフィンの隣に腰を下ろす。その反動で、ベッドから小物や書類などが床に落ちた。だがジョウは一向にそれを省みる様子もない。
     そして身体を屈めると、膝に肘をつき、顔の前で両手を軽く組んでみせた。
    「普通、こういう代物ってのは、残した人間がむくわれるもんだろ」
    「……そうかもね」
    「あんまり俺がドライすぎて、おふくろはがっかり、ってとこか」
     ジョウはまた空笑いをしてみせた。
     その横顔を見て、アルフィンが口を開く。
    「あたしは、ジョウのお母さん、凄い人だと思ったわ」
    「その辺の感受性は、女の方がいいんだろう」
    「そうじゃなくて」
     アルフィンは姿勢をジョウに向ける。
    「亡くなったのって、確か……」
    「23,か」
    「……ジョウともう3つしか違わないのよ。愛する人の初めての子供が生まれて、本当は幸せの真っ直中にいるものでしょ。それが、そうじゃなくて。……クラッシャーっていう大きな背景もあって。普通、ここまで自分を見失わずにいられるものかしら」
    「言われてみれば、そうかもな……」
     しかしジョウの表情は。言葉とは裏腹に、まだ釈然としない。そもそも、母親の時が23で止まり、自分とあと僅かの年齢差しかないというのも良くない。きょうだいならまだしも、親子と想像するには近すぎる。
     それが一層、リアリティを削いでいくのだ。
    「あたし、自分の立場に置き換えたら、こんなに悲しい事ってないと思う。たぶん、毎日泣くばっかりで終わっちゃうんじゃないかしら。あたしだったら……」
     アルフィンは唇をきゅっと結んだ。
     もし自分がジョウと添い遂げることができて、子供ができた途端、死を悟ることがあったとすれば。想像だけでも、気がおかしくなりそうだ。一番考えたくない出来事が、現実に起こる。
     それがユリアの身の上だった。


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■299 / inTopicNo.8)  Re[7]: ラストレター
□投稿者/ まぁじ -(2002/11/13(Wed) 15:20:42)
     ジョウに表情を読まれたくなくて、アルフィンはまた姿勢をまっすぐに戻す。だから今度はジョウが、顔だけを向けてアルフィンの横顔を見た。
     ジョウとしては、ダンの気持ちの方が想像しやすい。もしアルフィンと一緒になり、子供が生まれた後に、一生そばにいると思われた女性が消えたとしたら。
     苦しい。
     一人であの世に逝かせることなど、できやしない。
     だがダンはそうしなかった。ジョウがいたから、クラッシャー家業があったから。いや、そうではない。ジョウはなんとなく分かる気がした。
     自分がいたから、クラッシャー家業があったから、ダンは“生かされてきた”のだと。
     世間ではダンが先陣を切り、興してきたように言い伝えられているが。今のジョウには逆に見える。ダンは、周囲の存在に助けられ、支えられてきたのだと。
     これはもちろん、ジョウの勝手な解釈ではあるが。自分が同じ境遇だったらと考えると。
     そんな応えが、ふと出た。
     だが母親であるユリアの絶望や、希望を、どうしても感じ取ることがジョウにはできない。恐らくそれは。
     ひとつだけ、思い当たることがジョウにはあった。
    「あれは、いくつん時だったかな……」
     アルフィンはジョウの方に振り向く。組んだ両手を、額に何度も軽く当てながら、錆びた記憶の歯車を動かそうとしているようだった。
    「6……7才だったかな。おふくろって存在を完全に切ろうと思ったんだ。しかし皮肉なもんだよな。そう決意した時のおふくろの印象ってやつだけを、覚えてやがる」
    「どうして、そう思ったの」
    「人様の家庭ってのを、知っちまったせいかな」
     ジョウは身体を起こすと、両手をベッドの支えにして、天井を仰いだ。そうすると、ユリアとの決別を幼心ながらに下した時が、ようやく、走馬燈のように蘇ってくる。
     その状況を、アルフィンに語りだした。

     当時のジョウは、ダンはもちろんほぼ家を空けていて、ハミングバードによって世話を受けていた。もう少し幼い頃までは、生身のハウスキーパーがいたような気がする。だが顔も名前ももう思い出せない。
     ジョウにとって家よりも、遊び仲間と過ごす時間の方が有意義だった。だが仲間達は夕暮れになると、痺れを切らした母親の声で帰路を辿る。ジョウにとっては、不思議な光景だった。
     少しヒステリック気味な母親の声でも、仲間達はいそいそと帰る。ジョウはそうやって連れ戻されたことがないからだ。怒られながらも、何故足軽に帰れるのか。
     子供心の単純な好奇心から、一度、仲間の家に泊まりがけで遊びに行ったことがある。
     それ以来、ジョウは二度と。
     誰の家庭にも潜り込むことをしなくなった。
    「食卓を家族で囲むだろ。そいつの親父もクラッシャーだったから、母親ときょうだいだけだったんだが。うるさいもんだよな母親ってのは。残すのは止めなさい。こっちを食べてからにしなさいとか」
    「……あたしのお母様も、食事マナーにはうるさかったわ」
     アルフィンも懐かしそうな瞳で、エリアナを思い出す。
    「うるさいんだが、悪い気はしないんだ。子供に全神経を注いでくれてる姿がさ、羨ましく見えちまって」
     そしてジョウは続ける。

