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■462 / inTopicNo.1)  Shake!
  
□投稿者/ まぁじ -(2003/05/21(Wed) 15:52:07)

     宇宙という大海にくりだしてわずか2年だというのに、<ミネルバ>は、はやばやととドルロイにドック入りすることになった。簡単な修理や船体チェックではなく、オーバーホールという大がかりな手入れを必要とするほど、くたびれてしまった。
     それもこれも、チームリーダーの扱いが荒っぽい。その上、無理難題に応えきれるクラッシャー歴30余年の、名パイロットがワンセットなのだから致し方なしといえよう。
     外洋宇宙船<ミネルバ>にとっては、ラッキーなのかアンラッキーなのか、天国と地獄が同居しているようなものだった。
     一旦ドックに入れてしまうと、クルーは居住空間を別に移さなければならない。宇宙船が、家。それが宇宙生活者のライフスタイルだった。
     とはいえドルロイは、クラッシャー御用達の工業惑星。2、3のホテルと提携しており、今回の仮住処を選んだのは、老クラッシャー・ガンビーノだった。ドルロイはもともと海洋惑星であるため、ホテルはほとんどリゾートタイプ。味気ないビジネスタイプは皆無だった。つまりある意味どのホテルでも、くつろげることに変わりはない。
     だがガンビーノは、数年前に様変わりしたナイマン島に建つ、ホテル・フォーエバーにこだわった。というのも、海洋生物が一時消滅した海原だが、それをいいことにアクア・レジャー施設を拓く計画を進めていた。<ミネルバ>が降り立った時には丁度、オープンしたてとタイミングが合った。
     このレジャー施設・ブルーラグーンは、水をテーマにするアトラクションが建設された、いわば遊園地だ。12才のジョウが、こぞってリクエストするのなら理解できる。が、お年寄りのガンビーノが、なぜ頑として意志を通したのかわからなかった。
     だが。
     タロスが、ホテルのバルコニーから地上を見下ろして、ようやく合点がいく。最上階の7階からでも、人工の砂浜を敷いた上を歩く、人の様子くらいはなんとなく分かる。
    「若けえもんの、新しいたまり場ってとこですかい」
    「ぴちぴちした、イキのいいギャルが大漁じゃろう」
    「爺さん……」
     頭が痛い。
     タロスは大きな手を、額に当てた。
     髪も、眉も、髭も、なにもかも真っ白なガンビーノは、100人が見たら100人が好々爺と口を揃えるほど、理想の老人といわしめる容貌である。宇宙のならず者とも呼ばれるクラッシャーとは、恐らく誰も一発では当てられない。
     その一方で、無類の女性好きでもあった。しかしながら老体にムチ打って、無理に若い娘とつき合うというよりは、ちょっと茶をお供したり、お喋りしたりと、健全なアバンチュールを楽しむタイプではあった。それは今の年齢になってからのことだが。
     バルコニーの下は丁度、人工砂浜とプールビーチが二層になって広がり、下界は目の保養の楽園。ガンビーノにとっては、完璧なお膳立てだった。
    「タロス、お前も少しは若いエキスを吸収せんと、早よう老けるぞ」
     まだ40代半ばなのだが、ガンビーノはお節介な口出しをした。
    「仕事の刺激が、俺にゃ丁度いい」
    「──ほ。お前も変わったよのう。昔はさんざ遊び回っておったのに」
     バルコニーにしつらえた、籐製のリクライニングチェアでガンビーノはゆったりと横になっている。薄いブルーの半袖プリントシャツに、白の七分丈パンツ。テラの、ハワイアンスタイルを彷彿させるファッションだ。
     さらにこれまた、いまひとつ似合わないレイバンのサングラスをかけている。ガンビーノはそれをひょいとずらし、鼻筋の真ん中あたりに引っかける。
     上げずに、下げる、という無意識の仕草が老眼鏡を思わせてしまうあたり、老いは否めない。
    「……補佐役の責任を、重く受け止めておるのはわかる。だがのう、ちいと、根詰めすぎじゃないかの?」
    「任されたのが、おやっさんの一粒種だ。気を張るなってのは、土台無理な話だ」
     タロスはバルコニーの柵に、前屈みでもたれかかる。筋肉に包まれた肉体がくっきりとわかるほど、身体にぴたりと合ったブラックTシャツにブルージーンズ。シンプルだが、それが却ってタロスのスタイルの良さを物語っていた。
     ややウェーブがかかった黒い短髪が、潮風に揺れた。ムービースターばりの甘い目鼻立ちに、熟年の渋味が包み込む二枚目面。
     多少顔に目立った傷跡が残りはじめても、タロスには映画のようなワンシーンがまだ似合っていた。
    「ジョウを2年も見ておって、思わんか? あれは神経質に育てるタマじゃなかろう」
    「確かに、おやっさんの血を引いてるだけはある。度胸がいい、身体能力は高い、頭のキレも抜群だ。クラッシャーの下地としちゃあ、完璧ですぜ。が、完璧すぎていけねえや」
    「意味がわからん」
    「……それだけの逸材だ。俺なんかが、下手なことを教えちゃなんねえ。ジョウを生かすも殺すも、こっちに責任がある。正直、プレッシャーだ」
     ふむ、とガンビーノはサングラスを外し、柄の先でこりこりとこめかみを掻いた。タロスの口ぶりは、随分と自分を卑下した含みがあった。
     ガンビーノはダンやバードと共に、長い年月、タロスとつき合ってきた。しかしながら、タロスはあまり自分の生い立ちを語らない。語らないということは、大概あまりよろしくない過去であることが通説である。
     詳しいことは、ガンビーノですら知り得ないのだが、だてに長生きはしていない。よほどの苦労と荒れ狂った日々を過ごした男の匂いくらい、かぎわけることはできた。
    「……もう、ええじゃろ」
     タロスは、海原を望む姿勢のまま、鋭い双眸だけガンビーノに向けた。
    「昔のことに、あれやこれや縛られておったら、おまえ自身が先に進めん。タロスは今や、クラッシャーとしては腕っこきのパイロット。それで、よかろう」
     人生の酸いも甘いも知り尽くした者の声は、それだけで労りの響きがある。神に許されている気すらする。
     しかしタロスは、口元を真一文字に結んだまま応えなかった。
    「タロスはタロスのままでええ。だからこそ、ジョウを任せる気になったんじゃろうて」
     ダンの思いを、ガンビーノは代弁するように語った。
     タロスは。
     潮風に乱された黒髪を、片手で掻き上げた。
    「だとしたら、おやっさんも買いかぶりすぎだ。名プレイヤーが名監督になるとは限らない」
    「頑固よのう」
     ガンビーノは二、三かぶりを振った。
     そこでふと過ぎる。ダンが、タロスと自分にジョウを任せたことは、単なる<アトラス>時代のチームメイトだけではないと。ジョウを教育することで、タロスも我が身を振り返り、人生の仕切直しを組み込ませたかったのかもしれない。
     言葉数が少なく、感情をなかなか露わにしないダンではあるが。その石のようなおもての裏には、人としての温かな血、いや、熱い血潮が流れているとさえ思った。
     小粋なことを。
     ガンビーノは皺を深く刻んだ口元に、軽い笑みを浮かべた。
    「そういや爺さん」
     タロスはきびすを返し、柵を背もたれにした。厚い胸板を開き、両の肘を柵に引っかける。
    「前々から忠告しておきたかった」
    「なにがじゃ?」
    「あれだ、爺さんのお宝。個人で楽しむにゃいいが、<ミネルバ>のリビングなんぞにほったらかしはまずい。ジョウの目につく」
    「別によかろう、男の性じゃ。隠し立てする方が、却っていやらしい」
    「オールヌードのエロ本が、そこいらに転がってるのは情操教育に悪影響だ」
     ガンビーノは、若いエキスを吸うことに実に積極的な老人だった。死ぬまで男を忘れたくない。そのポリシーは立派であるが、単なる好き者と言った方が早そうだ。
    「おまえが渡り歩いた女の数に比べれば、わしのお宝なんぞ可愛いもんじゃて」
    「あのなあ、いちいちそういう所をほじくり返すな。それとこれと、次元が違う」
    「同じじゃろ」
    「いいや、違う」
     ふん、とタロスは顔を背けた。
     きっちりとジョウを叩き上げようと、肩に力が入っているタロス。そもそも素質がいいのだから、自由奔放に育てた方が大物になると考えるガンビーノ。
     互いの教育方針が違い、それは交差しそうにもなかった。
    「なら、おまえの言う教育とやらをしてやったらどうじゃ」
    「あん?」
     ガンビーノは再びサングラスをかけると、さんさんと降り注ぐ陽光を見上げた。
    「ジョウも12じゃ。身体の成長に色々と戸惑いが生じる頃。保健の勉強とやらも必要なだと思わんか」
    「…………」
    「教科書通りの健全な、正しい知識とやらも、しっかり教え込んでもよかろう。わしのような男になることが不服ならの。ほーっほっほっ」
     それは見物、と言わんばかりの高笑いだった。
    「……俺ほど不適格な人間はいねえ」
     タロスは、ちっ、と舌打ちした。
     ガンビーノの言は一理あるものの、人には得手不得手がある。面をつき合わせて、一体どこから、何を切り出せばいいのか。タロスにはさっぱり見当がつかない。性教育など。
     むろん、それを知りつつガンビーノはタロスに話を振ったのだが。
     まばゆい陽の光が降り注ぎ、少し肌にべたつくが、心地よい潮風が流れるドルロイのベイエリア。ホテルのスイートという、贅沢な場所にいながらも、2人の空気はどこか重く垂れ込みはじめた。
     すると。
     客室のチャイムが鳴った。
    「ジョウか?」
     タロスは、窓を開け放ったリビングに向く。エントランスまでぶち抜きの空間だ。
     ガンビーノはゆったりとリクライニングしたままで、起き上がろうともしない。こういう時ばかり、ガンビーノは年寄りぶって腰が重かった。
     再びチャイムがなった。しかしながら独特の鳴らし方である。普通、ピンポン! と歯切れいいものだが、ピン……ポォ〜ン、ともったいぶった鳴らし方。
     ホテルの従業員ではない。ジョウならば1度で出なければ、ドアをがんがん叩くだろう。
     誰だ?
     タロスはいぶかしみながら、戸口へと移動した。なにせ来客の予定はない。だが警戒する必要もさしてなかった。ドルロイへ訪れるのは、クラッシャーのようなメンテナンスで用事がある者、遊びで訪れる者がほとんどだった。
     ドア脇にある開閉スイッチを、タロスは軽いタッチで押した。
     空圧が抜ける音がして、ドアがスライドする。
     人影が現れた。しかもかなりの大柄。
     すると。
    「あ〜〜〜らぁ♪」
     独特のハスキーボイスが響いた。
     褐色の肌、流れるような黒髪にゴージャスな銀メッシュ。目が痛くなるような、いや、覚めるような超ド派手なピンクのクラッシュジャケット姿。いでたちだけでも充分目立つのに、隈取ったような目元、ぶ厚い唇に真っ赤なルージュといった、輪郭から立体映像のようにインパクトあるメイク。
     一度見たら忘れられない。一度見たら充分とも言える。
     なのにどうにも腐れ縁というやつが、この顔をちょくちょくと拝ませるのだった。
    「フ……、フラ……」
     タロスは両目をひんむいたまま、息をそれこそバケツ一杯分くらい呑んだ。
    「いや〜ん、ダーリンじきじきのお出迎え? 幸先いいわぁ」
     と、彼女(彼)はタロスに抱きついた。ついでに、放心状態のチャンスを逃さず、タロスの頬にぶっちゅううっ、と、それはそれは離れていた時間を埋め合わせるようなキスをくらわした。
    「ぐあっ! や、やめろ、フランキー!」
    「うふん。やあねぇ、照れちゃって♪ 相変わらずなんだからぁ」
     そう。
     この人は、顔合わせをしたこともないクラッシャーでさえも、名を知らぬ者はゼロといわしめるほどの有名人。おそらくクラッシャー歴にて、最初で最後ともまことしやかに囁かれているオカマ・クラッシャー。
     クラッシャー・フランキー、そのご本人だった。


引用投稿 削除キー/
■463 / inTopicNo.2)  Shake!
□投稿者/ まぁじ -(2003/05/21(Wed) 15:59:24)

     場の空気が、あっけなく大ドンデン返し。さっきまでのやや重い空気はどこへやら。
     単身の来客だというのに、まるでサンバ隊一個隊を引き連れたような、ざわざわとしたムードに一転した。
    「ば……、馬鹿野郎。離しやがれ!」
    「いいわぁ、久しぶりの抱き心地……」
     タロスは、首にがっぷりと回されたフランキーの腕をひきはがそうとする。普通の人間なら、関節が逆になるところだ。しかし、フランキーは身長180センチそこそこながらも、体格はタロスに勝るとも劣らじ。
     一度掴んだら離さない、スッポンかフランキーかと、言われたか言われないかは定かではないが。そう簡単に離れてはくれない。なにせフランキーにとって愛するタロスとの再会は、流星群を拝めるほど貴重で、胸を躍らせる出来事だ。
     そんな風にして。大男2人、戸口での怪しいやりとりが続く。
     タロスが脂汗を、つー、と一筋流した時、廊下から女性たちの声が聞こえた。どうやら同フロアの宿泊者らしい。「わあ、大胆」「マッチョなおホモだちね」などと、タロスにとっては不本意極まりない感想をもらして素通りした。
    「くそ。入れ」
     ぐんと左腕をフランキーの首根っこに回す。クラッシュジャケットのスタンドカラーを掴んで、タロスは力ずくで客室に引き入れた。
    「あ〜れえv」
     と小娘のような嬌声を上げて、フランキーはつんのめりながらさらわれた。強引さには弱い。そもそも、筋骨隆々のフランキーを強引に扱える男など、数えるほどだろう。
     そしてタロスとフランキーの背後でドアが閉じられると
    「──客人かいな?」
     と、バルコニーからガンビーノの声だ。
    「珍客だ」
    「んま、失礼ねぇ」
     フランキーはしなをつくった。しかし怒った様子はない。彼女(彼)には、照れ隠し、としか聞こえない。都合のいい耳をしていた。
    「その声は、フランキーかの」
     ようやくガンビーノは、リビングとバルコニーを間仕切る死角から現れた。
    「おじいちゃ〜あん♪」
    「おお、久しぶりじゃのう」
     2人は両手を広げて、小走りに駆け寄る。リビングの丁度真ん中で、ひし、と抱きつく。そして互いの顔を見合った。
    「ちょっと見ない間に、これまた美貌に磨きがかかりおって」
    「んもう、おじいちゃんたらぁ。相変わらずお口が達者。そうやって何人女の子くどいたのよん」
     社交辞令なのか本気なのか、タロスには理解できない挨拶が交わされた。しかしながらこの2人、タイプはまったく違うのに、どこか波長が合うのだった。
     ひとしきり感動の再会を果たしたあと、フランキーははたと物足りなさに気づく。
    「あらん? ぼっちゃんは?」
     ジョウのことを指していた。きょろきょろと首をめぐらせる。
    「いま出かけておる。なんでも、ライフルのキットが欲しいというてな」
    「ライフル? ……あの子、ライフルなんて使うようになったの」
     フランキーは両手を胸に当てると、まぶたを閉じ、小さく肩を震わせた。じーん、と何かに感動している様子。
    「ついこの間、初乗船したばっかだってのにねぇ。出航セレモニーじゃあ、凛々しい顔して、膝なんかガクガク震わせてたのに。ああ、なんだかホロリときちゃうわぁ」
     母親のようなコメントを吐いた。
     フランキーに言わせれば、オカマは男女両性の感性を備えているため、ノーマルより、感情の幅が広いそうだ。だから、スプーンが転がっただけでも笑える、というほど繊細かつ敏感だと言うことらしい。
    「──で、用はなんだ」
     感慨にふけっているフランキーなど見慣れているタロスは、平気で現実的な言を継ぐ。しかしながら、フランキーが仕事を理由に訪れたことは今まで一度としてない。
     わかっているが、ついタロスは形式ばる。
    「お船がね、<クイーン・シバ>のワープ装置がいかれちゃったのよ」
     はあ……、と。
     片手を頬にあて、残念そうな表情をつくる。だが顔のつくりが派手すぎて、ちっとも深刻には見えない。
     とはいえ、滅多に故障しない機関がおかしくなるとは、ただごとではなかった。
    「ひと任務終えたあと、宇宙海賊にからまれちゃって」
    「おめえが、からんだんだろうが」
    「客船からの救難信号があったから、かる〜くお手合わせのつもりでねぇ」
    「……で、そのザマか」
    「騙しだまし使って、やっっっとたどり着けたわ。ヘンなとこブチ抜かれた影響みたい。けどきっとこれって、タロスと再会する試練、いいえ、神様のおぼしめしだったのよぉ」
     胸の前で、ぐぐっと拳を握る。上腕二頭筋が、もりっと上がった。そんな逞しいなりで、漆黒の瞳だけは、子鹿のように弱々しくうるっと潤んだ。
    「いっそ一生、海賊のケツでも追っかけてりゃあよかった」
    「いい男だったらねぇ」
    「へっ。本音を出しやがった」
    「あら、恋は自由よぉ。でも愛は、ド・レ・イ」
     うふ、とフランキーは両の肩をすくめた。もちろん彼女(彼)が言う愛の奴隷とは、タロスに対してだったりするから、始末が悪かった。
    「それで? <ミネルバ>はどーぉしちゃったの?」
     ばさばさのまつ毛を瞬きさせて、フランキーはタロスを見上げる。
     だが、そっぽを向いた。なにせフランキーの船が手痛いダメージを抱えているとなると、修理期間は長い。早くても1週間はかかるだろう。
     下手に漬け込まれたくなくて、タロスはおし黙った。
     しかし。
     他の口がぽろっと明かした。
    「オーバーホールじゃ」
    「オーバーホール♪ んまぁ、素敵!」
     要するに<ミネルバ>もなんだかんだ、最低1週間は滞在を余儀なくされる状況だった。タロスは片手で目元を被った。最悪だ、と天を呪うように仰ぐ。
     一方フランキーは「ああv 神様!」と、天に向かって両手で投げキスをした。
     そんな折りに、客室のチャイムが鳴った。
     今度はピンポン! と軽快だ。
     だが3秒と待たずに、ドアをガンガン叩いてくる。せっかちというか、行動が早いというか。
    「やべえ、タイミングがわりぃ」
     タロスは眉をひそめた。
     どうやら、フランキーの「オモチャ」がお帰りのようだった。
    「あら♪ もしかしてぼっちゃん?」
     わお、とフランキーは両手を組む。頼んでもいないのに、らったった、と軽い足取りでエントランスに向かった。
    「あ、待ちやがれ」
     タロスも追った。追って、戸口ぎりぎりの所でフランキーの肩を掴み、止める。
    「あによ〜お」
     感動の再会、その出鼻をくじかれてぶ厚い唇を、にゅっと尖らせた。
    「いいか。ジョウには絶対“ぼっちゃん”なんて、口にするな」
    「どおしてえ?」
     ダンのジュニア、誇り高きクラッシャーの最も濃い血を引く者。単に子供扱いではなく、正真正銘、おぼっちゃま、でもあった。
    「ここ最近、おやっさんのことを毛嫌いしていけねえや。“ぼっちゃん”なんてのはな、ジョウの癇癪に触る。口裂けオカマになっても、絶対に言うな」
    「……ふうん。そおなの」
     べっつに、んなもん怖くないわよぉ。と、フランキーは思いつつも口にはしなかった。
     傍目でも、タロスがダンを心底敬愛しているのはわかる。クラッシャージョウチームの業績は、<クイーン・シバ>にも、定期通信として配信され、うなぎ登りであることも承知の上。それだけ、ジョウとタロスたちとのコンビネーションがいいことを示していた。
     水と油のような親子に挟まれた、タロス。ただでさえも細々と、ちぎれそうな親子の縁(議長と部下の絆は別)。下手に刺激して、仲違いを増長させるのはこら勘弁、といったニュアンスをフランキーは察した。
    「約束したげる。ただし……」
     フランキーは急に、声のトーンを抑えた。そしてドアを背にして、小首を傾げる。さして可愛くないのだが、堂に入ってるせいで不自然ではない。
    「ちゃんとした口約束が条件ね」
    「な、な、なんだ条件ってのは」
     タロスはどもる。すごぉくいやな予感がした。
     するとフランキーは、右手を胸ポケットにさしこむ。何かを握った手つきで、胸の前に置く。そして左手の人差し指を、くいくいっと動かして、「カモンv」とまなざしで呼びかけた。
    「ちょっとコレ、見てほしいの」
     と、言いつつまだ拳は握ったままだ。
    「……?」
     タロスは、フランキーの前に一歩踏み出す。条件、見ろ、一体なんだってんだ。訳がわからない。わからないことは、確かめてみたくなるものだ。
     フランキーの拳を、タロスは真上からじっと覗き込んだ。
    「ばぁ♪」
     拳が、ぱか、と開いた。
     しかしなにもない。カマをかけた。
    「つっかま〜えたっ♪」
    「いっ?!」
     タロスの立ち位置は、フランキーの捕獲範囲。がば、と首を抱きよせると、電光石火のごとく
    「ん〜〜〜っ!」
     と、タロスの唇を奪った。まさしく「口約束」である。
     もちろん、タロスも必死でもがいた。そんな組んずほぐれつの状態で、フランキーの背が、どん、とドア脇に当たる。
     ピ。
     開閉スイッチが入った。
     どんな状況であろうと、無情なまでにドアは開かれた。
    「──ったく、おっせえなあ。もたもたすんなってん………だあああああ?」
     声変わり前の甲高い声。
     どすん、と尻餅をつく音。
    「な、な……、なにしてやがるっ!」
     人差し指の先を、ぶるぶると震わせて狼狽える。
     大男同士の衝撃のラブシーンで、いきなりお出迎えされてしまったジョウだった。
     フランキーは。
     すっかり蒼白になったタロスにぶら下がりながら、首だけちら、と背後に振った。
    「お帰んなさい、リトル・ダーリン。うふ♪」
     と肩をすくめた。


引用投稿 削除キー/
■464 / inTopicNo.3)  Re[3]: Shake!
□投稿者/ まぁじ -(2003/05/22(Thu) 10:21:27)

     ガラガラガラガラ。
    「──ぺっ」
     拳で口元をぐいと拭い、大理石のシンクから顔を上げる。
     目の前に鏡があった。直視に耐えられない、自分の顔があった。
    「くっそお……、あんのオカマ野郎」
     ジョウは眉をきりきりと上げ、肩を震わせ、唸る。口を拳で拭ったせいで、べっとりとつけられたルージュが、頬までにじんだ。虚を突かれたとはいえ、オカマに唇を奪われるとは一生の不覚、不覚、不覚。
     壁に掛けられたティッシュボックスから、それこそごっそり紙を抜いて、ジョウは擦り切れるまで口元を拭いた。そこで、はた、と気づく。
    「なんだよ、結局タロスと間接ってやつか?」
     うえぇぇぇ……と、鏡の中の顔がひん曲がる。
     そしてまたコップを掴んだ。
     ガラガラガラガラ。
     以後、数10分、ジョウのうがいは続いた。
     
