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■766 / inTopicNo.1)  『D』
  
□投稿者/ まき -(2004/11/20(Sat) 05:31:21)
     危ないっ!!
     脳がそう認識する前に,身体が反射的に動いていた。
     赤いスポーツタイプのエアカーが真っ直ぐに突っ込んでくる。
     お母さんはこれ以上ないってくらい目を大きく見開いて硬直している。
     僕は思いっきりお母さんの身体を突いた。
     次の瞬間,見えたのは真っ青な空。

     抜けるような眩しい青だった…。
引用投稿 削除キー/
■767 / inTopicNo.2)  Re[1]: 『D』
□投稿者/ まき -(2004/11/20(Sat) 05:40:57)
    「うわぁ!すごいすごい!ねぇ見てよ,ほらぁ!」
    アルフィンの弾んだ声が室内に響く。
    「うひゃーこりゃスゴいなぁ…!」
    リッキーも目を丸くして窓に張り付いている。

     ここは惑星ノルトである。
     ノルトは恒星ユーデンからなる太陽系国家を構成する惑星のひとつであり,巨大なアミューズメント施設がある事で知られている。
     惑星開発にあたっての初期調査で,ノルトには有益な資源もなく,また土地もやせており農業にも不向きという結果が出たため,当初から観光産業で経済を成り立たせることを目的とした開発が為されたのである。
     ノルトで一番大きなシノワ大陸は,カジノを中心としたエンターテイメント都市国家として発展を遂げていた。
     一般的にギャンブルの街といえば治安的な不安がつきものであるが,シノワ大陸では一般の観光客が訪れるメインエリアとマフィアがのさばるダウンタウンエリアとの完全な住み分けが為されているため,大きなトラブルは発生していなかった。
     実はシノワ大陸での企業長者番付のトップであるフィリオ・ウーラルは,マフィアのボスであると同時に,ホテルやカジノ,航空会社やTV局までも経営する一大企業グループを築き上げた実業家の一面も有していた。
     メインエリアとダウンタウンエリアの不可侵協定も彼によって定められたのである。
     ”フィリオ帝国”と言っても過言ではないシノワ大陸は,マフィアのボスである彼によって平和を保たれているのである。
     その事を象徴するように,メインエリアの中心街は彼の名前にあやかって,フィリオーネと名付けられている。

     今回ジョウ達が滞在するホテルもフィリオグループの系列であり,シノワ大陸の中でも最高級のものであった。
     ジョウ達はつい一昨日,ひとつの仕事を終えたばかりである。
     その仕事が予想より早く片づいたので,次のクライアントとの約束まで,わずか3日間ではあるが余白の時間が出来た。
     すると,今回のクライアントが気を利かせ,ジョウ達のためにこのホテルを紹介してくれたのである。
     クライアントは件のフィリオ・ウーラルとビジネス上での繋がりがあったため,コネを使えば,容易にホテルの部屋を押さえることが出来たのだ。
     最初は,近くのリゾート惑星で時間を潰すつもりだったのだが,クライアントからフィリオーネの話を聞かされたジョウ達は,即座に予定を変更することにした。
     多少アシを伸ばすことにはなるが,カジノを中心とする数々のエンターテイメント,昼夜を問わず行われる様々なショーや多彩なアトラクション,たくさんのショッピングセンター,まさに24時間眠らない不夜城の魅力には抗しがたいものがあったのである。
     加えて,テラの習慣になぞらえたクリスマスのイベントが来月に控えているという事情から,今が一番フィリオーネが盛り上がっている時期である,という事も大きく影響した。
     特にアルフィンに。
     やはりクリスマスのイベントは女の子にとっては重要なのである。
     クライアントの紹介もあって,ジョウ達に用意された部屋は豪華としか言いようのないものであった。そして何よりも最上階のスイートから見下ろす街並みは圧巻であり,先程のアルフィンとリッキーの歓声が飛び出した訳である。
     ちょうど日が落ち始めた頃合いで,ストリートにひしめく派手派手しいネオンサインが一層輝きを強めている。
     完全に夜になればさらに鮮やかな色彩を放ち,昼間の太陽光に負けないくらいの明るさで街を彩る事だろう。
     まさに光の宝石箱といった様相だ。

    「高いとこから眺める景色なんて見慣れてるだろうよ?普段は<ミネルバ>でもっと高い位置から見下してるじゃねぇか」
     タロスが呆れたように言う。
    「いやあね!タロスったらちっともロマンチックじゃないんだから!」
    「ホントだよ!これだから夢のないおっさんはイヤなんだよなー!」
     すぐさま若い二人のクラッシャーから抗議の声が上がる。
    「っけ!るせーや。俺はオトナだからガキみたいに浮かれたりしねーんだよ!」
     タロスも負けじと大袈裟に渋面を作る。
    「その割にえらく気合いの入った格好じゃないか」
    「え…!イヤ別に…これは…っ!!」
     思いがけずジョウにつっこまれ,あからさまにタロスが動揺する。
     いつものクラッシュジャケットではなく,くしゃっとした風合いのしゃれたツイードジャケットを羽織った今日のタロスである。
    「はーん。ホントだー」
    「なんだか妙に気取った歩き方してると思ったのよねー」
     途端にリッキーとアルフィンがにやにやとした笑みを浮かべる。
    「ば,ばかやろっ,これはほらアレだ,カジノでの礼儀みたいなもんで…っ」
     オタオタと言い訳をするタロスの普段は青白い顔がほんのり上気している。先程まで伸びていた背筋もすっかり元の猫背に戻ってしまった。
    「いいのよタロス。オシャレするキモチがあるって事は若い証拠なんだからっ」
     ぱしっとタロスの猫背を叩いてアルフィンがうふふと笑う。
    「………ジョウ,恨みますぜ」
     タロスが恨めしそうな顔でジョウを見る。
    「いいじゃないかタロス。よく似合ってるぜ」
     ウィンクひとつ決めてジョウもにやりと笑う。
     それを見てリッキーがさらに爆笑する。
     途端にタロスの拳が飛んできた。
    「痛ぇっ!!」
     リッキーがその場にうずくまる。ひでぇや…と涙目になっている。
    「うっせーこのタコっ」
     赤い顔をして湯気でも上げそうな様子のタロスの方がよっぽどタコっぽいわよね…とアルフィンは思ったけれど,とりあえず口には出さなかった。
     同じ事を考えたらしいジョウと目が合って,お互い苦笑いを浮かべただけで止めておいた。とばっちりはリッキーだけで充分だ。
    「それより,これからどうする?夕飯の時間にはまだ少し早いようだが」
     気を取り直したようにジョウが切り出した。
     このホテルの専用送迎リムジンの中でお茶と軽食のサービスを受けたため,確かにまだ空腹感はない。
    「あたし散歩がてら街を散策したいわ」
     アルフィンがホテルのフロントで貰ったガイドブックを手に目を輝かせて言う。
    「えー!俺らは早くカジノで遊びたいよ」
     リッキーがすぐさまブーイングを出す。
    「何言ってんのよ!たった3日間の滞在なのよ?まずは街の雰囲気を掴むのが先決でしょう?ストリートでも色んなアトラクションが見られるし」
     アルフィンの美しい柳眉がきりりと吊り上がる。
    「ばっかだなー!まずカジノで稼いでから遊びに行った方が愉しいに決まってんじゃないか!」
     リッキーも負けてはいない。
    「ああもう止めろ止めろ!」
     火花を散らす二人にタロスが待ったをかける。
    「俺もまずはカジノで一稼ぎしたいんでね,ここは二手に分かれるってのはどうだ?」
     タロスの提案にリッキーが真っ先に反応する。
    「そりゃあいい!そうしようぜ!俺とタロスはカジノに直行するから,兄貴とアルフィンは散歩でもなんでもしてくればいいよ!」
    「え!おいおい勝手に決めるなよ!」
     自動的に散歩組にされたジョウが慌てたように抗議する。
    「………ジョウもカジノの方がいいの?」
     いつもよりトーンを落としたアルフィンの声に,ジョウがぎくりと振り返る。
     怒っているような,或いは泣き出しそうな複雑な表情でアルフィンがジョウを上目遣いに見つめている。
    「………いや,散歩でいい…」
    「散歩『で』いい?」
     アルフィンがずいっと詰め寄る。
    「散歩『が』いい……かな」
     はははっと意味もなく乾いた笑いを浮かべてジョウが両手を挙げた。降参である。
    「んじゃ,そういう事で。まぁ何かあったら連絡するけど,基本的には自由行動だね」
     リッキーの心は既にカジノへと飛んでいる。今にも走り出しそうな様子だ。
    「夕飯もお互い適当に済ませましょうぜ。この部屋のカードキーはそれぞれ持ってるわけだし,ヘタに約束するより当面は好き勝手に動いた方がよくないですか?」
     タロスがジョウに提案する。
    「ああ,それもそうだな。約束して時間を気にするより,そっちの方が気楽か…。だが,とりあえず通信機は常に携帯するようにしろよ。お互い連絡が取れない状態にはしないようにしよう」
     ジョウが最後にリーダーらしくしめた。
    「ところでジョウ」
     ふいにタロスがジョウに近付いてきた。
    「なんだタロス」
     タロスは問い返すジョウの耳に顔を近付けて,他の二人には聞こえないようにぼそりと言った。
    「アルフィンと二人で別の場所に泊まってきてもいいですぜ?」
    「………!!タロスっ!!」
     真っ赤になってジョウが怒鳴った時には,タロスはリッキーの頭を小突きながらドアの向こうに消えることころであった。
    「どうしたの?ジョウ」
     アルフィンが不思議そうに小首を傾げる。
    「……なんでもない」
     思わぬタロスの仕返しに,ジョウはまともにアルフィンの顔を見られない。
    「俺達も行こう」
     これ以上問い詰められるのは勘弁したかったので,ジョウはアルフィンの手を取って,半ば強引に歩き出した。

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■768 / inTopicNo.3)  Re[2]: 『D』
□投稿者/ まき -(2004/11/20(Sat) 05:55:41)
    「寒くないか?」
     ジョウが白い息を吐きながらアルフィンに声を掛ける。
    「うん,平気よ」
     アルフィンがにっこりと笑って嬉しそうに応える。
     ノルトはテラと似せた気象システムを取り入れている為,今の時期は気温が低めだ。クリスマスの前日,いわゆるイブには人工的に雪も降らせる。
     それさえもイベントなのだ。
     事前に気候に関する情報を得ていたので,ジョウ達もそれ相応の格好を準備してきた。
     ジョウはシンプルな黒のレザーライダースを無造作に羽織っている。ちらりと覗くインナーはグレーのニットで,胸に赤いラインが一本入っている。はき慣れたジーンズの足下はジャケットに合わせたようなハードブーツである。
     一方のアルフィンはノースリーブの淡いピンク色のニットワンピースにフード付きの白いPコートを合わせている。ライトベージュのロングブーツが美脚をより一層際立たせていた。
     周りを歩く観光客らしき人達も皆一様にコートなりジャケットなりを着込んでいる。日が暮れて気温が下がってきたけれど,それさえも楽しんでいるような様子である。
     色とりどりのネオンサインやイルミネーションに溢れるストリートは,不思議と寒さを忘れさせてくれる効果があるようだ。
     特にクリスマス装飾には力が入っているらしく,見ているだけで胸が躍るような気持ちにさせてくれるのだ。
     そして何よりアルフィンにはジョウと一緒にいられる喜びが大きすぎて,寒さを感じる余裕がないというのが正直なところであった。
     部屋を出るときに繋がれた手はそのままである。
     クラッシャーとしての仕事の最中には何度も手を引かれたり,身体を抱きかかえられたりしたこともあるけれど,こういうプライベートな時間に手を繋ぐというのは,全く意味が違う。
     ジョウの大きな手に包まれたぬくもりが全身に伝わり,アルフィンの白磁のような頬を薔薇色に染める。