     深夜に、ジョウは枕が変わったせいか、安心しきれる空間に馴染めないせいか。仲間のベッドからこっそり抜け出して、キッチンに水を飲みに出た。
     物音を立てた訳でもないのに。仲間の母親が起きてきた。眠っていたであろうに、ほつれ毛を上げながらジョウを案じて。
     眠れないのなら、童話でも読んであげましょうか。母親自身も日中の疲れを引きずっている様子なのに、そんな気遣いを見せてくれた。
     ジョウにとって、初めての感触。どうしていいか分からず戸惑っていると、母親がそっと抱きしめてくれた。怖い夢を見たのなら、私のベッドでもいいわよ、と。
     抱きしめられた夜着からは、夕食に出た温かなスープの香りがした。のめり込みそうだった。母親の温もりというものに。
     けれども。
     それはジョウが知ってはいけない安らぎ。一度覚えてしまえば、温もりのない、ハミングバードとの生活が壊されてしまう。もうそこには居られなくなる気もした。
     子供にとって居場所がなくなること。
     本能的に、回避しなければと直感する。母親を求めてしまうことは、すでにない自分にとって夢を追うより難しい。
     だから決別するしかなかった。
     仲間の境遇と、自分は違うのだと。早くに自覚し、比べることで悩まされる、卑下や空虚に見舞われないために。なにせダンも家にはいないのだ。
     自分は自分として、しっかり自立していかなければいけなかった。
     強すぎる決意。
     その反動からか、ジョウはそれ以後ユリアを探し、慕った記憶がまるでない。それ以前にはあったであろう感情すらも、思い出せなくなっていた。

     アルフィンにとって、初めて明かされるジョウの幼き記憶。
     王と王妃の愛を、充分に注がれて育ってきたアルフィンにとって、それを自ら拒否してきた子供など想像できなかった。両親の庇護は生きていく上での大切な砦。今でもそう思う。
     だから、とてつもなく。
     ジョウがいかに孤独だったかを、感じ取ることはできた。そしてユリアの手紙。息子への溢れんばかりの想いが綴られているというのに、当のジョウと絡まり合う気配のない様子。本当は互いに求め合っているのに。すれ違ってばかりの想い。
     つん、と鼻の奥が滲みてきた。
    「……アルフィン?」
     隣の空気が、湿っぽい。気配に敏感なジョウは、それをすぐに察知した。
    「泣くなよ。こんな話し、ごまんとあるんだぜ」
    「……そうかもしれないけど」
     アルフィンは細い指先を目頭に当てる。だがその抵抗は意味もなく、するりと涙がチタニウム繊維の手袋を伝った。


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■300 / inTopicNo.9)  Re[8]: ラストレター
□投稿者/ まぁじ -(2002/11/13(Wed) 15:21:36)
    「俺はまだいい。あんな親父だが、いることはいる。リッキーに比べれば大したことないさ」
    「……そうなんだけど」
     今、隣にいるジョウの方が、不憫に思えた。
     過敏になってしまうのも、アルフィンの中で、ジョウとリッキーに対する気持ちの注ぎ方が違うだけではない。アルフィンは感じた。リッキーの方が根本的にタフなのだと。生まれながらにして浮浪児という宿命が、リッキーの根底を最初から強く鍛え上げている気がした。
     比べて。
     ジョウの方が案外、繊細な部分があるのだと。そんな素振りは一切見せないだけに。喜怒哀楽がオープンなリッキーと、常に自分をコントロールし続けているジョウとでは。
     根本的な差が、歴然として見えた気がした。
     だから余計に。無理をしているジョウの方が、不憫でならない。
    「苦手なんだ、同情は」
    「……同情じゃないわ」
    「なら、泣くのは止めてくれないか」
    「……ええ」
     アルフィンは指先で涙の跡を消した。それを見届けてから。ジョウは声のトーンを少し、明るく意識する。
    「ま、これはさ。親父がおふくろの意志を継いだってだけで、充分な代物なんだ。今更、俺にとっちゃ何をしてくれる訳じゃない。おふくろには悪いが」
    「……たぶんね」
     アルフィンはすんと息を吸い上げると、封筒を手にして言を継ぐ。
    「たぶん、ジョウのお母さんの言葉って、これから分かることだと思うの。いつかジョウにも大切な人ができて、家族をつくって。そうしたらまた、読むことを勧めるわ」
     できることならば。
     その時に勧められるのが、自分でありたいと。アルフィンは胸の中に閉じこめているジョウへの想いに向かって、小さく呟いた。
    「難しいな、それも」
    「そうなの?」
    「結婚とか家族って、今の俺にとっちゃ遠すぎる。それすら危うい」
     そして軽く笑って見せた。
     アルフィンの想いが空振りする言葉。しかし、ジョウらしい言葉でもある。
     するとジョウはデスクの上にあった、封筒が入っていたケースを取る。アルフィンに手渡した。もう仕舞ってくれ。そういう仕草だった。

     アルフィンは受け取る。随分と古い型のレターケース。だがその形状が、アルフィンのある記憶と合致する。
    「これって」
    「なんだ」
    「昔、あたしも貰ったことがあるケースだわ。……知ってる?」
     ジョウは少しだけ首を捻った。
    「……確かここをね」
     アルフィンの指は、ケースの内側にある微かな膨らみを探り当てた。
    「ここを押すと、オルゴールが流れるのよ」
    「へえ」
    「映像でもなんでも流せちゃう時代だったけど。こういうクラシカルな仕掛けが、流行ってた時のケースよ、これ」
     何の考えもなく。アルフィンは僅かな膨らみを押した。
     するとケースの中から。ぜんまい仕掛けのような、メロディだけの音がゆっくりと洩れた。テラの音楽家、モーツァルトだったか、ブラームスだったか。アルフィンも忘れかけてはいるが、音色だけは耳に慣れ親しんだ子守歌だ。
    「……懐かしいわ」
     アルフィンの口元が、ふっと無邪気に緩んだ。
     その隣で。
     ジョウの態度が硬くなっていることに。アルフィンは少し遅れてから気がついた。