     一方、リビングでは。
     フランキーがドック入りして、毎度のごとく顔なじみのメカニックに「<ミネルバ>来てなぁい?」と確認し、いたらいたで、即刻足取りを調査するというおっかけのあらすじを、聞かされるはずだった。
     いつもならば。
     しかし今日は違った。タロス対フランキー&ガンビーノ、といった口論が火花を散らす。
    「そんなに血相変えること、ないじゃないのよぉ」
     リビングのカーペットに、斜め座りをしたフランキー。まるでテラの古書、“Konjiki−yasha”の一場面として有名なシーン、足蹴にされる悲劇のヒロインと自分をだぶらせて、フランキーは酔っていた。
     実に、芝居がかっていた。
    「ジョウにあんなことしくさって! オカマが感染ったらどう責任とる」
    「ひどいわぁ、あたしをビョーキ扱いしてぇ」
     わあ、と泣き伏してはみるものの、涙などひとっつも出てやしない。
    「フランキーは情が深いからの。ちとそれが過ぎたくらいで、何もおまえがムキになることもなかろ」
    「そおよ、そおよ」
     ガンビーノは膝をつき、フランキーの肩に手を置いた。ふっ、二枚目を真似た笑顔を浮かべる。
     どうもこの2人は、タロスの激高をおふざけでかわすつもりらしい。
    「タロスったら、ちょっと会わない間に、コチコチの頑固頭になっちゃってさ」
     どちらかというと、その方がショッキングなフランキーであった。
     今でこそクラッシャーは、厳しい規律で統率され、高い志と持ち前の度胸で、一度でも雇ったことのある依頼主からは、宇宙のエリートとお墨付きがつくほどの集団だ。しかしながらその起原は、ダンのような切れ者よりならず者が多く寄せ集められ、ご多分に漏れずタロスもその一人だった(と、フランキーはにらんでいる)。
     クラッシャーが、惑星改造を主とする壊し屋から、何でも屋へと発展しはじめた頃から。タロスの類い希なセンスは頭角をあらわしたのだった。
     宇宙船を操れば、手足も同然。数年前、計50艇はいたという宇宙海賊の包囲から、<アトラス>がたった一隻でかいくぐってきたエピソードは、クラッシャー歴では輝かしい功績として残っている。もちろん、どんな状況下でもコンピュータのように冷静さを失わない、ダンの指揮もあったのだが。それに応えきれたのは、タロスであるからに他ならない。
     そのうえ、地上戦でもタロスの戦術は度肝を抜かされる。体格のせいもあるが、タロス一人で戦車5台分の活躍といっても過言ではなかった。敵にまったく容赦なく、それでいて身のこなしは華麗極まりない。フランキーも腕のいいクラッシャーだが、数回、チームを組んで仕事をしたときには惚れ惚れした。うっかり任務中ということも忘れて。
     クラッシャーの代名詞はダンとの意見が多いなかで、フランキーだけは、タロスだと譲らないほどの入れ込みようだった。
     その男が。
     つっぱらかったトゲを削ぎ落としたように、どうもこじんまりと丸くまとまった気がする。つまり、そこらに転がる普通のおっさん、に成り下がった気がして哀しい。
     ちょっとしたパフォーマンスの、ジョウに対する再会のキスくらいで、聖職者のようにタロスにどやしつけられるとは青天の霹靂。ほどほどにしとけ。と、小さな釘を打たれることは予測しても、ここまでとは思わなかった。
    「つまんない男。シャレもわからないなんて」
     くすん、とフランキーは、わざとらしく鼻をすすって立ち上がった。
     ガンビーノもつられて立つ。そして真っ白な眉をぴくりと動かし、フランキーを見上げた。
    「さすがじゃの。一目で見抜きおった」
    「え? どういうこと、おじいちゃん」
     タロスとガンビーノを、交互に見た。
    「補佐役として気負いすぎなんじゃ」
     サングラスを外し、かぶりをゆっくり振りながら、嘆息をつく。
     芝居がかったことはガンビーノも得意分野だ。口論の発端はフランキーのオイタだが、根源はタロスにあると責任転嫁を匂わせる。
    「……そりゃあねぇ、議長の息子だから大役とは思うけど」
    「脳天気なおめえにゃ、わからねえさ」
     タロスは太い腕を組み、2人を横にするよう身体の向きをかえた。
    「あら。脳天気じゃなきゃ、クラッシャー稼業なんて面白がってらんないわ」
    「そうじゃのう。ええこと言う」
    「仕事も人生も冒険よ。あ、そうそう、恋愛も忘れちゃだめよねぇ」
     ガンビーノと顔を見合わせ、「ねーえv」と2人はにこりと笑んだ。
     形勢が一気に不利となり、タロスは渋面をつくる。
     そしてフランキーの熱弁は続いた。
    「手塩にかけて育てたって、駄目なもんは駄目なのよ。ん……まあ、ジョウはそんなことないと思うけど。男の子なんだから、男の背中を見て育つわよ。勝手にね」
    「偉そうに」
    「だってぇ、あたしチームリーダーよ。人の上に立つって、少しはわかってるつもり」
     タロスは二の句をぐっと呑み込む。
     やけに説得力があったからだ。
     とはいえ、どうにもおちゃらけたところがある、老人とオカマの言い分を聞き入れる訳にはいかない。
     なにせジョウはゆくゆく、ただのチームリーダーではなく、ダンの二代目として稼業そのものを背負うことだろう。トップに君臨する人間として、恥ずかしくないよう育てることがタロスの双肩にもかかっていた。
     たとえば議長の座を、ダンからジョウに渡された時、比較されるのは火を見るより明らか。このドルロイにいた、ノボ・カネークシニアとその息子、ジュニアとの親子関係を振り返ってもわかる。
     父親が出来過ぎて、継いだ息子がボンクラ扱いの腹いせに暴挙に出る。ジョウに限ってそれはないとは思いつつも、“先代をしのぐ”と言わしめる人材に育てることが、暗黙の課題だとタロスは思っていた。
     だが。
     自分の生い立ちが後ろ暗いタロス。それを果たせるのか、資格がそもそもあるのか。
     自信がなかった。
    「何事も経験じゃ。転んで痛みがわからんと、実感のない嘘くさい人間になりよる。タロス、おまえが杖となって転ばぬようにすることは、ある意味、ジョウの経験値を下げることになるぞ」
    「…………」
     ガンビーノは腕を組み、うむ、とうなづく。オフで見せるのは珍しい、真顔だ。
    「だからの」
     じろ、とタロスを見上げた。
     何を言い出すのか。タロスも負けじと睨めつける。
    「……だから、わしがエロ本をほったらかしたくらいで、説教なぞするな」
     がく、とタロスの膝が抜けた。
     ガンビーノはまだ根に持っていた。お宝を侮辱された敵を討つといったところか。
    「ぜ……、全然つじつま合ってねえじゃねえか!」
     調子を狂わされて、タロスの顔は真っ赤に染まった。
    「深いわぁ、おじいちゃん♪」
    「どこがっ!」
     タロスは反射的に食ってかかった。
    「ラブとエロスは表裏一体、人格の基本よぉ。知ってるぅ? 大昔インターネットていう通信ウェッブを広めたきっかけって」
    「ああ?」
    「エロサイトをたっくさんつくったのよ、最初に。それであれよあれよと、インターネットの概念もマシンも、爆発的に成長してったのよねぇ。それっくらいエロスの原動力って偉大なのよぉ。だからあたしも、ラブとエロスに生きてんのよ」
     と、もっともらしい口調でフランキーは畳みかけてきた。しかしながらテラ生まれのタロス。助言されれば、確か過去に雑学として聞いた記憶はある。
     あながち、嘘ではない。
     異論反論もできず、むう、と口を真一文字に引くしかない。
     それに普段から弁の立つ2人。1人で対抗するにはどっと疲れる。タロスはもう、まともにやりあうのが馬鹿らしくなった。
     そんなこんなで、口論の波が去ったところに
    「ふー」
     と、ジョウがバスルームから出てきた。
     顔にはまだしっかりと、忌々しい、と書いてある。フランキーの口紅は落とせても、腹の虫はおさまらずにいた。
    「タロス!」
    「へ、へい」
     立場としてはジョウの方が上。例え12才の子供であっても、弁えるところは弁えるタロスだ。命令口調には従う。
    「おまえの昔なじみだから、今まで目つぶってたけどな。フランキーをとっとと追ん出せ」
     顎をしゃくった。
    「つれないじゃなぁい」
     フランキーは両手を頬に添え、しなをつくりまくる。
    「だめだ!」
     ぴしゃりとジョウは言い放った。
     これではちょっと、おふざけでかわしようがない。フランキーはひょいと肩をすくめてみせた。
     再会早々、さっさと熱いキスをかましたため、その時はわからなかったが。フランキーはこの短い会話から、ジョウの内面とやらを鋭く見抜いていた。
     随分とまあクソガキ……、あらv はしたない、鼻っ柱が強くなったこと、と。
     身長も伸びて、12才にしては160センチ近いとは恵まれすぎ。まだまだ伸びそうである。デビュー当時には色濃かった初々しさなど、影かたちもなかった。
     好意的に受け止めれば、それだけの修羅場をくぐり抜け、クラッシャーらしい風格をつけつつあるということだ。そしてタロスとの上下関係を考えれば、今のやりとりも当然なのだが。
     フランキーは、ちょっと気にくわなかった。実のところ。
     補佐役をつけるイコール、まだ半人前。チームリーダーとはいえ、タロスやガンビーノといったキャリア組から教えを乞う立場にある。しかしながらジョウからは、謙虚さを感じない。ついでに、なんだか愛のない口を叩くわねぇ、とも思った。
     気にくわない、の本音のところは。
     タロスやガンビーノをどこかしら、ナメてる、と感じるところにあった。
     もちろん生意気な年頃だとはわかってはいる。タロスもガンビーノも器が大きい男だけに、多少の横柄さは許して気にもとめないのだろう。
     こういう機微に敏感なのは、女の、いやオカマの得意とするところでもあった。
     ちょっとお灸を据えてやろうかしら。そうすれば、タロスとも長く一緒にいられるしぃvと。おどけた表情の裏では、計算高さをフル回転させていた。
     そうとなったら彼女(彼)の行動は早かった。
    「ジョウ〜、謝るわぁ」
     フランキーは両手を合わせ、身体を屈ませてジョウを覗き込む。
    「そこまで怒らせたのって、きっと誰かさんのための唇なのねぇ。ハニーに悪いことしちゃったわ」
    「ハ、ハニー?」
     ジョウは両目をぱちくりとしばたかせた。
    「あらやだ、まだいないの? 意外と奥手ちゃんなのね」
    「ばっ……ばっかじゃねえか? そんなもん邪魔くさいんだよ!」
    「え? じゃあまだチェリーボーイ? んまあ、なんだかんだ言ってもおこちゃま♪」
     フランキーは手の甲を添えて、ころころと笑った。
    「あほ! ガキ扱いすんな!」
    「あらん」
     フランキーは人差し指を唇の前にかざす。
    「なに、知ってるってわけぇ? そっちのお勉強もはかどってるってこと?」
     ジョウはむっとした表情で、両腕を組んだ。
    「……ああそうさ」
     これにはタロスもガンビーノも驚いた。おいおい、いつの間に。意外とそっち方面もませていたとは、こりゃあなどれん、と同時に思った。
    「わしのお宝で、こっそり知恵つけたんじゃろうか?」
    「案外、はったりかもしれないわよぉ」
     2人の意見は違えど、同じようにジョウに対し興味が沸いた。
     面白そうだ。
     2人は、にまっ、と口元を緩めた。
     そしてガンビーノは、ちらと巨漢の男に目線を投げた。
    「タロス、ちょいとジョウをつついてみい」
    「ああ? 俺がか?!」
    「わしが手とり腰とり、教えてやってもええがの。おまえは嫌なんじゃろ?」
     ことのなりゆきを利用し、口達者なガンビーノはうまく丸めこもうとする。
    「そ、そいつはあ、なあ……」
     タロスは黒髪を掻いた。さっきの話を蒸し返すガンビーノに、一杯食わされそうである。
     するとフランキーが、タロスの横についた。こそ、と耳打ちする。
    「どうせね、大したこと知っちゃいないわよ。あれは。あたしも同席してあげるわよぉ」
     ううぬ、とタロスは唸った。
    「……目の前で内緒話しか。へっ、なんだい。チンケな話しに、おたおたしやがってさ」
     困惑するタロスと、やけにふてぶてしい態度のジョウ。
     大人と子供の立場が、完全に逆転していた。
    「負けちゃだめよ、タロス」
    「うーむ……」
     いやぁな脂汗が、タロスの額から、つー、とまた伝った。


引用投稿 削除キー/
■465 / inTopicNo.4)  Re[4]: Shake!
□投稿者/ まぁじ -(2003/05/22(Thu) 10:22:26)

     ガンビーノはバルコニーに戻り、瓶ビアをらっぱ飲みする。人工砂浜で甲羅干するギャル(死語)を見下ろし、それを肴にしながら格別の一杯をしけこんでいた。
    「生真面目よのう」
     自らそういう展開に持ち込んだくせに、ガンビーノは人ごとのように呟く。不器用すぎるタロスが、はてさてどうジョウと性教育をテーマに向き合えるのか。
     頭でっかちに生きていると、軽く足元をすくわれただけで、したたかに手痛い目に遭う。もしタロスがことの成り行きに文句を言ったら、そうかわしてやろうと。先に逃げ口上をしっかり理詰めで組み立て、胸に秘めてから、ガンビーノは耳をそばだてた。
     本音はもちろん、タロスをちょっと、ぎゃふん(これまた死語)と言わせたかったというお遊びなのだが。お手並み拝借と、傍観者としてガンビーノは引っ込んだ。
     では、場面をリビングに戻そう。
    「──てことでしてね、まあ、雄しべと雌しべをまんま人間に当てはめりゃあ、そのう……」
     タロスは適した言葉がすぐ浮かばず、行き詰まった。
    「当てはめりゃ、なんだ」
     ジョウはソファに腰掛け、片脚を組んで、ついでに腕も組んで、偉そうな態度で訊く。
    「……交渉ってことです」
    「交渉?」
    「いえ、ですから、その……」
    「も〜、じれったいわねぇ。はっきり言っちゃいなさいよ、ちゃあんと、セック──むが」
    「うるせえ! おめえは黙ってろ!」
     隣のソファにいるフランキーの口を、タロスは片手で覆った。恥ずかしいやら、むかっ腹がたつやらで、顔は真っ赤だ。こめかみには青筋まで浮いている。
     一応のところ。
     タロスを講師にみたてて、ジョウがその生徒、この手のネタは得意な一番の適任者であるフランキーは、オブザーバーとして、ぎこちないセミナーが開かれた。
     しかしながら実に歯切れの悪い講師だった。
     もういい大人、しかも人並み以上に経験もあるくせに、相手が少年となると言葉をあれこれ選んでしまう。話の筋書きは学校で教わるような、非常に回りくどく、外堀から攻めていく流れで、横にいるフランキーはやきもきして仕方なかった。
     ジョウは軽くうなづき、ちらと目元だけ上げる。
    「まあいい。原理はわかった。俺の知ってる事柄と、さして変わらない」
    「そ、そうですかい」
     タロスは拳で額を拭った。かたやジョウは、まったく動じる様子もない。
     ある意味、性教育のジャブとも言える妊娠のメカニズム。まだほんの序盤である。5才の子供でも「ふーん」と聞き入れられる内容だった。
    「で、どうやるんだよ」
    「──へ?」
    「だから、具体的にどうやりゃガキができるんだって訊いてんだ。人間は花粉じゃない。どうやって遺伝子の結合ってのをやらかすんだよ」
    「え? ええ、そ、そうですなあ」
    「そこが肝心よねぇ」
     フランキーは愉快そうに茶々を入れた。
     くそオカマ。
     タロスは胸中で毒づきながら、じろと恨みがましい視線を送る。
    「大人てのはさ、こう訊くとみんなだんまりになっちまう。なんでだろうな。教えてくれよ、タロス」
     組んだ腕から右手を抜き、ジョウは顎を撫でた。
     何となーくまなざしが、挑戦的である。
     タロスは、ジョウが訊いた大人とやらが、なぜ最後までちゃんと教えてやらなかったのかと舌打ちする。皆が回避する理由もわかるのだが。こんなとばっちりが回ってくるとは。
     自分も大人なのだが、世の大人どもも情けねえ、と苦虫を潰した顔となる。
    「降参か? なんならわしがバトンタッチしてやってもええぞ」
     なんの前触れもなしに、バルコニーからガンビーノの声だ。
    「冗談じゃねえや。爺さんのあけっぴろげな話なんざ、10年後でもいい」
    「ほ。そうかのう。なんなら、せいぜい頑張るんじゃな」
     ジョウはバルコニーに目線を移した。
    「別にオレは構わないぜ。ガンビーノに訊いたってさ」
    「い、いえ、やめときなせえ。グロイですぜ、相当……」
    「そうねぇ。おじいちゃんだと、ちょっと余談が多いかも」
    「失敬な」
     本当は抗議したいところだが、ガンビーノはひとまず大人しくした。タロスの出方をくじいては、意味がない。余興が続かない。
    「じゃあ、きちんと順立てて教えてくれよ」
    「じゅ、順立てて、ですかい?」
     巨体を誇るタロスが、小さく縮こまる。フランキーにとって、こんなにたじたじしたタロスを見るのは初めてだ。情けない、と思うどころが、可愛い面もあるのねぇv、と漆黒の瞳を細めたりした。
     タロスは胸に手をあて、大きく深呼吸する。ここで引き下がったら補佐役の面目に関わると、自分を奮い立たせた。
    「そ、そのですなあ……。仲良くする、んです」
    「仲良く? どうやって」
    「手に、て、手をとったり」
    「ほお」
    「だ、抱きしめたり、せ、接吻したり……その」
    「へえ」
    「……まあ、こう、気分が盛り上がったところで、一緒にベッドで寝て……てことです」
    「ぐーすか寝りゃあ、できちまうのか?」
    「い……いやあ、その、間にはまま、色々と手ほどきはありますが……ねえ」
    「その手ほどきってとこが、気になるんだよなあ」
    「うー」
     タロスは両手で頭を抱えた。
     これ以上どう言葉で説明すればいいのか、混乱の極みにいた。
     ついに駄目かも。
     横目でそんなタロスを確認し、フランキーは助け船を買ってでてきた。
    「やっぱりジョウも男の子なのねぇ」
    「子、は余計だ」
    「もうっ、好奇心ギラギラさせちゃって♪ いいわ〜、あたしがきっちり教えたげる」
     フランキーは拳でどーんと、ぶ厚い胸板を叩いた。
    「ちょ、ちょい待てフランキー」
     しかしながら、そんな程度で止められる相手ではなかった。
     その上、歯に衣着せぬところがある。
    「いーい? やることといったら男の(ピー)を、女の(ピー)に(ピー)するんだけどぉ、いきなりそれやっちゃったら嫌われちゃうわ」
    「げげ」
     タロスはあまりにもストレートな調子に舌を巻いた。
    「それはあとのお楽しみってことで、先に(ピー)を(ピー)するとかぁ、(ピー)を(ピー)で可愛がってあげるとかぁ。(ピー)を(ピー)するっていうのもアリよねぇ」
     機関銃のようにフランキーは、とにかくコト細かく喋りまくる。
     対するジョウは、目が点になっていた。
    「女っていうのはねぇ、(ピー)までされちゃうと(ピー)になっちゃうから、そうねえ、加減が必要よ。でもって──」
    「も、もう止めろ!」
    「あらぁ、なんで? せっかくノッてきたのに」
     タロスはクラッシュジャケットの胸ぐらを掴み上げた。
     折角の二枚目面が、怪物並みの恐ろしい形相に変わる。
    「おめえな、相手を考えろ! (ピー)やら(ピー)だの言っちまったらなあ、拒絶反応起こすじゃねえか!」
    「だって、事実よ。教えるんならさ、腹くくってきちっとね、避妊できる(ピー)とか(ピー)のやり方だって知っといた方があとあといいじゃない」
    「あほか! (ピー)ってのはな、失敗したらコトじゃねえか!」
    「そぉんなことないわよぉ。たまにはさ(ピー)なこともしたいもんじゃない。(ピー)は知っておいて、損はしないと思うわ〜」
     どちらも引かずといった様子だ。
     すると。
    「……ぶっ」
     唐突に、ジョウが吹き出した。
    「ぶわっはっはっは!」
     こりゃたまらん、と言わんばかりに腹を抱えて大笑いである。
    「……ジョ、ジョウ?」
     タロスはごくりと固唾を飲んだ。
     あまりにもエログロな単語が飛び交い、刺激が強すぎて、気がふれたのかと思った。
     ジョウは指先で、目尻の涙をふきながら2人を見た。
    「……あー、傑作だった」
    「な、なにがですかい」
    「途中で勘づけよな、タロスも」
     くくく、とジョウはまた笑いがぶり返し、肩を震わせる。
     その様子から。
     フランキーのアイラインとアイシャドウをきっちり引いた双眸が、きらりと光った。
    「ジョウあんた……知っててわざと?」
     薄々、おかしい、やけに落ちつき払っている、とは勘づいていた。しかしながら、まさかあのジョウだしぃ、とフランキーは自分の直感を否定した。
     笑いすぎて、ああ腹が痛い。そういった苦笑いを浮かべながら、ジョウは2人に向いた。
    「オレんちの近くに、マルコスじいさんの牧場があったろ?」
    「……え、ああ、ガウチを家畜にしてる」
    「そこでバッチリ見せてもらったぜ。その、仲良く、って場面もな」
     ジョウは、ぱちんと片目を閉じてみせた。
     そしてソファからすっくと、立ち上がる。
    「しかし、そっかあ。タロスもフランキーも色々と物知りだ。さすが大人ってやつだな」
     褒めた言い回しで、実のところ大の大人をからかっていたりする。あざとい。チームリーダーになれるだけの素質がある訳だ。
     ポーカーフェイスもしっかり会得している。
    「じゃ、オレは出かける。晩飯はおまえたちで適当にやってな。せいぜい大人連中で、反省会でもすんだな」
     呆然と見送る大人たちを後目に、ジョウは実に軽いステップで客室を出ていった。
     ようは。
     ジョウなりに、フランキーを見返してやりたくあった。ジョウにとってはた迷惑でしかないオカマが近寄ってくるのは、そもそもタロスがいるせい。ある意味同罪。面倒だからいっしょくたにまとめて、鼻を明かしてやろうと。
     つまり、ひと恥かかせてやりたかった、らしい。
    「やってくれるじゃない……」
     フランキーは、顔がひきつった。歯がぎりぎりと音をたてる。
     タロスは拳を額に当て、肘を突いて嘆息した。言いたくもないこっ恥ずかしい役に回されて、挙げ句の果てにはジョウの手のひらで踊らされた。
     なんだかどっと疲れて、怒る気力も萎えたのだった。
     その離れた場所で。
    「……ええ根性しとるのう」
     最後まで傍観と身を弁えていたガンビーノは、リビングをひょいと覗き込み、意表をつく結末にそんな感想を一人洩らしたのだった。


引用投稿 削除キー/
■468 / inTopicNo.5)  Re[5]: Shake!
□投稿者/ まぁじ -(2003/05/23(Fri) 11:50:29)

