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■168 / inTopicNo.1)  A.D.2169
  
□投稿者/ まあじ -(2002/09/30(Mon) 11:15:49)
    <まえがき>

    初投稿です。これを書く前に、おさらいとして昔の劇場版ビデオを
    見てしまいました。その影響も受けつつ、最初の構想からかなりかけ離れて
    しまいましたが(^^;)。
    よろしければおつきあいください。
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■169 / inTopicNo.2)  Re[1]: A.D.2169
□投稿者/ まあじ -(2002/09/30(Mon) 11:16:56)
     西暦2169年。
     クラッシャージョウチームは、銀河標準時間で72時間も、予定より早く任務を終えた。しかも次の仕事はおおいぬ座宙域にある、恒星トールの第十七惑星メランコリだ。降ってわいた約120時間もの休暇を、突発的に母星アラミスで過ごすことに決めた。
    「アラミスの衛星軌道上に乗りやした」
     報告するタロスの声も、心なしか弾んでいる。
     クラッシャーは、50代を境に多くは引退する。だが還暦という大台を迎えつつも、タロスは未だ現役だ。ジョウの補佐役を果たした今は、純粋にクラッシャー稼業を愛し、パイロットを続けている。
     その黒髪には、所々白い物が混ざっていた。
    「アラミスで休暇なんて、謹慎処分をくらった時くらいだよな」
     タロスの背後、動力コントロールボックスのシートからトーンの高い男の声。リッキーだ。すでに23才。身長も170センチ台には入ったが、相変わらずのひょろりとした体躯をしている。顔つきも幾分精悍にはなったが、やはりどんぐり眼と少し出た前歯の愛嬌は変わらない。
    「ラゴールの一件か? へっ、随分と古い話を持ち出しやがる」
     タロスは舌打ちした。
    「昔をすぐ思い出せるってのは、成長してねえ証拠だぜ」
     そしていつものごとくつっかかる。
    「へん! ボケ老人に言われたかないね」
    「ベテランを敬えん器の小せえ奴だ」
    「うるせえやい!」
     また始まった。
     ジョウは副操縦席でため息をつく。しかしこのレクリエーションも、それだけ気持ちが浮かれている証拠だろう。敢えて好きにさせておいた。
     ジョウ27才。その風貌は成熟さを増し、いささかの衰えもない。特Aクラスの腕前を持ちながら、10代の頃は若造と嘗められたことが多々あった。しかし今はそれすら懐かしい。クラッシャーと言えばジョウ。代名詞としての責任がその両肩にのしかかっている。
    「どんな所かしらアラミスって。わくわくしちゃう」
     ジョウの背後、空間表示立体スクリーンのボックスシートに就く<ミネルバ>の紅一点。22才のミミーだ。リッキーと同じククル出身で、故マドック・ザ・キングの娘。ナタラージャ教壇とラダ・シンの一件で、14才の時にジョウのチームと偶然行動を共にした。
     今は髪を栗色に染め、長いカーリーヘアである。手足もすらりと伸びて、リッキーと背丈があまり変わらない美しい女性へと成長した。
     2年前にクラッシャーとして志願。リッキーへの積年の想いから、<ミネルバ>に押し掛けてきた。9年前、アルフィンがジョウを追って密航してきたのと似たケースである。
    「休暇中、タロス達はどうするんだ」
     ジョウが左方のタロスに訊く。
    「適当なホテルでも探して、のんびりしますさあ」
    「別行動と行きたいけど、俺ら達の拠点もタロスと同じホテルにしとく」
     リッキーはミミーにウインクし、同意を求めた。ミミーも快く頷く。
    「さて、大気圏に突入しますぜ」
     タロスはコンソールのボタンをいくつか押し、突入体勢を整えた。ジョウはメインスクリーンに大きく迫るアラミスに視線を移す。
     徐々に胸が高鳴ってきた。

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■170 / inTopicNo.3)  Re[2]: A.D.2169
□投稿者/ まあじ -(2002/09/30(Mon) 11:18:08)
     <ミネルバ>は宇宙港に降りると、メンテナンス用のドッグに駐機した。時間がある時には、全機能のチェックをしておきたい。いつどこで、何に巻き込まれるか分からないからだ。クラッシャーの宿命ゆえ、万全は期す。
     ドッグのゲートから送迎フロアに入った。一般ゲートではないため、人影はまばらだ。ジョウは辺りを見回す。おかしいな。そういう表情をしている。
    「あれ? アルフィンの出迎えないのかい?」
     リッキーが背後から首を出す。
    「いや、来るとは言ってたんだが……」
    「アルフィンのことだから、真っ先に兄貴に飛びついてくると思ったのに」
    「……もうそんな柄じゃないさ」
    「わっかんねえよ。なんたって2年ぶりだもんな」
     ミミーが間に割ってくる。
    「あんまりジョウが放っておくから、じらしてるんじゃない?」
     実際、ジョウも拍子抜けしていた。ゲートを出たら真っ先にアルフィンの顔を見られると思っていただけに。高鳴った気持ちに、少し寂しさが過ぎった。
    「遅れてるのかもしれねえ。少し、待ちますかい?」
    「俺はどっちでも構わんが……」
    「もう! 素直じゃないんだから」
     ミミーがジョウを肘で小突く。
    「-----ジョウ」
     不意に呼ばれた。
     その声の方向へ四人が一斉に振り向く。通路の角を折れた所から、金髪をなびかせたアルフィンが小走りで現れた。明るいグリーンのタイトなワンピースをまとっている。しかもその細い両腕には、指をくわえた小さな子供が抱かれていた。
    「……出遅れてごめんなさい。この子、初めての宇宙港であちこち動き回っちゃって」
     僅かに息を切らし、笑顔をふりまいた。
    「わあ!」
     突然ミミーが両手を胸に歓喜する。
    「実物の方がずっと可愛い! ねえ、抱かせて」
    「ええ、いいわよ」
     薄茶色の巻き毛。くりくりと動く碧眼は、アルフィンから受け継いだ。愛らしい顔立ちだが、立派な男の子だ。名前はジル。ジョウとアルフィンの愛息だ。そろそろ2才になる。
     アルフィンの腕から、ジルはミミーへと抱かれた。女性は好きなのか。愛嬌を目一杯振りまいている。
     ジョウは少し嫉妬した。
     なにせ自分もまだジルを抱いたことがない。こういう場合、普通は肉親に先を譲るものだ。しかし母性本能が疼いたミミーは、すっかりそのことを忘れていた。
    「<ミネルバ>に送られてきた映像より、随分と大きいじゃない」
    「今じゃ片言だけど、お喋りもするのよ」
    「うわあ、聞いてみたーい」
     アルフィンとミミーの会話が妙に弾む。
     ジョウは出鼻をくじかれてしまった。大体アルフィンもアルフィンである。久しぶりの再会だというのに、夫であるジョウにお帰りなさいの一言もない。寂しさを超えて、少し機嫌が斜めに傾く。
     これもまた、そういう間柄ではなくなったということか。<ミネルバ>で共に行動していた頃は、隙あらば近寄ってきたというのに。子供ができると、夫への興味は半減してしまうのだろうか。
    「アルフィン、ジョウが固まったままですぜ」
     タロスが気を利かせた。
     有り難いが、少し立場がないというものだ。
    「あ……」
     口元に手を当て、悪戯っぽく微笑む。
    「お帰りなさいジョウ。待ってたわ」
    「あ、ああ」
     頷くので精一杯だった。
     間近で見るアルフィンは、まだ若いくせに成熟した女性の色香が漂っていた。タイトなワンピースから、体つきが豊かになったのが伺える。幼さが抜けた。そんな感じだ。
     眩しくも見えた。ジョウは少し照れくさくなる。
     ジョウが25才、アルフィンが23才の時に結婚が成立した。書類をアラミスに提出しただけで、式は執り行っていない。というのも、順番が逆になった。ふとしたことで、アルフィンが懐妊してしまったのである。
     しかし当時は忙殺の日々。アラミスに戻る余裕は一切なかった。アルフィンも<ミネルバ>残留を粘り、出産予定日3ヶ月前まで働いた。といっても現場ではなく、雑用やサポートを中心に。
     そして2年前に、アラミスへの定期便がある惑星から強制送還させた。それ以来の再会である。アルフィンの身辺サポートは、父ダンに委ねていた。評議会議長としての責務の合間に、新居をあつらえ、代行で婚姻の書類を出し、看板クラッシャーの息子に代わってアルフィンとジルを見守ってくれていた。
    「さ、パパに抱っこしてもらいなさい」
     ミミーは一旦、アルフィンにジルを預ける。
    「ジル、ダディよ。呼んであげて」
     アルフィンはジョウの腕に、ジルを抱かせた。ジョウの目測より、ジルは重かった。待ちこがれていた宝物が、ついにジョウの両腕に収まる。
     だが。
     ジルは身をよじり、ふにゃふにゃと泣き出した。
     ジョウの顔をまともに見ようともしない。
    「お、おい。……どうすりゃいいんだよ」
     ジョウは戸惑いを露わにした。
    「変ねえ……。レター映像だと、ダディって呼ぶのに」
     アルフィンが抱き直す。
     背中を軽く宥めると、ジルはぴたりと泣きやんだ。ちょっと、いや、かなりジョウにとってはショッキングだった。
    「驚いただけじゃない?」
     ミミーなりのフォローだった。
    「しっかし、兄貴が子供をあやす絵って妙な感じ」
     リッキーの率直な感想。
     しかし一言多かった。ミミーが腕を抓って咎めた。
    「みんな家に来てくれるんでしょう?」
     アルフィンが訊く。
    「いや、折角の親子水入らずでさ。あっし達は適当にホテルへ行きますんで」
    「やだあ、気を遣わなくていいのに。久しぶりじゃない」
     アルフィンはそうだろう。タロスも、リッキーも、ミミーも、<ミネルバ>の乗員は家族同然だ。
     しかしジョウの気持ちを考えると、3人はそこに甘えるわけにはいかない。言動にこそ表さなかったが、この突発の休暇を誰よりも喜んでいるのはジョウだ。二十四時間一緒にいるクルーである。簡単に察しはつく。
    「休暇中には一度、遊びに行きますんで」
    「そう……」
     残念、という気持ちをアルフィンは露わにした。タロスは内心冷や冷やする。今この場で、喜び、戸惑い、驚き、不安。そういった諸々の感情が入り乱れ、ぴりぴりしたオーラがジョウから放たれている。
     離れていた時間を埋めるのに、120時間はかなり短い。タロスは少しでも長く、家族の時間を持たせてやりたかった。
     雑談を早々に切り上げたのもタロスだった。
     チームクルーはそれぞれの行動へとばらけて行った。

