□投稿者/ 舞妓 -(2006/03/17(Fri) 23:55:04)
| ■No970の続きを書く(舞妓さんの小説)
一週間の基礎治療の後、ジョウはグレーブのパスツール記念病院に送られた。その時点でまだ、ジョウの意識は回復していなかった。広範囲の火傷は感染症を引き起こす危険性が高く、病院側はジョウの意識の戻らないまま、皮膚移植手術を敢行した。 皮膚移植手術を受けたあと、ジョウの容態はひとまず落ち着いた。意識は戻らないものの、生体維持には問題ないという状態にまではこぎつけた。 「アルフィン…」 リッキーが入ってきた。 「ちょっと休みなよ。アルフィンの身体がもたないぜ」 「ありがとリッキー。でもいいの。ジョウの側を離れたら気になって気になって、休むどころじゃないのよ」 アルフィンは、ほとんどジョウの側を離れなかった。一日数時間だけ、ミネルバに帰って身の回りのことをする。他はほとんど病院にいた。そのためか、すこし痩せて顔色も悪い。 「兄貴が目を覚ましたとき、アルフィンが看病疲れで倒れてたら、兄貴はどう思うかなあ?」 リッキーはわざとけしかけるように言った。 「…」 アルフィンもこれには言葉が無い。 「それにアルフィン、吹き出物が出てるぜ。ほら、そこ」 「…うっさいわねえ。ほっといてよ」 病人の横なので、小声でアルフィンはちょっと顔を赤くしてそう言い、痛いところを突かれた、という表情をした。 「イヤだろ?兄貴にそんな顔見られるの…」 にやりと上目遣いにリッキーに見上げられると、アルフィンは思わずぷっと吹き出し、 「わかったわ」 と言った。 「ありがと。ゆっくり休んでくる。」 リッキーの腕をぽんぽんとたたいて、とんでもなく優しく笑いかけて部屋を出て行った。 「なあ、兄貴い…」 リッキーは今までアルフィンが腰掛けていた椅子に座ると、ポツリと、目を覚まさないチームリーダーに語りかけた。 「見たかよ、今の顔。あんな痛々しいアルフィンの笑顔、おいら見たこと無いよ。早く目を覚ましてくれよ。兄貴寝すぎだぜ。…」
生きなければ。 生きなければ。 ジョウを捕らえようとする波がある。とても抗いがたい、安らぎに満ちた誘惑の波だ。たくさんの声が、ジョウを誘う。そっちに行きたい、と思うとすぐに、 生きなければ、と自分自身が強く否定する。 していないことが、あるだろう。 いいのか、それで。 何かとても大切なことを忘れている。それははっきりしていた。 何だ? 愛しくて、切なくて、胸が苦しい。 俺は、生きなければ。 遠くで、誰かが泣いている声がする。 …この声は。 ジョウは気づいた。声のほうに走った。早く行かなくては。 俺はここにいるよ。 アルフィン…
手が、濡れている。 ジョウはぼんやりとそう考えた。 何で濡れてるんだ?そう考えるとすぐにまた、手にぽつりと熱い液体が伝う感覚があった。 それに、何でこんなにあったかいんだ?明らかに、左手よりも右手の方が、熱い。 「…?」 ジョウは、右手を動かした。割と簡単に手は動いた。さらさらと、何かに触れる。 髪か。 髪? …ゆっくりと、目が開いた。暗い。ところどころ、赤や緑の光が見える。ピー、という電子機器の音が時折響く。 うつ伏せで、顔は右を向けて横になっていた。 ジョウは、右手のほうに、目をやった。 「アルフィン…」 声が出た。掠れて、自分の声ではないような声だった。 アルフィンは、ジョウの右手を握ったまま、その手を自分の頬に寄せて、ジョウのベッドに突っ伏して眠っていた。 深夜のようだ。 静かだった。アルフィンはブルーのワンピースを着ていて、細い肩がむき出しで寒そうだ。僅かな照明に照らされるその寝顔は、ジョウが知っているどのアルフィンよりも痩せて、疲れが顔に浮かんでいた。 そして。 眠りながらも、ポツリポツリと涙が溢れ、ジョウの手を濡らしているのだった。 「…」 胸が締め付けられる。 一瞬で、記憶がはっきりする。背中を焼かれたこと、意識を失う直前のアルフィンの叫び声。生きなければ、と、思ったこと。 きみのために。