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■305 / inTopicNo.10)  Re[9]: ラストレター
□投稿者/ まぁじ -(2002/11/14(Thu) 12:05:10)
     身体が小刻みに震える。寒いせいではない。ジョウの奥底に沈められていた、開かずの扉が、今まさに重々しく開く感覚に対する、恐怖からだ。
     それを押さえつけようとも、一旦、鍵穴が合ってしまった扉は。ぎしぎしと、音を立ててゆっくりと動き出す。ジョウの眉間の辺りに、光がぱららと瞬く。
     フラッシュバック。
     見てはいけない。
     直感的にジョウは両手で目元を覆った。
    「……ジョウ?」
     アルフィンが気配の異変に気づく。
     隣にいるジョウは身体をくの字に折り、頭痛でも堪えるように両手で目の前を隠していた。
    「ど、どうしたの」
     声色が不安で濁る。ジョウの肩先に手を掛けた。
     しかし。
     ジョウの身体がそれを拒否した。言葉でも抗う。
    「……くれ」
    「え、なに?」
    「……その音を消してくれ」
     アルフィンは、手元にあるレターケースに視線を落とす。オルゴールを消せという意味。しかし何故。少しのあいだ戸惑っていると、ジョウの左手が即座に払った。
     レターケースが飛ぶ。
     アルフィンの手の上から弾け、床の上に低くバウンドする。そしてくるりと回転し、止まった。が、音は止まらなかった。ちりちりと音色を奏でる。
     ジョウは膝に頭を突っ伏すようにして、身をより小さく屈ませた。
    「どうしちゃったのよ」
     アルフィンの声が焦る。
     しかしジョウの耳朶に響くのはそれではない。
     
     (ダディ、どうしてさ!)

     子供の声だ。
     子供の声が、洞窟の中で共鳴するように、わんわんと響く。ジョウの頭の中で。
     
     (マムはどこ? どうして僕にはマムがいないの?)
     
     (逢いたいんだ。寂しいんだ。どうせダディは、僕のことなんかどうでもいいくせに!)

     (怖い夢を見たんだ。マムが死んじゃう夢。でも僕にマムがいないってことは。そういうこと?)

     (どうすれば会える? 僕が危なくなれば、マムは助けに来てくれる?)

    「……畜生」
     震える声で。ジョウは、アルフィンには見えない“何か”と格闘する。
     ユリアを“求めてきた記憶”。
     それがジョウに刻まれていない訳がなかった。
     精神を安定させる為に、人間の脳は時に勝手な操作をする。記憶の封印。もしくは喪失。脳が“耐えられない”と判断する出来事は、そのように整理される。
     整理された記憶は、タグのように少しだけ目印を残し、ジョウの脳裏に残される。タグは、仲間の家での母性に接触した時の危機感だ。触れてはいけないと、回避させるセンサーとなる。
     実はそのタグを引きずり出すと。
     それ以前のジョウがずるずるとしてきた、ユリアへの濃密な想いが隠されていた。オルゴールのメロディは。封印していた数々の鍵のうち、最後の歯止めでもあった。
     日常生活で、例えこの音を耳にしたとしても。単なる名曲、と聞き流される。しかし今日は違う。ありとあらゆる手段で、ひとつずつ、ユリアに関する記憶の鍵が外されていた。手順を追って。
     だから今、オルゴールのメロディが。
     最後の鍵として機能してしまった。


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■306 / inTopicNo.11)  Re[10]: ラストレター
□投稿者/ まぁじ -(2002/11/14(Thu) 12:06:52)
     また眉間の辺りに。
     星の瞬きのような光が映った。

     ジョウの脳裏に。若き日のダンが浮かぶ。
     ずっとずっと低い位置から、ジョウはダンを見上げている。力では勝てない。全身でぶつかってもかなう相手ではない。
     負け犬の遠吠えのように。
     ありったけの言葉を、矢のように放出するしかなかった。

     (お前がそんな弱虫では、ユリアが哀しむ)
     (どうして分かるのさ! ダディはどこかでこっそり、マムと会ってるから?)
     (私を通して、お前を見ている)
     (分からないよ! 会わせてよ。僕とちゃんと話をさせてよ!)
     (聞き分けのない子だ……)
     (いくらいい子にしてたって。マムが帰ってきたことなんて、一度もないじゃないか!)

     ダンがフェードアウトする。また場面が変わった。
     小さなベッドのある寝室。寒い夜は、毎晩予めハウスキーパーが温めてくれた部屋。けれどもピローが濡れて冷たく、眠れない夜が何日も続いたこともあった。

     (坊ちゃん……)

     姿は見えない。影が濃い。
     ただ年老いた女の声。

     (お母様の子守歌を聴きましょう。お母様は、あなたがお腹にいた時から、それはそれは
      このオルゴールを後生大事になさってね)
     (これが……マムなの?)
     (聴けば分かりますよ。心がとっても優しくなれますから)
     (……ほんとだ)
     (この子守歌はね、お腹にいた坊ちゃんに聴かせると、嬉しそうに動くのよ、と。
      お母様が宝物にしてきたんですよ)
     (けど……)
     (けど、なにか)
     (これじゃ、僕を抱きしめてはくれないね)
     (坊ちゃん……)

     嫌な汗だ。
     脂っぽい汗が、ジョウの皮膚という皮膚から浮き上がってくる。
     あの辛かった日々。そしてジョウ自身、二度と思い出したくもない光景。意識の最も下に、追いやったはずの過去。ジョウの弱点。
     クラッシャーとして積み重ねてきた経験と自信。簡単には揺るぎようのない、強固な精神力。それは訓練で鍛えることができた。しかし実際、積み木でいえば、足場の部分が歯抜けた状態でもあった。
     土台にユリアという、本来あるべき積み木が抜け落ちているせいで。
     ジョウは向き合うことができずに育ってきた。ユリアに対する想いを完全に昇華せずに、無意識とはいえ、知らない素振りをする方が楽であることを選んだ。
     人は、過去と向き合い、過去を精算しなければ、本当の自分として築き上げられない。
     まるでそれを指摘するように、弱点を集中的に責めるかのように。ジョウの目の前に、屠った筈の生々しい感情が繰り広げられた。
     これをクリアできなければ、本当の意味での前進とはならない。誰かがそう、告げている気がジョウにはした。


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■307 / inTopicNo.12)  Re[11]: ラストレター
□投稿者/ まぁじ -(2002/11/14(Thu) 12:08:42)
     また、景色が飛んだ。ブラックアウトする。
     今度は何の場面も浮かんでこない。ただ漆黒の闇に包まれただけだ。

     (マム!)