     ストリートの至る所でショーやパフォーマンスが繰り広げられていた。
     劇場やホテルのショーステージで催されるショーは有料のものが多いのだが,ストリートでのエンターテイメントは基本的に無料である。
     アルフィンも他の観光客と同様に,面白そうなパフォーマンスを見つけてはジョウの手を引き,足を止め,歓声を上げていた。
     しばらくそんな事を繰り返していたのだが,途中からジョウの様子がおかしいことにアルフィンは気付いた。
     初めはアルフィンと同じようにストリートパフォーマンスやイルミネーションを楽しんでいた様であったのに,徐々に反応が薄くなっているのだ。
     アルフィンが話しかけても「ああ」とか「うん」とか,いかにも気のない返事しか返ってこない。何か考え事をしているようにも見える。
    「ジョウ,どうかしたの?」
    「……え?何が」
    「……なんか変よ,ジョウ」
     アルフィンが探るようにジョウの顔を覗き込む。
    「そ,そんな事はないと思うけど」
     綺麗なコバルトの瞳が近付いてきてジョウは急に焦り出す。可能な限り平成を装って応えたが,一瞬見せたぎょっとした表情をアルフィンは見逃さない。
    「うそ。だって今慌てた顔したもん」
     アルフィンはさらに詰め寄る。
     どうやらアルフィンの機嫌を損ねたらしいと気付いたジョウが,無意識のうちに後退る。
    「…いや,その,ちょっと考え事をしてて……」
     つい言い訳めいた事を口にする。
     アルフィンはその刹那,拗ねたように可愛く口を尖らせると,ずっと繋いでいた手を乱暴に振り解いた。
    「もういいわよ!ジョウのばかっ」
     そう言うと,くるりと背を向けずんずんと歩き出した。
    「え?…ってちょっと待てよアルフィン!」
     アルフィンの突然の行動に一瞬呆気に取られたものの,ジョウは慌てて後を追う。
    「おいアルフィン!待てってば!」
     ジョウの声も無視して,アルフィンは人混みの中をすいすいとすり抜けていく。
     見え隠れする金髪の小さな頭を見失わないように,ジョウは強引に人を掻き分けて行く。あちこちで迷惑そうな声を上げられたが構ってはいられない。
     アルフィンは器用に人混みをすり抜けながら呪文のように繰り返す。
    「ジョウのばか。ジョウのばか。ジョウのばかっ」
     文句なしの美少女が怒りに頬を染めながら悪態を吐く姿は,かなりの迫力である。思わず道を譲られているアルフィンであった。
     しかし,人混みを抜けるとやはりジョウの足の方が速い。
     ストリートから少し離れた人工運河のほとりでようやくアルフィンの左腕を捕まえた。
    「やっと追いついた」
     大きく息を吐きながらジョウが言う。
    「んもう,放してよ!」
     アルフィンがジョウの手を振り払おうと肩をよじる。長い金髪がさらさらと揺れた。
     ジョウはその反動を利用してくるりとアルフィンを反転させて向かい合うと,今度は両手でアルフィンの両の二の腕を掴んだ。
     アルフィンはキツく唇を噛み締めたまま俯いた。ジョウと目を合わさないつもりだ。
    「いったいどうしたっていうんだ,アルフィン」
     ジョウが困惑しながら尋ねる。
     するとアルフィンはいきなり顔を上げ,ヒステリックに叫んだ。
    「それはこっちのセリフよ!ジョウったらずっと上の空だったじゃない!ホントはタロスやリッキーと一緒にカジノへ行きたかったんでしょ?あたしなんかに付き合うの退屈だったんでしょ!?」
     言い放つと同時に綺麗な青い瞳からぽろぽろと涙が溢れ出す。
    (ジョウとふたりきりで過ごす幸せな時間だったのに!ジョウはちっとも楽しくなかったんだ!あたしだけ浮かれててバカみたいじゃない!)
     言葉にならない気持ちが涙となってアルフィンの頬を伝う。悔しいのか哀しいのかよく分からないどろどろとした感情に胸が押しつぶされそうだ。
     焦ったのはジョウである。とにかくアルフィンに泣かれるのは困る。どうしたらいいのか解らなくなる。
    「アルフィン!ちょっと落ち着いてくれ!俺は別にカジノへ行きたかったワケじゃない!アルフィンと街を歩く方がいいに決まってる!」
    「うそよ…っ」
     ジョウの必死の弁明にもアルフィンは耳を貸さない。ジョウから顔を逸らし,身体をよじるようにしてジョウの手から逃れようとしている。
    「うそじゃない!本当だ!散歩とかカジノとか,そういう事じゃなくて,俺はアルフィンと一緒がいいんだ!」
    「…………」
     ぴたっとアルフィンの動きが止まり,はたとジョウを見上げる。
    「…………」
     涙を湛えて潤む青い瞳に見つめられ,ジョウは言葉に詰まる。
     自分が口走ったセリフに,今更ながらどっと汗が噴き出す。顔が火照っているのが自分でもよく分かる。
    「………ホント?」
     アルフィンが恐る恐る尋ねる。アルフィンの頬も心持ち上気している。
    「…………ああ」
     ジョウは苦労して言葉を絞り出す。たった一言なのにひどく労力を要する。
    「…………」
    「…………」
     なんとなく気まずい沈黙がふたりの間に落ちてくる。
     遠くからどっと沸く歓声が聞こえてきた。またどこかでパフォーマンスが始まったらしい。
     ジョウは,アルフィンの二の腕を思いの外強く掴んでいる手に気付き,慌てて,しかしぎこちなく放す。
    「……すまない」
    「ううん………」
    「…………」
    「…………」
     再び訪れる沈黙。
    「……なんだか困ったわね」
     アルフィンが照れたように小さく微笑む。
    「ああ。なんだかな…」
     ジョウもつられて力の抜けた笑みを浮かべる。
     冷たい風が二人の髪を揺らして通りすぎる。火照った顔には心地よい風だ。
     ふと気付いたようにジョウの手が伸びてアルフィンの頬に残る涙の跡を拭う。
     アルフィンはくすぐったそうに小さく肩をすくめ,軽く俯いた。
     ジョウは伸ばした手を滑らせてアルフィンの頭に回すと,そのまま軽く自分の肩に抱き寄せた。
    「……ジョウ?」
     アルフィンの動悸が不自然なリズムを刻み始める。頬が再び熱を帯びる。
     押しつけられた冷たいレザーの感触で少し冷静さを取り戻す。
    「さっき考え事をしてたって言ったろ?」
     頭の上からジョウの声が響いてくる。抱き寄せられているアルフィンに,ジョウの顔は見えない。
    「…うん」
    「あれは本当にカジノのことを考えてた訳じゃないんだ」
     なんとなく言いづらそうにジョウが続けた。
    「……じゃあ何を考えていたの?」
     自然な流れでアルフィンが尋ねる。
     一瞬アルフィンの頭を抱き寄せているジョウの手が緊張する。一呼吸おいた後,ジョウがくぐもった声を発する。
    「このまま…」
    「え?」
    「このままふたりでどこかに泊まろうか」

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■769 / inTopicNo.4)  Re[3]: 『D』
□投稿者/ まき -(2004/11/20(Sat) 22:02:01)
    「兄貴達うまくやってるかなぁ!?」
     賑やかなスロットマシーンの音に負けないようにリッキーが叫ぶ。
     通常のカジノは未成年のギャンブルを厳しく禁じている。ギャンブルに参加出来ないだけでなく,見物することさえも認められない。
     しかしフィリオーネは家族連れの観光客が多く訪れる事から,独自の規則を定めていた。
     ギャンブルではなく”ゲーミング”という場を設けたのだ。
     ゲーミングは賭け金の設定も低めで,シンプルなルールのものばかりを集めている。
     年齢制限も15歳以上となっている。15歳未満の子どもでも,ゲームの参加は出来ないが,成人同伴ならば見物は許されている。
     感覚的にはゲームセンターの延長というところか。
     また,ギャンブルとなると服装にもある程度気を配らなければならないが,ゲーミングの場では特に気を遣うこともなく,例えばTシャツにジーンズというラフな格好でも構わないのだ。
     現にタロスはジャケットは羽織っているものの,インナーはカジュアルなTシャツであったし,リッキーも赤いニットパーカーに履き古したジーンズという出で立ちであった。
     また,ゲーミングには家族連れやカジノ初心者が多く集まることから,さらに治安も良くなり,安心して遊べる場所となっているのである。
     当然未成年者のリッキーはこちらのゲーミングしか参加できないのだが,タロスも賭け金は低くとも気取らないこちらの方が気楽に楽しめるという理由で,或いは単にリッキーに付き合ったのかもしれないが,こちらで腕を奮っているという訳である。
    「ばーか!余計なお世話だ!」
     タロスもリッキー同様に大声で返す。
     二人が興じているのはカジノで最もポピュラーなスロットマシンだ。
     現在ではタッチスクリーン式がほとんどであるが,ここには旧式のボタン式や百科事典でしか見たことのない様なレバー式のものまであった。
    「よっしゃあっ!」
     タロスの歓声と同時に,スロットマシンが派手な音を立ててコインを吐き出し始めた。
     レトロな電飾が青白いタロスの顔にせわしなく光のシャワーを浴びせかける。
    「まじ!?大当たりかよ!」
     リッキーが横から身体を伸ばして覗き込む。
    「ジャックポットとはいかねぇが,ゲーミングにしちゃなかなかの当たりだぜ?」
     タロスが得意げに揃った絵柄を見せる。レバー式に合わせて,こちらも年代物のフルーツスロットだ。スリーセブンの上下でチェリーやプラムが音楽に合わせて瞬いている。
    「すげー!いきなり大儲けじゃん!」
     リッキーが興奮で顔を赤く染めながら目を輝かせている。
    「ふん!俺はおめーみたいに1コインずつなんてケチな賭け方はしねーからな!男なら思い切って3枚賭けでいかねぇと!」
     ふふふんっと鼻を鳴らしてタロスがエラそうに言う。
    「えー!だってよー」
     リッキーは途端に渋面を作る。
     ゲーミングのスロットマシンは1枚賭けか3枚賭けの選択が出来るのだ。当然3枚掛けの方が配当も大きい。
     タロスはもちろん3枚賭けである。
     最初から大金を注ぎ込むことに抵抗があったリッキーは「大当たりはしなくていいから低予算で長時間遊びたい」いう堅実な1枚賭けでゲームしていた。
     しかし,横でタロスの大当たりを目にした以上,負けてはいられない。
    「よーし!俺らもいっちょ本気出すかなー!」
     リッキーが腕まくりをして気合を入れ直す。
    「っけ!よく言うぜ!ガキが生意気なんだよ!」
     大当たりの後なので,セリフに反してタロスの顔はにこやかだ。
    「うるせーや!今に見てろよー!」
    「はあい!ミスター!ドリンクはいかがー?」
     突然甘ったるい,それでいて底抜けに明るい声が割り込んできた。
     タロスとリッキーが同時に振り返る。
     身体にフィットしたシルバーのマイクロミニから惜しげもなく長い脚を披露しながら,にこにことカクテルウェイトレスの美女が立っていた。
     オレンジ色の長い髪は豪華にウェーブがかかっている。派手な化粧をしているが,くるりとしたグレーの瞳やきゅっと口角の上がった唇が案外可愛らしい。
    「キミはコークでいいかしら?ミスターはお酒?好みのものが無ければ取ってくるわよー?」
     数種のドリンクが乗ったトレイを差し出して美女が言う。
     カジノ内でゲームしている時はドリンクは全てフリーになる。カジノ毎に様々なコスチュームのカクテルウェイトレスがおり,色々なドリンクをトレイに乗せて歩いている。
     ドリンクを受け取る時はチップを渡すのが礼儀だ。それが1コインでも構わない。
     もちろん,彼女達は多くのチップを貰える方がいいので,フロアを歩きながら大当たりをしている客を見つけては目敏く近付いていくのである。
     儲けている客は気前が良いものだ。
    「いや,俺はこれで良い」
     ドリンクを選び取ると,タロスも例に漏れず,気前よくコインを鷲掴みにしてウェイトレスのトレイに乗せてやる。
    「ありがと,ミスター!」
     ウェイトレスは満面の笑みでタロスの頬に音を立ててキスをした。タロスの細い目が最大限に開かれる。
    「これはサービスね!」
     ウィンクのオマケ付きである。
    「お,俺らはこれをもらうよ」
     些か引きつった笑顔でリッキーもドリンクを取る。一寸悩んだ末,コインを3枚トレイに乗せた。
    「ありがと,ボーイ!」
     リッキーには投げキスのサービスである。
    「ドリンクが欲しくなったらいつでも声掛けてねー!」
     オレンジ色の派手な髪を揺らしながら陽気なウェイトレスはグッドラック!とお決まりのセリフを投げかけ,フロアに溢れる音楽に合わせてリズムを取りながら去っていった。
    「…………すげえな」
    「…うん,色んな意味でね……」