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■171 / inTopicNo.4)  Re[3]: A.D.2169
□投稿者/ まあじ -(2002/09/30(Mon) 11:19:20)
     ジョウはアルフィンそしてジルと、エアカーで宇宙港を後にした。二十分も走行すると、田園風景が美しい町に出た。ジョウの生家、ダンが住む家とも、エアカーで十分ほどの距離だ。農耕惑星のアラミスである。一軒家の外観は、近代的ながらもアースカラーに彩られ、田園風景とマッチしていた。
    「ジルがいると片づかないのよ」
     許してね。そういう意味合いを含んだアルフィンは、ジョウを家へ案内した。初めて踏み入れる新居。何十年か先、ジョウがクラッシャーを引退したら我が家となる場所だ。
     アルフィンの趣味だろう。調度品はすべてウッディで揃えられ、クラシカルな彫刻が施されている。玄関を抜けると、広いリビングとキッチンが一体化した空間。おもちゃが散らかっていた。
     窓が多い。天窓まである。4つのドアがあり、寝室とクローゼット、あとの2つは空き部屋だ。キッチンの奥のドアは、洗面所とバスルームに続いている。
    「これだけ揃えるの大変だったろ」
     ジョウの生家はどちらかというと機能的で無機質だった。ハウスキーパーと入れ替わり、ハミングバードが仕切っている。そのイメージとかけ離れていた。根を下ろした人間が快適に暮らす家。家庭という温かみに満ちていた。
    「お義父様が。細々とよくしてくださったわ」
    「親父が?」
     ジョウの目が丸くなる。幼いジョウを残し、宇宙を渡り歩いてきた父である。まめで子煩悩な方ではないと思っていた。しかし孫は違うのか。その姿がジョウには全く想像できない。
     アルフィンは、ジルをリビングに放す。
     しっかりとした足取りで、部屋中を走り回りだした。
    「お腹空いた?」
    「いや。緊張しているのかな、全然だ」
     ジョウは肩をそびやかす。
     リビングにつっ立ったままで、自分の居場所すらまだ探し出せない。
    「自分の家なのよ。もっとリラックスして頂戴」
    「そうだな」
     アルフィンはクローゼットを指さし、ジョウに着替えを促した。クラッシュジャケットのままだと、仕事の気分も抜けない。そう読んだからだ。
    「あたし裏で洗濯物を取り込んでくるわ。悪いけど、ジルを見てて」
    「わかった」
     アルフィンは忙しそうに玄関を出ていった。
     さばさばしたものだな。ジョウは頭で理解していても、気持ちを少し持て余していた。そういえば再会の抱擁も、口づけすらもしていない。ずっと離れていたのだ。新婚とはいえないが、触れあいがあってもいい筈だ。
     アルフィンは家事に育児にと、毎日慌ただしいのだろう。自分の息抜きに、ちょっとした甘さを求めるのは我が儘なのかもしれない。こっちから迫るのも何となく柄じゃない。ジョウはそうやって、言い聞かせることにする。
     ブルーのジャケットを脱ぐと、リビングのソファに掛けた。そしてクローゼットに入り、アルフィンが見立てたらしき、カジュアルな柄のシャツとジーンズに着替える。
     確かに気がふっと緩んだ。
     少しだけ家の空気に馴染めた気がした。
     クローゼットを出ると、ジルがソファに掛けたクラッシュジャケットに興味を示していた。小さな手で、掴んだり引っ張ったり、遊んでいる。
    「……なんだジル、将来はクラッシャーになるのかい」
     父性という感情はこういうものなのか。
     ふとジョウに笑みがこぼれた。
     だがその顔が一瞬にして蒼くなった。
     ジルの手に、引きちぎられたアートフラッシュが握られている。
    「げっ!」
     ジョウの動きは早かった。
     ジルの手からアートフラッシュをもぎ取る。拳でガラス窓を割り、外に投じた。ジルの小さな身体を抱きすくめ床に突っ伏す。
     ずん、と大地が揺れた。
     爆破の勢いが、ガラス窓を大破した。ジョウの背中に破片が容赦なく降る。
     胸の中で、ジルの激しい鳴き声が炸裂した。
    「ジル!」
     血相を変えたアルフィンが、玄関から飛び込む。表の庭が、窪んでぶすぶすと炎を上げていた。その焼け跡から、アートフラッシュであることは分かっていた。
    「……大丈夫だ」
     ゆっくりと立ち上がり、ジルを抱き上げた。火が点いたように、ジルはぎゃんぎゃん泣いている。アルフィンはジョウから引きはがし、ぎゅっと抱きしめた。
    「もうっ! 帰ってきた早々何事よ」
     そのトゲのある口調に、ジョウはかちんと来た。ジルを危機から救ったのだ。感謝はされても、怒鳴られる筋合いはない。
    「こいつがアートフラッシュを引きちぎったんだ! 家を木っ端微塵にする所だったぜ」
    「ジョウが脱ぎっぱなしにしたからでしょっ!」
    「俺のせいかよ!」
    「そうよ!」
     アルフィンの声に気圧された。
    「この年は何にでも手を出すの! だから見ててと言ったじゃない」
     子を守る母親としての防衛本能が剥き出しになっていた。初めて見るアルフィンの顔。突き放されたような感覚が、ジョウを雁字搦めにする。動けなくなった。
     アルフィンはくるりと背を向けた。
     ジルをあやす声は、一変して優しい。
    「よしよし……。ごめんね、びっくりさせちゃって」
     ジョウはすこぶる気分が悪くなった。
     だがここで腐るのも大人げないと自制する。ひとつ、大きな息を吐く。無言のままシャツの破片を払うと、手のひらに小さな傷をつくってしまった。
     冷静になれ。そして、ゆっくりとした口調でアルフィンの背中に話しかけた。
    「随分と過保護なんだな」
     少なくともジョウにはそう見えた。
     嫌みではない。本心だ。
    「言い聞かせて分別がつく年じゃないわ」
    「ちゃんと叱れよ。そうすりゃジルは、二度とアートフラッシュをおもちゃにしないさ」
    「知った風なこと言わないで!」
     アルフィンが振り向いた。柳眉が上がっている。
     ジョウはたじろいだ。それほどにアルフィンの剣幕は深刻だった。
     重い空気が流れる。
    「どうしたんだい! アルフィン」
     玄関から聞き慣れない男の声がした。ジョウが視線を向けると、グリーンのつなぎを着た青年が立っている。中肉中背。背はジョウと変わらない。生えかけの無精髭が少し老けさせているが、たぶん年齢はジョウより少し上くらい。日焼けした肌をしていた。
     

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■172 / inTopicNo.5)  Re[4]: A.D.2169
□投稿者/ まあじ -(2002/09/30(Mon) 12:11:48)
    「……ライナス。あなたこそどうして」
     ジルを抱えたままで、アルフィンは振り返る。
     声だけで、安堵の様子がジョウにも伝わった。
    「大学に行く途中で、家の前が燃えてたから驚いたんだよ」
    「……ジルが、アートフラッシュをおもちゃにしたらしいの」
    「えっ?!」
     ライナスが家の様子に視線を向ける。
     そこでやっとジョウの存在に気づいた。
    「ク、クラッシャージョウ……」
     私服であっても、その顔を見間違える者はいない。
    「……何者だ、あんた」
     ジョウの口調は固い。
     それも無理はない。夫が留守中の、妻と子だけの家に気兼ねなく立ち寄る男なのだから。
    「ああ、失礼……」
     ライナスは首からぶら下げたタオルを、するりと外す。
    「初めまして、ライナスと言います。この先のピグミー大学で助教授をしています」
     実直そうだ。
     しかしジョウが訊きたかったのは、そういうことではない。
    「随分と親しそうだな」
    「あ、ええ。ジルも含めてよくしてもらっています」
     ジョウの耳には、ジルも含めて、を強調されたように聞こえた。
    「ジョウ、変な勘ぐり方はよして」
     アルフィンが口を挟む。表情から険しさは消えていた。だがジョウには、アルフィンの気持ちが読みとれない。複雑な面もちに見えた。
    「いや、いいんだよアルフィン。ご主人の言うことはもっともだ」
     日に焼けた顔から、真っ白な歯がのぞく。
     ジョウとてピグミー大学を知らない訳ではない。バイオ科学に対し、特に熱心な大学だ。アラミスはクラッシャーの母星としてあまりにも有名だが、農耕惑星としての発展も進んでいる。地道ながらも、バイオ科学の研究は銀河系でも先進国に入る。
    「あなたの存在を知らない、アラミスの人間はいやしませんよ。僕自身も、とても尊敬しています。アル……いえ、奥さんに対してもその点はきちんと弁えています」
     ライナスのまっすぐな物言いに、ジョウは何も言えなくなった。
     それもまた口惜しい。
     嫌な奴であることを心の中で願っていた。勢いに任せて殴り倒せたのに。ジョウはやり場のない気持ちを抱えたままだ。
     いつの間にか、アルフィンの胸の中にいたジルが泣きやんでいる。指をくわえ、きょとんとした表情でライナスを見上げた。
    「とりあえず無事でよかった」
     ライナスはジルの頭を、その大きな手で撫でた。
    「……あいな」
     ジルの舌っ足らずな声。
     ジョウにも分かった。ライナス、と呼んだのだ。ショックがジョウを襲う。
     小さな身体に拒まれた感触が、ジョウの胸を狂おしいくらい締めつけた。苛立ちなど、吹き飛んでしまった。
    「よかったな、ジル。パパがいてくれれば安心だ」
     ジルは、ライナスに惜しみなく笑顔を向ける。アルフィンの腕からこぼれ落ちそうなほど、はしゃぎだした。
     ジョウは、その光景から目が離せなかった。
     ジルを抱くアルフィン、その傍らにはライナスの笑顔。よっぽどこの3人の方が家族に見えた。ゆったりと日々を営む者達の、穏やかさに満たされた空気が漂っている。
     今のジョウを取り巻くものと明らかに違う。スリリングで、生死の狭間をかいくぐるクラッシャーの生活に馴染んだジョウには、別世界の光景だった。
     俺は何故ここにいる。
     ジョウは無言のまま、自分に問いかけるしかなかった。