    「だいたいね、タロスがガツンと言わないからつけ上がんのよ、あの坊主」
     フランキーはメンソールを、すっぱー、と吸い、吐いた。目の前にいたバーテンが一瞬咳き込んだが、そんなことは構いもしない。
     押し掛け女房のごとく、身の回りの荷物もいっさいがっさい持ってきたフランキーは、ホテル・フォーエバーでチェックインを済ませると、へばったタロスを引きずって、最上階のラウンジにいた。
     生バンドによるジャズのスタンダードナンバーが流れ、水平線を望める窓辺は、夕暮れ時の甘い色あいを映していた。ムード満点なだけに、ディナーも兼ねたカップル客が多い。そのカウンター席で、大男とオカマが肩を並べている。
     結構、目立つ。
    「大人を馬鹿にすると痛い目に遭うって、教えてやればいいのよ。おじいちゃんだって言ってたじゃない。痛い思いはいい経験だって」
     がぶり、とフランキーはカクテルを一気飲みする。ブランデーベースのサイドカーは、カクテルのなかではキツイ部類に入る。もう5杯も空けた。だが少しも酔いはやってこない。そしてバーテンは、ストップといわれるまで追加のシェイカーを振ることになっていた。
     一方タロスは、バーボンロックを静かに傾ける。
    「ねえ、あたしの話し聞いてんの?」
     相当ド頭に来ているらしく、口調がトゲトゲしい。いつもの腰がくだけるような話し方とは違った。
     マジ、である。
    「ああ。俺の耳は飾りじゃねえ」
    「なら聞くけど。ジョウのこと、きっちり叱ったことってある?」
    「……いいや。仕事上では、聞き分けがいい。ちゃんと話せば、ちゃんと通じる」
    「仕事じゃなくて、人間性のこと言ってんの」
    「人間性?」
     ふっ、とタロスは薄く笑った。
    「馬鹿言っちゃいけねえや。フランキー、おめえがジョウを怒らせなけりゃ、あんな真似はしやしねえ。ま、ちっとばかし、目には目をってところはあるがな」
    「……そうやって良いように解釈しちゃうのね。それにあたしは“怒れ”って言ってんじゃないわよ。“叱れ”と言いたいの。本当にジョウのこと思ってんなら、叱れるはずだわ」
     アッシュトレイに揉み消すと、フランキーはすぐさま次のメンソールに火を点けた。
     その手元に、バーテンは新しいグラスを置いた。
    「どんな修羅場だって飛び込んでいくあんただってのに、ジョウの前だと腰が引けてる。それ、おじいちゃんが言ってた、気負いすぎと関係あんでしょ?」
    「…………」
     フランキーはカウンターに肘をつき、ずい、と横にいるタロスににじり寄る。
     目つきは吊り上がり、つんけんしていた。
    「今日は吐かせるわよ。オカマの意地にかけても」
    「ったく、女と変わんねえな。俺が口を割るまで、ズケズケと追い回すんだろ」
    「そりゃそうよ」
     男同士というのは、相手との間にテリトリーが見える。踏み込んで、拒まれる挙措を感じたら、男の場合足を引く。それ以上は踏み込まない。
     両性具有のフランキーだからこそ、男の心理を理解した上で、女の特権と性質を振りかざして踏み込むことができた。
    「ま、単純なことだ。おやっさんの気持ちがわかると、反比例して、ジョウの扱いがわからなくなる」
     タロスは、ぐっとグラスを空けた。
     フランキーがボトルを手にしようとすると、タロスはそれを遮り、自らの手でバーボンを注いだ。
    「……そうね。議長がジョウをもうけた時って、いまのタロスとあんまり変わらないか」
     シリアスな会話に持ちこめそうだ。
     そう感じたフランキーは、カウンターで頬杖をつく。
    「稼業の間じゃ、おやっさんは冷徹な印象が強いけどな、あの人はそんなんじゃねえ。本当に、心底、ジョウが可愛くて仕方ないってのがわかる」
    「年が近いから、投影しやすいわよね。当時の議長と、自分を」
    「……よくもまあ、たった一人の息子をクラッシャーなんてやばい仕事に就かせられる。すげえ、と俺は単純に思う」
     フランキーは横目でタロスを見た。
     暖色の間接照明が、彫りの深いタロスの顔に陰影をつくる。こんなにキズこさえちゃって。フランキーは、タロスの傷跡のひとつひとつは、まるでジョウの身代わりとして一人で背負っているように感じた。
    「ふうん。ということは、タロスにいま息子がぽろっとできたとしたら、大甘になるってことね」
    「甘いか辛いかは知らねえが……。少なくとも、おやっさんの真似は無理だ。そんだけ大事な息子をよ、どうして俺みたいな男に任せるのか理解できねえ」
    「ユリア姐さんもあんなことになってりゃ、慎重になるわよね、普通。大事な人を亡くした人間なら特に、臆病になる。けどさあ……」
     フランキーはメンソールを消し、今度はカクテルをこくりと上品に流し込んだ。
    「神様だってさ、死んじゃってんのよ。人間もいつかは死ぬ。そういう誰かを失うっていう経験はさ、皆するもんでしょ。通るべき道ってやつよ」
     その一言にタロスは鼻で笑った。
     もっともだ、と返事のかわりに。
    「それにあたし思うのよねえ。議長てさ、本物の獅子なんだって」
    「獅子?」
    「そう。百獣の王ってやつ? 子供を崖から突き落とせるってこと。その子のために」
    「…………」
     フランキーは、タロスの肩に手を置いた。
     そして漆黒の瞳を、掬うようにして見上げる。
    「でも獅子ってね、雌がいないと食事もまともにできないの。狩りのセンスないから。つまり、あたしさ、偶然てやつなんだけど、議長がすんごく沈んでる姿、見たことあんのよ」
    「姐さんが、……のときか?」
    「うーん、もうちょっと後かな。ほら、哀しみって後からぐっとこない? たまったまアラミスに戻った時だったんだけどさ、オクタゴンで議長とすれ違った時に、ああ、この人も年をとったな、弱点があったんだって思ったわ。でも、それでもね、議長はジョウのことを考えて、突き落とせんのよ」
    「……つまり、なんだ」
    「生きていく上で、一番大切なこと。何があっても、ジョウの身体に叩き込んでおきたかったんでしょうね。打たれ強さ、ってやつをさ」
    「……打たれ強さ」
    「あんたも、しっかと持ってんでしょ。それ」
     タロスはフランキーの瞳をじっと見返す。
     どんなに派手なメイクもかすんでしまうほど、鋭く、生気をにじませたまなざしだと思った。初めて。
     フランキーはタロスから離れ、カウンターに向き直り言を継いだ。
    「タロスの昔って、あんまり知らないけどね。匂うのよ、とっても。それにさ、あたしもこんなナリじゃない? ま、それだけじゃないけど、色々と白い目で見られてきたわ、散々。死んだ方が楽だとも思ったし、馬鹿にされた連中を呪って出てやるとも思ったし。あんたはない? そういうの」
    「……好きに想像しろ」
     フランキーの耳には、イエス、と聞こえた。
     再びメンソールに火を点けると、ふわ、と紫煙の輪をつくった。
    「でさ、不幸のどん底にいると、明日死んでやるって毎日思ったりして。ところが、明日死んでもいいんだって腹が決まると、人間て不思議よねえ。なら今日できることやろうって。やり残さないようにしようって気になる。明日死んでやる、明日死んでやる、そう思ってると気がつきゃ、1週間も、半年も生きてたりして。おかしなもんよね。……あったでしょ? あんたにもそう思ったこと」
     タロスは応えず、ぐびりとグラスを飲み干した。
     するとフランキーはすかさず、タロスの前に手を伸ばし、ボトルを先取りした。
     空のグラスに、なみなみと琥珀色の液体を満たす。
    「……喉が渇くのってさ、不幸よね。けど、それって明日の身体をつくるために、必要だっていうサイン。そう考えるとさ、乾いた喉って不幸だけど、不幸じゃない。身体はいつも、生きることしか考えてない。自分がどんなに死にたくても、せっせと生きようとすんのよ。これってさあ、いじらしいし、健気じゃない? それをわかった時に、ああ、あたしの中にこんな一所懸命なとこがあるんだって、愛おしくなったわ。自分自身が。命の逞しさっていうのかしらねえ……、これさえあれば、あたしはどこでも生きていけるって自信がついたもの」
     ね、あんたもどん底で何かを感じとったこと、あるんでしょ?
     フランキーはもう言葉では問いかけず、タロスを見つ返した。
     そして、ずっと聞き手に回っていたタロスは、ゆっくりと唇を開く。
    「……俺は」
     からん、とグラスの中で氷が踊った。
    「俺は、そんなクソ難しく考えたことはない」
    「そうね。あたしは感じたこと口にすんの得意だけど、タロスはちょっと無理ね」
     くす、と笑い、フランキーは小皿に盛られたナッツをひとつ摘む。それを、ぽーんと放って口で受けた。重苦しい会話さえも、軽く手玉にとるように。
     何気ない仕草だが、タロスにはそう見えた。
    「議長が、ジョウをタロスに任せたのってさ、とどのつまり、そうかもよ」
     フランキーの奥歯で、かり、とナッツが弾ける音がした。
     タロスは、男であり女でもある妙ちくりんな昔なじみに、ずっと遠いところにあった答えを差し出された気がした。
     しかしながら。
     やすやすとはまだ頷けなかった。
    「……追々、考えてみるさ。おめえの助言を踏まえてな」
    「やあね。即断即決じゃないのって」
    「仕事じゃねえからな」
     フランキーは両の手を組んで肘をつき、甲に顎を乗せる。
     天井をちらと見上げる素振りをすると、ふっ、とひらめいた顔をした。
    「ねえ、このアドバイス料って、何で払ってくれんのかしら」
    「な、何いいやがる」
     タロスは大きくたじろぐ。
    「俺は頼んでない。おめえが勝手になあ……」
    「すっごく高いわよ。気合い入っちゃったから」
     急に、雲行きが怪しくなった。
     どうもフランキーは、場の空気を自在に操るところがある。そして、高いアドバイス料といわれ、タロスは焦った。
     また唇を奪われるのか。いや、高いとなると、それ以上の要求かもしれない。大の大人であるタロスが、貞操の危機を過ぎらせるなどとは、このフランキーだけだろうが。
     もう今日一日で、何度目かの脂汗をTシャツに吸わせた。
    「取引よ」
    「取引?」
    「ここに滞在する間、あたしのやることに目つぶってくんない?」
    「なにい?」
    「……ちょおっとね」
     フランキーはぶ厚い唇を、舌なめずりした。
    「考えてることがあんのよ」
     そして、にやりと笑った。
     何に対して、考えてること、があるのだろうか。タロスは気が気じゃない。やることに目をつぶれとは、まさか俺に跨ってこねえだろうな、と。どうにもそっちの不安の方が大きかったりする。
     フランキーに日頃からモーションをかけ続けられている男として、自然な勘ぐりではあるが。
     探るべきか。いや、知らんふりをかました方がいいのか。
     タロスは次の言葉を、喉の奥でからませて、迷った。
     すると。
     空白のタイミングを見計らったように、生バンドの演奏が、がらりと演目を変えた。
     ジャズだが、随分と軽快なリズム。トロンボーンの前奏、そして高らかに鳴り響くトランペット。ドラムがアップテンポでバックを締める。
     完全に夕日が落ち、めくるめく夜のプロローグを盛り上げるサウンドだった。
    「あらん♪ “Sing Sing Sing”じゃな〜い。あたしこれも好きなのよぉ。ジャズにしちゃ随分派手だと思わない? 踊ってきちゃおかしらん」
     途端、フランキーはいつもの口調に戻り、カウンターからぱっと離れた。
     そして、きゃっほう! と嬌声を上げ、生バンドのもとへドスドスと向かっていく。
    「……訳わかんねえな、オカマって生きもんは」
     タロスはその背中を見送り、呪いの言葉を吐く。
     センターフロアでは。
     音楽に合わせて踊る、ピンクのクラッシュジャケット姿のオカマ。
     フランキーは一躍、ホテル・フォーエバーでも有名人になった。


引用投稿 削除キー/
■469 / inTopicNo.6)  Re[6]: Shake!
□投稿者/ まぁじ -(2003/05/23(Fri) 11:51:35)

     朝が訪れた。
     まだ気温は低いが、快晴。日中はぐんと暑くなりそうな、休暇には打ってつけの好天である。
    「ジョウ〜♪」
    「ぐえっ」
     ベッドでジョウはプレスされた。というのも、朝寝坊している所に、フランキーが腹に馬乗りしてきたからである。最悪の起こし方だ。
    「そろそろ起きましょ〜よぉ。あたしたちもう、朝のバイキング行ってきちゃったわよv」
     育ち盛りの頃は、どうにもやたらと眠い。
     休暇の場合ジョウは、ほとんど惰眠を貪る生活だった。
    「ぐるじい……。どげ! オガマ野郎」
    「ああん、ごめんなさ〜い」
     と、ちっとも反省の色のない声で、フランキーは退いた。
     ジョウは起きあがり、ふう、と腹をさする。もちろんこんな風に起こされて、機嫌がいい訳がない。
    「フランキー、すっこんでろ! オレたちの休暇を邪魔すんな!」
    「あんた、あたしのチームリーダーじゃないんだから、そんな権限ないのよぉ」
    「権限もくそもない! 場合によっちゃな、おまえを簀巻きにして、ドルロイの海に沈めてやってもいいんだぜ!」
    「んまあ、縛師ぃ? すごいわぁ、ジョウったらそんなことも知ってんのね」
    「あほかっ!」
     ジョウは床に脱ぎ散らかしたジーンズを、片手でひったくる。アンダーウェア一枚だけの就寝姿なので、着替えもてっとり早かったりした。
     スイートにはベッドルームが3つあり、就寝はそれぞれ個室。ジョウのベッドルームは、<ミネルバ>の船室と変わらないほど雑然としていた。どうにも整理整頓が苦手で、クラッシュパックに詰め込んだ着替えなんぞは、クローゼットに放り投げたままである。
     ひらりとベッドを下りると、クローゼットの戸を開け、べろのように衣服がはみでたクラッシュパックを開けた。チェックのシャツを一枚引っ張り出す。折角ドンゴがアイロンをかけたというのに、着る前からくしゃくしゃである。
     そんな風に黙々と着替えするジョウの背中を見、ベッド脇に腰を据えたフランキーは
    「ねえ、ジョウ。あんたってさ意外や意外、食わせモンなのねぇ。あたし昨日、驚いちゃった」
     と、口にした。
     ジョウは首だけ回し、肩越しで彼女(彼)を見た。
    「子供扱いして悪かったわよ。もう立派なもんねえ。あたしも年取るわけだわぁ」
    「……気色悪いな」
     おだてに出てくるとは。
     何か腹にいちもつ抱えた風にしか解釈できない。
    「んね、あんたを男と見込んで、ちょっと面白いゲームやりたいんだけど。どお? 乗らない?」
    「けっ、やだね」
     ジョウはつん、と横顔を見せた。
    「オカマのリクエストは、ロクなこっちゃない」
     確かに。
     腐れ縁としてだてにつき合ってはいない。しかしながら、ジョウの1回の拒絶など、フランキーのとってはひるむ要素であるはずがない。勝手にお喋りを続けた。
    「朝のバイキングでねぇ、おじいちゃんと賭ける羽目になっちゃったのよ」
    「……賭け?」
     ボタンをかけるジョウの手が止まった。
    「やめなさいって言ったんだけど。おじいちゃん、今日ナンパデーにするんですって」
    「エロじじい。しょうがねえヤツ」
    「でしょ? ジョウもみっともないって思うわよねぇ? ところが、わしを甘くみるなっておじいちゃんムキになっちゃって。あたしとナンパの勝負しようって言ってきたのよ」
    「……やりゃあいいじゃんか。勝手に」
     ばたん、とジョウは片手で乱暴にクローゼットを閉じる。
     さして興味が沸く話でもなかった。きびすを返し、さっさとベッドルームから立ち去ろうとする。
     そこを。
     フランキーの手が、ぐいと首根っこを掴んだ。とと、とジョウはたたらを踏む。
    「……ったく。離せよ」
    「まだ話の途中。でね、あたしが相手じゃ面白くないじゃな〜い? だからジョウが相手だったら、賭けに乗るわって折り合い付けたの」
    「オレがあ?」
    「そうよ。あんたを男と見込んでのことよ。どお? やらない?」
     今日のフランキーは、てろてろな生地で、胸元にシャーリングが入った開襟シャツ。しかもちかちかしそうな蛍光ピンクだ。腰に細いチェーンベルトを巻き、フィットした黒パンツ。ファッションにあわせてか、黒のアイラインをいつもより太めに、そしてピンクのアイシャドウ。なんとも派手さが倍増している。
     そんなオカマ姿に磨きをかけて、ジョウにおねだり攻撃だ。
    「あたしさ、ジョウに100万クレジット賭けたのよ」
    「100万……」
    「おじいちゃんも同額を自分に賭けてるわ。もちろんジョウが買ったら、あたしの儲け分、丸々あんたにやるわよ。小遣い稼ぎにはいいんじゃな〜い?」
     ジョウは拳を顎にあてた。
     別に、金額に目が眩んだ訳ではない。ちょっとした悪戯心がうずいたせいだった。
    「随分と弾んだもんだな」
    「だってぇ、ジョウなのよ。そりゃ、ナンパの適齢期とは言い難いけどぉ、おじいちゃんよか勝算ありそうじゃない?」
     見上げるような、色目使い。
    「……いいぜ」
    「え? ホントぉ♪」
     ノーなぞ最初から聞く耳持ってなどいなかったくせに。
     フランキーは両手を組んで、大袈裟にはしゃいでみせた。
    「さっすがジョウ! あんたも男。やるときゃ、やるもんだわ〜」
     とさらに媚びを売りまくりつつも、フランキーは内心、しめしめと思っていた。
     ガンビーノとのナンパの賭け。
     なにせ実際そんなものは、はなからない。賭けなぞせずとも、ガンビーノは1人勝手にナンパを興じるだろうし、止めたところで止まらないご老人である。
     そこでフランキーが、話を持ちかけたのだった。ジョウにちょっとばかし、お灸を据えてやりたいと。
     ガンビーノは別段異議はなし。却ってナンパの競争相手がいる方が張り合いが出るとのたまった。
     タロスはもちろん反対した。しかしながら、フランキーとは昨日の取引がある。それを振りかざし、別の請求として「あたしと寝てみる〜?」と持ち出した。さすがにそれはタロスも勘弁である。フランキーが勝手に取引にしたのだから、そんなもの頑と断ればいいのだが。
     フランキーのしつこさを知ってるゆえに、ここはキチンと、予防線を張っておかねばならない。だがどう説得すればいいか迷い、タロスの口数もおのずと少なくなる。
     それにフランキーには、ご大層な理屈があった。ジョウのような小僧っ子は、びしばし叩き上げるべきだと。ガンビーノはこれに大、大、大賛成。その手本を買って出てやるから、しかと見届けろと、いや「見届けるのよ〜ん」と、フランキーはタロスに言い切った。
     打たれ強くなるには、叩きまくらなければいけない。責任だ、プレッシャーだと、物事をがちがちに考えて子供の顔色を伺う必要なし、と豪語する。そうしないから、ジョウはどんどんつけ上がる。その方が問題だ。
     と、いかにももっともらしくタロスに吐いたのだった。
     だが。
     本心は単に、ジョウをおちょくりたかった。それだけである。
     オカマをナメたしっぺ返しを、思う存分味あわせてやりたい。非常に狭義な理由なのだが、そこは弁の立つオカマ。あれこれ理由をくっつけて、タロスに何も言わせない状況で囲った。
    「それじゃ、ジョウ。30分後に下の、ブルーラグーンのプールビーチでね。パラソルであたしたちの場所は、陣取ってあるわ」
    「30分後? 10分後でもいいぜ」
    「んまあ、ノリノリってことね! オッケイ、そうしましょ♪」
     フランキーはベッドから飛び下りると、ちゅば、と投げキスしてベッドルームから出ていった。
     ジョウはしばらく黙って、耳をそば立てる。両腕を組んで、じっと閉じられたドアを凝視した。
     数秒待って、完全にフランキーの気配が消えたところで。
     にや、と口端を上げた。
    「……ばーか」
     実のところ。
     腹にいちもつがあったのは、ジョウもそうだった。
     一見、体よくフランキーの話に乗ったフリをして、ばっくれる気、満々だった。
     掛け金100万クレジットとは、高額な報酬のクラッシャーとしては、はした金ではある。だが決して安くはない。目安として、のちにタロスが扱う機銃を仕込んだ義手が、250万クレジット。こんな下らない賭けへの金額にしては、相当お高い。
     とどのつまりジョウは、フランキーに最初から、勝つあてのない無謀な賭けをさせるために依頼を呑んだだけ。負けるとか、分け前がないとか、ガンビーノが一人儲けるとか、そんな小さなことはどうだっていい。
     自分の懐を痛めることなく、フランキーの泣きっ面が見られるのであれば、さぞや愉快だろうと。ナンパもできない子供がと罵られたところで、そもそも興味がないのだ。プライドのどっこも、痒さすら感じない。
    「さて、いっちょ揉んでやるか」
     ジョウは手のひらに、ぱん、と拳を打つ。
     楽しくて、楽しくて、うずうずしてくるのだった。


引用投稿 削除キー/
■471 / inTopicNo.7)  Re[7]: Shake!
□投稿者/ まぁじ -(2003/05/26(Mon) 10:21:34)

     ハイビスカス柄の海水パンツ姿で、ガンビーノは意気揚々と準備体操にいそしむ。ご老体とはいえ、クラッシャーである。その年代にしては柔らかい筋肉に包まれた肢体、腹筋もそれなりに割れている。
     ジョウが相手では、若さでまず勝負にならない。ならば円熟したセクシーさ(?)を武器にと、こんななりで現れた。
     タロスは、大型パラソルを2本連ねた下で、何となく浮かない顔つきであぐらをかいている。こちらは上半身裸体だが、ジーンズは穿いたまま。プールに入る気にもなれず、かといってますます上昇する外気温。中途半端な恰好だった。
     フランキーはちらちらとタロスを伺い、「逞しくてス・テ・キv」とときめきつつ、勝負の指揮を執った。ジョウは着替えた恰好のまんま。なにせばっくれるのだから、水着姿では動きに制限が出る。
    「それじゃ、いいわね〜♪ 制限時間は1時間。多く女の子をゲッチューした方が勝ちね。渡したタイムウォッチのアラームがなったら、ここに戻るのよぉ」
     ジョウとガンビーノの手首には、プラスチック製の安っぽい腕時計が巻かれている。これでも一応、50m水深耐圧防水仕様である。フランキーはこの手の準備もそつがない。
    「さて、どーんと行くかの」
    「ガンビーノ、ハンデをやってもいいぜ」
     ジョウは片目をつぶって、悠然と構えた。
    「何を言うかっ。それはわしの台詞じゃ」
    「面白い。しっかと捕まえてこいよ」
    「ジョウ、お前もあとで泣きっ面かくな」
     万が一、ガンビーノが1人もナンパできなかったとすると勝負はタイ。それではつまらない。よってジョウは、ガンビーノをさりげなく煽っておく。
     どのみち自分は、まともにやりあう気などサラサラないのだから。ここはご老体にムチ打ってもらうしかない。
     なかなかの仕掛け人である。
     ホテル・フォーエバーの背後に広がる、ブルーラグーンのプールビーチ。ホテルの全幅以上の規模がある。人工とはいえ、この開放感は本当の海辺に匹敵する。端から端まで、2キロはあるだろうか。
     そして実際の海、海洋生物がいない海原とは、パームツリーで境をつくられている。段差を下れば、本物の砂浜にも出られるのだが、どうせ泳ぐ甲斐のない海。誰もパームツリーの砦をくぐる者はいない。
     だんだんと、陽が真上に向かって移動する時間帯。人出も増えた。水着姿のままで、プールや絶叫アトラクションを存分に楽しめる場所。
     オープンしたてで話題性に富んだブルーラグーンは、若い男女の往来で色めきはじめた。
     獲物もたくさん出回り、いよいよ少年と老人の火ぶたが切られる。
    「いい? いっくわよ〜ん。……レディ〜〜〜、ゴーぉ!」
     フランキーが、頭上から手にしたハンカチを振り下ろす。
     チェッカーフラッグのつもりらしい。
     同時に、ジョウとガンビーノは腕時計のタイマースイッチを押した。
    「あばよ」
    「ほいきた」
     ジョウは右手、ガンビーノは左手へと、分かれて散った。
     あっという間にパラソルの前から消えた。
     2人を黙って見送ったタロスは、缶ビアをぐびりとやる。ふう、と気のない吐息をついた。
     こんなくだらない賭けによくもジョウが乗ったと思ったが、元来負けず嫌いだ。フランキーの口上にうまく乗せられて、とは想像がつく。だがなぜ「勝負がナンパなんだ?」と理解できなかった。ジョウが誰も捕まえられず、赤っ恥をかかせるつもりなのか。いやいや12才の子供とはいえ、一見、15、6にも見える。多少マセた少女くらいなら釣れそうだ。
     なにせジョウはルックスがいい。小生意気なことを言わなければ、充分、惹かれる要素はある。
     どちらかというと1時間後、ガンビーノが白旗を揚げて戻ってくるような気がした。ちょっとのお茶や、お喋りのつき合いといった手合いなら、ガンビーノの方が上だろうが。数をこなすとなると、年齢がネックである。
     と、色々と考えあぐねるが。
     タロスは解せなかった。
     そもそもこんなゲームのどこが、ジョウの叩き上げに結びつくのか。
     分からなかった。
    「2人とも、飛び出して行ったわぁ。いいこと、いいことよ♪」
     フランキーはご機嫌だった。パラソルのもとにいるタロスを見下ろす。
     2人が戻るまで、タロスはこのオカマと相合い傘ならず、相合いパラソルをする羽目になりそうだ。それもまた、ビジュアル的に気まずいのだが。
    「缶ビアしかないのぉ?」
     フランキーは、ホテルでレンタルしたクーラーボックスの中をのぞく。
    「ああ、充分だろ」
    「うーん、あたしアイスウォッカ呑みたかったわぁ」
     随分とキツイ酒を、午前中から欲しがるオカマである。
    「そんじゃあたし、ちょっと調達してくる」
     フランキーは片手をひらひらさせ、パラソルから離れた。残されたのはタロス1人。
     ごろり、と仰向けになる。
     両腕を頭の下に敷いて、眠くもないまぶたを、とりあえず閉じた。

    「はあ」
     ジョウは肩で息をする。
     5、600メートルほどを、一気にダッシュしてきた。背後を振り返る。ホテルの東館からわずかに離れ、もうタロスやフランキーがいるパラソルが、どれだか判別つかない。完全に監視の目をまいた。
    「あちぃ……」
     目に汗が入り、ジョウは拳でぐいと額を拭う。
     ここらまで来ると、砂浜を往来する人も家族連れや熟年夫婦が多かった。ホテル周辺は何かと出入りが多いため、なんとなく落ち着かない。子供をのびのびと自由に遊ばせ、ゆったりと甲羅干しするなら、プールビーチの端に逃げる方が賢いというもの。
     しかもアトラクションに近いのは、ガンビーノが向かった西側。若者がわんさとあふれかえっているだろう。つまりジョウは若者が少ない方、少ない方へと、移動したのだった。
     ジョウはビーチボールを興じる家族グループの脇を横切りながら、次の行き先を考えた。
    「さてと、今日はどこにすっかな」
     昨日は、ライフルのキットを探しに、さんざんガンショップを巡り回った。さすがはドルロイである。職人芸とも言えるマニアックな武器やアクセサリーキットに溢れていた。飽きることはないのだが、せっかくドルロイにいる。掘り出し物とやらをちょっと探してみたくなった。
     そう。
     とっくにゲームから、気持ちは離脱していた。
    「郊外に出てみるか」
     となれば、レンタルのエアカーをチャーターした方がいい。ジョウはさらに歩を速める。ホテルで借りることもできるが、いつどこで仲間に出くわすか分からない。
     ならば安全策として、ホテルから少し離れたところにある民間ショップを利用する方が妥当と考えた。そこで、このままプールビーチを突っ切ることに決めた。
     すると。
    「いてっ!」
     ジョウは、砂浜に顔からどお、とスライディングした。
     後頭部がズキズキする。小石を投げつけられたような激痛。
     不意のことで、口の中に砂がじゃりじゃりと入った。ぺぺぺ、と吐き出す。そしてすかさず立ち上がり、振り返った。
    「……あれ?」
     怪しい物陰はない。
     辺りを見回した。ビーチボールを興じている家族、わあ、と走り回っている子供たち。景色としてはなんら変化がない。まるでジョウ1人だけ、歩いて勝手に転んだ。そんな無様さだった。
    「……? おっかしいなあ」
     後頭部を右手でさする。頭蓋骨に穴が開くかと思うほどの衝撃。しかし足元を見回したところで、石ころらしきものも見あたらない。
     気のせいにしては、痛みがハッキリしているのに。
     どうにも腑に落ちないのだが、ジョウは再びきびすを返す。とにかく先へ急ごうと、一歩踏み出した。
     だが。
    「いででででっ!」
     ジョウは飛び上がった。
     今度は、蜂の大群に襲われたような衝撃。後頭部やら背中に、どっさりと痛みがたたき込まれる。
     おかしい。
     ジョウはすぐさま身を前転し、砂浜に伏せた。ここらを歩き回る人よりも、一番低い体勢をとる。
     そして顔をわずかに起こし、瞳をぐっと凝らした。
     一瞬。
     きら、と何かが反射した。ホテル東館の角っこ、その屋上である。
    「?」
     宇宙生活者は、日頃から肉眼が鍛えられている。さらによおく凝らした。まばゆい陽光でいまひとつ全貌は定かではないが、きら、と光ったものの形に思い当たるものがあった。
    「くっそお! フランキー」
     ジョウは砂浜を拳で叩いた。
     光ったものとは、彼女(彼)が腰に巻いていたチェーンベルトの反射だった。