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■770 / inTopicNo.5)  Re[4]: 『D』
□投稿者/ まき -(2004/11/21(Sun) 05:15:52)
     ジョウの言葉にアルフィンの全身が緊張する。
     自分の呼吸音がやけに大きく聞こえる。
    「………嫌か?」
     沈黙するアルフィンを気遣うようにジョウが尋ねる。少し言葉に力がない。
    「そんな……!」
     反射的にアルフィンは顔を上げた。
     ジョウは何となく困ったような表情でアルフィンを見つめていた。ジョウの顔が近い。
    「……そんな。……嫌だなんて…」
     掠れる声でアルフィンは応える。気恥ずかしさに再び顔を俯ける。そして先程と同じようにジョウの右肩に額を付け,左手でジョウの右腕をきゅっと掴む。
    「……そうか」
     ジョウは溜息を吐くようにそう言うと,左手をアルフィンの腰に回し,両腕でしっかりとその細い身体を抱き締めた。
     レザーのライダースジャケットがぎゅっと音を立てた。
     その瞬間。
    ”ばきっ!!ざざざざざっ!!”
    「!?」
     頭上で大きな音がして,何かがどさりと地面に落ちた。
    「何っ!?」
     アルフィンが驚いて振り返る。
     ジョウも咄嗟にアルフィンを背中に庇いながら,油断無く身構える。
    「………う。ご,ごめん。邪魔するつもりはなかったんだけど…」
     なんとも情けない声を出したのは,どうやら人間の,しかも少年のようであった。
     どうやらジョウ達がいた人工運河沿いに植えられている街路樹から落ちてきたらしい。
    「……なんだおまえ?」
     ジョウは相手が少年である事を確認すると,少し警戒を緩めて尋ねた。
    「う……。なんだって言われると困るんだけどさ…。でも別にアヤシいものじゃないよ?」
     少年は地べたに座り込んだまま,上目遣いにジョウの様子を窺っている。灯りが少ないので表情まではよく分からない。
    「……普通の人間がこんな時間に,しかもそんな格好で木の上に登ってるものなのか?」
     ジョウは冷静に指摘する。
     少年はこの寒空に上半身裸という出で立ちであった。アルフィンも気付いて思わず身震いする。見てるだけで寒くなる。
    「そんな意地悪な言い方しなくてもいいでしょ?明らかに普通じゃないんだから”どうしたの?”くらい訊いてくれてもいいじゃないか」
     どことなく拗ねたような口調で少年が口を尖らせる。どうも緊張感に欠ける相手である。
    「………いったい”どうした”んだ?」
     一度咳払いをして,改めてジョウが尋ねた。
     間の抜けたやり取りに,何となくアルフィンもくすりと笑ってしまう。
     一方の少年は,ジョウが話を聞いてくれる態度を示したことで,あからさまに嬉しい顔を見せる。
    「実はね,僕,変なオヤジから逃げてきたんだ」
    「……は?」
    「僕の事知ってるっていうから喜んで付いてったのにさー。部屋に入った途端態度急変しちゃうんだもんなー」
     まいったよーと髪をぐしゃぐしゃと掻き回す。
    「………つまり,変態オヤジに襲われそうになって,逃げ出してきたってこと?」
     唖然としているジョウに代わってアルフィンが尋ねる。
    「そうなんだよー。とりあえず上着を脱いで縛ってきたけど,追い掛けて来られたら嫌だからさ,とりあえず木の上で時間をつぶしてたんだ。そしたら…」
     少年がちらりとジョウとアルフィンに視線を遣る。
    「……そこに俺達が来たって訳か」
     先程のアルフィンとのやり取りを思い出して,気まずそうにジョウが言う。
    「いやーホントまいったよー。なんだか揉めてるみたいだし…,かと思えばいきなり盛り上がっちゃうし…,今さら下りられないからさー,このまま隠れてやり過ごそうと思ってたのに,枝が折れちゃうんだもんなー」
     たははははっと少年は乾いた笑い声を上げた。

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■771 / inTopicNo.6)  Re[5]: 『D』
□投稿者/ まき -(2004/11/21(Sun) 05:22:41)
    「…………」
    「…………」
     最初から全部見られていた訳だ。
     ジョウの口が不機嫌に引き結ばれる。アルフィンもこそっとジョウの背中に顔を隠す。
     なんとも気まずい。
    「あ,いや,その,だから,僕も悪気は無かったんだってばっ」
     二人の様子に,少年は慌てて両手を顔の前でぶんぶん振る。必死な様子が妙に可愛らしい。
    「……分かったよ。俺達の方が後から来たわけだしな」
     相変わらず不機嫌な表情でジョウが言う。怒っているというよりは気恥ずかしさを誤魔化すための仏頂面である。
     ジョウの言葉に少年もどこか照れ臭そうにへへへと笑った。
     シラケた数秒後,ふと何かを思いついたように少年が顔を上げる。
    「そうだ!…あの,お願いがあるんだけど,聞いてもらえるかなぁ…?」
    「…?なんだ?」
     何となくつられてジョウが訊く。初対面の相手にしては珍しい。少年の人懐っこさに影響されているのかもしれない。
     アルフィンも再び顔を覗かせる。
    「何でも良いから服を買ってきて欲しいんだ。さすがにこの格好じゃ目立って仕方ないからさぁ」
     そう言いながら,少年は裸の上半身を誇示するように,座り込んだまま両手を真横に開いた。
     胸板の薄い,少年らしい細身の身体が暗がりの中で白く浮き上がる。
     ジョウとアルフィンは揃って身震いする。どうにも寒そうだ。
     少年は立ち上がってジョウ達に近付くと,ジーンズのポケットをごそごそと探り,数枚の紙幣をジョウに付きだした。むりやりねじ込んだのか,どれもくしゃくしゃだ。
     近付いた事で,先程より少年の顔がちゃんと見えた。
     街灯の薄明かりを反射して顔は青白く見えるが,子犬のようにくりくりとした瞳は元気いっぱいに輝いている。髪の毛は黒っぽいが,街灯の灯りだけでははっきりしない。ただ整った顔立ちである事は間違いないだろう。
     体格も小柄なようだが,すらりと手足が長い。背の高さはアルフィンより小さくリッキーより大きい。年齢的にはリッキーと同じくらいか。
     瞬時にそんな事を分析したジョウだったので,いささか反応が遅れた。
     黙り込んでいるジョウを見て,少年はかくっと首を落とし,ふうと小さく溜息を吐いた。
    「そうだよねー。やっぱダメだよねー」
     力無くそう言うと,くるりと背を向けた。
    「……!あ,おい!ちょ,ちょっと待て!」
     我に返ったジョウが慌てて声を掛ける。アルフィンも少年の後ろ姿にぎょっと目を見開いた。
    「?」
     少年が顔だけで振り返る。
    「おまえ,それ大丈夫なのか!?」
     ジョウの慌てた様子に,少年は何事かと二人の視線の先を自分の眼で追う。
    「………ああああああああああっ!?」
     途端に少年が絶望的な悲鳴を上げた。
     少年のジーンズは木の枝に引っ掛けたのか,太ももの裏辺りから30センチ程無惨に破れていた。
    「うあー最悪だー。上着が無い上に,ジーンズまで裂けてるよー」
     今にも泣きそうな様子でそう言うと,少年はへなへなと再び座り込んだ。
    「違う!そうじゃない!脚はなんともないのか!?ケガしてるんじゃないのか!?」
     焦った様子のジョウに,少年はきょとんと瞬きをする。
    「……別に平気だけど。痛くないし」
    「…………」
     ジョウは訝しげに少年の様子を観察してみるが,確かに痛みを我慢している様子はない。
     背中にこすったような黒い跡が見られるが,出血はしていないようだ。
     突然の事だったし,少年があんまり普通に話しているので,今まで失念していたが,あれだけ派手に落下したのである。ケガをしていない訳は無いのだが。
    「ねぇジョウ。これじゃあんまり可哀想よ。ちょっと歩けばお店もあるし,服を買ってきてあげるくらい頼まれてあげましょうよ」
     ジョウの遠慮のない視線にさらされ,居心地悪そうな表情を浮かべている少年を見かねて,アルフィンが声を掛ける。
    「ホント!?」
     弾かれたように顔を上げた少年がアルフィンを見る。期待に目を輝かせている。
    「ん?ああ,そうだな…」
     ようやく少年から視線を外し,ジョウが応える。
    「うわっ!良かった!ありがとジョウ!」
     そう言うと,少年は飛び上がってジョウに抱きついた。やはり子犬のようである。
     思い切り抱きつかれたジョウは思わずバランスを崩しそうになるが,なんとか踏ん張った。
     冷え切った少年の肩がジョウの手に触れる。どのくらい外気にさらされていたのだろう,氷のような冷たさだった。
     微かに眉をひそめると,ジョウは自分のジャケットを脱ぎ,少年に掛けてやる。
    「?」
     少年が不思議そうにジョウを見上げる。細い少年の身体にジョウのジャケットはかなり大きい。
    「すぐに買ってくるから,これ着て待ってろ」
     ぶっきらぼうにジョウが言う。
    「ええっ!それじゃジョウが寒いじゃん!僕寒くないから平気だよ!」
     吃驚したように目を見開いて少年が言う。
    「ばか。見てる俺が寒くなるんだよ!行くぞアルフィン!」
     そう言うと,ジョウは少年の手から紙幣を奪い取り,歩き出した。
    「あん!待ってよジョウ」
     アルフィンが慌てて追い掛ける。
     残された少年はしばらく呆然としていたが,一瞬泣きそうな表情を見せた後,ジョウのライダースをぎゅっと巻き,えへへと嬉しそうに笑った。