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■173 / inTopicNo.6)  Re[5]: A.D.2169
□投稿者/ まあじ -(2002/09/30(Mon) 12:14:56)
     クラッシャー評議会本部があるオクタゴン。そこから少し離れた場所に、小さなビーチがあった。ホテルも併設されている。夕日はとっくに落ち、夜の帳に覆い尽くされていた。星の瞬きを眺めるには、小さいが穴場のリゾートホテルだった。
     リッキーとミミーはショッピングをし、映画を見て、軽い食事も済ませてきた。一日の締めくくりとして、ホテルの最上階ラウンジで一杯やろうという話になった。ミミーはリッキーに腕を絡めている。二人の足取りは軽いまま、ロマンティックな窓際へと歩を進めた。
     が、その足は凍りついた。
     窓際のテーブル席に、タロスとジョウがいるのだ。
     ソファにどっかりと身体を預けたタロスに対し、ジョウは屈むようにしてグラスを傾けている。
    「ジョウ! 何してるのこんな所で」
     ミミーはストレートに訊いたが、リッキーには嫌な予感がした。ここにいること事態、何かあったのだ。それもアルフィンとの間に。
    「……よお、デートかい? いいねえ若い連中は」
     やけに明るい。
     というか、この場の空気と、表情と、口調がまるで噛み合っていない。
    「やだあ、からみ酒?」
    「……やけ酒、とも言うな」
     タロスが付け加えた。うへえ、とリッキーが声を上げる。テーブルにはすでに、空になったボトルが1本転がっている。今日一日まともに食事をしていないジョウが、その胃にたっぷりとブランデーを注ぎ込んで1時間。
     ようやく酔いが回りだした頃だった。
    「つき合えよ、ミミー」
     ぐい、とジョウはミミーの腕を引き、隣に座らせた。リッキーは仕方なく、タロスの隣に腰を落ち着かせた。そしてタロスに耳打ちをする。何があったのかと。
    「……ジルに手を焼いて、家も焼けかけて、アルフィンが怒って、男が現れたそうだ」
    「なんでえそれ。訳わっかんねえなあ」
    「でも、男ってなあに?」
     ミミーはずばりと訊く。
     タロスやリッキーは、泥酔したジョウにそんなことは恐ろしいことはできない。
    「ピグミー大学の助教授だとよ。友達みたいな口振りだったが……どうだか」
     ぐびりとグラスを空けた。
    「疑ってるの? らしくないわ」
     ミミーはジョウに詰め寄る。
    「他の男だったらいざしらず、相手はジョウよ。アルフィンの気が移る訳ないじゃない」
    「あ、その言い方。ちょっとばかし俺ら傷ついたぜ」
     リッキーが突っ込む。言葉のあやよ、とミミーはさらりと受け流した。ジョウへのお節介虫が騒いでいるらしい。
    「勘ぐって、アルフィンに問いつめたんじゃないでしょうね」
    「そこまで気も回らなかったさ」
     グラスにブランデーを注ごうとするジョウの手を、ミミーが止めた。
    「もう飲んじゃ駄目。……小さなこじれは、早めに解決することを勧めるわ」
    「これが飲まずにいられるかってんだ!」
     ミミーの手をうるさそうに払い、ジョウはグラスから溢れるくらいブランデーを注ぐ。
    「そんなことしてたら、あっという間に休暇が過ぎちゃうわよ」
    「明日から仕事でも入れるかな……」
     ジョウは苦笑する。
    「まったくもう。待ち続けたアルフィンの気持ち、考えた?」
    「いきなり帰ってきて迷惑してるかもしれないぜ」
    「なに拗ねてるのよ! パパにもなって……」
     ジョウの動きが止まった。目を据えて、ぎろりとミミーを睨んだ。
     やばい。
     タロスとリッキーの体験から言えば、爆発寸前のジョウの表情だ。2人の顔がひきつる。
     しかし。
     爆発は不発だった。というより、萎むように鎮火した。
     ジョウが小さく見えた。3人にとっては初めて見る姿。これは単なる痴話喧嘩のレベルではない。
     そしてジョウの口元が、くっと歪んだ。
    「……ジルが本当に俺の子かってのも、怪しいもんだぜ」
     ついにタロスが身を乗り出した。
    「待ちなせえジョウ。……その冗談は、ちょっと笑えないですぜ」
     リッキーとミミーも、大いに頷いた。
    「考えてもみなせえ。あたしらが相も変わらずクラッシャーをやってる間、アルフィンは慣れない土地で、たった一人で、ジルをあそこまで立派に育ててきた。それもこれも、ジョウの子供だからじゃないですかい」
     ジョウはテーブルに目線を落としたまま、動かない。
     だがぽつりと呟いた。
    「……とは言ってもな」
    「それに2年のブランクといやあ、多少のズレはどんな関係にだって起こる。大事なのは、それを互いに埋める努力ですぜ。そこから目を背けて何になるんですかい」
     がん、とグラスがテーブルを叩いた。
     ジョウの右手がそうした。
    「俺だってやってやりたいことは山ほどあるさ。けどよ、タロス。……親父として俺が出来ることって何だ」
    「…………」
    「アルフィンが旦那に求めるものって何だ」
    「ジョウ……」
    「応えてみろよ。教えてくれ。俺にはひとっつも分かりゃしない」
     親指をぎりっと噛んだ。
     しかし、すぐにまた小さな嗤いを含む。
    「……なるほどね、そうか。俺が、クラッシャーを辞めりゃいいのか」
     ジョウの発言に、リッキーとミミーが顔を見合わせる。
     すかさずタロスが宥めに入った。
    「それはちっと飛躍しすぎでさあ」
    「飛躍なもんか!」
     ジョウはぴしゃりと言い放つ。
    「家族ってのは、ただ血が繋がってりゃいいのかい? そうじゃないだろ。一緒に生活する毎日に、深い意味があるのさ。……俺はそれを怠ってきた」
    「自分を、責めてるんですかい」
    「さあてな。……それすらも俺には、もう分からん」
     ジョウはブランデーをまた、ぐっと煽る。
    「そもそも俺は、いなくてもいいんだろうさ。あのヤサ男がいればよ」
    「悲観的すぎますぜ……」
    「俺の居場所は結局、<ミネルバ>だけってことさ……」
     アルコールのまどろみと、寂しさが、ジョウをぐるりと囲んだ。アンバーの瞳に、暗い影が射す。
     ジョウは黙ってしまった。そして頭をかくんと垂らした。
     潰れてしまった。
     たった半日の出来事が、ジョウの気力と体力を根こそぎ奪った感じだ。正確にはアルコールが許容範囲を超えたのだが。
     しかしそんな風に、ことを呑気に考えられる余裕は、居合わせた3人になかった。


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■176 / inTopicNo.7)  Re[6]: A.D.2169
□投稿者/ まあじ -(2002/10/01(Tue) 10:16:43)
     ジョウをホテルに泊めてもよかった。だがミミーが反対する。家があるのだから、帰さないと。ミミーのもっともな意見だった。
     フロントに問い合わせると、アルフィンの家はすぐ分かった。というより、誰もが知っている様子だ。無論、誰彼と口外はされない。リッキーとミミーがチームメイトと知って教えてくれたのだ。タクシーで送り返しても良かったのだが、完全に墜ちたジョウである。アラミスという場所柄、人目に気を配った方がいいと判断した。
     リッキーがエアカーをレンタルしてきた。
     十分も飛ばせばすぐに家は見つかった。
     玄関の明かりはついている。だが部屋からは明かりが漏れていない。アルフィンが早急に修理をさせたため、窓ガラスも庭の窪みも元通りにされていた。
     ミミーがドアのチャイムを鳴らす。
     3度ほど鳴らして、ようやく部屋の中に動きが見えた。アルフィンはすでに休んでいたのだろうか。ジョウの帰りを待っていないような空気。
     リッキーもミミーも少し不安になった。
    「どなた……」
    「あたしよ、ミミー。ごめんなさい夜分遅くに」
     すぐにドアロックは外された。
     ガウンをまとったアルフィンが顔を出す。リッキーの肩からだらりと、ジョウが力無くぶら下がっているのが見えた。
    「兄貴、酔いつぶれちまってさ」
     リッキーは努めて明るく振る舞う。アルフィンは室内に案内した。とりあえずリビングのソファに、ジョウを寝かせた。
    「何か言ってた? ジョウは」
     ライナスが帰ってしばらくして、ジョウは出かけてしまった。アルフィンにも分かっていた。ジョウのこの体たらくは、昼間の出来事が原因だということを。
    「俺ら達、後から偶然合流したんだ。そん時にはもう出来上がってたし」
     リッキーは小さな嘘をついた。
     なんとなくその方がいい。そんな直感が働いた。
    「タロスがつき合ってたみたいよ」
     ミミーも人ごとのように、口裏を合わせた。
    「それにしても……、素敵な家ね」
     ミミーはリビングを見回し、あえて話題を変えようとする。
    「でも、ジョウには居心地が悪いみたい」
     アルフィンの笑顔は寂しそうだった。
    「そうなの?」
     初めて訊いたという表情を、ミミーはあえてつくる。
    「ねえ、お茶でもどう?」
     アルフィンが誘った。
     何か話をしたいのだろうか。リッキーもミミーも察した。しかし自分達は事情を知らないことになっている。下手につき合ってボロがでてしまうのも具合が悪い。
    「いや、今日は失礼するよ。こんな時間だし、また改めて来るからさ」
    「そういえば、タロスが明日、遊びに来たいと言ってたわ」
    「明日?」
    「ええ」
     アルフィンは少し戸惑いを見せた。
    「明日は先約があるの。……夕方には帰れると思うけど」
    「そう。じゃあタロスに伝言しとくわね」
     あっさりと、努めてあっさりと、リッキーとミミーは用事を終えて家を後にした。
     エアカーで一路、ホテルに戻る。
     その助手席でミミーが口を開いた。
    「なんか、想像以上にまずくない?」
    「うん、俺らも感じた」
    「……ジョウとアルフィンでさえも、ああなっちゃうものかしら」
    「確かに、ちょっと信じられないよな」
    「クラッシャーとの結婚って、すごく大変そう……」
    「お、おい、ミミー! それってさあ」
     リッキーは少し慌てた。
     何せ自分としては、ミミーといずれ一緒になりたいのである。
    「う、うまくいってるクラッシャーの家族だってあるぜ!」
     少し力が入った。
    「あんなにお互いを強く思い合ってる2人なのに。なんだか寂しいわ」
    「いや、だからね、ミミーさあ……」
     リッキーのフォローは、ミミーの耳朶を打っても、心にまでは響いていなかった。
     そして重苦しい夜が明けた。
     朝。いや、もう昼を少し過ぎている。
     頭を抱えながら、ジョウはのっそりとソファから起きた。家だというのは分かった。だが人の気配が全く感じられない。
     キッチンまでそろそろと歩き、水をがぶ飲みする。完全なる二日酔い。記憶が途切れ途切れなことから、そうとう飲んだと自覚はできた。
     ふと、ダイニングテーブルにメモをみつけた。アルフィンの字だった。
     寝ていたから起こさずに出かける。ライナスとの先約があり、夕方には戻る。そう簡単に書かれていた。どんな約束かは知らないが、折角夫が帰ってきたという日でも、アルフィンは出かけてしまった。
    「俺だけか、勇んで帰ってきたのは……」
     誰に言うともなく、ジョウは呟いた。
     それからシャワーを浴び、また当てもなく出かけた。
     一人でいるには、あの家は広すぎて、寂しすぎて、落ち着かなかった。