     ジョウは恐らく、ばっくれる。
     フランキーにはなんとお見通しであった。というより、ばっくれさせるために、わざとナンパゲームを持ちかけたという方が正しい。そしてジョウをしつこく追い回してやろう、という魂胆だった。
     フランキーの手には銃身が細い、ライフル型のエアガン。ジョウとガンビーノに手渡した腕時計と一緒に、買い足しておいた。おもちゃではあるが、なにせドルロイ製。殺傷能力は低くても、それなりの攻撃力は備わっていた。
     弾はシリコンコーティングされた、いわばパチンコ玉。だが当たれば相当に痛い。いくらクッション性があっても、当たり所によっては大怪我だ。エアガンや弾のパッケージには「くれぐれも人に向けて撃たないように」とご丁寧に注意書きがされている代物である。あぶない。
     とはいえ、人の往来が盛んにあり、これだけの遠距離。
     相当の射撃の腕前がなければ、こうも百発百中は到底無理だ。
    「あらん♪ 気づいたようね」
     フランキーは、高々と片手を伸ばして、左右に悠然と振ってみせた。「あたしはココよぉ〜」と言わんばかりに。
     砂浜に突っ伏した、豆粒のようなジョウが起き上がるのが分かった。表情まではさすがに拝めないが、あの凛々しい眉をギンギンに吊り上げ、瞳を怒らせ、歯をぎりぎりと噛みしめてるのは容易に想像がつく。
     だがフランキーは、ジョウが怒り狂うほど、嬉しくって仕方がない。
     二度も騙されやしない。オカマのプライドにかけても。それほどに彼女(彼)は燃えていた。
     すかさず、フランキーはライフルを構えた。ぴた、とポーズが固定される。
    「ジョウ〜♪ 一度買った勝負事を放棄するなんて、あんた男の風上にも置けないわよぉ。おしおきね、メッ!」
     トリガーを引いた。
     しかも目に止まらぬ連射弾。エアガンゆえに音はショボイが、緊迫感は実弾と変わらない。
     豆粒のようなジョウが、まるで火にあぶられた栗のように、ぱちぱちと飛び回った。
    「オーッホッホッホ。見物ねえ♪」
     高らかに笑いつつも、フランキーは瞬きもせずにターゲットを執拗に追い回す。
     が、それも長くは続かなかった。
     フランキーの攻撃をかわすので必死、と見せかけて、ジョウは移動していた。なんと服のまま、どっぼーん、とプールに飛び込んだのである。
     水中ともなると、さすがに弾の威力は半減する。
    「そうこなくっちゃ♪ 逃がさないわよぉ」
     うふ、と肩をすくめると、フランキーはひらりと身をひるがえす。屋上への非常階段口に向かって、猛然と駆けだした。


引用投稿 削除キー/
■472 / inTopicNo.8)  Re[8]: Shake!
□投稿者/ まぁじ -(2003/05/26(Mon) 10:22:59)

    「ぶはっ!」
     ジョウは水面から顔を上げた。
     幅をとんでもなく利かせたプールは、奥行きもさすがにある。100メートルほど、ジョウは潜水泳法で渡り切ったのだった。
     しかもこのプール、1時間おきにビッグウェーブと称して人工的に波を起こす。ガンビーノが向かった方は区画され、そこは開園時間いっぱいまで、サーフィンを興じる若者たちでごった返していた。東側を選んで、つくづくラッキーである。
     しかし、フランキーに見つかった。これは本気で逃走しなければ。
     ジョウは水面からホテルの一角に視線を投じる。随分と離れてしまったものの、怪しい気配はない。そもそも、ジョウが回避行動に出たのだから、フランキーがじっとしている訳がない。
     プールサイドに上がった。無理矢理呼吸を整えて、ジョウは脱出を図る。
     スニーカーを蹴って、目指すはパームツリーを突っ切ること。郊外に出るために、民間のエアカーショップに出向くのはやめた。この場からトンズラすると悟られたのだから、そこを抑えられている気がした。
     ドルロイは小島が特に多い惑星である。ナイマン島沖にも、数え切れないほどの無人島がちらばっていた。それのどこかに、ひとまず身を隠す。さすがに、しらみ潰しはフランキー単身では無理。
     隠れた者勝ちであることは明らかだった。
     ジョウはパームツリーを抜けると、削り取られたような段差を滑り台のように尻で下りた。本物の砂浜に足をつける。休む間もなくダッシュした。
     一旦、駆け足を止めずにくるりと一回転。人影はいない。フランキーはここには辿り着いていない。あのオカマがここに走って現れるには、もう少し時間を要する。
     とにかく行けるところまで全力で泳ぎ、あとは水しぶきを上げず、波をなぞりながら泳げば姿をくらませる。そうジョウは考えた。
     フランキーの足でここに辿り着くまで、おおよそ7分。そこが勝負。
     ジョウは走る勢いのままに、ざぶんと海に飛び込んだ。
     海洋生物がいないだけあって、海の透明度は低い。だがもう、そんなことはお構いなしである。必死に両手で水を掻く。ぐんぐんと距離を伸ばす。対岸、一番近い小島でも目測にして5キロ。充分、ジョウなら遠泳できる距離だ。
     頭の中でカウントしながら、クロールを続ける。海水をたっぷり含んだ衣服が、どうにも抵抗を大きくする。水着じゃなかったのが裏目に出たが、こんな展開など予測してなかった。
     ひたすら、ぶっちぎるしかない。
     少しオカマを甘く見たとは過ぎるも、絶対に逃げきってやると、自信は萎えることはなかった。
     そして。
     ジョウのカウントできっかり7分。手足を掻くのをぴたりと止めた。
     なるべく低く息継ぎをしつつ、ジョウは平泳ぎで前進を続けた。そして時折、横に体勢を流しながら、背後を伺った。
     がらんと人気のない本物の砂浜には、それらしき人影は見あたらない。フランキーはやはり、民間ショップに回ったと考えられた。
    「よし、いける」
     勝機をつかんだ。とはいえここは焦らず、慎重に、平泳ぎのままジョウは小島を目指す。
     大波、小波。ジョウはそのリズムにしっかり合わせながら、海面を舐めるようにして、確実に目的地へと向かっていた。
     そんな折りに。
     波音に紛れて、硬質な音がする。ブーン、とした音だ。
     ジョウはぷかぷか浮きながら、空を見上げた。
     プロペラ機のような、モーターが回る音に近かったからである。ドルロイは腕のいい職人の集まり。博物館にあるような旧式のプロペラ機などを、遊び半分でレストアする輩も多い。街ではエアカーではなく、タイヤカーも当たり前のように走っていたりする。
     しかしながら空には、海鳥一羽も飛んでいなかった。
     だが音はどんどん大きく、近づいてきた。
    「──はっ!」
     ジョウは右手を向いた。すると水しぶきをVの字に巻き上げ、小型のモーターボートが疾駆してくる。船首が激しくバウンドする。エンジン全開だと分かった。
    「フランキー!」
     姿など確認するまでもない。こんな場所に、現れるとしたら1人しかいない。
    「やっべえ!」
     ジョウは思いっきり息を吸い込んだ。潜る。これしかない。

    「フン、フフン、フン、フーン♪」
     フランキーはやや調子っぱずれな鼻歌を歌い、立ったまま操舵を操る。激しい向かい風に、流れるようなヘアスタイルは、潮風でばりばりと軋みはじめた。
    「あぁん、今夜はトリートメントが必要ねぇ」
     と、悠長に他のことを考える余裕があるのだった。
     すると前方の海原に、ぷくん、と小さな黒い物体が沈むのが見えた。
    「はいはい、読めてるわよぉ♪」
     フランキーは操舵の手を休めずに、一旦しゃがみ込む。シートの脇に組み立て完了したアイテムを手にした。
     それは──ボウガン。
     ジョウのモリ釣りをしよう、ということなのか。もちろんこの武器のパッケージにも「人には向けないでください」と注意書きがしっかりされていた。よい子は真似をしてはいけない。
     ボウガンを手にし、銃身をひょいと肩にひっかけた。そしてぐい、と操舵を一気に右回転。
     テイルスライドをさせ、船体を斜めに倒し込み、ざあっと海面を横滑りする。安全航行のコツは、波に向けて直角に前進させることが鉄則。波に平行すると簡単に転覆する。だがフランキーの腕はここでも確かだ。
     瞬間、モーターボートが波の上で木の葉のように舞ったが
    「うらっ!」
     と、浮いた足元をがつんと踏んだ。
     一瞬がさつな男声が出た。しかしながら怪力でねじ伏せたおかげで、船腹は海面にぴたりと吸いついた。
     そして、ジョウが沈んだポイントを中心点に、360度、ぐーるぐると旋回を始める。
     もちろんこの間、フランキーの双眸は透明度の低い海中を、じぃっくりと観察している。
     こうして待っているだけでも、いつかジョウは浮いてくる。魚ではないのだ。息が持たない。しかしながら、獲物が向こうからやってきてもフランキーはくそ面白くもない。
     だから。
     ジョウが海中にいるうちに、撃つ。
    「みぃ〜〜〜っけ♪」
     フランキーはボウガンを片手で構えた。左手で支えもせずフリーハンド。ボートで旋回しながらも、銃口は一点にぴたりと定められた。
     トリガーを引く。
     矢が海面を打つ。遅れて、細いロープも海中に引き込まれた。

    「がぼっ」
     ジョウは思わず大口を開けてしまった。どでかい泡が、貴重な酸素が、口から漏れた。
     なにせシャツの襟から背中にかけて、鋭く固い感触が擦過した。
     フランキーの狙いは、ジョウそのものを撃つのではなく(そりゃそうだ)、とにかく引っかけること。しかしながら、数ミリずれれば、ジョウの皮膚を確実に裂いていた。
     これもまた、あぶない。
     ちなみにこの矢は、リモコン操作ができた。先端20センチほどが2つに裂け、広がる。ほぼ90度の角度で扇状を成した。この間にネットを張れば、網で掬うこともできる変形漁獲アイテムだった。
     するとジョウのシャツは、背がぱあと広がり、羽根のように膨らんだ。
    「むぐっ……」
     両手で口元を覆う。上がりたいのだが、上がれない。かといってこのままでは、確実に溺れる。苦渋の選択。というか切羽詰まった状況でも、まだ選択を迷うあたりが強情である。
     そしてロープがぴいんと張った。瞬く間にジョウのシャツが引かれ、腹が露わになり、胸までたくし上げられた。シャツは救命用の浮き輪のごとく、ジョウの両脇の下でくしゅっと巻きついた。
    「ぶ……?」
     吊り上げられる。ジョウの捕獲作戦開始だ。
     両足をじたばたあがいてみるも、ぐんぐんロープで引かれていく。ざばあ、と大物を釣ったしぶきを上げて、海面に上がった。
    「ぷっはー!」
    「きゃ〜、やったわ〜♪」
     ロープの先は、しっかとフランキーの片手にからまっている。ジョウの逃走劇はこれにて一件落着。
     かと、思われたが。
    「そ〜〜〜れぇっ♪」
     フランキーはボートを今度は直進させた。
    「ぎえええっ」
     ジョウは背面状態のまま、引き回しの刑にされてしまう。
     しかも相も変わらずエンジン全開。右へ左へと蛇行しながら前進する。その度ジョウの身体は、飛び石のように跳ねまくる。時には波を利用して、ジャンピングまでされてしまった。
     哀れである。
    「わっぷ!」
     ジョウはもがいた。
     シャツ胸の辺りに畳み込まれているため、ボタンを外せない。
    「くっそおっ!」
     とにかく、あがいて、あがいて、あがきまくる。すると右肩からつるっと、いきなり腕が抜けた。これをチャンスに、頭を抜き、ずぼっとシャツから抜け出る。
    「──あらん?」
     急にロープの過重が抜け、フランキーの手元がすかっと空を切った。海面からぽーんと、ボウガンの矢、それにからまったジョウのシャツが釣れ、ボートの床にかららんと落ちた。
     モーターボートの速度を落とし、背後の海原を見渡す。遠くの方で水しぶきが上がっていた。ジョウだ。形勢不利と判断したのだろう。再び浜に戻っているのが見えた。
    「い〜いじゃなぁい? 鬼ごっこの延長戦ね♪」
     フランキーは操舵を手早く切ると、再びモーターボートを走らせる。が、徐々に浅瀬となる浜辺方面ではなく、沖合へと向かった。ここでの捕獲は諦めたのか。いや、別の作戦に出たと考える方が妥当だろう。
     泳いで逃げることに必死なジョウには、フランキーが立ち去った姿は見えなかった。


引用投稿 削除キー/
■473 / inTopicNo.9)  Re[9]: Shake!
□投稿者/ まぁじ -(2003/05/27(Tue) 13:59:36)

     おかしい。
     パラソルの下で仰臥したタロスは、クロノメータを顔の真上にかざした。
    「……そろそろか」
     ナンパゲームのタイムアップまで、あと10数分に迫っている。と、いうのにフランキーがまだ戻ってこない。一体どこまでアイスウォッカの調達に行ったのか。ドリンクショップに、好みの男がいて道草でもくっているのか。それならそれで、好都合なのだが。
     なんとなく、おかしい、と感じていた。
     そんな矢先に、ぶつっと音楽が途切れた。プールビーチの雰囲気を盛り上げる、ポップミュージックが消えた。ゴトゴトと雑音が響いたかと思うと、キーン、とハウリング音がつんざいた。
     タロスも、その周りにいる観光客らも、一番手近なスピーカーに顔を向けた。
     やがて、ピンポンパンポーン♪、とチャイムが鳴った。どうやら場内アナウンスらしい。興味なさげに、タロスはパラソルを見上げた。
     その時だった。
    「はろ〜ぉ♪」
    「ぶ」
     タロスはがば、と半身を起こした。
    「本日はブルーラグーンにおいでくださいまして、ありがとうございまぁす〜♪」
     この独特の口調、そしてハスキーボイス。
     フランキーだ。
    「今日いらしたゲストの皆さま、ラッキーよぉ〜。これから宝探し大会がはじまるのよねぇ。参加しとかないと大損よぉ〜」
    「た……宝探し?」
     なんじゃそりゃ。
     タロスは軽いパニックに陥った。
     実はフランキー、ホテルのレンタルボートを返却した際、敷地に点在する館内放送ブースを乗っ取っていた。もちろんいま、駐在員は縄でひと縛り、タオルでさるぐつわ。ほんの数分間の放送ジャックだからと頼んだのだが、断られたのでちょっとばかし強行に出たのである。
     そして場内放送は続いた。
    「あたしの尋ね人を一番早くとっ捕まえたら、賞金100万クレジットよ〜♪」
     おお、と周囲がどよめいた。
    「じゃあヒントを言うわね〜。黒髪で、アンバーの瞳の男の子。アタリかどうかは、あたしが判断するわ。結構すばしこいのも特徴かしらねぇ。さあ、制限時間10分以内に見つけたら、ナンバー23の監視カメラの前に来てちょ〜だ〜い」
     ナンバー23の監視カメラ。
     砂浜に等間隔で、立てられた柱なのだが。タロスがひょいと、手近な監視カメラを見上げると、プラカードには「23」と書かれていた。
    「……て、こたぁ」
     ごくり、とタロスは唾を呑んだ。
     フランキーは、好みの男にひっかかっている訳でもなく、アイスウォッカを探しさまよっている訳でもなかったことに、タロスは気づいた。
    「そんじゃ始めるわよ〜。レディ〜、ゴー♪」
     と、発声した途端。
     ポップミュージックが場を盛り上げんばかりに、いきなり大音量になった。
     タロスは跳ね起きた。
     そもそもいま、ナンパにかけずり回っているはずのジョウが、フランキーに追われている。最初、フランキーが邪魔してるのかと思ったが、すぐさま否定した。おそらくジョウが放棄。フランキーが追っ手。
     そう考える方がすんなり行く。
     彼女(彼)のしつこさを、骨の髄まで知っているタロスだ。しかも無関係の観客まで巻き込んでの、大追跡劇の幕が上がった。実際、目の前にいる若い男女はもう、目の色を変えて「黒髪、アンバーの瞳、少年」と、唇とぶつぶつと動かして、辺りをうろうろと探し始めていたりする。
    「度を超した仕置きだな、こりゃ」
     タロスは口をへの字に曲げた。
     ひとまずパラソルから飛び出す。だが飛び出したところで、どうしたものやら。足はそこで止まってしまった。
     そんなタロスの耳朶に。
     ドドドドド。
     と、低い地響きが届いた。
    「な、なんだ?」
     頓狂な声を上げ、右手に首を振った。
     もうもうとした白い砂煙が舞い上がっている。乱立したパラソルが次々に、なぎ倒され、はじき飛ばされ、いきなりそこに竜巻が沸いたのかと錯覚を起こす珍現象が目に映った。
     それは──人の波だった。
    「うっ……」
     タロスは慌てて目元をこする。そして再び、その先頭に目をこらした。
    「うわわわわ!」
     間違いない、あの声。
    「──ジョウ!」
     タロスは叫んだ。ジョウは、群衆に追われている真っ最中だった。両腕を大きく振り、必死の形相で走る。タロスの声も姿も、まったく察知する余裕がない。
     そしてタロスの目の前、5メートルほど先を、右から左にドーっと駆け抜けていった。砂煙に包まれ、タロスは一瞬、両腕で顔をカバーする。「足が速え」「誰か先回りしろ」「あたしが先よ」と、群衆からわいわいと声が上がったのが聞こえた。
     プールビーチはたちまち、暴動さながらの騒ぎに包まれた。

     ──結局。
     ジョウは群衆を振り切った。わざと障害物の多いところを選んで逃げ、群衆の先頭がつんのめった所に、将棋倒し。運良く死者は出なかった。健全な遊び場で死者などだしたら、ブルーラグーン開園早々、縁起でもない話だ。いくらお得意先のクラッシャーとはいえ、今後のつき合いに悪影響が出たかもしれない。
     そして腕時計のアラームが鳴った。
     と、同時に、場内放送にまたもやフランキーの「は〜い、時間切れ〜♪」の声が轟いた。ジョウのことだ、簡単には捕まらない。だがフランキーの目的は、懲らしめられればいい訳で、最初から100万クレジットの賞金など払う当てもないと読んでいた。
     そんなこんなで。
     一大イベントが終演した。
     ……タイムアップから数分後。
     時折スキップを織り交ぜながら、フランキーは軽やかに舞い戻ってきた。エアガンとボウガン、その付属ベルトを担ぐようにして、背にぶら下げながら現れた。
     これで全員が、パラソルのもとに顔を揃えた。
    「あらあ、おじいちゃん♪ モッテモテね〜」
    「おお、フランキーか。やっぱりライバルがおると燃えるよのお」
     ガンビーノは相好をでろでろに崩していた。
     その背後には、意外や意外、ざっと数えて20名ほどの若い女性が群れている。
     うち、とびきりスタイルのいい女性が一人
    「ねーえ、お腹空いたわあ」
     と、ガンビーノの肩に手を置いてねだった。
    「そろそろ昼じゃしな。約束通り、皆でホテルのレストランに向かおうかの」
     ほくほくとした顔で、ガンビーノは応える。
     なんだ。
     タロスは、ちっ、と舌打ちした。
     ようは飯で釣ったらしいと分かったからだ。
    「そういうことじゃて。勝負も一目瞭然、わしは先に失礼するぞ」
    「はいはい、た〜っぷり楽しんできてね〜♪」
     フランキーは、片手をひらひらとさせて、実に気持ちのいい笑顔(本人いわく)で見送ってやった。そして団体さんが消えたところで、フランキーはパラソルの下に足を踏み入れる。
     レジャーシートの上に、大の字でうつ伏せたジョウを見下ろした。
     背中には、ぐろっきー、と書いてある。
     フランキーはしゃがみ込むと、人差し指でつつん、と頭を突いやった。
    「分かった? あたしを欺こうなんて、100万年早いのよぉ」
    「…………」
    「おじいちゃんとの勝負にも負けたし、嘘ついた挙げ句に無様な逃げっぷりで。こ〜んな情けない男がクラッシャーなんて、ちゃんちゃら笑わせてくれちゃうわぁ」
     うふ、とフランキーは口元をゆるめた。すると、
    「……しろ」
     くぐもった声がした。
    「え? なあに? 聞こえないわ〜」
    「好きにしろって言ったんだ」
     両肘を立てると、ジョウはぐぐっと上体を起こす。険を含んだ顔が上がった。するとフランキーは、その顎に、ごり、と固い物を押し当てた。
     エアガンの銃口だ。
    「もう逃げないってことね?」
    「ああ! どうせ勝負に負けたら、フランキーのことだ。ただじゃ済まないんだろうさ!」
    「察しがいいわね〜♪ ご名答」
    「けっ!」
     ジョウはぱっと起き上がると、その場にあぐらをかいた。
     両腕を組み渋面をつくる。もう煮るなり焼くなり勝手にしろといった様子だ。
    「男に二言は、ないわね?」
    「ねえよ!」
    「……オッケイ。分かったわ」
     フランキーは膝に手を当て、よいしょ、と立ち上がる。エアガンのベルトをぶんと振り回して、また背中にぶら下げた。がちゃり、とボウガンとかち当たる。
    「明日の朝10時きっかり。あたしの部屋に来てちょうだい」
     ジョウは目だけ、ぎろと上向けた。
    「あんたの意志で来なさいよ」
    「……ふん。わかったよ」
    「じゃ、今日のとこはいいわ。解放したげる」
     一度食らいついたら離さないと思っていたオカマは、予測を反してあっさり引いた。それはそれで気味が悪いのだが。もう腹をくくったジョウだ。罰がいまだろうが、明日だろうが、さして変わりはしない。
     すかさず立ち上がる。
    「ジョウ」
     タロスが声をかけた。
    「──出かける。夜までには戻る」
     硬い表情だった。
     タロスは引き止めようとしたのだが、できなかった。何かジョウの全身がピリピリとしていて。それからジョウはジーンズのポケットに両の手を突っ込み、砂浜を踏みしめるようにパラソルのもとから去った。
     しばらくの間、タロスとフランキーはそれを見送る。
     すると
    「ふふん♪」
     と、フランキーが鼻で笑った。そして言を継ぐ。
    「あの子、今夜は眠れないわねぇ」
    「眠れない?」
     タロスは隣に首を回した。
    「あたしから逃げられなかったことが、悔しくて悔しくて、たまんないはずよ」
    「おめえ……」
     ようやくタロスは、フランキーの思惑を理解した。
     ジョウは、まったく歯がたたなかったのだ。12才にして、クラッシャー評価ダブルAだけあって、センスはずば抜けていいのだが。明らかなるキャリアの差を、叩きつけられたのである。
     恐らくジョウは、もっとこうすれば良かった、ああすれば良かったと、頭の中がいっぱいになっている。あのピリピリとしたムードは、こけにされた悔しさと自分の未熟さに、相当苛立っているせいだ。
     タロスは内心唸った。
     ただの脳天気なオカマじゃねえ、と。
    「──ちょいと」
     フランキーは、肘でタロスの腕を小突いた。
    「いいわね? あたしのやることに、目つぶってんのよ」
    「……あ、ああ」
     なんだか気圧されてしまったタロスは、そう答えるだけでやっとだった。
     そして。
     フランキーの方がよっぽど、教育係として堂に入っている。ここはひとまず、ジョウを任せた方がいいのか。タロスはそんな風に思いめぐらせていた。