     駆け足でジョウに追いついたアルフィンは強引に腕を絡ませる。
    「うふふ,ジョウってやっぱり優しいのね」
     ジョウの顔を見上げて,アルフィンが嬉しそうににっこりと笑う。
    「ばか。そんなんじゃない。あれじゃなんだかこっちが悪いみたいな気持ちになってくるんだ」
     不機嫌そうにジョウは応える。しかし,うっすらと頬が赤いのは冷たい外気のせいだけではないだろう。
     くすくすと笑っていたアルフィンが,ふと思い出したように言う。
    「そういえば,あのコ普通に”ジョウ”って呼んでたわね」
    「………ああ」
     やはりあの時の会話は全部聞かれていたらしい。
    「………急ごう」
    「……うん」
     揃って頬を赤く染めながら,ジョウとアルフィンは大通りへと歩みを速めた。

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■772 / inTopicNo.7)  Re[6]: 『D』
□投稿者/ まき -(2004/11/21(Sun) 05:26:58)
    「おい!ちょっと止めろ」
    「え?」
     声に反応して,エアカーの操作をオートからマニュアルに切り替え,路肩に横付けする。
     黒塗りのエアカーには男が二人乗っている。どちらも良い人相には見えない。
    「どうしたんだ急に」
     運転席の男が訝しげに尋ねる。助手席の男は窓の外に顔を向けたまま動かない。
    「………おい,アレを見ろ」
     ようやく口を開いた助手席の男が運転席の男にアゴをしゃくって指し示す。
     怪訝な表情を浮かべたものの,運転席の男は首を伸ばして言われた方向に視線を這わす。
    「!?」
     男達二人の視線の先にいたのは,大きすぎるレザーライダースを羽織った少年であった。
     メインストリートから外れた運河沿いの街路樹にもたれてぼんやりと佇んでいる。
     そういう演出なのか,運河沿いの街灯はどれも光量が抑えめになっている。
     色のない景色の中で,街灯に照らされた少年の顔が青白く幻想的に浮かび上がる。
     ケバケバしいネオンと騒々しい音楽に溢れかえるメインストリートとは一線を画して,そこだけ空間が切り取られたようだ。
    「あいつは…!?まさか,そんな!」
     運転席の男が少年から目を離さずに狼狽える。
    「ああ,どういう訳か分からんが,どうやら無事だったようだな」
     助手席の男が唇を歪めて忌々しげに舌打ちする。
    「あれだけの事故だったのにピンピンしてやがるなんておかしくねぇか?」
    「ふん!子どもは身体が柔らかい分,事故の衝撃も少なくなるのかもしれん。回復力も大人とは比較にならんだろうからな」
     そう言いながら,助手席の男はドアを開けてエアカーから降りた。
    「おい!どうするんだ?」
     運転席の男が少し驚いて声を掛ける。
    「言わずと知れたことだぜ。どういう了見か知らねぇが,ヤツはひとりだ。これを利用しない手はねぇだろうが」
     残忍な笑みを浮かべて男が答える。その手にはレイガンが握られている。
    「なるほどね。そりゃそう……おい!待て!誰か来たぞ!」
     若いカップルが小走りに駆けてきた。
     どうやらあの少年のところに向かっているらしい。
    「なんだぁ…?」
     男達は怪訝な表情を浮かべて互いの顔を見合わせた。

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■773 / inTopicNo.8)  Re[7]: 『D』
□投稿者/ まき -(2004/11/21(Sun) 05:36:10)
    「お待たせー!」
     アルフィンが手を振りながら少年に駆け寄ってくる。長い金髪が背中で躍っている。後ろには大きなペーパーバッグを携えたジョウが続く。
    「おかえりー。早かったねぇ」
     少年が嬉しそうに手を振り返して応える。
    「もー面倒くさいから,アナタと似たような背格好のマネキンを探して,そっくりそのまま一揃えで買って来ちゃたのよ!」
     白い息を弾ませながら得意げにアルフィンが笑う。
    「ほら」
     ジョウが無造作に袋を少年に差し出した。
    「ありがとう」
     にっこり笑って応えると,少年はジョウのジャケットを脱いで,大きな袋と交換する。
    「ってこら待て!」
    「きゃ!」
    「え?」
     そそくさとジーンズのジッパーを下ろそうとする少年をジョウは慌てて止める。アルフィンは急いで回れ右をする。少年はきょとんとしている。
    「いくら子どもっつったって,ここで脱ぐなよ!一応女性の前だぞ」
    「『一応』って何よ!」
    「痛っ」
     すかさず後ろ向きのままアルフィンがジョウの脇腹を肘打ちする。
    「ああ,そうか!ごめん」
     ぺろりと舌を出すと,少年はあたふたと街路樹の裏側へ回った。
    「んもうっ!」
     アルフィンはふんっと顔を反らせた。それがジョウに対してなのか少年に対してなのかは判断が難しいところだ。
     ジョウは思わず苦笑いを浮かべた。
    「ところでオマエ,何て名前なんだ?」
     ふとジョウが樹の影で姿が見えない相手に声を掛ける。そういえばこちらの名前はバレているのに少年の名前は聞いていなかった。
     微かに聞こえていた衣擦れの音が一瞬止まる。
    「?」
     不自然な沈黙にジョウとアルフィンは互いの顔を見合わせる。
    「………怒らないで欲しいんだけどさ」
     唐突に少年の声が返ってきた。なんとなくおずおずした調子だ。     
     一呼吸おいた後,今度は妙に明るい声が響く。
    「実は分からないんだよねー」
     あははははーと少年は笑う。
    「………はぁ?」
     呆気に取られたのはジョウとアルフィンである。少年のセリフを理解するのにたっぷり5秒掛かった。
    「オマエ…っ」
    「だーかーらー,怒らないでってば!別にふざけてる訳じゃないんだから!」
     ジョウの文句を遮って,少し声を高くしながら少年が姿を見せる。
     黒いタートルネックにビビッドなオレンジのダウンベストが夜目にも鮮やかだ。ダボついたカーキのパンツが細長い脚にルーズに馴染んでいる。
    「似合ってるわね,良かったわ」
     思わずアルフィンが嬉しそうに言う。
    「ホント?サイズも良い感じだよ,どうもありがとう」
     少年もつられたようににっこりと返す。
    「だから!そうじゃなくて!」
     あーもうとジョウが割って入る。
     あんっとアルフィンが可愛らしく舌を出して首をすくめた。
     ジョウは胡散臭げに少年を見やる。
    「ふざけてないなら,どういう訳なんだ」
     ほんの少しジョウを見上げてから,少年はふうっと小さく溜息を吐いた。
    「……なんていうのかなー。自分でもよく分からないんだけど,どうやら僕は『記憶喪失』ってヤツみたいなんだよねー」
     今度は笑わずにちろりと上目遣いにジョウの様子を窺う。

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■774 / inTopicNo.9)  Re[8]: 『D』
□投稿者/ まき -(2004/11/21(Sun) 05:42:20)
    「なんだって?」
     思いっきり眉間の皺を深くして,一語ずつゆっくりとジョウは発音する。
     アルフィンは目を丸くして驚いている。
    「いや別に信じて貰えなくてもいいんだけどさ,でも他に思い当たる言葉が見付からないから仕方ないんだ」
     どこか投げやりな様子でそう言うと,器用に首をすくめて見せた。
    ”僕の事知ってるっていうから喜んで付いてったのにさー。”
    「あ。じゃあさっき変態おじさんに付いて行ったのって…」
     少年との最初のやり取りを思い出してアルフィンが思わず口走る。
    「うん。まぁそういうコト」
     えへへと力無く笑う。
    「だから,そういう訳で名前は教えられないんだ。ごめんね」
     少年は言葉を失っているジョウの方に向き直り,にこりと笑った。
    「良いトコ邪魔しちゃった上に,面倒なコト頼んじゃってごめんね。おかげで助かったよ。ありがとう」
     もう一度謝ると,少年はぴょこんと頭を下げた。
    「じゃあ僕もう行くね」
     言うべき事は言ったとばかりに少年がくるりと背を向ける。
     が,後ろからがっちりダウンベストの襟首を掴まれて踏鞴を踏んだ。手に持っているペーパーバックがぐしゃりと音を立てる。
    「?」
     首を押さえられたまま,少年が顔だけで振り返る。
     咄嗟に手を伸ばしたジョウだが,その後に続く言葉が見付からず,はたと動きを止める。
    (なんか今日はこんなんばっかだな…)
     どことなく気まずい沈黙が続く中,ジョウは冷静に顧みる。
    「…あの,えーと」
     少年がぱちぱちと瞬きを繰り返した。
    「っもー何やってんのよ二人とも!」
     見かねたアルフィンが細い腰に手を当てて言い放つ。
     それを合図にジョウはようやく少年から手を放した。
    「オマエこれからどうするんだ?」
     適当な言葉が見付からず,結局ありきたりな質問をする。
    「どう…って特には考えてないけど…」
    「考えてないって,オマエ…。何か手がかりになるようなモン持ってなかったのか?警察とか病院とか行ったのか?変態オヤジに引っ掛けられるまではどうしてたんだ?大体いつから記憶喪失なんだよ」
     堪っていたものを吐き出すようにジョウが矢継ぎ早に質問する。
    「え…と。気付いた時には手ぶらだったし,服のポケットにも何も入ってなかったから,手がかりになるようなモノは何もないよ。警察とか病院とか,行くことも考えたけど,何でかものすごく抵抗があったから今のところ行ってない。変態オジサンと出会うまでは,とにかくその辺の人に『僕の事知らないですか?』って訊いて回ってた。記憶喪失になったのがいつなのか正確には分からないけど,『あれ?』って気付いたのは昨日の午後だよ」
     少年は驚くほど律儀にジョウの問いに答えた。
     今度はジョウとアルフィンがぱちくりと瞬きをする。
    「……ホントに,気付いたら公園のベンチに腰掛けてたんだよね。いきなりそこで目が覚めたみたいな感じだったよ。あれ?僕は何してたんだろう?って最初に考えたけど,ちっとも分からない。オマケに自分の名前も住所も思い出せないって事に気付いたんだ。いきなり世界がぐんにゃりと歪んだような気がしたね。目の前が真っ暗になるっていうの?なんかそんな感じ」
     ジョウ達が黙っているので,何となく少年は話を続けた。
    「……やっぱり警察に行った方がいいんじゃないのか?」
     ジョウが重たい口をようやく開く。
    「うん。きっとそうなんだろうなー。ものすごく嫌なんだけどなー」
     うーんと渋面を作ってみせる。本当に相当嫌そうだ。
    「だけど,そんな事言ってる場合じゃないでしょ?」
     アルフィンも心配そうに言う。
    「でもほら,こんなに抵抗があるって事は,もしかしたら僕ってば犯罪者とか,そういうのかもしれないよね」
     冗談とも本気ともつかない微妙な表情で少年が言う。
    「ばか。オマエみたいなマヌケっぽいのが犯罪者な訳ないだろーが」
     ジョウが少年の額を軽く小突きながら,すかさず否定する。
    「えーひどいなぁ」
     小突かれた額を手で押さえて口を尖らせるが,微かに安堵の表情を浮かべたのをジョウは見逃さない。実は少年が一番不安に感じていたのはそういう事なのかもしれない。
    「うん。まぁ別に自分に関する事以外の常識的な記憶はあるからさ,きっと何かのきっかけですぐに思い出せるような気がするんだ。だから,もう少し様子をみるつもり。僕が座ってた公園のベンチにいれば,そのうち知り合いが見つけてくれるかもしれないしね」
     少年は,やけにすっきりした表情でさばさばと言う。
    「そうか…分かったよ。引き留めて悪かったな」
     しばらく逡巡する様子を見せていたジョウだが,何かを振り切るようにそう言った。
    「ジョウ!?」
     アルフィンが『いいの?』という表情でジョウを見つめる。
    「俺達はフィリーズホテルの最上階スイートに泊まってる。何かあったらそこに連絡寄こせ。クラッシャージョウと言えばホテルの人間は分かるハズだ」
    「フィリーズホテル…」
     少年が復唱する。どこか記憶を探っているようだ。記憶のどこかに引っ掛かるものが無いか巡らせているのだろう。
    「うん。分かった。ありがとうジョウ」
     何も思い出すモノは無かったようだ。気が済んだのか,少年はジョウに笑顔で応えた。
    「じゃあ今度こそ行くね」
     そう言って一歩後退する。
    「ああ,気を付けてな」
    「また変態オヤジに引っ掛かるんじゃないわよ」
     ジョウとアルフィンの言葉にえへへと照れたような笑みで応えて,少年はくるりと向きを変えて歩き出した。破れたジーンズを突っ込んだペーパーバッグが,がさりと音を立てた。