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■177 / inTopicNo.8)  Re[7]: A.D.2169
□投稿者/ まあじ -(2002/10/01(Tue) 10:17:57)
     夕日が沈みかけている頃、アルフィンはエアカーを駆って家に戻った。ジルは助手席で静かな寝息を立てている。
     すると家の前の通りから、人影が現れた。
     はっとアルフィンが振り向く。ジョウかと思った。
     だが違う。巨漢のタロスがレンタルのエアカーから降りてきた。
    「お帰りなせえ」
    「もしかして、待たせたかしら」
    「いや、あちこちブラブラしながらでさあ。ここら辺はドライブするだけでも爽快なんで」
    「……どうぞ、入って」
     タロスが単身でわざわざ出向く。
     遊びに、という空気でない。アルフィンも察していた。
     ジルを寝室のベビーベッドに寝かしつけたあと、アルフィンは手早くコーヒーを煎れ、リビングのテーブルを挟んでタロスと向き合った。
     タロスはしげしげと室内を見回る。その目を細め、にやりと笑った。
    「さすがは元王女だ。こだわりのある、いい部屋だ」
    「王女でなくても、これくらいはできるわ」
     笑った。
     だがその微笑みはすぐに消えた。
    「……ジョウ、昨日の夜は大分荒れたんじゃない」
     早速アルフィンから切り出した。
     察しているのなら話は早い。だからタロスも包み隠さず、ジョウの様子を語った。アルフィンとどう接すればいいのか。少し混乱してやけになっていることなど。
     本当はジョウ自身の言葉で、アルフィンに伝えることが大事なのだが。それを待っていては、あっという間に休暇は終わってしまう。
     そしてアルフィンも自分の気持ちを語った。タロスの感想で言えば、まるっきりジョウと同じ悩みを抱えている様子だった。
    「今では信じられないの。自分も、危険なクラッシャーをやってたなんて」
    「かなり派手にバズーカもぶっ放してましたな」
     タロスが愉快そうに笑う。
     アルフィンもつられて笑った。そしてまた真顔に戻る。
    「地上に降りて2年も経つと、宇宙生活の日々がとても怖く感じるわ。これも、魂が引力に引かれたってことかしら」
    「ま、人間の誕生はそこからですからねえ。悪いこっちゃないと思いますが」
    「価値観が、違ってきちゃったんだと思うの……」
     タロスは当初、アルフィンと話し合い、必要とあらば説得しようと考えていた。だが、それは諦めた。齢を重ねただけの老人の言葉で、納められる出来事とは思えない。そう判断した。
     そしてアルフィンの様子から、昔のある出来事をふと思い出す。
    「ひとつ野暮な話、いいですかい?」
    「ええ。なにかしら」
    「実は昔、惚れた女がおりやしてね。クラッシャー時代のバードと競ったんでさあ」
    「初耳だわ」
     アルフィンは興味深げに身を乗り出した。
    「その女の父親が、交換条件を持ち出しましてね。あっしとバード、クラッシャーを辞めた方になら娘を託すと」
     タロスは少し照れくさくなったのか。
     アルフィンの背後に移る、窓ガラスの景色に目線を移した。
    「最初、女の父親を恨みましたねえ。……なんてクソ条件を出しやがるんだ、と」
    「男性にとって一生の仕事は、天秤に乗せることもできないそうね」
     ジョウもそういう男だ。
     アルフィンも重々承知している。
    「しかし今になって、ようやくその言葉の意味が分かりましたぜ。最初は単純に、大事な娘を守りきれねえ男にゃ、任せれねえってことかと思ってやした」
    「……何が分かったの?」
     タロスはコーヒーを一口含む。
     そしてゆっくりと言を継いだ。
    「女の父親は、同じ男として俺達のことも考えてくれてた。そういうことです」
    「意味がよく分からないわ」
    「……ジョウを見て、それが分かりやした」
     タロスは何度も頷いた。今はもう会うこともない、ケイの父親の顔を思い浮かべながら。
     家族と離れて、命を張った仕事を続ける。守りの姿勢からくる恐怖、そばにいられないもどかしさ、焦り、疎外感。これらをたっぷり味わうことになる。そして宇宙生活者と地上人との間に生まれる、どうしようもない溝。
     タロスは真剣にケイを愛していた。その真っ直ぐさを見抜いた父親だからこそ、その後に待ち受ける事態も簡単に想像ができたのだろう。
     そしてジョウとアルフィンは、まさにその渦中にいる。
    「世間様で言やあ、結婚てのは2人の人間を一組にくくる。しかし、クラッシャーはそうはいかねえ。離ればなれの生活が常だ。頼りになりたい時、肝心な相手はそばにいない。逆に孤独でしょうな」
     アルフィンはじっとタロスの言葉に耳を傾ける。
    「子供ができりゃあ、生活圏の違う父親と母親。ギャップも広がるってもんでしょう」
    「親子より、上司と部下の絆の方が強いわ。義父さまとジョウも……」
    「因果な稼業でさあ、クラッシャーってのは」
     タロスは両の腕を組んで黙した。
     そしてアルフィンがこちらを振り向くのを待つ。少し踏み入ったことを訊くためだ。
     やがて、アルフィンの瞳をとらえた。
    「……まだ、ジョウへの気持ちはありますかい?」
     説得はできなくとも、確認だけはしておきたかった。


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■178 / inTopicNo.9)  Re[8]: A.D.2169
□投稿者/ まあじ -(2002/10/01(Tue) 10:19:00)
    「ええ……。でも」
     アルフィンはタロスから視線を外す。
    「ジョウにはタロス達がいるわ。けどジルを最終的に守るのは、母親のあたしだけ。どうしてもジルに気持ちが傾いちゃうわね。ジョウはそこも、面白くないんでしょうけど……」
     アルフィンはカップを指でもてあそぶ。
    「久しぶりに会って思ったの。ジョウはジョウのままなんだって。心が父親になりきれてないの。……昨日のことも、そう。ジルがアートフラッシュをおもちゃにして、危ないところだった。けどそれはこっちの不注意なの。ジルは分からずにやってることなんだから」
     タロスはじっとアルフィンの言葉を聞き入る。
     両眼を閉じて。
    「ジョウが変わってないのは、一緒に生活していないから。仕方のない事よ。でも分かっていても、凄くもどかしいの。<ミネルバ>にいた頃の、阿吽の呼吸でいられないの。今のジョウにはいちいち説明が必要だわ。それがこんなに、しんどいなんてね」
    「確かに、手間はいりますな」
    「だからと言って、ジョウをアラミスに縛り付けることはできないわ。あの人は生粋のクラッシャーだもの。それに銀河系全土は、ジョウを待ってる」
    「どうすりゃいいんでしょうな。あたしも答えが出ませんぜ」
    「あるわ、答えは。……ひとつだけ」
     アルフィンは大きく息をつく。
    「ジョウとあたし達、それぞれの人生を歩むことよ」
     タロスの双眸が見開いた。
    「でも、それはしたくないの。できれば、ううん、できる限り」
     アルフィンは頬に両手をあて、軽くかぶりを振った。
     考えたくもない。そういう仕草に見えた。
    「それは、ジョウも同じでさあ」
     タロスの大きな手が、ぽんとアルフィンの肩を叩いた。
     お互い堂々巡りなのだ。それだけはタロスにも分かった。そしてもうひとつ収穫があった。ジョウの心の襞に引っかかっていた、ピグミー大学の助教授は無関係だと。
     しかしそれをタロスの口から伝えたとしても、ジョウが素直に信じるとは思えない。すべてにおいて、自分の目で、感覚で、物事を判断するジョウだ。一番必要なのはやはり、2人がじっくりと互いの気持ちをさらけ出す時間だ。
     そこでタロスは一計を案じた。
    「明日、アルフィンの都合はどうですかい」
    「あたしは、特別ないわ」
    「でしたら久しぶりに仲間とどこかへ出かけやしょう。ついでと言っちゃなんですが、その、大学助教授も誘ってくれますかい?」
    「……ライナスを?」
     アルフィンの碧眼が見開く。
    「もしかして、そのこともジョウは愚痴ってた?」
    「ゼロとは言いませんが」
    「ね、いちいち説明することが多いでしょ。そんなんじゃないのに……」
    「だからといって、このままとはいかねえでさあ。ジルの情操教育にも悪影響ですぜ」
    「悪影響?」
    「両親の仲違いってのは、子供にとって一番よくない」
    「……そうね」
     しばらく考えて、アルフィンは頷いた。
     そしてすぐさまリビングから離れると、キッチンの傍らにある電話に出向く。
     思い立った後の行動が早い。
     もうライナスとのアポイントメントがとれたのだった。
    「でも、ジョウが来るかしら」
    「なあに、任せてくだせえ」
    「それに今日、帰ってくるかも分からないわ」
    「どこにいようが、すぐ見つかる。なにせここはアラミスだ。ジョウを知らねえ奴はいねえ」
    「……そうね」
     アルフィンは力無く頷いた。
     そして夜。
     やはりジョウは帰宅しなかった。
     タロスの言った通り、居所はすぐに判明したらしい。そして明日は連れて行くとの連絡が、アルフィンに入った。


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■179 / inTopicNo.10)  Re[9]: A.D.2169
□投稿者/ まあじ -(2002/10/01(Tue) 10:20:03)
     その日は朝から快晴だった。
     アルフィンのエアカーには、ジルとライナスが同乗する。ピグミー大学へ立ち寄り、ライナスとバーベキューセットをピックアップしたためだ。
     行き先はアラミス中心地より、片道三時間はかかるウェルチー湖。いわゆるカルデラ湖だ。火山岩に囲まれているどころか、周りは鬱蒼とした森林が再生している。
     この再生技術は、50年前にピグミー大学が研究テーマとして着手した結果だ。殺伐とした大地さえも、バイオ技術によって見事に豊かさを吹き返した。
    「ああ、自然に帰ってきたって感じ」
     レンタルのエアカーで久しぶりの長距離ドライブだった。ミミーはうんと伸びをして、深呼吸をする。空気が異常においしかった。
     ウェルチー湖を提案したのはライナスだった。理由は訊かずとも、何故ここを選んだのかは誰もが分かる気がした。とても開放的になれる。心が大きくなる。そして再生した森に包まれていると、生まれ変われる気さえする。
    「さ、ランチの準備は僕に任せて。みなさんは適当に散策でも楽しんでください」
     ライナスはアウトドアに関しても得意分野であった。
    「甘えちゃっていいのかい?」
     リッキーが訊く。
    「みなさんの休暇をお手伝いできる。こんなに喜ばしいことありませんよ」
    「じゃあランチ期待してるぜ!」
     親指を立てたリッキーは、ミミーを連れて湖畔沿いを歩き出した。
    「ジョウとアルフィンも、出かけてきなせえ」
     タロスが促した。
     アルフィンは少しもじもじしながら、ジルを抱く。タロスと話し合ったあと一晩考えた。ジョウときちんと向き合わなければと。
     それはジョウも同じだった。だからこそ、ライナス同伴という状況でもついてきた。
     しかし。
     ジョウの心は定まらなかった。頭では分かっていても、思うように自分を動かすことができない。今アルフィンとジルの3人だけになって、一体何を話せばいいのか。まったく懐かないジルを抱くことすら怖い。そしてアルフィンの本音を聞くのも怖かった。
    「いや、俺は残る」
    「ジョウ……」
     タロスの声には、呆れの色が混じっていた。
    「俺に構わんでくれ」
     さらに念を押した。
     タロスとしては首根っこを捕まえてでも、アルフィンとの時間をつくってやりたかった。だが、今無理をしても逆効果かもしれない。そう読んだ。
     そして折角勇気を奮い立たせたアルフィンといえば、ジョウのその言葉で意気消沈していた。
     初っぱなからつまづいてしまった。
    「じゃあ、あっしとそこらをうろつきましょう」
     タロスはアルフィンからジルを抱き上げる。
     肩車をしてやった。ジルは2メートルを超える初めての視界に、興奮気味に喜んだ。
    「おっ、恐がりもしねえ。……こりゃクラッシャーの血ですぜ」
     そしてアルフィン共々、その場から離れていった。
     残されたのは、バーベキューの準備をするライナスと、黙ったまま湖畔に腰を下ろすジョウだけだ。至近距離にいながらも、互いに一言も会話をしない。端から見たら異様な光景だった。
     ところが、その沈黙も30分と続かなかった。
     準備を終えたライナスが、ジョウの隣に突然腰を下ろしたのである。ジョウは驚いた。そして身体の位置を無意識のうちに少しずらす。
    「こんな爽やかな場所で、無愛想は似合いませんよ」
    「……悪かったな」
    「でもまあ、原因は僕にあるんでしょう」
     ライナスはいきなりど真ん中を突いてきた。
    「実は僕、1年前に妻と3才の娘を亡くしました」
    「え……」