引用投稿 削除キー/
■474 / inTopicNo.10)  Re[10]: Shake!
□投稿者/ まぁじ -(2003/05/27(Tue) 14:00:45)

     ガンビーノやタロスには、真似できない芸当。
     オカマという変わり種であることなど棚に上げ、好き勝手に振る舞うフランキー。傍から見たら、ジョウを単におちょくっているだけなのだが。どうにも必ず、真っ当な理由というか、後ろ盾をつくっていたりする。やめろ、と直球で言わせない節がある。
     憎むどころか、ニクイ演出が満載だ。
     タロスも少しばかり、フランキーの爪の垢でも煎じて飲ませれば柔軟になれるのだろうが。補佐役に対し、頭でっかちで、肩に力が入りすぎなタロスにはまだ、感情を露わにしてジョウと向き合うには時間が必要だった。
     さて。
     フランキーがやることなすことは、現在の所うまく噛み合っていたりする。手も足も出せなかったジョウは、やはり悔しさが募り、まともに睡眠がとれなかった。朝方ようやく、うつらうつらし始めた。
     つまり、危なく寝過ごすところだった。
     ジョウが起きたのは、朝の9時57分。モーニングコールをしておいたのだが、全く聞こえなかった。寝ぼけた手で切ってしまったのだろう。
     どのみち、ギリギリである。
     たかだか数分の遅刻が、また何かの形で倍返し、いや数100倍返しされるのはご免だ。
     それはもう大慌てである。ジーンズに足をつっこんで、シャツなど手にしたまま部屋を飛び出した。リビングにいたガンビーノやタロスからの朝の挨拶など、そっちのけ。廊下を必死に走りながら、シャツを羽織るという状況。
     フランキーの客室は、同じ階ではあるが、20部屋ほど離れていた。
     全力疾走。起き抜けの心臓だけに、息が上がるのが早い。
     ドアに辿り着くと、チャイムを押すのもまどろっこしく、激しくドアを拳で叩いた。
    「開けろ! オレだ」
    「はぁ〜い♪」
     返事と同時に、ドアがスライドした。
     どうやらフランキーは戸口で待ち伏せてたらしい。ジョウに向かって、にっ、と白い歯を見せた。
     今日のフランキーは、ボートネックの半袖白シャツに、黒のエプロン型タンクトップを重ね着し、ボトムは黒のジーンズ。腰元は一瞬ガンベルト? かとおもいきや、右サイドに大きな革のポケットがついている。中にはコームやらブラシやら。
     メイクポーチならば、出し入れなどの使い勝手は良さそうだ。
    「いらっしゃい。逃げずに来たわねぇ」
    「……言ったろ。二言はないさ」
    「そうそう。仲間との約束は、破るもんじゃないわよぉ」
    「つべこべうるさいな。てっとり早く用件済ませろよ」
    「そうね。じゃ、中に入ンなさい」
     フランキーは顎をしゃくる。
     ジョウは口を真一文字に結んで、足を踏み入れた。
     フランキーの客室はツインルーム。クイーンサイズのベッドが2台、ででん、と並んでいた。
     メイキングされたままのベッドには、大きな紙製のショッピングバッグが3つ乗っている。オカマも女性同様買い物が好きだ。実際昨日ジョウを仕留めてから再び、フランキーは繁華街まで足を伸ばして、ショッピングにいそしんできたのである。
    「さ、そこに座って」
     ベッドの足側に、半月型の鏡を埋め込んだパウダーコーナーがある。卓上にはフランキーのメイク道具が一式広げられていた。それと向き合うように置かれた籐製のチェア。
     ジョウは。
     すごぉく、嫌な予感がした。ごく、と喉を鳴らす。
    「フ……フランキー、まさか……」
     ジョウはそろおりと、背後を伺った。するとフランキーはサイドのポケットから、何かを掴み出す。ぱちん、と音がした。
     見たところ、カミソリ、である。
    「ふふ♪ じっとしてるのよ〜ぉ。目ン玉、削ぎ落とされたくなかったらね」
     じり、と足が出ると、ジョウも、じり、と後じさった。
    「前々から感じてたんだけどさ。オカマの美学を、あんたどっか馬鹿にしてんでしょ?」
    「そ、そうだっけかなあ……」
     とぼけてみせた。
    「狭い心じゃね、宇宙では生きていけないわよ〜ぉ」
     ねっとりとした口調でコメントを吐くと、口端を軽く上げた。
     男のくせに、女のなりをする。12才の少年にとっては、生理的に違和感を感じて当然だ。メンタリティの相違とも言える。しかしながら、いまだ広がり続ける宇宙。いろんな価値観のるつぼで生きていくのが、宇宙生活者なのだ。
     自己の価値観に捕らわれていては、宇宙の規模についていけない。心も、宇宙のように広くなければ……なーんてのは言い訳で、フランキーは単に、オカマを小馬鹿にする態度が気に入らなかっただけである。
    「やってみればあんたも、少しはオカマを見る目が変わるわよ〜ぉ♪」
    「マ……マジかよ……」
     ジョウは。
     顔をくしゃりと歪めて、泣きそうになった。
     
     午後に差し掛かった頃、気温は33度を超えていた。
     プールビーチでたわむれるには、絶好の天候コンディションである。じっとしているだけでも汗が流れ、吸い込む空気も灼けるように熱い。白い砂浜にくりだす人、人、人は、それはもう皆、肌を露出した恰好だ。若ければ若いほど、露出も多い。
     だがプールビーチに面した、ホテルの裏手にあるオープンカフェは、直射日光を遮る木々で覆われ、幾分涼しげである。日中の気温に耐えかねた老紳士・婦人、日焼けはちょっと遠慮したいといった女性たちは、このカフェに逃げ込んでいた。
     そのテーブルに一人。
     開放的な場所にあって、きちんとした身なりの少女がいた。
     つばの広い白い帽子、半袖のパフスリーブデザインでパステルブルーのドレス。腰の後ろにはきゅっと、大きなリボンが配されていた。帽子からは、長く、まっすぐな黒髪が流れている。
     まるで高原の避暑地にいるような、清楚な印象の少女だった。
     白いワイシャツに蝶ネクタイをつけたカフェの中年のウエイターが、彼女のそばに近寄った。
    「お嬢様。ご注文はお決まりでしょうか?」
     声をかけられ、ぱっと顔を上げる。
     少女相手なのに、ウエイターは一瞬どきりとした。
     エキゾチック、そしてとてつもなく気品ある愛らしさなのである。
     長いまつげに縁取られた、ぱっちりとしたアンバーの瞳。筆で描いたような、形のいい柳眉。蜂蜜で濡らしたような、ピンク色の唇。
     この陽気でも、汗ひとつかいていない白い肌。ここだけ涼風が、吹き抜けているかと思わせる容貌だった。
    「あの……、ご、ご注文は」
     少し頬を赤らめたウエイターは、震えた声で再び尋ねた。すると少女は、うつむいた。
     よほど育ちがいいのか、背筋をぴんと伸ばし、両手を膝の上に乗せている。指先がもじもじと、動く。
     きっと日頃は、じいやかばあや、お付きの人間が世話を焼いてくれているのだろう。こうした店で、たった一人で、初めてお茶をするというような、どこかぎこちなさが漂っていた。
    「……ジ」
    「はい?」
    「……ジンジャーエール」
     消え入りそうな、か細い声。少女の容貌と重ね合わせると、相当内気なお嬢様らしかった。
    「かしこまりました。しばらくお待ちくださいませ」
     ウエイターは、いつも以上に営業スマイルを輝かせてその場から去った。
     少女は
    「……ほっ」
     と溜息をついた。
     すると少女の左耳に、左耳だけに聞こえる声が届いた。
    「ほらあ、お膝の力が抜けてるわよ。パンツ、見えちゃうでしょ」
     慌てて少女は、両膝をぐっと合わせた。
    「緊張感が必要なのよ、緊張感が。い〜い? 分かってる?」
    「……くそったれ」
     ぼそ、とお嬢様らしからぬ声が漏れた。
    「だめよ、そんなセリフ、口にしちゃあ」
     骨振動で受信されるため、呟きも通信相手には丸聞こえだった。
     しかしながら、周囲には聞こえなかったようだ。
     そう。
     もうお察しの通り、この少女は、化けたジョウだった。
     さすがは日頃からメイク慣れしているフランキーである。ジョウの気の強い眉を半分剃り落とし、ベースメイクにはことさら時間をかけた。やはり男の子だ。色黒さやキメが粗い肌を隠すさなければならない。そこで、汗でも水でも落ちないタイプのリキッドファンデーションを塗り込んだ。素肌っぽくみせるメイクは、華美なメイクより時間がかかるのだった。
     おかげで、顔は一切汗をかけない。
     そこに細めのアイライン、軽くカールがかかった長めのつけまつ毛、ちゃんとリップラインもペンシルで描き、食べても落ちないそれでいてグロッシィに光るルージュを引いた。
     フランキーは、自分の腕に惚れ惚れしたものである。と、同時に、まだ子供顔が抜けないジョウの土台も良かった。オカマになるどころか、立派な女の子が一丁完成である。
     つまり罰は、これ。
     ジョウにとって屈辱的な恰好で、今日一日過ごさなければならない。逃げだそうにも、フランキーが遠巻きに監視している。そしてこと細かく、女のしぐさについて、無線通信で指摘してくる始末だった。
     美しくあること。あり続ける努力。
     それがいかに気を研ぎ澄ますかを、ジョウに身をもって体得させようということだった。論より証拠、百聞は一見に如かず、というやつである。
     少女という殻に閉じこめられて、ジョウは当然のごとく居心地が悪かった。
     恰好はもちろんのこと、指先からつま先まで、身体のあちこちに気を配らなければならないことが、うざったくてしょうがない。長い髪が潮風に煽られて邪魔くさいし、うっかりすると口紅に髪の数本がへばりつく。うまく長髪を風になびかせないと、ばらばらと舞って舞って仕方がない。
     歩くたびに、コルセットの胸元に入れた塩水パックがゆさゆさと揺れる。変な過重がかかったり、抜けたり。その上ヒールの靴が歩きにくい。足をくじきそうだ。ストッキングも肌に貼りついて、暑苦しい。
     まったく女ってのは、なんてわずらわしい。
     帽子もヘアピースもドレスも、全部うっちゃらかしたかった。
     そうこうするうちに。
     先のウエイターが戻ってきた。
    「お待たせしました」
     一礼し、ジンジャーエールのグラスを前の置くと、
    「わたくしからサービスです」
     と、シャーベットのグラスも差し出した。
     え? とジョウがおもてを上げると、ウエイターはにこりと微笑む。少女のなりではあるが、160センチ近くあるジョウだ。17、8の年端に見えなくもない。いいのか、悪いのか、青い女性らしさを醸し出してもいた。
    「当ホテルにご宿泊のお客さまで?」
    「…………」
    「ブルーラグーンとの併設が当ホテルの誇れるところでありますが、水遊びはお嫌いで?」
    「…………」
     やけに会話を絡ませてくるウエイターだとジョウは訝しむ。
     返答に困った。
    「ちょっとお、ど〜しちゃったのよ〜」
     左耳に埋め込んだイヤホンから、フランキーの声だ。
    「黙れ」
     ついジョウは普段の口調が出た。
    「──は?」
     ウエイターが先に反応した。両目をしばたかせる。
     慌ててジョウは口元に手を添える。ほほほ、と慣れない笑い方で場を濁そうとした。
     見かけはとても魅力的な少女なのだが。もしかしたら少し、暑さで頭をやられているのかもしれない。そう解釈したウエイターは、わずかに顔をひきつらせて、一礼し、去っていった。
     それを見届けてから
    「ふ〜……」
     と、ジョウは肩の力ががっくりと抜けた。
    「あら♪ もしかしてナンパされちゃったりしたわけ〜ぇ?」
     ジョウは口元を覆い、瞳だけ左右に走らせながら小声で応じる。
    「んなワケないだろ」
    「だ〜ってえ、すんごくビューティフルよ、ジョウって」
    「うっせえな」
    「あ、ほら。またお膝が開いてるわよ」
     う、とジョウは膝をぱたんと閉じる。
     まったくどこから監視しているのか。ジョウは辺りをぐるっと、目線だけで見渡す。すると離れたテーブルで、随分と背中がでかい人物がいた。服装からしてフランキーなのは確実。
     左手にはコンパクトを手にしていた。ミラーで反射させながらの監視とは。確かに隣にフランキーがいたのでは、そう簡単に誰それとジョウに近づいてはこないだろう。
     それでは面白くない。ただの着せ替え人形で終わりだ。
     今日半日だけの花の命。とくと楽しんでもらおうじゃないの〜、とフランキーは目論んだのである。
    「ほら、さっさとゴチになりなさ〜い。次の指令があんのよ」
     嗚呼いつか、ギッタンギッタンにしてやりてえ。と、腹の底で唸りながらも、フランキーに勝ち目があるとは思えないジョウ。ここはもう、ぐっと堪えるしかなかった。


引用投稿 削除キー/
■475 / inTopicNo.11)  Re[11]: Shake!
□投稿者/ まぁじ -(2003/05/28(Wed) 11:48:58)

    「お尻引っ込めて、胸は張って! 平均台だと思って、つま先と踵を一直線に運ぶのよ」
     左耳のイヤホンから、もうずっと、やいのやいのと注意が飛ぶ。
     しかも何処へ行く当てもなく、フランキーは先ほどから、ジョウをリモコン操作のようにとことん歩かせた。ホテルのエントランス、正面ゲート前に広がる庭園、そしていまは一番距離が長いプールビーチの砂浜だ。
     もうつま先が痛い。爪が割れていてもおかしくない。トウシューズを履いたバレリーナの気分だ(やったことなどないが)。
     そしてジョウが歩く度に、男も女も、必ず視線を投げてくる。時には「ピュー♪」などという、品のない口笛まで届く。愛らしいお人形さんのようなビジュアルが、どうしても人目を惹きつけていた。
     当のジョウは、動物園のサルになった気分。正直、落ち着かないし、胸くそ悪い。
    「……おい、フランキー」
    「はいはい、なあに〜?」
    「一体いつまでこんなマネさらすんだ」
     サク、サク、と、おぼつかない足取りで砂浜を踏みながら、ジョウは歩く。そこから10メートルほど離れて、フランキーも尾行していた。
    「気持ちいいでしょ〜♪ 注目を浴びるのって」
    「馬鹿か」
    「美しさってねぇ、独り占めしちゃだめなのよ〜。みんなのものなのよ♪」
    「わっけわかんね」
     ジョウは胸の中で、べえ、と舌を出した。
    「しかし巧くかからないもんね。ちょっと頑張ってキレイにしすぎちゃったかしら……」
    「はあ?」
    「高嶺の花だと、簡単に手出しできないって言うし」
     左耳に、ほう、とフランキーの溜息が届く。
    「まだ何か企んでやがんのか。しっつけえな、オカマてのは」
    「ジョウあんたねえ……」
     フランキーの声に、まったくもう、といったニュアンスが混じる。
    「その口が災い呼んでんのよ。そりゃ、あたしもさ、あんたの負けん気の強いとこ好きよ。ただ時と場合、自分の置かれてる状況の考えなしに、ぽんぽん感情的につっかかるのは全て裏目に出たりすんの。わかってる?」
    「はん。御託並べやがって」
    「いっぱしの口持ってんなら、聞く耳もちゃんと持ちなさい」
    「お前に言われたかない」
     イヤホンをすっぽ抜いて、この場からダッシュで逃げたい。ジョウは怒りわななく身体を、かろうじて押さえ込む。昨日、フランキーのしつこさを実感したばかり。これといった対策がないところでは、無様さを繰り返すだけだ。
     しかしながら。
     よくよく考えれば、割の合わないしっぺ返しだとジョウは思ったりする。
     大体、フランキーとタロスをちょいとばかしからかったのは、唇を奪われた、いや、嫌がらせを押しつけられたせい。これであいこの筈なのに、エアガンで撃たれ、モーターボートで引き回しにされ、挙げ句の果てには女装までさせられて。
     どう考えても、おかしい。
     やりすぎだ。
     だが抗議したところで、フランキーが素直に聞き入れるワケがない。
     ……むか。
     むか、むか、むか、むか、むか、むか、むか、むか、むか。
    「ガキだとロクなこっちゃない」
     ジョウは、ぎり、と奥歯を咬んだ。
     早く大人になりたい。一人前になってフランキーの鼻を明かしてやりたい。切実にそうジョウに思わせていた。
     こんな場面に。
     間の悪い人間、空気が読めない人間、というのは出くわしたりする。しかも、類は友を呼ぶ。若い男は4人で徒党を組み、ジョウの前方からまっすぐ歩いてくるのだった。
     絵柄は個々に違うものの、4人も膝上まで裾が長めの海水パンツ姿。金のネックチェーンをぶら下げている者、タトゥーを入れている者、音をたててガムを噛む者。一言でいえば、お育ちはあまりよろしくない。たぶん、頭も勘も、それほど冴えてるとは思えない男たちだった。
    「うひょv マブじゃ〜ん」
     男の一人が小躍りしたステップで駆け寄る。すると残りの連中も、わらわらと集まってきた。あっという間に、ジョウは4人の男たちに通せんぼされてしまう。
     右へ踏み出しても、左へ回避しようにも、連中はささっと前にはだかる。
     ちっ。
     ジョウは舌打ちした。
    「1人でヒマしてんなら、俺らと遊ばねえ?」
     開放的なプールビーチに、男だけでたむろするうら悲しさ。ヒマなのはどっちか。おそらくはこうやって何度も女に声をかけ、フラれフラれて、クラゲのように漂う男たち。
     イヤホンからはフランキーが「安っぽいから相手にしちゃダメ」と忠告する。聞きようによっては、お高い男ならつき合わせるつもりだったのか。
     それも冗談ではない。
     ジョウは帽子のつばを指先でつまみ、ぐい、と目深にする。無視して突っ切ろうとした。
    「おっとっと。待ちな」
     男の一人がジョウの腕を掴んだ。
    「知らない人にはついてくなって、パパに言われてんのか? 男は外見じゃないんだぜえ」
    「そーそー、俺たち健全な青少年」
    「そのなりだと、旅行者だろ? 親切に街を案内してやってもいいさ。へへへ」
     口々にくどき文句を吐いた。ジョウの耳には、ぴいちくぱあちく、としか聞こえない。雑音だ。
     割の全く合わない罰ゲームに、ふつふつと沸き立つむかっ腹。フランキーを相手に晴らせない、むしゃくしゃとした気分は、こういう間の悪い男たちに向けられる。
     とばっちりと受けてしまう側にも、落ち度がある。相手を見てからくどけ。もしくは、己の運のなさを呪え。
    「……丁度いい」
     ジョウはぼそりと口にした。
    「お? そうこなくちゃな」
     明らかに女口調ではなかった。だが、男たちは目の前の愛くるしさに心奪われている。がさつな口調の女も、さして珍しくはない。彼らの女友達の多くはそうだ。
     思い込みで判断をしてはいけない。色眼鏡は時として、見る側が曇っていることすら気づかないことがある。
     ジョウは。
     帽子のつばを指先でついと上げた。次に男たちがちょっかいを出してきたら、それをいいことに一暴れしてやろう。かかってきやがれ。声ではなく、挑発的なまなざしを男たちに向け、出方を待った。
     が。
     世間は美人に親切であることを、ジョウは知ることになる。
    「お困りですかな、お嬢さん」
     男の声がすると同時に、ふっとジョウの前に背中が立ちはだかった。
    「……い?」
     状況を整頓すれば、その声の主は仲裁に出てきたようだ。狼狽えた。狼狽えたのは、地元の男連中ではなく、ジョウの方だった。
     なにせその背中は、見覚えどころか、見慣れているものだったからだ。
    「青いのう、ごろつきども。ナンパの極意は、当たって砕ける前に見極めが大切じゃ」
     この口調、そして真っ白は頭髪にハイビスカス柄の海水パンツとくれば。
     ……ガンビーノだ。
    「なんだ? じじいにゃ用はねえ。すっこんでろ」
    「ほーっほっほっほ。年寄りの言葉を聞き入れんと、痛い目に遭うぞ」
     ガンビーノはこきこきと、首を左右に動かした。
     やる気だ。
     するとジョウの左耳に「あらやだ、おじいちゃん?」と、フランキーの呑気な声が届く。ジョウは口元を覆い、ぼそぼそと問いかけた。
    「……どうすんだよ」
    「助けてもらえるのも美人の特権よ。い〜んじゃない?」
    「オレはばっくれたい」
    「その恰好、見られたくないの?」
    「あったりまえだろ」
    「けどぉ、助けてもらってお礼のひとつも言えないようじゃ、レディじゃないわ〜」
    「知るか」
     埒が明かない。
     こうなっては、どう場を切り抜けるか、とジョウがおもてを上げると
    「うぎゃあ!」
    「ほげえ」
    「んがっ!」
    「ぶぶー」
     と、一斉に悲鳴が上がった。
     ジョウは呆気にとられた。ものの数秒で、ガンビーノは若者たちをのしてしまったのである。普段ののらりくらりとしたガンビーノとは大違い。やはり女が絡むと、張り切り度が段違いだ。
     そして連中が哀しいくらいに弱すぎた。砂浜の上で、ばたんきゅうと大の字になっている。
    「他愛ないのう」
     ガンビーノは、両手をはたいた。楽勝といわんばかりに相好を嬉しげに崩し、くるりと振り向く。
    ジョウは咄嗟に、帽子のつばをぐいとまた目深に被った。
    「お嬢ちゃん、悪さはされんかったかの?」
     無言のまま、ジョウはこくこくと頷いた。「ほら、ちゃんとお礼言いなさ〜い♪」と、フランキーが面白そうに催促するのが聞こえた。
     一難去ってまた一難。いや、こっちの一難の方が一大事。女装を興じているなどと知れては、不覚どころか恥。しかもガンビーノは記憶力がよく、ことあるごとに昔のことを引っ張り出して説教くさい。こんな赤っ恥なことを知られ、先々何かの拍子でくどくど突っつかれるかも知れない。
     弱味を握られるにせよ、ジョウにとっては最悪な事態だ。
     しかしながら、どうやってこの窮地をいかに自然に切り抜ければいいのか。ジョウは必死に脳細胞を働かせる。
    「お嬢ちゃんほどのべっぴんさんだと、昼間でも一人歩きは危険じゃ。この無害な老人が、ひとつ散歩のガードにお手合わせしてあってもいいがのう」
    「…………」
    「ほ。これまた随分と、恥ずかしがり屋さんじゃな。箱入り娘ならますます、ここらを一人で歩かせる訳にはいかん。あれなら、わしが送り届けてやってもいいが」
     いかにも親切な老人といった口調だが、早く言ってしまえばしつこい。単にナンパの相手が、男連中からガンビーノにすり替わっただけでしかなかった。
     するとジョウの左耳に、くすくすとした笑いが響く。
    「おじいちゃん、勘づいてないみたいね♪ んねえ、いっそ騙し続けてみなさいよ」
     いらんことを、フランキーはそそのかしてきた。
     ジョウの気が一瞬そっちに向くと
    「おお、わしも気づかんじゃった。もしかすると、怯えておるのかのう」
     と、右耳からガンビーノの声が入る。
    「敵を欺くにはまず味方から、って言うじゃな〜い♪」
    「なんならどこかでひと息つかんか? パフエえとやら、ご馳走するでの」
    「巧くいったら、今後の仕事にも役立つと思うわよ〜♪。そもそもクラッシャー稼業は女手少ないじゃなぁい? 一石二鳥よ、これって」
    「わしらの使ってるホテルじゃと、ケーキをたあんと食べられる。そっちがええかいな?」
     右から、左から。
     ごちゃごちゃごちゃごちゃ、好き勝手な発言ばかり。
    「う……」
     ジョウはぐっ、と両の拳を握った。肩が小刻みに震える。
    「……せえ」
    「なぁに?」
    「なんじゃ?」
     ジョウの頭の中で、2人の声が共鳴した。
     と、同時に。
     ぶっちーん。と、堪忍袋の緒が切れる音がした。
    「うっせえんだよ!!」
     ついにジョウはキレた。
     指で左耳のイヤホンをほじくり出し、帽子と共に砂浜に叩きつける。
     ガンビーノに正体がバレる。フランキーに後々こっぴどくやられる。そんなことはもう、どうだってよくなった。やけくそ。短気は損気の顛末。ことを丸く収めるなど、子供にはまだまだ無理な話だった。
    「おお!」
     少女の顔を目の当たりにして、ガンビーノが素っ頓狂な声を上げる。眉に埋もれそうなちんまりとした目が、いっぱいに開かれた。
    「な、なんと……」
     おまけに、顎が外れんばかりにあんぐりと大口を開けた。
     そしてジョウがぶち切れたことを知ったフランキーが、背後から駆け寄ってくる。「辛抱ないわねえ」と、ぶちぶち呟きながら。折角の楽しい余興が、予定より早く終わった。
     しかしながら。
     ガンビーノの視界には、ジョウの背後に迫り来るフランキーなど入らなかった。
     ジョウしか入らない。入って、いない。
     そして何の断りも前触れもなく、突然、ガンビーノはジョウの手首を掴み取る。
    「……て! な、なにしやがる!」
     ジョウは抵抗した。しかしガンビーノの動きの方が早い。あっという間に、ジョウの首筋に手刀を入れた。ぐ、とジョウがひるんだ隙に、ひょいと身体を肩に担ぎ上げる。
     見方によっては、人さらいだ。
    「え? ちょ、ちょっと〜ぉ、おじ〜ちゃ〜ん!」
     フランキーはパニくった。
     ジョウの女装が、よほどショッキングだったのか。突然、ガンビーノの暴走劇が始まる。
    「ああ〜ん、待ってよぉ〜お!」
     フランキーも訳が分からず、すたこらと逃げていくガンビーノを追跡するしかなかった。