    「聞いたか?」
    「ああ。なるほどなぁ,そういう事か。あの事故で記憶をすっ飛ばしたって訳だ…」
    「大方寝惚けて病院からのこのこ出て来ちまったんだろうぜ」
    「どうやら俺達にもツキが回ってきたらしいな」
     黒いエアカーから降り,様子を窺っていた二人組がにやりと嗤った。

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■775 / inTopicNo.10)  Re[9]: 『D』
□投稿者/ まき -(2004/11/21(Sun) 19:51:21)
    「ホントに大丈夫かしら…」
     メインストリートの方へ歩きながらアルフィンがぽつりと言った。
    「うん?…ああ」
     ジョウもどことなくぼんやりとしている。
     あまりお節介なのも考えものかと,あのまま黙って行かせたが,やはり気になる。
    「記憶喪失っつったって,それほど深刻な様子じゃ無かったし意外と大丈夫なんじゃないか?」
     気持ちとは裏腹にジョウは軽い調子でそう言った。
    「でもまだ子どもよ?それに公園って言ったって外でしょう?」
     はーっと白い息を空に向かって吐きながらアルフィンが言う。
     時間が経つに連れ,気温はどんどん下がってきた。二人の頬も冷たい空気に晒されてぴりりと引き締まる。
    「………ああ」
    「せめて明日の朝まではホテルに泊めてあげたりした方が」
    「あ!」
     良いんじゃない?と言いかけたアルフィンのセリフの途中でジョウが突然立ち止まって大声を出す。
    「ど,どうしたの?」
     尋常ではないジョウの様子にアルフィンも驚いて立ち止まる。
    「しまった!釣りを返してない!」
    「…ええっ!?」
     アルフィンも悲鳴のような声を上げる。
     そう言えば,服を買った釣り銭を渡すのをすっかり忘れていた。寄こされた紙幣は数枚あり,釣り銭といえども少なくはない額だ。
     普通の少年が持つにしては不自然な程の枚数だった。もしかしたら有り金を全て託したのかもしれない。ということは……
    「ジョウ!」
    「ヤバい!」
     二人の顔が瞬時に青ざめる。
    「早く!」
    「アルフィンはここで待ってろ!」
     ジョウは踵を返すと素晴らしい瞬発力を披露してダッシュした。
     アルフィンも思わず駆け出していた。が,如何せん今日のブーツは華奢なピンヒールである。あまり全力疾走には向いていない。
    「あん!もー焦れったい!」
     悪態を吐きながらも懸命にジョウの背中を追い掛けた。

    (なんて失態だ!いざとなれば金を持っているようだから大丈夫だろうと思っていたのに!)
     ジョウは心の中で舌打ちする。地面を蹴るゴツいブーツがざっざと乾いた音を立てている。寒さのせいか焦りのせいか,ジョウの背筋が異様に緊張していた。
    「!?」
     ジョウの目が異変を捉えた。
    (あれは!?)
     100メートル程先に黒いエアカーが止まっている。その脇に,二人の男とあの少年と投げ出されたペーパーバッグが見えた。
     揉み合っている様子に,ジョウの脚が更に加速する。
    「おい待てっ!!」
     大声でジョウが叫ぶと,3人が同時に振り返る。
     少年の白い顔が何か叫びかけたが,即座に男の一人に抑えられ,そのまま横様に殴られた。
    「!?」
     ジョウの怒りが瞬時に爆発する。
    「…っの野郎…っ!!」
     強引に少年を車に詰め込み,慌てて発進しかけたエアカーに,ジョウは走ってきた勢いのまま飛びついた。
     黒いエアカーが反動で大きく揺れる。
    「何だコイツ!?ちきしょう!振り落としてやる!」
     運転席に座った男はマニュアル操作のボタンを押してハンドルをぎゅっと強く握った。

    「ジョウ!?」
     後を走ってきたアルフィンが思わず悲鳴を上げる。このままではジョウが危ない。
     逸る気持ちをなんとか押しとどめ,アルフィンは反射的に辺りを窺った。
    「あれだ!」
     アルフィンの青い瞳がきらりと光る。走る方向を70度転換して再び走り出す。
    「ごめんなさい!これ1台お借りします!レンタル料は後で払います!これ預けていきますから!」
     アルフィンは一気にそう叫ぶとハンドバッグからクレジットカードを取り出し,ハンドバッグと一緒に放り投げた。
    「え?…えええっ!?ちょ,ちょっと…っ!?」
     アルフィンの勢いに押されて,思わずバッグとカードを受け取ってしまったのは花屋の店員である。
     我に返った時には既にアルフィンの姿はなかった。

     派手な黄色いエアバイクがエアカーの間を縫って激走する。ボディには『Flower Shower』と蛍光ピンクのデザイン文字がペイントされている。
     ハンドルには文字と同じ蛍光ピンクのヘルメットが掛かっているが,この際そんなものは無視である。
     長い金髪を風に遊ばせながらアルフィンはジョウを乗せた車を追い掛ける。
    (ジョウ頑張って!)
     アルフィンは必死に祈った。
     荷台では配達用の豪華な花束がやはり風に煽られて満開の花びらを惜しげもなく散らせていた。
     それはまるで千々に乱れるアルフィンの心を表しているかのようであった。

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■776 / inTopicNo.11)  Re[10]: 『D』
□投稿者/ まき -(2004/11/22(Mon) 09:20:27)
     冷たい風が容赦なくジョウの身体を打つ。
     ジョウはエアカーの屋根に身体ごと縋りつくようにして踏ん張っていた。
     男達は何とかジョウを振り落とそうと,車を乱暴に左右に振る。
     素手で凍えた車のボディを掴むのは思った以上に辛かった。ジョウはいつも着用しているグローブのありがたみを痛感する。
     それでも凍えて縮かむ両手を叱咤し,がっちりと爪を立てて屋根とフロントガラスの境目を掴む。この際爪の1本や2本,剥がされようと構っていられない。
     幸いなことに,交通量の多い通りに出た。当然車のスピードも落ちる。
     焦り始めたのは中の二人組である。
    「くそっ!しぶとい野郎だ!」
     運転している男が忌々しげに舌打ちする。
    「どうする?ここからしばらくスピードは出せねぇぜ」
     先程まで助手席に座っていた男は今,少年を抱え込んだまま後部座席に座っている。
     殴られたものの,少年は意識を失うことなく必死で拘束から逃れようともがいている。
    「ちくしょう放せよ!車を止めろ!」
    「うるせぇガキ!!おとなしくしやがれ!本当に腕を折るぞ!」
     手慣れた風に関節技を決めて押さえ込んでいるにも関わらず,少年は痛みに悲鳴を上げるどころか,何とか腕を引き抜こうと無理に身体をよじったりしている。
    「……仕方ねぇ」
     ちらりとバックミラー越しに後ろの様子を確認した後,運転席の男は胸元からレイガンを取り出した。
    「おい!?ここは『オモテ』だぞ!しかもこんな人目に付くところで銃はまずい!」
     後ろの男がギョッとしたように言う。
    「ふん,心配するな。威嚇するだけだ。どうせそろそろ手がもたなくなる頃さ。ちょっと掠めるだけで自分から落ちるさ。俺達の知ったこっちゃない」
     運転席の男は唇を歪めてそう言うと,窓の開閉スイッチを押した。
    「!?」
     ふいに運転席の窓が下り始めた。車を止めさせようと運転席側に徐々に近付いていたジョウの全身が緊張する。
     窓からぬっと手が出た。そこにはレイガンが握られている。
     ジョウが目を見張る間に,突然光線が放たれた。ジョウは咄嗟に頭を低くして避ける。
    「うわっ」
     しかし思わずジョウの指が滑った。いきなり身体が後ろに引っ張られるように浮いた。
    「ジョウっ!?」
     姿は見えないものの,ジョウの悲鳴を聞いて,少年が叫ぶ。
    「落ちたか」
     運転席の男がバックミラーを覗き込む。
    「!」
    「ジョウ!」
     今度は安堵の叫びを少年は放つ。
     果たしてジョウはまだ車にしがみついていた。
     滑り落ちそうになりながらも,後部ドアの窓枠を力任せに掴み,何とか体勢を立て直そうともがいている。
     窓越しにジョウと少年の目が合った。
     少年は瞳をこれ以上ないくらい開き,悲壮な顔をしている。
     その様子をみて,ジョウはにやりと不敵な笑みを浮かべた。
    (心配すんな)
     ジョウの声にならない言葉が少年には聞こえたような気がした。
    「まったくしつけぇなぁ」
     怒りを含んだ声で,運転席の男がゆっくりと言う。
     はっとして少年が前を向くと,男は車をオート運転に切り替えたところだった。
    「手間掛けさせやがって…」
     低い声でそう言うと,運転席の窓から身を乗り出してレイガンを構えた。今度は両手できちんとジョウを狙っている。
    「!」
     ジョウの背中に冷たい汗が流れる。異様に口の渇きを覚えた。
    (ダメか!)