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■180 / inTopicNo.11)  Re[10]: A.D.2169
□投稿者/ まあじ -(2002/10/01(Tue) 10:21:20)
     唐突すぎて、ジョウはライナスの横顔を見る。
    「家族旅行のリゾート惑星で。水難事故でした。遊覧船から娘が誤って落ち、それを助けようとした妻。僕も海に飛び込みました。……でも、助けられませんでした。そして昨日がその一周忌でした」
     まだ話すには生々しいのか。
     ライナスは時折苦悶の色を顔に浮かべた。
    「自暴自棄になりましてね。もちろん後追いも。そんな時にアル……いえ、奥さんが」
    「……アルフィンでいい」
     ジョウなりの気遣いだった。
     ライナスがジョウの方に振り向く。反射的にジョウはそっぽを向いた。
     だがライナスはふっと微笑み、言を継いだ。
    「……アルフィンは妻との知り合いでした。残された僕を案じてね、よくジルを連れて励ましにきてくれたんです。つまり単なる、それ以来のつき合いなんですよ」
     誤解を解きたい。ライナスの気持ちが、ジョウにも届いた。
    「それなら……」
    「なんですか?」
    「それならアルフィンも隠さず話せばいいんだ。変に勿体ぶりやがって」
    「違いますよ。僕に気を遣ってくれたんです。……本当に、心優しい女性です」
     ライナスの言葉をまんま信じれば、ジョウのわだかまりはひとつ消えることになる。伝わったが、受け入れた訳ではない。
     ライナスは真面目すぎる。それがまた新たな不安として、ジョウの胸をざわつかせる。
     夫や父親というのは、こういう人間が適している。そんな考えが浮かんだからだった。
    「あなたは、アラミスでどれほど有名か自覚してますか」
     いきなり話が跳んだ。
    「……さあてね。所詮親父の七光りだろう」
     ライナスは大きくかぶりを振った。
    「随分と無関心、いえ呑気というか……」
     ライナスはこちらを向こうともしないジョウに、姿勢を正す。
    「赤の他人までもが、あなたの二世誕生を心待ちにする。そういう存在なんですよ、あなたは。そのプレッシャーを少し、想像してみてくれませんか」
    「想像しろと言ったって……」
     想像がつかない。
     自然と口ごもってしまう。
    「アルフィンは、たった一人でそれに耐えてきました。ジルが生まれる前も、その後も」
     <ミネルバ>での生活。それは与えられた任務を遂行し、気心の知れた仲間とだけの生活。最善を尽くした数々の結果が、名声へと姿をかえてもジョウ達が関知することではない。
     煩わしい称賛や、周囲からの勝手な尊敬。<ミネルバ>にいれば完全にシャットアウトできた。自由でいられた。そういう時間はジョウにとって欠かすことができない。
     その点アラミスは、気楽だが、少し息が詰まる。昨夜も適当に入ったバーだというのに、すぐタロスに見つけられてしまった。
     しかし宇宙へ戻れば、この絡みつく視線からも解放されるのだ。
     ジョウにはそんな逃げ場があった。
     だがアルフィンはそれすら失っている。
    「あなたが生まれた時は、相当の出来事だったらしい。なにせ創始者の一人、クラッシャーダンの息子なんですから」
    「くだらんな……」
    「とは言え、当時の民衆は酔いしれたようです。そして事件が起きた。これは一部で囁かれていたことですが、ユリアさんの産後の肥立ちが悪かったのは、そのストレスらしいと……」
    「なんだって……」
     ジョウにとっては初めて耳にする内容だ。
     ようやく、ライナスの顔をジョウはまともに見た。ライナスはジョウの視線をしっかり捕まえて、ゆっくりと言を継ぐ。
    「その悲劇を繰り返さないために、ジルの誕生はとても自重されてました。でも、消えた訳ではない。見えないプレッシャーはありました。アルフィンはそんな環境で、あなたの子を育てているんです。……少し神経質なのも理解してやれませんか」
     ジョウは何も応えなかった。
     いや、言えなくなっていた。
     ジョウの脳裏に蘇る、アルフィンから<ミネルバ>に送られてきたレター映像。変わらずの明るさ、変わらずの気丈さ。それを全面に映し出していた。あたし達は元気よジョウ。何も心配しないで。ジルがいれば千人力だわ。アルフィンから送られてきた、数々のメッセージ。
     鵜呑みにしていた。
     隠されていた本音を、何一つ見抜いてやれなかった。
     そしてアラミスに戻った、この数日の自分はどうだろう。家から逃げ、酒に逃げ、アルフィンやジルからも逃げていた。
     情けない。
     もっと自分を叱咤したくとも、それ以外の言葉も浮かばない。どうしようもないな、俺は。自嘲気味に、ジョウの口元に嗤いがつくられた。
     ライナスは隣で、じっと出方を待っていた。ややあって、ジョウは大きく息を吐く。苦笑を浮かべ、ライナスと向き合った。
    「……よく分かったよ、おかげですっきりした。礼を言う」
    「分かっていただけたんですか、アルフィンのことを」
     ライナスの白い歯がこぼれる。
     安堵。そういう表情だった。
    「ああ」
     ジョウはゆっくりと立ち上がった。
    「今回は思い知った。俺がとんだ役不足だってことがさ」
    「あなたが悪いという訳でもないんです」
    「いや……」
     ジョウはかぶりを振る。
    「失格さ。潔く身を引いた方がよさそうだ」
     ライナスの顔色が一変した。慌てて立ち上がる。
    「ちょ、ちょっと待ってください! 勘違いもいいところだ」
     ライナスの声が、静かな湖畔に響き渡った。


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■181 / inTopicNo.12)  Re[11]: A.D.2169
□投稿者/ まあじ -(2002/10/01(Tue) 10:22:35)
    「僕は、そんな決断を訊くために話した訳じゃない」
    「同じことさ」
     ジョウは両手を広げ、大袈裟に肩をそびやかす。
    「子供ができた責任を取るのと、家庭を築くことは違う。俺が甘かった」
    「あなた達の間で、ジルはきっかけになった筈だ。そんな言い方はアルフィンが哀れすぎる」
    「最低だ。そう罵ってもいいぜ」
    「ジョウ!」
     ライナスは掴みかかろうとした。
     しかし背後から、聞き慣れた声がそれを遮断する。
    「……ほんと、最低ね」
     ジョウとライナスは、ほぼ同時に身体を翻した。アルフィンが戻っていた。タロスはジルを肩車から降ろすと、じっとジョウを凝視する。
    「いけねえぜ、ジョウ。やけになるのも大概にしなせえ……」
     えらく低い声だ。
     もう引き返せなくなった。ジョウは努めて笑顔をつくり、アルフィンに近寄った。
    「気づいてるだろアルフィンも。俺より、ライナスの方が分かり合える」
    「……そうね」
     アルフィンも受けて立った。
     そういう感じだ。
    「だけどあたしは、ジルをそんな風に思ったことはないわ。一度も」
    「無理しなくていいぜ。お互い弾みだったんだ。認めた方がずっと楽になれる」
    「それはジョウだけでしょう?」
     アルフィンの表情は、哀しみより、怒りが色濃かった。
    「今でもはっきり覚えてる。ジルを授かった時の嬉しかった気持ち。ジョウにとっては責任でしかなかったなんてね、初めて知ったわ……」
     アルフィンの語尾が震えていた。
     ジョウも確かに覚えている。両の頬を染めて、少しおどおどした様子で打ち明けられた日のことを。そのいじらしさ、愛らしさに、力一杯抱きしめた。
     だがあれは一種の感傷と思うしかない。でなければ、今の情けない自分を説明できないでいた。
    「せめてもの償いだ。何でも注文してくれていいぜ。俺を一生奴隷に扱ってもな」
    「……馬鹿じゃない?」
    「どうせそうさ」
    「馬鹿馬鹿しくて、涙も出てこないわ」
    「今気づいたのが幸いだったな」
     ジョウはさらに一歩踏む出す。
     そしてアルフィンに向かい、諦め顔で続けた。
    「ジルはまだ、俺のことなんか分かっちゃいない。ラッキーだぜ。今ならライナスを親父に……」
     ジョウの言葉が途切れた。
     アルフィンの平手が、ジョウの頬を激しく打った。
    「……ってえ」
     ジョウはぐいと拳で頬を拭う。
     湖畔がしんと静まりかえった。
     するとリッキーとミミーが遅れて戻ってきた。立ち尽くしたまま身じろぎもしない、4人の姿を捕らえる。慌てて駆け寄った。
    「一体どうしたのさ」
     リッキーが口出しした。向かい側にいるタロスが、ぎりっと歯を剥き出す。怪物のような顔が、一層険しくなった。うっ、とリッキーは息を飲む。
     相当に緊迫した状況。それだけ分かれば充分だった。
    「ジョウ……」
     アルフィンが押し殺すように静寂を切った。
    「あたし達、離れていた時間や距離が、問題だった訳じゃないのね。最初から食い違ってた。そういうことでしょ?」
    「そういうことなんだろ」
     可能性がゼロでなければ、何でもできる。ジョウはそう思っていた。だが家庭は仕事ではない。及第点に満たなければ、ゼロと同じなのだ。そのことをジョウは痛感した。
    「ちょ、ちょっと待って!」
     ミミーが話に割ってきた。
    「邪魔しちゃ駄目だ、ミミー」
     リッキーが制する。ミミーはその手をはねのけた。
    「違うの! ……ジルはどこ?」
     えっ。全員の口から漏れた。
     辺りを見渡す。いない。ジルの姿が忽然と消えていた。