     (マムはどこ?)

     (こんなに僕が探してるのに。どうして会いに来てくれないのさ)

     (……嫌いだ)

     (マムなんて、大っ嫌いだ!)

    「……うっ」
     屈み込んだまま、ジョウは呻く。子供特有の無遠慮な、感情の爆発。もみくちゃになる愛憎。コントロールなどという、小手先が通用しない意識の暴走。
     ジョウの背中の震えがさらに大きくなった。
     隣にいるアルフィンはもう、おろおろとはしていられなかった。
     咄嗟に。
     ジョウの身体に腕を回し、ぎゅっと抱きしめた。そして頬も背にすり寄せる。クラッシュジャケットの特殊繊維の隙間から、激しい鼓動が聞こえる。
     何かに怯えている。
     そんな緊迫感がジョウから伝わってきた。アルフィンは回した手が触れた部分を、ただ夢中でさすってやるしかできないでいた。

     過去と対面したことで。
     自立を意識し、今日まで自分を偽ってきたもろもろの鎧が、剥がされていく気がジョウはした。虚勢、自信、経験、そういったジョウをカバーしてきたものが、散り散りになっていく。
     残されたものは。
     かすり傷さえも鋭い痛みに感じてしまう、脆い、子供の姿。膝を抱え込むしか、防御の術を知らない子供。
     母性に飢えた、子供の頃の自分。求めても、求めても、決して報われなかった想い。物心がついた頃から、幼いジョウは疑問と不安に苛まれない日々はなかった。
     何故自分には母親がいない。
     亡くなったとようやく教えられたのは、まだもう少し後のこと。事実を打ち明けられるまでの間、ダンもハウスキーパーも、ずっとジョウにユリアの存在は濁してきた。
     いるような。いないような。
     手探りのような存在。
     けれどもジョウの中には、はっきりと、ユリアがいたという確信があった。ただその姿を一度とて、確かめたことはない。
     本能だった。子供が、母親を求める本能。脳裏にある膝を抱えた子供は、その感情に素直な時期のジョウだ。
     ユリアが残した母性が底を尽き、新たな母性を注いで欲しかった時期。飢えていた。ジョウは酷く。母親の存在を確かめたくて、納屋に仕舞われたユリアの遺品を探し出したこともある。
     色褪せたドレスやガウン。しかしそれは黴臭くて、ジョウの身体の奥底にある母親の匂いの記憶とは違った。父親の書斎にも潜り込んだ。引き出しに写真があった。
     ジョウはその時に初めて、母親の顔を見た。
     その姿が。
     真っ暗な沼の底からゆらゆらと浮き上がってくる。立体感のない、のっぺりとした映像。だが映っていた眼差しは、ジョウを見つめてくれているようだった。
     眼差しだけは、生あるものの光が宿っていた。
     ジョウ、と。
     ただの一度も記憶のない声が、不思議と聞こえた気がした。動くはずのない写真の唇から。花のように繊細で、美しい面立ち。鏡に映る自分の髪と、同じ色をしていた。ユリアの場合、長く滑らかな髪。
     だがようやく掴んだ母の姿は。
     ジョウの小さな手のひらに収まってしまう。やっと出会えた悦びと、あまりにも小さい存在に。子供の胸は、訳も分からずかき乱されただけだ。

     それが初めての、母親との出会い。
     やがて。
     膝を抱え込んだ子供の頭上に、声が届く。音ではない。ウエーブのような響きだ。けれどもその響きは、言葉という形を成していく。
     手紙にあった言葉が、代弁する。

      『私はあなたの母親でいることより、ダンの妻であることを選んだ女。
       覚えているだけ辛いのならば、私のことなど忘れてください』

     ああ、忘れてやるさ。
     ジョウはやけっぱちな台詞を、胸の中で呟く。そうやってユリアを拒絶することでしか。失ってしまった後となっては、自分を保てる方法がなかった。
     それを幼いときに、痛いほど思い知ったのだから。

      『本当にごめんなさい。何ひとつ、あなたに残せなくて。
       本当にごめんなさい。何ひとつ、あなたへの責任をとれなくて』

     謝るくらいなら、そっとしておいてくれ。
     ジョウは抗う。
     ユリアを感じさせるもの。それが衣服でも写真でも言葉でも。ジョウの渇いた心の奥底を、ひび割れさせていく。ぼろぼろに崩れそうなまでに。だから触れないで欲しい。これ以上、逆撫でしないで欲しい。ジョウは哀願する。
     
      『あなたにとっては、迷惑かもしれないけど。
       ジョウ、あなたのことはずっと愛していきます』

     ユリアを拒否してきた感情が、ふと制止した。
     膝を抱えた子供が、その言葉の方角を探そうと首を巡らし始める。ジョウの本心が、ユリアに傾き始めた兆候だった。
     本当は。
     ずっとずっと、その言葉が欲しかった。
     感情表現が不器用なダンは、純粋な子供の欲求に巧く応えられずにいた。両親の愛が不足した子供が、真っ先にぶつかる疑問。
     何故自分はここにいる。自分は何のために生まれてきたのか。
     年中ほったらかしにされ、ダンは宇宙を駆けめぐる。ジョウの存在が、逆に邪魔と思えるほどの多忙な日々。食事さえ与えておけば、子供は勝手に育つ。そういう類の、子育てではなく、飼育といった感覚。子供の頃は説明できなかった、蔑ろにされた感覚。
     寂しさのなかで生きることが辛かった。最初から生など受けない方が、幸せにも思えたほどに。