引用投稿 削除キー/
■476 / inTopicNo.12)  Re[12]: Shake!
□投稿者/ まぁじ -(2003/05/28(Wed) 11:49:52)

    「ソーダを3本……、いや5本にしてくれ。頼んだ」
     フロントへの内線を切り、タロスは、ふうとひと息つく。暑い。おかげでウイスキーのソーダ割、ハイボールがすすんでしまう。冷蔵庫のストックもついになくなった。
     暑さを紛らすならば、プールビーチへ飛び込むのが一番だが、はしゃぐ年でもないと思ってしまう。ならば窓を閉め、クーラーをガンガンに効かせればいいのだが、それもまた風情がない。
     仕事一辺倒できた男にとって、突発的な休暇は少し持て余してしまいがちだ。ガンビーノの趣味(ナンパ)についていけない。ジョウもいちいち大の大人がついて回るのを敬遠する。となると、いい年した男の暇つぶしと言えば酒しかなかった。
     これが普通の40代半ばだったら。妻や子供もそれなりにいて、家族サービスと称した有意義な過ごし方もあるのだろう。男の子なら、泳ぎやフィッシングを教えてやる。女の子なら、ビーチで砂の城でもつくってやったりするのだろうか。
    「似合わねえな」
     マイホームパパぶりが、自分とまったくリンクしない。タロスは苦笑する。バードが<アトラス>にいた頃ならば、連れだって出歩ける相棒がいたのだが。
     こういう時間、タロスは自分がいかに宙ぶらりんかを知る。<ミネルバ>では、補佐役やパイロットというポジションがある。しかしプライベートタイムとなると、タロスはどこか居場所を持て余す。
     そして空虚な時間は大概、雑多な考えを巡らせてしまうものだ。
     タロスは、どっかとソファに腰を落ち着ける。意味もなく、天を仰いだ。
     急にフランキーの顔が浮かぶ。
    「滅茶苦茶なヤツなんだがなあ……」
     明るく脳天気、何も考えずに生きているように見えて、一本筋が通ったところがある。いつもはさんざかき回され、フランキーが消えると心底ほっとするのだが。今回は感触が違った。
     駆けつけてくれて、どこか胸を撫でおろすタロスがいる。
     <ミネルバ>がオーバーホールする羽目になったのも、ここのところ、ジョウに欲が芽生えてきたからだ。危険度の高い仕事を、意識的に選ぶ。本来クラッシャーは、チームリーダーへの直接の交渉か、本部から回された仕事を受け入れるため、選り好みはしにくい。ところがジョウは、特Aクラスに回されるべき任務さえも、本部にアクセスしてもぎ取ることが増えた。
     ダンの息子だ。仕事熱心であれば本部も優遇する。
     おかげで場数を踏むたびに、ジョウの評価は上がる。特Aクラスに認定されるのも、そう遅くはないだろう。が、同時に、タロスの中で不安が膨らむ。
     自暴自棄という訳ではないが、一か八かにジョウは頼りすぎるきらいがあった。クラッシャーは、任務を完璧に終えることが大前提。危険に飛び込むのは、成し遂げるための通過点であり、死にに行くのとは訳が違う。
     だがジョウは、そこらの解釈が曖昧だ。命がいくつあっても足りない場面に何度出くわしたことだろう。これではジョウのクラッシャー人生は、太く短く、短命という不安がタロスの前を掠める。
     その点、ダンは違った。
     どんなピンチに追い込まれても、必ず彼の頭の中では勝算がある。決して仕事を自棄で押し通さない。状況が悪いほど、ダンは冷静になった。しかしジョウは逆だ。熱くなる一方である。
     仕事のノウハウは吸収しても、考え方については、ジョウなりの意志を曲げようとしない。それはそれでいい。ダンのコピーになる必要はない。だが、それが仇となり命を落としては意味がない。
     自分がそばにいて、そんな場面が訪れたとしたら。
     タロスは。
     ダンにどう顔向けしていいのか、分からなくなる。
     だからついつい、ジョウに対してブレーキの役割に回ってしまうことが増えた。それでいいのか。これがベストなのか。ジョウが結論づけることに対し、タロスはいつも疑問符を投げかける。
     しかしながら結局、ジョウに押し切られるか、煙たがれるかのどちらかだ。
     やりたいように、やらせるのがいいことなのか。うざがられても、口出しする方がいいのか。ダンの大切な一粒種。それを思うと、タロスはどうしても後者を選んでいた。
     たとえ自分の命と引き替えても、ジョウを守らなければならない。
     守るべきものができると、人は強くなれるが、臆病にもなる。まさかこんな心境を自分が抱くとは、タロス自身も想像していなかった。だからどうしても、勝手が分からなくて足踏みする。
    「確かに俺は、じれってえ」
     タロスは自嘲した。その一方で、行き当たりばったりで動くフランキーの方が、ジョウにとって好影響を与えている気がする。人に何かを教えるというセンスを、もともと備えている人間だからか。何故ああもうまく、帳尻が合うのか。
     頭で考えて動くタロスに対し、フランキーは意のままに世渡りしていく。人と関わって生きていく上での、天賦の差とでも言えばいいのか。そうした素質がないのは、自分の生い立ちのせいだろうか。
     今後ますますジョウの自己主張は強くなっていくと、その予測は簡単につく。ベストな補佐とは何なのか。日々、手探りの補佐役で、果たしてジョウのためになるのか。
     タロスは、自分の身の振り方に対し、迷宮入りしそうな気がしていた。
     大柄な身体つきに似合わない、弱気な嘆息をつく。

     そんな堂々巡りの最中に。
     ドアチャイムが鳴った。
    「ん?」
     タロスはのっそりとソファから離れる。ドアへ移動する最中、がんがんと激しく戸口を叩く音。ジョウかと思った。
     しかし。
     ドアを開けてみればガンビーノ。タロスはぎょっとした。
     服装から少女と分かる人物を、ガンビーノが肩にかついでいたからだ。
    「な……なんだ爺さん」
    「タ、タロス。どえらいことが起こったぞ」
     驚愕の面もち。そして運び込まれた少女は、ぐったりとしている。
    「ど、どういうこった、こいつは……」
     ドアを閉じようとした。すると
    「ちょっと〜ぉ、おじいちゃ〜ん!」
     と、フランキーの声が追ってきた。
    「ああ? 一体全体なんだってんだ」
     ドアにフランキーが飛び込む。胸に手を当てて、呼吸が相当荒い。一目で全力疾走というのが分かった。タロスはフランキーを見る。まさか、やばいことをしでかしたのか。
     よからぬことが胸中を過ぎった。
    「おまえ……」
    「困るわあ、おじーちゃん。それって誘拐よ」
     タロスの問いかけを無視して、フランキーはリビングに引っ込んだガンビーノに声をかける。
    「ゆ……誘拐?」
     さらにタロスの相貌が険しくなった。
     ナンパならまだしも、誘拐となると法に触れる。
    「おい、どういうことだ。説明してくれ」
     タロスはフランキーの肩に手を伸ばそうとする。しかし、すか、と空を掻いた。フランキーはぱたぱたと、リビングへ向かったからだ。
     訳が分からない。
     タロスもすぐ後を追う。
     そして、リビングのソファに横たえた少女、傍らに膝まづいたガンビーノを見た。
    「おお、タロス、見てみい!」
    「なにい?」
    「この顔、まるで生き写しじゃ」
     ガンビーノは、まったく悪びれた様子がない。それどころか、大物を釣り上げた漁師のような、ご満悦な表情。誘拐犯がする顔つきだろうか、とタロスは過ぎった。
    「おじいちゃん、ちょっと分かってる? これが他人だったらねえ……」
    「フランキーは黙っておれ」
    「んもお、何なのよう」
     腰に手を当て、フランキーはぶう、と頬をふくらました。
    「ほれほれ、早よう顔を見ておかんか」
     ガンビーノが手招きする。仕方なくタロスは、ソファに近寄った。
     そして少女の顔を上から覗いた。
    「──うっ」
    「どうじゃ? そっくりじゃろ」
    「え? なになに? あたしだけが分かんな〜い」
    「……なんてこった。まんま、ユリア姐さんじゃねえか」
    「え?!」
     今度は、フランキーが両目を丸くした。そして慌てて、自分の傑作を覗き込む。
    「あらやだ! ホントだわ!」
     ジョウを可愛く仕立てることに夢中だったフランキー。あまりにも見事な出来映えに満足したせいか、一歩引いて、客観視することを忘れていた。
    「し、しかし爺さん……、いくら似てるからって誘拐は」
    「馬鹿もん。わしがそんな恐れ多いことするか。この娘はな、ジョウじゃよ」
     ガンビーノが先ほど驚愕したのは、女装姿のジョウではなく、ユリアの生き写し、という方だったらしい。そっちかよっ! と、誰かツッコミをいれてやって欲しいものだ。
    「……ジョウ」
     くら。
     タロスは眩暈がした。
     ユリアの姿を再び拝んだだけでも驚きなのに、その素材がジョウとは。ショックがダブルで押し寄せた。第一、何故ジョウがこんな恰好にしたてあげられているのか。タロスの思考はぐちゃぐちゃに混乱した。
    「……うーん」
     ざわついた雰囲気に、手刀で気を失ったジョウが覚醒する。
     ゆっくりと、アンバーの瞳が開かれた。
    「おお! ますます似るのう!」
     ガンビーノは大興奮だ。
    「本当だわあ……。あたしったら、ぜんっぜん気づかなかった」
     ぱちぱち、とジョウが瞬きする。そして当然のごとく、飛び起きた。身内の顔が囲むように覗き込んでいたのだから当然である。
    「……え、……う、……あ」
     言葉を失った。
     ジョウは、自分がいまリビングにいて、知れた顔に囲まれて、それでいてこの醜態ともいえる恰好でいることに。どう言い訳したらいいのか。
     さっぱり見当がつかないでいた。
    「親子じゃのう。血は正直じゃ。ほれ、わしに笑ってくれんかの」
     ガンビーノは自分の鼻先に人差し指をさした。
    「おまえさんの笑顔を見ると、あの頃の連中は皆、心が洗われたようなもんじゃった。懐かしいのう」
     ジョウは、どうしていいのか分からない。
     ただ、ただ、固まった。
     すると。
    「うわーん」
    「ぐえ」
     フランキーが突然、ジョウの首に抱きついた。
    「ああ〜ん、本当に姐さんよう! あたし、あたし、大変なときに逢いにいけなくて、ごめんなさ〜い!」
     おいおいと泣き出した。
    「ぐ……ぐるじ……」
    「姐さ〜ん! ユリア姐さ〜ん! うわあぁぁぁん!」
     隈取ったようなフランキーの両目から、滝のような涙。まさに、ざぶざぶと降り注ぐようにして、ジョウの頬まで濡らした。
     肩を震わせて泣き伏すフランキーを見て。
     タロスは。
     何故こいつの周りは騒動が絶えない?、と。感慨にふける間もなく、呆然と立ち尽くすだけだった。


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■477 / inTopicNo.13)  Re[13]: Shake!
□投稿者/ まぁじ -(2003/05/29(Thu) 15:50:38)

     それから30分後。
     涙でメイクがどろどろに落ちてしまったフランキー。ティッシュペーパーで、ぶー、と鼻をかみまくった。見事な赤ら鼻になる。本来ならさっさとメイク直しするところだろうが、そこまで気が回らない。
     偶像ではあるが、ユリアとの感動の再会を果たしたのだ。その余韻にまだ浸っていた。
    「……まったく。お遊びにしちゃ度がすぎる。ジョウをこんな目に遭わせやがって」
     タロスは大いに呆れた。
     少しばかりフランキーを見直しかけていた気持ちが、削げていく。やっぱりこいつは、人生おちょくって生きていて、たまたま悪運強く、とばっちりを受けないだけだと思えてくる。
     フランキーのやることなすことに、一瞬でも、やられたと感じたとは。すべて帳消しにしてやりたくもあった。
    「でもさ、これって大発見じゃなあい?」
    「うむ。でかしたぞフランキー。ジョウを女形に仕立てるとは、わしらでは考えもつかん」
    「議長にも見せてあげたいわぁ♪」
    「馬鹿言え!」
     ジョウとタロスの声が重なる。
     ダンにこんな姿を見せても、冷笑を買うだけだ。
    「フランキー。こんなことをしてだな、ジョウに何のメリットがある」
    「あるわよ」
     すん、と鼻をすすり、フランキーはタロスに軽く返した。
    「い〜い? 例えばよ」
     そう言って、フランキーはパンツのポケットからコンパクトを出した。
     ミラーを開き、ジョウの顔に向ける。
    「ほら、これがあんたのお母さん。初めて見るでしょ」
    「……う」
     口をつぐむ。
     まだ女装の自分を直視できず、ジョウは顔を逸らした。
    「ほおら、よく見て!」
     後頭部を押さえ、ぐいとコンパクトに向けた。丸い鏡の世界に映る、愛らしい面立ち。そしてフランキーはジョウの耳の近くで、そっと囁くように続けた。
    「あんたのお母さん、あたしをまんま受け入れてくれた人よ。オカマだ化け物だって、男連中に笑われっぱなしだったあたしをさ、かばってくれた同性だった……」
    「おふくろが?」
    「そおよ。そりゃあデキた女性だったわ。なーんの偏見もなくって、あたしと女友達のように接してくれた」
     また始まった。
     タロスは、小指で片耳をほじくる。フランキーは口で逃げるのがとことん巧い。うっかり聞き惚れると、こっちもその気になってしまう。
     用心しなければ、と思っていた。
     するとフランキーは、隣に座るジョウの頭を片手で抱き寄せる。2人は頭をくっつける恰好で、小さなコンパクトに視線を投じた。
     ジョウは、大人しかった。まるでフランキーの話術にかかったように。
    「ねえ、よく見て。ジョウの瞳の色、そして黒髪。これはねえ、あんたのお母さんの遺伝子なのよ。ジョウは顔も姿も知らずに育っちゃったけど、ほおらね、ちゃんといるわ。お母さんはあんたの中に」
     フランキーのハスキーボイスは、口調が穏やかだと実に心地よい。
     タロスは、かぶりを振った。用心したのに、つい話に引き込まれそうになったからだ。
     その一方でガンビーノは、両眼をつぶり、腕を組んでじっと耳を立てている。口をへの字に曲げ、何かを噛み殺すようにして、フランキーの口上に集中しているようだ。
    「ジョウ、あんたさあ。時々お母さんのこと、恋しくなることあるんでしょ?」
    「……ない」
    「嘘おっしゃい。鏡の中のお母さんを見て。それでも言い通せる?」
     え?
     タロスは、フランキーの言葉に我が耳を疑った。
     ジョウと共に生活して2年。ダンを煙たがる素振りはあるものの、そういえば母親に対する反応は見たことがない。生まれて半年で母親が亡くなり、父親に放任されたままアラミスで育ったジョウ。そのせいか自立心旺盛で、子供のような駄々をこねることもない。
     <ミネルバ>に乗船してタロスがジョウに抱いた印象。子供ではなく、クラッシャーの原石だった。最初から、ジョウには子供扱いさせない風格が漂っていた。10才のチームリーダーをすんなり受け入れられたのは、ジョウにそういった甘えが皆無だったからだと振り返る。
     タロスは、クラッシャーのサラブレッドであれば、親はいないも同然で育てば、ジョウのように老成するものだと特に違和感を抱かなかった。逆に少しでも親の温もりを知っていると、失った時の寂しさや孤独感を知り、傷つきやすく育っていく。
     それに何よりも、任務中のジョウはいきいきとしていた。稼業が生き甲斐、と話していたことも覚えている。とてもじゃないが、母親を恋しがるジョウなど想像がつかなかった。
     ところがフランキーの確信めいた口調。
     まるでジョウが普通の、母親の愛情を求める子供のように扱っていた。タロスが気づかないジョウを、ずっと以前から知っているという口振り。
    「逢いたくなったら、こうして自分の顔をちゃあんと見なさい。いるのよね、ここに。それとねジョウ、お母さんがこの世にいた証ってのは、あんたしか持ってないんだからね。大事にしなきゃ、だめよ」
    「証……?」
    「そう。議長やあたし達っていうのはさ、所詮、ユリア姐さんの思い出しか残ってないわ。けどジョウ、あんたは違う。お母さんの身体の中で、大事に大事に、何ヶ月もかけて血肉を分けて育ったんだから。あんたの瞳、髪の毛、手、足、全部ひっくるめてよ。お母さんの分身なんだからさ。ちゃあんと知ってんでしょ? どうやって子供ができるかってことも」
    「……う、うん」
    「だから、自分を大事にすることは、お母さんを大事にすることと同じ。あんたは1人じゃないんだから、そこんとこしっかと踏まえた上で、無茶しなさい。いいわね?」
     そう締めくくると、フランキーはコンパクトを閉じた。
     そしてジョウに手渡す。
    「これ、あげるわ。自分の命は自分のものだけ、なーんて馬鹿な錯覚起こしたら、開くといいわよ」
     すると、うふ、とフランキーは微笑んで見せた。
    「……ええ話じゃ」
     じっと聞き役に回っていたガンビーノが、しんみりと相槌を打つ。
    「ぐっときたぞ、フランキー。わしらも教訓にせにゃあのう。ジョウは次代のクラッシャーだが、それ以前に、あのユリアの忘れ形見だってことをのう……」
     大事にせねば。
     あとの言葉は語らずとも、空気だけで充分読めた。
    「さあてと。悪いわね、ちょっと湿っぽくなっちゃったわ」
     フランキーは、ぽんと膝を叩くと、ソファからすっくと立ち上がる。
    「あたし失礼する。姐さんを偲んで、ちょっと飲みたい気分♪ それとジョウ、今日も楽しかったわあ。また綺麗にしてあげるわね」
    「……じょ、冗談じゃない」
     否定はするも、声にトゲはなかった。
     ジョウはどうやら、おもちゃにされた苛立ちも失せたようだ。遊び半分で女装されたことに、とてつもない深い意味があったような気になっていた。
     フランキー・マジックである。
    「じゃあ〜ね〜ん♪」
     フランキーは片手をひらひらと振ると、腰も振りながらリビングを後にした。
     それを。
     タロスは足音を立てずに、追っていた。

     ドアがスライドし、閉じる。
     通路に、フランキーとタロスだけがいた。
    「……また見事に丸め込んだもんだ」
     タロスは手を壁にかけ、フランキーを横目で見る。
     彼女(彼)は壁を背もたれにして、口元だけで笑った。
    「人聞き悪いわね。言い訳や誤魔化しなんかじゃないわよ」
    「恐れ入った、おまえさんには。一体どうやったら、そんだけ頭が回る」
    「頭? 馬鹿ね。あたしは頭なんて一切つかっちゃいないわ」
     するとフランキーは、タロスの太い片腕に手を掛けた。すっ、とすがるように身体を寄せる。タロスの肩のあたりから、フランキーの濃い香水がたなびいた。
    「その時、思ったまんまを口にしただけ。考え通りに人を動かすなんてのは、どっかの性悪に任せときゃいいのよ」
    「考え通りに、人は動かせないてことか」
    「そう。人を動かせるのは、気持ちだけ」
     フランキーのしなだれかかった重みを感じながら、タロスはふと思う。
     自分はフランキーほど、感情的にジョウと向き合ったことがあるだろうか。答えはすぐに出た。ない。補佐役として、大人として、感情をむき出しにすることはタブーと言い聞かせていた方だ。
     ダンがそうだ。
     人の上に立つ人間とは、沈着冷静でなければいけない。知らず知らずのうちに、擦り込まれていたように思える。そうあるべきだと思うほど、本来の自分とのギャップに違和感を感じたくらいだ。
     フランキーの場合、どう見てもマニュアルなどない。だが確実に、ジョウの琴線に触れているのが傍目でも分かる。どうしたらそうなれる。
     どうしたら。
     タロスは、フランキーとさらに腹を割ってみたくなった。
    「……飲みに行くか」
    「あら、珍しい。デートのお誘い?」
     肩口から、ひょいとフランキーのおもてが上がる。メイクがすっかり落ち、いかつい男顔が露呈していても、タロスは気味悪さを不思議と感じなかった。
    「でも今日はだめ。女同士の語らいに、男が邪魔するなんて野暮」
    「そうか」
    「すっごく惜しいことしてるなあ、って思うけどね。今日は、だ〜め」
     タロスはユリアの面影に負け、フランキーに振られた。
    「……あたしさあ」
     フランキーはぎゅっと、タロスの腕にしがみつく。
    「本当に好きだったのよ、ユリア姐さん。だから今日は邪魔しないで」
    「……そうするか」
     ならばフランキーの気が済むまで。
     しばらくじっとしておいてやろう、とタロスは思った。


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■478 / inTopicNo.14)  Re[14]: Shake!
□投稿者/ まぁじ -(2003/05/29(Thu) 15:52:34)

     一夜明けた。
     連日の晴天とは打って変わり、今日は厚い雲が空を埋め尽くす。だが雲はまだ白い。一雨降る気配はなかった。
    「はあ……」
     ジョウはバルコニーで頬杖をつく。籐製のリクライニングチェアには、ガンビーノがごろりと転がっていた。タロスはオーバーホールの経過を見てくるとドックへ出かけている。フランキーは……。
     もともと別行動なのだから、ジョウたちが今日のスケジュールなど知るよしもない。
    「静かだな」
    「プールビーチも、人出が少ないしのう」
     ガンビーノは片目だけを開き、ジョウを盗み見た。バルコニーの柵に寄りかかり、だらりとした恰好。見方によっては、退屈、とも受け取れる。
    「でかけてくれば、ええじゃろ」
    「うーん、気分がどうにもなあ……」
     乗らない。
     語尾を濁したかわりに、くしゃくしゃとジョウは癖のある黒髪を掻く。
     フランキーが登場してからの3日、いや今日で4日目になった。たった数日でしかない。だがジョウには1週間近く過ぎた気さえする。フランキーがいると、腹立たしいこともあるのだが、とにかく一日が濃い。充実と好意的な表現はできないが、身がギッシリと詰まっているのは確かだ。
     長期休暇はとかくネジを緩めるものだが、どうにもこうにも、フランキーがいると普段使わない部分をフル回転させられる。仕事より却って忙しいとさえ思う。
     だが。
     急に放ったらかしにされると、これまた調子が狂う。ジョウは、漠然とした脱力感に見舞われていた。
    「ガンビーノ」
    「なんじゃ?」
    「あのオカマ、一体何者なんだ?」
    「何を今さら。仲間じゃろうて」
    「そういう素性じゃなくてさ、なんつーか、その……」
     うまく言えない。
     ジョウは、うーん、と唸った。
    「……ほっほっほ」
     リクライニングチェアのバックレストを、よっこらせとガンビーノは起こした。
    「おまえも、あれの魅力に取り憑かれたか」
    「ぶ! ……み、魅力?」
     とんでもない。
     ジョウは大きく首を左右に振った。
    「わしものう、それほどフランキーを詳しく知っておる訳じゃない。恐らく、正確に把握してるヤツはおらんじゃろ。もしかすると、フランキー自身もそうかもしれん」
    「自分で自分が、訳わかんねえってことか?」
    「そもそも、誰それはこういう人間と、型にはめること事態間違っとるのかもしれん。フランキーは、見てくれのまんまじゃ。型破りなところで生きておる」
    「オカマのクラッシャーだもんなあ……」
     ジョウは両手を柵にかける。よっ、と身体を反らし天を仰いだ。
    「人はとかく、型にはめたがる。安全か危険か、信用できるかできないか、いいヤツか悪いヤツか。が、はめられる方はえらい迷惑じゃ。ジョウ、おまえもそう感じることはあるじゃろ」
    「オレが?」
    「ダンの二代目……。世間がそう見て、おまえに期待したり、やっかんだり、まあ色々あるじゃろうて」
    「まあ……な」
     共感できるくだりがあった。
    「フランキーは何者か。例えそれが疑問のままでも、つき合うことはできるしのう。答えのでない答え、というもんも世の中にはある」
    「そういうのって、スッキリしないんだよな」
    「物事の白黒は大事じゃがの、灰色にも意味がある。むしろ灰色の方が幅が広いかのう」
    「なんか、面倒くせ」
    「白黒と割り切れるのが、すべて良しとは限らん。覚えておけ」
     ガンビーノの言葉を聞き入れるも、どこかピンとこない。ジョウは頭の片隅に追いやった。そして、いまひとつ抜けきれない空をしばらく見上げていた。
     そこに、インターフォンが鳴った。
     ジョウはバルコニーから離れると、リビングに置かれたテレフォンを上げた。ガンビーノはやはり腰が重いからである。
    「……なんだタロスか」
     無意識のうちに放たれた、がっくりとした口調。ジョウ自身、少し驚いた。
     何を期待してのやら。
    「わざわざ連絡てことは、<ミネルバ>に何かあったのか」
    「いえ、作業は順調です。ただちょいとばかし別件ができまして」
    「別件?」
    「これから、ガンビーノと出られますかい?」
    「どうせ暇だしな。いいぜ」
    「じゃあ、次に言う場所へ1時間後、お願いします」
     ジョウは、テレフォンの脇にあるメモに、タロスからの伝言を書き写した。

