| 宇宙という大海にくりだしてわずか2年だというのに、<ミネルバ>は、はやばやととドルロイにドック入りすることになった。簡単な修理や船体チェックではなく、オーバーホールという大がかりな手入れを必要とするほど、くたびれてしまった。 それもこれも、チームリーダーの扱いが荒っぽい。その上、無理難題に応えきれるクラッシャー歴30余年の、名パイロットがワンセットなのだから致し方なしといえよう。 外洋宇宙船<ミネルバ>にとっては、ラッキーなのかアンラッキーなのか、天国と地獄が同居しているようなものだった。 一旦ドックに入れてしまうと、クルーは居住空間を別に移さなければならない。宇宙船が、家。それが宇宙生活者のライフスタイルだった。 とはいえドルロイは、クラッシャー御用達の工業惑星。2、3のホテルと提携しており、今回の仮住処を選んだのは、老クラッシャー・ガンビーノだった。ドルロイはもともと海洋惑星であるため、ホテルはほとんどリゾートタイプ。味気ないビジネスタイプは皆無だった。つまりある意味どのホテルでも、くつろげることに変わりはない。 だがガンビーノは、数年前に様変わりしたナイマン島に建つ、ホテル・フォーエバーにこだわった。というのも、海洋生物が一時消滅した海原だが、それをいいことにアクア・レジャー施設を拓く計画を進めていた。<ミネルバ>が降り立った時には丁度、オープンしたてとタイミングが合った。 このレジャー施設・ブルーラグーンは、水をテーマにするアトラクションが建設された、いわば遊園地だ。12才のジョウが、こぞってリクエストするのなら理解できる。が、お年寄りのガンビーノが、なぜ頑として意志を通したのかわからなかった。 だが。 タロスが、ホテルのバルコニーから地上を見下ろして、ようやく合点がいく。最上階の7階からでも、人工の砂浜を敷いた上を歩く、人の様子くらいはなんとなく分かる。 「若けえもんの、新しいたまり場ってとこですかい」 「ぴちぴちした、イキのいいギャルが大漁じゃろう」 「爺さん……」 頭が痛い。 タロスは大きな手を、額に当てた。 髪も、眉も、髭も、なにもかも真っ白なガンビーノは、100人が見たら100人が好々爺と口を揃えるほど、理想の老人といわしめる容貌である。宇宙のならず者とも呼ばれるクラッシャーとは、恐らく誰も一発では当てられない。 その一方で、無類の女性好きでもあった。しかしながら老体にムチ打って、無理に若い娘とつき合うというよりは、ちょっと茶をお供したり、お喋りしたりと、健全なアバンチュールを楽しむタイプではあった。それは今の年齢になってからのことだが。 バルコニーの下は丁度、人工砂浜とプールビーチが二層になって広がり、下界は目の保養の楽園。ガンビーノにとっては、完璧なお膳立てだった。 「タロス、お前も少しは若いエキスを吸収せんと、早よう老けるぞ」 まだ40代半ばなのだが、ガンビーノはお節介な口出しをした。 「仕事の刺激が、俺にゃ丁度いい」 「──ほ。お前も変わったよのう。昔はさんざ遊び回っておったのに」 バルコニーにしつらえた、籐製のリクライニングチェアでガンビーノはゆったりと横になっている。薄いブルーの半袖プリントシャツに、白の七分丈パンツ。テラの、ハワイアンスタイルを彷彿させるファッションだ。 さらにこれまた、いまひとつ似合わないレイバンのサングラスをかけている。ガンビーノはそれをひょいとずらし、鼻筋の真ん中あたりに引っかける。 上げずに、下げる、という無意識の仕草が老眼鏡を思わせてしまうあたり、老いは否めない。 「……補佐役の責任を、重く受け止めておるのはわかる。だがのう、ちいと、根詰めすぎじゃないかの?」 「任されたのが、おやっさんの一粒種だ。気を張るなってのは、土台無理な話だ」 タロスはバルコニーの柵に、前屈みでもたれかかる。