     ジョウの中で。分岐点に立ち返っていく感覚が広がる。
     膝を抱えていた子供が、立ち上がった。道が二手に分かれていた。片方の道は知っている。その後、二十歳になるまで歩んできた道程だった。
     もう一つは、知らない。
     拒絶してきた道だったからだ。
     だが今度ばかりは。歩いたことのない道に興味が注がれる。誰かが手招きしている気さえする。子供のつま先は、吸い込まれるようにして。未踏の道程に、足を踏み入れた。
     闇のままだ。
     しかし、もう一方の道程とは違う。
     暖かい。ほっと安堵させる空気を感じた。

      『ジョウ、もし、自分が一人だと、孤独だと、とてつもなく寂しくなったら、
       こんな私でもいいのであれば、私の愛を信じてください。
       あなたのそばにはいつも、私はいるから。
       ジョウ、魂の上では決して、あなたを一人になんてさせない』

     20年経って、今になって、余すことなく降り注がれる母親の情愛。頭のてっぺんから、ジョウはそれを全身に浴びた。
     干上がったかさかさの胸の奥を、湿らせていく。満たしていく。荒れた大地だった部分が、海に姿を変えていくかのごとく。
     ユリアの想いが雨のように滴り、うねりへと形を変えていく。その流れに子供は身体をさらわれた。しかし、怖くはなかった。

      『本当に、愛しくて愛しくて……』
      
     言葉がリフレインする。そして子供を包み込む流れが、渦のように巻き始めた。抱きしめられていく感覚に似ている。
     頭を抱えたままの、現実のジョウは。
     溜息と共に、ああという感嘆を上げた。全身いっぱいに広がっていく。優しい感覚が。痺れるほどに。
     さっきまでの恐怖におののく震えは止まり、母性に溺れていく悦びに変わっていった。

      『本当に、愛しくて愛しくて。
       あなたを産んだことに何ひとつ後悔はありません』

     ジョウは、ユリアの微笑んだ顔を見たことがない。唯一見つけた写真でさえも、穏やかな表情を浮かべただけで。写真とはそういう物。
     しかし子供の頃のジョウの目の前に。慈しむように覗き込んでくる、ユリアの顔が近寄ってきた。
     うっとりと瞳を濡らし、柔らかく微笑みかけるその表情。純粋な子供の細胞に、鮮明にその光景が刻まれ始めた。
     命の火を灯していた頃の、温かな血の流れを感じさせる頃の。若く、可憐な、ユリアが。ジョウの顔をまっすぐに見つめ、唇を動かす。
     その動きは。
     愛しているわ、とジョウにも読みとれた。

      (マム……)

     子供が呼びかけると、ユリアの表情がより一層美しく和らいだ。
     通い合った、ようやく。
     そしてユリアの心の襞に、触れられた気がした。
     ジョウがずっと追い求めていた欲求が、満たされた瞬間。瞬く間に今まで感じたことのない、新たな力が沸いてくる実感があった。
     救われていく。
     歯抜け状態だった積み木の土台に、ユリアの想いが敷き詰められていく。精神の根底が。がっちりと形を成していくのを感じた。
     向き合えたのだ、やっと今になって。
     長きに渡り否定してきた事柄。思い出すだけで精神を蝕んできた過去が、今は。ジョウにとってかけがえのない物へと変わっていく。

      (おふくろ……)
      
     再び呼んだ声は、二十歳のジョウのそれだった。
     脳裏にはもう、膝を抱え、怯え、何かから逃れてきた子供はもういない。闇しかなかった。だがその闇はもう、恐れる必要もないことを。ジョウはようやく理解できた。

      (愛してるわ、ジョウ)