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■777 / inTopicNo.12)  Re[11]: 『D』
□投稿者/ まき -(2004/11/22(Mon) 09:27:14)
    「えっ!?」
    「うわっ!」
     しかし,悲鳴を上げたのは覚悟を決めたジョウではなく,二人の男達だった。
    「お,お前っ!?」
     思わずジョウも目を見張った。
     後部座席で束縛されていた少年が,シートから身を乗り出し運転席の男に抱きついていた。
     必死の形相で車の中に引き戻そうとしている。
     完璧に関節技を決めていたはずの男が,振り解かれた腕を見て呆然としている。
    「馬鹿野郎っ!何ぼーっとしてやがる!早くこいつを何とかしろ!」
     少年とは思えないような力でぐいぐいと引っ張られながらも,男は後部座席の男を怒鳴りつける。
    「…あ?ああ!」
     ようやく我に返って,少年の肩に手を掛けようとした瞬間,
    ”ばしぃっ!!”
    「!?」
     突然ジョウがしがみついている方と逆側のサイドウィンドウに蜘蛛の巣状の亀裂が入った。
     驚いたジョウも思わず首を仰け反らせるようにして反対側を見る。
    「んー惜しいっ!」
     アルフィンが花びらをまき散らしながら,黄色いエアバイクのシートの上に『しゃがんで』いた。
    「アルフィン!?…わっ」
     驚きのあまり,再び指が離れそうになったジョウが慌てて腕に力を入れる。
     車のスピードが落ちたことで,ようやく追いついてきたらしいアルフィンの頬は寒風に晒されて透き通るように白い。ピンクのルージュで彩られた可愛らしい唇だけが鮮やかに映える。
     シートの上で器用にしゃがんでいたアルフィンは,ゆっくりと腰を浮かせる。クラウチングスタートの姿勢に似ている。
     そのまま集中力を高め,大きく深呼吸すると息を止め,片足を水平にを蹴り出した。
     先程ブーツの鋭いピンヒールの部分で蹴り付け亀裂を入れた窓に,今度はブーツの底全体を押しつけるようにして蹴り込む。
    ”ぐしゃっ” 
     鈍い音を立てて窓ガラスが粉砕する。
    「うわ…っ!!」
     粉々になったガラスの破片が後部座席に降り注ぐ。男は思わず両腕で顔を庇った。
     驚いた少年も唖然として運転席の男から腕を放す。
    「やりぃっ!……っきゃ!」
    「アルフィンっ!!」
     窓を蹴った反動でエアバイクが大きく揺れる。荷台の花束が幾つか飛び出して後ろに飛んでいく。アルフィンはシートにしゃがんだまま必死でハンドルを操作する。
    「だだだだ,だ,大丈夫っ!大丈夫だから!早くっ!」
     アルフィンが金切り声で叫んだ。
     はっと我に返ったジョウは,素晴らしい早さで行動に出た。
     開いたままである運転席の窓にがっちりと手を掛け,男に向かって拳を放つ。
     しかし不安定な体制のため,思うように力を込められない。
     殴られた運転席の男の判断は素早かった。
     いきなり後部座席のドアが開いた。少年がいる方のドアだ。
    「そいつを車から放り出せ!」
    「言われなくたって…!」
     少年はそう言うと自分から飛び出した。
    「ばか!待て!」
     ジョウも慌てて車から手を放す。車のボディを蹴って少年の腕を捕まえると,そのまま自分の胸に抱き込んだ。首を丸めて,道路に投げ出される衝撃に備える。
    「ジョウっ!!」
     後ろを走るアルフィンが悲鳴を上げた。
     ごろごろごろっとジョウと少年が道路を転がる。
     アルフィンがエアバイクを止め,慌てて走り寄る。
    「ジョウっ!?」
    「………だ,大丈夫だ」
     痛てててと頭を押さえながらジョウが身体を起こす。
     広い通りに出てスピードが落ちていた上に,派手なアクションをするジョウ達をアトラクションのひとつだと思い込んだ周りの車が更に速度を落としていた事が幸いしたようだ。黒いエアカーもオート運転に切り替えられた時,周りの車の走行状態に合わせて,随分速度を落としていたのだ。
     ジョウ達を落とした男達は,途端に速度を上げ,乱暴に車列を縫って走り去った。またマニュアル操作に切り替えたのだろう。
    「おい,大丈夫か?」
     ジョウが少年に声を掛ける。
    「う,うん。……ちょっと吃驚したけど」
     目をぱちぱちさせながら少年が応える。
    「あれを『ちょっと』って言うくらいなら大丈夫だな」
     少年がケガらしいケガをしていない事を確認すると,ジョウは呆れたように笑った。
    「とりあえず歩道に避けましょ」
     周りの車を気にして,アルフィンがこそこそと言った。

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■778 / inTopicNo.13)  Re[12]: 『D』
□投稿者/ まき -(2004/11/22(Mon) 09:36:42)
    「ホントに大丈夫?」
     少年が心配そうにジョウの顔を窺う。
     ジョウの手は剥がれかけた爪からの出血や,車から落ちたときに出来た擦傷で随分痛々しい。
     冬物の厚着をしていたおかげで身体は打ち身程度で済んだが,その分服は無惨な様相になっていた。
     少年はジョウに庇われたせいもあり,身体のどこにもケガをした様子はない。おろし立ての服もジョウほど悲惨なものにはなっていなかった。
     やはり罪悪感が残るのだろう。しきりにジョウの様子を気にしている。
    「大丈夫だって言ってるだろ?オマエしつこいぞ?」
     ジョウが呆れた顔をして言う。
    「だって,僕のせいでさぁ……。なんか悪いじゃない?やっぱし」
     上目遣いで拗ねたように口を尖らせる。
     さっきの薄暗い運河沿いとは違って,ここは広い通りなので昼間と変わらないくらい明るい。
     ジョウとアルフィンは初めてまともに少年の顔を見た。
     最初にこの顔を見ていたら,性別の判断を迷ったかも知れない。暗がりで声を聞いたから男の子だと分かったが,顔立ち自体は女の子のように可愛らしい。
     色白の肌に瞳は明るい茶色,青みがかった黒髪は白い肌によく似合っていた。若干骨っぽい輪郭が,唯一少年らしさを匂わせていた。
    (なるほど,変なオヤジが寄ってくるのも分かるような気がするな…)
     ジョウとアルフィンは申し合わせたように揃って深々と溜息を吐いた。
    「え?何,二人とも…。やっぱり怒ってる…とか?」
     少年がぎょっとして顔をくしゃりと歪める。
    「あー違う違う。怒ってないって!」
     ジョウが慌てて否定する。うっかり「可愛いなー」などと思ってしまったことが照れくさい。
    「それよりアイツら何なんだ?オマエ心当たりとかあるのか?」
     顔を引き締めてジョウは少年に尋ねる。
    「いや,それが…。もしかしたら知ってるのかもしれないけど,今の僕にはさっぱり分からないんだ…」
     はぁ…っと今度は少年が溜息を吐く。心持ち肩も落ちた。
    「それよりジョウ,なんで追い掛けてきたの?僕に何か用があったワケ?」
     そう言えば,と今度は少年がジョウに尋ねる。
    「ああ!そうだった!」
     ジョウはそう言うと,出血している爪を庇いながらごそごそとポケットを探り,ほらっと少年に手を突き出した。
    「釣りだ」
    「………」
    「ジョウったらあなたに服を買ったお釣りを渡すのを忘れてたのよ?」
     きょとんとしている少年に,アルフィンが助け船を出す。
    「ええええええええっ!?」
     少年はこの世の終わりのような悲鳴を上げたかと思うと,今度はがっくり首を落とした。
    「………そんなのわざわざよかったのにー。もともとそれってば,僕んじゃなくて変態オヤジが無理やりくれたものだったし…」
     もーと泣き笑いのような顔になる。
    「ばか!良いワケないだろうが!これって少なくない金額だぞ?しかもオマエ記憶喪失なんてもんになってんだから,金が無けりゃ困るだろうが!」
     思わずムキになって言い返したジョウである。出所はともかく,金には変わりないのだ。
     びくりと少年が身構える。
    「……怒ってないって言ったのに…」
     ぼそりと少年が言う。
    「………」
     思いがけない反撃にジョウが絶句する。アルフィンはぷっと吹き出した。
    「と,とにかく返したからな!」
     むりやり少年に金を押しつけて,ジョウは軽くアルフィンを睨んだ。アルフィンは慌ててそっぽを向いた。
    「……ありがとう」
     少年は金をポケットにしまいながら,小さくそう言った。
    「とりあえずホテルに戻った方がいいな」
     ジョウがアルフィンに向かって言う。
    「うん,そうね。このままここにいても寒いだけだわ」
     自分の身体を抱き締めるようにしてアルフィンが応える。
    「じゃあ,僕はこれで…」
    「ああ。…って言うわけないだろうが!」
     あっさり行こうとする少年に,ジョウは拳を振り上げて殴るマネをする。手の痛みが無ければ遠慮無く殴ってるところだ。
    「オマエも一緒に来い!」
     振り上げた拳を下ろして,ジョウが言う。
     身構えていた少年は,一瞬呆気に取られた後「へ?」とマヌケな声を出した。
    「あんな物騒な連中がいるって分かった以上,ほっとけないだろうが。良いから黙って俺達と来い!」
     そう言うと,ジョウは少年の返事も待たず,通りを走るタクシーを呼んだ。
     ホテルまで歩ける距離だが,先程の男達がどこかに潜んでいるとも限らないし,手からは出血,服はボロボロの状態では人目について仕方ないのだ。
    「ジョウ達は先に帰ってて。あたしはこれを返してから行くわ。バッグも預けっぱなしだし」
     アルフィンはそう言うと,黄色いエアバイクにまたがった。今度はちゃんとヘルメットを被った。
    「分かった。気を付けろよ」
     ジョウの言葉にアルフィンは軽く片手を挙げて応える。車の流れを見極めて,軽快にターンを決めて走っていった。
     アルフィンの姿が見えなくなると,ジョウは少年を促してタクシーに乗り込んだ。

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■779 / inTopicNo.14)  Re[13]: 『D』
□投稿者/ まき -(2004/11/22(Mon) 09:40:13)
     タクシーに乗り込んだジョウはちらりと少年の様子を窺う。
     少年はシートに浅く腰掛け,背もたれに身体を預けている。軽く首を傾けて窓の外を眺めているようだ。
     体温を感じさせない白い横顔に外からのネオンが反射している。
     何か考えているのだろうか。無機質な表情からは感情が読みとれない。
    「さすがに疲れたか?」
     ジョウの問いかけに,少年は顔を反転させる。
    「ううん。そんなことないよ」
     にっこりと笑って応えた。
     やせ我慢している様子はない。相当にタフなようだ。
    「そうか。…もうすぐ到着するからな」
     そう言うと,ジョウは軽く眼を閉じた。熱いシャワーが恋しかった。
     少年は「うん」と小さい声で応えた。