     ホテルでエアカーをレンタルし、ガンビーノの操縦で向かった先は民家だった。一応3階建てで、庭も広い。しかしながら豪邸とは呼べないコンクリ住宅だ。
     タロスに指定されたまま、ジョウはその家に訪問する。
     ドアチャイムを鳴らした。
    「はーい」
    「はいはーい」
     明らかに幼子の声が返ってきた。タロスから、ここが誰の家かも明かされていない。来てからのお楽しみというものらしかった。
     ドアが開く。隙間から顔を覗かせたのは、5、6才ほどの女の子たち。左右につけたリボンは色違いだが、顔は同じだった。
     双子?
     ジョウがそう過ぎらせると、子供の後ろから年老いた婦人が出てきた。
    「おお、カトリーヌ夫人」
    「まあ、ガンビーノさんお変わりなく。突然にお呼び立てして申し訳ありません」
     老夫人は深々と一礼した。
    「……誰だ?」
     ジョウが肩越しに訊く。
    「ザルバコフの奥さんじゃ」
    「ザルバコフ……」
     ジョウは小さく驚いた。
     ザルバコフ。工業力を誇るドルロイの、最高技術顧問である。ダンがノボ・カネークジュニアとの一件で知り合い、厄介な悶着もあったりはしたが、今となってはクラッシャーに様々な恩恵をもたらしてくれる人物。
     クラッシュジャケットを最初に開発したのも、ドンゴを<アトラス>に提供してくれたのも彼だ。危険極まりないクラッシャー稼業を、裏方として支えてくれている。
     ダンが事故で第一線を退くまで、ザルバコフとの交流はさらに深まっていた。ファミリーとのつき合いがあると、ジョウは話だけ聞いている。
    「主人は今日も工場に泊まり込みで、戻ることはできないんですけどね。なんでも船の修理が、今回は長引きそうと主人から耳にしましたの。それで今日、タロスさんがドックいらっしゃったので、お誘いかけてみたんですよ」
    「わしらもこれだけ長い滞在は、10数年年ぶりですかのう。例の反乱以来で」
    「ダンさんも世代交代なさって。月日が経つのは、早いものですわね。……あらあら、ごめんなさい。こんなところで立ち話して。ささ、どうぞお上がりになって」
    「どうぞ、お兄ちゃん」
    「どうぞ、おじいちゃん」
     双子はまるきり同じ声で、ジョウとガンビーノを招き入れた。
    「今日は末娘もおりますの。孫がいて、少し騒がしいですが」
    「こういうアットホームなひととき、わしらも大歓迎ですぞ」
     ガンビーノはジョウを差し置いて、先に家に踏み入った。
     老夫人と肩を並べ、案内されるままについていく。
    「お兄ちゃん、早くぅ」
    「早くぅ」
    「あ、ああ……」
     ジョウは、双子にそれぞれ両手を引かれて、歩を進めた。
     リビングに辿りつくと、すでに先約がいた。
    「はぁ〜い♪ ジョウ」
     フランキーとタロスである。
     ジョウは、ほっとした。そして、はっとなる。
     なぜフランキーがここにいることで、安堵しているのか。慌てて、最初の感情を否定した。表情もそれに合わせて、むっとつくる。
    「あらん。無愛想」
    「どうせ」
     つん、とそっぽを向いた。
     だが内心、フランキーの様子に何ら変わりないことを見定めていた。昨日突然わんわん泣き、あれだけしつこい人間が風のように消えた。拍子抜けというか、気にかけていた。実のところ。
     ユリアに思い入れがあったというのも意外。大のオカマが感情をあけっぴろげに泣くのも意外中の意外。親近感とはジョウ自身認めたくはないが、フランキーの存在が胸の妙なところにひっかかっているのは確かだった。
     共に船で生活してる、タロスやガンビーノとはなにか勝手が違う。
     近いような、遠いような、謎な存在感。まさに白黒どちらともつかない所に、フランキーがいるのだった。
     ジョウは、進められるまま席に就いた。
     タロスの向かい。ガンビーノはフランキーの前となる。
    「ようこそ。……あなたがジョウさん?」
     やや小太り気味の中年女性が、横から声をかけてきた。
    「はじめまして、ハンナです。ザルバコフの娘です」
    「ど、どうも……」
     ぴょこん、とジョウは首だけでお辞儀した。
     皆が知り合いで、自分だけが初対面というのは、なんとなく落ち着かない。
    「ダンのおじさま、よく存じ上げておりますわ。ジョウさんはお母様似なのかしらね。おじさまより、ずっとソフトなお顔立ちされてるから」
     ハンナは手を口元に添え、ふふ、と笑った。
     はいそうです、とも、いいえとんでもない、とも。ジョウは返答に困った。
    「すぐランチにしますわね。シーフードがメインですけど、お嫌いじゃなくて?」
    「だ、大丈夫です」
    「よかったわ。じゃ、先にお茶をおもちしますわね」
     ハンナがテーブルから離れると、ジョウは小さく吐息をついた。
     人様の家に招かれるなどとは、宇宙生活者であるため、ほとんどない。
     緊張していた。
    「あらま。ガラにもなくガチガチじゃな〜い♪」
     ジョウは、ちっ、と舌打ちした。
     早速、フランキーが茶々を入れてきた。今日の彼女(彼)は、およばれだというのにクラッシュジャケット姿だ。今日のような日は、とびきりめかしこみそうなものだが。しかし考えようによっては、私服のジョウ達の中で、ド派手なピンクのクラッシュジャケットは映える。
     一番目立っていることに、変わりはない。
    「ドックでザルバコフと逢えたとなると、わしも足を伸ばせばよかったのう」
     ガンビーノは顎髭を撫でつけながら、残念な口調で言った。
    「元気でしたぜ、相変わらず。大がかりな仕事に関しちゃ、未だ現場に口出しするようで」
    「生涯現場主義。ええのう、わしもそうありたいもんじゃ」
    「そうそう、ジョウにも逢いたがってたわよ〜♪ ドルロイ出る前に、顔出してあげたら?」
    「暇があったらな」
    「日頃のお世話、チームリーダーとして礼儀果たさないとだめよ」
    「うるさいな。わかってるさ」
     ジョウは唇を尖らせる。
     ザルバコフとは、<ミネルバ>を引き受けた時に面識がある。ただ、挨拶程度だ。急行しなければならない任務がいきなり舞い込んできたためである。
     が、それは一種の言い訳。ジョウは、ザルバコフとの数少ない会話の中で、やたらとダンを引き合いに出してくる彼が、いささか苦手だった。
     ドルロイが、工業技術惑星としての発展から脇道に逸れるところを、ダンのチームが見事軌道修正できた功績の大きさは知っている。ザルバコフを筆頭に、職人気質の男達の希望を未来に繋げたのだ。ダン、タロス、ガンビーノ、そして今はクラッシャーを引退したバードでさえ、ドルロイでは一目置かれる存在。恩人、と崇めるのも自然のなりゆきと言えた。
     しかしながら、ジョウにはその栄光のおかげで居心地が悪い。言葉の端々に、ダンがいかに素晴らしいクラッシャーかと聞かされるのは正直、耳にタコ。ジョウ自身、チームを背負って立った今、完全に独立したいちクラッシャーだ。だがザルバコフはそうは見てくれない。ジョウにダンを投影しつつ、話しかけられている気がした。
     先にガンビーノが言っていた、型にはめたがる人間。
     いま、手近なところだと、ザルバコフ一家がそうと言えた。


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■479 / inTopicNo.15)  Re[15]: Shake!
□投稿者/ まぁじ -(2003/05/30(Fri) 18:32:25)

     カトリーヌとハンナは、久方ぶりのゲスト訪問にことさら腕を振るった。ランチとは名ばかり、まるでディナーを思わせる料理の山が、テーブルを埋め尽くす。
     双子の孫は、フランキーに懐いているようだった。彼女(彼)の両脇にチャイルドチェアを並べ、食事にありつく。
    「ほらほらチェルシィ、お口の周りがケチャップだらけよ。ああん、マルシェったら。小さくしてあげるから、ブロッコリーも食べないとだめよぉ」
     フランキーは母親以上に、かいがいしい。案外ベビーシッターも似合いそうだ。
     カトリーヌはそんなフランキーの姿に、目を細める。そして口元をナプキンで拭きながら、静かに切り出した。
    「……本当に、世間の噂ほど当てにならないものはありませんわね。どうしていまだに、クラッシャーがならず者と呼ばれてしまうのか、理解できませんわ」
     フランキーは顔を向けると、ぱちんとウインクをカトリーヌに投げた。
    「最近は、世間の目も変わってきてるわよ♪ ドルロイがバックについてることも大きいし、ん、まあそこら辺の面倒なこと、議長が全部仕切ってくれてるから。現場のあたし達は、昔ほど苦労してないかも」
    「……ダンさん、そうですね。あの方が基盤を守られている限り、クラッシャーの将来は約束されているようなものでしょうね。以前、事故で第一線を退陣されたと伺った時は、主人はそれはもう、落胆していたのですが。まだまだあの方には、使命がおありでよかったですわ」
     カトリーヌは、こくりとミネラルウォーターを含む。単に喉を潤したというより、口の中を改めるといった仕草だった。
    「……で、ジョウさんはゆくゆく、お父さまの席をお継ぎになるんでしょ」
    「え?」
     決めてかかったような台詞。
     ジョウのフォークを持つ手が止まった。
    「まだお若いから考えないでしょうけど、私のように年寄りになると、後のことがどうしても気にかかってきてね……。お父さまも、お若いとは言い切れないお年頃ですし、こればっかりわねえ、早すぎていけないということもないと思うんですよ」
    「オレは……」
     タロス、ガンビーノ、そしてフランキーの双眸が一斉に向いた。
    「……オレは。まだクラッシャーとしてやることが多すぎる。だから、その、先のことなんて全然……」
     ジョウは口ごもりながらも、否定を示した。
     駆け出したばかりで、将来など考えたことがない。カトリーヌの質問は、ジョウにとってかなり酷な一言だった。
    「けど、お父さまは何らかのお考えはあるんでしょ?」
    「……親父とは、小難しい話は一切ない」
    「確かに簡単な話ではないですからね……。でも本当に良かったですわ、ダンさんに立派な息子さんが授かって。ほら、昔、うちの主人と出会った頃はお1人だったでしょう? 主人がよく言ってたんです。道理を通せる数少ない人物だから、その血を絶やすのはいたたまれない、いいご縁はないかって。仕事一辺倒の主人が、誰かの将来に気を揉むなんて珍しくてねえ……」
     昨日のことのように思い出したカトリーヌは、静かに笑った。
     すると一番離れた席に就くハンナが、口を挟んだ。
    「実は父、私をダンさんのお嫁さん候補になんて、真剣に考えたりもしたんですよ。そんなね、私なんて恐れ多くて。30超えて自由気ままな娘でしたけど、さすがに身の程くらいは承知してますわ。ジョウさんのような立派な息子さん、私には生める自信ありませんもの」
     ほほほ、とハンナは声を立てて笑った。
     ジョウは。
     さらに窮屈さを感じ、居心地が悪くなった。
     この家族だけではない、ダンがクラッシャー稼業の創始者のひとりとして、銀河系全土に名を轟かせていることくらい理解している。そして依頼人が、幼いチームリーダーに仕事を任せてくれるのも、やはりまだダンの名声がバックアップとして働いているからだ。
     どんなに危険度の高い仕事をこなしても、無茶を重ねても、成功はまんまジョウの手柄にならない。やはりダンの息子だから、ダンの血がそうさせる。ジョウは、どこへ出向いてもダンの分身扱いだった。
     屈辱とも言い換えられる。
     クラッシャーとして、男として、プライドが許さない。
     そのうえ昔話は美化されやすい。ドルロイが壊滅状態にまで追い込まれたのも、考えようによってはダンの判断ミス。先代への志の高さを、ノボ・カネークジュニアが受け継いでいるかどうか見極められれば、やすやすと惑星改造の依頼など受けるはずなどなかった。惑星改造を名目に、海洋開発をすすめるクラーケン派の一掃に、手を貸す罠にはまるところだったのである。
     だが長い年月が流れ、そんなことは重箱の隅に押しやられていた。ジョウには、ダンを理想化し、クラッシャーの父と崇める神経が理解できない。それも聞こえないところで、勝手にやりとりするならばいい。ジョウの意志がまだないところで、勝手にレールを引かれ、担ぎ上げようとする周囲の思惑がうっとうしくてたまらない。
     迷惑だとさえ思う。
     ジョウは、ただ、自分の未来くらい自分で切り拓いていきたい。ゆくゆくそれが、稼業の二代目を継ぐことになったとしても、納得した上でその地位につきたい。周りからそう準備されることは、結局、フロンティア精神のかけらもない人間に思えて、情けなくなる。
     無力に、思えてくる。
    「……オレ、ホテルに戻る」
     ジョウはナプキンをテーブルに戻し、立ち上がった。
     周囲にいた人間は、え?、と目を丸くした。
    「ジョウ、折角の好意に失礼ですぜ」
     タロスが咎めた。
    「親父の話で盛り上がりたいんなら、オレがいない方がしやすいだろ」
    「……あ、あら」
     カトリーヌの表情が曇る。
    「ごめんなさい、私何か失礼なことを口にしたかしら」
    「いえ、よくある世間話ですぜ。失礼なのはこっちの方だ」
     たかだか、世間話のひとつである。周囲の声にいちいち障っていては、埒があかない。それにダンがこれほどドルロイで買われていることは名誉である。認めたくないのはジョウ個人の問題。親切なはからいの席、折角の懐かしいひとときに水を差すのは、タロスも申し訳がたたない。
    「ふうん♪」
     ぴりぴりとしたムードが差し掛かった場面で、すっとぼけた声を発したのはフランキーだ。
    「場の雰囲気も読めないって、ほんっとガキねえ」
    「勝手に言ってろ」
    「だあ〜ってさ、議長が偉大なのは周知の事実。話が盛り上がるのも当然でしょ。どうして聞けないかしらねえ、人の話をさ」
    「気分悪いことを聞いて、何になる」
    「フン、いちいち突っかかっちゃって。小物よね。ま、でもそういう勝手も許されるわよねえ。なにせ、ジョウはどう転んだって、あの議長の“ぼっちゃん”。大目に見てもらえて、さ」
     ぼっちゃん。
     その一言にジョウは、かちん、ときた。
    「やめろ! その呼び方!」
     だん、と拳でテーブルを叩く。
    「ふえ……」
    「うわあーん」
     双子の女の子が、一斉に声を上げて泣いた。
     和やかなランチの時間に、怒声。幼子がびくつくのも無理はない。
    「ジョウ!」
     タロスが立ち上がる。
    「なんだよ! オレはな、親父のためにこの仕事を選んだんじゃない。それをどいつもこいつも、勝手な期待を押しつけんな!」
    「口にしていいことと、悪いことがある」
    「つまりなにかい? オレは一生、思ったまんまを言えないってのかよ! 世間様の顔色伺って、親父の言うなりに従うのがいいと思ってんのか、おまえも!」
    「誰も決めつけちゃいませんぜ」
    「決めつけとおんなじじゃねえか! このばあさんの戯言を、にこにこしながら聞きやがってよ!」
    「──ジョウ!」
     ぱん。
     と、乾いた音が響いた。
     タロスの平手が、ジョウの左頬に飛んだ。
    「……てえ」
     ジョウは、ぐいと拳で打たれた頬を拭う。
     一方、タロスは自分の手のひらを、驚きのまなこで見た。
     つい、カッとなった。勢いのままにジョウを殴ってしまった。しかし、カトリーヌやハンナらの会話には何の罪もない。ジョウの気持ちも分かるが、逆上するとは辛抱が足りない。そのうえ、世話になっているザルバコフ夫人をばあさん呼ばわりするなどもってのほか。
     個人的な癇癪を撒き散らすのは、チームリーダーとしてあってはならない。
    「くっそお」
     ジョウはすぐさま、リビングを飛び出した。
     さらにその足音から、玄関さえも出たのがわかる。
    「待ちなせえ」
     タロスも追おうとする。
     が、シャツの背を、隣に座っていたフランキーが指先でつまんだ。なんだってんだ。タロスは険しい形相で振り向いた。
    「謝っちゃだめよ」
    「ああ?」
    「どうしたって、ジョウが悪いわ」
    「……うむ、そうじゃな。短気はいかん」
     ガンビーノも頷きながら同意する。
    「…………」
     タロスは、口元を真一文字に引いた。フランキーの瞳が真剣だったからだ。
     考えることばかりに縛られ、自由に振る舞えないタロスが、ついにジョウに対し手を上げた。それも感情的にに。実のところフランキーは、この機会を密かに待っていた。
     タロスの感じること、考えることに、フランキーは何ひとつ間違っていないと思っている。ただひとつ注文をつければ、もっと自分の言動に自信を持って欲しいことだった。過去がどれほど世間様に申し訳が立たなくとも、今のタロスにはそんなものは関係ない。
     これほど真面目で、道理に通じ、人として熱い男。そのままでいいのだ。今の自分では力不足と過小評価しているのは、タロス自身。余計な勘ぐりが邪魔をし、本来のタロスらしさを出せないのは勿体ない話だ。熟して甘い果実に砂糖をかけ、すべての味を台無しにすることと変わらない。
    「……フランキー」
     タロスは、シャツを掴んだ彼女(彼)の手をほどかせた。
    「お節介な野郎だ」
     そして、にやりと笑った。
    「野郎、とは失敬ね」
     フランキーは肩をすくめ、うふ、と返した。
     タロスはもう一度、右の手のひらを見つめる。自分がタブーとしてきたことを破り、不思議と、ひとつの踏ん切りがついていた。フランキーの助言をここ数日反芻し、答えが形を成しつつあった。だがあと一押し、それを受け入れるには勇気がいった。
     思わず出た平手。それがタロスの背をどんと突いた。
     ジョウをこう育てるべきだ。そのための寄り道はあってはならないと、この2年思ってきたこと事態が、寄り道だったと知る。認める気になれた。
     人間誰しも、避けて通りたい事柄はたくさんある。だがタロスの過去は不器用で、避けるどころか真っ向からぶつかっていくしかなかった。そのせいで散々寄り道した。人を信じられないことも、未来を描けないこともあった。振り返ってみると、自分の人生は紆余曲折である。まっすぐと最短距離を突っ走っていたら、今はもう少しまともな、おやじになっていただろうと。悔いる気持ちが、ジョウに曖昧な態度となって現れていた。
     しかし。
     その紆余曲折があってこそ、ダンと出会い、ガンビーノやフランキーはじめとする仲間をもち、ジョウを預かった。不満があるどころか、恵まれているとさえ思う。つまりは結局、自分の過去は無駄ではなかった。こういう運命と巡り会える軌跡を描いてきのだから。
     そういうことか。
     タロスは胸の中で納得を吐いた。
     ジョウの将来に気を揉むばかりに、目先の小さなブレを見逃せなかった。一流のクラッシャーへ、一直線へと導きたかった。だがそれはイコール、現在のジョウを見ていないことだと気づく。目標ばかりに気取られて、足元を見ていない大馬鹿者。
     それに自分でさえ、あのどん底から這い上がり、今ではそこそこ真っ当な人生を歩めている。
     ならば。
     自分よりもっと、境遇に恵まれているジョウならば案ずるだけ無駄だろう。ただ、その時々、必要な時だけ、ジョウを修正してやればいい。そうでなければジョウは、自分の足で確かめながら、歩けない大人になってしまう。
     タロスはやっと、自分らしい補佐役というのがわかった。
    「……ちょいとばかし、俺も中座しますぜ」
    「タロスさん」
     カトリーヌは、申し訳なさそうな顔を向ける。
    「なあに、これも躾ってやつです。お宅のお孫さんと、ジョウはまだ大差ないところがありましてね」
     いかにも、親が子を叱る、といった風に答えていた。タロスが必要以上に、ジョウをチームリーダーとして一線を引くことを止めた証拠でもあった。


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■480 / inTopicNo.16)  Re[16]: Shake!
□投稿者/ まぁじ -(2003/05/30(Fri) 18:33:34)

     空はいつの間にか、雨雲で覆い尽くされている。一雨降りそうなのは明かだった。
     外に飛び出したものの、ジョウはエアカーでホテルに戻った訳でもなく、かといってザルバコフ邸にも引き戻せず、門戸を背にして周囲の景色を眺めていた。
    「──ジョウ」
     背後から、タロスの声だ。
     ジョウが振り向くと、悠然とした足取りで向かってくる。怒った顔つきかと思いきや、タロスは口端の片方を上げていた。
     気まずさから逃げ出そうと思うものの、何故か足が動かない。そしてタロスが脇で立ち止まった。
    「……人間、誰でも失敗はありますぜ。ただ大事なのは、落とし前をきちんとつけられるか、つかないかのどちらかだ」
    「わかってるよ」
     あっさりとジョウは応えた。
    「ただ、わかってても、親父と比較されんのはたまんないぜ」
    「それが失敬を働いてもいい理由ですかい?」
    「……いや」
     ジョウはかぶりを振った。
    「あとで謝るさ」
     そして、ふう、とひとつため息をつく。
     足元に視線を落とし、つま先で小石を蹴った。
    「……オレもいちいち親父のこと気にしてたら駄目だってのは、わかってんだ。でも考えるより先に、そう感じるってのは、癖なんだな、もう。大体があとで後悔すんだ」
    「吠えるしかできない犬と、同じですからねえ」
    「その時点で負けてんだよオレは。……親父に」
     ジョウは苦笑する。
     ふとタロスは、今の心境に変われる前の自分を、この場面に重ねる。ジョウがダンを非難したら、ダンを庇うだろう。だがこういうジョウを見てしまうと、肩を持ちたくなる。
     随分と八方美人だ。
     しかし今はもう、タロスにしかできない役割というのがわかった。だから早々に口にする。
    「おやっさんを目の敵……いいじゃねえですか」
    「…………」
    「それだけ、高けえ目標があるってことでしょう」
    「高い目標、か。……おまえも親父びいきだ。どうせオレの補佐だって、断り切れずってやつだろ?」
    「そうですな」
     ジョウはおもてを上げる。
     そんなことはない。タロスの口癖は大体、どっちも立てるものだった。それがきっぱりとダンについた物言いをされた。それに驚いていた。
     タロスは手を頭の後ろに回し、痒くもない後頭部を掻いた。
    「正直、プレッシャーでしたねえ。ジョウを一人前に育てるってのは、俺の残りの人生を賭ける一大事業みたいなもんだと考えてました。そうすることが、おやっさんへ恩義を果たせると」
    「親父も、面倒なもん預けちまったな」
    「ですが、それは辞めさせてもらいます」
    「……辞める?」
     タロスは腰に手をあて、ゆっくりと頷いた。
    「この稼業を与えてくれたおやっさんには、てめえの働きで稼業に貢献したいとね。だからジョウ、俺はこの先、そっちの方がちょいとばかし忙しくなります。だから今までよりはあんたに、手抜きな補佐役になるでしょうな」
    「……タロス」
    「ですからジョウ、クラッシャーとして落ちぶれたくなかったら、必死で食らいついてきなせえ。俺の目の届くところにあんたがいたら、よっぽどの道を逸れた時だけ面倒を見ます。ただ、俺の足元でうろちょろしてるようじゃ、関知しませんぜ。世の中ってのは、及第点ってのがありますからな。落ちこぼれをエリートに育てる暇は、俺にはねえ」
     一人前にさせられるのではなく、自ら一人前になれ。
     タロスはついに、ジョウを突き放した。
     だがその宣言は、ジョウにとって望むべきことでもあった。
    「オレがやったことのしっぺ返し、いつもおまえがカバーしてくれたよな。その顔の傷だって……。借りをつくるくらいなら、オレがケガした方が清々してた」
    「金輪際、お断りですぜ」
    「そう簡単に、オレもくたばるつもりはない。親父に一泡吹かせてからじゃないと、死んでも死にきれない」
     ジョウも不敵な笑みを向けた。
    「いいですかい? クラッシャーのチームってのは、足りないところを補いながら、そこそこの平均点で満足してちゃあ先が見えてる。全員が揃いも揃って、ハイレベルにいないとだめですぜ」
    「わかってるよ。それよりも、おまえやガンビーノが年くって、俺の足ひっぱったりすんなよな」
     相変わらずの生意気な発言。
     しかし単細胞が短気を起こしたのとは違うニュアンス。互いに切磋琢磨を望む、ジョウの気迫に感じた。
    「ジョウが馬鹿をやらかした時にゃ、覚えとくんですな」
     タロスは自分の右手を、胸の前に持ち上げ、じっと見つめた。
    「今度は、拳できやがれってんだ」
     するとジョウは、タロスの胸元に向かって右ストレートを放つ。
     が、当然。
     タロスの動きは早かった。手のひらで難なく、ジョウの拳を受ける。
     2人は。
     互いの顔を見合いながら、微笑を交わしてた。