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■184 / inTopicNo.13)  Re[12]: A.D.2169
□投稿者/ まあじ -(2002/10/02(Wed) 10:25:43)
    「ジル!」
     切迫したアルフィンの声。白い肌が蒼白になった。2才になる子供は好奇心の塊だ。ライナスにも恐怖が去来する。3才の娘が遊覧船から落ちたのも、好奇心を野放しにしたせいだ。
    「さ、探そう!」
     がくがくとした口調で、ライナスは号令をかけた。だが湖畔の周りは、短い草が生い茂るだけで視界は拓けている。一望しても、湖に異変はない。
    「……森だ」
     タロスとアルフィンの背景に広がる雑木林。そこにジョウは目をつけた。
     すると。
     ぎい、という音が微かに耳朶を打った。
     木の幹が擦れ合うような音。林の奥から聞こえてくる。
    「ま……まさか」
     ライナスがへたりと座り込んだ。その音に聞き覚えがあるらしい。
    「こ、こんな所まで下りているのか……」
    「あれは何だ!」
     ジョウの声が跳ねた。
    「……エウーダだ」
     平均身長3メートルにも及ぶ巨獣だ。2つの尖った頭から、がっしりとした下肢にかけて、裾広がりの体躯をしている。全身を長い灰色の毛が多い、二足歩行をする。本来は山奥に生息する動物で、気性は穏やかだ。しかし繁殖期や飢餓が伴うと豹変する。
     雑食で、昆虫や果実を好んで食べる。しかし今年は、ピグミー大学でも話題になっているが、産物の収穫が落ちた。野鳥や猿が下山しているという報告もあった。しかしエウーダは人間を恐れる動物でもある。人里に下りてくることは、学識上ではありえない。
     だが目の前で、あり得ない筈の現実が起こった。
    「エウーダはあまり鳴かない……。な、鳴くのは気が立っている証拠だ」
    「も、もしかして」
     リッキーがへたり込んだライナスを抱え上げた。
    「ジルを獲物と間違えた可能性がある……」
    「冗談じゃねえや!」
     タロスは左腕の機銃を使う素振りを見せ、森へ突き進もうとした。
    「待て!」
     ジョウが制止する。
    「もしそうなら下手に撃つとジルに当たる。ライフルじゃなけりゃ駄目だ」
    「しかし……」
    「騒ぎ立ててより興奮させてもまずい」
    「くっ!」
     タロスは大地を蹴った。地表がえぐられる。
    「俺が行く。こいつで何とか仕留めるさ」
     ジーンズのポケットから電磁メスを出した。民間人として滞在する間は、原則として武器を所持できない。電磁メスはぎりぎり護身用にと認められていた。
    「エウーダがどう出てくるか分からん。リッキーとミミーは、武器になるものを調達してこい。タロス達は撤収作業をしながら待機だ」
    「待ってくれ!」
     ライナスの声だ。
    「凶暴化したエウーダに、ナイフ1本で挑むのは無理だ!それに鳴き声は遠ざかっている。山奥なんかに引き込まれたら、エウーダの思う壺だ。忘れるな!奴は雑食だ!」
     ジョウはにやりと笑う。
    「待つのは俺の性分に合わない。可能性はゼロじゃないんだ。まあ、見ててくれ」
     そしてジョウは雑木林へと突進する。
    「ジョウ!」
     アルフィンの声だ。
    「お願い!ジルを!」
     ジョウは振り向きざまに、親指を立てた。
     緑深い雑木林に、ジョウの背中は消えていった。


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■185 / inTopicNo.14)  Re[13]: A.D.2169
□投稿者/ まあじ -(2002/10/02(Wed) 10:26:51)
     ピグミー大学の、森林再生技術は実に素晴らしい。伸びきった大木、生い茂る雑草、じっとりと湿り気を含んだぬかるむ大地。このジャングルがかつて火山地帯だとは、誰も想像しないだろう。
     だがその有り難い技術は、今のジョウにとっては厄介だった。
     ジル救出に動き出してから、もう2時間は経つ。
     エウーダの気配、鳴き声が、時折ジョウの耳朶を打った。どんどん森の奥へと向かっているのが分かる。ただ、木々に反響していまひとつ確かな方角が分からない。
     しかし右往左往しながらも、ジョウの足は確実にエウーダへと向かっていた。研ぎ澄まされた感覚が、じりじりと標的を追いつめていく。
    「……!」
     ふいに聞こえた。微かだが間違いない。
     ジルの泣き声だ。
    「いいぞ!」
     やはりジルはエウーダに捕らえられていた。
     大人達が話しに白熱している間、ジルは好奇心にくすぐられて、ふらりと雑木林に足を踏み入れた。奥へ、そのまた奥へ。降り注ぐ陽光が遮られ、辺りは薄暗いというのに。ジルは怯える様子もなく、どんどん歩を進めていった。
     そこで出くわした。丸一週間、腹を空かせたままのエウーダに。エウーダはジルを捕らえたものの、その場で食いちぎることをしなかった。理由はただひとつ。住処で子供達が待っている。エウーダの母性による強硬手段だった。
     ジルを追うジョウは、そんなことを知るよしもなかった。
     ただ一心にジルを救う。それだけだ。
     そしてジルの鳴き声が徐々に大きく届いてくる。近い。ジョウは右手に掴んだ電磁メスに、スイッチをいれた。身構えながら大股で歩を進めていく。
     行く手を阻んでいた大木が、突然途切れた。丸い緑の絨毯を敷いたような場所。左方には山肌が見える。洞窟になっていた。ジルの鳴き声の発信源はそこだ。
     まずい。ジョウは直感した。ここがエウーダの住処だ。ジルが獲物にされるのも時間の問題となる。ジョウは賭けた。洞窟に飛び込み、騒ぎ立てた。
    「エウーダ!」
     人間の声を発することで、危機感を与える。邪魔者がいる場所では、ゆっくりと獲物をはむことはできない。
     ぎい。
     応えた。ジョウは洞窟の外に誘い出すことにする。暗闇では明らかにこっちが不利だ。手当たり次第に岩の欠片を洞窟へと投げ込む。いくつかはエウーダにヒットした。感触でそれが分かる。
    「さあ! 出てこいよ」
     緑の絨毯のど真ん中で、ジョウは洞窟を凝視する。
     来る。
     空気が動き、獣特有の匂いが辺りに広がりだした。
     尖った2つの頭部が、四つん這いになって出てくる。それぞれの頭部にある単眼が、真っ赤に染まっていた。学識がなくても分かる。エウーダは興奮状態にあった。
     立ち上がる。3メートルどころではなかった。目測でタロスの2倍。かなりの大物である。
     ジョウの背中に冷たいものが走った。
     だらりと下がった腕の先には、鍬のように長い爪。片腕ずつに6本。あの鋭い爪先では、柔らかなジルの肌などひと突きにできる。
    「俺の方が、獲物としちゃでかいぜ」
     極限の飢餓状態から、エウーダは人間への恐怖を忘れていた。別の獲物が自らかかってきた。そう本能がエウーダをそそのかす。
     ぎいいいいいい。
     ガラスを掻くような嫌な鳴き声に変わった。長い腕がしなる。ジョウは背後に跳び去った。鼻先で空を切る。遠心力で腕が伸びる仕組みらしい。
     難しい。懐に飛び込むタイミングを読みづらい。電磁メスでは接戦しか戦術がない。
    「ちっ!」
     凶器である両腕をエウーダが振り回し始めた。ジョウはそれを間髪で避ける。エウーダが疲れるまで粘るか。それとも一気に始末にかかるか。ジョウはエウーダの攻撃をかわしながら錯綜する。
     エウーダの腕が巨木に当たる。一瞬にして内層までえぐられた。飛び道具として、ジョウは足場に転がる岩の欠片を次々と投げつける。ダメージにはならないが、完全に気をジョウに向けさせることにはなる。洞窟へ逃げ込むことだけは、決してできない。
     だがエウーダはわずかに知能があった。ジョウの飛び道具から、新たなことを学んだ。ごろりと石塊を両手で捕まえる。ジョウの頭より三回りも大きい。それを投げた。
    「痛っ!」
     大木に当たり石塊が砕け散る。直撃でなくても、その破片が四方に散らばりジョウに命中する。怪力の成せる業だ。この攻撃に味をしめ、エウーダは片っ端から投げつけた。
    「くそったれ!」
     ジョウは苦戦した。
     しかし、それが功を奏す。辺りに石塊がなくなると、エウーダは探す挙動を見せた。ふとした瞬間、背中をジョウに見せる。チャンスだ。電磁メスの刃を下に持ち替え、両手で握り締める。屈んだエウーダの背に頭上から振り下ろした。
     ぎいいいいいいい!
     跳ねとばされた。背中からジョウは大地に叩きつけられる。電磁メスは離さなかった。見れば、エウーダの左肩の付け根から、緑色の血が溢れた。
     致命傷ではない。しかし怯ませるには充分な痛手だ。
     身をよじりながら、エウーダはジョウに接近してくる。あとはのど笛だ。懐に飛び込み、一気に勝負をつける。
     が、それができなかった。
     エウーダの太い足の間から、何かが動いているのが見えた。
     洞窟から這い出たジルだ。背後から、ジルと大きさの変わらない小さなエウーダが二匹。きいきい泣きながら追っている。
    「まー!まー!」
     ジルはアルフィンを呼んでいた。
     そしてエウーダが親子であることにジョウは気づいた。