    「どうもありがとうございました」
     最後にもう一度お礼を言って,アルフィンは花屋を後にした。手には大きな花束を抱えている。
     さすがに怒られたが,配達用の花を弁償し,高価な花を大量に購入したことで,店員も警察沙汰にはしなかった。
     相手がすこぶる美少女であった事も店員の怒りを静めたようだ。いつだって美人は得をするように出来ているらしい。
    「早くタクシーを拾わなきゃ」
     花といえども結構な量なので,さすがに重い。華奢なアルフィンの腕では抱えるだけで精一杯だ。
     両腕で豪華な花束を抱えながら,広い通りに向かって歩いていた時,不意に足下のバランスが崩れた。
    「きゃっ」
     小さく悲鳴を上げたものの,なんとか転ぶことは免れた。
    「……やだ。ちょっと信じらんないっ」
     アルフィンは綺麗な柳眉をひそめて嘆いた。見れば片方のブーツのヒールが取れている。
     先程車の窓を蹴り付けた方のブーツだ。一発目は圧力を高めるため,もろにヒールをぶつけたのだ。流行のオシャレなブーツはアクションには向いていないらしい。
    「…そりゃそうよね」
     ひとりごちてアルフィンはふうと溜息を吐いた。
    「…っ!?」
     突然アルフィンの口が後ろから塞がれた。
     凄い力で後ろに引っ張られる。
     咄嗟に花束とハンドバッグを放り出し,拘束する腕から逃れようと試みるが,壊れたブーツではうまく踏ん張れない。
     後頭部に衝撃がきた。
     自分の頭が殴られる音をアルフィンは聞いた。
     痛みを感じる間も無いまま,アルフィンの意識はブラックアウトした。

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■783 / inTopicNo.15)  Re[14]: 『D』
□投稿者/ まき -(2004/11/23(Tue) 05:29:54)
    「いやぁマイったマイった!」
     少しも参った口調ではない。
     だがタロスは豪快に笑いながら「マイった」を繰り返している。
    「ちぇっ!なんだいタロスばっか」
     リッキーが拗ねたように空を蹴る。
    「拗ねるな拗ねるな!だから晩飯は奢ってやるって言ってるじゃねぇか」
    「うわっ」
     ばしっと背中を叩かれ,体重の軽いリッキーは思わずつんのめる。
     文句を言おうと振り返ったリッキーだったが,タロスの横でくすくす笑っている美女の目を気にして,喉まで出掛かった言葉をムリヤリ飲み込む。
    「ひでぇや,マーラまで」
     代わりにリッキーは哀れな声で抗議した。
    「あら,ごめんなさい」
     マーラと呼ばれた美女は,派手なオレンジの髪を揺らしながら笑ってそう言った。
     マーラはホテルのカジノにいたカクテルウェイトレスである。最初にタロス達にドリンクサービスをした女性だ。
     タロスのツキは止まるところを知らず,あの後も随分当たりを出した。
     気付いたらマーラが横にいて,一緒にやんやと騒いでいたのだ。
     もちろん派手に当たりを出しているタロスには他のカクテルウェイトレスもたくさん近寄ってきたが,みんな入れ替わり立ち替わりにチップを貰っては,また別の当たり客へと移っていく事を繰り返していた。効率よくチップを稼ぐ方法を知っているのだ。
     そんな中,マーラだけは何故かタロスが気に入ったらしく,終始べったりくっつき,タロス専用のカクテルウェイトレスと化していた。
     タロス自身も満更ではなかったようで,マーラの好きにさせていた。
     腹が減ったというリッキーの訴えにより,一時ゲームを中断することにしたタロスであったが,それを横で聞いていたマーラが,美味い店を知っているからと同行を申し出たのである。
     客からのチップだけが収入源であり,特にカジノ側からの時間的な拘束はないというカクテルウェイトレスであるから,客と仲良くなって,そのまま連れ立って出掛ける事も日常茶飯事であるらしい。
     特に若い男性客はウェイトレスに人気である。もっとも羽振りが良いのが条件ではあるが。
     そういう意味で,マーラは少し変わっていると言えるだろう。
     もちろん,人の好みは千差万別であるから,一見フランケンシュタインのような強面の大男であっても,或いは親子ほどの歳の差があったとしても特に不思議は無いのだが。
     ただ,マーラは気を利かせて遠慮すると言うリッキーを引き留め,「3人一緒によ」とにっこり宣言したのだ。
     どうやら艶っぽい事が目的ではないらしい。
     さすがに若い美女と二人で食事するのは気恥ずかしいと思っていたタロスも,それならば,と喜んで同伴を承諾したのである。色めいた話はどうも苦手なタロスである。
     ホテルの外に出るというので,3人は連れ立って部屋まで上着を取りに向かっているところであった。
     マーラは既にコートを着込んでいる。淡いベージュのロングコートの下は派手なウェイトレスの制服のままだったが,当人はまるで気にしないようであった。にこにこと機嫌良くタロスの左腕にぶら下がるように腕を絡ませて歩いている。
     先程リッキーが「タロスばっかり…」と拗ねてみたのもカジノの当たりの事だけを言っている訳ではなかったようだ。


     カードキーを差し込んで部屋のロックを解除する。ピっと軽い電子音がする。
     最上階のスイートに泊まっているとは思いもよらなかったらしいマーラが興奮気味にきょろきょろと広い廊下を見回している。
    「あれ?」
     ドアを開けたリッキーがぱちくりと瞬きする。
    「どうした?」
     タロスが気付いて尋ねる。
    「よお」
     リッキーが応えるより先にジョウの言葉が返ってきた。
    「ジョウ!」
     タロスも目を瞬かせて驚く。
    「何だよ,俺が先に帰ってちゃおかしいのか?」
     心持ち憮然とした表情でジョウが尋ねる。シャワーを浴びた後なのか微かに石鹸の香りがする。
    「いや,そういう訳じゃありやせんが…。アルフィンも一緒なんで?」
     奥の方で人の気配がしたため,タロスが逆に問う。
     もしかしたら二人とも帰ってこないかも,と予想していたために驚いた,とは口が裂けても言えない。
    「いや,アルフィンはまだだ。もうすぐ帰ってくるとは思うが…」
     ちらりと時計を見ながらジョウが応える。思ったよりアルフィンの帰りの遅い事が気になりだしていた。ロックが解除された気配ですぐにドアに向かったのも,そのせいだ。
    「…そちらは?」
     タロスに腕を絡めている派手な美女に目を留め,ジョウが尋ねる。
    「ああ,彼女は下のカジノで知り合った女性で…」
    「マーラです」
     タロスのセリフを途中で奪ってにっこりとマーラが微笑む。タロスはばつが悪そうに頬を赤らめている。
    「マーラ,こっちはジョウだよ。俺ら達のリーダーなんだ」
     リッキーがそつなくジョウの紹介をする。
    「はじめまして,ジョウ。よろしくね」
     ウィンクひとつオマケに付けて,マーラが改めて挨拶する。
    「…あ,ああ。こちらこそ…」
     あまり女性に免疫のないジョウは,なんとなくドギマギしながら挨拶を返した。アルフィンには見られたくない現場である。
    「それよりジョウ,そのケガはいったいどうしたんで?」
     動揺が少し治まったところで,タロスがジョウの手に巻かれているテーピングに気付き,顔を微かにひそめた。よく見ると,あちこちに擦傷や打撲の跡がある。
    「ああ,これは…。まぁとりあえず中に入れよ」
     ジョウはそう言うと3人を促した。いつまでもドア口で立ったままというのもマヌケな話だ。
    「ん?」
     リビングのソファの横に誰か立っている。気付いたリッキーが歩みを止める。
    「俺も客を一人連れて帰ったんだ」
     ジョウがおどけたように言った。
     少年は「どうも」と言うと,ぺこりと頭を下げた。
     部屋の中なので,ダウンベストは脱いでいる。シンプルな黒のタートルネックが少年のスリムな身体を一層強調している。
    「あら,あなた…」
     小さく声を上げたのはマーラだった。
     少年が反応してマーラの方を見る。
    「もしかして,こいつのこと知ってるのか!?」
     慌てた様子で尋ねたのはジョウだ。タロスとリッキーは訳が分からずきょとんとしている。
    「え…?知ってる…って……?」
     ジョウの剣幕に驚いて,マーラはタロスの腕をさらにぎゅっと掴んだ。
    「ジョウ,どういう意味なんで?」
     マーラを庇うようにタロスが尋ねる。
    「……こいつ,記憶喪失らしいんだ」
    「ええっ!?」
     声を上げたのはリッキーである。まじまじと少年の顔を見る。少年はまだマーラを見つめていた。
    「……ホントに?」
     マーラが吃驚した表情のまま静かに尋ねる。
    「…うん,どうもそうらしいんだ」
     少年も静かに応えた。
     お互い目を離せないでいる。
    「とりあえず座ろうぜ。話はそれからだ」
     ジョウはそう言って,再び皆を促した。

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■784 / inTopicNo.16)  Re[15]: 『D』
□投稿者/ まき -(2004/11/23(Tue) 05:34:12)
    「うわー,何かすごい話だなぁ…」
     ジョウの話を聞き終えたリッキーが,思わず高い天井を仰ぎ見る。もはや食事どころではない。
    「ホントに何も思い出せねぇのか?オマエを攫おうとしたヤツらのことも?」
     タロスが少年に向かって言う。質問と言うよりは確認の意味を込めて。
    「うん」
     少年はシンプルに応えた。なんとなく居心地が悪そうである。
    「ただの人さらいなのか,最初からコイツを狙っていたのか,微妙なところだな…」
     ジョウが溜息を吐きながら言う。
    「ここって治安の良さがウリのひとつなんじゃ無かったっけ?こういう事ってよくあるの?」
     リッキーがマーラに尋ねる。さすがに腕は解いたものの,相変わらずタロスの隣に座っている。巨体のタロスと並んで座る姿は可愛らしい人形のようにも見える。
    「”よく”はないと思うわ。そんな事件『ウラ』ではあるかもしれないけど,『オモテ』は罰則も厳しいから…」
     マーラが首を捻りながら応える。
    「なんだ?その『ウラ』とか『オモテ』とかって…?」
     ジョウが聞き咎めて質問する。
    「ああ,ごめんなさい。ここではメインエリアのフェリオーネの事を『オモテ』,マフィアとかソレに準ずるようなヤツらが根城にしているダウンタウンエリアを『ウラ』って呼んでるの」
     マーラが説明する。
    「そう言えば,アイツら銃を取り出した時,ここは『オモテ』だぞ,とか言ってたよ」
     少年も思い出したように言う。
    ”ぴんぽーん”
     いきなり来訪を告げるチャイムが響いた。
    「アルフィンだ!なんだいチャイムなんて鳴らしてさぁ」
     リッキーが飛び跳ねるように立ち上がってドアに向かう。キーを取り出せないくらいの大荷物でも抱えているのだろうか。
     ジョウも一瞬腰を浮かせたが,皆の手前,咳払いしてもう一度腰を下ろした。
     ドアの方からぼそぼそというやり取りが聞こえてくる。内容までは聞き取れないが,リッキーが誰かと話しているようだ。
    (アルフィンじゃないのか…?)
     ジョウの胸にぞわりと黒い不安が広がった。

    「兄貴,これ!」
     リッキーが花束と白いペーパーバッグを抱えて戻ってきた。
    「…なんだそれは」
     ジョウが不安を払拭するように勢いよく立ち上がった。
    「『フィリーズホテル最上階スイートにお泊まりのクラッシャージョウ様へ』ってカードが…」
    「貸せっ!」
     ジョウはリッキーから奪い取るようにカードを受け取ると中を開いた。
     みるみるジョウの形相が変わっていく。
    「兄貴!これアルフィンのハンドバッグだよ!」
     ペーパーバッグの中身を確認してリッキーが叫ぶ。
    「ジョウっ!?」
     タロスも立ち上がった。
     少年とマーラは息を飲んで固まっている。
    「くそっ!アルフィンが,攫われたっ…!」
     怒りに顔をどす黒く染めながら,血を吐くようにジョウが言った。