     ユリアの声が、優しく、響いた。


引用投稿 削除キー/
■308 / inTopicNo.13)  Re[12]: ラストレター
□投稿者/ まぁじ -(2002/11/14(Thu) 12:09:49)
    「……ジョウ」
     はっとする。
     重たい瞼をこじ開けると、指の隙間から景色が見えた。部屋だ。船室。住み慣れた自分の家。<ミネルバ>だと分かった。
    「大丈夫、ジョウ」
     聞き慣れた声がする。アルフィンの労るような声。
     不思議な世界から、現実へと着地したことをジョウは理解した。
     顔から両手を外し、身体を起こす。ほおと大きな息を、ひとつついた。アルフィンの身体が離れたことも、その時に知った。
    「……アルフィン」
     ゆっくりと首を、アルフィンに向ける。ジョウの瞳は、驚きとも戸惑いともとれる光を放っていた。
    「心配したわ。どうしちゃったの急に」
     ゆっくりと、アルフィンが顔を覗かせる。ジョウの視界に、サファイアのような碧眼が瞬く。
     咄嗟に。
     ジョウはアルフィンの身体を両の腕で抱きしめた。
    「……な、なに?」
     ジョウは腕いっぱいに、華奢な身体にしがみつく。ジョウの肩に顎を乗せた格好で。アルフィンは苦しいけれども、我慢した。
    「……やっぱり、かなり変だ」
     だがジョウのその口調は、さっきの戸惑いや皮肉とは違う。
     悦びのような音色が響いていた。
     アルフィンはほっと胸を撫で下ろす。だが、ジョウの抱擁はまだ続きそうで、アルフィンの胸はまだ忙しく働かなくてはならない。
    「変って、今日のこと?」
    「……ああ」
    「急に具合でも悪くなったの?」
    「意識が変な所に行ってた」
    「変な所?」
    「……うまく、説明できないな」
    「けど、なんだかすっきりした声してるわよ」
     少し、アルフィンを抱くジョウの腕の力が緩んだ。
     だからアルフィンの細腕でも、ようやく剥がすことができた。少し離れることで。2人の間に、互いの顔を見合う距離が生まれた。
     密着しすぎては、表情が見えない。
    「びっくりしたわ。本当に」
    「……俺も驚いた」
     訳が分からないアルフィンは、その指先をジョウの額に触れる。汗が滲んでいたせいだ。ジョウが自分で拭おうとしないから、アルフィンが代わりにそうしてやる。
     アルフィンに汗を拭われながら、ジョウは言を継ごうとする。さっきの感覚はどうしたって説明できない。けれども、何か感想を述べなければならないほど、興奮もしていた。
     声に、熱っぽさが帯びる。
    「……分かったんだ」
    「なにが?」
    「あの手紙が、とんでもない代物だってことが」
     アルフィンの碧眼が丸く開かれる。そして小さく笑いかけた。
    「あたしには最初から分かってたわよ」
    「……どうせ。その方面は鈍いって言いたいんだろ」
     アルフィンの笑いは、その類かとジョウは思い、自分から言葉にした。
    「ううん」
    「じゃ、なんだよ」
    「嬉しいだろうなあって。ジョウのお母さん」
    「嬉しい?」
    「今日届いたのよ。ジョウの気持ちに。お母さんからのプレゼントが」
     アルフィンの言葉に。さっき見たユリアの顔が、脳裏で微笑んだ気がした。
     あの手紙が他人事などとは、もうジョウには思えない。実感がさらに熱く沸き、胸を焦がした。
     ユリアの想像通りに。今より若い年代でこの手紙を読んでいたとしたら。息子よりも夫を選んだ母親として、ジョウには擦り込まれただろう。
     しかし今は、ユリアがその苦渋の選択をした意味が理解できた。
     同時に、それが正しかったことも。
     本能とも呼べる母性に従えば、当時のユリアにとって、ジョウが何よりも優先されただろう。となれば、ダンも引きずられ、クラッシャー稼業は存続していたか、アラミスも今の地位を確立できたか。分からない。
     それだけでなく。
     クラッシャージョウという人材も、生まれることがなかったかもしれない。
     ユリアは23という若さで、そんな未来のことまで思案できる。アルフィンが真っ先に口を継いだ感想も、ジョウにはよく理解できた。
     聡明な母親だった。
     最初で最後の手紙を、二十歳の誕生日に焦点を当てて贈りつけたことも。
    「グッドタイミングだな」
     色々な意味を込めて、ジョウはそう言葉にした。
    「さすがは親子ってところね。ジョウのお母さんも、議長も。二十歳の記念日に、味な演出だわ」
    「親父はどうだか……」
     ジョウはダンに対して、相変わらずの反応を示したが。
     一体ジョウの中で、何が起こったかはアルフィンは分からない。しかし、目の前のジョウを見ていれば分かることもある。さっきとは違い、気持ちが根底から晴れ晴れとしているのを感じた。
     アルフィンは単純に事を捉えようと思った。
     ユリアの情愛がたっぷり注がれた手紙が、長年のジョウの渇きを癒したのだと。その特別な事態に立ち会えた。
     アルフィンにとっても、喜ばしいことだった。


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■309 / inTopicNo.14)  Re[13]: ラストレター
□投稿者/ まぁじ -(2002/11/14(Thu) 12:14:35)
     ユリアの手紙をじかに読んだアルフィン。
     実はアルフィン自身にも、ユリアからの影響が胸の中で起こっていた。母性の破片が突き刺さったのである。そこから感じとるものがあった。
     肉体を失ったユリアが、アルフィンを通して伝えてほしいことを。言付けのようなものがあることを、同性のアルフィンには理解できた。
     だからそれもジョウにきちんと届けなければ。アルフィンはそう思った。
    「ねえ、ジョウ」
     呼ばれて、碧眼を見返す。
    「あの手紙を読んで分かったの。お母さん、ジョウにあげたいものがもう一つあるんですって」
    「そんなこと書いてあったか?」
    「男の人には読めない文字で書いてあったの」
    「よく分からんな」
     ジョウは顔を僅かにしかめる。女とは不思議な生き物だ。
     繊細な感受性のアンテナをもった生き物。そういう目でジョウはアルフィンを見つめる。
     すると。
     アルフィンの喉元が眼前に近づいた。
     額に。
     甘く、柔らかな感触が押しつけられる。
    「ア、アルフィン?」
     ジョウは動じた。突然の不意打ちに。
     アルフィンは再びジョウの目の前に、悪戯っぽい笑顔を見せるよう姿勢を戻した。そして。
    「こういうことよ」
     と、余裕たっぷりに付け加えた。
    「……参ったな」
     ジョウの頬に、うっすらと赤みが射した。
     もちろんアルフィンも、こうするには勇気がいるのだが。今回はユリアの後押しがあった。それにどちらかというと、母性愛のような口づけでもある。
     だから平然とできた行動だ。
     自分の恋愛感情では、まだそこまでジョウに押しつける自信がない。なにせジョウの、アルフィンに対する気持ちが見えてこないせいで。
     はっきりとジョウが、アルフィンに特別な感情を抱いていることが伝わってくれば。ドライビング・グローブの他に、甘い贈り物を追加したくもある。
     けれども今回は。ユリアのために遠慮しようと思った。
     今、目の前にいるジョウは、亡き母親と心がつながり、隠し続けてきた暗い記憶が晴れたばかりだ。そんな親子水入らずの時に、アルフィンがしゃしゃり出る幕ではないことも理解する。
     本当は、ジョウへのプレゼントは当日に渡したかった。
     けれども今回は、譲ろうと決める。自分のプレゼントは明日渡しても変わらないのだから、と。
     折角ジョウの船室にまで持ち込んで来たものだが。アルフィンは気取られないよう、それを運び出すことに意識を移した。
     