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■186 / inTopicNo.15)  Re[14]: A.D.2169
□投稿者/ まあじ -(2002/10/02(Wed) 10:27:49)
     気が進まない。
     エウーダがジョウの肉体を餌食にしようとも、殺すことは躊躇われた。
     ならば逃げるしかない。
     ジョウは傷ついたエウーダに向かって、気を引きつける。エウーダの子供の鳴き声に気づけば、逃げる獲物であるジルは、この場で一気に片づけられてしまう。
     わざとエウーダに接近した。長い両腕であれば、充分に捕獲できる距離にまで。エウーダは填った。ジョウの身体に掴みかかるよう腕を伸ばす。
     が、ジョウは消えた。
     エウーダの長い腕は、空振りし、自らの身体に巻き付いた。
     ジョウはエウーダの両足の間からすり抜け、瞬時にジルを抱き上げた。
     そのまま逃げる。
     しかしエウーダの片腕がしなった。振り返りざまに。
    「がっ!」
     ジョウの背中を真一文字に、その鋭い爪がばっさりと裂いた。
     ジルを抱えながらジョウは横転する。
    「くっ……」
     傷が深い。
     生暖かいものがどくどくと背中を湿らせていくのが分かる。
     ジョウは歯を食いしばり、身を奮い立たせた。やられる訳にはいかない。満身の力で大地を蹴る。エウーダが追ってきた。ジルを抱いた状態ではもう応戦できない。
     闇雲に走った。わざと大木が密集している方角に向けて。
     巨獣のエウーダは大木が邪魔をして突進しきれない。走った。鼓動が激しくなるごとに、血の滴りが増加する。それでもジョウは足を止めなかった。
     一体、何分間森を彷徨ったのか。
     ぐらりとジョウの身体が倒れた。頭の芯が冷たい。貧血だ。ぬかるんだ大地に突っ伏した。
     荒い息の中で、意識がふうっと遠のきそうになる。
     駄目だ。
     ジョウは気力で引き戻す。背中の激痛がそれを助けた。
     泥だらけになった上体を起こすと、腕の中のジルはまだベソをかいている。だがさっきまでのような泣き方とは違った。止みそうな気がした。
     ジョウは肩で息をしながら天を仰ぐ。陽光が覆うような木々の葉に乱反射し、太陽の位置すら分からない。完全に方向感覚を失った。エウーダからジルを救出したものの、森に迷っては元も子もない。
     気を張り巡らせた。エウーダの気配はない。振り切れたようだった。
     しかしエウーダ以外にも獰猛な動物がいる可能性がある。ふらつく足元でジョウは立ち上がると、手頃な巨木を探した。
     太い幹を何本も生やし、丁度腰を据えられそうな巨木があった。幹までの高さおよそ6メートル。自力で上れなくはない。ジルを抱えてどう昇るか。ジョウは少し考えていた。
    「んま……」
     ジルはすっかり泣きやんだ。両手足をばたつかせて、何かを訴えている。
    「な、なんだよ」
     ジョウは訳が分からず、ただジルを宥めようとした。
     するとジルは、泥にまみれたジョウの指にくらいついたのだ。
    「いってえ!」
     慌てて引き抜いた。
     きれいに生えそろった歯形が、ジョウの指に残った。
    「腹壊すだろ!」
     そこではたと感じた。
     ジョウ自身も喉の渇き、そして空腹を感じていることに。
    「……そっか、腹が減ったのか」
    「まんま……」
     言葉の意味は知らずとも、少しずつジルの意志が読めてきた。とはいっても、こんな場所である。子供の口に合うものがあるのか。ジョウは暴れるジルを抱いたまま、辺りを歩き出した。
     すると運良く、赤い、ピンポン玉大の実が成っている蔓を見つけた。先にジョウが毒味する。固いが、さくさくとした食感で甘い。悪くなさそうだ。
     ジョウはそのひとつをジルに渡す。
     小さな手からすれば、林檎大に見えた。ジルは口を近づけたものの、食べなかった。
    「今はこれしかないんだ。贅沢言うな」
     ジョウはジルの口に、木の実を押し当てる。一向に囓ろうとしない。
     その理由が分かった。口が小さすぎるのだ。
    「まだ、丸齧りできないのか」
     ジョウはジルを地面に降ろすと、しゃがみ込み、目の前で木の実を割ってやった。半分なら随分と囓りやすくなる。しかしこれもジルは受け付けなかった。噛む仕草は見せても、そこで終わりである。
     ベソをかきだした。
     目の前に食べ物があるのに、食べられないもどかしさから。
     ジョウは、母親に世話をされたことがない。どうやって子供に食事を与えるのか、さっぱり分からないのだ。だが、無理にでも食べさせなければジルの体力が落ちる。いつ助かるかは不明だ。ジョウは思案した。どうすればジルは食べてくれるのかと。
    「あ……」
     ひとつ浮かんだ。
     たぶん木の実が固いのだ。あれだけの歯形を残せるからと、見落としていた。ジョウは手にある木の実を口に入れ、噛み砕く。ジルを引き寄せると口移しで与えてみた。
    「……ん」
     食べた。
     ジルの喉を木の実が伝うのが分かった。
     ジョウの全身に、嬉しさがこみ上げた。
    「まんま」
     ジルがジョウにせがんだ。
     これでいい。そう確信できた。
    「よし、待ってろよ」
     ジョウはありったけの木の実を摘むと、あぐらをかき、ジルを膝に座らせた。少しずつ、噛み砕いては与え、噛み砕いては与え。それを繰り返してやった。
     ジルの機嫌がよくなった。
     声を上げて笑うようになる。
    「調子いい奴め……」
     ジョウは悪態をつきながらも、ジルの世話が楽しくなってきた。愛おしいという思うが、涸れた大地に降り注ぐ雨のように。ジョウの胸を急激に満たしていくのだった。


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■187 / inTopicNo.16)  Re[15]: A.D.2169
□投稿者/ まあじ -(2002/10/02(Wed) 10:29:22)
     空が白み始めた。朝は冷える。
     毛布を頭からすっぽりと被ったアルフィンの吐息が、少しだけ白味を帯びた。
     ウェルチー湖の湖畔には、警察と機動隊の人間で溢れていた。一般道から入れないようにロープを張られ、3棟の簡易テントが建ち、一晩中火が焚かれている。
     ライナスが通報したためだ。
     タロス、リッキー、ミミーとしては、ありがた迷惑な状況である。警察や機動隊の目がある場所では、指揮は彼らが執る。直感で動くクラッシャーとして、非常にやりづらい。ただまんじりとジョウの帰りを待つしかなかった。
     一睡もしていない。
     ライナスだけは緊張が続いたせいか、日付が変わった頃に倒れた。あの根性ではクラッシャーにはなれない。彼が農学に進んだのも頷けた。
     アルフィンは何も話さなかった。
     ジルを案じ、ジョウを案じ、時折うつむいては嗚咽を漏らす。
     恐らく、自分を責めている。
    「何かしてあげられないかしら」
     焚き火の前で座り込む、ミミーが呟く。アルフィンはジョウが去った場所に、一番近いところで、3人から離れて背を向けて座り込んだままだ。
    「一人にさせてやりなせえ」
     タロスは低い声でそれだけ言った。
     アルフィンの元に、一人の隊員が近づいていくのが3人から見えた。
    「ミセス・アルフィン」
     ゆっくりと顔を向ける。この隊の指揮を執る、ニース隊長だ。口ひげを生やし、腹も迫り出している。しかし顔つきからいえば、まだ40代そこそこだ。
    「あと2時間後に、機動隊が森林へ突入します。ご了承願いたい」
    「それって……」
     状況を静観していたのは、エウーダを下手に暴れさせないためだった。しかしジョウとジルは戻らない。機動隊の結論で、二人は絶望視された。
     せめてその亡骸でも捜索する。そういう意味だった。
    「待って! もう少し待ってください」
    「しかし……」
     ニースは渋った。というより、もう決定は下したのだ。
     そんなもめる二人の元に、一人の影がすぐそばにいた。進入禁止の筈の一般道から、当然のように現れた。そして声が放たれた。
    「そんな物はいらんよ」
     渋いバス。
     アルフィン、タロス、リッキーが声の主に気づいた。細身のスーツをまとい、丁寧に撫でつけられた銀髪。ダン。クラッシャー評議会議長だった。
     ニースはその顔に引きつった。
    「し、しかし……このままでは」
    「大方どこかで道に迷ってるだけだ。発煙筒の1本でも上げてやればいい」
    「ですが、すでに行方を断ってから……」
    「侮っているのかね、クラッシャーを」
     ダンの双眸がニースを射抜く。
    「い、いいえ! とんでもないです!」
    「ならば、このご大層な一個隊を連れて帰るがいい」
     ニースはダンに一蹴された。
     そそくさと場を去ると、アルフィンがそろりと立ち上がった。
    「お義父様」
    「……そんなに疲れた顔をして。少し、休みなさい」
    「ご……ごめんなさい、お義父様。ごめんなさい」
     アルフィンはダンの前で、両手で顔を覆い、泣き伏した。
    「お前が謝ることではないだろう」
    「でも、あたしがいながら、ジルも……ジョウも……」
    「あれが、たかだか巨獣くらいでくたばるものかね」
     アルフィンはそっと手のひらを下ろした。
     涙で濡れた碧眼をダンに向ける。
    「お義父様は、信じていらっしゃるのね」
    「信じる?」
     ふっ、とダンは口元を緩ませた。
    「ジョウは、クラッシャー評議会が特Aクラスに認定した。ただ、それだけのことだ」
    「おやっさん!」
     アルフィンとダンの背後に、タロス達が駆け寄ってきた。


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■190 / inTopicNo.17)  Re[16]: A.D.2169
□投稿者/ まあじ -(2002/10/03(Thu) 11:45:06)
    「丁度良かった。俺達に援護させてもらえますかい?」
    「いいでしょ? クラッシャーは仲間の危機を最優先するものよ」
    「俺ら猟銃借りてきた。兄貴のチームだと、顔が利いて楽勝だぜ」
     3人が3人とも、一度期にダンに迫った。
    「……止めても無駄だろう」
     タロス達は狂喜乱舞した。
    「ただし、無益に森の生物を殺すのではないぞ」
    「了解!」
     3人の声がぴたりと合った。そしてすぐさま雑木林へと消えていく。
    「相変わらず威勢のいい」
     ダンは見送ったあと、アルフィンに視線を落とした。
    「……お前が自分を責めることはない」
    「でも、あたしが全て……」
    「それは思い上がりだ。ジョウにも果たすべきことがある。一人で抱えることではない」
     アルフィンは見上げたまま、何も応えられなかった。
     するとダンは優しい表情で言葉を続ける。
    「……似ているな」
    「え?」
    「私の妻とだよ。彼女もよく、ジョウのことで自分を責めていた」
     ダンはアルフィンを焚き火の方へと連れ出した。その場に並んで座り、ぽつりぽつりと過去を話した。それは恐らく、息子であるジョウにも話していないことだ。
     気丈ではあったが身体はそれほど強くなかったユリア。ジョウを身ごもったことで民衆を湧かしたこと。ユリアにとってプレッシャーだったこと。そしてダンの場合は、ほとんど身重のユリアを気遣えなかった。時代はクラッシャーの発展期。創始者の一人として、手が抜けない状況にいた。
     そして、ジョウを産み落として半年後。ユリアの死。
    「私が独り者でいれば、妻の人生はもっと長かったと思う」
    「そんな……」
    「今でも悔しく思う日もある。もう孫がいる年になったとしてもだ。……ユリアは賢すぎる女性だった。私に我が儘を言うことを恐れていた。しかし、それは男の器量が狭いということでもある」
    「けど分かります、お義母様の気持ち」
    「ジョウの気持ちは分からんのだろう?」
     一瞬言葉に詰まった。
     少し置いて、ええ、とだけアルフィンは小さく呟いた。
    「あれも私に似て、仕事以外にはとんと疎い。言われなければ分からないことが多すぎる。いや、男とは得てしてそういうものなのかもしれんが」
     ダンが苦笑した。
     その笑顔はやはり、ジョウと重なる。
    「家族のことで、もっとジョウを困らせてやりなさい」
    「そんな……」
     アルフィンは首を横に振る。金髪がたなびくほどに。
    「それはできません。お荷物みたいなこと、あたしには」
    「荷物がある方が、男は踏ん張りが利く」
    「え……」
    「荷物を背負ってこそ、初めて男は自分の足で歩き出せるのだよ。アルフィン、妻となる前は随分とジョウを振り回したらしいじゃないか」
    「そ……それは、あの……」
     青白かった頬に、うっすらと赤みがさした。
    「思い出すだけでもいい。もっと自分に素直に、してもらいたいことは遠慮なく伝える。それに応えるか応えないかは、あれ次第だ」
     アルフィンの瞳に、明かりが射した気がした。
     実際、白々としていた空に、もう朝日が昇り出している。
    「お義父様……」
    「それで駄目な男だったら、お前から捨てるがいい。例え仕事ができたとしても、人間的にはその程度というだけだ」
     アルフィンはくすっと笑う。
     その顔は、赤いクラッシュジャケットをまとっていた頃の、時折見せる愛らしい表情だった。
    「お義父様ったら。息子の嫁に、言っていいのかしらそんなこと」
    「言わなければ分からないことが、世の中には多すぎる。私はユリアを亡くしてから、ようやく気づいた。お前達にはその失敗を、繰り返して欲しくない」
     ダンの重みのある言葉。
     ジョウよりももっと、険しい時代を生き抜いた男の言葉だ。
    「……有り難うございます。お義父様」