筋肉に包まれた肉体がくっきりとわかるほど、身体にぴたりと合ったブラックTシャツにブルージーンズ。シンプルだが、それが却ってタロスのスタイルの良さを物語っていた。 ややウェーブがかかった黒い短髪が、潮風に揺れた。ムービースターばりの甘い目鼻立ちに、熟年の渋味が包み込む二枚目面。 多少顔に目立った傷跡が残りはじめても、タロスには映画のようなワンシーンがまだ似合っていた。 「ジョウを2年も見ておって、思わんか? あれは神経質に育てるタマじゃなかろう」 「確かに、おやっさんの血を引いてるだけはある。度胸がいい、身体能力は高い、頭のキレも抜群だ。クラッシャーの下地としちゃあ、完璧ですぜ。が、完璧すぎていけねえや」 「意味がわからん」 「……それだけの逸材だ。俺なんかが、下手なことを教えちゃなんねえ。ジョウを生かすも殺すも、こっちに責任がある。正直、プレッシャーだ」 ふむ、とガンビーノはサングラスを外し、柄の先でこりこりとこめかみを掻いた。タロスの口ぶりは、随分と自分を卑下した含みがあった。 ガンビーノはダンやバードと共に、長い年月、タロスとつき合ってきた。しかしながら、タロスはあまり自分の生い立ちを語らない。語らないということは、大概あまりよろしくない過去であることが通説である。 詳しいことは、ガンビーノですら知り得ないのだが、だてに長生きはしていない。よほどの苦労と荒れ狂った日々を過ごした男の匂いくらい、かぎわけることはできた。 「……もう、ええじゃろ」 タロスは、海原を望む姿勢のまま、鋭い双眸だけガンビーノに向けた。 「昔のことに、あれやこれや縛られておったら、おまえ自身が先に進めん。タロスは今や、クラッシャーとしては腕っこきのパイロット。それで、よかろう」 人生の酸いも甘いも知り尽くした者の声は、それだけで労りの響きがある。神に許されている気すらする。 しかしタロスは、口元を真一文字に結んだまま応えなかった。 「タロスはタロスのままでええ。だからこそ、ジョウを任せる気になったんじゃろうて」 ダンの思いを、ガンビーノは代弁するように語った。 タロスは。 潮風に乱された黒髪を、片手で掻き上げた。 「だとしたら、おやっさんも買いかぶりすぎだ。名プレイヤーが名監督になるとは限らない」 「頑固よのう」 ガンビーノは二、三かぶりを振った。 そこでふと過ぎる。ダンが、タロスと自分にジョウを任せたことは、単なる<アトラス>時代のチームメイトだけではないと。ジョウを教育することで、タロスも我が身を振り返り、人生の仕切直しを組み込ませたかったのかもしれない。 言葉数が少なく、感情をなかなか露わにしないダンではあるが。その石のようなおもての裏には、人としての温かな血、いや、熱い血潮が流れているとさえ思った。 小粋なことを。 ガンビーノは皺を深く刻んだ口元に、軽い笑みを浮かべた。 「そういや爺さん」 タロスはきびすを返し、柵を背もたれにした。厚い胸板を開き、両の肘を柵に引っかける。 「前々から忠告しておきたかった」 「なにがじゃ?」 「あれだ、爺さんのお宝。個人で楽しむにゃいいが、<ミネルバ>のリビングなんぞにほったらかしはまずい。ジョウの目につく」 「別によかろう、男の性じゃ。隠し立てする方が、却っていやらしい」 「オールヌードのエロ本が、そこいらに転がってるのは情操教育に悪影響だ」 ガンビーノは、若いエキスを吸うことに実に積極的な老人だった。死ぬまで男を忘れたくない。そのポリシーは立派であるが、単なる好き者と言った方が早そうだ。 「おまえが渡り歩いた女の数に比べれば、わしのお宝なんぞ可愛いもんじゃて」 「あのなあ、いちいちそういう所をほじくり返すな。それとこれと、次元が違う」 「同じじゃろ」 「いいや、違う」 ふん、とタロスは顔を背けた。 