     それから。
     ジョウとタロスは、ザルバコフ邸に戻った。戻ると同時に、ジョウは出迎えたカトリーヌに謝罪した。素直に過ちを認めた姿に、遠巻きに見ていたガンビーノは驚き、フランキーはにやにやと笑った。
     もちろんタロスは素知らぬ様子で、さっさとテーブルに戻ったのは言うまでもない。
    「へぇ〜♪ タロスもあのやんちゃ小僧、うまく扱えたじゃな〜い?」
     フランキーはテーブルに頬杖をついたまま、流し目でタロスに告げる。
    「扱う? 冗談じゃねえや」
     飲みかけの、生ぬるくなった赤ワインを一口で空にした。
     たん、とテーブルにグラスを置く。
    「あれはジョウの意志だ。俺はなんにもしちゃいねえ」
    「んふv そおよね〜、そおこなくっちゃだわ♪ タロスをこの先も子守に独占されたら、あたし、寂しいも〜ん」
     フランキーは至極ご機嫌だ。
     なにせタロスに、かつてのギラッとした感じが戻ってきたからである。優柔不断とおさらばした男。以前の、悩みもなく突っ走ってた頃も良かったが、ひとつの迷いを吹っ切った男の方が数倍も魅力的だとフランキーは思う。
     つまり。
     彼女(彼)は、またまた惚れ直していた。「あたしの見込んだ男はこうでなくちゃv」と、一人胸を躍らせる。
    「ねえ〜。昨日のお誘いって、今夜は有効?」
     べたあっと、フランキーはタロスにねちっこい視線を投げた。
     あまり気持ちのいいものではない。タロスの表情は幾分、強ばった。
    「残念だ。今夜は先約がある」
     と、虚言を楯に断った。
    「ああん、ウッソー。どこの誰? 女? ちょっと〜ぉ、つれないこと言わないでさあ」
    「フランキー、わしならつき合えるぞ」
     ガンビーノは無駄と知りつつなのか、それとも本当にお邪魔虫なのか。しゃしゃり出ることが、ことさら好きな老人である。
    「20年前だったら、おじーちゃんでもいいけどぉ……」
     下唇をつんと突き出す。この表情はどう贔屓目に見ても、歓迎していない。
     さて今夜の飲みの相手に、フランキーはタロスをくどき落とせるのか。それともガンビーノで妥協(ひどい)するのか。その答えをすでに、神は知っていたりする。
     ピー、ピー、ピー。
     ふいに、小さな音声が鳴った。
     未だカトリーヌとエントランスにいるジョウを除き、3人のクラッシャーは硬直した。なにせこの音は、通信機からの呼び出し音である。
    「やっだあ! あたし?!」
     タロスとガンビーノは、それでも一応、自分の手首の通信機を耳に当てる。
     ほっ。こちらではない。
    「……んもお」
     渋々フランキーは通信に出た。チームリーダーなのだから、渋々では困るのだが。
    「はろう。ご用はさっさと言って頂戴……え?」
     フランキーのばさばさのまつげが、秒速何回という素早さで瞬いた。
    「あらあ……随分と早くできちゃったのね。……わかったわ、仕方ないしぃ〜」
     と、沈んだ声のトーンで応えると、すぐ通信を切った。
    「職人の腕が良すぎるのも、玉にキズかしら」
     両肩を大袈裟に上下させ、はあああん、と吐息をついた。
    「なんじゃ? 飛び込みかの?」
    「……昨日おなじみさんから、危険物資運搬の依頼があったの。ただあたしのお船の状態があるじゃない? 修理を急ピッチでやっても、夜中の出発予定で組んでたのにさ〜」
     フランキーがクラッシュジャケット姿だったのは、単に目立つという理由ではなかったようだ。一応彼女(彼)なりに、すぐ仕事に取りかかれる準備をしていた。
     しかしながら、出国予定があるにも関わらずタロスをくどこうとするあたり、恰好と行動がちぐはぐだ。一緒にいられる時間が少ないからこそ、1分1秒でも、それこそ着替えにかかるわずか数分でさえも、タロスとの時間に回したかった、と考える方が自然かもしれない。
     ある意味、けなげだ。
    「それじゃ〜、あたし行くわね〜……」
     がっくりとうなだれたフランキー。彼女にしては珍しい様子。雨が降る。いや、雨雲が迫ってきたのも、これを予測してのことか。
    「残念じゃが、また逢おう、フランキー」
    「宇宙の果てからでも追っかけるわ〜……」
     もちろん、タロスを、だろうが。
     すっかり気落ちしたフランキーの背中、巨体が、小さく見える。タロスはふと、過ぎった。この数日間、なんのかんのと騒動を起こしたが、フランキーがジョウのチームに与えた影響は大。感謝を言ってもいいくらいだ。酒の一本でもおごる価値がある。
     しかし。
     どうにもタロスの口を重くする。
     相手はフランキーだ。追われてかわすだけでも一苦労なのに、こっちから虎穴に忍び込んでいいのやら。どうにも二の足を踏む。
     タロスは迷った。
    「……あー、その、なんだな……」
     だが思惑とは裏腹に、声が勝手に出た。
    「なあに〜ぃ?」
     くるうん、とフランキーの首が回る。
    「こ、今回はだな。なんというか、せ、世話に……」
    「ストーップ」
     フランキーは、口にチャック、というジェスチャーをする。
    「礼なんて聞きたくないわよ。愛ってのはね、見返りを求めちゃあいけないの。野暮なことしないで」
    「……そ、そうなのか?」
    「ラブに生きるって、そういうことよん。あたしのポリシー、汚さないで」
    「ほ。フランキーよ、わしはますます、おまえに惚れた」
    「うふん♪ おじーちゃんたらぁ」
     両手を頬にあて、くね、っとフランキーはしなをつくった。
     タロスは。
     初めて口にしようとした言葉を、ぐっと呑み込んだ。それこそがフランキーに対する礼儀だと、わかったからだ。


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■481 / inTopicNo.17)  Re[17]: Shake!
□投稿者/ まぁじ -(2003/05/30(Fri) 18:35:45)

     それからドルロイ時間で4日後。
     <ミネルバ>のオーバーホールが終了した。予定が1日遅延したのも、<クイーン・シバ>の修理に人手を回したせいであるが、次の任務までは銀河標準時間で96時間ある。何の支障もなかった。
     オーバーホール後だけに、船体チェックの手間が省けた。早々に出航準備を整え、あとはひたすら出国時間まで待機である。
    「うおほっほっほ……」
     リビングでガンビーノが、相好をでろでろに崩して読書中だった。いや、グラビアを眺めることを読書と表現するのは、ある意味間違いかもしれない。
    「やはりフランキーは、気が利くよのう。丁度、新しいお宝が欲しかったところじゃて」
     毎度のごとく、人の船であっても勝手に乗り込んでくるフランキー。ドックのメカニックも、相手が素性の知れたオカマ・クラッシャーだし、<ミネルバ>のパイロットの追っかけをしてることもとっくに知れている。規則をかざして制止したところで、聞く相手でもない。そもそも<ミネルバ>からのクレームもないのだから、大人しく好きにさせる方が無難ではあった。
     そして、フランキーはショッピングの合間に調達したエロ本を、ガンビーノの船室に10冊ほど土産としてぽんと投げていったのだった。
    「ジョウ、どうじゃ? 一冊分けてやるか?」
    「いらねえ」
     ソファで足を組み、呆れた顔でジョウはガンビーノを見る。
    「これなんか、どうじゃ。カモシカのような脚、陶器のような肌、それに金髪碧眼じゃ」
    「興味ねーよ」
     べろん、と冊子のおまけとして畳み込まれた、4つ折りポスターを広げて向けた。
     ジョウはそっぽを向く。
    「いかん、いかん。男の性を否定してはの。まさか、あっちの方に関心がある訳じゃなし」
    「なおさら、ねーよ!」
     うっすらと頬を紅潮させて、ジョウは怒鳴った。
     女に興味があったとしても。
     身内にさらけ出すほど、ジョウも馬鹿ではない。逆に好奇心がうずくほどひた隠しにする、複雑で、微妙で、繊細な、お年頃だった。
    「──ジョウ」
     リビングのドアが開くと同時に、タロスの声だ。
     ああん? とジョウは首をぐらんと反らし、天地さかさまにタロスを見る。両手いっぱいに、赤やピンクやらの、ケバケバしい布地を抱えていた。
    「船室、ちゃんと見回りましたかい?」
    「オレの方は無事さ」
    「それはよござんした。ったく、あのオカマときたら……」
    「なんだよ、それ」
     むう、とタロスは口元を引き締める。
     一瞬、瞳を左右に泳がし迷いを露わにしたが、ガンビーノの様子を前にしても特に動じていないジョウを見こして、口を開く。
    「悪趣味な、模様替えでしたぜ」
     タロスは、べろーんと持っていた布地を広げた。真っ赤なカーテン、ド派手なピンクのベッドカバー、そしてこれもまた赤いがスケスケの……どでかいベビードールだった。
    「落ち着きゃしねえ」
     ぎり、とタロスは白い歯を見せた。フランキーの置き土産を全部ひっぺがして、船室のダストボックスに収まりきれないため、直接、船体の角にあるダストポットに捨てにいく途中だった。
     ジョウは姿勢を直すと、半身を捻って言を継ぐ。
    「その程度で済んでラッキーだぜ。オレなんか、さんざオモチャにされちまったからな」
     だが表情にはそれほど、忌々しい、という様子がない。
    「寛容ですな」
    「呆れを通り越すと、腹も立ちゃしない」
    「それに」
    「それに?」
    「……まあ、悪いヤツじゃないしな」
     ジョウはタロスに背を向けると、頭の後ろで両手を組んだ。
     手段を選ばないフランキーのやり方を認めた訳ではないが、結局のところ、フランキーがかき回した騒動のおかげで、思わぬ収穫があったのは事実だ。
     無意識のうちに天狗になっていたこと、自分が生きることで母親も生きているということ、そしてタロスやガンビーノが仲間として最善の人選をしてくれたダンのこと。
     自分のことで精一杯すぎて、見えなかった周りのことを、フランキーがオープンにしてくれたのだ。感謝の言葉は、おそらく本人の前で口にすることはないだろうが、少なくとも蔑ろにする必要もなさそうだと。ジョウなりに受け止めてもいいか、と広い心になれたところだった。
    「あのオカマ野郎、てっきりオレを馬鹿にするのが好きなだけかと思ってたけどさ。案外、オレを認めてお節介虫がうずくってだけかもしんない、ってな」
    「興味のない人間なら、フランキーは無関心でしょう」
    「ま、先輩クラッシャーに目を掛けてもらうってのは、悪い気はしないさ」
    「そうですかい」
     タロスは、にやりと笑った。
     変わった。態度が軟化したジョウに、タロスは喜びを1人密かに噛みしめていた。
     そしてジョウはおもむろに、テレビモニタのリモコンをいじる。やはりまだ正直に接するのは、どこか照れが走ってしまう。話を打ちきりたくて、テレビモニタに頼った。
     すると、ひげ面の中年男が、マイク片手にハイテンションでまくしたてるシーンが映る。
    「あと10秒でネット投票終了だー! さあ、銀河系全土の男子諸君、キミの一票で金の卵の運命が変わるぞぉ」
     流暢な言い回しから、定番のキメ台詞らしかった。
     中年男の後ろには、顔だけのパネルが4枚並んでいる。ボード上部には「キミがデビューさせる 宇宙的美少女 ラブリーキャラバン」と書かれていた。どうやらそれが番組タイトルらしい。
     ジョウはぼおっとその番組を眺める。
     タロスは状況を察し、それ以上は語らずリビングを後にした。
    「おお、知っとるぞ、この番組」
     大人しくグラビアを見ていればいいものを。
     ガンビーノは瞳をキラキラと輝かせて、テレビモニタに向いた。女ネタならなんでもいいのか。ジョウは頬杖をつき、相槌もなく無視した。
    「5回連続で投票ナンバーワンになると、アイドルとしてデビューできるんじゃ」
     パネルに並んだ少女の顔は、どれもこれも確かに愛くるしい。ガンビーノにしてみれば孫ほどに若い。そんな純粋無垢な少女を、一体この年寄りはどんな目で見ているというのか。
     呆れを通り越すと、もはやあっぱれとも思えてくる。
    「ほーい! 投票終了!」
     司会者は顔の前で、両腕をばってんにしてみせた。
    「さあて、投票総数はというと……ふむふむ、178万4916カウント! これまた投票記録更新、視聴率もウハウハだあ! サンキュー男子諸君」
     と、ブイサインを画面に向けた。
    「さてえ、気になるトーナメント戦の結果、発表〜!」
     ダラララララッ、とこれまたお約束の効果音。4枚のパネルの上を、スポットライトが右往左往する。そして、右から2番目のパネルで光の輪が止まった。
    「おおーっとぉ! 今回またもや接戦だぁ! わずか1万飛んで23カウントの差で、マルス・デザート出身の、レイシア・トロワ・ガードナーちゃん、15才に決定〜!」
    「ほう、最近の若者の趣味は変わったのう」
     モニタいっぱいにズームップされたレイシアちゃんは、ダークブラウンヘアに漆黒の瞳。銀河系での美人の定番、金髪碧眼とはほど遠い。
     が、輝く愛らしさを放っていることに変わりはなかった。
    「ではいよいよ、レイシアちゃんと、2回連続グランプリを目指すジョージアちゃんとの一騎打ち! さあ、銀河系全土の男子諸君、決勝投票タイムはわずか10秒! 準備はいいかい?」
     モニタの下部に、アクセスナンバーのテロップが出た。
    「わしも投票するかの」
     ガンビーノはリビングのテーブルのボタンを押す。ノートマシンがせり上がってきた。10本の指をこきこきと動かし、ウォーミングアップらしい。
    「的は2人に絞られた! さ、キミの好みの女の子を、アイドルデビューさせよう! ラブリースカウトキャラバン、投票スターーーートぉ!」
     司会者のバックで、ぱっ、と2枚のパネルが出た。先ほどと同じく、スポットライトがランダムに動き回る。その間、司会者はへこへこと謎な踊りを披露して時間稼ぎらしい。対抗馬であるジョージアちゃんの紹介がないため、ガンビーノは結局、ノートマシンを前に何もできなかった。
     3日おきの帯番組で、固定視聴者が多いことから、わかってることは省くのがお決まりらしい。つまり、毎回見ていないと流れが読めなくなるのだった。
     ジョウは、ごろんとソファに転がった。まくしたてる口調の司会者がうざいのだが、今リモコンで消せば、ガンビーノがやかましいだろう。テレビモニタに背を向け、ふて寝にしけこむ。
     投票が終わり、集計も素早く終え、さあいよいよ結果発表らしい。耳栓でもしない限り、音声だけでも番組進行が分かってしまう。
    「さー、結果だぁ! 放送308回目のグランプリゲッターは……」
    「うむ」
     ガンビーノはモニタに向かって、1人相槌を打った。
    「おめでとー! 謎の美少女、ジョージアちゃん2回目突破だぁー!」
    「おおっ!」
     感嘆を上げたのはガンビーノだった。
    「ジョウ! どえらいことが起こったぞ」
    「あ〜?」
     うっせえな、と鬱陶しがり、ジョウは振り向きも起きあがりもしない。
    「決勝カウント総数、201万7111カウント! いやー、さすがに増えたね! ジョージアファンがすでにこーんなについたってことだぁ!」
    「お、おまえが映っとる」
    「なんだと?!」
     ジョウは飛び起きた。
    「げっ」
     あんぐりと口を開けた。
     めでたくグランプリを再びもぎとり、すでに固定ファンもつき始めた美少女ジョージアちゃんは、とても「無愛想」な美少女だった。その小生意気さが、小悪魔的に映ると人気上々なのだが、そもそも美少女とは別の意味でほど遠い、女装されたジョウであった。
    「な……なんでこんなもんが」
    「わしもさっぱりわからん」
     ジョウは蒼白と赤面が一緒に押し寄せ、ガンビーノは眉間に皺を寄せたまま腕を組む。
     すると裏事情を何も知らない司会者は、声に抑揚をつけマイクに向かって叫んだ。
    「紹介者はドルロイの、ピンク・ロマニーさんってことは男子諸君は知ってるね〜。ただいかんせん、ジョージアちゃんの名前以外は謎のまま。そこでこのジョージアちゃん情報を募集したところ、これまたたーっくさんの情報が来た来た〜ぁ! ピンク・ロマニーさんのナイスアイデアのおかげで、この番組、ちょっとしたブームを巻き起こしてるらしいぞ! いやあ、ピンク・ロマニーさん、プロデューサーに変わってワタシからお礼言っちゃうね!」
     ピンク・ロマニー。
     ピンク色の愛の放浪者、とも訳すればいいのか。
     一体誰かは、もう見当がつく。
    「しかーも、このジョージアちゃん情報ときたら、驚くなかれ! あのならず者で知られる、クラッシャーからの情報が多いんだ、これが! びっくりだねえ、彼らもワタシの番組見てくれてるんだ。ならず者と言っちゃ失礼かもしれないねえ。イイ連中だ、ありがとよー!」
    「なんだとー!」
     ジョウはソファから立ち上がった。
     両足を踏ん張って、拳を握り締め、怒りに怒りが注がれて、こめかみには青筋が立っている。
     すると事情を全く知らない司会者は、ぺらりと一枚の紙をアシスタント・ディレクターから受け取った。ささっと目を左右に走らせると、両手を広げて肩をそびやかした。
    「ジョージアちゃん情報を集約すると、なんでも惑星アラミスにいた女性にウリ二つらしい。ところが、ざぁんねんなことに、彼女は既にこの世にはいらっしゃらない。つまり、クラッシャー情報はここでブーッツリと途切れちゃうってワケだ。が、当番組は男子諸君のために追跡調査をした。ネバーギブアップの精神だね! 1つの惑星にそっくりさんは3人いるってのが、人類学研究所の報告にもあるから、諦めるのはまだ早い! てなもんで早速、スタッフはアラミスに問い合わせた! しかと聞いてくれえ〜」
    「アラミスって……おい」
    「騒ぎの収拾が、つかなくなっとる」
     またまた司会者は、一枚の紙を受け取った。
    「これを見よ、男子諸君! なんとご丁寧に、アラミス建国の父、クラッシャーダンからの回答だあ」
    「やめてくれえっ!」
     ジョウは頭を抱え、うずくまった。
     こんなこっ恥ずかしい醜態が、あろうことかダンにまで知れた。母星を離れて、こんな阿呆な出来事に巻き込まれているとは、ジョウはもう居ても立ってもいられない。
    「ダンは分かったかのう」
     どこか人ごとであり、物事を面白くとらえがちなガンビーノは、のんびりとコメントをつぶやく。
     さて肝心の情報を聞き逃してはいけない。場面を、モニタの番組に戻そう。
    「じゃ、読み上げてみるぞぉ。なになに〜“問い合わせされた女性については、血縁関係も夫と息子以外になく、さらにデータペースにも容姿に類似する女性も該当せず、結論として、アラミスとは無関係”……と、これまた堅っ苦しいお返事が帰ってきた。うぅ〜む、ざぁんねん! ってことで、次回からまたジョージアちゃん情報を募集しよう! これだけ話題を呼んでる女の子だあ、デビューしたらたちまちアイドル街道まっしぐら間違いナシ! しかもキミたち、男子諸君が育てたアイドルだ! これからも応援よろしく、イェイェーイ!」
     司会者は親指を立てて、ハイジャンプした。
    「ほーっほっほっほ。案外ダンの目も節穴じゃのう」
     ガンビーノは本当に愉快そうだった。
     素性がばれなかったのである。だから何ら問題あるわけもなし、ということなのだろう。お気楽極まりない老人だ。
     一方、ジョウは。
     がっくりと床に四つん這いのまま、動けないでいた。
    「どうした?」
    「……ど、どうした……だあ?」
     声がぶるぶると震えていた。
     ゆっくりとおもてが上がる。もうアイブロウで書かなくてもよくなった眉が鋭角に上がり、アンバーの瞳がメラメラと怒りに燃えている。
    「あんの……ドぐされオカマ野郎ぉ……」
     ジョウはソファを支えにして、よろよろと、ようやっとのごとく立ち上がった。
     両の拳をぐっと握ると、それは小刻みに震えて止まらなかった。
    「ぜぇ……てえに」
    「なんじゃ?」
    「ぜぇえってーに、あのオカマ、許さねえ!」
     ジョウは歯の根がおかしくなるほど、ぎりぎりと噛んだ。怒りがふつふつと身体の底から沸き上がり、頭のてっぺんからつま先まで、熱い血がぐるぐると巡った。
     ほんの、ほんの一瞬でも、フランキーを「見直そう」と過ぎった自分が甘かった。とてもじゃないが、この仕打ちは、おちょくり以外の何者でもない。ジョウは結局、自分はフランキーにとってオモチャでしかなく、ありがたいと受け止めたお節介は、ありがた迷惑だというのを思い知った。
     辱めを、銀河系全土に広げる嫌がらせである。もしこんな目に遭って、好意的に受け止められる奇特な人間がいたら、その人間は明日にでも神か仏になれるだろう。
    「ジョウ、熱くなるのはいいが、フランキー相手じゃまた泣きを見るのがオチじゃぞ」
     ガンビーノはとても冷静な一言で忠告した。
     しかし。
     ジョウの耳に届くはずがなかった。

     ──その頃。
     危険物資を搭載し、おとめ座宙域を移動する<クイーン・シバ>がいた。物資の運搬は、道中これといってやることがない。フランキーはチームクルーと一緒に、ブリッジで「キミがデビューさせる 宇宙的美少女 ラブリーキャラバン」を呑気に観賞していた。
     フランキーのクルーは全員、モニタに映る、グランプリを勝ち抜いたジョージアちゃんが、ジョウだとは微塵も思っていない。ただ「議長夫人に似てるなあ」と、それぞれが胸の中で呟く程度である。
     フランキーは、ご満悦だった。
    「フン、フフンフンフーン♪」
     と、調子っぱずれな鼻歌を歌っている。
     やはり高嶺の花は、近すぎてはどうにも手出しできないのが男心らしい。少し距離を置いたところで、心の中で自分だけの女として、つまりアイドルである方が具合がいいようだ。
     なにせラブリーなジョウは、フランキーにとっては久々の傑作。ところが案外、ナンパのお声がかからなかったことがちょっと惜しい。自分の腕前をきちんと評価されなかったようで、少々不完全燃焼だったのである。
     思わず気後れするほど、美しく愛らしく女装させたジョウ。世間はオカマに対しまだ色眼鏡で見るところがあるだけに、こうやって銀河系全土の男達を欺くのは気分が良かった。
    「ねえ♪」
     フランキーは、パイロットのデイビス(ノーマル男子)に声をかける。
    「このジョージアって子さ〜、アイドルになれるかしら?」
     デイビスはモニタをたっぷり凝視してから、フランキーに振り向く。
    「5回連続、行くんじゃないですか」
    「んふふv やっぱりあんたもそう思う?」
    「ただ、正体不明なんですよね? となると番組史上初の、幻のアイドルになるんですかねえ」
    「いいわね〜、それ」
     フランキーの自信作、傑作が、幻になることでますます人々の記憶には鮮明に残る。例えば数年後、懐かしの映像としてこの番組が取り上げられたり、少年青年たちが一人前の男になったとき「そういや昔、ジョージアって話題になった子いただろ」なんて、青春の思い出が酒の肴になるなんて、「とーぉってもステキv」とフランキーは胸が騒いだ。
    「世の中って、なーんて愉快なことが多いんでしょ♪」
     フランキーは拳を口元にあて、きゃっv、と1人はしゃいだ。クルーはすでにフランキーの、意味不明な行動には慣れているので特につっこもうともしない。
     そして。
     フランキーの<ミネルバ>追っかけは、まるで麻薬のように、彼女(彼)をますます虜にしていく。それと等しく、ジョウチームとの関係は良くも悪くも、さらに一層深まっていくのであった。


    <END>
fin.
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