ジョウは左ひじをつき、少しだけ、上体を起こしてみた。わりとすんなりと動く。 背中の痛みも、思ったほどではない。もうすでに何回も手術が行われたのだろうと、冷静に状況を理解した。 起こしたくなかったので、彼女の髪を右手でさらさらとすくってみた。 身体が動く。俺は、生きている。 生還した喜びが、胸に溢れてくる。 「アルフィン…帰ってきたよ」 微かな嗄れ声。独り言のつもりだった。 が、アルフィンは、反応した。 ぱちりと、目を開ける。瞬きをすると、ぽろりと涙が零れ落ちた。 自分が握り締めていたはずのジョウの手が、髪を撫でているのに気づく。 「…」 まさか。 ゆっくりと、身を起こした。 ジョウの、優しいアンバーの瞳と、目が合う。 目が、合う? 「…ジョウ!」 信じられないものを見るように目を見開くと、また新たな涙が溢れてアルフィンの碧眼からこぼれ出た。 名前を言ったあとは、しばらく固まって動けないまま、ジョウの顔を凝視した。 それから、やにわにはっと立ち上がると、廊下に走り出ていって、叫んだ。 「タロス!リッキー!意識が…ジョウが目を覚ましたわ!!」 本当か、とタロスの声がする。兄貴やっと起きたのかよ、嬉しそうなリッキーの声、そしてバタバタと、走ってタロスとリッキーが駆け込んできた。 「ジョウ!…もう、大丈夫ですな」 タロスはジョウの顔を見て、心底ほっとした表情をし、大きく息をついた。タロスにとっては、息子同然のジョウだ。 「…心配しましたぜ。さすがに」 「そうだよ。いくら疲れがたまってるからって、寝すぎだぜ」 そんな口を利くリッキーの目には、うっすらと涙が浮かんでいる、 「そうだな。ちょっと寝すぎた」 擦れた小さい声しか出ないが、軽くジョウも切り返す。 「俺は、どれだけ、寝てたんだ?」 「二週間だよ。まるまる」 「二週間…」 「アルフィンが、俺らたちよりずっとがんばってくれたんだぜ」 そうだろう、とジョウは思った。あの痩せ様を見れば、彼女がこの二週間どんな思いでいたかは容易に想像がつく。 ジョウは、タロスとリッキーの背後にアルフィンの姿を探した。 が、部屋の中にはいない。 「…アルフィンは?」 「あれ?ホントだ。さっき呼びにきてから…」 リッキーはぐるりと周囲を見渡し、すぐに走って部屋を出て行ったが、足音はほんの数歩で止まった。廊下から小さく話し声が、ジョウとタロスの耳にも届く。 「なんだよアルフィン。何で入ってこないんだよ」 「…」 アルフィンの返事は聞こえない。 ジョウとタロスは顔を見合わせた。 「ほら、おいでよ。一番嬉しいの、アルフィンだろ」 「…」 やがてリッキーは、アルフィンの背中を押すようにして、彼女を部屋に連れてきた。 「神様ありがとうありがとうって、廊下に座り込んで泣いてんだぜ」 ジョウは胸をつかれた。 アルフィンは、溢れてくる涙が止まらないようで、ずっと下を向いている。 「タロス…」 ジョウはタロスに目配せした。タロスはすぐに、おいチビ、とリッキーを連れて、部屋を出て行った。 ジョウとアルフィンは二人きりになった 顔を両手で覆い、ひっく、ひっくと嗚咽をもらして立ち尽くすアルフィンに、ジョウは言った。 「アルフィン。ここに来てくれ。顔が見えない」 「見ないで。ひどい顔してるから」 鼻声で、抵抗する。 「そうか。じゃあ」 ジョウはそう言うと、思い切って上半身を起こした。 さすがに強烈な痛みが走る。 「…くっ…!」 「ジョウ!」 慌ててアルフィンが駆け寄って、ジョウを支えた。 「駄目よ!そんな無理しないで」 「…アルフィンが素直に来てくれないからさ」 「ごめんなさい…」 「謝らないでくれ。アルフィン。謝るのは俺のほうだ。辛い思いさせて悪かった」 「そんな…」 アルフィンは、ふるふると首を振った。 涙に濡れる碧眼。そこには、自分しか、映っていない。 いつでも、そうだった。 「アルフィン」 ジョウは、両手でアルフィンの頬を包み込んだ。ゆっくりと、小さな子供に言い聞かせるように、優しく言葉を紡ぐ。 「神様じゃない」 「…?」 「アルフィンがいたから、帰って来れた」 「…」 ジョウが生還したことで胸がいっぱいのアルフィンは、ジョウが何を言おうとしているのか、まだよく分からない。 きょとんとした表情で、ジョウを見上げる。 「死んじまったらもう何もできない。きみを守ることも、きみに触れることも、きみを笑わせることも――――」 その次の言葉を言おうとしてジョウは、いつものように照れと自制が、自分の口を閉ざそうとするのを感じた。顔に血が上り、頬が赤くなるのが自分でも分かる。ああそうだ、俺はいつもココで自分を止めていた。そんな自分がふとおかしくなった。死を目の前にして、自分が何よりも強く思ったことは何だったか。 彼女のことだ。 他の何でもなく。 ジョウはふっと、力を抜くように息を吐いた。 「…愛してるって伝えることも」 優しく笑って言いながらジョウは、右手の親指でアルフィンの唇を辿った。 え。 と、アルフィンは思った。 そう思った時にはもう、唇にジョウの唇が重なっていた。
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