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■191 / inTopicNo.18)  Re[17]: A.D.2169
□投稿者/ まあじ -(2002/10/03(Thu) 11:46:24)
     巨木の幹で、ジョウはジルを抱いたまま休んでいた。しかし一睡もしていない。
     薄いシャツから伝わるジルの体温、鼓動、そして安らかな寝息。ジョウの顔が自然とほころんでいった。
     天空を仰ぐと、枝葉の隙間から空の色が変わり始めたのが分かる。まもなく夜が明ける。その色の変化を見渡し、ジョウはどこから朝日が昇るのか把握できた。
    「そろそろ動くか」
     だが身体が軋んだ。背中の皮膚がひきつれ、激痛が走る。
     出血は止まったものの、まだ皮膚の内側はぐずぐずと柔らかい。けれどもジョウにしてみれば、大したことではなかった。ジルの存在が、ジョウの根底から気力をみなぎらせる。
     アルフィンの元へ戻ってみせる。その決意がさらに高ぶった。
    「ジル、マムの所へ帰るぞ」
     巨木に引き寄せておいた蔓を、手でたぐり寄せる。そしてジルを肩に負ったまま、ジョウの片手は蔓を掴み、木のうろなどのでこぼこを足で探りながら下りた。
     ジルの眠りはよほど深いのか。ジョウが歩く揺さぶりにも、一切ぐずることがない。
    「こいつ、いい神経してるぜ」
     小さいながらも、頼もしく思えた。
     しかし30分も歩くと身体が酷く重くなった。大量の出血のせいらしい。
     仕方なくジョウは休み休み進むことにした。もしここでエウーダに襲われたらひとたまりもない。
     しかし元々人間を恐れているエウーダだ。再び現れないことを祈りつつ、神経だけは張り巡らして歩を重ねた。
     4度目の休憩で、ジルが目を覚ます。また空腹らしかった。ジョウは休む時間を返上し、食べられそうなものを探しながら進む。朝露を溜めた大葉が茂っている場所に出た。ジョウはそれを少しずつ口に溜め、ジルに与える。
     自分の乾きは一向に癒えないが、ジルだけなら充分間に合う。
     さすがにめぼしい木の実はもう見つからなかった。とりあえず乾きが潤ったジルは、ぐずることなくジョウに大人しく抱かれている。
     だがいつ暴れ出すか分からない。何せジョウ自身、喉も胃もからからだった。
     かさり、と何かが耳朶を打つ。
     ジョウの神経がきりりと巻き上がった。エウーダかもしれない。
     やはり願いは空しくも届かなかったのか。
     まずは出来るだけ逃げることが先決だ。ジルを隠せる適当な場所もなく、このままで戦う訳にはいかない。簡単にやられるつもりは毛頭ないが、相打ちは考えられる。しかしこんな森の中で、ジョウを失ってはジルも終わりだ。
     走った。
     しかしその足取りは、いつもに比べれば遙かに遅い。身体のキレも鈍い。貧血のツケがこんな時に回ってきてしまった。
     ジョウの緊迫感を感じたせいか。ジルが突然泣き出した。
    「ば、馬鹿……」
     慌ててジョウはジルの口を覆う。
     自分たちの居場所がエウーダに知られてしまうのはまずい。
     しかし遅かった。
     忍ばせるような足音だったのが、明らかに大きくなった。生い茂る雑草をかき分ける音が、だんだん迫ってくる。エウーダのあの長い腕が、ジョウの脳裏に浮かんだ。
     とにかく逃げた。また方向感覚を失うかもしれない。だがここは逃げる方が得策だ。ジョウは音がする方角を背にして無我夢中で走った。
    「-----ジョウ!」
     はたと足が止まった。聞き慣れた低い声。
    「迎えに来ましたぜ! ジョウ!」
     タロスだ。
     するとがっくりと力が抜けた。ジョウを動かしていたのは気力だけだった。
    「こ……こっちだ」
     座り込んだ態勢でジョウは応じた。しかし喉が乾き、嗄れて、大声がうまく出せない。タロス、リッキー、ミミーの声も聞こえた。3人の声が離れていく気がする。遠くなる。
     だがそれはタロス達と行き交っている訳ではない。ジョウの意識が薄れていったのだ。ジルの口元を抑えていた手が、だらりと下がる。そしてそのままジョウは、大地にくたりと倒れる。
     ジルが泣いた。
     異変を感じ、全身を震わせて泣いた。
    「こっちよ! ジルの泣き声!」
     草陰の向こうでミミーが誘導する。
     そしてやっと3人は合流した。
    「兄貴!」
     血染めのシャツにリッキーは目を剥いた。ぐったりと倒れたままのジョウ。そしてジルは泥だらけだが無傷である。
     一目で、ジョウが身体を張ってジルを守ったことが分かった。


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■192 / inTopicNo.19)  Re[18]: A.D.2169
□投稿者/ まあじ -(2002/10/03(Thu) 11:47:46)
     準備がよかった。
     ジルに細心の注意を払ってきたアルフィンゆえに、エアカーのトランクにはクラッシュパックが入っていた。中身は<ミネルバ>でも使っている救急セット一式である。
     タロス、リッキー、ミミーが、ジョウとジルを連れ帰り、すぐさま応急処置が施された。ジョウが負った痛手はかなり大きい。血染めのシャツから推測すると、800ミリリットルは流血していた。
     傷の消毒、無針注射器で皮膚再生剤と増血剤、さらに抗生物質も投与した。ライナスが持参したデッキチェアが簡易ベッドとなった。
     ジョウとジルが発見されたのを確認すると、ダンは早々に身を引いた。父親がのこのこと出てくることをジョウは嫌う。ダンとて忙しい身だ。息子の意識が戻るまでは待っていられなかった。
     陽が、最も高い位置に達した時。ジョウから呻き声が漏れた。
    「みんな! ジョウが!」
     ずっとそばについていたアルフィンが、ジョウの覚醒を告げた。アルフィンはジルをしっかり胸に抱き、ぴくりと動きはじめた瞼を凝視する。
     全員が顔を揃えた。ライナスもすっかり復活している。
     少し苦しげな息の下から、ジョウはジルの名を呼んだ。その姿に、アルフィンは両手で口元を覆い、碧眼にいっぱいの涙を溜めた。
     ゆっくりと瞼が開いた。まだ少し力の弱い、アンバーな瞳が広がった。
    「……ここは」
     ジョウの第一声を聞き、我慢の頂点に達したアルフィンが大声で泣き出した。ぼんやりとしながらも、ジョウはそれで助かったことを理解する。
    「……死んじまったみたいな泣き方、するな」
    「だって……だって……」
     しゃくり上げながら、アルフィンは顔を両手で覆ってさらに勢いを増して泣く。その姿につられたのか、何故かジルまで泣き出した。
    「お、こいつも感動してやがる」
     タロスが嬉しげに口を挟んだ。
    「……違うな。アルフィンの声に驚いたか、腹が減ったのを思い出したんだろ」
    「分かるんですかい?」
    「分かるさ」
     ミミーが腕時計を見る。
    「あら、ほんとだわ。もうお昼を大分過ぎてる」
    「こいつにはまだ、感動なんて高等な感情はない」
    「……の、わりには嬉しそうですぜ、ジョウ」
     ジョウはのったりと腕を伸ばすと、アルフィンの前髪を掻き上げてやった。唯一ジョウができた、アルフィンへの感情表現だ。
     その懐かしい感触に、アルフィンは少しずつ泣きやんだ。そして素直に今の気持ちを伝える。
    「……ありがとう。本当にありがとう、ジョウ」
     ジョウは口元に小さな笑いを浮かべた。
    「礼はいらん」
    「……けど」
    「当然のことさ」
     父親として。ジョウはその満足感をひしひしと噛みしめていた。守るべきものがあることで、新たに奮い立たされる自信。ジルがアルフィンに宿った時、沸き上がったあの感情。それは今もこうしてジョウの中に脈々と流れていた。
     実感できた、ようやく。
     自分は紛れもなくジルの父親であることを。


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■193 / inTopicNo.20)  Re[19]: A.D.2169
□投稿者/ まあじ -(2002/10/03(Thu) 11:48:39)
     ジョウ達が家に辿り着いたのは、もう夕方に近かった。帰りはライナスが自ら、タロス達のエアカーに乗り込んだ。そのライナスも至福の笑みを讃えて、ジョウ達を絶賛した。
     自分は家族を守りきれなかった。だがその悔しさをバネにし、次に守るべきものをつくる勇気を教わった。そう、ライナスは最後に告げた。
     応急処置が効いたせいか、家に着く頃にはジョウもかなり回復していた。もともと鍛え抜かれた肉体である。最低限の休養が加味されれば、調子は元に戻る。
    「庭の穴、もう埋めたんだな」
    「そうよ。だってジルが落ちたりしたらことじゃない」
    「うーん……」
     ジョウは腕の中で眠るジルを見て、続けた。
    「しかし、この程度でピーピー泣いてたら世話ないぜ」
    「そうねえ……」
     アルフィンも人差し指を顎に当て、少し考えた。
    「男の子だもの。もっとアバウトにするわ」
     アルフィンの口調がくだけていた。と同時に神経質さがすっかり消えた。その変わり身の早さにジョウは内心驚く。てっきりまたがみがみと怒られるのかと覚悟はしていた。何がそう変えたのかは、ジョウには見当がつかない。だがアルフィンの、、クラッシャー時代のがさつさが少し垣間見えて可笑しさがこみ上げた。
    「やだ、なんの含み笑い?」
    「気にするな。アバウトにいくんだろ」
    「そうだけど」
     アルフィンは腑に落ちなかった。少し頬を膨らました。
     その仕草もジョウにとっては眩しかった。
     3人は連れ添って家に入った。
     心底ほっとした。
     ジョウはやっとこの家でのくつろぎを見い出せたのだ。安心できる、落ち着ける。室内は何ら変わった所がないというのに、住み慣れた家特有の空気を感じることができた。
     ジョウは寝室へ向かうと、ジルをベビーベッドに寝かしつける。身体が間取りを覚え始めた。
    「……可愛いわよね」
     アルフィンがジョウの隣で、うっとりとした表情で呟く。
    「俺に似たからな」
    「あら、男の子は母親に似る方が幸せになれるのよ」
    「そんなの迷信だ」
    「本当よ!」
     ふと、二人の視線が絡み合った。
     ジョウの鼓動がどくんと力強く打つ。
     アルフィンもそうだった。
    「……ど、どっちでもいいか」
    「……そ、そうよ!どっちもいいのよ」
     もう夫婦だというのに。
     二人は昔のようにどきまぎしながら寝室を出た。
    「ねえ、ドライブスルーで食べちゃったから、あんまりお腹空かないわよね?」
    「そうだな。ビールでも飲りたい気分だ」
    「あーあ。ジョウには全然、あたしの手料理食べてもらえないわね。残念……」
     小首を傾げたせいで、金髪がさらりと揺れた。
     ジョウがいつも胸をときめかせていた、アルフィンの愛らしい仕草だった。
    「まだ時間はあるさ。シャワーでも浴びて、ゆっくりしようぜ」
    「そうね。簡単なもの作るから、お先にどうぞ」
     明らかにアルフィンははしゃいでいる様子だった。懐かしい。いや、今でもその姿をいいと思える。お互いの呼吸が、リズムが、ようやく元に戻った感じだった。


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