     ジョウからカードを取り上げ,タロスも素早く目を通す。徐々に眉間の皺が深くなる。
    「タロス!何て書いてあるんだよ!?」
     リッキーが悲鳴のような声を上げる。
     タロスは少年に一瞥をくれる。ぴくりと少年の身体が緊張する。
    「アルフィンと引き替えにその坊主をよこせ,だと」
     タロスは簡潔に伝えた。
    「あ,兄貴!」
     思わずリッキーがジョウの顔を見る。ジョウの瞳は怒りによってぎらぎらと熱を発している。
    「タロス!すぐに車を手配してくれ!」
    「了解」
     ジョウの指示にタロスがすぐさま応じる。巨体に似合わない俊敏さを見せて,フロントにコールすべく電話に飛びつく。
    「リッキー,着替えるぞ」
    「う,うん!」
     ジョウとリッキーが奥の部屋へ連れ立って消えた。

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■785 / inTopicNo.17)  Re[16]: 『D』
□投稿者/ まき -(2004/11/23(Tue) 05:40:30)
    「……大丈夫?」
     マーラが呆然としている少年の瞳を覗き込む。いつの間にか席を立って,ソファに座っている少年の前にしゃがんでいた。
     タロスはフロントに電話しながらちらりと二人の客を眺める。
     少年は微動だにせず空を見つめている。あまりのショックにフリーズしてしまったようだ。
     マーラはふと少年の顔に手を伸ばす。マーラの細い指が少年の繊細な頬に触れる。
     ぴくりと少年が小さく反応する。ようやく少年の目がマーラを捉えた。
    「あ………」
     低い振動が頭の中を駆けめぐる。これは耳鳴りだろうか。
    「大丈夫?」
     もう一度マーラが尋ねる。気遣わしげにグレーの瞳を少し細めた。
    「…うん。でも…」
     耳鳴りはまだ続いている。頭の中で反響している。
    「僕のせいでアルフィンが…」
     掠れる声で少年が呟く。マーラの瞳を見つめながら,哀しげに顔を歪める。
     耳鳴りのせいで自分の声が遠くに聞こえる。
     焦っているはずなのに,どこか機能が麻痺してしまったようだ。きちんと反応できないでいる。
    「ねぇ」
     いつの間にかマーラの指は少年の頬を離れ,今度は両手で少年の手を合わせるように包んでいた。
    「あなたは自分で記憶を消したわけではないのね?」
     マーラはゆっくりと話しかける。
    「え…?」
     少年が意味を取り損なって小さく聞き返す。
     マーラのグレーの瞳が哀しげな色を湛えている。
    「あなたは,きっと,『一番肝心なこと』を忘れているんだわ」
     暗示を掛けるように,或いは暗示を解くように,マーラは一語ずつ言葉を発した。
     耳鳴りが激しくなっている。マーラの言葉が異国の言葉のように思える。
    「一番,肝心なこと…って?」
     無意識に言葉が漏れた。自分はそんな事『聞きたくない』のに。
     マーラの唇が躊躇いを見せる。赤いルージュが照明の光を反射してパールの輝きを放っている。
    「……私は『ディー』。『ディーオー』よ」
     マーラの言葉が呪文のように少年の胸に浸透していく。
    ”ディー”,”ディーオー”
     耳鳴りが一層の激しさを増す。
    ”ディー”
    …………『D』

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■786 / inTopicNo.18)  Re[17]: 『D』
□投稿者/ まき -(2004/11/23(Tue) 05:45:32)
    『どうしてっ!?どうしてなのよっ!』
     ヒステリックに叫ぶのは誰?
     いつも綺麗にセットされている艶やかな黒髪が少し乱れている。
    『あなたなんか…っ!!』
     鋭利な刃物で突き刺すように”あの人”の瞳が僕を射抜く。
     これは,僕の記憶…?
     赤ちゃんの僕を愛おしそうに抱いてくれた”あの人”
     幼い僕の手を引いて,歌いながら笑っていた”あの人”
     僕の髪を梳かし付けて,誇らしげに微笑んだ”あの人”
     フラッシュバックの映像のように,僕の頭をいくつもの場面が通り過ぎる。
     ”あの人”の髪が,”あの人”の指が,”あの人”の赤い唇が,”あの人”の声が,去来する膨大な映像の中で浮かび上がっては消える。
     映像の中で幼い僕が”あの人”を呼ぶ。

    『 お 母 さ ん 』

     これは,ボクノキオク…?
     これは,ダレノキロク…?

    『あなたなんか…っ!!』


    (お母さん!僕は…!)

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■787 / inTopicNo.19)  Re[18]: 『D』
□投稿者/ まき -(2004/11/23(Tue) 05:56:28)
    「手荒なマネをして悪かったね」
     少しも悪びれず,にやにやとしながら男が言う。
    (しらじらしい!)
     アルフィンは無言で男をきっと睨む。殴られた後頭部がズキズキと痛む。
     見るからに人相の悪い中年の男がエラそうにソファにふんぞり返っている。
     太っているわけではないが,体格は良いようだ。立ったらかなりの大男であろう。
     濃紫のダブルのスーツが妙な威圧感を醸し出している。派手なショッキングピンクのシャツと趣味の悪い柄のネクタイが下品なこと極まりない。
    「おやおや,綺麗なお嬢さんにそんな怖い顔は似合わないなぁ」
     芝居がかった仕草で大袈裟に首を左右に振る。
     男の首に掛かっている趣味の悪い派手な金のネックレスがじゃらりと音を立てた。
     ますますアルフィンの嫌悪感が増す。
     アルフィンは上半身をぐるぐる巻きに縛られた状態で,投げやりに床に座り込んでいた。
     成金趣味丸出しの,ただただ派手で華美な装飾に彩られた応接室らしい部屋には「調和」とか「統一感」とかいう言葉が完全に欠落してる。
    (はっきり言って”悪趣味”だわ)
     アルフィンは心の中で毒づいた。
     もっとも,何の毛皮かは不明だが,ふかふかの敷布だけは直座りの身にとっては有難かったのだが。
    「おい,縄を少し弛めてやったらどうだ?これじゃ可哀想じゃないか」
     悪趣味な成金男がアルフィンの傍にいる2人組の男達に言う。
    「いえ。このオンナは普通の女じゃあないんです。車のサイドガラスを蹴りで砕くぐらいの体術を身に付けてますから」
     男の一人が冷静に言う。もう一人の男も同意を示す様に頷いた。
     アルフィンを攫ったのは,黒いエアカーに乗っていた二人組の男であった。
     一度は逃走したものの,やはり去りがたく,再び様子を窺いに戻ってきていたのだ。
     狙いの少年の姿こそ無かったが,ウマい具合にアルフィンが一人でいるところを発見し,捉えたというわけである。
    「ほう…。ガラスを蹴り砕く…。オマエいったい何ものなんだ?あの坊主とどういう関係なんだ?」
     成金男が興味深げにアルフィンの顔をじっとりと眺める。
     粘着質の視線に晒され,アルフィンの背中に悪寒が走る。
    「あ,あたしこそ教えて欲しいわよ!あのコはいったい誰なのよ!?それにアンタたちは何なのよ!」
     不快さを払拭するように,アルフィンが大声で言い返す。
     強気なアルフィンに一瞬成金男が鼻白む。
    「ボス,どうやらあの坊主,記憶喪失になっちまったらしいですぜ」
     アルフィンの横に立つ男が口を開いた。
    「記憶喪失?」
     ボスと呼ばれた成金男が怪訝そうに聞き返す。
    「ええ。それに,この女と一緒にいたもう一人の男は”クラッシャージョウ”と名乗ってました。あの坊主とは偶然出会ったようですし,特に関わりがあるようには思えませんでしたぜ」
     さらに男は続けてそう言った。立ち聞きした時の会話を反芻しているのだろう。
    「わははははははははっ!そうか記憶喪失か!そりゃ面白れぇな!今頃あのババァ,顔を青くして捜し回ってんだろうなぁ!」
     さも愉快そうに成金男は大笑いする。あまりの下品さにアルフィンは形の良い眉を微かにしかめた。
    「そうかぁ,あん時のショックでなぁ…」
     成金男はしつこく笑っている。ぐふぐふとくぐもった声が,締まりのない唇から漏れ聞こえる。
    (……きもちわるー)
     アルフィンの悪寒はさらに酷くなる。思わず肩をすぼめてぶるると震えた。
    「オマエも不運だったなぁ。そんなヤツに関わったばっかりによぉ。まぁ恨むんならあの坊主と自分の運のなさを恨むんだな」
     アルフィンが脅えて震えていると誤解した成金男は,気分を良くしてさらに笑った。
    「いったいあのコが何だっていうのよ」
     イライラとアルフィンが問う。
    「んー?あいつかぁ?あの坊主はなぁ…」

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■788 / inTopicNo.20)  Re[19]: 『D』
□投稿者/ まき -(2004/11/23(Tue) 05:59:56)
    「おい,坊主」
    「…!!」
     ふいに強く肩を揺すぶられて,少年がびくんと過剰に反応する。
     いつの間にかタロスが近くにいた。
    「大丈夫か?」
     低い声が気遣わしげな色を含んでいる。
    (何て顔してやがる)
     少年の白い顔からは生気が失せている。
     明るい茶色の瞳は照明の無機質な光を反射しているだけだ。
    「おまえ…」
     タロスは嫌な胸騒ぎを覚える。
    「…えへへ。なんかちょっと思い出したみたいだ」
     くしゃりと顔を崩して少年が間の抜けた声を出した。
    「本当か…!?」
     思わず少年の肩に掛けた手に力がこもる。
    「?」
     そのタロスの肩にも手が掛けられた。
    「マーラ…?」
     振り返ると,マーラが哀しそうな表情で少年を見ていた。何かに耐えるように苦しげに眉をひそめている。
     豪華なオレンジ色のウェーブの髪がマーラの白い顔に重たい影を落としている。
    「いったい…」
     どうしたんだ,と言いかけた時,奥の部屋からクラッシュジャケットに着替えたジョウとリッキーが姿を現した。
    「タロス,車の手配は済んだのか?おまえも着替えろ!」
     逸る気持ちを抑えきれないジョウが早口で言う。
    「へい。…車はすぐに回してくれるそうです」
     タロスは素早く立ち上がってそう言った。
     タロスの肩に掛けられていたマーラの手がするりと落ちた。
    「ジョウ。僕,記憶が戻ったよ」
     少年の声が一瞬部屋の時間を止める。
     大きな声ではなかったが,充分に通る声だった。
    「何?」
     ジョウがゆっくりと問い返す。リッキーは目を丸くしたまま固まっており,タロスも奥の部屋へ移動する途中で足を止めている。
    「今は時間が惜しいから,車の中で放すよ。ちょっと長い話になりそうだから」
     部屋に充満した緊張感に耐えられなくなったのか,少し照れたような表情で少年はそう言った。

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