| 「レオルゴ・シーパス?」 アルフィンは口の中で転がすように,その名前を復唱する。 「そうだ。あの坊主はシーパス一家の跡取り息子さ」 吐き捨てるように成金男が言う。 「あいつの親父と俺は昔から因縁があってな,若い頃から何かといえば対立してたのさ。まぁそれでも,ここはフィリオ・ウーラルの統制が厳しいからな,それほど表だってはやり合うことも無かった。…それに対立してたっていっても,俺達はライバル同士っていう間柄で,そこにどろどろした憎悪があったわけじゃねぇ。その証拠に俺の妹がダカルに嫁いで義兄弟の契りを交わした過去もある」 昔を振り返るように遠くを見つめながら成金男が続ける。 ダカルというのが少年の父親の名前なのだろう。 (あのコがマフィアの跡取り息子…) 少年の可愛らしい顔を思い浮かべながらアルフィンは少なからず衝撃を受ける。 「ところが,だ…!」 突然声を大にした成金男に,アルフィンはハッと顔を上げた。 「あのババァが現れてから,全てがおかしくなり始めた」 成金男の顔が怒りによって赤黒く変色する。 「…ババァって?」 アルフィンが尋ねる。興奮してきたのか,成金男の目がぎらぎらと剣呑な光を帯び始めている。 「モーリアだ!ダカルのオンナさ!あの坊主の母親だ!」 怒りを含んだ声で吐き捨てる。 「…別に愛人の一人や二人作ったところでどうって事ぁないが,あのババァはやりすぎた」 (どうって事あるわよ…っ) アルフィンは妙なところで反発する。 「あのババァが現れる少し前,俺の妹が死んだ。…16年前の事だ」 思わずアルフィンが成金男の顔を見る。 男は込み上げる感情を抑えるように厳つい眉をぎゅっとしかめていた。 「ダカルと妹の間にはバリーニっていう一人息子がいた。あのババァはバリーニの継母ってぇ事で,うまく後妻に収まりやがった」 悔しさを滲ませて,成金男の声が微かに湿り気を帯びる。 「やがてあの坊主,レオルゴが産まれた。そん時ぁ,バリーニはまだ3つだった。俺には子どもがいねぇから甥っ子のバリーニを養子にくれって頼んだ。ダカルの奴ぁ渋ったが,モーリアは大喜びで差し出して来やがった」 それは当然だろう。自分に息子が出来た以上,バリーニの存在は邪魔になる。血の繋がった我が子を跡取りに,と願う気持ちはもっともだ。 成金男にしても血縁者を後継者に育てたいという思いがあったのだろうし,この養子縁組はむしろ自然の成り行きと言えるだろう。 「ところが,だ」 成金男の声が突然低いトーンに落ちる。地の底を這うような声だ。 思わずアルフィンはぶるっと身震いする。 「2ヶ月前,ダカルが事故に遭って死んじまいやがった」 アルフィンがはっと目を見張る。成金男の身体から怒りのオーラが出ているのが見えるような気がした。 「…思えば,アン時に嫌な予感がしてたんだ」 成金男がぎゅっと拳を握る。たくさん付けている指輪がぎらりと光った。 「あのババァ,俺の…俺のバリーニを殺しやがったんだ!」 ばんっ!とソファの肘掛けを叩きつけて,成金男が吠えた。 びくりとアルフィンが首をすくめる。 「アイツはレオルゴを唯一のボスに仕立て上げるのに必死だった。ダカルの血を引いているバリーニの存在が許せなかったんだ!」 シーパス一家は突然のボスの死去に騒然となった。当然息子のレオルゴが後継者として祭り上げられるハズだった。 ところが,養子に出したとはいえ,ダカルの血を引いている息子がもう一人いる。しかも長子だ。 日頃からモーリアに反発していたシーパス一家の数人は,レオルゴよりバリーニをボスにするべきだと主張し始めた。 「…そんな。レオルゴのお母さんが殺したって証拠があるの?」 アルフィンが慎重に質問する。 「ああ。証拠はあがってる。それに…16年前に妹が死んだのも,ダカルの事故も,全てあのオンナが仕組んだ事だってことも判明したんだ!」 思わずアルフィンは絶句する。 ダカルに取り入るため,成金男の妹を殺害。何かと組織に口出しする事を日頃から諫められていた腹いせにダカルを殺害。一家の中で持ち上がったバリーニ後継者説を払拭するためにバリーニを殺害。 成金男はそう言った。 「……だから?」 アルフィンはまだ信じられないような表情で尋ねる。口の中が乾いて掠れた声になる。 「だから,レオルゴを狙うの?レオルゴをどうするの?あのコは悪くないじゃないっ!」 アルフィンのセリフは加速していく。最後はほとんど叫び声になっていた。 「そのセリフはそっくりそのままあのババァに言ってやれっ!」 即座に怒鳴り返すと,男は立ち上がってアルフィンの傍に歩いてきた。 アルフィンの身体が強張る。しかし瞳は鋭く男を睨みつけている。 男がぐいとアルフィンの頭を掴んだ。そのまま無理やり立たせる。 片方のヒールが折れたブーツではうまくバランスが取れない。足下がおぼつかず,髪がひっぱられる痛みにアルフィンは顔をしかめる。 「俺のバリーニだってなぁ,何にも悪い事ぁしてねぇんだよ。あいつらのお家騒動なんて知ったこっちゃ無いんだ」 ぎらつく顔を近付けて男が凄みをきかせて言う。 「やられたらやり返す。それのどこが悪いっ」 ぶんっと乱暴にアルフィンの頭を投げた。 「きゃっ」 上半身を縛られているアルフィンは受け身を取ることも出来ず,そのまま無防備に床に投げ出された。 絨毯が敷いてあるとはいえ,衝撃と痛みに思わず息が詰まる。 「先月確かにアイツを車で轢いたんだが,運のいいことに生きてやがった」 忌々しげに男が言う。 「しかし今度こそあのババァに復習するチャンスだ。アイツの目の前でレオルゴの奴をじわじわとなぶり殺してやる」 残忍な笑みを浮かべながら,男は不気味な声で笑った。 ようやくアルフィンの中で話が繋がった。 その時のショックで少年は記憶を失ったという事か。 それではあの少年は病院から抜け出してきたのだろうか。 アルフィンが思考を巡らせていると,にわかに部屋の外から慌ただしい気配が伝わってきた。 コンコンコンっ!!と乱暴にドアがノックされる。 「ボス!奴が来ました!」 ドア越しにくぐもった声が聞こえた。 「!」 アルフィンの顔が青ざめる。 「来たか…」 成金男は爬虫類を思わせるような,ねっとりとした笑みを浮かべた。
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