     その部屋を出ようとするアルフィンの雰囲気を、ジョウは察した。ユリアとの話題が一区切り着いた。あたしの役目は終わったわ、という感触を。
     ジョウは、まだ帰って欲しくなかった。それを引き留めるために、ジョウは姿勢を崩す。
     アルフィンの背後から手を伸ばし、脇にあるブランケットに手を探り入れる。
     するりと抜き出し、ラッピングされた物を碧眼の前にかざした。
    「……ところでこれは何だ」
     さっきまでの照れた表情は消え、いつもの余裕たっぷりのジョウの笑みだ。
     いつの間に。
     というか、やはりジョウに隠し立ては難しかった。どんな事態であっても。
    「やだ……ばれてた?」
    「分かるさ。アルフィンの考えそうなことくらい」
    「でも、今日は駄目」
    「どうして」
    「だって、お母さんのプレゼントがインパクト強すぎよ。あたしのが霞んじゃう」
     ジョウは軽くかぶりを振る。
    「比べるもんじゃないだろ」
    「けど……、どうしたってジョウを感動させる自信はないわ」
    「もう大いに感動してる」
    「なんだかそれ、リップサービスっぽいわ」
     アルフィンは唇を尖らせた。ジョウにはそれが愛らしく映る。
     思いがけないところで、アルフィンに自分の素顔を晒してしまった。しかし清々しくもある。素の自分をアルフィンが受け止めてくれたこと。それも同時に嬉しかったことだ。
     11月8日、二十歳の誕生日。ジョウにとって、一生忘れられない一日になった。アルフィンがいてくれたおかげで。より、一層に。
     そしてジョウの手は、アルフィンからのプレゼントを開けていた。
     馴染みやすそうな、シープスキンのドライビング・グローブ。アースカラーの色合いもシックで、大人の男への贈り物という心遣いも伝わってくる。
    「なるほど……」
    「なに?」
    「これって結局さ。ドライブへ連れて行け、そういうおねだりかい?」
     ジョウは拳を顎に当て、そんなことを言い放つ。
     少し意味合いは違うが。
     アルフィンにとって、プレゼントから何かを感じ取ってもらえることは嬉しくもある。だから、そうよ、と付け加えた。
    「それじゃ、次の休暇でお礼とするか」
    「ほんと?」
    「ああ」
     アルフィンは両手を胸元に当て、満面の笑みをほころばす。ジョウはその隣で、さっそくグローブを嵌めてみた。オーダーメイドのように、ぴったりと馴染む。
     女の観察力というのは、恐ろしく正確だな。と、胸の中で呟いてもいた。
    「分かる? オーダーメイドよ」
    「そうなのか。しかし、いつの間に……」
    「ふふふ。ジョウの手のサイズくらい、いくらだってとれるわよ」
     アルフィンはそう、満足げに言い放った。
    「有り難く使わせてもらう」
    「そうしてね」
     小首を傾けると、金髪が胸元でさらりと流れた。
     その目映い仕草を見て、ジョウは。
    「あとは?」
     妙な言葉を投げかけた。
    「え? あとって?」
     アルフィンは瞬きを繰り返す。
    「おふくろからは、もうひとつプレゼントがあった」
    「……え」
     アルフィンの胸がどきりと跳ねる。
    「それも欲しいな。アルフィンから」
    「だ……だって……」
     碧眼が泳ぐ。そんなリクエストがあるなどとは。予想だにしていない。
     そしてジョウ自身。随分すんなりそんな言葉が継げたと、自分でも内心驚いてはいる。照れ臭い要求は、ジョウにとって最も苦手とする分野だけに。
     しかし今は。
     こざかしい感情コントロールをするより、素直な態度を示す方が具合がいいのだ。ユリアから注がれた情愛のせいか。普段は捻くれてしまう感情の糸さえも、やけに真っ直ぐなままだ。
     だから素直にそんなことを口に出来た。

     狼狽えるアルフィンの顎を、ジョウは片手でくいと僅かに上げてみせる。ふっくらとした唇を、ジョウの瞳が捕らえた。ずっと以前から、ジョウを誘惑してきた唇だ。
     欲しかったのだが、正直になれずにいた。けれども今は違う。
     ジョウは感情に従い、ゆっくりと顔を近づけていった。
     そして。
     瞼を閉じたままアルフィンの唇を探り当て、奪う。
    「……ん」
     思わずアルフィンは声を洩らし、ぎゅっと拳を握る。
     ジョウの唇の温もりが、アルフィンの呼吸を止めてもいた。甘い感覚が、触れ合った部分から広がっていくのを感じる。
     ジョウは軽く吸い上げると、音を鳴らして唇を外す。
     今度は顔色ひとつ変えずに、にやりと笑って見せた。不意打ちでなければ、赤面などという失態を見せずに済むことをジョウは知った。二十歳の余裕。そこに気づく。
    「……いいな誕生日ってのは。色々もらえてさ」
    「これって」
     アルフィンは肩で息をする。
     そして白い肌を真っ赤に染め、震えそうな口調で言葉を返した。
    「勝手に盗んだっていうのよ」
    「じゃ、返すかい」
    「も、もういいわよ!」
     恥ずかしさのあまり、アルフィンはジョウに背を向けた。くっと、ジョウが笑いを噛み殺している様子が耳朶をくすぐる。それがだんだんと近づき。
     ジョウは背から、アルフィンを抱きしめた。
    「色々と感謝する」
    「ど、どういたしまして」
     時間が許す限り。ジョウはアルフィンとそうしていたかった。