きっちりとジョウを叩き上げようと、肩に力が入っているタロス。そもそも素質がいいのだから、自由奔放に育てた方が大物になると考えるガンビーノ。 互いの教育方針が違い、それは交差しそうにもなかった。 「なら、おまえの言う教育とやらをしてやったらどうじゃ」 「あん?」 ガンビーノは再びサングラスをかけると、さんさんと降り注ぐ陽光を見上げた。 「ジョウも12じゃ。身体の成長に色々と戸惑いが生じる頃。保健の勉強とやらも必要なだと思わんか」 「…………」 「教科書通りの健全な、正しい知識とやらも、しっかり教え込んでもよかろう。わしのような男になることが不服ならの。ほーっほっほっ」 それは見物、と言わんばかりの高笑いだった。 「……俺ほど不適格な人間はいねえ」 タロスは、ちっ、と舌打ちした。 ガンビーノの言は一理あるものの、人には得手不得手がある。面をつき合わせて、一体どこから、何を切り出せばいいのか。タロスにはさっぱり見当がつかない。性教育など。 むろん、それを知りつつガンビーノはタロスに話を振ったのだが。 まばゆい陽の光が降り注ぎ、少し肌にべたつくが、心地よい潮風が流れるドルロイのベイエリア。ホテルのスイートという、贅沢な場所にいながらも、2人の空気はどこか重く垂れ込みはじめた。 すると。 客室のチャイムが鳴った。 「ジョウか?」 タロスは、窓を開け放ったリビングに向く。エントランスまでぶち抜きの空間だ。 ガンビーノはゆったりとリクライニングしたままで、起き上がろうともしない。こういう時ばかり、ガンビーノは年寄りぶって腰が重かった。 再びチャイムがなった。しかしながら独特の鳴らし方である。普通、ピンポン! と歯切れいいものだが、ピン……ポォ〜ン、ともったいぶった鳴らし方。 ホテルの従業員ではない。ジョウならば1度で出なければ、ドアをがんがん叩くだろう。 誰だ? タロスはいぶかしみながら、戸口へと移動した。なにせ来客の予定はない。だが警戒する必要もさしてなかった。ドルロイへ訪れるのは、クラッシャーのようなメンテナンスで用事がある者、遊びで訪れる者がほとんどだった。 ドア脇にある開閉スイッチを、タロスは軽いタッチで押した。 空圧が抜ける音がして、ドアがスライドする。 人影が現れた。しかもかなりの大柄。 すると。 「あ〜〜〜らぁ♪」 独特のハスキーボイスが響いた。 褐色の肌、流れるような黒髪にゴージャスな銀メッシュ。目が痛くなるような、いや、覚めるような超ド派手なピンクのクラッシュジャケット姿。いでたちだけでも充分目立つのに、隈取ったような目元、ぶ厚い唇に真っ赤なルージュといった、輪郭から立体映像のようにインパクトあるメイク。 一度見たら忘れられない。一度見たら充分とも言える。 なのにどうにも腐れ縁というやつが、この顔をちょくちょくと拝ませるのだった。 「フ……、フラ……」 タロスは両目をひんむいたまま、息をそれこそバケツ一杯分くらい呑んだ。 「いや〜ん、ダーリンじきじきのお出迎え? 幸先いいわぁ」 と、彼女(彼)はタロスに抱きついた。ついでに、放心状態のチャンスを逃さず、タロスの頬にぶっちゅううっ、と、それはそれは離れていた時間を埋め合わせるようなキスをくらわした。 「ぐあっ! や、やめろ、フランキー!」 「うふん。やあねぇ、照れちゃって♪ 相変わらずなんだからぁ」 そう。 この人は、顔合わせをしたこともないクラッシャーでさえも、名を知らぬ者はゼロといわしめるほどの有名人。おそらくクラッシャー歴にて、最初で最後ともまことしやかに囁かれているオカマ・クラッシャー。 クラッシャー・フランキー、そのご本人だった。
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