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■310 / inTopicNo.15)  Re[14]: ラストレター
□投稿者/ まぁじ -(2002/11/14(Thu) 12:11:36)
     そんな降ってわいたような甘いムード。
     だが、この<ミネルバ>で、長く持つ訳がなかった。
    「兄貴ー!」
     船室のドアが、けたたましくノックされる。リッキーだ。ジョウは舌打ちするとベッドから立ち上がり、ドアへ出向く。空圧が抜ける音がして、ドアがスライドした。
     同時に、どんぐり眼がひょいと顔を突っ込んでくる。
    「管制室から連絡が………っとととと」
     船室の中にアルフィンがいて。
     リッキーは慌てて目の前を片手で隠す。
    「お……お邪魔でしたか……」
     リッキーは密室で2人きりという状況から、とあることを連想した。
    「ませた勘ぐりすんな」
    「だ、だってさあ……。誕生日にアルフィンと一緒ったらねえ……」
    「プレゼントを受け取ったまでさ」
    「げげっ! こーんな真っ昼間からもらっちまったのかい? 兄貴もムードねえなあ」
    「……なにい?」
     明らかにジョウの機嫌を損ねているというのに。
     16になったリッキーは、さすがにそれにも順応してきたのか、多少のことでは怯えなくなっていた。
     そして両手を組み、身体をしならせながら。ジョウをからかうような態度をして見せる。
    「だってさあ、兄貴もアルフィンもいい年なんだし。“あたしをアゲル”ってやつ、なんだろ」
     何かの受け売りのような発言に。
     アルフィンがすっくとベッドから立ち上がる。
    「ばっかじゃないの?! あんた変な雑誌の読み過ぎよ!」
     リッキーの余計な一言が。
     折角の甘いムードを中断させるだけでなく、余韻すらもかき乱していく。
     ぶち壊しだ。
     すべて。
     ジョウはぐいと、リッキーの首根っこを掴む。そのままずるずると、通路を引きずって出た。
    「あんだよ! ムキになるってのが怪しいじゃんか」
    「お前最近、生意気が過ぎるぞ!」
    「俺らだって、いつまでもガキじゃないんだぜ」
    「やかましい!」
     確かに。
     ジョウとしてはその気が全くなかった訳でもない。しかしながら、いつ何処で沸いてくるか分からない、お邪魔虫がいるのだ。<ミネルバ>には。アルフィンとの密会は危険すぎる。
     分かっているからこそ、せめて。甘い時間だけでも長く共有したかったというのに。とんだ顛末となった。
     ジョウに無理矢理引きずられ、ブリッジへと向かうリッキー。一気に色気のない現実が訪れ、アルフィンは見送りなが大きな溜息をついた。
     今日のジョウは、いつもの隙のないジョウとは違っていただけに。アルフィンが潜り込めそうな、心の門戸が開いていた。こんなチャンスは滅多にない。
     素直だった。ジョウはとても。機嫌を見計らわないと、ジョウは難しい所があると思っていただけに。アルフィンにとっても、それは大収穫だった。
     ユリアの深い情愛が、ジョウの本当の姿を少しばかりアルフィンに見せてくれたとさえ思える。ある意味、アルフィンにとってもプレゼントを貰ったようなものだった。

     だからこそ、手紙を綴ったユリアは。自分をとても、過小評価しているとアルフィンは思う。
     ダンを愛し、クラッシャーを愛し、ジョウを愛し。そして、自分にまで幸せな気分をもたらしてくれた。その無限の想いを、アルフィンは深く思い知る。
    「お母さんが理想だったら、あたし、かなわないかも」
     独り言を呟く。別な意味の溜息と一緒に。
     認めないだろうが、ジョウは少しばかりマザー・コンプレックスの兆しがあるだけに。今日そんなことにも気づけた。
     そして床に落ちたままのレターケースを拾い上げる。ループの設定回転が終わり、オルゴールは止まっていた。大事なプレゼントである。アルフィンはそれを丁寧に片づけた。
     しかし、何かひとつを片づけると。
     この散らかった船室が酷く気になってくる。
    「まったく、しょうがないわね」
     アルフィンは腰に手をやる。収納はジョウに任せるとして、散らかったものだけをまとめ始めた。このお節介な仕草が、母親らしさを醸し出していることを、アルフィン自身は気づいていないが。
     だがその最中に。
     一冊のファイルから、何かがひらりと落ちた。
     アルフィンのつま先に裏返る。拾い上げてみると、それは古い写真だった。
     黒髪と見間違える、ダークブラウンのロングヘア。花のように可憐な顔立ち。
    「これって……」
     ユリアだ。そう直感した。
     ジョウは見つけられなかったというのに。一体出所は何だろうと、アルフィンはファイルの表紙を見る。<ミネルバ>のマニュアルだった。クラッシャーとなり最初に手渡されるものの、多くは一生開かれることはない。
     そもそも船の構造や機構システムは、身体で覚えていくものだからだ。
     そして<ミネルバ>には、何よりタロスがいる。
     経験豊富な生き字引だ。
     ユリアの穏やかな表情を眺めながら、アルフィンはまた独り言を洩らす。
    「顔も覚えてないなんて言ってたけど、嘘ね、きっと」
     これほど美しい母親であれば。息子として自慢でもあろう。姿形ではなく、印象として相当強烈に残されているに違いないと思えた。
     かなわないかも。と、またも弱気になる。
     だがアルフィンはまだ18だ。あと5年もの間に、何が起こるか分からない。そしてアルフィンの将来にとって、いい手本を知ることは大事なことでもあった。
     ユリアも、エリアナも。
     目指せる対象がある。これは、アルフィンの今後の成長にとって強みでもあった。

     そして。
     ジョウの偉大すぎる母親。アルフィンを僅かに及び腰にさせる存在。しかしそのユリアも、かつては恋する一人の女、少女でしかなかった時代がある。
     アルフィンも、ジョウも、知らない裏舞台。
     別の場所に。
     それを知っている男達がいた。
     以前、こんな会話が交わされていた。
     バードが初めてアルフィンを見たとき。タロスに告げていた台詞。
    「たしかにそういう雰囲気がある。あの子、そっくりじゃねえか。ユリア姐さんに」
     この台詞が。
     ジョウとアルフィンの将来を言い当てているとは。
     当のジョウとアルフィンにとって、この時はまだ、知られざる事実でもあった。


    <END>
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■311 / inTopicNo.16)  Re[15]: ラストレター
□投稿者/ まぁじ -(2002/11/14(Thu) 12:16:35)
    <あとがき>

    あのぅ、今更気づいたのですが(^^;)。
    私は普段、寝助使いでありまして、文字組の1行が長いのです。さきほど、
    何気なくIEでこれを読んでみたら、なんとまあ、手紙の部分が特に読みづらい。
    内容のみならず、文字構成もこんなになっちゃって。読んで頂いた方には
    「お疲れさまでした」とお詫び申し上げます(^^;)。
fin.
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